6-9:はじまり
『魔女』。
その単語に、エフィの体が震えた。
(……私? 事件って……)
ヤードと、噂をしている人々から目を離せなくなる。アリステアが仕込み杖を握り直したのが、視界の端に映った。
「銃で一撃だって」
「予言にない事件なんて」
ざらつくような言葉が、耳に飛び込んでくる。
「これって、魔女の仕業じゃないの?」
その一言が、雑踏の中でもやけにはっきりと聞こえた。
息が乱れる。こんなところで正体がバレるようなことは避けなければいけない。顔色を変えないようにするのに必死だった。
アリステアが黙って手を引いてくれる。それに素直に従い、エフィは現場から距離を取った。体全体が自分のものではないような、奇妙な感覚のまま、歩く。
「……アリステア」
十分に距離を取ったところで、エフィは重い口を開く。
「初めて会った頃、言ったよね。私はルーカスやアリステアの予言には存在しなくて、私が予言を変える存在なんだって」
「言った」
彼の答えは、端的だった。そこには優しさも気遣いもない。それが妙に楽で、ようやくエフィはまともに息をすることができる。
「それなら……今、予言にない事件が起きたのは――私のせいかもしれない」
「違う」
アリステアは迷いなく言いきった。彼はお世辞や嘘を言わない。そのことが、エフィを崖から引っ張り上げてくれる。
「私が誰かの運命を変えたことで、別の誰かの運命を……大きく歪めているのかもしれない」
以前から、その兆候はあった。ナターシャを助けた時に、予言と違って殺されそうになっていたヤードがいたことを思い出す。
エフィが変えた運命が、形を変えて別の誰かに影響する――それはもう、ふたつの事故を変えたことで決定的になってしまっているだろう。不特定多数の運命を変えてしまったから。
転がりだした岩は、エフィの予想よりもずっと、大きい。
「エフィの行動がきっかけの可能性は高い。でも、それは君だけの責任じゃない。『予言がない世界では、誰かに影響を与えずに生きていくなんてできない』、そう言ったのは、君だ」
何日も前に言ったことを、一言一句違わずに引用された。深い青の瞳が、静かにエフィを見ている。
凪いだその輝きにつられて、エフィの心も徐々に落ち着きを取り戻す。
「……そう、かもしれない。でもきっと、私が切っ掛けなのは変わらない。だから……何かしたいって、そう思う」
「うん」
アリステアはただ、頷いた。
「あ! 姐さんじゃないで――」
突然、親しげに声をかけられた。
予想外のことに、エフィは飛び上がる。同時に、アリステアが動く。素早く相手との距離を詰め、声をかけてきた男の首筋に短剣を沿わせていた。男の喉仏がごくりと上下する。
「動かないで。何者? なぜ話しかけてきた?」
「そりゃ、見かけたから挨拶をと思って……」
男が震える声で答える。
エフィはまじまじと男を見た。エフィと同い年くらいの若い男。じっと観察してから、そういえば顔を見たことがあるなと思い出す。
「貴方、オズワルドのところの運転手さん?」
「そうです!」
アリステアも彼のことを思い出したのか、コートの袖口で隠してあった籠手に短剣を嵌め込み、収納した。
(……そんなところに!)
エフィは目を瞬かせる。
「姐さんが覚えててくれて助かりました」
運転手は律儀に頭を下げる。
「姐さんっていうのは?」
呼ばれなれない呼称がむず痒い。そもそも同年代に見える上、姐さんと呼ばれるようなことは何もしていない。エフィは胡乱な目で、運転手を見た。
「素性をおおっぴらにする訳にはいかないでしょう。例の時はオズワルド様を助けてくれましたし、自動車の故障も見るだけで言い当てた。だから姐さんです!」
「後半はともかく、素性についてはそれが賢明だね」
アリステアはまだ警戒の目を運転手に向けているが、運転手は萎縮する様子もなく、その場に立っている。かなり神経が太いのかもしれない。
「ねえ、貴方はさっき起きた事件について、何か知ってる?」
エフィは視線で先程の人集りを示す。運転手は途端に表情を曇らせた。
「……知ってますよ。場所を変えた方がいいかな」
アリステアの先導で、すぐ近くの路地へと移動する。会話を拾われないよう奥まで入ったので、事件現場を囲む人集りは見えなくなった。
「今朝、そこの路地の奥にある広場で、銃殺された遺体が発見されたんです。身元は我々『記されざる者』の構成員でした。この前、姐さんと一緒に列車に乗ってたうちのひとりです」
運転手の報告に、エフィは息を呑む。運転手は悔しげに、拳を壁に叩きつけた。
「それって、犯人は誰なの?」
「わかりません。ヤードの目を掻い潜ってオズワルド様も探っていますが、なにせ早朝のことで。目撃者がいないんですよ」
アリステアは無言で顎に手を当て、考え込んでいる。
「姐さんたちも、くれぐれも気を付けて下さいね。俺はまだ、この辺で情報がないか探してみるんで」
気さくにこちらに手を振ってから、運転手が去っていく。
「……目撃者がいないと、犯人を捕まえるのは難しそうだよね」
去っていく運転手の背中を眺めながら、エフィが呟く。アリステアは返事をしなかった。
「アリステア?」
「ごめん。考え事をしてた」
アリステアは表通りを睨むのをやめ、エフィに向き直った。
「この事件は、これでは終わらない気がする」
「え? なんでそう思うの?」
エフィの問いかけに、アリステアは一瞬、言葉に詰まったように沈黙した。彼の視線が、なにもない地面へと落ちる。
「……エフィが予言に縛られて、自分の未来を決められていたと仮定するよ。予言が外れる可能性が提示されたら……君なら、まず何をする?」
未来を決められていたとしたら。
脳裏に咄嗟に浮かんだのは、ルーカスの家で一緒に暮らすみんなのことだった。
「家族とか、大事な人が傷つく予言がないかを確認して、あれば止めようとする、かな」
エフィは迷わず答える。アリステアは頷いた。
「人間の行動には優先順位がある。まだエフィが予言を変えはじめてあまり時間が経ってないのに、犯人は殺人という事件をやり遂げた」
彼の声は淡々としている。アリステアの言いたいことがわかって、エフィの背筋にぞくりと冷たいものが走る。
「犯人は、これを『したいからした』ってこと……?」
「断定はできないけど、その可能性はある。個人的な恨みかもしれないし、もっと別の理由かもしれない。でも」
アリステアは一度、言葉を止めた。
「きっと、また起きる」
街を動かす歯車の音が、一際大きく聞こえた気がした。
*
アリステアの言葉通りになったのは、翌日のことだった。
路地で、再び銃殺された遺体が発見された――




