6-7:やりたいこと
翌朝。
エフィが自宅のリビングに下りていくと、窓の向こう、庭にアリステアの姿があることに気付いた。後ろ姿しか見えないが俯きがちで、手元にある何かを見ている様子だった。
時々、彼は庭のベンチで本を読んでいることがあるが、こんな時間にいるのは珍しい。
エフィは庭に出て、彼に近付く。アリステアは当然のようにこちらの気配に気付いていて、顔を上げてエフィを迎えた。襟足よりも長い赤茶の髪が、ふわりと揺れる。
「おはよう。何見てるの?」
アリステアは一拍、無言でエフィを見つめる。青い瞳の中にある感情の答えを見つける前に、彼の手が差し出された。その手のひらに、淡い青紫色の紐がいくつか乗っている。幅があり、リボンに近いかもしれない。
どれも端が斜めに切れ、ほつれている。あの列車の中で、鎧の人物に切断されていたものだと、すぐにわかった。
エフィは彼のとなりに腰を下ろす。
「それ、いつも着けてる髪紐だよね」
アリステアは頷き、風に飛ばされないよう優しく紐を握った。紐に視線を落とす眼差しは憂いを帯びていて、いつもの彼とまるで違う。
彼がこれ以外で髪をまとめているのを、エフィは見たことがなかった。
彼は踏み込まれることを嫌うかもしれないと思ったが、あまりにも彼が寂しげに髪紐を見ていて――
「……それ、大事なものなんだね」
そんな言葉が、口をついた。
アリステアがエフィを見て、瞬きを繰り返す。
「そうかな」
予想外のことを言われた、と彼の顔に書いてあるようで、思わずエフィは笑ってしまう。
「そうじゃなきゃ、あの場でわざわざ拾ったり、ここで見たりしないでしょ?」
「……そう、だね」
エフィの言葉に、アリステアが微笑む。やはりその表情には、どこか陰のような気配がある。
「私も、同じ色の髪留めを使ってるよ」
エフィは編み込んでいた後ろ髪に手をやり、バレッタを外して手に乗せた。小さな青紫の花がいくつも飾られたそれは、彼のものよりも僅かに青に近い色をしている。
アリステアは目を細め、バレッタを見つめた。
「これ、兄様からの誕生祝いなんだ。アリステアのは誰かから貰ったの?」
「いや。自分で用意した」
アリステアが顔を上げて、エフィを見た。
「初めて選んだんだ。自分で」
ぽつりと呟かれた言葉は、エルシオンではとても重い。
下ろしたままの彼の髪が、風に靡く。彼は何も言わない。髪を別のもので結ばないところに、彼の気持ちが現れている気がして――エフィは、いてもたってもいられなくなった。
バレッタを着け直してから、アリステアの髪紐に視線を戻す。
「ね、その紐、貸してくれる?」
アリステアは躊躇うことなく、髪紐を差し出した。エフィは一番長い部分を受け取ると、立ち上がってアリステアの背後に回る。
「私が結び直してみるね。ちょっと触るよ?」
アリステアが頷く。前を向く彼の表情は見えない。エフィは髪を手櫛で集め、まとめる。指がうなじに触れても、彼は身動きひとつしなかった。
やや癖のある柔らかい髪に、薄紫の紐をあてがう。そのまま結ぼうとするが、やはり短いため上手くまとめることができない。エフィの手から、赤茶色の髪がこぼれる。
「ごめん、やっぱり難しいかも」
「大丈夫」
アリステアの返事は短く、淡々としている。何の揺らぎもないその一言が、逆にエフィの喉を詰まらせた。
(何か、できないのかな)
彼を放っておけなくて、エフィは周囲を見回す。髪を下ろしたアリステア、彼が座るベンチ、そこに立て掛けられているいつもの仕込み杖――そこでふと、思い付いたことがあった。
「……ね、ちょっとここで待ってて!」
アリステアが初めてこちらを振り向いた。それを見届けることもなく、エフィは家へと引き返す。全速力で自室に向かい、棚から必要なものをかき集めて、またアリステアのところに戻った。
彼はそのままの姿勢で、エフィを待っていた。
エフィはまたアリステアの隣に座り、手の中のものを彼に見せる。リボンを挟むための半円形の金具と、短めのチェーン。
「髪紐を金具で留めてタッセルにして、チェーンで繋いで剣に飾るの。どうかな?」
エフィは指先で髪紐を二つ折りにしてみせる。アリステアは青い瞳で、髪紐を見るばかり。何も言わない。
(変なこと言っちゃったかな……)
エフィの胸にそんな不安が過る頃、アリステアの表情が崩れた。ほんの僅かに、唇の端が上がっている。
「お願いしてもいい?」
「もちろん!」
エフィは笑い返して、一緒に持ってきた手芸用工具を手にした。アリステアから残りの髪紐も預かり、金具で留めてまとめて固定する。
エフィの作業を、彼はじっと見つめていた。
「手際がいい」
「というか、慣れてるだけだよ。イーリスにいた頃は、アクセサリー作家になりたかったの」
エフィは言いながらも、手は止めない。
「魔石を使った装飾品は、お守りとして人気があったんだ。私もそういうのを作りたいなと思って、独学で勉強してたの。だから――って、ごめん、私ばっかり喋ってるね」
「いや。君の話を聞きたい」
静かな声。一瞬だけ、沈黙が流れて、エフィの手元が狂いそうになる。
「えっと、あのね、そういうの、照れるからやめてくれる?」
つい早口になってしまった。アリステアはお世辞や社交辞令を言わない。だからこそ、その台詞が紛れもない本心だとわかる。
手元に全く集中できず、震える手からチェーンが落下した。
「どうして?」
「どうしても! だいたい、私の話に面白いところなんてないよ?」
「やりたいことの話は、エルシオンの人からは聞けない」
「むっ……!」
それを言われると反論できない。ついでにアリステアにやり返すこともできない。エフィは唇を尖らせつつ、体の角度を変えてアリステアに背を向ける。
「じゃあせめて、作業が終わってからにして。失敗したらいけないから」
「わかった」
アリステアの方を見ないように、エフィは手元に意識を集中させる。
(いつか絶対、アリステアに『やりたいこと』を言わせてみせる!)
その時は、根掘り葉掘り聞いてやるのだ。
そんなことを考えながら、作業を進めていく。
静かな庭。涼しい風が頬を撫でる。エフィはこの時間の心地よさに、自然と目を細めていた。




