10.美術教師
その後、私はモネの睡蓮と黒田清輝の湖畔のある場所を調べた。黒田清輝の湖畔は国立博物館にあると分かった。黒田記念館というものがあるらしい。
しかし、塾の夏期講習が始まり、禰宜まつりもこの期間宿題をやるということでしばらく調査は休止となった。
学校が開いている日は、私は狐と学校へ行った。禰宜まつりも来ていたようだが、一人で勉強をしたいのもあって別行動とした。その日も、私は学校へ向かっていた。
「お前、どの範囲まで幽霊がいるか分かるんだ?」
「人の少ないところであれば広範囲まで分かるが、人が多いと難しい。目視だからな」
「目視なのか」
「生きている人間と雰囲気が違うゆえ人混みでも分かりやすくはあるが、隠れていると見えづらい」
「なぁ、私も見えるようになったりしないか?」
「ん?見るだけなら霊感があれば見られるぞ」
「今後手分けして探すことも検討するかもしれないから、私も見えるようになれば便利だ。片方が見つけたら、その時点で連絡すればいい」
「お前、霊感がありそうに見えるが」
「…は?」
私は驚いて狐を取り落とした。道路へ転がってき、危うく轢かれそうになった狐が何事か喚いている。拾い上げられ、一通り文句を言い終わった狐は話を戻した。
「何か変なものを感じたことはないか?」
「そんな大雑把な質問で分かるわけがないだろう」
「ううむ、我に見つけられ、はっきりと見えている時点でそう思うのだがな」
「本当に私に霊感が…?」
「お前は割と現実的思考をしていると見えるから、不可思議な事が起きても、まさか幽霊だとは思わなかったのだろう」
悔しいが、そう言われると納得してしまう。よく考えれば、背後に人影のようなものを感じても全て気のせいで処理してきた。今までいたような気がしていたものが実際いたとすると気味が悪いので、知りたくなかった。
今も風が吹くだけでぞわぞわしてしまい、思わず振り返りたくなる。
「試しにやってみるか?」
「…どうやるんだ」
急に狐のぬいぐるみが軽くなった。
「…狐?」
「我がどこにいるか分かるか?」
背後から声が聞こえて振り向くと、そこには狐がいた。
「なんだ、人型になっただけか」
「我は今、かなり力の弱い霊体だ。依代もなく存在しているのだからな。それでも見えるということは、お前には霊感がある」
「…」
「そして、霊感があると信じたところで、お前には今アレが見えるのではないか?」
透けた狐の先、道路脇に花束が置いてあった。少女が泣いている。
「…まさか」
「いると思えばいる。見ないふりをすればいないことにできる。相当霊感の強いものでなければ、そんなものだ」
「今回の真中ひかり探しには役に立つ能力をありがとう。日常生活には不利益極まりないが」
少女の霊を見なかった事にして、私は学校への道を進み始めた。
「そういえば、何で急に学校に着いて行きたいなんて言い出したんだ?」
「我としては、真中ひかりから聞いていた悩みは、学校と恋愛だからな。美術館巡りというのはどうもしっくり来ん」
「学校へ行くなど、手下の私達にやらせておけばいいのではないか?」
「お前らが頼りないからだ!」
ご立腹の神の使い様は、呆れるほど俗っぽい。
「学校でちょこまかと動くなよ。私の不利益になるように動いたら、焼却炉に投げ入れてやる」
「そんな事で消滅はしない」
「焼却炉にでも宿るか?」
「ぐっ…」
実際は禰宜まつりのぬいぐるみにそんな事をする気はないのだが、これで少しは牽制になるか。
私は課題を終えて、担任を待った。
「守殿さん」
「こんにちは、先生。お忙しいところすみません」
待ち合わせをしていた担任、高山幸一と相対する。
「君が教えて欲しいだなんて、意外だったよ。塾で忙しいのかと思っていたけど」
「基礎を固めておかないと、今後に響きますから。それに、この科目は塾にないので。よろしくお願いします」
高山幸一は、美術教師でもあった。
前期に私が課題として提出した『黒田清輝の湖畔』の改善点を話すために一度美術準備室へ作品を取りに行き、戻って来た。
「真中ひかりさんの事なのですが、聞いて良いですか」
「聞いても何も…僕は事件について何も知らないけど」
「何かに悩んでいたと聞いたんです。報道では他殺だって聞きましたけど、自殺なんじゃないかって噂を耳にして」
「そうなんだ」
「真中さんが何か悩んでいたという話は聞きませんでしたか?私のように、真中さんと面談をしましたよね?」
私はクラスで孤立していた。それに対して高山幸一は何かと気にかけ、進路の話をするとかなんとか言い私を呼び出したのだった。私が呼び出されたのであれば、真中ひかりにも同じ事をしたに違いない。
「そうだね。真中さんとも話をしたよ。でも、話の内容は詳しく言えない。プライベートな事だから。君は真中さんと仲が良かったの?」
「いえ…。隣のクラスの禰宜まつりさんが気にしていて」
「禰宜さんが…?それなら、私に直接聞きに来るように言って。どうしても聞きたいなら、話せる範囲で話そう。誰彼構わず吹聴するようなことではないから」
やはり禰宜まつりに直接聞いてもらうしかないか。しかし、彼女が上手く高山幸一から悩みを聞き出せるだろうか。警戒されそうだ。今も既に警戒されているようだし。
自滅。特攻。ハイリスクハイリターン。
様々な言葉が頭の中を駆け巡る。この方法は使いたくなかった。本当に私は何をしようとしているのだろう。この手札を切れば、心が死にたくなるばかりだというのに。
しかし、やらずにいられない。私の中の何かが、やらなければと叫んでいる。私はこの衝動を十六年間飼いならせずにいた。
「先生にだけ言います。私は真中ひかりさんが好きだったんです。だから、彼女の事はなんでも知りたいんです」
私の言葉に怯んだ高山幸一に、畳みかけるように質問を浴びせた。
「何か悩みがありましたよね。恋愛や学校の事ではないですか?!」
「恋愛関連じゃない!学校の事でもない!個人的な…家の事だったかな…」
「真中さんが、高砂神社へよく行っていたという事は知っていますか?」
「知らない!そもそも高砂神社ってどこにあるんだ?」
「京成高砂駅の近くにあるんですが」
「京成高砂駅には行った事ないよ」
「そんな訳ないでしょう」
「ない!ないよ!そんなところで降りる用事なんて…」
「真中さんの家を訪れなかったんですか?長く学校を休んでいたのに?話を聞きに行かなかったんですか?」
「あっ…いや、聞きに行った。忘れていた」
「では、高砂神社を知っているはずです。真中さんの家の目の前にあるのに」
「そんなところに高砂神社は…あ…」
「やっぱり知っていますよね。神社の場所」
完全に主導権を握られた高山幸一は、何とか自らのペースを取り戻そうとしていた。
「君、大人をからかうのも大概にしろよ。高砂神社の場所を知っているから何なんだ」
「…すみません、嫉妬です。先生と真中さんは仲が良いと禰宜さんから聞いたので、どのくらい仲が良いのか気になって」
「禰宜さんに…?」
「禰宜さんは真中さんと仲が良いそうです」
「意外だな。タイプの違う二人だが」
「仲が良いなら、関係がこじれてもおかしくない。自殺ではなく他殺だとしたら、禰宜さんが怪しいと思っています。禰宜まつりさんは、美術の成績が良かったですか」
「かなり良かった。実技も筆記も満点に近い。そこに彼女の作品があるよ」
私はパッと見て、それがモネだと思えなかった。紫と赤で画面が構成されていたからだ。
「彼女は才能がある。努力もしている。絵を描くのが好きなんだろう。二学期から美術部に入ろうかと言っていたよ」




