92 あなたが、いてくれるだけで
「やぁ!あけましておめでとう!いらっしゃい!」
海風家に着いてインターホンを押すと、それには応答せずに傳が直接、満面の笑みでドアを開けた。
大学では気だるげなのに、今日の傳は元気が良い。
「……お、おめでとうございます……。今日はお招きいただいて……」
いつもとは違うその勢いに圧されつつも、たまきが挨拶しようとしていると、横で梧が呆れた視線を投げた。
「そんな挨拶は良いから、どうぞ入って。寒いでしょう」
梧と目が合ったのにもかかわらず、傳は無視してたまきを招き入れる。
梧が続いて入ろうとすると、傳はより笑顔を深めたうえで、
「君ね、新年早々からそんな顔しないんだよ」
と、頬に手を伸ばした。
反射的に梧はその手を掴んで止めると、
「誰のせいですか……」
と、眉間にしわを寄せる。
玄関先でにらみ合う二人を見て、家に上がっていいのか戸惑っていたたまきだったが、奥から桐子が出てきて、
「何しているんですか?傳さんも、梧も」
と、声をかけたことでひとまずその場は収まり、たまきと梧は桐子の案内で家の中に入った。
海風家のリビングはとてもシンプルで、必要最低限のものしか置いていない印象だった。
たまきの家とは真逆だ。整頓はしているが、キッチンの流し台の横や棚の上、テーブルの上に出しっぱなしのものがあるのに対して、ここではほとんど物が出ていない。
おそらく、見えるところに置かないだけで、棚や押し入れの中などにきっちり収められているのだろう。
研究をしていると、あまり家に帰れないと言っていたから、常にきれいにしておく癖がついているのかもしれない。
ここは梧にとって実家であって、今住んでいる場所ではないにしても、この家の雰囲気が梧のイメージとぴったり一致して、たまきはなんだか納得していた。
「どうかしましたか?」
リビングに入ってから、ぼんやりあたりを眺めていたたまきを見て、桐子が声をかけた。
たまきが顔を上げると、桐子と梧が同じ表情で顔を覗き込んでいる。
驚いたが、やっぱり似ている二人にたまきはふふふっと声を出して笑った。
「……なんだ?」
梧がそんなたまきを訝しんだ。
たまきは上目づかいで梧を見た後に、「わかりませんか?」と、微笑みながら首を傾げる。
梧はきゅっと眉根を寄せて「……昨日からそればかりだな」と、少し拗ねたような顔になって、
「……どういうことですか?」
と、桐子も不思議そうだ。
「僕はわかるよ?冴島さんの言いたいこと」
キッチンでお茶の準備をしながら、傳が口を挟んできた。
たまきがその傳と視線を合わせると、傳がウインクをして、たまきもまた笑う。
その様子を納得がいかない顔で見つめた梧が、
「もういい加減、教えてくれ……」
と、観念したように眉を八の字にして、ため息をつく。
たまきは不覚にもそんな梧を内心可愛いと思って笑いをこらえつつ、桐子と梧の顔を交互に見た。
困った表情でたまきの顔を覗き込む梧と、何が起きているのかわからない桐子は傳の表情を窺う。
「まぁまぁ。そんなところで突っ立っていないで、ほら、みんなこっちに来なよ。お茶が入ったよ」
いつまでもリビングの入り口で立っている姿を楽しそうな顔で見ながら、三人のことを傳が呼んだ。
その時、たまきは急にハッと思い出し、梧の顔を見上げた。
困っていた梧も気付いて、持っていた風呂敷包みを渡すと、たまきは傳の方へ向かった。
「あの……、これ、大したものじゃないんですが……」
と、リビングのテーブルの上にそれを置いて、風呂敷を解いていく。
一段の重箱で、たまきがその蓋を取って見せると、中身は昨日たまきと祖母が作ったおせち料理だった。
「昨日作ったもので、お口に合うかはわからないんですけど……」
「わぁ……すごいね、これは。桐子さん見てよ。おせち料理なんて何年ぶりだろう」
「……これ、手作りなんですか?」
感嘆の声を上げた傳に、桐子もその中身を覗き込んで、目を丸くした。
その驚いた顔は、やはり梧によく似ている。
「はい。祖母が主に作って、……私も手伝ったのと……二品だけ、作りました」
たまきがおずおずと言うと、傳と桐子が興味津々な顔になって、
「へぇ!冴島さんが作ったのはどれ?」
「すごいですね、こんな何品も……。梧はもう食べたの?」
と、口々に聞いた。
照れているたまきの横に立ち、梧が得意げな顔をする。
「これとこれを、たまきが作ったんだ。昨日食べたけど、どれも美味しかったよ」
と言って、柔らかな笑顔を見せた。
そんな表情を見せた梧に驚いて、桐子は傳の顔を見ると、傳も嬉しそうな顔で肩をすくめた。
「じゃあ、これは後でいただこう。さ、みんな座って」
傳が言って座るように促し、重箱を大事そうに抱えてキッチンの方へと向かうと、桐子がそれぞれの前にティーカップを置いていく。
傳が戻ってきて席に着くと、梧がそわそわしながら、たまきと傳に対して交互に視線を送った。
それに先に気づいた傳が、ふっと笑ってたまきに顔を寄せる。
「冴島さん、梧がとっても気になっているみたいだよ?さっきの答え」
そう、わざと梧にも聞こえるように言うと、梧は傳を睨むような顔つきになった。
「怖い顔」と、さらに怯えたフリを傳が見せると、梧が不機嫌な態度でそっぽを向く。
たまきがそんな子供っぽい梧の仕草に、また口元を押さえながらも、うふふふと声を漏らすと、梧がたまきの方へ両手を伸ばして両頬をつまんだ。
「……たまき?」
もう耐えられないといった表情で、梧はたまきの顔を覗き込んだ。
「……梧、冴島さんになんてことを……」
女の子の頬をつまむなんて失礼なことをしている梧に慌てる桐子を傳が止める。
たまきはその両手を自分の手で覆いつつ、
「梧さんと、梧さんのお母さんはよく似ているから……。だからわかったんです。今日も同じ表情をしてて……だからやっぱり似てるなぁって……。笑ってごめんなさい」
優しく微笑んでそう答えると、梧と桐子は鳩が豆鉄砲を食らったような驚いた表情で固まった。
全く同じ表情と反応をしたので、たまきと傳は、また顔を見合わせて笑う。
一拍置いて我に返ると、梧はたまきから手を離し、桐子と視線を合わせた。
梧は気まずさから髪をかきあげると、ため息をついて俯き、桐子の方は嬉しさを口元に滲ませながらも、困惑した顔でたまきと傳の方を向く。
「……似ているとは、よく言われますけど……。どんなところが特に似ていますか?」
桐子の声には抑揚があまりないので、まるで問い詰めるかのような言い方になってしまったが、たまきは気にした様子もなく、少し上の方へ視線を向けながら「そうですねぇ……」と、笑みを浮かべた。
「初めは、顔がよく似ているなぁって思いました。でも、話し方とか、優しいところとか……」
言いながら、ふと何かを思い出したように指先で頬に触れながら、少し頬を赤らめて、
「ほっぺたの触り方とか……」
と、梧の方を見つめる。
梧も照れたような顔で口元を手で覆いながら、たまきを見つめ返した。
熱のこもった視線を交わす二人に、傳は軽く喉を鳴らす。
顔を寄せ合いそうになった二人はパッと視線を逸らし、
「あっ、あと……」
慌てたようにたまきは声を上げたあと、続きを言う前に思い出し笑いをする。
首を傾げる梧と桐子に、
「……付き合った時、梧さんはすぐにおじいちゃんとおばあちゃんに挨拶してくれましたけど……、お母さんも『ご家族には早々にご挨拶をさせていただくべきですね』って言ったから、そういう真面目なところも似ているんだなって」
と、たまきはなんだか嬉しそうに、三人に笑顔を向けた。
桐子と梧は、ずっとそんな真面目で堅いところを、周囲からは“良くないところ”のように扱われてきた。
“よく似ている”というセリフも、冷たい表情や感情的ではない部分を揶揄して皮肉として言われることばかりだった。
けれど、たまきの口ぶりだと、それがまるでとても良いことのように聞こえる。
その心地よさに、三人も絆されるように表情を緩ませた。
「……けど、なんだか寂しいなぁ」
さっきまで笑っていた傳が、急に口を尖らせて不満そうな表情を作ったので、たまきは驚いた。
「え?なんですか?」
訳が分からず、梧と桐子を見るが、二人も首を傾げる。
「だって、桐子さんと冴島さんは今日が初対面じゃないって教えてくれなかったんだから」
頬杖をつき、目をすがめて桐子を見た。
「……それは……、会ったのが病院だったので」
桐子が至極真面目な顔で言うと、
「偶然会ったよって言うくらいいいじゃない?僕だけ知らないなんて……」
腕組みをして、拗ねた子供のような態度になる傳に、
「俺も、昨日初めて聞いたんですよ」
梧も口を挟んで、同意するような口調になった。
さっきまでとは違う構図になり、今度はたまきと桐子が目を合わせた。
「もう僕らに秘密を作るほど仲良くなったの?……僕の方が大学でよく会うのに?しかも“お母さん”って呼ばれてるのずるいなぁ。僕のことも“お父さん”って呼んでくれないの?」
困惑している二人に、傳は畳みかける。
詰め寄るように身を乗り出し、たまきの顔を覗き込む。
「えっ!?いや、その……、傳先生は傳先生ですし……。それに……先生を間違って大学で“お父さん”って呼んじゃったら困るし……」
逃げるように身を引いて、たまきがしどろもどろになっていると、
「傳さん。冴島さんを困らせないで」
少し強い口調で桐子が助け舟を出した。
「えー?僕はダメなの?“お父さん”。一回だけでもいいから呼んでみてよ」
それでも引き下がらない傳に、「傳さん!」と、桐子がその肩に手を置いて押さえようとするが、傳はやはり引かない。
たまきが困った顔で梧に視線を送るが、梧は「……ひとまず一回呼べば、たぶん満足すると思う」と耳打ちしただけで、珍しく助けてくれなかった。
桐子と会ったことを秘密にしていたたまきへの、仕返しのつもりも少しだけあるのかもしれない。
たまきは戸惑いつつも傳を見つめ、
「……お……、お父さん……」
と、呼ぶと、途端に傳の表情がぱあっと明るくなった。
「うん、うん。いいね。嬉しい!娘ができたみたいだなぁ……。ねぇ、冴島さん。家に来たときは“たまきちゃん”って呼んでもいいかな?大学ではちゃんと冴島さんって呼ぶから。ねっ?」
「……あ、えと……、それなら、はい」
少し興奮した様子の傳に半ば押し切られるようにたまきが返事をすると、
「え……?それはあなたの方がずるくありませんか?……私も“たまきさん”って呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」
すかさず、桐子が割って入った。
真面目な表情で、背筋をきちんと伸ばして許可を取ろうとしている桐子に、たまきは次第に顔を真っ赤にして、
「……はい。……どうぞ」
と、俯いた。
それを愛おし気に梧が見つめ、熱くなった頬に触れる。
優しく頬を撫でられながら、なぜだかわからないけれどとっても嬉しそうな海風家の三人の態度に、たまきはたじたじになったのだった。
それから他愛のない話をしながら、お昼になると、たまきが持ってきたおせちを囲んで、和やかな時間を過ごした。
梧は家を出て以降、実家でこんなに長居したことはなかった。実の親子同士だけだと会話もぎこちなく、間がもたないのだ。
だが、たまきがいるなら何時間いても構わないと思えた。
おそらく、それは両親も同じなのだろう。
傳と桐子は、たまきと楽しげに会話をしていて、二人ともいつもより饒舌で、表情も柔らかかった。
たまきも次第に緊張がほぐれ、穏やかでリラックスした様子だったので、たまきにとっても、初めて海風家で過ごしたその日は、とても特別な一日となったようだった。
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冬休みを終えて、琉輝に梧と一緒に地元に行くと伝えると、「それがいいかもな」と同意してくれた。
元住んでいた場所やお墓参りなども巡ることにして、梧とも相談しながら日程を組んで行った。
季節はあっという間に過ぎていき、まだ寒さの残る中、たまきはついに春休みを迎えた。
地元に行く日を一週間後に控え、たまきは一人、Fri Vindで頼んでいたものを取りに来た。
特別なショッパーに収まっているのは、小さなリングケース。そのケースはたまきが梧からもらったものと同じデザインだった。
それを大事に胸に抱え、たまきは少し緊張しながら家に帰ると、荷造りをしながら、梧からもらったリングケースと共にそのリングケースもカバンの中に詰め込んだ。
ひとつ息を吐くと、たまきは背筋を伸ばす。
この旅行で何かが大きく変わりそうな予感がする。
そんな不安と期待が入り混じりながら、たまきはその一週間を過ごした。
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「……おはよう」
当日、迎えに来た梧が、たまきの顔つきを見て、微苦笑を浮かべた。
「……おはようございます」
梧は挨拶を返したたまきの両頬を優しく撫でたりつまんだりしながら、なんとか緊張をほぐそうとした。
それをわかって、たまきはぎこちなく笑う。
「寝られなかったか?」
梧が手を離すと、たまきは自分の頬を手で押さえながら、
「……二時くらいに一度起きちゃって、また寝たんですけど、一時間ごとに目が覚めて……」
と、自分でも頬をムニムニと揉んだ。
梧はたまきの方へ手を伸ばし、優しく頭を撫でてから、そのまま引き寄せた。
少し強く抱きしめられると、その温かさと梧の香りに包まれて、たまきの気持ちがほっと緩む。
たまきも梧の背中に手を回し、ぎゅっと体を近づける。
……だが梧は急に、すっと体を離した。
「……そろそろ行こうか」
たまきが顔を上げたときには、すでに梧はたまきの荷物を持って車に向かっていて、表情は見えない。
なんとなく寂しい気持ちになりつつも、たまきは梧の後を追った。
梧の車で駅に向かい、そこからは新幹線で、その後はレンタカーを借りて地元へと向かう。
新幹線で隣に座る梧は、さっき離れた時に一瞬感じた距離は感じず、さりげなく頬に触れたり、手を繋いでいてくれたりといつもの梧だったので、たまきはほっとした。
もしかしたら、梧も緊張しているのかもしれない。
「……寝ててもいいぞ」
梧はそう言ってくれたが、新幹線のざわめきに慣れないのと、やはり緊張していてたまきは寝られそうにない。
梧はずっと手を繋いでいて、目を合わせると微笑んでくれるが、休ませようと思っているのか、あまり話しかけてはこなかった。
新幹線に乗ったのは、どれくらいぶりだろう。
それこそ、十年ほど前に災害に遭い母方の祖父母と暮らすようになってからは、乗っていなかったかもしれない。
思えば修学旅行以外で、遠出することもなかった。
落ち着かない様子に、梧は手を伸ばしてたまきの頭をそっと自分の方へと傾けさせた。そうしてたまきが肩にもたれかかると、
「目を閉じているといい。眠れなくても、少しは休まるだろう」
と、優しい口調で囁いた。
たまきは頷いて、言われるがまま、目を閉じた。
最初は、あたりのざわめきが気になっていたが、そのうちに梧と繋がれている手の温かさや香りに集中していって、落ち着いてきた。
次第に、たまきはうとうとと眠りに誘われた。
周りの音は聞こえていたし、深く眠ったわけではない。
時折、たまきの頭をさらりと撫でる手の感触が、心地良かった。
幼い頃、家族で祖父母の家から地元へ帰る時にも、こんな風に誰かの肩にもたれて、微睡んでいたことがあったかもしれない。
夢を見ているわけでもないのに、現実と過去の境が曖昧になっていった。
今、自分が何歳で何をしに行くのか……隣にいるのが誰なのか、わかっているのにぼやけていく。
「たまき」
どのくらいそうしていたのか、梧の声でたまきは目を開けた。
けれど、まだ何か……夢か過去に引っ張られていて、ぼんやりしながら梧の顔を見上げると、眉尻を下げて微笑みながら、
「もうすぐ着くよ」
と、言った。
状況を理解するのに少し時間がかかったが、たまきは頷いて身を起こす。
梧は立ち上がって、荷物棚に上げていた荷物を下ろし、たまきも手荷物を準備した。
梧に手を引かれ新幹線を降りると、記憶とは少し変わったキレイなホームに足を止める。
あの頃にはなかったホームドアやベンチや待合所に驚いた。
あたりを見渡しながらゆっくりと歩き出すと、梧は以前、陸上大会でもそうしてくれたように、たまきの動きに歩調を合わせ、手を離すことなく隣にいてくれる。
今日も、あの時同様、緊張と不安でいっぱいだけれど、今の方が少し冷静に梧がどう接してくれているかが見えていた。
梧は、視線を送れば優しく微笑んで、立ち止まっても急かすことなく、行先に迷えば「こっちだ」と、手を引いた。
たまきも道順は調べて覚えてきたつもりだったけれど、梧にとっては知らない土地のはずなのに、どれだけ下調べをしてくれたのか、案内はよどみなかった。
元からたまきより旅行に慣れているのかもしれないが、仕事もあるのに、その合間に調べてくれていたのかと思うと、嬉しいけど、申し訳ない気持ちにもなる。
手を引いていく梧の背中を見つめながら、たまきはずっと梧から、こんな風に大事にされていたのだと、自覚した。
“俺が君のものであるという誓いなんだ”
その言葉を思い返すたび、たまきの胸がぎゅうっと締め付けられる。
愛しいような、苦しいような……、それがどれだけの覚悟なのだろうかと想像してみて、たまきはそれにちゃんと応えられるだろうかと考えると、まだ不安があった。
たまきがハルであるということ以外、梧に返せるものはあるんだろうか。
駅を出てレンタカーを借りると、ホテルへ向かった。
チェックインの時間までは間があったが、荷物を預け、近くで簡単に昼食をとる。
これからタイムカプセルを掘るために、地元に戻ることも、琉輝以外の同級生たちに会うことにも緊張して、たまきはあまり食べられなかった。
「……また、おなかがすいたら食べればいいか」
心配そうな顔つきで、梧がそう言った。
「……ごめんなさい」
たまきがしゅんとして謝ると、梧は頬に触れてから、顎を持ち上げた。
梧は少し困ったような笑みを浮かべて、
「謝る必要はないよ。君が緊張してるのはわかってる。思いつめないでくれ」
そう言うと、朝と同じように両手でほっぺたを軽くつねる。
たまきはその梧の手を包むように触れながら、深呼吸をひとつしてから静かに頷いた。
「……じゃあ、行くか」
梧の声にも、僅かに緊張が乗った。
これから、たまきの元住んでいた地区に行く。
琉輝と合流してタイムカプセルが埋められている、小学校へと案内してもらう予定だ。
そこへ行くまでの道のりで車窓から見える景色は、新しいお店や住宅ができていて、たまきが暮らしていたころからは様変わりしていた。
琉輝との待ち合わせ場所につくまでの間、懐かしさを感じられなかった。
……そのことで、たまきは不安を感じ始める。
ここはたまきの生まれた場所で、祖父母と両親と暮らした街なのに、たまきは何も感じなくなってしまったんだろうか。
家族とのことを思い出すことも減っている。
様変わりしてしまったから懐かしめないだけではなくて、住んでいた場所に行っても何も思い出せなかったら?
これから会う同級生たちとも、どんな顔で接すればいい?
たまきは胸元をかきよせた。
手が震える。
待ち合わせ場所の近くの駐車場に車を停めても、たまきは胸を押さえて俯いたままだった。
たまきは急に怖くなった。
これから会う懐かしいはずの人たち、何も知らない過去の自分からの手紙……。
それと向き合うとき、自分はどう感じるのか。
もしも、何も感じなかったら—————……。
「たまき」
ふと、思考が悪い方向へと沈んでいきそうになっていた時、梧がたまきの名前を呼んだ。
はっと、たまきが顔を上げる。
不安に歪んだ表情を梧が見つけて、驚いて目を見開いたかと思うと、即座に手を伸ばしてたまきの両頬を優しく包むと、額を合わせた。
たまきは思わず目を閉じる。
頬に触れる梧の両手の熱がじわりと伝わってきて、息遣いが間近に聞こえる。
「……俺はここにいる。君が呼べば、すぐに迎えに行く。……君は独りじゃない。それは忘れないでくれ」
梧の低く響く声が、たまきの身体に沁み込んでいくようだった。
不安が霧散し、震えが止まっていく。
たまきが目を開くと、梧は額を離した。その後に、真正面から瞳をまっすぐに見つめてくる。
吸い込まれそうな黒い瞳に、たまきはなんだか安心していた。
「……帰るか?」
梧の一言に、たまきは首を横に振った。
その答えに梧は頷き、そっと抱き寄せると優しく頭を撫でた。
「じゃあ、待ち合わせの場所に行こうか」
梧の腕の中で、たまきは静かに頷いた。




