91 初めての大晦日
「たまき、それ終わったら、こっちの鍋見てちょうだい」
「はぁい」
大晦日を迎え、たまきたちは朝からバタバタとお正月の準備の仕上げに追われていた。
たまきと祖母がキッチンでおせちの準備に追われていると、
「……何か、手伝いますか」
顔を出したのは、梧だ。
今年の年末年始、梧はたまきの祖父母に誘われ、大晦日から泊まりでたまきの家で過ごすことになった。
普段の梧だと、年末年始らしいことは何もしない。
ただの連休と同じく、だらだら過ごし、あまりにやることがないと仕事をしてしまうときもある。
今のたまきたちのように、年末年始に向けて家族総出で準備をするなど、海風の家でもしたことがなかった。
「梧さんは座っててください」
手を動かしながらたまきが答えると、
「……そう言われても、落ち着かない……」
顔を寄せ、気まずそうな表情で耳打ちする。
「あー……」
キッチンの中はたまきと祖母でいっぱいで、梧が入ってきたら動けなくなってしまう。
かといって、家の中の掃除は、梧が来るからと粗方終わらせてある。
ただ、みんなが慌ただしくしている中で、じっとしてお茶でも飲んでいてくれと言うのも、確かに居心地が悪いだろうなと思った。
「……じゃあ、お祖父ちゃんに聞いてみてもらっても良いですか?外にいると思います」
と言うと、梧はほっとした顔になって頷き、コートを手に取って外に向かっていった。
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「お昼はおうどんですけど、良かったかしら」
昼になって戻ってきた祖父と梧に、祖母が声をかけながら、どんぶりに盛り付けたうどんを差し出した。
「もちろん。すみません、忙しいのに作っていただいて」
梧はそう答えて、軽く頭を下げた。
「いいえ、来ていただいたのにバタバタしてておもてなしもできなくって。……このうどんはね、たまきが作ったんですよ。私は最後に味付けを確認しただけ」
「お口に合うと良いんですけど……」
祖母がニコニコしながら言った後ろで、たまきが心配そうな顔でソワソワしながら付け加えた。
梧が一瞬驚いた顔をして、祖父も感慨深げな顔で、二人揃って「いただきます」と言って、食べ始めた。
二人は無言で食べ進め、たまきはその様子を固唾を飲んで見つめた。
「うん、美味しい」
「よくできてるな」
二人が頷きながら口々に感想を言って、そのまま止まることなく食べ続けているのを見て、たまきはようやく安心すると、祖母も嬉しそうに微笑み、自分たちの分も盛り付けて、席についた。
昼食を取りながら、祖母と祖父が今日の予定についての会話をしている。
「外は終わりました?」
「あぁ、大体終わっていたし、梧くんも手伝ってくれたからな。料理の方は間に合いそうか」
「ええ、残りは仕上げだけ。あとは、午後からいつものところに頼んでいるのを取りに行ってもらえば揃いますよ」
「……俺が取ってきましょうか?」
話を聞いていた梧が、口を挟む。
「あら、いいの?」
祖母が答えて、祖父と視線を合わせる。
その二人の様子を見ながら「じっとしているのも性に合わないので」と、梧が言うと、祖母は微笑んだ。
「それなら、たまきも一緒に行ってくれる?場所の案内できるわよね」
「うん。覚えてるよ」
たまきが頷くと、梧がふっと顔を緩ませ、
「じゃあ、よろしく頼む」
と、たまきの顔を覗き込んだ。
頼られることが嬉しかったらしく、姿勢を正してほんのり誇らしげな笑みで頷いて見せた。
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「あとはお蕎麦ですね」
梧はたまきの案内で、頼んだものを引き取りに来ていた。
一軒目でお刺身の盛り合わせを引き取り、次に年越し用の蕎麦を取りに行く予定だった。
「たまきの家はいつもこんなに豪華なのか?」
「豪華なんですかね……?今回は梧さんがいるから量が多めかもしれませんけど……いつも通りですよ。梧さんはいつもどんな感じなんですか?」
手に持ったお刺身の盛り合わせを見下ろして、
「これは豪華だろう」
と、目を丸くしている。
今年はいつもより二人前ほど多く頼んだようだから、器も大きいかもしれないと、たまきは思ったが、じゃあ梧はいつもどんなものを食べて年越しているのだろうと興味が湧いた。
梧はその視線に気づいて、気まずそうな顔をした。
「……俺は年末年始だからと言って、いつもの連休と変わらない。食べるものも普段と一緒だ。海風の家に帰らないこともあるし」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。父さんは海外にいたり、母さんも年末年始関係なく研究をしていることもあったから。……今年は休みを長めにとったらしいから、明日は二人とも居るよ」
明日は、たまきと梧は二人で海風家に顔を出すことになっている。
傳から遊びに来てくれと言われていたのに、なんだかんだ忙しくしていて行く機会がなかったから、この機会に、という話になったのだ。
「そうなんですね……。うちは毎回、仕度が終わったら早めにお風呂に入って、あとはのんびり夕飯を食べるんです。おじいちゃんとおばあちゃんは最近早く眠くなるから、先に寝ちゃうかもしれないけど、夜更かしはし放題ですよ」
大人ならいつでも夜更かしはし放題な気もしたが、たまきの言い方が可愛らしくて梧は頬が緩むのを抑えられなかった。
「さ、次に行きましょう」
たまきが弾んだ声を出した。
梧は「ああ」と言って、後を追いながら、たまきの“日常”に自分が居ることも、それをたまきが喜んでいるような気がするのも、嬉しく思った。
車に乗り込むと、たまきのスマホが鳴った。
祖父母からかと思って、コートのポケットからスマホを取り出すと、画面には琉輝の名前が表示されている。
「あれ?りゅうくん……?」
たまきは首を傾げた後、「出ても良いですか?」と、梧に許可を取った。
わざわざ許可を取る必要はないのに、と思ったが、以前梧が“君が他の男と仲良くしているだけで、すぐに不安になる”と言ったことを覚えていたのかもしれない。
梧が「もちろん、どうぞ」と言って頷いたのを見て、たまきは電話に出た。
「もしもし?りゅうくん?」
『あー、たまき?突然ごめん』
琉輝は謝ったが、その後ろが何だか騒がしい。
「どうかした?なんかガヤガヤしてるけど、どこにいるの?」
『俺、今地元に帰ってきててさ。同級生と集まってんだけど……』
たまきの心臓が、ドキッと跳ねた。
琉輝も、何かためらっているようで、会話も途切れがちだ。
『……たまきさ、震災のちょっと前に、タイムカプセル埋めたの覚えてるか?』
「……タイムカプセル?」
たまきは首を傾げたが、ずっと忘れていた記憶の霧がうっすらと晴れていく気がした。
確か、10年後の自分へ、という手紙を詰めて校庭に埋めたんじゃなかっただろうか。
その後すぐに震災に遭い、そのことはすっかり忘れてしまっていた。
『俺は忘れてたんだけどさ。……今度の春休みに、それを掘り出さないかって話になって。たまきも来れるかなって言ってて……』
「えっ……」
たまきはすぐには反応できなかった。
いつかは地元に行ってみようという気持ちはあったが、まだ先だろうと漠然と考えていた。
地元でのことはまだ遠く感じられていて、それは、家族を失ったたまきの防衛本能だったのかもしれないが、今となってはそれが、少し後ろめたかった。
たまきが急に黙ったので、梧は不思議に思いつつ、その横顔を見つめた。
たまきはやや顔を下げていて、視線は合わなかったが、その顔は不安げだった。
『あぁ、いや……無理にって話じゃないんだ。来られないなら来られないで、俺が預かって大学でたまきに渡せばいいだけだし。……でも、まだ春休みまでは時間あるから……、もし行きたいと思ったら俺に教えて』
琉輝はたまきが黙ったのを気にしつつ、静かな声でそう言った。
それでも、すぐには声が出せなかった。
『悪かったな、大晦日の忙しい時に』
琉輝が申し訳なさそうに沈んだ声で謝ってきて、たまきはようやく、我に返った。
「……あ、ううん。こちらこそごめん。黙っちゃって……」
『いいよ!急な話だったもんな。言っといてなんだけど……、あんまり考えすぎるなよ?別に来られなくたって誰も何も言わないし、問題ないから』
「……うん。ありがと。……でも、考えてみる」
『そっか、わかった。……じゃあ……、良いお年を。また、大学でな』
「うん。りゅうくんも良いお年を。またね」
電話を切ると、たまきは少しの間、俯いてぼんやりとしていた。
「……大丈夫か?」
様子を見守りながら梧が声をかけると、たまきは弾かれたように顔を上げた。
梧の方を向くと、本来の目的を思い出したらしく、
「……あっ!お蕎麦、取りに行かなきゃですね」
と、笑みを見せてから、シートベルトを締めた。
正面を向いて出発を待つたまきを見つめ、梧は手を伸ばした。頬に指先で触れたかと思うと、軽くつまんで引っ張る。
「へっ?」
頬を引っ張られたまま、たまきは声を上げる。
梧と目が合うと、
「大丈夫か?」
と、もう一度聞かれ、たまきは一瞬ためらった。意図的に無視したわけではなかったのだが、動揺してスルーしてしまった。
たまきは微苦笑を浮かべ、
「……はい。行きましょう。おばあちゃんたち待ってますから」
と、落ち着いた声で言った。
「……わかった」
梧はまだ心配そうだったが、頬から手を離し、車を発進させた。
とはいえ、たまきの心の中はまだ落ち着かない。
地元に帰ってみるということを、梧に隠す必要はなかったけれど、まだ心の準備ができていなくて、行くかどうかを決められない今の状態で、梧にどう話していいかわからなかった。
いつかは向き合わなければいけないと思っていたけれど、急に期限が切られて、たまきの胸はざわめき出したのだった。
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順番にお風呂に入り、たまきたちはダイニングテーブルについた。
たまきの家では、大晦日の夕飯におせち料理を食べる。
祖母とたまきが作ったものと、取りに行ったお刺身とが、テーブルに所狭しと並べられて、梧は圧倒された。
「さぁ、食べましょう。梧くんもたくさん食べてね」
「……あぁ、はい」
まだ、驚いた様子の梧は、どれから食べようかと視線を迷わせた。
「梧くん、ビールでいいか?」
「……あぁ、はい」
祖父に声をかけられ、慌ててお酌を受けると、祖父に注ぎ返している。
そのやりとりを終えたあと、待ち構えていたかのように、たまきが料理を手で差し示しながら、
「基本的に煮物はおばあちゃんです。エビのうま煮、煮豚、黒豆、椎茸、にんじん、レンコン……、ニシンの昆布巻き、あと、これはクワイです。伊達巻とかまぼこ、数の子は買ってきたものですけど……、このナッツの田作りと、リンゴとさつまいものきんとんは……私が作りました」
と、説明した。
料理に関してはまだ自信がないのか、自分で作ったものの説明をするときは、少し俯きがちだ。
梧はそんなたまきに目を細めつつ、田作りに箸を伸ばした。
「じゃあ、これから食べてみよう」
そう言うと、たまきの顔に緊張が走る。
祖父母も各々、料理を取り始めたが、たまきは梧の感想が気になって、箸も手に取れなかった。
「……美味しい」
梧はきちんと味わった上で、ふわりと微笑み、そう言った。
「よかったぁ……」
たまきがホッとして、胸を撫で下ろす。
「普通、小魚だけじゃなくナッツも入れるものなのか?」
梧が疑問を口にすると、たまきは首を横に振り、
「普通は小魚だけだと思います。けど、ネットでレシピ見つけて……。電子レンジだけでできるので作ってみようかなって。あと、きんとんも電子レンジで作ったんですよ」
と、饒舌に喋り始めた。
そして、「私も食べようっと」と、テーブルの上を見渡し始めた。
その様子を見て、梧もふっと微笑みながら、他の料理にも、手を伸ばしたのだった。
「ふぁー、お腹いっぱい。今はお蕎麦入んないかも」
一通り食べ終えて、たまきはお腹をさすった。
「梧くんは食べられる?」
「いえ……、俺ももうお腹いっぱいです」
祖母に聞かれ、梧は首を横に振る。
ビールを飲みつつ、食べ物も満遍なく食べたので、今は何も入らなそうだった。
「そう。じゃあ、お蕎麦はもう少し後にしましょうか」
祖母が微笑んで立ち上がろうとしたとき、たまきは重そうな動きで立ち上がりつつ、
「いいよ、私がやる。おばあちゃんたちは休んでて。食べすぎちゃったから動かないと」
と、片付けを始めた。
「あら、ありがとう」
「俺も手伝うよ」
梧も空いた食器を集め始める。
「梧さんは座ってていいですよ!」
たまきは止めるが、梧は食器をキッチンの流しへと持っていきつつ、
「俺も動きたいんだ」
と、腕まくりをして、食器を洗い始めた。
「あっ!洗うのは私がやりますから」
「いいよ。君はお皿を持ってきてくれ」
慌ててたまきがキッチンに入っていって、梧とわちゃわちゃと、どっちが洗い物をするか揉めているようだった。
祖父母はリビングのソファーに移動して、テレビをつけた。だが、二人はキッチンの方を覗き込んで、たまきたちの様子を気にしている。
「梧くんも、だいぶうちに慣れてきましたね」
「……そうだな」
結局たまきが根負けし、洗い物は梧に任せて、テーブルの上を綺麗に片付けていった。
余り物を移し替えて冷蔵庫に入れた後、梧が洗った食器を拭いて、食器棚にしまう。
言葉はほとんど交わさなくても、二人の動きは息が合っていた。
時折、視線を合わせては微笑み合って、もしかしたら、祖父母がいることも忘れているかもしれない。
「なんだか、新婚みたいじゃありませんか?」
「……どうだろうなぁ。まだ兄妹にも見えるが」
祖母の言葉に祖父はふっと笑みをこぼした。
「あら、早く結婚してほしいって言ってたのに兄妹だなんて。お嫁に出すのが寂しくなってきたんじゃないですか?」
「そんなことはない」
祖父が少し動揺したのを見て、祖母がふふふっと笑った。
「なぁに?なんか面白い話してたの?」
たまきがお茶を運んできながら、二人に声をかけた。
「うふふ、ちょっとね。……あら、お茶まで淹れてくれたの?」
「うん。梧さんが洗い物してくれたから、手が空いたの」
「梧くんもありがとう」
梧も戻ってきて、軽く首を横に振った。
「いいえ、大したことは……」
「そんなことないわよ。助かりました」
謙遜する梧に、祖母が頭を下げて見せると、梧は表情を緩める。
たまきたち家族との間に謙遜なんて必要ないことを、大袈裟にお礼を言ってみせて示したようだった。
四人はリビングでお茶を飲んでほっと一息ついた。
テレビをつけてそれぞれのんびりしていると、梧はたまきがぼんやりと一点を見つめているのを見つけた。
しかし、声をかけようか迷った。
昼間、たまきは大丈夫と言ったが、やはり何かを気にしているようだ。もしかしたら、今、自分で何か答えを出そうとしているのかもしれない。
それを梧が邪魔をすべきではないと思うが……、やはり、心配ではあった。
たまきは一人で考えすぎるところがある。
「……たまき、どうかした?」
梧がもやもや考えているうちに、祖母がたまきに気づいて声をかけた。
言われてたまきが、はっと我に返ると、心配そうに祖母が顔を覗き込んでいた。
「……ううん。なんでもないよ」
たまきが口元にだけ笑みを浮かべながら答えると、その表情を見て、何か隠していることには気づいたようだったが、祖母も笑みを返して、
「……そう?……ならいいけど」
と、気づかないふりをして、たまきの背中を優しく撫でた。
梧はもどかしく感じながら、やはり聞いてみようかと口を開きかけた。
「明日、海風さんのお宅に伺うので、緊張しているのか?」
しかし、それより先に祖父が聞いた。
「えっ?」
たまきは聞かれて、思いもよらなかったのだろう、驚いて目を見開いた。
「初対面で緊張するのは仕方がないが……」
祖父が寄り添うような口調で言ったが、
「初じゃないよ。傳先生は学校で会ってるし、梧さんのお母さんとも会ったことあるから」
と、ようやく何を言われているのか理解ができたようで、表情を緩めて答えた。
しかし、そこで梧が首を傾げる。
「……いつ会ったんだ?」
言われてたまきが固まる。そういえば、梧に何を話したかと突っ込まれるのが怖くて、言っていなかった。
「あ……。前の、通院の時に……」
気まずそうな顔をして答えると、梧は少し考えるような表情をした後に、
「よくわかったな。母さんにも君の写真は見せていないはずだが……。父さんが見せたか……?」
と、独り言のように呟いた。
しかし、たまきはキョトンとした表情で梧を見上げる。
梧と桐子は顔も性格もそっくりなのに、そこは“似ているから”とは思わないのか、と思った。
「ん?……なんだ?」
たまきの視線に気づいて、梧が不思議そうな顔をする。
その表情を見て、たまきはふふふっと笑った。
「……どうして笑うんだ?」
梧は眉間に皺を寄せると、たまきは笑いを堪えながら、
「内緒です」
と言った。お母さんと似ていると言っても良かったのだが、なんだか、今は、黙っておこうかなと思った。
「気になるな……。教えてくれないのか?」
梧が距離を詰めてくるのを、腕を伸ばし、胸を押して防ごうとする。
しかし、梧はいとも簡単にその腕を掴んで引き寄せ、抱きすくめてしまった。
祖父母はまたイチャイチャしてるな。くらいの反応をして視線を逸らし、テレビの方を向く。
たまきは腕の中で抵抗してみたが、解けそうもなかった。
「……本当にわからないんですか?私が梧さんのお母さんがわかった理由……」
諦めてたまきが梧を見上げて言うと、梧は「え?」と首を傾げて固まる。
その隙に、たまきは梧の腕から抜け出した。
梧はすかさず手を伸ばして、逃げようとするたまきの手を掴むと、そのまま握り締めながら考えこむような顔を続けた。だが、それでもわからない様子だ。
「明日、お会いしたときに答え合わせしましょう」
たまきが言って、梧の肩にもたれた。
「……わかった」
梧はなんのことか分からず、腑に落ちない様子だったが、ひとまず頷いたのだった。
年越しの時間までしばらくまったりと過ごした後、四人は大してお腹も空かなかったので、儀式のように一口ずつ、年越しそばを食べた。
祖父母は年を越して挨拶を交わすと、寝る準備をして自分たちの部屋へと入っていった。
たまきも歯磨きやら寝る支度をした後、和室に梧の分の布団を準備して、またリビングに戻った。
梧も歯磨きを終えてリビングに戻ってくると、布団を用意してくれたことに気づいて、
「……布団敷いてくれたのか?ありがとう」
と、お礼を言った。
「はい。もういつでも寝られますよ」
たまきはソファーでくつろぎながら答える。
それを聞いて、梧はふっと微笑んだ。
「……夜更かしし放題じゃなかったのか?」
隣に座って、腕を回して肩を引き寄せると、たまきの頭に頬を寄せる。
「そうですけど……。梧さん、疲れてませんか?昨日までお仕事だったのに、今日はうちで手伝ってもらっちゃったし。お腹いっぱいにもなって、眠くなりません?」
そう言って、梧の顔を覗き込むたまきの目が、少しトロンとしているように見えた梧は、
「……君の方が眠いんじゃないのか?」
と、口元を緩ませながら、たまきの頬を撫でた。
「違いますよォ」
たまきが口を尖らせると、その唇を梧がつまんだ。
「むっ!」
驚いた顔で口を動かしながら、逃げようとしているのを見て、梧は、ははっ!と声をあげて笑った。
その拍子に梧が手を離すと、
「もう!梧さん!」
怒ったたまきが、梧の肩をポコポコと拳で叩く。
梧は全く痛くないたまきの攻撃を少しの間堪能した後、手を掴んで優しく包み込んでから、解けたたまきの手に指を絡めていった。
「ごめん、君が可愛かったからつい……」
そう言って見つめると、たまきの頬がほんのり赤くなって、ぷいっと顔を逸らす。
「……そう言えば許されると思ってェ……。すぐ子供扱いしますよね、私のこと」
「……してないよ」
梧は握っている手に少しだけ力を込める。
つい揶揄うように構ってしまうのは、たまきが可愛すぎるせいで、確かに子供のように扱っているように見えるかもしれない。
だが、そうでもしていないと、理性を保てる自信がないだけだった。
そんなことには気づいていないたまきが、ゆっくりと梧の方に顔を向け、繋がれた手を見つめた。
そのまま、しばらくぼんやりしているたまきの顔を、梧は覗き込み、少し躊躇ったが、
「……どうかしたか?」
と、聞いた。
たまきの視線が、梧の顔の方へと向く。
てっきり、またぎこちなく微笑んで「なんでもないです」と言われるかと思ったが、たまきは少し視線を伏せて、握っていた手を解くと、梧の首元に腕を伸ばして抱きついてきた。
少し驚いたが、梧はたまきを抱きしめ返しながら、
「……大丈夫か?」
と、背中を撫でる。
だが、たまきはすぐには話さなかった。
ぎゅっとしがみつくように梧にくっついて、それがなんだか、甘えているようでもあった。
梧は、そんなたまきの態度が内心嬉しかったが、浮かれないように自制しながら、ゆっくり背中を撫で続ける。
「……たまき」
優しく耳元で囁くと、たまきが口を開いて息を吸い、ため息のように吐き出すのが聞こえた。
「……タイムカプセル……」
たまきがそう言って、少し体を離した。
「ん……?」
促すように声を漏らし、梧がたまきの顔を覗き込むと、迷っているような表情で梧を見つめてきた。
「……昼間の、りゅうくんからの電話……、私たちが十年くらい前に埋めた、タイムカプセルを春休みに掘り出すって話だったんです」
たまきは、ソファーに座り込んで俯いた。
「……十年……」
それは、たまきが災害に遭った年のことだろう。
なるほど。と、梧は思った。
タイムカプセルを埋めたのは、災害の直前。
その後、何が起きるかを知らない自分が今の自分に当てた手紙や作文が入っていたとしたら、それにどんなことが書かれているか、不安だろう。
しかも、災害以来、たまきは地元に帰っていないし、地元の同級生とも交流していない。
「……掘り出すときに地元に帰ろうと言われたのか?」
たまきは首を横に振った。
「りゅうくんは、来れなくてもいいって。自分が代わりに受け取って、大学で会うときに渡すからって言ってくれたんですけど……」
たまきの視線が泳ぐ。梧は察して、
「……行きたい気持ちもあるんだな?」
と、聞いた。
たまきは躊躇いながらも、静かに頷く。
俯いて、梧の手を見つめ、その手を遠慮がちに握ってきた。
梧はその手を握り直して、しっかりと繋いだ。
たまきの不安が、少しでも軽くなるようにと願いながら。
たまきはそれを感じたのか、顔を上げた。
不安が残る表情のまま、梧をじっと見つめる。
少しずつ決意を固めていくような気配が、たまきの瞳から感じられて、梧は真剣な表情になった。
「……梧さん、一緒に来てくれませんか?」
たまきの言葉に、梧は静かに頷いた。
「あぁ。俺でよければ」
たまきは、ほっとしたような、泣き出しそうな表情でまた手を伸ばしてきたので、梧はそれに応えるように抱きしめた。
「ありがとうございます……」
たまきのその言葉に、梧はたまきを抱きしめる腕に力を込めて、
「……俺の方こそ、頼ってくれてありがとう」
と、お礼を返す。
「どうして梧さんが……」
そう言いながら顔を上げたたまきと額を合わせると、
「……今年も、よろしく」
と、梧は言った。
たまきは面食らったが、諦めたようにふっと微笑んだ。
「…………はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は見つめ合い、微笑むと、今年初めてのキスを交わしたのだった。




