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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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85 それでもまだ、時間が欲しい

行きつ戻りつの感情が、めんどくさいと思うかもしれませんが……、微妙な変化を楽しみつつ(狙った通りに書けているかはわからないけど)もうちょっとお付き合いくださいね。

 演出の打ち合わせをしようと、霞を探してヴィヴェカと梧がフィッティングルームを出た。

 たまきも靴を履き替え、二人の後をついていく。

 部屋を出たところで、

「……冴島?」

 と、声をかけられて、顔を上げた。

 声をかけてきたのは緝で、その隣には翠もいる。

「森庵さん!翠さん……!」

 久しぶりに会えて、たまきの表情はぱあっと明るくなった。しかし、なぜだか緝の方は笑顔がぎこちない。

 その表情に首を傾げるたまきだったが、翠が一歩前に出て、

「お嬢さんもモデルをやるのかい?」

 と、話を振ってきた。

「あ……はい」

 ヴィヴェカと梧の二人は、その場にいたスタッフにたまきたち三人を応接室に案内させて、霞を探しに行った。

 たまきたちは、応接室のソファーに座って向かい合うと、

「“も”ってことは、お二人もモデルで来てるんですか?」

 改めて驚いた表情で、二人に聞いた。

 Fri Vindは女性向けのブランドなので、緝と翠が出るというのは不思議だった。

 それを察したのか、翠も苦笑いを浮かべて、

「俺たちもびっくりしてるよ。でも、霜槻さんのお姉さんから直々に言われてね」

 と、肩をすくめた。

 軽く言いながらも、落ち着かずに手をすり合わせているところを見るに、翠も緊張しているようだった。

「……緊張しますよね」

 言いながら、緝の方へも視線を向けるが、なぜかたまきと目を合わせようとしなかった。

 その理由がわからず、たまきは眉根を寄せた。

「あの……、森庵さんも、緊張してます?」

 たまきが遠慮がちにそう問いかけると、“えっ”と驚いた顔をして、一瞬たまきの方を見たが、すぐに視線を逸らしてしまった。それを翠が肘で小突く。

 それを見て、たまきは少しうつむき気味になり、

「……私、何かしちゃいましたか……?」

 と、小さな声で呟いた。


 翠は、さっきより強めに、もう一度、緝を小突いた。

 緝は慌てて、

「違う。お前は何もしてない」

 と、弁解しようとするが、なんと説明したらいいかわからず、また黙ってしまった。

 以前、梧に話した、ハル達の最期のことを、たまきはどこまで聞いたのかと考えていた。

 この様子だと、梧は何も聞かせなかったのかもしれない。だとしたら、変な態度をとってしまったのはマズかった。なんて言い訳しようかと、緝が考えこむと、

「緝くんとお嬢さん、前は毎週のように会ってたのに、最近会わなくなったから気後れしてるんだよ」

「ばっ……!そういうんじゃ……」

 翠がうまくはぐらかしながら、からかうように言うと、緝は翠の肩を押して否定しようとする。

「何だよ、ホントのことだろう?」

 翠は目配せしながらそう言うが、緝はきまりが悪そうに顔を顰めるばかりだった。

 小突きあう二人を見ながら、たまきはふと、何か思い当たったようで「あ……」と、声を上げた。

「……もしかして、前世のことですか?」

 それを聞いて、緝も翠もギクッと動きを止めた。

 ぎこちない動きで二人はたまきの方を見る。

「……ハルさんの、最期のこと……です?」

 それを聞いて二人は顔を見合わせた。緝はため息をついて俯き、翠は「なんだ、知ってたのかぁ」と、脱力してソファーにもたれた。

「……知ってたのかぁ、じゃないだろうが……」

 緝はそう消え入りそうな声で言って、目頭をつまんでいる。

 ハルの最期はかなり残酷な内容だ。平気そうに見えてもたまきだってそれなりにショックは受けただろう。

「ええと……」

 たまきは困った顔をしてから、おもむろに立ち上がった。

 そして、緝の方へ歩み寄ると、遠慮がちに両腕を広げる。

「……な、なんだよ……」

 そのたまきを見上げながら戸惑う緝に、たまきは広げた両腕を伸ばして見せ、

「仲直りの、ハグ……しましょう」

 と、言った。

「はっ!?」

 たまきの思いがけない提案に、緝は目を見開いて大きな声を上げた。

 腕を下げず待っているたまきに、緝は動けずにいた。

 単純に驚いたのと、“仲直り”なんて資格があるのかという気持ちもよぎる。

 たまきは小首をかしげ、

「……あ、えっと……、仲直りとはちょっと違うかもしれませんけど……」

 と、微苦笑を浮かべた。

 未だ動けず、眉根を寄せて視線を泳がせている緝を見つめて、たまきは静かに続ける。

「……紫露がハルさんたちの子供だったって聞いた後、梧さんに全部聞いたんです。本当はあんまり話したくなかったみたいですけど、私が隠し事は嫌だって言って」

 梧は胸部の怪我のことがあって、たまきから怒られた直後だったから渋々ながらすべてを話してくれた。

「……お嬢さんは、それを聞いてどう思った?」

 何も言えない緝に代わって、翠が聞いた。

 緝は振り返って不安そうな表情をしたが、翠はその背中にそっと触れ、大丈夫だよ、と言わんばかりに微笑みを見せる。

「……ショックじゃなかった、と言えば嘘になるけど……、でもそれ以上に、森庵さんの方がずっと苦しかったんじゃないかって思って……」

 言いながら、たまきは両腕を、再び緝の方へと差し出す。

 翠は優しく緝の背中を押した。

「……俺は、お前を……、ハルを救えなかったんだぞ?」

 背中を押されても、緝はすぐには立ち上がれなかった。

 たまきは苦笑して、

「それは……。……私にはハルさんの記憶がないから、ハルさんがどう思ったかはわからないけど……。でも、感謝してたと思います。あと……ごめんなさいって思ったと思う」

「何で……謝るんだよ……」

「だってハルさんは、ゼンさんを苦しませたいとは思っていなかったはずだから」

 眉尻を下げて微笑むたまきに、緝は言葉を失い、俯いた。込み上げてくるものを抑え込もうと、奥歯を噛み締める。

「……緝くん」

 背中に手を置いたまま、翠が声をかけるが、緝はなかなか動かなかった。

「……私が、言うことじゃないかもしれないですけど……」

 そんな緝に、躊躇いながらたまきが声をかける。

「……なんていうか……、自分のこと、許せたらいいなって……」

 たまきに言われて、緝が顔を上げた。

 思いのほか、たまきの視線は真剣だった。その奥に、僅かに必死さが浮かんでいる。

 たまきの内側に、前世のこと以外の何かを感じた。

 それに気づいた緝は、ようやく立ち上がるとぎこちなく腕を広げる。

 たまきがハグをしたいと言ったのが、緝のためだけじゃなく、たまき自身のためでもある気がしたのだ。

 緝が広げた腕の中に遠慮がちに入ると、たまきはその胸にそっと頭を預け、背中に腕を回す。

 緝も気遣うように、たまきを抱きしめ返した。


 お互いの温かみを感じながら、それ以上力を込めない、少し不思議な距離でたまきと緝は抱きしめ合う。

 前世のハルですら、大きくなってからは抱きついてくるなんてことはなかったし、今世のたまきにとって、緝は甘える相手でもない。

「……」

 ただ、曖昧なぬくもりだけが、二人の心に残る、解け切らない何かを少しだけ温めている。

「……ごめんなさい」

 腕の中で、たまきが謝った。

「……冴島が、謝ることはないだろ……」

「じゃあ……、ありがとう……ございます」

「……うん。……受け取っておく」

 たまきの言ったお礼を、緝は静かに胸に留めた。

 二人がゆっくり体を離すと、そこに翠がやってきて、二人の髪を乱すように撫でる。

「なんだよ、翠」

「翠さん?」

 翠は、首をすくめてその手から逃れようとした二人の顔を交互に見て、

「わからないけど、そうしたくなったから」

 と、目を細めて微笑んだ。


 

 そこに、ノックの音が聞こえた。

「はい」

 と、翠が応えると、梧が顔を出した。

 ソファーに座っていない三人を見つめて、一瞬動きを止め、

「……入ってもいい……か?」

 と、様子を窺った。

「もちろん、どうぞ」

 翠がたまきたち二人に視線を向けつつも、そう答えたのを聞いて、梧は霞とヴィヴェカの二人を伴って応接室の中に入った。

 全員がソファーに座ったところで、

「ごめんなさいね、バタバタしてて」

 霞がそう言って切り出す。

「それじゃあ、今回の演出について、説明させてもらうわね」

 その場にいる緝とたまきは、これからなんの話が始まるのか、知らなかった。

 訝しむ二人に微笑みかけ、霞は演出の詳細を丁寧に説明し始めたのだった。


 ————————————


 梧はたまきを送るため、車まで一緒に歩いていた。

 たまきはどことなくぼんやりしていて、ほとんど喋らない。

 車に乗り込んでからも正面を見つめたまま動かないので、

「……疲れたか?」

 と、声をかけると、たまきはパッと梧の方に顔を向けたものの、軽く首を傾げた。

「……いいえ。大丈夫だと思います」

 まるで他人事のような言い方をして、また正面に視線を戻す。

 どうやら、疲れていてぼんやりしていたわけではないらしい。おそらくだが、何か考え事をしているのだろう。

 ふと、思い出したようにシートベルトを締めたのを見て、ひとまずそっとしておこうと梧は静かに車を発進させた。


 迎えにいった時、少しすっきりしたような顔をしていたのも、今考え込んでいるのも、何も話してこない。

 梧に相談する必要がないのかもしれないし、誰か別の人に話せているのかもしれない。

 彼女がいろんな人に出会い、頼る先が増えたのは喜ばしいことだが、梧の存在価値がたまきの中で薄まっていないか不安になった。

 

 信号待ちで止まると、梧はたまきの横顔を見つめた。

 ふと、視線を感じたのか、たまきがこちらを見る。

「どうかしました?」

 たまきが小首を傾げた。

「……いや、なんでもない」

 梧はたまきの頬を軽くつついて、短く答えると、正面に視線を戻す。

 信号が変わり、また車を走らせた。


「今日、うちでご飯食べていきますか?」

 家に近づいたところで、たまきが言った。

「……急に……いいのか?」

「おばあちゃんから“食べていくんでしょ?”って来てます」

 たまきがスマホを軽く持ち上げて見せ、読み上げたメッセージの内容に、梧はふっと顔を緩めた。

「……わかった」

 そう答えると、たまきも微笑んで「じゃあ、そう言っておきますね」とスマホの上で指を滑らせている。

 その横顔をチラッと見たあと、梧は笑みを深めて、ハンドルを握り直した。


 ————————————


「今日、泊まっていったらいかがです?」

 食事の後、唐突にたまきの祖母がそんなことを言うので、梧は目を丸くした。

「おばあちゃん!梧さん困ってるから……」

 その表情を見て、たまきが言う。

「困ってるの?……うちから職場まで距離がそう変わらなければ、今から帰るより楽じゃないかしら」

「……それは……」

 梧が答えようとすると、

「もー!着替えもないし、自分のお布団じゃなきゃ休まらないかもしれないでしょ?」

 たまきはさらに割って入ってきた。

「着替えはおじいさんのがあるじゃない。布団でそんなに変わるかしらねぇ」

「えっ!おじいちゃんの服、梧さんに着せるつもり……!?」

 その口ぶりに、祖父がどういう意味かと眉を跳ね上げる。梧が苦笑いを向けると、祖父は肩をすくめて小さくため息をついた。

「お仕事ならワイシャツでしょ?ワイシャツはそんなに変わらないし、梧くんならなんでも着こなしちゃうわよ。足の長さが違うから、ズボンはそうはいかないけど」

「そっ……それはそうかもだけど……。昔のでしょ?おじいちゃんが仕事してた頃の……」

「あら、最近だって着ることあるんですよ。ちゃんとアイロンかけて綺麗にしてます」

 梧のことなのに、祖母とやりとりしているその真剣なたまきの顔を眺めつつ、二人の間にどう口を挟もうか考えていると、

「そんなに嫌なの?梧くんに泊まってもらうの」

 祖母がそんなふうに聞いた。

 そこは梧も気になっていたところだ。

 さすがに今日は帰ろうとは思っているが、たまきはどう思っているのだろう。

「い、嫌なわけじゃないけど……今日は課題もあるし……。じゃなくて!私の気持ちはどうでもいいの!梧さんが断りづらいでしょ?最近おじいちゃんもおばあちゃんも押しが強いんだもん。梧さんが嫌なことはしてほしくないの」

 そんな言葉を聞いて、梧はニヤけないように口元を押さえた。

 梧が泊まることが嫌なわけではなく、ただ、無理強いされていないか心配しての行動だったのだ。

「無理強いなんかしてませんよ。ねぇ?梧くん」

 話を振られた梧は、笑みを浮かべて、

「えぇ。今日は流石に急なので遠慮しますが、たまきが嫌じゃないのなら、今度は泊まる準備をしてきます」

 と、どちらかといえばからかうような口調で言った。

 たまきは顔を赤くして、

「かっ……からかってますよね!?」

 と声を上げた。

 すっかり梧の口調や仕草でからかいかどうかを見抜くようになったたまきを見て、ふふっと、笑い声を漏らした後、手を伸ばして、その頬を手のひらで包む。

「……半分な」

 そう言って親指で頬を撫でる。

「……半分ってなんですか……」

 たまきが弱々しい声で言う。

「半分は、本当に泊まってもいいかなと思ってるってことだよ」

 そう答えてから手を離し、立ち上がると、

「……じゃあ、今日はこれで失礼します」

 と、祖父母に軽く会釈した。

 祖父母は少し残念そうな顔をしたがすぐに微笑んだ。その表情を見て、梧は胸の奥が暖かく感じられる。

 たまきの家族からこんなふうに受け入れてもらえるのは、いまだに信じられない。

 もっと信じられないのは、他人の家で気を張らずにいれる自分だった。もちろん、それなりに気は遣っているが、居心地が悪いと思っていなかった。

 キョトンとして小首をかしげているたまきを見下ろして、指先で両頬をつつくと、たまきが頬を膨らませて見せた。

 たまき自身も、付き合った当初よりずいぶん打ち解けてくれていると思う。

 

 たまきは梧の世界を確実に広げてくれている。

 

 社員たちからも、最近、表情が柔らかくなったと言われて、よく話しかけられるようになったし、梧の親……特に父とは、たまきがいたことで少し距離が縮まった気がしている。

 

 もう一度、膨らんだたまきの頬をつつこうとした途端、絶妙なタイミングで頬の空気を抜いて口をすぼめたので、ははっと声をあげて笑って、両手で頬を包んだ後、視線を合わせた。

「じゃあ、また来るよ」

 そう言うと、たまきは少しだけ寂しそうな色をその瞳に浮かべたが、静かに頷いた。

 梧も頷き、リビングを後にする。

 いつものように、三人が玄関まで見送り、たまきは一緒に玄関を出た。

 外に出ると自然にたまきと手をつなぎ、他愛ない話をすることもあれば、黙ったまま同じ景色を眺めながら、車まで歩いていって、着くと、名残惜しんで見つめ合い、キスを交わして車に乗り込む。

 

 今日もそうして手を離そうとしたとき、たまきがその手を掴んだ。

 驚いて振り向くと、遠慮がちに梧を見上げて、

「……もう、ちょっとだけ……」

 と、呟いたので、梧はたまきの掴んだ手を握り返して自分の方へ引き寄せ、抱きしめる。

「……何かあったか?」

 聞いてみたが、たまきは腕の中で首を横に振った。

 梧は「そうか」と言って、それ以上聞かなかったが、少し経って、

「……まだ、時間をください……」

 と、言った。

 おそらく、結婚のことだろうと察した梧が、

「おばあさまたちに何か言われてるのか?」

 と訊くと、また、たまきは首を横に振った。

「……俺が泊まりたいと言ったのは、そういう意味じゃないぞ?」

「それは……、わかってます」

 たまきの反応を見るに、周りに急かされていると思っているわけではないらしいが、梧には少しだけ懸念があった。

「それなら、たまきのタイミングでいいんだ。焦る必要はない。……ただ」

 たまきが、腕の中で顔を上げた。

 体を離すと、その瞳をまっすぐ見つめ返す。

「一人で抱え込まないで、俺じゃなくてもいいから……誰かに、相談してくれ」

 俺じゃなくてもいいと言った時にためらいが混じってしまって、その言葉にたまきが思ったよりもびっくりしたような顔をした。

 それが、失望じゃないことを願いながら、梧は少し視線を落として続ける。

「あと……、たとえ君が、俺から離れるという決断をするんであっても……」

「そっ、それはないです!ないから……!」

 慌てるたまきはそう言いながら抱きつく腕に力を込め、懇願するように瞳を閉じて、梧の胸に顔をうずめた。

「不安にさせたいわけじゃないんです!……ただ、これからのことを考える時間がまだ欲しいだけで……。待たせてるのはわかっているんですけど……」

 すがるようなたまきの行動にほっとしつつ、梧は抱きしめ返して頭を優しく撫でる。

「……ごめん。わかった。……今のままでも俺は十分幸せだからな」

 そう言って髪にキスすると、たまきはわずかに間を置いて、胸元で頷いた。

 梧がそう言っても、まだ納得しきれないこともあるのかもしれない。

 ……だがそれは、たまき自身が折り合いをつけるしかない。

 

 梧は、たまきが離れるまでそのまま抱きしめ、ゆっくりと頭を撫でていたのだった。

しかし、仕事でバタバタしすぎて、お盆までアップできないかと思った……。



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