80 ずっと、このままで
たまきは梧を待つ間、陳列棚をぼんやりと眺めて歩き回りつつ、よっちんの話がどんな話だったか聞かれたら、どう答えようか迷っていた。
よっちんが結婚するという話をしたら、自分たちの結婚の話にもなるかもしれない。
会いたいけれど、それを思うと怖かった。
たまきはひとまず、自分用の甘い紅茶と、梧用にコーヒーを手に取った。とはいえ、梧がどの銘柄を好きかはわからなかったので、適当に無糖と書かれたものにした。
甘いものがあまり好きじゃないと言っていたから、せめて甘くない方がいいだろう。
会計を済ませると、たまきは外を確認した。
まだ梧はいないようだったが、このままコンビニ内に留まるのも気まずくて、外に出る。
ちょうどそこに、梧の車が駐車場に入ってきた。
「待たせたか?」
車から降りてきた梧に、たまきは「いえ」と首を横に振る。
梧の顔を見ると、ひとまずさっきの怖さはどこかに飛んでいって、ほっとした。
梧に、買ったばかりのコーヒーを差し出す。
「……俺の分……か?」
梧は驚いて目を丸くしたが、
「……どれが好きかはわからなかったんですけど」
と、たまきが言うと、微笑んだ。
「いや、好みだ。ありがとう。あとで代金……」
「いえ!いいんです!私の奢りで……」
言いかけた梧をたまきは遮った。
「…………そうか?」
「はい……」
「わかった。……ご馳走様」
梧は、何かを察したような顔をしたが、笑顔で答えると、たまきを助手席に促す。
車に乗り込むと、梧はコーヒーの封を切ってすぐに口をつけた。
「うん、美味いよ」
それを聞いてたまきも頷き、自分で買った紅茶を一口飲む。
「……どこか、行きたいところはあるか?」
梧は、何があったんだ?とすぐには聞かなかった。
たまきも、ただ会いたいと思っただけで、会ってからどうするとか何も考えていなかったので、返答に困る。
「……えっと……、考えてなかった……です」
正直に言うと、梧は怒ったり特に困った顔をしたりせず、少し考える仕草をしたあと、
「海でも見に行くか」
と、独り言のように言って、車を発進させた。
走っている間、たまきはぼんやりと梧の横顔を見つめていた。
車を走らせる仕草に、あらためてかっこいいなぁ、と思う。
会いたいと言ったら駆けつけてくれて、何も聞かずに車を走らせてくれる。
出会えただけでも幸運なのに、彼女になれたなんて、奇跡みたいだ。
梧からしたら、たまきなんかで申し訳ない。
そうしているうちに、目的地に着いたらしく、梧は車を停めた。
運転席側のドアにもたれ、頬杖をつくと、たまきを見つめ返してくる。
「……俺の顔に、何かついているか?」
少し、照れたように笑って、梧が言ったので、たまきは急に恥ずかしくなった。
「……なっ、何もついてないです……!」
慌てたたまきに、ふっとさらに笑みを深めて、
「穴が開くかと思った」
と、冗談を言った。
「……ごめんなさい」
たまきが身を縮めて謝ると、
「いいや。照れるけど、君に見つめられるのは悪くないな」
と、嬉しそうな表情を浮かべている。
梧はまたコーヒーを口にすると、ため息をついた。
少しの間、口を閉じていたが、
「……どうしたい?」
と、聞いてきた。
たまきには、どうしたい?というのが、何を意味するのか、はっきりとはわからなかった。
でも、きっと、梧に会いたがった理由を聞きたいんだろう。
「……」
どう答えたらいいかわからなくて黙っていると、
「……ドライブがしたいなら適当に走らせるし、他のところに行きたいなら行こう。……あまり遅くならないようにするつもりだが、時間の許す限り、一緒に過ごそう」
と、たまきの頬に軽く触れる。
梧はそのあと、黙ってたまきが話し出すのを待っていた。
その気持ちが嬉しかったが、なんだか視線を感じた。
「……もしかしてですけど、さっきの仕返しですか?」
たまきが聞くと、ふっと笑って、首を傾げた。
「……仕返しというのは語弊があるが……、君は嫌だったか」
「い、嫌じゃないけど……。緊張しちゃいます」
たまきは頬を染めつつ、誤魔化すようにほっぺたを膨らませた。
「……そうか。じゃあそろそろやめよう」
座席に座り直し、梧は正面を向いた。
コーヒーを手に取る姿を見て、たまきも思い出して、紅茶を口に含んだ。
正面の暗い海を眺めながら、
「…………よっちんが結婚するそうです」
そう、話し始めた。
「……そうか。ということは、大学は辞めるのか?」
梧は静かな声で訊いてきた。
「いえ。彼氏さんが、辞めるなら別れるって」
「……別れるかどうかはさておき、いい彼氏じゃないか」
大学を辞めることが悪いというわけではないが、勢いだけで辞めてしまうのはもったいないだろう。
よっちんが考え抜いてそう決めたなら反対するつもりはないが、たまきも彼氏さんが止めてくれたのは良かったと思っていた。
「……酒造会社を継ぐって言い出したらしくて、よっちんはそれについていくことにしたらしいです」
「実家が酒造会社なのか?」
「いえ。後継者がいない、赤の他人の会社です。彼氏さんは大学で発酵の研究をしていたらしくて、“運命の菌”に出会ってしまったそうで」
「“運命の菌”?」
梧もその言葉に訝しんで、眉間に皺を寄せた。
何を言い出したんだ?という表情だった。
「私もよくわかりませんけど、菌の構成?……組み合わせの比率……?にもいろいろあるらしいです」
「……なるほど?」
さすがの梧も、あまりよくわかっていない顔で相槌を打った。
「それで、……別れそうになったらしいんですけど、よっちんがついていくって言って、話し合いの結果、決めたみたいです」
「……そうだったのか」
「……はい」
たまきはそこまで話して、この後、何を言ったらいいのかわからなくなった。
もう少し、よっちんたちとの楽しかったやり取りを交えたかったのに、うまく話ができなかった。
“結婚”の言葉に、梧がどう思ったのか、表情を確認するのが怖くて、手元の紅茶のペットボトルに視線を落とす。
「……たまきは」
梧の声にも、少しだけ、緊張が混じった。
「……何が不安なんだ?吉木が結婚して、会う機会が減ることか?それとも…………、別のことか?」
たまきの異変に、やっぱり梧は気づいていた。
「……もし……、自分の結婚のことで悩んでいるなら、君の気持ちが決まるまでは待つつもりだ」
たまきの様子を見て、そうだと察したようだった。
顔を上げないたまきに、梧はその頬を軽くつまんだ。
「……こんな、物分かりのいいことを言っているけど、俺も不安だったよ」
「……えっ?」
思わずたまきは声をあげた。
「……やっと顔を上げたな」
たまきを安心させるために嘘を言ったのかと思って、訝しんだが、
「君を誰かに取られたくなくて、早く結婚して閉じ込めてしまいたかったんだ」
梧の眼差しは真剣だった。
「……私のことなんか、誰も取りませんよ!」
たまきは顔の前で手を振って否定したが、梧は納得していない表情だった。
「わからないだろう?君を素敵だと思う人はたくさんいるんだから」
「どっ……!どこにそんな人がいるっていうんですか!梧さんこそ、素敵で、誰からも好かれちゃう……」
「俺は見た目だけだろ。中身が情けなくて大人気ないって君も知ってるじゃないか」
「そんなことないです!優しいし、今日みたいに呼び出しちゃっても怒らないし……」
「好きな人に会いたいって言われて怒る理由がどこにあるんだ?」
梧はたまきの反論に、食い気味に答えてくる。
「すっ……!?……もー……梧さんは私を甘やかしすぎです……!」
全部に対して返されるので、たまきは降参するように顔を覆った。
「……甘やかしたいさ。君はすぐ我慢しようとするから」
梧はそんなたまきの頭を撫でる。
たまきは手を滑らせて口元はまだ覆ったまま、梧の方に視線を向けた。
「……君は俺が仕事で会えなくても、文化祭に行けないかもしれないと言っても、我慢しようとしただろう?……俺は君に会いたいのに、君は会わなくても平気なのかと思った」
「そんな……っ!私だって……」
「あぁ、今ならわかるよ。文化祭で君と話ができて、同じ気持ちなんだと確認できたから」
梧はたまきの頬に優しく触れて、愛おしげに見つめる。
「……だけど、それまでは不安だった。君はいつか、こんな俺に愛想を尽かしてしまうんじゃないか、君にもっと相応しい人が現れて、攫われてしまうんじゃないかって」
梧の瞳に、迷いが浮かぶ。
その時のことを思い出したのか、今でもまだ、そう思っているのかはわからなかった。
「結婚したところで君を閉じ込めておくことなんて、できないのにな」
梧は自嘲ぎみに笑う。
たまきは思わず両手を伸ばし、梧の両頬を包んだ。
その後、手を動かして、ムニムニと梧の頬を弄ぶ。
「お、おい……?」
驚く梧に、最後にたまきはほっぺを引っ張ってからぱっと手を離した。
呆然として、梧はたまきの顔を見るが、口を引き結んだ真面目な顔で、感情が読み取れない。
「……怒ったのか?」
だが、たまきは答えずに、梧の首元に腕を伸ばして、抱きついた。
驚きつつも抱き止めて、
「……たまき?」
と、名前を呼ぶが、たまきはやはり何も言わない。
困った梧はたまきの背中に腕を回し、優しくトントンと叩いた。
梧みたいに完璧な人が、たまきみたいに平凡で、何も持っていない人のために苦しむ必要なんて、ないんじゃないか。と、そんなことを考えていた。
そう思うのに、この手を離したくはないとも思っていて、なのに結婚も怖がって、矛盾しまくっている。
「……嫌がらせのつもりなら、そうはなってないぞ?……嬉しいだけだ」
たまきの方に顔を埋めて、梧が言う。
たまきはただ首を横に振った。
「……なら、どうしたんだ?……俺は、どうしたらいい?」
梧の質問に、たまきは答えられなかった。
梧にどうして欲しいかもわからない。
ただ、叶うことなら、今このまま、時間が止まって欲しかった。
進みもしない、戻りもしない、このままで。
梧はたまきの背中を優しく撫でつつ、
「……いつまでも待つよ。君の不安が消えるまで」
その声はたまきの胸を温かくしてくれる。
「……梧さん、おじいちゃんになっちゃうかもしれませんよ」
やっと出た言葉は、そんな少し捻くれたものだった。
梧はふふっと笑う。
「……それまで、君の彼氏として傍に居させてくれるなら、それでもいい」
「良くないですよ……!結婚できないかもしれないんですよ?」
「君さえいれば、あとはどうでもいいよ。一生、君の傍で君を見ていたい。それを君が許してくれるなら、どんな形かは重要じゃない」
どうしてそんなこと、迷いもなく言えるんだろう。
よっちんもそうだ。
一生に関わることなのに、決めてしまった。
「……たまき、降りてみないか?」
梧はたまきの腕を優しく解いて、顔を覗き込んできた。
「海の近くまで、行ってみよう」
梧に言われ、海の方へ顔を向けた。
夜の闇に染まった波が、わずかな月明かりにキラキラとゆらめいている。
「はい……」
たまきの返事を聞くと、「よし」と言って頷き、梧は車を降りて、助手席側に回った。
ドアを開け、梧がひらりと片手を差し出すと、たまきがふと、梧の顔を見上げる。
「抱き上げた方がいいか?」
前より車高が低いから、抱き上げてもらう必要は一切ないのに、イタズラっぽい表情を見せて、梧はもう一方の手を差し出した。
「自分で……降りられますよ」
と、たまきは、口を尖らせる。
「それは残念だ」
冗談か本気か、まるで抱き上げたかった、というような口ぶりをしつつも、片手を引っ込めて、たまきが降りるのを待ってくれる。
たまきがようやく微笑み、その手を掴んで車から降りると、梧は手を握り返して繋いだままドアを閉め、海の方へと向かう。
風が、たまきの頬を打つ。
磯の香りが鼻をくすぐり、たまきは懐かしさを感じた。
「……子供の頃……」
たまきが口を開くと、少し先を歩いていた梧は足を止めて振り向く。
「…………家から歩いて行ける距離に、海がありました」
かつて住んでいた、地元のことが脳裏に浮かぶ。
海といえば、特にママのことを思い出した。
「ママは歩いて海に行けるのが嬉しかったみたいで、何度も私を誘って海に行って、貝殻やシーグラスを拾っては、持って帰ってきました」
「そうか」
ふふっ……と、たまきは笑いを漏らす。梧は不思議そうな顔で首を傾げた。
「おばあちゃんが、あ、パパのおばあちゃんですけど……、“こんなに拾ってきてどうするの!?”って驚いて、“要らないから戻してきなさい”って怒ったんです」
でも、たまきの母は戻しには行かなかった。可愛いクッキー缶の中に、特別気に入ったものだけをしまい込んで、あとは簡単に紐を通しただけのネックレスにして、たまきや、近所の子供にあげた。
「なんか、子供の私より、子供っぽいところがある人でした」
もしかしたら、海が近くにあることも、ママにとってはその場所に住みたいと思うきっかけの一つだったのかもしれない。
「……そんな奥さんがいたら、君のパパは楽しかっただろうな」
梧は目を細め、今は空と溶け合ってわからない水平線の方を見つめる。
そんな感想が返って来るとは思わなくて、たまきは少し驚いた。
「……どうでしょう。貝殻の中に虫がいたことがあって、パパはとっても驚いて……、“貝はもう拾ってこないで!”って怒ってましたけど……」
それを聞いた梧が、体をかがめて、はははっ!といつもよりも大きな笑い声を上げた。
海の前で開放的になったのか、今の梧は存外、表情が豊かだった。
「……君のパパは、虫が嫌いだと言っていたな。それは驚いただろう」
まだ笑いが収まらないようで、口を閉じても体が揺れている。
ひとしきり笑って、はぁ、と息を吐くと、梧はたまきの手を引いてもう少し、海へと近づいた。
「……そういう、一つ一つが楽しいんじゃないか?独り身だったら経験できない事件が、起こる面白さが、一緒にいればあるだろう」
「怒るようなことでもですか?」
波打ち際で足を止め、梧がたまきから手を離した。
「あぁ」
返事をしたかと思うと、波が寄せたタイミングで、梧はたまきの方へと海の水をパシャリと跳ねさせた。
「わっ!」
たまきは真正面から顔にそれを浴びて、慌てて手で拭った。
「な、何するんですか!」
ぺっぺっとたまきは口に入った海水を吐き出しながら言うと、梧は笑った。
「油断していただろう」
楽しそうな梧の表情に、たまきは頬を膨らませ、
「ひどい!もう!」
と、その場にしゃがみ込んで膝を抱えて俯いた。
「あ、いや、すまん……」
慌てて梧が駆け寄り、たまきの方へ身をかがめた。
たまきはその瞬間を狙って海水を掬い上げて梧の顔めがけ投げつけた。
モロにくらった梧は、水を滴らせながら凍りついたように固まった。
「仕返し!」
たまきが言って波から離れて逃げ出す。
砂に足を取られ、なかなかうまく進めず、その間に梧が正気を取り戻して、顔の海水を手で拭い取り、髪をかき上げた。
「やったな……」
やられたというのに嬉しそうな顔でそう呟いて、梧はたまきに向かって走り出す。
「待て!たまき!」
梧も砂のせいで簡単には追いつけなかったが、足が長い分、順調にたまきとの距離を詰めていく。
「あっ!来ないで、梧さん」
いよいよ手の届くほど迫られて、たまきは腕を大きく振って逃げようとした。だが梧がその腕を掴んで、ぐいっと引き寄せるとたまきを捕まえた。
「きゃあ!」
たまきは悲鳴を上げて、その腕から逃れようと身を捻り、足掻いた。
「捕まえたぞ」
たまきを逃がさないように梧は腕に力を込めたが、それでもたまきは左右に体を振った。
梧の髪に残った海水が、たまきの方へと滴り落ちる。
「こら、逃げようとするな」
「んふふ、ごめんなさいっ」
梧もたまきも笑いが止まらなくなってきた。
しばらくそうして笑ってじゃれ合った後、疲れて梧の腕から力が抜けたが、たまきも逃げようとせず、その腕にしがみつくようにもたれる。
「……はぁ、疲れた」
たまきは腕の中から梧を見上げ、髪に手を伸ばした。
「すみません、びしょ濡れですね」
滴った海水のせいで、梧のワイシャツが湿って肌に張り付いていた。
「君もだ」
梧もたまきの頬に触れたが、ふと、何かを思いついたように腕を離すと、
「確か、タオルがあったな」
と、先に車の方へ向かった。
たまきが後を追うと、梧は後部座席を探って、タオルを取り出すとたまきの頭に被せて少し乱暴な動きで髪と顔を拭った。
「わっぷ……。じ、自分でできますっ!」
梧はそれを聞いて手を離す。
たまきがタオルの隙間から、顔を見ると、イタズラっぽい笑みを浮かべていた。
「もー……」
不満そうに眉間に皺を寄せつつ、髪を拭いていると、梧はもう一枚タオルを取り出して、自分の頭を拭き始めた。
「……なんでそんなにタオルが出てくるんですか?」
四次元にでも繋がっているのかと、車の中を覗き込むたまきに、
「たまに帰りにジムに寄った時に使うんだ。着替えもある」
と、梧は答え、たまきの方へと手を伸ばした。
髪の毛に触れて、
「ベタベタだな」
と、言うと、
「そろそろ帰ろうか。早く風呂に入りたいだろ」
と続けた。
「あ……はい」
少し名残惜しかったが、たまきは頷いて、二人は車に乗り込んだ。
——————————————
たまきを送ってすぐ帰るつもりだったのに、梧はなぜか、たまきの家でシャワーを浴びていた。
遅くなったことを詫びようと、玄関までたまきを送り届けると、祖母が出迎え、二人とも濡れた髪を見て「あらまぁ」と、驚いた声を上げた。
「少し、海に立ち寄りまして……」
と、申し訳なさそうに言うと、
「ベタベタでしょう?海風さん、お風呂に入って行ったら?おじいさんの服なら貸せますから。まだ暑いですけど、濡れてると冷えますよ」
と、提案された。
「あ、いえ。車で帰りますから」
もちろん、そう言って断ったが、
「まぁ、海風さん、私たちを避けていらっしゃる?」
と、いつもとは違って、祖母は食い下がり、頬に手を当てて難しい顔をした。
「えっ……?避けていませんよ」
「……でもねぇ、ご飯食べにいらしてと言ったのに、あれから一度も来て下さらないじゃない?私もおじいさんも待っていたんですよ?」
「……あぁ、いえ!仕事で忙しくしてるものですから……また日をあらためて……」
「そんなこと言って、一年なんかすぐ経つんですからね?年寄りの一年は重いんですよ」
祖母は脅すような言い方をして、引き下がらない。
助け舟を求めてたまきの方へ視線を送り、「梧さん困ってるから……」と口を挟んでみても、
「たまきだって本当は、もう少し海風さんといたいわよね?」
と、言って取り合わない。
結局、何度か押し問答をした後、祖父まで出てきて「上がっていきなさい」と言うので、圧し負ける形で、梧は上がって、なぜか、お風呂にまで入ることになったのだった。
「お風呂……お借りしました」
遠慮がちに梧がリビングに顔を出した。着替えは車に積んであったので、祖父のものを借りずに済んだ。
ただ、彼女の家に立ち寄るような格好とは程遠い、リラックスウェアなので、落ち着かない。
たまきも物珍しいのか、驚いたような顔で見てきた。
「もっとゆっくりなさっても良かったんですよ」
サッとシャワーを浴びて上がったので、早いと思われたのだろう。祖母が立ち上がると、
「いえ……、元々家でもシャワーだけですので……」
と、恐縮した様子で答え、促されるままテーブルにつく。
「……じゃあ、たまきも入ってらっしゃい」
「えっ!?」
梧が居るのに、席を外していいものかとたまきは祖母と梧の顔を交互に見たが、
「ほら、髪の毛もベタベタだし、服も少し濡れてるわよ」
と、祖母に背中を押されて、渋々立ち上がる。
二階に着替えを取りに行き、降りてきてからまたリビングに顔を出した。
「梧さんに変なこと言っちゃダメだよ!?」
「……言いませんよ。いってらっしゃいったら」
訝しんだ顔のまま、たまきはお風呂場の方へと向かって行った。
「ゆっくりあったまるんですよ!」
「……わかってる!」
慌ててシャワーで済ませるんじゃないかと祖母が声をかけると、たまきは少し怒ったような口調でお風呂場の方から返してきた。
家族らしいやりとりにほっこりしつつ、梧がたまきのさった方を向いていると、
「……ごめんなさいね、騒がしくて。今お茶入れますから」
祖母が申し訳なさそうに言った。梧は思わず、居住まいを正す。
「あ……いえ、お構いなく。……それより、私、何かしてしまいましたか?」
身を縮め、いつもより強引な祖父母の様子を伺った。
お茶を入れながら、祖母が目を丸くし、祖父と顔を見合わせた後、ふっと口元を緩ませて首を横に振った。
「いいえ。違うんですよ。本当に海風さんに寄ってもらいたかっただけです。こうでもしないと上がっていただけないから」
“強引にごめんなさいね”と付け加えて、祖母はお茶を差し出し、自分もテーブルについた。
梧がお茶を一口飲むと、祖母はふふふ、と笑って同じようにお茶に口をつけていた祖父の顔を見た。
祖父は気まずそうな表情をする。
「……なんですか?」
不思議そうな顔でその二人のやり取りを見つめた。
「……いえね。うちは子供も孫も女の子でしょう?可愛いんだけど、おじいさんは男の子が欲しかったんですよ。本当は」
「……そういうわけじゃ……」
祖母の言葉に、祖父は弱々しく否定したが、
「あら、慶くんが遊びに来た時は喜んでいたじゃありませんか」
と、祖母に言われて黙った。
梧が驚いた顔をしていると、
「慶くんって言うのはたまきの父親のことです。……彼も亡くなってしまったから」
と、少し悲しそうに目を伏せる。
たまきの父母に会えないことを寂しいと思う一方で、梧を受け入れてくれる二人の気持ちがとても暖かくて嬉しかった。
「そう……でしたか……」
梧が来ないかと待ち侘びていたとしたら、少し照れ臭くて、梧は口元を撫でる。
「……てっきり、結婚のことかと」
お茶を飲んで誤魔化しつつ、梧はそう続けた。
てっきり、話は進んでいないがどうなっているのかと聞かれるのかと思って緊張していた。
たまきに待つと言った手前、どう答えようか迷っていたから。
「……たまき、何か言ってました?」
「……いえ……。ただ、今日、友達の結婚報告を聞いたようで、少し、考えているようではありましたけど」
「……たまきの不安も、わからないわけではないが……。俺たちもいつまで元気でいられるかわからないからな」
祖父はため息をついた。
たまきの前では心配をかけまいと、花嫁姿を見たいと言っていたが、年齢のこともやはり気に掛かっていたのだ。
「おじいさんが唐突に言うからですよ」
「……恋人もいないうちから、早く結婚しろと言っておけば良かったということか?」
「そうじゃないですけど、突然だから驚きますよ。ねぇ?」
祖母が突然同意を求めてきたので面食らったが、
「……彼女は、何を悩んでいるのかまでは話してくれませんので……」
と、梧は苦笑した。
そんな梧をふと見つめてから、祖母は視線を巡らせた後、
「……たまきも、自分で何が不安なのかわかっていないのかもしれませんね」
と、息を吐いた。
「……え?」
梧に微苦笑を向けて、
「あの子、病気になったでしょう?……今は大丈夫でも、いつ再発するかっていう不安が常にあるんじゃないかと思うんです。……将来のことを考えるってことを無意識に避けているんじゃないかって」
頬に手を当てながら「前から、そういうことが時折ある気がしてましたから」と続けた。
「……そうかも……しれませんね」
確証はないが、なんだかその話は、梧の中でもしっくりきた。
「そもそもあの子は、家族も失っているから……、家族ができることも怖いのかもしれませんね」
「……そんなことを考えていたら、何もできないじゃないか」
祖父が、眉間に手を当てて、辛そうな顔をした。
わずかな沈黙の後、
「何話してたの!?梧さん、大丈夫!?」
慌てた様子のたまきがリビングに駆け込んできて、その場にいるみんなが目を丸くしたのだった。




