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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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77 甘いわがまま

 そこから入ってきたのは、たまきだった。

「傳先生……」

 息を切らしたたまきが傳の顔を見上げると、手のひらで奥を指し示したので、梧は慌てて立ち上がる。

「……たまき」

「梧さん……」

 たまきが梧に駆け寄ると、二人は見つめあった。

 なんだかそらせなくて、しばらくそうした後に、

「あの……、ごめんなさい、私…………」

 そう言って俯くたまきに、梧は驚いた。

「……なんで君が謝るんだ?俺が悪いんだ」

「どうしてですか?梧さんは悪くないです」

「……え?……いや……、俺は、君の承諾を得ないで……」

 言いかけて、梧はたまきの額に視線を移した。

 手を伸ばして、さっきのキスをなぞるようにそっと額に触れる。

 たまきの顔がぽっと赤くなって、梧の体温も上がった気がした。

「そ……、そうじゃないんです……。私が……心悠のところに逃げちゃったのは……」

「え?」

 たまきが恥ずかしそうに梧のことを見つめる。

「…………い、いけないこと……考えて……」

 言い淀んで、視線を逸らすたまきを、梧は訝しんで首を傾げる。

「……いけない?なにがだ?」

 よっちんに“王子に話しなよ”と言われたけれど、梧は告白の当日にご挨拶に来るような真面目な人だ。

 おでこにキスされた時、口にしてほしかったな……。と、思ったなんて言ったら、軽蔑されてしまうんじゃないかと、不安がよぎった。

「…………たまき?」

 梧が心配そうにたまきの顔を覗き込んだ。

 たまきが視線を合わせると、

「……話してみてくれ」

 と、優しい声で言った。

 言われて息を大きく吸うと、吐き出してたまきは梧ともう一度目を合わせた。

「……く……、口にキス……してほしいって……思っちゃったんです……」

 言われて、梧はしばらく固まった。

「………………ん?」

 聞き間違えかと思ったのか、梧は聞き返すように声を出した。

 たまきは慌てて、

「あのっ……、あんな、周りに人がいっぱいいる状況だったのに、梧さんにおでっ……おでこキスされて、そ、そんなこと考えちゃって、私、恥ずかしくなって…………。逃げちゃったんです。ごめんなさい!」

 居た堪れなくて、そう捲し立てると、頭を下げた。

 たまきは俯いたままの姿勢でしばらくいたが、梧は何も答えてはくれなかった。

 やっぱり呆れられたんだと、たまきが悲しくなり始めた頃、

「……本当に?」

 と、梧がようやく呟いた。

 たまきは、頭を下げたままで「……はい」と、頷いてから、恐る恐る顔を上げる。

 見上げた梧は、顔が真っ赤に染め上がって、口元を手で隠していた。

 たまきと目が合うと、恥ずかしそうに一瞬視線を逸らしてから、また戻す。

「……じゃあ、」

 そう言って、たまきの方へ手を伸ばした。

 ドキドキしながら、たまきは梧の瞳を見つめ返す。

 梧は、たまきの顔にかかった髪を指先ですくい上げて耳にかけると、

「キス……してもいいのか?」

 緩む頬を必死に堪えるように、口を引き結んで、梧はたまきの返答を待った。

 たまきの唇がわずかに開いて、梧の鼓動は激しさを増す。

 

「いいけど……、僕まだいるよ?」

 だが、返事は別の方向から返ってきた。

 反射的に、梧とたまきが声のした方へと視線を向けると、傳が、まだ入り口の横の壁にもたれて佇んでいた。

「は……、えっ!?つ……っ、つたっ……せんせっ……!?」

「なんっ……、でっ……出ていったんじゃないんですか!?」

 焦る二人に、傳は余裕のある笑みを浮かべながら、近づいてくる。

「挨拶くらいしてから出ようと思ったんだけど、君たちすぐに二人だけの世界に入っちゃったから、タイミング逃しちゃって、ごめんごめん」

 そう、全く悪びれずに言った。

 この感じは、わざと留まって機会を見計らっていたな。と、梧は直感した。

「いやぁ、いいねぇ、若いって。僕も桐子さんに会いたくなっちゃった」

 相変わらずの軽い口調で言うと、戸惑う二人の顔を交互に見た。

 そうしてから、柔らかく穏やかな顔で微笑む。

「……うん。良かった」

 そう呟いた後、両手をパンっと胸の前で鳴らす。

「…………冴島さん」

「……はっ……はい!」

 呼ばれて、緊張した面持ちで、たまきは勢いよく返事をした。

 傳は口元に笑みを残したまま、真剣な眼差しをたまきに向けて、

「……梧にも言ったけど、今度、桐子さんにも会いにきて。二人に会いたがってるから」

 と、言った。

 飄々としているのに時々真面目になる傳に慣れず、面食らいながらも、

「はい……、ぜひ」

 と、たまきは返事をした。

「……挨拶とか、そんな堅苦しいこと考えないで遊びにきてくれるだけでいいからね」

 そう言って、傳がたまきの方へと手を伸ばした。

 その指先は思ったよりもずっと遠慮がちにつん、とたまきの頬をつついて離れた。

 不思議そうな顔で見つめるたまきに、眉尻を下げて微笑むと、

「じゃあ、今度こそ本当に邪魔者は退散するよ。……あとは若い二人で存分にイチャイチャして」

 言いながら、両手でハートマークを作ってみせた。

「……父さん!」

 嗜めるように梧が声を上げるが、傳はひらりと白衣を翻して踵を返した。

 ヒラヒラと手を振って、テラスを出ていく。


 

「不思議な人ですね、傳先生って……」

 気が抜けた声で、たまきが言った。

「……俺も、あの人がよくわからない。ふざけてるのか真面目なのか……」

 あっけに取られて、梧もそう答えてため息をつくと、ベンチに座った。

 たまきも梧の隣に座ると、

「……でも、梧さんに似ている気がします」

 と、笑顔になった。

「え?……どこがだ……?」

 珍しく、梧はたまきの前で不機嫌そうな顔をした。

 言い方も、少し投げやりに聞こえる。

「んー……、少しイタズラっぽいところとか、笑った時の顔……。あとは、優しいところ……ですかね」

「……俺が、イタズラっぽい?」

 片眉を跳ね上げ、梧が不服そうな顔をした。

 なんだか、傳の話をしている時の梧は、雰囲気がいつもと違って面白い。

 どことなく、子供っぽいと言うか、素が出てしまっている感じがする。

 たまきに気を許してくれているみたいで、嬉しかった。

「……私が車に乗ろうとした時に、“抱き上げた方が良かったか”って聞いたり、冷たいペットボトルを、突然ほっぺたに押しつけたり」

「…………そんなこと、したかな」

 覚えているはずなのに、はぐらかすような言い方をする梧に、ふふふと笑って、

「お見舞いに来てくれた時、忍び込んだって嘘をついたり……」

 たまきは、その時のことを思い出して温かくなる胸に手を当てながら続けた。

「……それは……、君があんまりにも可愛いから」

 梧がそう返すと「えっ!?」と、たまきは声を上げて顔を赤くする。

 形勢が逆転したように、今度は梧がふ、と笑った。

 たまきが頬を膨らませて、口を尖らせる。

「もう!……そういうところです!」

 ぷい、と、顔を逸らすたまきの頬に、手を伸ばして触れようとするが、ベンチの端へと逃げていく。

 その手が空を切っても無理に追おうとせずに、口元を緩ませていたが、梧がふと、真面目な顔になった。

「……あの人は、そんなに頻繁に君を揶揄うのか?」

 言われたたまきが振り向いて首を横に振った。

「いえ、そんなに頻繁に会わないから……」

「……会えば、揶揄われる?」

 探るような梧の言葉に、たまきはどう言えばいいか悩む。下手な言い方をして、二人の仲が悪くなったら嫌だなと、思った。

「そういうわけじゃ……。……傳先生って、冗談か本気かわからないので。……私の反応を楽しんでいる感じはしますけど……」

「……そうか」

 ベンチにもたれ、何か考えているような顔をする梧は、風を感じて、ゆっくりと瞬きをした。

 その横顔が絵になるなぁ、と見惚れながら、たまきは「あ」と、何か思い出したような声を上げた。

「ん?」

 梧が小首を傾げた。

「傳先生から可愛いって言われたこともあります。今の梧さんと同じ言い方だった気がする。あれも揶揄われてましたね、きっと」

 と、たまきも少し頬を膨らませながら、風の方へ顔を向けた。

 心地よくなって、ふと、目を閉じる。

「…………俺は、本気で君が可愛いと思って言ってるが」

「へっ?」

 たまきは驚いて目を開けて梧を見たが、すぐに目をすがめた。

「……それ、私の反応見て楽しんでますよね」

 疑いの視線を向けると、

「それも含めて、可愛いんだ」

 と、愛おしげな眼差しを向けてくる。


 その瞬間、二人の間の空気が変わった。

 梧が少したまきの方へ近寄り、手を伸ばして頬に触れる。

 今度はたまきは逃げず、梧の瞳を見つめ返しながら、その指先を受け入れた。

 たまきが一瞬、梧の唇に視線を落として、目線に戻した。頬の赤みが徐々に強くなっていく。

 それを合図に梧が体を起こして、たまきとの距離をさらに詰め、たまきも梧の方へ引き寄せられるように、ゆっくりと眼を閉じた。

 

 今度こそなんの邪魔も入らず、たまきと梧は唇を重ねた。

 二人の前髪を風がくすぐって吹き抜けていき、二人は離れる。

 二人はそのまま、しばらくの間、見つめ合うと、心臓の音が、相手に聞こえそうなほど高鳴って、緊張感が高まっていく。

 

 先に耐えきれなくなったのはたまきで、倒れ込むように梧の肩に顔を埋めて「……降参です」と呟いた。

 梧はそのたまきを受け止めて、ふふっと笑った。

「……なんで笑うんですか?」

 腕の中で、たまきが不満そうな声を出す。

「……俺も降参しようと思っていたから、一緒だと思って」

 それを聞いて、その時初めてたまきは梧の鼓動が速いことに気づいた。

「……梧さんも……ドキドキするんですね……」

 ずっと同じ気持ちだったのかもしれないと思うと、なんだか胸がキュンとして、たまきは梧の背中に回した腕に、力を込めた。

「……あぁ……。君といるときは、いつもそうだ」

 そう言って、梧はたまきを強く抱きしめ返す。

 だが、ふとため息をついて、

「……逆に……、君が他の男と仲良くしているだけで、すぐに不安になる」

 と、正直に吐露した。

 それを聞いて、たまきは腕の中で体を起こした。

「男?傳先生のことですか?」

 傳先生は梧と親子だし、そんなことはありえないと思いつつ、他に男と言われても思いつかなかった。

「違う。……君を追いかけていた男だ」

 今日追いかけられたのは、琉輝だ。

 たまきはびっくりして目を丸くした。

「……りゅーくんのことですか?」

「りゅーくんなんて呼んでるのか?」

 梧は眉間に皺を寄せた。

「……あ、え?りゅーくんは地元にいた時の幼馴染だから、子供の頃のあだ名で呼んでるだけで、何かあるわけじゃないですよ?友達ではありますけど……」

「……君だって、霞さんのことを誤解しただろう?傍から見たら、彼の方がお似合いだと思われるのは、不安なんだ」

 ほんのわずか、拗ねたような声色になったのを聞いて、たまきは先日、スウェーデンに霞と行くのかもしれないと思ったとき、同じことを考えたことを思い出した。

「……年上のくせに、情けない男だろう?」

 たまきが驚いた顔で黙ったのを見て、視線を下げ、困ったような顔をした梧を、

「違います、そんなこと思ってない」

 そう言いながら、もう一度、胸元に戻ってしがみつく。

 どうしよう、梧は困った顔をしているのに、たまきは嬉しくなってしまった。

「……情けなくないです。……私も同じだと思っただけです。スウェーデンに行くって聞いたとき、霞さんと一緒なんじゃないかって不安になって、翠さんとだってわかってほっとしたの」

 梧がたまきの頭に頬を寄せてきた。

「……君も、同じだったんだな」

「はい……」

「……今日君が、俺が来るのを待っててくれたと聞いて、それも嬉しかった。君は仕方ないと言って我慢できるのに、俺ばかりいつも会いたいと考えているのかと思っていたから」

 堰を切ったように、梧から本音が出てきた。

「そんな……!私だって会いたかったけど、梧さんを困らせるのは嫌だったんです」

「……困ってもいいから、君のわがままを聞きたい」

 梧のまなざしが、真剣なものに変わる。

「わがまま……って」

「仕事で仕方なくても会いたいとか、口にキスして欲しい……とか」

「そっ……!……んーもぅ、揶揄ってませんか?」

 たまきは顔を赤くした後、口を尖らせた。

「揶揄ってない。嬉しかったからもっと聞きたいんだ」

 梧の顔を見上げると、本当に嬉しそうな表情をしていて、たまきの頬を両手で包むと、額を合わせてきた。

 顔が近くにあると、心臓の音がまた激しくなったけれど、離れたいとは思わなかった。

「……私も、梧さんのわがまま聞きたいです」

 たまきが言うと、梧が熱い吐息を吐いた。

「…………じゃあ、……もう一度キスしたい」

 梧の“わがまま”を聞いて、たまきは息が止まりそうになった。

 

 ……梧の背中に回した手に力を込めて、顎を上げ、ほんの軽く、梧の唇に触れた。

 頬を包んでいた梧の手の力が抜けたので、顔を離すと照れて俯く。

 すると、梧はたまきを強く抱き寄せてその肩に顔を埋め、大きく息を吐いた。

「……君は、どうして……」

 一瞬、たまきからするのはダメだったのかと思った。

 だが、その状態のまま、

「……俺の喜ぶことをしてくれるんだ……?」

 と、赤くなった顔を上げて言った。

「梧さ……」

「心臓が破裂しそうだ」

 たまきのことを腕の中に閉じ込めて、またため息をつく。

 たまきはその腕の中で、あぁ、そんなふうに感じることも同じなんだと、早鐘を打つ梧の鼓動に耳を寄せて聞きながら、顔を綻ばせた。


 そのまましばらく、時が止まったかのように、互いの体温を感じて、心臓の音が落ち着くまでそうしていた。

 風だけが踊るように、二人の周りを吹き抜けていった。

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