72 本当の家族じゃなくても
しばらくそうして泣いた後、たまきが身じろぎをして顔をあげ、口を開く。
「……前世の紫露はさ……」
梧は抱きしめていた腕を緩め、体を離した。……名残惜しくもあったが、話を遮らないよう気を払いながら、濡れた頬に張り付いた毛束をそっと直すだけにとどめ、二人を見守る。
それに気づいていないかのように、たまきは紫露を見つめる。
「……サギリさんに育てられたんだよね」
紫露は、洟をすすり上げながら頷いた。
「……うん。今は穏やかな父さんだけど、前世の親父はめっちゃ厳しくってさ、勝手な行動するとすげぇ重いゲンコツくらわされて、しつこく説教されんの」
肩をすくめて、下唇を突き出して見せたが、その顔はどこか前世を懐かしみ、嬉しそうにも見えた。
……梧も前世を懐かしく思った。
ままならないことばかりだったが、良いことがなかったわけではない。
追憶の中の、生真面目で難しい顔をしたサギリを思い浮かべ、梧も苦笑した。
「……流石に殴られたことはないが、あいつの説教は長かったからな」
サギリの怒る時の顔は真剣で、カザネにさえ反論を許さなかった。
「でっしょー?前と同じことやらかすと、“前にも言っただろう”から始まって、さらに長くてさー」
紫露のモノマネを聞いて、梧はふっと笑う。
サギリはさすがに、王族であるカザネに手を挙げるわけにはいかなかったのだろうが、国を離れた前世の紫露に、王族を背負わせず、のびのびと育ててくれたことが、伝わってきた。
本当の親子のように過ごす二人を想像して、羨ましいよりも、安堵の気持ちの方が大きい。自然と梧の表情は緩んでいた。
「……サギリさんからは、本当のお父さんとお母さんのことは、全然聞いてなかったの?」
「あー……、う〜ん……」
たまきの質問に、紫露は少し悩んでから、
「親父が本当の親父じゃないってことは知ってた」
と、答えた。
そのあと、まだ悩んでいるような顔の紫露を見て、二人は話し出すのをゆっくりと待つ。
「……親父は俺のこと、初めは森で拾ったって言ってたんだ。親父の中でも迷いはあったんだろうと思うけど、俺がケンカした拍子に、どうせ捨てられた孤児なんだって自虐したら、違うってすごい勢いで怒られてさ」
二人の顔を確認しながら、紫露は話を進める。
「お前の両親はお前を捨てたわけじゃないし、そうしたくて、お前を一人にしたわけじゃないって……。その時初めて、両親が不慮の事故でもういないんだって聞いた。だけど、それ以上のことは、何にも教えてくれなかった」
今世での時雨の様子から見ても、サギリが話せなかったことは容易に想像できた。
だがきっと、紫露にとっては自分の素性もわからず、モヤモヤが残っただろう。
今世で、ようやくその全てを知ったのだ。
ふとした疑問が、梧の胸に浮かんだ。
「…………お前は、俺やハルと会ったことがなかったのに、どうして今世で俺たちが両親だと、わかったんだ?」
梧も、前世の紫露とは会わないまま死んでしまった。
説明できない感情があったが、思い込みのせいか、紫露が子供だとは見抜けなかった。
「…………なんて言うんだろ。たまき先輩を初めて見た時も、記憶を取り戻してからアオくんと会った時も、なんか……、わかんないけど……、ずっと会いたかった人だなぁって思ったんだ」
紫露は胸の辺りをさすりながら、思い出してはにかむような表情をした。
「……まぁ、たまき先輩は前世のことを覚えてなかったし、それを話すのは違うって思ったから、傍に居れればいいかなってあの時は思ってたけど」
「……ごめんね、覚えてなくて……」
たまきがしゅんとした表情になる。
「あっ、違う、違う!そういうことじゃないから!覚えてなくて悲しーっていう気持ちはなかったよ。ホント。傍に居れるだけで嬉しいんだ。……だけどね、いつからか、二人が出会って、笑い合ってるのが見たいなってだんだん思うようになってさ」
「……俺が、ハルを探してたからか?」
「違うよ。俺が見たかったの。今日みたいに、ラブラブしてるとこ」
そう言って、少しイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「なっ……」
たまきはまた真っ赤になると、
「どうしてそういうこと言うの〜?」
両手を顔を覆って俯く。
梧の存在を忘れていたわけじゃないが、言われると意識してしまう。
梧も紫露に言われて一瞬、面食らったが、照れるたまきの行動の方が可愛くて、その髪を優しく撫でた。
紫露はその様子を頬杖をついて、満足げな顔で眺める。
だが、その表情が徐々に曇り、緊張していく。
二人は気づいていなかったが、
「……それで……さ」
と、気まずそうな声を出したので、二人が顔を上げて、気づいた。
「……どうした?」
梧が心配そうに声をかける。
紫露は躊躇して視線を迷わせるが、やがて意を決したように梧に視線を戻し、
「……俺、二人のことを父さんと母さんだとは……思えない」
と、苦しそうな顔で言った。
二人は目を丸くし、互いに視線を合わせたあと、ふっと、同時に微笑んだ。
「……え?」
紫露が驚くと、二人は紫露を見つめ、
「当たり前だろう?お前は杠葉さんと時雨の子供だ」
梧がキッパリと言い、たまきが頷く。
「へ?……あっ、そうじゃなくて、前世のことだよ?二人の子供だけど、俺は、今世で二人と再会してもその実感がなくて……」
「うん。わかってるよ?……私も、紫露を“子供みたいだなぁ”とは思っても、自分の子供だとは思ってない」
慌てる紫露に、たまきもにっこり笑って言った。
「“子供みたいだなぁ”は失礼じゃない?……まぁ……、たまき先輩はそうかもしんないけど……、でも、アオくんは記憶があるでしょ?……父親とは思えないって言われたら……ショックじゃない?」
あまりにもあっさりと言ってのける二人に、紫露は直球で確認する。言いながら、手が震えた。
「……お前のことは間違いなく“特別”だ。他の誰とも違う感覚はある。……だが、正直、父親としての自覚があるかと言われれば、違うと思う。俺には覚悟も資格もないよ」
言われて梧は、ほんの少し、ためらうように視線を下げたがすぐに顔を上げ、真面目な顔で、紫露に本音を吐露した。
「……資格なんて……!そんなの、いらないけど……。本当に?俺や父さんに、気を遣ってるんじゃなくて?」
紫露は不安と安堵が入り混じるような、複雑な表情をした。
喜んで良いのかわからなくて、結局困った顔になる。
「あぁ。……逆に、お前に対して申し訳ないんだが……」
すまなそうな顔をした梧に、紫露は首を横に振った。
「良いよそんなの、おあいこだもん……」
そうして少しの間、俯いたあと、顔を伺うように、上目遣いで二人を見た。
「……じゃ、じゃあさ……。…………俺が、二人のことそういうふうに思えなくても……、今まで通りでいてくれる?」
「当たり前でしょ?」
「あぁ。何も変わらない」
二人は即答だった。
紫露はそれが嬉しくて、込み上げる涙を堪えようと唇を噛んだ。我慢しようとすればするほど、顔がくしゃくしゃになる。
だけど、結局堪えきれずに、両手で目を覆った。
「……っ、よ゙がっだ……」
涙で濁る声でそう呟くと、たまきもまた、もらい泣きで涙が溢れ、梧のハンカチで目頭を押さえながら、俯いた。
泣いている二人を見ながら、梧はたまきを胸元に引き寄せ、紫露の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
「……んもー、やめてアオくん!」
紫露はその手を振り払ったが、たまらず梧に抱きついてきた。
梧は驚いたが、ふっと笑みをこぼして紫露にも腕を回して抱きとめる。
……紫露に対して、父親の自覚はないと梧は言った。今も父親だと言える自信はないけれど、こうして二人を抱きしめていると、とても温かな幸せを感じる。
形は違えど、家族なのだと思えるくらいに。
紫露とたまきの二人もまた、包まれるような暖かさの中で、同じ気持ちだった。
紫露とたまきはしばらく泣き続け、ようやく涙が収まると、二人は梧の腕の中から抜け出した。
「……あー……、泣きすぎた。…………顔洗ってこよ」
掠れた声で紫露が言って立ち上がる。
「あ、私も借りて良い?……」
たまきが訊くと「どーぞ」と返事が返ってきて、紫露に駆け寄った。
たまきが隣に並ぶと、涙でぐしょぐしょなままの顔で、
「初めてうちに来た時みたいだね」
と、紫露が苦笑した。
たまきも「確かに」と微笑む。
あの日も、梧の胸の中で泣いたのだ。
気づいたら、隣で紫露も泣いていて、思えばあの時もうすでに、二人がたまきにとって特別な存在だと、心のどこかで気づいていたのかもしれない。
まだ遠慮ばかりしていた頃だったから、自覚はできなかったけど、腑に落ちた今なら、そう思える。
さっと顔を洗ってたまきにタオルを貸し、紫露は「ゆっくり使っていいよ」と言って、先にリビングに戻って行った。
たまきは顔を洗って、鏡の中の自分と見つめ合う。
ひどい泣き顔だけど、不思議と気分は悪くなかった。
人前で泣くことを躊躇わないなんて、こっちにきた頃には考えられなかった。
特に梧の前ではこんな泣き顔、恥ずかしくて見せられないと思っていたのに、何度も泣いてしまって、その度に受け止めてくれることに、いつしか安心していた。
鏡に映った胸元で、ネックレスの宝石が揺れる。
二人と、……みんなと再会できて良かった。
そんな思いに胸が熱くなる。
たまきはリビングに戻り、梧の隣に座った。
戻ってきたたまきを優しく見つめる梧の顔を、じっと見つめ返す。
「…………どうした?」
梧が訝しげに眉間に皺を寄せた。
たまきがはにかむような表情をした後、ゆっくりと口を開く。
「……梧さん。……私のこと……見つけてくれてありがとう」
梧が見つけてくれなかったら、紫露とだって高校が別になって疎遠になったかもしれないし、緝や翠たちにも会えなかったかもしれない。
……今も、家族を失った悲しみから抜け出せず、病気に悲観し、生きることも……諦めてしまっていたかも。
梧は、その言葉に面食らってしばらく硬直した後、たまきの頬に手を伸ばす。
頬に触れると、たまきが目を閉じて、甘えるようにその手の方へ顔を傾けた。
梧は胸の奥が締め付けられて、たまきの両頬を手のひらで包んだ。心臓が跳ねて高鳴るのを感じながら、目を閉じて、たまきと額を合わせる。
「……あぁ……。君も、俺のことを受け入れてくれてありがとう……」
そう囁くと、たまきの腕がそっと梧の背中に回る。
それを合図に二人はゆっくりと目を開き、吐息が混じるような至近距離で見つめ合った。
心臓の音が、相手にも聞こえそうなほど強く響いて、二人は息を詰める。
「……ちょ……、ちょっと!?……ラブシーン始めないで!俺がいること忘れないでよ!」
紫露が、キッチンから入れ直した紅茶を持って来ると、真っ赤な顔でそう言った。
二人は慌てて距離を取り、梧は身なりを整える仕草をした。
「……わ、忘れていない」
本当はこの一瞬、紫露の存在を忘れていた梧が、明らかに動揺した口調で言った。
その隣でたまきが真っ赤な顔で、さっきまで梧が触れていた頬を押さえている。
「……本当かなぁ」
と、疑いの目で紫露は二人を交互に見つめたあと、
「もー……、ラブラブを見たいとは言ったけどさぁ……。流石にそこまでは恥ずかしいっつーか…………」
何やらぶつぶつ言いながら、紫露はそれぞれにティーカップを配った。
紫露が淹れ直してくれた紅茶を飲んで、三人がホッと一息つくと、紫露が口火を切った。
「……んで?いつ結婚すんの?」
言われてたまきは、飲んでいた紅茶を危うく吹き出しそうになった。
かろうじてこぼさなかったが、むせこんで胸を抑える。
「……大丈夫か?」
梧が背中をさすってくれてようやく収まると、
「……なんっ……、え?……どうして……」
動揺して、うまく言葉にならない。
どうして知ってるの?と言おうとしたが、むせて声がうまく出せなかった。紫露は片眉を跳ね上げて訝しげな表情をしている。
「……そんなに驚く?今すぐとは言ってないじゃん。いつ頃を考えてんのかなって思っただけだけど。…………えっ?もしかして、もうプロポーズしたとか?」
あまりの反応に、口元に手を当てる。
嬉しさに緩む口を抑えきれなかったのだ。
結婚の話が出ていることを、紫露が知るはずもないよね、と、ひとまずホッとする。
「……それは、まだだ」
喉を軽く鳴らして、梧が視線を迷わせながら答えた。
「それは?ふーん……」
梧の言葉選びに引っかかったが、まだという言葉に消沈しつつ、紫露は紅茶を一口飲んでから、続けた。
「……まぁでもさ、アオくんは前からたまき先輩しか見えてないし、たまき先輩だって、結婚するなら、アオくんがいいでしょ?」
「……へっ!?……ちょっ……心悠と同じこと聞かないでよ」
たまきは心悠から聞かれた時の自分の答えを思い出し、体を二つ折りにして膝に顔を埋めた。
—————そりゃあ……!梧さんじゃなきゃ……嫌……。
梧を目の前に、口に出すのは流石に恥ずかしい。
「……なん—————」
「……あー、そっか。心悠先輩にも、報告したんだね……」
何か言おうとした梧の声は、紫露の言葉に遮られる。
紫露は、口調を軽めに意識したようだったが、その声は沈んでいる。たまきは、はたと思い出して顔を上げた。
途端に眉間に皺を寄せ、紫露を睨むような勢いで。
「そういえば、紫露、心悠と喧嘩したんだって?」
「えっ!?……いや、……喧嘩っつーか……、怒られたっていうか……」
「怒らせたんでしょ?」
口籠る紫露に、たまきははっきりと言う。
打って変わってタジタジになり、紫露は俯いて、
「……うん」
と、弱々しく返事をした。
「もー。心悠には関係ないなんて、なんでそんなこと言ったの?」
「わ、わかんないよ。俺、あの時テンパっちゃって。母さんが家を出たのも俺と親父のせいだしさ、心悠先輩にバレて、“何したんだ!”って怒られるの嫌だったし、誤魔化す余裕もなくて…………つい…………」
「つい〜?……なんですぐに謝らなかったの?」
「謝ろうとしたよ!?だけど、謝る前に“ああ、そうだね”って、めっちゃ怖い顔してさぁ!“確かに、お前とは何の関係もないよな”って、ブチギレた顔して言うんだもん……。霜槻くんとか呼ぶし……、子供の頃から名前で呼んでて、そんなん呼ばれたことないのに……」
萎んでいくように身を縮めて、ぶつぶつと言い訳やら口のようなものをこぼしている紫露に、
「もお!ぐちぐち言わない!スパッと謝ればいいだけでしょ!?」
聞いていられなかったのか、たまきが一刀両断する。
あまりそう言う姿を見たことがなかった梧は、そんなたまきを目を丸くして見つめた。
「そ、そんな簡単に言うけどさ!マジで見たことないくらいキレてたんだよ!?ねー、たまき先輩、一緒に謝りについてきてよぉ。一人じゃムリ」
「甘えちゃダメ!ちゃんと説明して謝れば、心悠も許してくれるから」
泣き真似をして、たまきに甘えようとするが、それもキッパリと断られ、紫露は肩を落とす。
「説明ぇ?前世のこととか?」
「そうじゃないでしょ?紫露がどんな気持ちでそんなこと言っちゃったのか。あと、仲直りしたいんだってことを正直に言えばいいの」
「えぇ〜……。ほんとに俺一人で?」
「一人で。それとも何?ほんとにもう心悠と関わらないでいいの?」
「良くない!……心悠先輩とも今まで通りでいたい」
「……なら、ちゃんと謝ってきて」
「うーーー……。わかった」
ようやく紫露が唸りながらも承諾したのを聞いて、たまきは満足した顔で頷いた。
その姿を見て梧は、たまきのどこか母親のような、姉のような一面に、顔を綻ばせたのだった。
その後、三人はしばらく他愛のない会話を交わして過ごした。
二人が帰ると言って立ち上がると、紫露は名残惜しそうに、玄関まで見送る。
「そーいや、アオくん、もう肋骨大丈夫なの?」
「あぁ、もうほとんど痛くはない」
脇腹から胸の辺りをさすりながら、梧は答えた。
「……なら良かったけどさー……。びっくりしたよ、撃たれたなんてさぁ」
何気なく言った紫露の言葉に、靴を履いていたたまきが動きを止めた。
「紫露!」
「えっ?何?」
急に名前を呼ばれて驚いた紫露は、青ざめた顔のたまきを見て、すぐに事情を察した。
「あっ……、いやっ、撃た、うたぁ……歌ってたら転んだんだっけ?」
そんな誤魔化しが、通用するはずもなかった。
「どういうことですか……?梧さん」
そう訊いてきたたまきの後ろで、紫露が手を合わせて謝っていたが、もはやそんなもの、なんの足しにもならなかった。




