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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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72 本当の家族じゃなくても

 しばらくそうして泣いた後、たまきが身じろぎをして顔をあげ、口を開く。

「……前世の紫露はさ……」

 梧は抱きしめていた腕を緩め、体を離した。……名残惜しくもあったが、話を遮らないよう気を払いながら、濡れた頬に張り付いた毛束をそっと直すだけにとどめ、二人を見守る。

 それに気づいていないかのように、たまきは紫露を見つめる。

「……サギリさんに育てられたんだよね」

 紫露は、洟をすすり上げながら頷いた。

「……うん。今は穏やかな父さんだけど、前世の親父はめっちゃ厳しくってさ、勝手な行動するとすげぇ重いゲンコツくらわされて、しつこく説教されんの」

 肩をすくめて、下唇を突き出して見せたが、その顔はどこか前世を懐かしみ、嬉しそうにも見えた。

 ……梧も前世を懐かしく思った。

 ままならないことばかりだったが、良いことがなかったわけではない。

 追憶の中の、生真面目で難しい顔をしたサギリを思い浮かべ、梧も苦笑した。

「……流石に殴られたことはないが、あいつの説教は長かったからな」

 サギリの怒る時の顔は真剣で、カザネにさえ反論を許さなかった。

「でっしょー?前と同じことやらかすと、“前にも言っただろう”から始まって、さらに長くてさー」

 紫露のモノマネを聞いて、梧はふっと笑う。

 サギリはさすがに、王族であるカザネに手を挙げるわけにはいかなかったのだろうが、国を離れた前世の紫露に、王族を背負わせず、のびのびと育ててくれたことが、伝わってきた。

 本当の親子のように過ごす二人を想像して、羨ましいよりも、安堵の気持ちの方が大きい。自然と梧の表情は緩んでいた。

「……サギリさんからは、本当のお父さんとお母さんのことは、全然聞いてなかったの?」

「あー……、う〜ん……」

 たまきの質問に、紫露は少し悩んでから、

「親父が本当の親父じゃないってことは知ってた」

 と、答えた。

 そのあと、まだ悩んでいるような顔の紫露を見て、二人は話し出すのをゆっくりと待つ。

「……親父は俺のこと、初めは森で拾ったって言ってたんだ。親父の中でも迷いはあったんだろうと思うけど、俺がケンカした拍子に、どうせ捨てられた孤児なんだって自虐したら、違うってすごい勢いで怒られてさ」

 二人の顔を確認しながら、紫露は話を進める。

「お前の両親はお前を捨てたわけじゃないし、そうしたくて、お前を一人にしたわけじゃないって……。その時初めて、両親が不(・)慮(・)の(・)事(・)故(・)でもういないんだって聞いた。だけど、それ以上のことは、何にも教えてくれなかった」

 今世での時雨の様子から見ても、サギリが話せなかったことは容易に想像できた。

 だがきっと、紫露にとっては自分の素性もわからず、モヤモヤが残っただろう。

 今世で、ようやくその全てを知ったのだ。

 ふとした疑問が、梧の胸に浮かんだ。

「…………お前は、俺やハルと会ったことがなかったのに、どうして今世で俺たちが両親だと、わかったんだ?」

 梧も、前世の紫露とは会わないまま死んでしまった。

 説明できない感情があったが、思い込みのせいか、紫露が子供だとは見抜けなかった。

「…………なんて言うんだろ。たまき先輩を初めて見た時も、記憶を取り戻してからアオくんと会った時も、なんか……、わかんないけど……、ずっと会いたかった人だなぁって思ったんだ」

 紫露は胸の辺りをさすりながら、思い出してはにかむような表情をした。

「……まぁ、たまき先輩は前世のことを覚えてなかったし、それを話すのは違うって思ったから、傍に居れればいいかなってあの時は思ってたけど」

「……ごめんね、覚えてなくて……」

 たまきがしゅんとした表情になる。

「あっ、違う、違う!そういうことじゃないから!覚えてなくて悲しーっていう気持ちはなかったよ。ホント。傍に居れるだけで嬉しいんだ。……だけどね、いつからか、二人が出会って、笑い合ってるのが見たいなってだんだん思うようになってさ」

「……俺が、ハルを探してたからか?」

「違うよ。俺が見たかったの。今日みたいに、ラブラブしてるとこ」

 そう言って、少しイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「なっ……」

 たまきはまた真っ赤になると、

「どうしてそういうこと言うの〜?」

 両手を顔を覆って俯く。

 梧の存在を忘れていたわけじゃないが、言われると意識してしまう。

 梧も紫露に言われて一瞬、面食らったが、照れるたまきの行動の方が可愛くて、その髪を優しく撫でた。

 

 紫露はその様子を頬杖をついて、満足げな顔で眺める。

 だが、その表情が徐々に曇り、緊張していく。

 二人は気づいていなかったが、

「……それで……さ」

 と、気まずそうな声を出したので、二人が顔を上げて、気づいた。

「……どうした?」

 梧が心配そうに声をかける。

 紫露は躊躇して視線を迷わせるが、やがて意を決したように梧に視線を戻し、

「……俺、二人のことを父さんと母さんだとは……思えない」

 と、苦しそうな顔で言った。

 二人は目を丸くし、互いに視線を合わせたあと、ふっと、同時に微笑んだ。

「……え?」

 紫露が驚くと、二人は紫露を見つめ、

「当たり前だろう?お前は杠葉さんと時雨の子供だ」

 梧がキッパリと言い、たまきが頷く。

「へ?……あっ、そうじゃなくて、前世のことだよ?二人の子供だけど、俺は、今世で二人と再会してもその実感がなくて……」

「うん。わかってるよ?……私も、紫露を“子供みたいだなぁ”とは思っても、自分の子供だとは思ってない」

 慌てる紫露に、たまきもにっこり笑って言った。

「“子供みたいだなぁ”は失礼じゃない?……まぁ……、たまき先輩はそうかもしんないけど……、でも、アオくんは記憶があるでしょ?……父親とは思えないって言われたら……ショックじゃない?」

 あまりにもあっさりと言ってのける二人に、紫露は直球で確認する。言いながら、手が震えた。

「……お前のことは間違いなく“特別”だ。他の誰とも違う感覚はある。……だが、正直、父親としての自覚があるかと言われれば、違うと思う。俺には覚悟も資格もないよ」

 言われて梧は、ほんの少し、ためらうように視線を下げたがすぐに顔を上げ、真面目な顔で、紫露に本音を吐露した。

「……資格なんて……!そんなの、いらないけど……。本当に?俺や父さんに、気を遣ってるんじゃなくて?」

 紫露は不安と安堵が入り混じるような、複雑な表情をした。

 喜んで良いのかわからなくて、結局困った顔になる。

「あぁ。……逆に、お前に対して申し訳ないんだが……」

 すまなそうな顔をした梧に、紫露は首を横に振った。

「良いよそんなの、おあいこだもん……」

 そうして少しの間、俯いたあと、顔を伺うように、上目遣いで二人を見た。

「……じゃ、じゃあさ……。…………俺が、二人のことそういうふうに思えなくても……、今まで通りでいてくれる?」

「当たり前でしょ?」

「あぁ。何も変わらない」

 二人は即答だった。

 紫露はそれが嬉しくて、込み上げる涙を堪えようと唇を噛んだ。我慢しようとすればするほど、顔がくしゃくしゃになる。

 だけど、結局堪えきれずに、両手で目を覆った。

「……っ、よ゙がっだ……」

 涙で濁る声でそう呟くと、たまきもまた、もらい泣きで涙が溢れ、梧のハンカチで目頭を押さえながら、俯いた。

 泣いている二人を見ながら、梧はたまきを胸元に引き寄せ、紫露の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。

「……んもー、やめてアオくん!」

 紫露はその手を振り払ったが、たまらず梧に抱きついてきた。

 梧は驚いたが、ふっと笑みをこぼして紫露にも腕を回して抱きとめる。

 ……紫露に対して、父親の自覚はないと梧は言った。今も父親だと言える自信はないけれど、こうして二人を抱きしめていると、とても温かな幸せを感じる。

 形は違えど、家族なのだと思えるくらいに。

 紫露とたまきの二人もまた、包まれるような暖かさの中で、同じ気持ちだった。


 紫露とたまきはしばらく泣き続け、ようやく涙が収まると、二人は梧の腕の中から抜け出した。

「……あー……、泣きすぎた。…………顔洗ってこよ」

 掠れた声で紫露が言って立ち上がる。

「あ、私も借りて良い?……」

 たまきが訊くと「どーぞ」と返事が返ってきて、紫露に駆け寄った。

 たまきが隣に並ぶと、涙でぐしょぐしょなままの顔で、

「初めてうちに来た時みたいだね」

 と、紫露が苦笑した。

 たまきも「確かに」と微笑む。

 

 あの日も、梧の胸の中で泣いたのだ。

 気づいたら、隣で紫露も泣いていて、思えばあの時もうすでに、二人がたまきにとって特別な存在だと、心のどこかで気づいていたのかもしれない。

 まだ遠慮ばかりしていた頃だったから、自覚はできなかったけど、腑に落ちた今なら、そう思える。


 さっと顔を洗ってたまきにタオルを貸し、紫露は「ゆっくり使っていいよ」と言って、先にリビングに戻って行った。

 たまきは顔を洗って、鏡の中の自分と見つめ合う。

 ひどい泣き顔だけど、不思議と気分は悪くなかった。

 人前で泣くことを躊躇わないなんて、こっちにきた頃には考えられなかった。

 特に梧の前ではこんな泣き顔、恥ずかしくて見せられないと思っていたのに、何度も泣いてしまって、その度に受け止めてくれることに、いつしか安心していた。

 鏡に映った胸元で、ネックレスの宝石が揺れる。


 二人と、……みんなと再(・)会(・)できて良かった。

 

 そんな思いに胸が熱くなる。

 たまきはリビングに戻り、梧の隣に座った。

 戻ってきたたまきを優しく見つめる梧の顔を、じっと見つめ返す。

「…………どうした?」

 梧が訝しげに眉間に皺を寄せた。

 たまきがはにかむような表情をした後、ゆっくりと口を開く。

「……梧さん。……私のこと……見つけてくれてありがとう」

 梧が見つけてくれなかったら、紫露とだって高校が別になって疎遠になったかもしれないし、緝や翠たちにも会えなかったかもしれない。

 ……今も、家族を失った悲しみから抜け出せず、病気に悲観し、生きることも……諦めてしまっていたかも。

 

 梧は、その言葉に面食らってしばらく硬直した後、たまきの頬に手を伸ばす。

 頬に触れると、たまきが目を閉じて、甘えるようにその手の方へ顔を傾けた。

 梧は胸の奥が締め付けられて、たまきの両頬を手のひらで包んだ。心臓が跳ねて高鳴るのを感じながら、目を閉じて、たまきと額を合わせる。

「……あぁ……。君も、俺のことを受け入れてくれてありがとう……」

 そう囁くと、たまきの腕がそっと梧の背中に回る。

 それを合図に二人はゆっくりと目を開き、吐息が混じるような至近距離で見つめ合った。

 心臓の音が、相手にも聞こえそうなほど強く響いて、二人は息を詰める。


「……ちょ……、ちょっと!?……ラブシーン始めないで!俺がいること忘れないでよ!」

 紫露が、キッチンから入れ直した紅茶を持って来ると、真っ赤な顔でそう言った。

 二人は慌てて距離を取り、梧は身なりを整える仕草をした。

「……わ、忘れていない」

 本当はこの一瞬、紫露の存在を忘れていた梧が、明らかに動揺した口調で言った。

 その隣でたまきが真っ赤な顔で、さっきまで梧が触れていた頬を押さえている。

「……本当かなぁ」

 と、疑いの目で紫露は二人を交互に見つめたあと、

「もー……、ラブラブを見たいとは言ったけどさぁ……。流石にそこまでは恥ずかしいっつーか…………」

 何やらぶつぶつ言いながら、紫露はそれぞれにティーカップを配った。


 紫露が淹れ直してくれた紅茶を飲んで、三人がホッと一息つくと、紫露が口火を切った。

「……んで?いつ結婚すんの?」

 言われてたまきは、飲んでいた紅茶を危うく吹き出しそうになった。

 かろうじてこぼさなかったが、むせこんで胸を抑える。

「……大丈夫か?」

 梧が背中をさすってくれてようやく収まると、

「……なんっ……、え?……どうして……」

 動揺して、うまく言葉にならない。

 どうして知ってるの?と言おうとしたが、むせて声がうまく出せなかった。紫露は片眉を跳ね上げて訝しげな表情をしている。

「……そんなに驚く?今すぐとは言ってないじゃん。いつ頃を考えてんのかなって思っただけだけど。…………えっ?もしかして、もうプロポーズしたとか?」

 あまりの反応に、口元に手を当てる。

 嬉しさに緩む口を抑えきれなかったのだ。

 結婚の話が出ていることを、紫露が知るはずもないよね、と、ひとまずホッとする。

「……それは、まだだ」

 喉を軽く鳴らして、梧が視線を迷わせながら答えた。

「そ(・)れ(・)は(・)?ふーん……」

 梧の言葉選びに引っかかったが、まだという言葉に消沈しつつ、紫露は紅茶を一口飲んでから、続けた。

「……まぁでもさ、アオくんは前からたまき先輩しか見えてないし、たまき先輩だって、結婚するなら、アオくんがいいでしょ?」

「……へっ!?……ちょっ……心悠と同じこと聞かないでよ」

 たまきは心悠から聞かれた時の自分の答えを思い出し、体を二つ折りにして膝に顔を埋めた。

 

 —————そりゃあ……!梧さんじゃなきゃ……嫌……。

 

 梧を目の前に、口に出すのは流石に恥ずかしい。

「……なん—————」

「……あー、そっか。心悠先輩にも、報告したんだね……」

 何か言おうとした梧の声は、紫露の言葉に遮られる。

 紫露は、口調を軽めに意識したようだったが、その声は沈んでいる。たまきは、はたと思い出して顔を上げた。

 途端に眉間に皺を寄せ、紫露を睨むような勢いで。

「そういえば、紫露、心悠と喧嘩したんだって?」

「えっ!?……いや、……喧嘩っつーか……、怒られたっていうか……」

「怒らせたんでしょ?」

 口籠る紫露に、たまきははっきりと言う。

 打って変わってタジタジになり、紫露は俯いて、

「……うん」

 と、弱々しく返事をした。

「もー。心悠には関係ないなんて、なんでそんなこと言ったの?」

「わ、わかんないよ。俺、あの時テンパっちゃって。母さんが家を出たのも俺と親父のせいだしさ、心悠先輩にバレて、“何したんだ!”って怒られるの嫌だったし、誤魔化す余裕もなくて…………つい…………」

「つい〜?……なんですぐに謝らなかったの?」

「謝ろうとしたよ!?だけど、謝る前に“ああ、そうだね”って、めっちゃ怖い顔してさぁ!“確かに、お前とは何の関係もないよな”って、ブチギレた顔して言うんだもん……。霜槻くんとか呼ぶし……、子供の頃から名前で呼んでて、そんなん呼ばれたことないのに……」

 萎んでいくように身を縮めて、ぶつぶつと言い訳やら口のようなものをこぼしている紫露に、

「もお!ぐちぐち言わない!スパッと謝ればいいだけでしょ!?」

 聞いていられなかったのか、たまきが一刀両断する。

 あまりそう言う姿を見たことがなかった梧は、そんなたまきを目を丸くして見つめた。

「そ、そんな簡単に言うけどさ!マジで見たことないくらいキレてたんだよ!?ねー、たまき先輩、一緒に謝りについてきてよぉ。一人じゃムリ」

「甘えちゃダメ!ちゃんと説明して謝れば、心悠も許してくれるから」

 泣き真似をして、たまきに甘えようとするが、それもキッパリと断られ、紫露は肩を落とす。

「説明ぇ?前世のこととか?」

「そうじゃないでしょ?紫露がどんな気持ちでそんなこと言っちゃったのか。あと、仲直りしたいんだってことを正直に言えばいいの」

「えぇ〜……。ほんとに俺一人で?」

「一人で。それとも何?ほんとにもう心悠と関わらないでいいの?」

「良くない!……心悠先輩とも今まで通りでいたい」

「……なら、ちゃんと謝ってきて」

「うーーー……。わかった」

 ようやく紫露が唸りながらも承諾したのを聞いて、たまきは満足した顔で頷いた。

 その姿を見て梧は、たまきのどこか母親のような、姉のような一面に、顔を綻ばせたのだった。


 その後、三人はしばらく他愛のない会話を交わして過ごした。

 二人が帰ると言って立ち上がると、紫露は名残惜しそうに、玄関まで見送る。

「そーいや、アオくん、もう肋骨大丈夫なの?」

「あぁ、もうほとんど痛くはない」

 脇腹から胸の辺りをさすりながら、梧は答えた。

「……なら良かったけどさー……。びっくりしたよ、撃たれたなんてさぁ」

 何気なく言った紫露の言葉に、靴を履いていたたまきが動きを止めた。

「紫露!」

「えっ?何?」

 急に名前を呼ばれて驚いた紫露は、青ざめた顔のたまきを見て、すぐに事情を察した。

「あっ……、いやっ、撃た、うたぁ……歌ってたら転んだんだっけ?」

 そんな誤魔化しが、通用するはずもなかった。

「どういうことですか……?梧さん」

 そう訊いてきたたまきの後ろで、紫露が手を合わせて謝っていたが、もはやそんなもの、なんの足しにもならなかった。

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