71 そのままでいいから
紫露と会う日の朝、梧はいつもより早く目が覚めて、ベッドの中でしばらく過ごしてみたものの二度寝もできず、そのまま起きることにした。
今日は、たまきとも告白の日以来久しぶりに会う。
あれから電話やメッセージを毎日のようにしていたが、怪我を心配したたまきが、なかなか会うとは言ってくれなかった。
数分でもいいから顔を見たかったが、ビデオ通話もまだ恥ずかしいと言って断られるし、正直恋人らしいことはまだできていない。
恋人らしいこと……という言葉が頭に浮かんだ時、たまきの家から帰るときにキスしたことを思い出して、顔がカッと熱くなった。
梧は自分の顔を両手で覆って俯く。
キス一つで恥じらう歳でもないのに、何を一人で照れているのかと自分で呆れてしまう。
あの日はとにかく舞い上がっていた。
ひとまず落ち着こうと、コーヒーを淹れるためにリビングへと向かう。
コーヒーメーカーをセッティングして、スイッチを入れながら、父の言葉を思い出していた。
—————君もしかして、恋愛経験ないの?
—————じゃあ、冴島さんがほぼ初恋ってこと?
図星をつかれて返す言葉もなかった。
不得手なことはわかっている。
年上である自分がしっかりしなくてはと思っているのに、たまきと思いが通じているとわかってから、彼女のことばかり考えていて、冷静ではいられなくなる。
会いたいし、触れていたい。
たまきの祖父の、結婚してほしいという申し出にも、内心舞い上がっていた。
帰る家に彼女が居ることを想像するだけで顔が緩み、そんな幸せなことがあっていいのだろうかと自分の幸運に感謝したくなる。
……だが、彼女にしてみればどうだろう。
あの日、突然の告白にも戸惑った上に、結婚の話まで出されてひどく驚いていた。
まだ結婚なんて考えてもみなかったのだろう。
まして、彼女は学生だ。その学びの時間を、梧や周りの都合で邪魔したくはない。
彼女には、受け止める時間が必要だというのもわかっているが、彼女の周りには以前カフェで会っていたような年頃の男もいる。
そういえば、二人きりで会うなんて、あの男とはどういう関係だったのだろう。
たまきが自分を好きだと言ってくれたことを疑うわけではないが、誰も手が出せないようにしてしまいたいという焦りは、日に日に増していた。
梧はリビングのソファーでコーヒーを飲みながら、一層深いため息をついた。
色々考えることはあるが、今日は紫露と向き合う日なのだということを思い出し、少し早いが身支度を始めようと立ち上がった。
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たまきは家の前で梧の迎えを待っていた。
告白されて付き合うことになってから、初めて梧と会う日だ。
電話もメッセージもほとんど途切れることなくしていたのに、実際に会うのはやっぱりそわそわしてしまう。
今日の目的はデートじゃなくて紫露と会うことだからと、何度も自分に言い聞かせても、浮かれてしまう自分がいる。
昨日の夜からどんな服装がいいか迷って、心悠に電話してようやく決めたけど、朝になって本当にこれでいいのか心配になってきた。
透け感のあるシアートップスに、肩にリボンのついたギャザーワンピ。足元は太めのヒールのローファーを合わせた。
普段ショートパンツかパンツスタイルにスニーカーが多いたまきにとって、スカートだけでも落ち着かないのに、こんなかわいい服は似合わないんじゃないかとか、子供っぽく見えちゃうんじゃないかとか、梧と釣り合わないのではと悩んでしまう。
落ち着かずに前髪を撫でて整えているうちに、梧の車が家の前に到着した。
緊張してたまきが口を引き結んで立っていると、梧は車から降りてきて、たまきの前に立った。
梧はTシャツの上にワイシャツを重ね着し、スラックスを履いたシンプルなスタイルだ。
シンプルでも清潔感があって爽やかで、かっこいい。
梧のことを見つめて固まっていると、
「……久しぶり……だな」
梧も少し緊張しているような声で言った。
「……はい……、お久しぶりです……」
梧の視線が、たまきの首元に落ちる。
ネックレスを見つけて、ふっと目を細めて梧が見つめるので、どうしたらいいかわからなくなった。
恥ずかしくて目を逸らしたいのに、逸らせない。
「……ネックレス、つけてくれてありがとう」
「あ、え、はい……」
梧が嬉しそうに微笑んだ。
そのまま黙ったままたまきから目を離さない。
「今日は……、いつもとは違う服装なんだな」
緊張して、たまきはショルダーバッグのストラップを握り締め、
「……に、似合ってませんよね?」
居た堪れなくなって確認すると、梧は慌てて首を横に振った。
「そんなことない。……似合ってる。可愛いよ」
言った梧も照れたように顔を赤くしながら、口元に手を当てて、一度ため息をつく。
ため息を聞いて、気を使わせてしまったのかなと思っていると、梧はたまきの頬へ手を伸ばしてきた。
優しく頬に触れた梧の表情が、真剣なものに変わっていく。
「……会いたかった」
その言葉に、たまきの心臓はぎゅっと握られたように縮んだあと、早鐘のように脈打った。
全身にぶわっと熱が広がっていく。
「……あわ……、あ……、え、し、紫露!紫露に、会いに行かないとっ!」
たまきがその熱い視線に耐えきれずにそう言うと、梧は一瞬驚いた顔をした後、我に返って口元を手で覆いながら、
「あ、あぁ。そうだな。そうだった」
と、本来の目的を思い出したようだった。
名残惜しそうにたまきを見つめながら、梧はゆっくりと踵を返し少し前を歩き始めた。
その梧の背中を見つめながら、たまきは自分の頬に手を当てた。
きっと今、たまきは茹で上がったタコのように真っ赤で、湯気を上げていそうだ。
こんな調子で今日一日持つだろうか。
たまきは深呼吸を一つしてから、梧の方へと急いだ。
だが、緊張でぎこちない動きだったのと、慣れないヒールの靴でつまずき、バランスを崩して「わっ……!」と声を上げた。
梧がその声に気づいて振り向く。
転ぶ……!!
立て直せずに、たまきは胸中でそう叫びながら、地面に向かって防御のための手を伸ばした。
梧は慌てて駆け寄りその手を取ると、たまきを引き寄せる。
そのまま腰に腕を回し、抱きしめた。
「……大丈夫か?」
間一髪、たまきを助けられて、梧はほっと息をついて訊いた。
「ありがとうございます!だいじょ……う……ぶ」
お礼を言いながら顔を上げると、梧の顔がすぐそこにあって、
「うひゃぉ!」
たまきは奇声を上げてのけぞった。
本当は梧の腕から抜け出て離れようとしたのだが、思いのほか梧ががっちり腰をホールドしていて、のけぞるだけになってしまった。
梧の綺麗な顔は至近距離にあるし、自分が変な声を上げたことも恥ずかしくて、たまきは真っ赤になりながら息を詰め、自分の口を両手で押さえた。
「……ふっ…………、はははっ」
少しの間を置いて、梧が笑った。
笑われたことに驚いてたまきが目を丸くしていると、梧は腕を緩める。
愛おしそうに目を細めて見つめながら、たまきの髪をサラッと撫でた。
「怪我はないな?」
もう一度確認されて、たまきはぷはっと呼吸を再開し、「は……はい」と、頷いた。
それを聞いて梧はたまきの頬を軽くむにっとつまむと、
「……なら良かった。気をつけて」
そう言って、優しくたまきの背中に手を添え、車までゆっくりと並んでエスコートしてくれる。
車に乗り込むと、たまきは恥ずかしさで火照る顔を手で仰いだ。
変なやつだと思われただろうなぁと心配しながら、ちらっと、梧の様子を横目で確認すると、肋骨のあたりに手を当てているのが見えて、たまきは青ざめる。
「い、痛むんですか?ごめんなさい、私がコケたから……」
言われて、梧は一瞬目を見開いたが、すぐに微笑んで首を横に振った。
「もうほとんど痛まないから心配するな。痛かった時の名残で触れる癖がついてしまっただけだから」
「…………ホント、ですか?」
疑うような眼差しで、たまきが口を尖らせる。
たまきは至極真面目に聞いているのに、梧はなんだか嬉しそうに微笑んでいる。
たまきの頬にそっと触れると、
「本当だ。信じてくれ」
と、優しい声で答えた。
その表情と声で言われると、疑えるわけがない。
たまきはなんだか上手く誤魔化された気もしつつ、
「それなら……いいですけど……」
と、納得することにした。
そこから霜槻家に着くまでの間は、打って変わって二人は静かになった。
たまきは恥ずかしさから話題が思い浮かばなかったが、運転している梧の横顔は、なんとなく緊張しているように見えた。
梧の様子を気にしつつ、たまきも少しずつ緊張してきた。
紫露と会うのは、本当に久しぶりだ。
パブリックビューイング以来だろうか。
紫露が前世でハルとカザネの子供だったと聞いても、もちろんたまきは覚えていない。
そんなたまきのことを、紫露はどんな気持ちで見ていたんだろう。
前と同じように紫露と話せるか、たまきは少し心配だった。
最寄りの駐車場に車を止め、霜槻家への道を歩く間も、二人の口数は少なく、梧の顔はこわばっている。
「……あの」
気になって、たまきは梧に声をかける。
梧は驚いて足を止め、
「ん?……悪い、何か……、話しかけてくれていたか?」
そう言うと、気まずそうに顔を顰めた。
たまきは首を横に振る。
「いえ!声をかけたのは今だけで……。梧さん、体調悪いですか?」
「いや、悪くない。……悪くないが……」
言い淀む梧の浮かない顔を見上げて、
「……緊張してますか?」
と、たまきは訊いた。
梧は目を見開いてから、落ち着かない様子でうなじを撫でた。
「……あぁ、少しな」
ため息混じりにそう答えると、たまきは少しの間、考えるような表情をしたあと、手のひらを差し出した。
「……ん?」
意味がわからず、梧が軽く首を傾げた。
「ど、どうぞ。…………梧さん、私が不安な時、手を繋いでいてくれたから……。私の手で良ければ……」
たまきは照れつつも、手を梧の方へとさらに伸ばす。
虚をつかれて、梧は一瞬その手を眺めて固まったが、ためらいがちにその手を取り、握りしめた。
「……ありがとう」
梧は穏やかで優しい笑みを浮かべる。
その、嬉しそうな顔に、たまきの心臓はドキっと大きく脈を打った。
大きな梧の手がたまきの手をすっぽりと包んで、その熱が伝わってくる。
梧は握った手をするりと滑らせ、たまきと指を絡ませると、恋人繋ぎにした。
あまりのスムーズさに、たまきがえっ?と驚いている間に、
「……行こう、紫露が待ってる」
と、その手を引いて歩き出した。
梧は足元を気遣い、歩調を気にしながら時折視線を送ってきて、たまきと目が合うと、柔らかく微笑む。
言い出したのはたまきだったが、どうしよう、霜槻家まで辿り着けるかわからないほど、胸のドキドキは収まりそうもなかった。
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「…………なんでそんな真っ赤なの、二人とも…………」
玄関を開けた紫露が、驚いた顔で梧とたまきの顔を見比べながらそう言った。
「えっ?うそ!」
自分の顔が赤いだろうという自覚はあったが、梧も顔を赤くしているなんて思いもよらず、たまきは顔をあげて梧の方を見た。
梧はサッと顔を逸らし、口元を押さえて顔を隠すが、耳が赤いのは隠しきれていない。
手を繋いで歩いただけで照れてるなんて子供っぽくて呆れられちゃうかもなんて思っていたけど、梧も同じだったなんて、たまきはなんだか嬉しくもあり、照れている梧を見たいという興味もありつつ、顔を覗き込もうとした。
気づいた梧が視線を遮るようにたまきの顔に手をかざす。
「あ、ちょ……、梧さん?……見えない」
たまきはその手をどけようと手を掴むが、
「……こら」
梧がまったく迫力のない声で嗜める。
「…………あのさ。俺にラブラブを見せつけにきたわけ?」
その犬も食わないやり取りを見つめて、紫露が冷静な声で言った。
声は冷静だったが、その顔は二人に釣られて赤くなっている。
「ち、違うよ!」
「まぁ……いいから入ってよ」
たまきの否定を軽く流して、紫露がリビングに案内する。
時雨たちはまだ帰ってきていなくて、霞も仕事でいないらしい。霞がたまきと会いたがっていたと、紫露が飲み物を準備しながら教えてくれた。
梧とたまきが、リビングのソファーに並んで座ると、紫露が紅茶に市販のお菓子を添えて運んでくる。
紫露もダイニングに近い一人用のスツールに座ると、二人の方を見つめ、
「で?なんでそんな照れてんの?やらしーことでもしてきた?」
と聞いた。その顔が、少しニヤついている。たまきが思わず「はぁ!?」と声を上げた。
「すっ、するわけないでしょ!?」
たまきが否定すると、梧も慌てて紫露の頭を軽く拳で小突いた。
「いて」
さほど痛くもないのに声を上げて頭を抑える。
梧はその紫露を睨みつけ、
「何を考えているんだ、お前は」
と、低い声で嗜めるように言った。
「なにって……、じゃあ、なんでそんな照れてんの?たまき先輩ほど真っ赤じゃないけど、アオくんまで顔赤いんだもん。手ェ繋いだくらいじゃそんなにならなくない?」
過剰とも言える二人の反応に紫露がツッコミを入れると、二人は顔を逸らす。
「……え。まじで?手ェ繋いだだけ?」
二人は黙ったまま答えない。
「……嘘でしょ……。今どき小学生でもそんな照れないでしょ……。どんだけ純情なの?」
「……もぉ!紫露!?」
少し大袈裟に驚いてみせた紫露に、たまきはたまらず頬を膨らませ、口を尖らせて睨みつけると、拳を作って振り上げる。
本当に殴るつもりはなく、フリだとわかっていて、紫露も腕を構えてガードのポーズをとった。
「……ははっ、ごめん」
そう言うと、視線を少し下げて、息を吐く。
その様子を見て、たまきは腕をおろした。
「……嬉しくってさぁ。二人が付き合ったって聞いて……。ちょっとからかっちゃった。ごめんね」
眉尻を下げて、今度は穏やかに、本当に嬉しそうに微笑む紫露に、梧もたまきも少ししんみりと胸に迫るものがあった。
「……許してやんない」
だけど、たまきはあえてそう言うと、ぷいっと顔を横にそらして見せた。
「……えっ!……それはないでしょ?今は、もう紫露ってば、仕方ないなぁ……で、許してくれる感じの流れじゃん?」
慌てた紫露に、
「そんなの知らないよ。…………パパとママをからかうなんて、許せません」
たまきは少しだけ緊張しながら、わざとそんな言い方をした。
梧と紫露が、ぎくっと体をこわばらせる。
一瞬息を詰めた紫露が、はぁ、と息を吐いて、苦笑した。
「……そりゃ、そーか」
少し間をおいて、紫露が上目遣いで二人を見ると、
「……俺の前世、聞いたんだよね」
と、言った。
紫露は少し俯いた。その表情に、後ろめたさや罪悪感のようなものが滲む。
たまきはその時、紫露が前世の話をした時のことを思い出した。
あの時のたまきは、何にも知らなかった。
そんなたまきに前世の話がするのは、勇気が必要だっただろうと今になって思う。
あの時、とても驚いて、紫露がどんな表情をしていたのか、ちゃんと覚えていない。
だけど、あの時の紫露もこんな表情だったんじゃないだろうか。
「驚いたでしょ?……生きてたなんてさ」
紫露の表情が、暗くなる。
…………なんで?
たまきの心に、疑問が浮かぶ。
紫露の表情が理解できなかった。
生きていたことは嬉しいことじゃないの?
たまきは、紫露の前世を詳しく聞いたわけじゃない。
だからわからないけど、もしかして—————、
「…………お前は、幸せじゃなかったのか?」
たまきが聞きたかったことを、梧が口にした。
紫露は驚いて、顔を上げる。
首を横に振りながら、
「幸せだったよ!……俺は、幸せな人生だったって、言える」
そう答えながら、また俯きがちになる。
「……なら、よかったじゃないか。なんでそんな顔するんだ」
「……だって二人は死んじゃったのに……、俺だけ生き残ってさ、何にも知らずに、幸せに過ごしちゃって……」
「それの何が悪いんだ?」
梧は本当に何が悪いのかわからないという顔をしている。
「……え?」
紫露は眉根を寄せた。
「俺たちが死んでしまったことはお前には関係ないんだから、何も知らずに幸せになって良いんだ」
梧は穏やかに、優しく目を細めた。
その表情に、たまきもほっとして、胸が熱くなる。
たまきにハルの記憶はないが、たまきも、紫露の前世が幸せだったなら、それでいいと思った。
紫露は口を引き結んで、泣きそうな顔に歪んでいった。
「……なんで」
それ以上何も言えないまま、俯く。
「……サギリは、やはり、お前を立派に育ててくれたようだな」
確信をもって言った梧の言葉に、紫露が堪えきれず、泣き出した。
たまきも釣られて、目の奥がジンと熱くなる。
それを唇を噛んで、俯きながら堪えた。
軽く息を吐きながら目を閉じると、小学生の時に出会ってから今までの紫露との思い出が、明かりが灯るように、ぽつりぽつりと思い出された。まるで風の中に舞っている雪のように、それらが一つ一つ着地して、降り積もっていく。
その時には気にも留めていなかった紫露との些細な会話や、交わした言葉……、紫露の泣き顔や笑顔、真剣な眼差し全てが、少しずつ、違って見えてくる。
それが押し寄せて、たまきは胸元を押さえた。
—————ママじゃなくていいよ。
いつだったか、紫露がたまきに言った言葉が耳元に蘇って、たまきは目を開いた。
あのときは、意味がわからなかった。
あれは、たまきが“ママじゃなくてごめんね?“と言った後の、紫露の返事だ。
—————お願いだから、元気で長生きしてね。
紫露はその後、そう続けた。
ようやく、腑に落ちた気がした。
そうか、紫露は…………前世のその子は、ママを亡くしてる。
たまきが言った“ママじゃなくてごめんね”が、違う意味を持った。
今世では、ママじゃなくてごめんね。
たまきにそんなつもりは、一切なかった。
でも、紫露の耳にはそう聞こえたんだろう。
だから、あの時紫露が言いたかったのは、こういうことなのだ。
—————ママじゃなくていいよ。
たまき先輩のままでいいから、お願いだから、元気で長生きしてね。
たまきの病気を心配しただけじゃなかった。
前世の紫露が生まれた時には、もう父も母も、居なかったから。一緒に過ごすことも、言葉を交わすこともできなかった。
だけど今世では別の形で、親子じゃなくていいから、これからも一緒に過ごしたいという、そんな気持ちだったんだ。
「…………そっか。……そうなんだ」
腑に落ちた途端、たまきの目からとめどなく涙が溢れてくる。
「たまき?」
「……たまき先輩!?」
驚く二人に、たまきは涙をこぼしながら微笑んだ。
これは悲しいわけじゃない。
思い出の一つ一つが、愛おしくて、あったかい。
二人が驚いた顔で、たまきを見つめる。
「大丈夫か?」
梧は心配そうに聞いた。
たまきは頷く。
「……大丈夫です。これは……、嬉し涙だから」
そう言うと、梧も表情を緩め、「……そうか」と、声も優しく穏やかになった。
指先でたまきの涙を軽く拭った後、ハンカチを差し出し、紫露にはポケットティッシュを渡す。
たまきは梧のハンカチを受け取って、目を押さえるが、涙はまだ止まらなかった。
「……一緒に、長生きしたいね」
あの時も、同じように紫露に言ったけど、今日は本当に、心からそう思って呟いた。
目を覆っているたまきは、その言葉に梧が目を見開き、拳を握りしめたことには、気づけなかった。
たまきが言う“長生き”には、他の人が言うのとは違った重みがある。
「……絶対してよ……、俺もするし、……アオくんもだよ」
紫露も止まらない涙をティッシュで拭いながら、ぐしゃぐしゃになっていく顔で、梧の方を見た。
梧もまた、堪えるように奥歯を噛み締めると、決意を固めたような眼差しで紫露を見つめ、静かに頷く。
拳を開き、隣で泣いているたまきに腕を伸ばすと、優しく抱き寄せた。
たまきが驚いてハンカチを外す。
「あ、梧さん?」
「長く……一緒に過ごそう。……みんなで」
そう、呟いた梧の声を聞いて、また涙が込み上げてくる。
たまきは梧の胸に顔を埋めて泣きながら、何度も頷く。
紫露もまた、涙をこぼしながら、そんな二人を眺めて微笑んだのだった。




