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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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長くなったんで、分けました。

 その頃のサギリといえば、身分が低く、かといって上司に取り入っておべっかも使えないような生真面目な性格のせいで、出世も望めず、腐っていた。

 休暇の日、城下に降りても、そのくさくさした気持ちが晴れるわけでもない。

 

 その時、シェーナはその異質な容姿のせいで男たちに絡まれていた。

 往来で旅人に難癖をつけて横柄な態度を取っていた男たちを不快に思って止めに入り、日頃の鬱憤を晴らすようにサギリはその男たちを一人でねじ伏せ、シェーナを連れてその場から逃げた。


 冷静になってみれば、フードを目深に被った仮面の旅人はどこからどう見ても怪しかった。

「……助けていただいて、ありがとうございます」

 しかし、その凜とした透明感のある涼やかな声は、サギリのささくれ立った心を優しく一瞬で宥めてしまった。

 単純なもので、その途端に彼女のことが気になって仕方がなく、けれど女性の扱いに慣れていなかったサギリは、シェーナに対してまるで、罪人の尋問のような質問攻めをした。

 どこからきたのか、何をしているのか、旅の目的は何か……、話の中で出てきた、星読みやら風のものという聞き慣れない単語を、それは何なのかと問い詰めるように訊く。

 だが、シェーナはそれに対して、怒ることも嫌な顔もしないで、誠実に一つ一つ、サギリが納得するまで丁寧に説明した。

 その会話は後半、大したことのない質問になっていき、シェーナの声を聞いていたいという、サギリの欲を満たすだけのものだったと思う。

 

 シェーナにしてみれば迷惑だっただろうと思うのに、ふと彼女が、「……面白い方ですね」と、控えめな笑い声を上げると、サギリは心臓を射抜かれたようになって、その日のうちに恋に落ちてしまったのだった。


 彼女と次会う約束をして別れると、サギリは町へ出た時とは真逆の清々しい気持ちで兵士の詰め所に戻った。

 くだらない上司や先輩の嫌味も、気味悪がって課されたきつい鍛錬も苦にならない。

 まぁ、もとよりサギリは身分が低いだけで彼らより腕は立ったし、鍛錬自体を嫌がる性格でもなかったので、早々に彼らはサギリの変化には興味を失っていった。

 

 その後も何度か彼女と会い、彼女の態度もだんだんと打ち解けてきて、サギリはそれだけで幸せだった。

 ただ彼女は、国にいる間滞在している宿も、仮面の下の素顔も、なかなか見せてはくれなかった。

 宿はゼンが管理している止まり木の宿だったが、その場所も止まり木の存在も、サギリが知ったのはシェーナがサギリの元を去ってカザネに出逢った後のことで、シェーナは風のものとして止まり木の宿をかたくなに守り通したのだった。

 

 

 ……何年かの間、シェーナは旅に出てはサギリの元を訪ねる日々を繰り返した。

 のちのスイやハルのように。

 当時のサギリは、風のものにとってそれが珍しいことだとは知らなかったが、サギリは別れと再会を繰り返すたびにシェーナへの思いを募らせていった。

 そしてある時、サギリは自分の想いを抑えきれず、一口のかまどと古びた井戸のある一間しかない小さな小屋のような家を借り、そこに一緒に住まないか、と、告白をした。

 

 シェーナは明らかに戸惑い、そして、ようやくその素顔をサギリに見せた。

 

 —————こんな容貌の私では、あなたに相応しくはありません。


 だが、サギリは引かなかった。

 下級騎士のサギリは、ひどい怪我で使い捨てられる騎士を何人も見てきたし、そんな程度のことでは驚かない。

 それはシェーナの魅力を損なうものではないと言って想いを再度伝えると、シェーナはひどく驚いていたが、生真面目な騎士らしいと言うべきか、決して引こうとしないサギリの様子に、最後には静かに頷いてくれた。


 だけど……、シェーナと過ごしたのは、その日一晩だけだった。


 翌朝になると、シェーナの姿は街中どこを探しても見つからず、それからもう二度とその国を訪ねてくることはなかった。


 最後に過ごした一晩に、シェーナは夜空の星を指し示して、サギリの未来を占った。


 —————あなたは、あなたの一生をかけてお仕えする方に出逢えます。今まで燻ってきた想いも、今この瞬間も、全てが噛み合い、このために過去があったのだと報われるときが、必ず訪れますよ。


 —————あぁ、そうだな。あなたが居れば……それも叶うかもしれない。

 

 サギリはその日浮かれていて、そんな風に答えて、真剣に受け止めていなかったように思う。

 シェーナはそれには答えなかった。

 きっとその時にはもう、シェーナはサギリの元を去ることを、決めていたというのに、サギリは全く気付いてもいなかったのだった。


 ——————————————


 一通り語り終えて、傍らにいる杠葉に視線を向けると、はらはらと涙を流していた。

「……杠葉さん!?」

 驚いて声を上げた時雨の胸に、杠葉は顔をうずめた。

 それを優しく抱き留めながらも、時雨はその涙の意味を計りかねて戸惑っていた。

 何と声をかけるべきかがわからない。

「……ごめんなさい。びっくりしたでしょう……。私もなんだかわからないけれど涙が止まらないの」

 杠葉がくぐもった声でそう言うと、時雨は杠葉の髪に口づけて優しくその背中を撫でた。涙が落ち着くまで、何も言わずにそれを続ける。

 杠葉の背中を撫でるたび、時雨の胸の奥で絡まり続けていた、立ち去ったシェーナへの後悔が解けていくような気がした。

 直接そのことについて、杠葉がシェーナの気持ちを説明してくれるわけでもないし、彼女が覚えているわけではない。

 だけど、この涙はシェーナのための涙で、シェーナがサギリを想ってくれていた涙に思えて、それだけで救われる気がした。

「……その後のシェーナのこと、あなたは知っているの?」

「……いいえ。風のものが宿にしていた止まり木のゼンであれば、探せたかもしれません。だけど……俺は知るのが怖くて……」

 そう言うと、杠葉は涙を流しながらも、ふふっと笑った。

「え?」

 時雨が杠葉の顔を見ようと覗き込むが、杠葉は顔を胸に押し付けたまま顔を逸らす。

「……あなたって本当に臆病なのね……」

 その声が聞こえて、時雨はため息をついた。

「……そうですよ?……幻滅した?嫌いになりますか?」

 どこか拗ねたような口調で言いながら、時雨は腕の力を緩めようとはしなかった。

「しないしならないわ。そんなわけないでしょう?」

 杠葉も時雨の背中に腕を回して、負けじと力を込める。

 ふっと笑った時雨の息遣いに、杠葉はまだ濡れたままの顔を上げ、時雨を見上げた。

 時雨はその頬を指先で拭って頬にキスすると、耳まで赤くなりながら抱きしめる。

 その照れた様子の時雨に、杠葉はふと笑みをこぼしたあと、真剣な眼差しを時雨に向けた。

「……シェーナの言った“お仕えする方”って、梧くんのこと?」

 そう言われて、時雨は杠葉の顔を見下ろした。

 時雨は遠慮がちに頷く。

「……前世では……守り切れませんでしたけど……」

 そう言って苦痛に顔を顰めた時雨に、杠葉は優しく頬を撫で、微笑みかける。

 その手を取って、頬を摺り寄せながら、時雨はぎこちなく笑みを返した。

「……紫露の前世は……誰の子なの?」

 杠葉の声が、僅かに震えた。

 時雨はハッとして、頬を覆う杠葉の手のひらにキスした後、その手のひらを自分の胸に押し当てながらぎゅっと抱き寄せる。

 

「……大丈夫よ。教えて、時雨さん」

 それが杠葉を心配しての行動だということがわかる。

 杠葉の言葉の半分は強がりだったけれど、杠葉は時雨の背中を撫でた。

 これも、聞かなきゃいけないことだと思ったから。

「……梧の……、カザネ様の子供……です」

 ああ、やっぱり。

 杠葉は胸中で呟いた。

 紫露が生まれた時の時雨の様子、その後、梧に会わせたがったあの態度、全てが繋がっていく。

「でも、今世では俺たちの子です」

 抱きしめてくる時雨の腕に、また一層力がこもる。

「……わかっているわ」

 杠葉はポンポンと背中を優しく叩いた。

 ずっと不安だったけれど、時雨の本音で冷静になって紫露のことも思い返すと、彼だって梧を父親だと思って見つめているわけではないことは明白だった。

「……母親は、たまきちゃんの前世なの?」

「……はい……」

 時雨が杠葉の顔色を窺うような目つきをした。

 その行動に杠葉が眉根を寄せて首をかしげる。

「なあに?」

 杠葉が時雨が言い淀んでいることを促す。

「二人は……あの子を見ることなく、亡くなってしまいました……」

 今度は時雨の声が震えた。

 杠葉は、その言葉に喉が詰まる。

 まさか、一目も会えないまま、二人とも子供を置いて死んでしまったというの?

 杠葉は家を出る前、時雨に対してなんてバカな質問をしてしまったのだろうと思った。


 —————もしも、あなたが思い描くような幸せが、梧くんや、……他の周りの人に訪れなかったら、時雨さんはどうする?


 後悔に苦しんでいた時雨に対して、なんて残酷な質問だったんだろう。


「……ごめんなさい、時雨さん。……許してなんて言えないわ」

「……えっ?どうして……。どうしたの?杠葉さん」

 驚いて時雨は顔を上げると、杠葉は目を伏せて苦悶の表情をしている。

 慌ててその両頬を両手で包み込んだが、杠葉はそれでも申し訳なさから顔を逸らそうとして、

「だって、あなたになんてひどい質問を……」

 と、首元を押さえる。

 時雨はそれが何のことを言っているかわかって、時雨は杠葉の額と頬にキスを落とした後、唇を優しく重ねる。

「っ、……時雨さん?」

 驚いて、思わず時雨の胸を押して唇を離し、その顔を見上げると、時雨は眉間にしわを寄せていた。

「……謝る必要なんてないし、俺があなたを許さないなんてありえないよ」

「……だけど……」

「あの質問については、俺もあの後よく考えた。俺のことだから、相手にとって何が幸せかを決めつけて暴走してしまうかもしれないし、思ったとおりにならなかったら自分のせいだと思って、せっかく手に入れたあなたとの幸せからも離れようとしてしまうかもしれない……。それってあなたやみんなのこともないがしろにしているし、本末転倒だ。あなたの言葉で、俺は気づけて、冷静になれた」

 時雨の目が、優しく甘く細められる。

 杠葉の瞳をしっかりと見つめながら、嬉しそうに微笑み、杠葉と額を合わせて幸せそうに目を閉じる。

「……この質問みたいに、杠葉さんが俺の手綱を握って暴走しそうになったら止めて。あなたが居ないと、俺はもうだめだから」

 ……少しずつ、時雨の敬語が、まるで完璧を装っていた仮面をはがすように取れていく。

 幻滅するどころか、その不器用さや表現の素直さに、時雨への想いが溢れて思わず、杠葉の方から短く触れるだけの口づけをした。

「……ありがとう、時雨さん」

 時雨は驚いてしばし何が起きたのかと目を瞬いていたが、やがて頬を緩ませて杠葉を強く抱き寄せると、時雨の方から唇をふさいだ。今度は長く深いキスを交わし、強く抱きしめ合う。

「幸せ過ぎて、死んでしまうかも」

「やめて、冗談でも嫌よ」

「……ごめん」

 優しく心地よいスウェーデンの風が、テラスを吹き抜ける。

 そんな風に幸せそうに笑いあう二人を、窓の隙間から子供たちとヴィヴェカが見守っていたことなど、二人は知らなかった。

 

 ————————————————————


「良かったですねぇ」

 翠が、ほっとしたような声を出した。

 時雨が杠葉を迎えに行ってから、一週間が経過した頃、ようやく梧たちの元に“もうすぐ帰るよ”という連絡が入った。

 どうやら仲直り自体は行ったその日にできたようだったが、なんだか新婚の頃を思い出したらしく、ちょうど白夜のお祭りもあったようで仕切り直しのハネムーン気分で仲睦まじく満喫していたらしい。

「そうだな。まぁ……もう少し早く教えてくれても良かったけどな」

 骨折の痛みもだいぶ引いて、出社し始めた梧がため息交じりにそう答えた。

 梧は心配してだいぶ気を揉んでいたから、仲直りしていたのなら早く言ってほしかったのだろう。

「……海風さんも良かったですね。お嬢さんと付き合ったんでしょう?……霜槻さんには報告したんですか?」

 ほんの少しだけからかいの雰囲気をにじませた翠の言葉を聞いて、梧は睨みつける。

 しかしそれは照れが混じって全く迫力がなく、翠ももう梧を怖がっていないのもあって、笑顔で躱されてしまった。

 翠は軽やかにキーボードをはじいている。

「俺からは……まだ。……多分霞さんあたりが察して報告しているだろうけどな……」

 頭を指先で掻きつつ梧はそう言うと、自分も難しい顔でパソコンに向かった。

「……」

 仕事に集中しつつも、梧はため息とまではいかない呼吸を何度か繰り返した。

「……どうかしました?何か問題でも?」

 さすがに気になって、翠は声をかけた。

「ん?……あぁ、いや。仕事に問題はない。……悪い。何かしていたか?無意識だった」

 顎のあたりを撫でて、梧は眉尻を下げた。

「えぇっと、ため息……ですかね。何度もついていたので。何か、ありました?」

 翠の質問に、梧は離すのをためらうようにまた息を吐いた。

「……週末に、紫露と話すことになっているんだ。……その……前世のことで」

「……あー……、霜槻さんの息子さんの」

「そうだ……」

 軽い口調で答える翠とは対照的に、梧の顔は緊張している。

 翠は机の引き出しを開き、しまってある箱の中から、お菓子を一つ取り出した。ビターチョコレートをクッキーでサンドしたお菓子だ。

 それを立ち上がって梧に差し出すと、梧は目を丸くしつつも受け取った。

 翠は自分の席に戻って、箱から自分の分を取り出すと、すぐに封を切って口の中に放り込んだ。

 なぜこのお菓子を渡されたのかわからないまま、呆然と翠を見つめる。

「……この間、その紫露くんが緝くんを訪ねてきて、手土産でくれたんです。ずいぶん気の利いた息子さんですよね」

「……紫露が?」

 受け取ったお菓子のパッケージを見つめつつ、梧が呟く。

 スーパーで売っているものではなく、デパートのようなところでちゃんとお土産として売っているような品だった。

 霞さんが助言でもしたのだろうか。

「何で、紫露は森庵に会いに行ったんだ?」

「それは言いませんよ、守秘義務です。知りたかったら紫露くんに訊いてみてください」

 疑問を口にすると、翠は人差し指を口元に持っていってニヤッと笑った。

 わざわざ守秘義務と言ってその表情をするあたり翠のいたずら心が垣間見えた気がしたが、紫露が聞きたがったことをここで翠に問いただすというのも、確かに良くないと思い直して頷いた。

「俺が言いたかったのは、紫露くんはもう大人だってことですよ。その手土産だって自分で考えて買ってきてくれたんですから。ご両親の教育の賜物だとは思いますが、彼も、海風さんが聞きたいことを答えられるくらいには大人だと思いますよ。そんなに心配しないで、気楽に話したらいいと思います。あなたと彼の間には、些細なことでは壊れないくらいに深い絆があると思いますから」

 そう言うと、翠は自分用にもう一つそのお菓子を引き出しから取り出しつつ、「コーヒーでも入れましょうかね」と、部屋を出て行った。

 梧は、翠らしい気遣いと聞かされた紫露の成長に、ふっと微笑んだ。

 封を切ると、そのお菓子を一口食べたところへ、翠がコーヒーを持って戻ってきて、「美味しいでしょう?」と梧の机の上に置いた。

「……ちょっと甘いがな」

 と、正直にそう返すと、翠は片眉を跳ね上げた後、ははっと笑って、「素直じゃありませんねぇ」と一言いい残して自分の席に戻って行った。

 翠の“美味しいでしょう?”は、好みの味かどうかではなく、紫露が買ってくれた手土産がどうかという話なのだから、梧の答えが素直ではないのは確かだった。

 翠の淹れてくれたコーヒーを一口飲んで、梧は残りの分も食べると、コーヒーをまた飲んでから、仕事に戻った。

 紫露とどんなふうに話そうか、まだ頭の中でまとまらなかったが、気持ちは随分と軽くなったのだった。

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