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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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 家に帰ると、まだ夕飯までに時間があったのでたまきは部屋に上がって、梧に“帰ってきました”と連絡した。

 するとメッセージが既読になったかと思うと、すぐに電話がかかってきた。

『……おかえり』

 たまきが何かを言う前に、梧が優しい声でそう言った。

「…………」

 梧にその言葉を言われて嬉しいような、でも少し気恥ずかしい気がして、たまきはすぐに言葉が出てこなかった。

 自分で梧にお帰りなさいと言ったときは、何も考えずに言ってしまったけど……、梧もこんな気持ちだったんだろうか。

『…………たまき?』

 何も答えないたまきを案じて、梧が名前を呼ぶ。

「……あっ、ごめんなさい。ただいま……帰りました」

 なんて答えたらいいかわからなくて、妙に硬い返事になる。

『どうした?出かけて、疲れたのか?』

 それを訝しみ、梧はまだ気遣わしげな声で聞いた。

「いえ!疲れてないです。心悠と喋ってきただけなので……」

『あぁ、御堂と出かけていたのか。……楽しかったか?』

 梧はふと安堵した声を出した。

 たまきは、疲れているわけじゃないとわかって梧がほっとしてくれたのだと思って、優しいなぁと自然と頬が緩んだ。

「はい。久々に色々話せて楽しかったです」

『…………そうか。それなら良かった』

 そう言ってくれた声色を聞いて、梧が微笑んでいる感じがする。

 そんなちょっとした気づきにも嬉しくなって、ますますニヤけてしまう。

 落ち着かなく思いながらベッドに寝転がると、枕元にいたリスのぬいぐるみを引き寄せて、ぎゅっと抱きしめた。

 

『それで……、メッセージで話したことなんだが……』

 梧がそう切り出して、たまきは電話の目的を思い出した。

 体を起こすと、

「あ……、紫露のこと……でしたね」

 と、見られているわけでもないのに居住まいを正し、リスのぬいぐるみを自分の隣に座らせた。

『あぁ。紫露の……前世のことなんだ』

「…………紫露の、前世?」

 霜槻家の深刻な話かと思って身構えていたたまきは、想像していた話と違って、戸惑った。


 紫露の前世が誰なのかなんて、考えもしなかった。

 前世の話を初めて紫露から聞いたとき、紫露自身はハルを知らないが父から聞いた、と言っていた気がする。

 それは紫露にも前世があるけれど、ハルのことは直接知らない、という意味だろう。

  

 たまきが黙っていると、梧が話し出そうとする静かな息遣いが聞こえた。

『……カザネとハルの間に、子供がいたと言っただろう?……それが、紫露の前世だった』

「えっ?」

 たまきはそれを聞いて驚いた。

「…………二人の子供って、死んじゃったんじゃ……」

 言いながら、たまきの胸は騒めいて落ち着かなくなる。

 紫露が、ハルさんとカザネさんの息子……?

 そんなこと、想像もしていなかったけど……、紫露の行動で、思い当たることがないわけでもない。

 でも今は、混乱の方が大きかった。

『生きていたんだそうだ。ゼンとサギリが命懸けで…………、子供を助けて、守り抜いてくれた』

 一瞬言葉を詰まらせた梧に、たまきも目の奥がじんと熱くなる。

 “良かった……”という言葉が、自然と浮かんだ。

 

 ふわりと胸の中に、暖かな風が吹いた気がする。


『……それで……、そのことを、紫露と話したいと思っているんだ』

 梧が静かにそう続けた。

「そうなんですね」

 たまきがほんのり濡れたまつげを拭って相槌を打つと、梧の声が迷うように途切れた。

 どうしたのだろうとたまきは首をかしげる。

『……君も、一緒に居てくれないか?……君に記憶がないことはわかっている。それでも、一緒に聞いて欲しいんだ』

 それがなんだか緊張したように聞こえて、不謹慎かもしれないけれどたまきは、梧のことを可愛いと思ってしまった。

 その言い方が“不安だからついてきて”と、お願いされているように聞こえたからだ。

「…………はい。私も、紫露に今までのこと、聞きたいです」

 梧に頼りにされたからだけではなく、たまきも紫露に会いたいと思った。

『……そうか。ありがとう……』

 梧のその言葉の後、しばらく二人の間に、沈黙が流れる。

 

 …………会いたいな。


 ふと、そんな風に思った。だけど梧はまだ怪我をしているし、たまきは梧の家を知らない。

 会いたいと言えば梧は来てくれる気もしたが、無理をしてほしくない。

 電話の向こうで、梧が静かに息を吐いた。

『君に、会いたいな……』

 梧も同じ気持ちだったとわかると、たまきは胸の奥が締め付けられて、たまらなくなった。

「……私も……」

 思わずそう言うと、梧が立ち上がるような気配がする。

『…………っつ、』

 痛みを堪えるような声が、漏れ聞こえた。

「あっ!梧さん?……だ、ダメです!……無理しちゃ、ダメ!」

 慌ててたまきは梧を止める。

『…………無理はしてない』

「嘘です。今痛いって聞こえました」

『…………痛くは…………ない』

 嘘をつきなれていない梧が、理性と戦ったような間があった。

 わかりやすすぎる。

 たまきは笑いそうになるのをこらえつつ、

「…………嘘つきさんは嫌いになっちゃうかもしれませんよ?」

 と言うと、電話の向こうで、ぐっと梧が堪えているのがわかった。

「……来ても、会いませんよ?」

 たまきの精一杯の脅しで追い討ちをかける。

 嫌いになんかなれないし、本当はたまきだってすごく会いたい。

 梧の葛藤が、息遣いと沈黙で伝わってくる。

『…………わかった。すまない』

 観念したように息を吐いて、梧はようやく折れた。

 たまきは安心したような、残念なような気持ちで、ベッドに横になる。

 リスのぬいぐるみをまた抱きしめて、頬を寄せた。柔らかな毛足をゆっくりと撫でながら、気を逸らす。


「……そう言えば……」

 ふと、たまきは口を開いた。

「杠葉さん……今もいないんですか?」

 唐突ではあったが、昼間、心悠が言っていたことを思い出して、たまきが静かに訊いた。

『……誰から聞いた?』

 梧の声が強張った。

「……心悠が。……去年、紫露の家に行った時に居なかったって」

『……そうだったのか。……まぁ、そうだな。今はまだ……居ない。スウェーデンに居るんだ』

「えっ、スウェーデン!?……旅行してるってことですか?」

 てっきり家を出たと言ってもご実家とか国内にいると思っていたたまきは驚愕した。

『いや。霞さんの家がスウェーデンなんだ。パートナーがスウェーデンの人でな。杠葉さんはそこに居る』

「え?パートナーさんが……。霞さん、スウェーデンに住んでらっしゃるんですね……」

 次々と出て来る情報に圧されて、たまきは呆然と言った。

『今、時雨が迎えに行っているから、そのうち帰ってくるはずだ』

 たまきのその覇気のない声を、心配と捉えた梧が慌てて付け足す。

「……なんでそんなことになったのか、聞いても良いですか?」

『俺も、詳しくは知らないんだが……』

 梧がためらいがちにため息をつく。

『…………霞さんが言うには、あの二人は相手のことを想い合っているが、夫婦としては全く言葉が足りていない……と』

「杠葉さんと、時雨さんがですか?……そんなふうには見えませんでした」

 たまきは二人の様子を思い返して、驚いた。

 時雨さんと言えば、杠葉さんしか見えていないようなメロメロっぷりで、杠葉さんの方も時雨さんを優しく見守っていて、とても仲良しな夫婦に見えていた。

『俺もそう思っていた』

 それきり、梧はしばらく黙り込んだ。

「…………どうか、しました?」

『いや……、二人なら大丈夫だとは思っているが……』

 そう言いつつも、梧の声はわずかに沈み、気がかりなようだった。

「……心配ですね……」

 簡単に“大丈夫ですよ”とは言えない雰囲気に、たまきは梧の気持ちに寄り添うことしかできなかった。


 ——————————————


 深夜の便で日本を出て、現地時間の早朝にスウェーデンについた時雨は、取るものもとりあえず、霞とヴィヴェカの家に向かった。

 出迎えたのは16歳の長男のルーカスで、冷たい視線でドアを開けると、そのまま何も言わずにリビングに戻ってしまった。

「(ユズは渡さないぞ!)」

 次に現れたのはダンボールで作った剣と盾を装備した、霞たちの7歳の次男、カイだった。リビングに入る手前で時雨の前に立ちはだかり、その首筋に切先を突きつける。

 時雨は両手を上げて降参しつつ、

「(……杠葉さんは僕の奥さんだよ?会わせてももらえないのかい?)」

 と、流暢なスウェーデン語で言いながら、困り顔を見せる。

 その言葉を聞いた瞬間、リビングでソファーにゆったりとくつろいだルーカスが、フンッと鼻を鳴らして嘲笑した。

 そちらに視線を向けると、ルーカスは時雨を一瞥した後、テレビに視線を戻す。

「(……よく言うよ。今まで連絡もせずに放っておいたくせにさ)」

 その言葉に、時雨は凍り付いた。

 まさにその通りで、言い訳のしようもない。おおよそ10か月、時雨は杠葉に連絡を取っていなかった。

「(……確かに、その通りだね。だけど、もうそんなことは二度としない。頼むよ、ルーカス。杠葉さんが僕に会いたくないと言ってるの?)」

 ルーカスは時雨に視線を向けることもなく、呆れた顔をして肩をすくめた。

「(さあ、どーだろうね。けど、ユズに会うには、ミアとエミル、それにマンマを説得しないと会えないんじゃない?)」

 マンマとはヴィヴェカのことだ。子供たちは霞のことはカカと呼んで呼び分けている。

 時雨はゲストルームの方へ視線を向けた。

 おそらくそこに杠葉が居て、13歳の次女、ミアと一番下の3歳の三男エミル、そしてヴィヴェカが一緒に籠城しているのだろう。

 

 時雨はここに来るまでの間に、杠葉にメッセージを送った。

 しかし、既読になっても、杠葉からの返事は一切なかった。その時点で心は折れそうだったが、ここで引きさがるつもりはない。

「(行くなら、僕を倒していくんだ!)」

 勇者の役に入り込んでいるカイが、剣を振り回して時雨を切りつける。

 いつもなら切られてしばらく遊んであげる時雨だが、いとも簡単にカイの手首を取ると、そのまま手の自由を奪いながら抱き上げ、

「(やめろ!手を離せ!)」

 と、足をじたばたさせているカイを、ソファーでくつろいでいたルーカスに押し付けた。

「(通らせてもらうよ)」

 暴れるカイを押し付けられ、ルーカスは怪訝な顔で時雨を睨みつけるが、時雨の表情を見て驚いて動きを止めた。

 表情こそ笑顔を張り付けてはいたが、目は全く笑っていない。

 母、霞が本気で怒ったときにする表情によく似ていて、ルーカスの背筋に鋭い悪寒が走った。

 条件反射で固まり、何もできずにその背中を見送ったルーカスの顔に、引きつった笑みが浮かぶ。

「(うわー……。時雨おじさんでも、怒ることってあるんだ……)」

 少なくともルーカスたちには見せたことはない顔だった。

 ははは、と乾いた笑い声をあげたルーカスの顎を、何もわかっていないカイが暴れるままに蹴り上げて、

「(いってェ!!何すんだお前!!!)」

 我に返ったルーカスが、カイの頭にゲンコツを食らわせたのだった。



 ゲストルームの中では、杠葉の膝の上でエミルが無邪気に遊んでいて、ミアがドアの前で座り込んでいた。

 ヴィヴェカはミアの隣で、いつものようにスケッチに勤しんでいる。

 エミルと遊びながらも、浮かない顔でため息をつく杠葉に、

「(時雨がきたら、私が追っ払ってあげるから、大丈夫よ、ユズ)」

 と、ミアが胸の前で拳を作り、ファイティングポーズを取った。

 杠葉は一瞬面食らったが、「(ありがとう)」とぎこちないながらも微笑む。

 その表情が冴えないことにミアも気づいてはいたが、あえて触れなかった。

 

 コンコン、とノックの音が聞こえ、ミアとヴィヴェカが顔を上げて、ドアの方を振り返った。

「杠葉さん……そこに居るんですか?」

 ドアの向こうから時雨の声がして、二人は杠葉の顔色をうかがう。

 静かに視線を下げたまま、杠葉は首を横に振っただけで、声は出さなかった。

 部屋の中からの返事がなく、沈黙が落ちたというのに、時雨からも次の言葉が続かない。

 ヴィヴェカは書きかけのまま、スケッチブックを閉じた。

「……あら。来てたの?時雨」

 白々しく、ヴィヴェカが言った。

 明らかな嘘にも時雨は反応しない。

「(何しに来たの?時雨おじさん)」

 ミアが冷たい口調で続ける。口調は冷たくしたものの、不安げに杠葉の様子を確認したので、その頭をヴィヴェカが優しくなでた。ミアはヴィヴェカの膝の中に入って抱きついた。

 時雨と杠葉の間に流れる緊張感に、怖くなったのだろう。

「……杠葉さんに、叱られに来ました」

 躊躇いがちに、時雨が言った。

 その言葉を聞いて杠葉が顔を上げ、ドアを見つめる。

 しかし、口は開かない。

 不安げな杠葉の顔に膝の上のエミルが、「(ユズ、どうしたの?)」と顔を見上げた。

 そのエミルに微笑みかけて抱き寄せると、何もわかっていないながら、エミルは慰めるように杠葉に抱きついて頬にキスをして、その胸に顔をうずめた。

「……叱られにねぇ……。ユズを叱ってもらいたくてここまでほったらかしておいたということ?」

 その様子を眺めながら、ヴィヴェカが会話を促す。

 あくまでも沈黙を避ける程度のことだ。アドバイスや“許してあげたら?”なんてことは絶対に言うつもりはない。

「違います!……連絡を取れなかったのは……私の不甲斐なさのせいです」

「あら、そう。まぁ、関係ないけどね」

 ヴィヴェカは突き放すように言った。

「杠葉さんの言葉を、全て受け止める勇気がなかった。……でも今は違います。あなたと向き合うために来ました。あなたが私に言いたいことを全て言ってください。何時間でも、何日でも聞きますから」

 それでも口を閉ざしたままの杠葉に、ヴィヴェカは肩をすくめる。

 視線で“どうする?”と問いかけるが、杠葉は迷って視線をそらした。

 ヴィヴェカはミアに膝から降りるように促した後、「二人をよろしくね」とささやき、スケッチブックとペンを片手に立ち上がった。

 そのまま薄くドアを開けて、隙間から部屋を出る。

 ドアの前で立ちすくんでいた時雨が顔を上げるが、出てきたのがヴィヴェカで、明らかに残念そうな表情をした。

「失礼ね。久しぶりに会う義姉にする態度かしら」

 不服そうに顔を顰め、腕組みをする。

「……やっぱり、私には会いたくないと……?」

 杠葉からの伝言を伝えに来たのだと思った時雨が、その冗談には乗らずに深刻そうな表情を見せる。

 どっちも重症ね。と、胸中で呟き、ヴィヴェカが小さく息を吐いたところで、

「……ん?ちょっと待って、時雨」

 と、何かに気づいて、慌ててリビングに向かった。

 リビングの方から、ぎゃんぎゃんと泣く声が聞こえたのだ。

 時雨もハッとして、ヴィヴェカの後を追った。

 すると、ルーカスと大声で何か文句を言いながら泣きじゃくるカイが、髪の毛を引っ張り合って喧嘩をしていてリビングは惨状と化していた。

「(ちょっと!何事!?何があったの!!ルーカス、やめなさい!!)」

「(はぁ!?カイの方が先におれの顎を蹴りあげて、髪の毛を引っ張ってきたんだよ!おれは悪くないよ!)」

 ヴィヴェカが間に入り、ルーカスからカイを引き剥がす。まだ泣いたまま、じたばたと手足を動かして手が付けられないカイに、ヴィヴェカまで服を引っ張られ、腕を引っかかれた。

 時雨はルーカスに駆け寄り、「(大丈夫か?)」と声をかけたものの、彼は時雨を睨みつけ、「(おじさんのせいでもあるんだからな)」と、悪びれず悪態をつく。

Lägg av(レッグ アーヴ)!(いい加減にしなさい!)」

 ヴィヴェカの怒鳴り声に、カイもルーカスもぴたりと動きを止めた。

 一言だけで制圧するヴィヴェカの手腕は圧巻だった。

「(なに!?何かあったの!?)」

 家じゅうに響き渡ったヴィヴェカの声に、ミアも慌ててゲストルームから飛び出し、エミルもその後をどたどたと、追いかけっこのつもりで追いかけてきた。

「待って、エミル」と、そのエミルを追いかけ、ヴィヴェカの声を聞いて状況を心配した杠葉も顔を出した。

「杠葉さん……!」

 時雨がそれを、見逃すはずがなかった。

 杠葉は時雨と目が合い、ハッとして踵を返した。ゲストルームへと戻ろうとしたが、時雨は素早く立ち上がり、逃がすまいとその腕を掴んだ。

「離して……!」

 そのままその腕をぐっと引き寄せ、杠葉を抱きしめると、逃げられないように腕に力を込めた。

「嫌です。離しません」

 時雨は杠葉の耳元でささやく。

 ドラマのワンシーンのようなそのやり取りを、子供たちが食い入るように見つめた。

 子供たちの視線に気づいたヴィヴェカは、

「……あー……ユズ。悪いんだけど、捕まっちゃったんなら部屋でやってくれる?……こっちはこっちでやることあるから」

 そう言って、カイの首根っこを掴んだままため息をつくと、杠葉はすがるような目をしたが、ヴィヴェカは“諦めるのね”と目線で伝え、肩をすくめた。

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