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「大丈夫ですか?私、やっぱり一人で帰りますよ?」
運転席に乗った梧が、椅子にもたれて少しの間、息を整えていたので、たまきが心配そうに車に乗るのをためらっていると、梧は首を横に振った。
「……大丈夫だ。痛みは引いてきた。……それに……」
片手で助手席の座面を軽く叩いて乗るように促しながら、
「……もう少し、一緒にいたい」
と、少しためらいつつも、たまきを見つめた。
言われたたまきは頬を紅潮させると、息を止めて何かを我慢するように顔を顰め、口を引き結んだ。
そんなこと言われたら、断れるわけないよーーー!!
と、たまきは胸中で叫んだ。
梧がその表情を訝しんでいると、たまきは何とか荒ぶる胸中を押さえ込み、ぷはっと息を再開させ、
「…………はい」
と、返事をして、両手両足が同時に出るようなぎこちない動きで助手席の方へ移動し、車に乗り込んだ。
梧はそんなたまきの仕草にふっと笑いつつ、ほっとした顔をして微笑む。
「……それと、君のお祖父さまとお祖母さまにも挨拶をしておきたい」
「えっ!?挨拶!?」
たまきがシートベルトをしていると、真剣な顔で梧が言うので、たまきは驚いた声を上げた。
まだ、告白すら夢じゃないかと思うくらいなのに、急に挨拶と言われて戸惑い、えっ?えっ?それは……どういう挨拶!?と困惑してしまう。
「……大事なお孫さんとお付き合いするのに、黙っておくわけにもいかないだろう?」
梧は訝しげと言うか、不満げな顔をした。
お付き合いという言葉にもまだ実感がわかなくて、たまきの頭はパニックである。
そっか、好きって伝えて、お互い好きだってわかったら、お付き合いになる……もんね?
えっ?梧さんとお付き合い?私が梧さんの彼女!?っていうか、梧さんがか、かかかか、彼氏!?
えっ、おじいちゃんとおばあちゃんに報告って…………お付き合いしますって言うの?
どどど、どうしよう!?
こういうのって、普通、みんな、家族にすぐ報告するの??
えっ……それって、けっ……結婚を前提にとか……??
結婚?……結婚はないよね?流石にそれは、飛びすぎだよね??
ダメとかはない……と、思うけど……、二人とも、びっくりしちゃうよ!
どうしよ!?えっ!どうしたらいいんだろう!?
と、頭の中がぐるぐる、騒がしい。
顔はみるみる真っ赤になって、たまきが黙っていると、梧はその頬に手を伸ばして、遠慮がちに指先で触れた。
たまきは弾かれたように梧の顔を見ると、梧の表情が寂しげで、たまきの胸がちくりと痛んだ。
「……俺と、付き合うのは……嫌か?」
伏目がちにたまきを見つめる梧が、静かに訊いた。
たまきの沈黙を、そう捉えたらしい。
更にたまきの胸は痛んで、慌てて首を横に振る。
そんなことない。たまきはただ、好きの向こう側をちゃんと想像できていなくて、付き合えるなんて思いもしなかっただけだ。嫌なんて絶対ない。
今までと、何が変わるのかがまだピンと来ていないけど。
「……い、嫌じゃないです!……だけど……おばあちゃんたちへの報告は今日じゃなくても…………。梧さんも、怪我してますし……早く帰って休んだ方が」
祖父母に報告するのはなんだか照れくさいし、なんとか今日の報告を回避しようとしたが、
「……いや、付き合うなら早い方がいい」
と、梧はきっぱりと言って、そこはどうしても譲ってくれなかった。
案の定、たまきを送ってやってきた梧から、お話がありますと言われて、たまきの祖父母は驚いた。
突然の訪問を謝罪した後に、梧がたまきとお付き合いさせていただきたいと切り出すと、二人はさらに驚いた顔を見せて、声は出さずに、本当に?と、確かめるような視線をたまきに送ってきた。
たまきは戸惑いつつも、真っ赤な顔で頷くと、それを見た梧がほっとしたような嬉しそうな顔をしたので、祖父母は面食らいつつ、どうやら本当らしいことを確信したようだった。
「……そうですか……。ですけど……なにも、私たちに許可なんか取らなくても……」
まだ困惑した表情のまま祖母が言うと、梧は首を横に振り、
「……大事なお孫さんですから、許可はいただくべきかと……」
なんだか時代を間違えたかのように堅苦しい考えを話す梧に祖父母は顔を見合わせた。
祖父は咳払いを一つして、
「…………私たちが反対したら、諦めると?」
と、険しい顔で普段とは違う、少し低い声で聞くと、梧は即座に首を横に振る。
「いえ……それはできませんから、お許しをいただけるよう、努力するまでです」
至極真面目な顔でそう言うと、二人はまた顔を見合わせる。たまきは居た堪れず、真っ赤な顔で俯いた。
なんだか、話が大事になっている気がする。
たまきには経験がないからわからないけど、みんな、付き合い始めるってこういう感じ……なんだろうか?
梧と祖父の間に流れるピリピリとした真剣な空気に、たまきはこのまま耐えていられる気がしない。
これじゃあまるで……、祖父母が良く見ている昔のドラマの、結婚の許しをもらうシーンみたいだった。
でも、梧は結婚じゃなくて付き合う許可をもらっているだけだし、さすがにそこまでは梧だって今から考えていないだろう、とたまきは思って、熱くなる顔を手のひらであおぎながら打ち消そうとした。
祖父は静かに息を吐くと、険しい顔から眉間を緩めて、いつもの表情に戻した。
祖母に向かって「あれを」と、指示すると、祖母は「えっ?」と一度驚いた後に、祖父の真剣な表情に圧されて静かに頷いて席を立った。
祖母はそのまま、和室の仏壇の方へと向かう。
たまきはそのやり取りを不思議に思って首をかしげた。
梧も不思議に思ったらしく、たまきの顔を見たが、何のことかわからずに首を横に振る。
「……海風さんは、おいくつですか?」
梧は年を聞かれて、ドキッとした。離れ過ぎだと咎められるのではと危惧しつつ、
「……今年で31です」
緊張した声色で答えると、「いい年齢ですね」と、肯定とも嫌味ともわからない返答が返ってきた。
たまきの性格から見るに、祖父も嫌味を言う人柄とは思えなかったから、本当に良いという意味で言ってくれたのだろうが、どういいのかは判然としなかった。
「結婚については、どうお考えですか」
祖父にそう訊かれて、梧は、年齢とは結婚適齢のことだったかと思い至った。
「けっ、結婚!?」
梧がどういう意味かと問う前に、驚いたたまきが驚いて声を上げた。
たまきは思いのほか大きな声を出してしまったと自分で驚き、口を押えて身を縮めている。
祖父は一瞬驚いた顔でたまきを見つめたが、また、梧の方へと視線を戻すと、その視線を受けて、
「結婚というのは、たまきさんとの、ということですか?」
と、祖父の質問の意味を確認した。
「はえっ!?」
その質問に、たまきが隣で妙な声を上げる。さっき押さえていた手は離れ、目を真ん丸くして真っ赤な顔で、口をはくはく動かしている。
梧がそのたまきに手を伸ばしかけたところで、
「……ええ。たまきと……、今すぐにでも、結婚しても良いというくらいの結婚願望はおありですか?」
と、祖父が言うので、梧はさすがに驚き、そちらに視線を戻した。
するとがたッと椅子が倒れるような音がした。
慌てて振り向くと、たまきが椅子から転げ落ちている。
「たまき!?」
驚いた梧は立ち上がり、たまきの腕を掴むと、もはや力が抜けきってしまっていて、ろっ骨を骨折している梧にはそのまま引き上げるのは難しそうだった。
「大丈夫か?立てるか?」
ひとまず倒れた椅子を元に戻し、心配そうに顔を覗き込む梧に、小さく頷きながら、たまきは「……だ、だいじょうぶ……」とうわごとの様に言いながら梧の手と椅子を掴んで何とか椅子に戻った。
「……な、何言い出すの、おじいちゃん……」
やっとのことで絞り出した弱々しい声でたまきは言ったが、祖父は真顔のままだった。
「……考えられませんか?たまき相手では」
「おじいちゃん……!……どうしちゃったの?」
たまきは祖父を止めようとそう言うが、無視して祖父は梧だけを見つめている。祖父がそんなふうに、たまきを無視したことなんて一度もなかったのに、と、たまきは何が起きているのかと不安に思った。
祖父のその真剣な視線を真正面から受け取り、梧は静かに口を開く。
「……私は……、たまきさん以外は考えられません。私に結婚願望なんてものがあるのかどうかはよくわかりませんが……、たまきさんが相手なら、今すぐにでも、結婚したいとは思います」
「んなっ!?……げほっ、ごほっごほっ、」
尻尾を踏まれた猫のような声がしたあと、たまきがせき込む。
梧は慌ててそのたまきの背中を撫でて、「大丈夫か?」と訊くが、たまきは胸を押さえて頷くばかりで、声は出せなかった。梧はたまきの背中に触れたまま、また祖父の方へと向き直る。
「……ですが……、現実としては彼女はまだ学生ですし、これから学ぶべきことも、学びたいこともあるでしょう。卒業して就職もし、……仕事に慣れるくらいまでは待ちたいと思っています。彼女はまだ、結婚なんて考えられないでしょうし、それを邪魔してまで結婚をしたいとは思っていません」
そう、梧が静かに答えると、祖父は目を閉じるように目を伏せた。
その顔が、たまきには妙に寂しそうというか……、残念そうに見えた。
「……おじいちゃん……?」
まだ少し掠れた声で、たまきが気遣うように声をかける。
「……なにか、急ぐ理由があるんですか?……体調が、芳しくないとか……」
「えっ!?そうなの?おじいちゃん……」
途端にたまきは立ち上がり、不安そうな顔で祖父の顔を覗き込んだ。
「違うのよ。別に病気とかではないの。ただ、もう年だからね」
そこへ、どこかにしまってあった大きな封筒を持って、祖母が戻ってきた。
持ってきたそれをテーブルの隅に置くと、祖母は言いながら席に着く。
「たまきが大学を卒業すれば、おじいちゃんはもう、80になっちゃうでしょう?私だってそこから3つ若いだけで……、日々、体力は衰えていきますから……、不安なんですよ。たまきを支えていけるかどうか……それどころか、私たちがたまきの重荷になってしまうんじゃないかって」
そう言いながら祖父の背中に手を当てる。
祖父はわずかに顔を上げ、頷いた。
「……そんな、重荷だなんて……」
たまきは眉尻を下げ、力なく椅子に座った。
たまきを引き取って、たまきの好きなようにさせてくれて……、今だって、たまきが家事をやると言っても、勉強が大事だからと、祖父母はやらせてくれない。
だけど、たまきを早くお嫁に行かせたいほど、大変だったのかもしれない。……たまきはそれに気づいていなかったんだ。
沈んだ顔で俯いたたまきの頬を、梧が軽くつまんだ。
顔を上げると、梧が優しく微笑んでくれる。大丈夫だ、と言ってくれているみたいだった。
「……でも本当はね、結婚があんまり先になって、花嫁さん姿のたまきが見れないのは嫌だなぁって、おじいさん言ってたのよ」
「おい!」
口の横に手を当てて、こっそりという雰囲気を出しながら祖母が言うと、祖父が慌てて止める声を出した。
たまきが祖父の顔を見ると、珍しく祖父は口元を手で覆って、どうやら照れているようだった。
よく見ると、耳が赤くなっている。
「そ、そう……なの?……おじいちゃん……」
祖母がふふふと笑って、祖父はそれを睨みつけたあと、ため息をついた。
「……だが、私たちの他にたまきを支えてくれる人がいてほしいと思っているのは確かです」
そう言って、祖父はテーブルに置かれた封筒を手に取り、封筒の中身を取り出した。
……それは土地の権利書だった。
たまきはそれが何かはすぐにはわからなかったが、梧にはすぐわかったようで、驚いた顔をした。
「……これは私には見せない方が……」
権利書を見たからと言って、すぐにどうこうできるわけではないが、梧はまだ赤の他人だ。
今日はただ、付き合う許可をもらうために来ただけで、たまきともちゃんと将来を約束しているわけではない。
「いいんです、知っていてください」
それが、梧の覚悟を試すためなのか、信頼なのかは計りかねたが、祖父はそれを二人の前に置く。
ひとまず梧は口を閉じ、たまきの顔を伺う。
たまきはそれをじっと見つめ、所在地の住所を見て、「えっ」と声を上げた。
……それは、たまきが両親と父方の祖父母と暮らしていた場所の、住所だった。
「……本当はあなたが成人した時に話そうと思っていたんだけど、勉強も忙しいだろうと思って、なかなか切り出すタイミングがなくて。たまきだけだとまだわからないこともあるでしょうから、海風さんにも聞いていただけたら」
「……本当によろしいんですか?」
「ええ。昨日今日出会ったわけでもないし、海風さんは事情を知っています。それに……たまきはあなたを信頼していますから」
そう言って、祖母がたまきの方を見て微笑んだ。
祖母の視線を受けて、たまきは梧の方を見ると「……はい。お願いします」と、頷いてみせた。
梧はそれを聞いて、嬉しくもありつつ、その責任の重さを感じた。
元々そのつもりでいたけれど、たまきのためにできうる限りのことをしようと、梧も頷き返した。
その二人の様子を見てから、祖父がその権利書に触れた。
「たまきが大人になって、自分でこの土地をどうするか判断できるようにそのままにしておいたんだ。もちろん、家は崩れてしまったから、ただの更地の土地なんだが……。もしも帰りたいと思った時に、土地も何もかもなくなってしまっていたら悲しむだろうと思ってな」
「地元の遠縁の方や近所の方とも相談させてもらってね、管理は自分たちがするから、たまきのためにもそうして欲しいって賛同してくださったの」
たまきは何も知らなかった。
あの時は子供だったし、たまきにとっては土地よりも家族が”帰る場所”だったから、全員が居なくなってしまって、もうそんな場所なんてないんだと思っていた。
だけど祖父母は、そんなたまきの”帰る場所”を、残しておいてくれたのだ。
「管理してくださっている方の連絡先とかは、ここに一緒に入っているわ。あと……、ちとせのお骨は少しだけ分骨してもらったけど、他のご家族は、代々のお墓を建て直して地元にあるの。管理ができないから再建するのも悩んだんだけど、本当に向こうの方が良くしてくださってね。たまきのお祖父さまにはお世話になったからって言って、そちらの管理も近所の皆さんでやってくれているのよ」
ふと、たまきの目の前が、滲んでいく。
ぽろぽろと流れ落ちる涙を、初めは指先で拭っていたが、間に合わなくなって、服の袖で拭う。
やがて梧がハンカチを出して、その涙を拭った。
たまきは、祖父母が目の前にいるのも気にせず、梧の方へ体を傾け、気づいて梧が広げた腕の中に顔をうずめた。
祖父母は顔を見合わせ、ほっとした顔でその二人を見つめる。
災害の後、たまきの生活は一変した。
一緒に暮らしていた家族は全員亡くなり、母の実家であるこの家に身を寄せることになった。
楽しかった思い出も、もう戻れないと思うと、口に出すのも辛くて、祖父母はたまきが話そうとしないなら、聞かずにいてくれた。
それはとても、気を遣っただろう。
祖父母以外、たまきのことを誰も知らないこの土地で、今まで居た場所との縁はすべて切れて、独りぼっちになってしまったのだと思い込んでいた。
笑い方も、日常も、自分がどういう人間かもわからなくなってしまうくらいに。
宇宙みたいな真っ暗闇に、一人ぽつんと浮かんでいるみたいで、沈んでいくこともできなければ、居ていい場所もないような。
だけど、違ったんだと知った。
たまきの知らないところで、祖父母は元暮らしていた地元の人たちと連絡を取りながら、たまきが住んでいた場所を、守り続けてくれた。
たまきを想って協力してくれる人がたくさんいたということを、たまきは知らなかった。
あの頃、学校の行き帰りに、挨拶を交わした人たちや、農繁期に手伝いに来てくれていた人たち。
パパやママの友達や、職場の人たちのことが、今、急に思い出された。
たまき自身も、彼らのことを全く忘れてしまっていたわけじゃなかったんだ。
「……もっと、早く話してあげればよかったね」
祖母がぽつりと言ったのを、たまきは梧の腕の中で首を横に振って、顔を上げた。
梧が腕をほどいて、たまきの背中を押す。
「……私が、聞くのが怖かったの。おばあちゃんたちは、それをわかって、黙っててくれてただけでしょ?」
まだ涙がこぼれる目をこすりながら、たまきは答えた。
「……落ち着いたら、ご挨拶に行くといいわ。きっと、たまきのことを待っていると思うから。お友達も」
たまきは頷いた。
梧は三人の様子を見つめたあと、掛け時計の時間が目に入った。
「……すみません、こんな時間までお邪魔して」
慌ててそう言って腰を浮かせる。
「え?あ、ごめんなさい、梧さん」
たまきも慌てて、頬を手のひらで拭ってから、立ち上がる。
「あら、本当ね。こちらこそお引止めしてしまって。……お夕飯食べて行かれませんか?まだでしょう?」
「……いえ。今日は失礼します。またの機会に、ぜひ」
「……前から思っていましたけど、とても真面目ですね。海風さんは」
感心しているのか、それとも揶揄したのかはわからないが、祖母はそう言って、「次に来られた時はぜひ、食べて行ってください。大したものは作れませんけどね」と微笑んだ。
いつもよりも嬉しそうな顔に、梧も、
「はい。必ず」
と、微笑を返す。
「……結婚の件は、考えておいてください」
祖父は相変わらず、結婚の話は諦めていないようで、そう、念を押した。
「お、おじいちゃん……」
たまきは照れと困惑が入り混じった顔で、祖父を嗜めるように言った。
梧は、そんなたまきを見て、ふっと微笑んで、その頭を優しくなでると、祖父に向き直り、
「私はやぶさかではありませんが、それについては、ご家族でもう一度よく話し合ってください」
と言うと、頭を下げて、玄関の方へと踵を返した。
たまきと祖母は、見送りをしようとその後を追う。
祖母と二人で梧のことを玄関で見送りながら、祖母とたまきそれぞれに向かって「お邪魔しました。……じゃあ、また連絡する」と言って、玄関を出て行く梧を見て、たまきはなんだか胸の中がソワソワとした。
ドアを閉める前に、梧が祖母に向かって頭を下げる。
玄関が閉まる寸前、それが、離れがたさだと気付いて、
「……車のところまで送ってくる」
と、たまきは祖母に言って、慌てて靴をひっかけた。
「ええ、そうしなさい」
優しい声で祖母がそう言ったのを聞きながら、たまきは玄関を出て、梧を追った。
「梧さん!」
声をかけられて、梧が振り向く。
「どうした?まだ何かあったか?」
驚いた顔で、隣にやってきたたまきを見つめて聞いた。
「あ、いえ……。車のところまで送ります」
それを聞いて、梧は「すぐそこだぞ?」と、不思議そうな顔をした。
その梧を、ほんのり頬を赤らめて見上げながら、
「……”もう少し、一緒にいたい”ので……」
と、梧が言った言葉をそのまま返した。
梧は面食らった顔をして足を止めると、一瞬の間を置いて照れたようにたまきから顔を逸らし、落ち着かせるように何度か顎を撫でた。
「……早いところ、肋骨を直さないとな……」
と、小さな声で呟いた。
「え?なんですか?」
聞こえなくて、たまきが小首をかしげていると、梧はたまきの頬に手を伸ばし、指先でするっとその頬を撫でた後に、優しくつまんだ。
そして、たまきの耳元に口を寄せると、
「……思いっきり抱きしめたいって言ったんだ」
と、囁いた。
囁かれたことと、その言葉に、一瞬思考停止したが、途端に頭の先からつま先まで、ぼひゅんと音が立つほどに勢いよく真っ赤になると、たまきは梧から離れ、囁かれた方の耳を押さえた。
あわあわと口を動かした末に、
「そ、そーゆーのはっ……、し、心臓が持たないです!」
と、梧に向かって文句(?)を言ったのだった。
それを聞いてふはっと笑うと、梧は「いて」と脇腹を押さえつつも、笑いが止まらないようだった。
「もぉ~……」
たまきが梧の横に戻ると、車に向かって再び歩き出した。
梧が車に乗り込むと、少し寂しそうな顔で、たまきは出発の邪魔にならないよう、少し離れて立っていた。
「……じゃあ、また。……ゆっくり休んでくださいね」
「ああ、わかった。……また連絡するから」
「はい。……私からもしても良いですか?」
「もちろんだ。いつでもいい。どうせしばらくはリモートで家にいるから」
「……でも、無理しちゃダメですよ?痛みがひどくなるようなら、ちゃんとお医者さん行ってください」
「わかってる。早く治したいからな」
「……はい」
そこで会話は途切れたが、二人はどちらも名残惜しそうな雰囲気のまま、見つめあう。
しばらくそうした後に、梧が、
「……たまき」
と、呼んで、軽く手招きをした。
たまきは「はい?」と、一歩前に出て運転席に近づくと、梧はたまきの方へ手を伸ばし、頭にそっと触れて引き寄せた。
たまきがえっ、と声を上げる前に、梧はその唇を柔らかくふさいだ。
ちゅっと音を立てて唇を離すと、たまきから手を離す前にその頬をするりと撫でる。
たまきはあまりの淀みのない流れに何が起きたか理解できず、呆然と立ち尽くした。
「……じゃあ……、また、な」
「……はひ」
まだぼんやりした表情のまま、そう返事をすると、たまきは意識が混乱していながらも、車から一歩離れた。
「……大丈夫か?」
「……だいじょぶれす」
梧が心配して声をかけるが、たまきは焦点があっているのかわからない瞳で梧を見ると、回りきっていない舌でそう答えて頷いた。
「……そう、か……。じゃあ……」
「……あい、また……」
と、たまきは力なく手を振る。
梧はそのたまきに頷いてみせる。実のところ、梧の方も舞い上がっていて、冷静ではなかった。
照れた顔をたまきから逸らすと、ゆっくりと車を発進させた。
梧の車がほとんど見えなくなったころ、ようやくたまきは我に返った。
「ほえぇ?」
奇妙な声を上げて、たまきは自分の指先で唇に触れる。
柔らかな梧の唇の感触が思い出されて、たまきは本日、何度目かはわからないが、赤面した。
「……だから、心臓持たないってぇ……」
そう言って、たまきはその場にしゃがみこんだのだった。




