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……うなされていた時見ていた夢は、前世の夢?—————。
梧は、傳の質問に息を呑んだ。
小学生の頃、時雨と再会して前世のことを思い出した梧に、傳と桐子が戸惑っていたのは何となく感じていた。
両親から虐げられ、家族の愛情と言うものを知らなかったカザネの記憶を取り戻したせいで、両親とどうやって関わっていいかがわからなくなったのだ。
ただ、今まで前世のことを、傳が聞いてきたことはなかったのだから、誰かから聞いたのか……。
だとしたら、今更、誰だろうか。
「……冴島さんがね、僕に聞いたんだよ。”傳先生にも前世があるんですか”とね」
梧の戸惑いを察した傳がそう言った途端、梧の顔色がさっと変わった。
「なぜ、あなたがたまきのことを……!」
かっと頭に血が上った梧は気づいていないようだが、傳はかかった、と口の端を上げて笑う。
「そりゃあ、彼女はうちの大学の生徒だからねぇ」
その大学を受けるという話は聞いていたし、確かにその時、傳のことはよぎった。
「そうだとしても、あなたはほとんど研究棟にいるのではないんですか?」
険しい梧の視線を受けながら、はぐらかすように首をすくめる。
「授業はほとんど受け持ってはいないけどね。たまには学習棟に行くことはあるよ?」
「……あなたから、声をかけたのでは?」
すかさず梧が傳に問う。その言い方と表情は、桐子によく似ていた。
梧の硬い表情とは裏腹に、傳の表情は緩み、微笑んでいる。
それが、梧は気に入らない。
少しでも父親らしいと思った自分がバカだと思えるほど、この人は相変わらずだった。
おそらく、たまきの名前を知ったのは、梧がお見舞いに行った時に声をかけてきた医師が口を滑らせたのだろう。
「彼女と遭遇したのはいつでも偶然だよ。それを仕組んだことは一度もない」
「では、何を仕組んだんですか」
梧は傳の言葉の機微を見逃さず、突いてきた。
傳はそれすらも嬉しそうな顔のまま目を丸くすると、肩をすくめる。
「いやですねぇ。何も仕組んでなんかいませんよ?ただの言葉のアヤです。……それよりも”前世”の話から、上手に逸らしましたね」
「…………逸らしてはいません」
言われて梧は一瞬ひるんだ。
その隙を、傳が見逃すはずもない。
「そうかな?第一、前世の話にすぐ”それはなんですか?”と言わなかった時点で、限りなく真実に近いと思いませんか?」
一気に形勢が逆転し、傳は口元に微笑みを浮かべたまま立ち上がると、今度は梧を見おろす。
しかし、気まずさから視線を逸らした梧を見ながら、傳は軽く息を吐いた。
「……疲れていませんか?横にならなくて大丈夫?」
急にそんな風に気遣われ、梧は戸惑った。静かに首を横に振る。
「……そう。無理をしないでね」
傳の態度がころころ変わるので、梧は自分の感情をどう持って行っていいのかわからなかった。
……いや、前世を思い出して以降、向き合ってこなかっただけで、傳と言う人物は意地の悪い話し方をする捻くれた人ではなくて、本来、優しい人だったのかもしれない。
ふと、梧の脳裏に、子供のころ傳のことをパパと呼んで駆け寄っていた記憶がよぎる。
その時、傳は何のためらいもなく梧を抱き上げ、愛おしそうに抱き締めてくれたのではないか。
複雑な表情で傳を見上げた梧に、傳は眉を跳ね上げて首をかしげた。
「……信じたんですか?……前世があるなんて話を」
それを訊く梧の表情が、傳には耳を下げた大型犬のそれに見えた。
こんなに大きくなった息子に可愛いなどと言えばおそらく怒り出すだろうとは思ったが、ひとまずそれは後に回して、悩むふりをして口元に手を当て、緩む表情を隠しながら、「う~ん……」と唸り声を上げた。
「……簡単には信じられませんよ。だけど、海外でも前世の記憶を持っているという事例はいくつかありますし、君の性格が変わったように見えた説明もつきます」
梧は目を見開いて傳を見つめる。
その表情を見て、傳はため息をついた。随分、親と言うものを信用してくれないものだなと思った。
いや、親を信頼できないような記憶が、梧にはあるのかもしれない。
傳は立ったまま壁にもたれると、しおらしくなった梧の様子を見つめた。
「……冴島さんも、前世の記憶があるのかな?」
「……え?……いや……彼女は覚えていません」
優しい声色で傳が聞くと、驚きつつも梧はあまりためらわず答えた。
少なくとも、今は傳のことは信頼できると思ってくれたらしい。
梧を見つめる傳の目が、柔らかく細められた。
「そう。でも、前世で関わりがあったんだね。君が彼女に執着するのは、彼女が前世で恋人だったから?」
「…………恋人…………」
てっきり照れて頷くくらいの反応を期待したが、梧はそう呟いたっきり、難しい顔をして黙ってしまった。
梧の表情の機微を見定めつつ、ふむ、恋人未満か?それとも叶わぬ恋だったか、と、頭の中で想像を巡らせる。
ただ、そこまで前世の話を詳しく聞き出すつもりはなかったし、興味もなかった。
「……冴島さんのことは好きなんだよね?」
確認のつもりで訊くと、梧はパッと顔を上げ、その表情は暗い中でもわずかに紅潮しているのがわかった。
急な動きをしたせいで、肋骨が痛んで梧はわき腹に手を当てた。
あまりにもわかりやすい反応に、傳はニヤける口元にこぶしを持って行って、咳払いの恰好を取ったが、
「……なぜ、笑うんですか」
隠しきれなかったようで、梧は不機嫌そうな顔をした。
ため息をついた梧は、傳から視線を逸らす。
「……おかしいと思っているんでしょう?十二も年下の女子大生を好きだなんて。……俺だって、不釣り合いなことくらいわかっています。……彼女にとっては迷惑かもしれませんが、気持ちを伝えたら……、きちんとフラれて諦めますから」
からかわれたと思ったのか、梧は傳の返事も待たずに聞いてないことまで話してくれた。だが、その内容に傳は眉間にしわを寄せる。
「ちょっと待ってよ、なんでフラれるって決まってるんだい?」
「……なんでって……、彼女には年の近いふさわしい青年が居ますよ」
「ん~~~?」
傳はそれを聞いてますますしわを深くして小首をかしげる。
梧の言う、年の近いふさわしい青年と言うのは、彼女が一緒にいた青年のことだろうか?
あの青年の方はどうかわからないが、おそらくたまきの方は彼をそういう対象として見てはいないだろう。
少なくとも、たまきは梧に恋人がいると勘違いして避けてしまうくらいには意識していて、頬に触れてくる梧の気持ちを無意識に感じとっているとは思う。
どう考えても脈ありだ。たまきのような素直ですぐに顔に出るような子だったら、梧が頬に触れたら顔を真っ赤にして照れるだろうに、それを見ても自分に気があるとは思わないんだろうか。
「……梧……、君もしかして、恋愛経験ないの?」
傳は梧に疑いの目を向ける。
梧はそれに対して目を見開いたが、さっと顔をそむけた。
「えっ!嘘だろう?前世でどのくらい生きたか知らないけど、今世だけでも君は三十を超えているんだよ?」
梧の反応を見て、傳は驚きの声を上げた。
少し声が大きくなりすぎたかと、口元を押えて、首をすくめる。
しばらくそのまま沈黙して入り口を見つめたが、待っても誰もやってくる気配がなかったので、傳はほっと息を吐いた。
「……経験が少ないのは、認めますが……」
梧も声をひそめて答えた。
「じゃあ、冴島さんがほぼ初恋ってこと?」
弱々しく言った梧に傳は畳みかける。別に責めるつもりはなく、ただの確認だったが、梧は押し黙った。
これは思ったよりも重傷だ。
梧がたまきへの想いを認めたのがついさっきだとは知らない傳は、まあ……好きだと自覚しているだけマシか。と思い直した。とにかく、これ以上こじらせるのは良くない。
傳は、しゅんと視線を落としている梧の肩に優しく手を置くと、
「……いいかい、梧。相手が十二歳年下のぴちぴちの大学生だろうと、ふさわしそうな相手が居ようと、ましていい歳をして初恋だったとしても、想いを伝えるときはそんな素振りを微塵も見せちゃいけないよ」
と、至極真面目な顔をして言った。
「……な、何を言って……」
「何って、アドバイスだよ。せっかく君を美しい容姿に産んだんだ。それを存分に生かして、自信をもって好きだと伝えるだけでいい。間違ってもフラれた時のための予防線なんて張る必要は一切ないからね」
「……産んだって……。産んだのは母さんですし、見た目を思い通りに産めるわけが……」
「いいんだよ、そんなのはどうだって」
理屈っぽい梧の言葉を一蹴する。
「頭で考えすぎないで、時には心のままに行動してみなさい。付き合えるかどうかは相手が決めるんだから、答えを聞く前からフラれるなんて思わないことだよ」
梧は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で傳の顔を見つめていた。
父親からこんなアドバイスをもらえるなんて思っても見なかったのだろう。
梧のことを構い倒して仏頂面を崩すことに躍起になるのではなく、きちんと話を聞いてあげればよかったなと、傳は今更になって思った。
だからと言って、今後、梧の表情を崩す行動をやめようなどとは思っていないが。
傳はふと、腕時計で時間を確認した。
「……疲れただろう?もう横になった方がいい」
そう言って、まるで幼い子供にするように優しく頭を撫でると、傳は背中に差し込んでいたバッグをゆっくり引いて、梧が横になるのを手助けした。
梧を見つめながら、額に手を置いて熱を確認し、首元に触れる。
熱は下がっているのを確認すると、微笑んで梧と視線を合わせると、
「おやすみ、梧」
と、言ってもう一度頭を撫でた。
梧はぼんやりと傳を見つめている。どうやら今までとは違う傳の態度に戸惑って、処理落ちしたのだろう。
「……おやすみなさい」
と、随分と素直に答えた。
「……僕は他の患者を見回ってくるね」
そう言って大きな医療用のバッグを持って、部屋を出て行こうとしたとき、
「……父さん」
と、梧が声をかけてきて、傳は足を止めた。
振り返ると、梧は頭を上げ、少し照れたような顔で、
「ありがとう……ございます」
と、言った。
傳は、今までに見たことないような、少し照れた、嬉しそうな顔で微笑んだ。
いくら人の感情の機微に疎い梧でも、それが傳が心から喜んでいる顔だということはわかった。
急に自分の言動が恥ずかしくなったが、
「……どういたしまして」
と、傳にその表情のままそう答えられたら、ああ、言ってよかったと思った。
傳が部屋を出て行くと、梧は首を戻し、天井に映るろうそくの明かりの揺らぎをしばらく見つめた後、ゆっくりと目を閉じた。
なんだか、胸の奥がとても暖かかった。
翌日、目が覚めると通信が復旧しており、一通りの連絡が取れるようになっていた。
スマホが壊れてしまった梧の代わりに、同行者が時雨たちにも連絡を取ってくれたようで、ひとまずほっとする。
数日のうちに、近隣国から日本政府が手配する臨時便が出されるという情報もあり、帰国に向けて色々と準備を始めることになった。まだ鎮痛剤に頼っていて満足に動けない梧に変わって、日本からは時雨が、現地では同行者たちが運転手とともにいろいろと手続きや荷物の確認に走り回ってくれ、また、肋骨を骨折している梧を飛行機に乗せるため、急変に備えて付き添う医師として、傳が一緒に帰国できることに決まった。
「何とか、いい方向に風が吹き始めたようだね」
傳がそう言って微笑むと、梧は実際に風が頬に触れたような気がした。
梧が表情を緩めて頷くと、ひたすら現状に緊張していた同行者たちも、ようやくほっとして息をついた。
――――――――――――――
「本当ですか!?」
時雨から連絡が入り、梧の居場所と帰国日がわかったという連絡がたまきの元に入った。
『はい。三日後の臨時便で帰国できるようです』
時雨の声も、ほっとしているようだった。
たまきは大学の廊下で電話を受けたが、気が抜けてそのまま壁にもたれかかって座り込んだ。
一緒にいた琉輝とさっちょんが一瞬慌てたが、
「……よかった……。本当に、良かった……」
と、涙ぐんだたまきの言葉が聞こえて、顔を見合わせて二人もホッとした顔をした。
『……あー……、でも、帰国してからもいろいろと手続きがあって……すぐには会えないかもしれないんです……。落ち着いたら梧からも連絡はさせますし、会えるようになればすぐに連絡します』
「そんなことは良いです。とにかく無事で帰ってこれるなら……」
時雨は”無事で”と言う言葉に少しの間沈黙した。
たまきはそれには気づかなかったようだが、梧が怪我をしたことを今はまだ伝えられないと時雨は判断した。
まして、流れ弾に当たって怪我をしたとは絶対に言えない。
帰国してから、たまきとの面会までの時間をどのくらい引き延ばせるかはわからないが、肋骨骨折の完治には1~2か月程度はかかるだろう。
そこまで全く会えないというのは難しいのではないかと時雨は考えたが、梧が帰国したらそのあたりの口裏をどう合わせるか、相談しなければと思考を巡らせた。
『……もう少しだけ、待っていてくださいね。たまきさん』
たまきの耳には優しく響いた言葉だったが、それを言った時雨の胸には、少しだけ罪悪感が残った。
時雨にとってその三日間は、日本側からできる手続きを進めているうちに、あっという間に過ぎた。
当日になり、時雨たちは空港ではなく、緊急搬入される予定の病院で待機していた。
朝から落ち着かない時雨を心配して、
「落ち着いてください、霜槻さん」
と、本人も朝から何度もタイプミスをしていた翠が、その震える手で時雨の手を握りしめた。
時雨は何度も頷いて、翠の手を握り返す。
「翠!霜槻さん!」
そこへ、仕事を終えた緝も駆け付けた。
「緝くん!」
「森庵……」
緝を見て、翠は緊張に耐え切れず、駆け寄ってきた緝を抱き寄せる。
その背中を片手でさすりながら、翠越しに顔を出した緝は、時雨の青ざめた表情を見て、その背中にも手を伸ばした。
背中をさすられて、時雨は自分を落ち着かせるためと、緝に大丈夫と伝えるために、再び何度も頷いて見せた。
そこに、救急車の音が近づいてきた。
一気に三人の緊張が高まる。
救急車は病院裏の搬入口に止まり、車からストレッチャーが降りて来る。邪魔にならないように廊下からその様子を眺めていると、同乗していた傳が見えた。
傳は待機していた医師と看護師に早口で状況を伝えている。
ストレッチャーが動き出し、病院内に入ってくると、ようやく底に横たわる梧の姿が確認できて、
「梧!」
時雨は思わず声を上げた。
それに気づいた傳が、時雨に駆け寄る。
「時雨くん!」
「傳先生!」
ストレッチャーが廊下を走っていくのに合わせて移動しながら、横たわっている梧の表情が、苦痛に顔を歪めていることに不安そうな表情を浮かべた時雨たちに向かって、傳が口を開く。
「ここまでの移動と気圧変化によって腫れと痛みがぶり返しているんだろう。精密検査の結果を待たなければならないが、悪化しているわけではないはずだ」
梧を乗せたストレッチャーが処置室に入って行き、時雨たちは締め出されると、時雨はその場に立ち尽くし、翠は廊下のベンチに力なく座り込んだ。
緝は静かに翠の隣に座って、その背中をさする。
傳は見慣れない翠と緝の二人を交互に見ながら、「梧の知り合い?」と、首をかしげて時雨に訊いた。
「あぁ……、はい。孤崎さんはうちの会社のエンジニアで、彼は孤崎さんのパートナーです」
「森庵緝と言います」
落ち着いた様子で自己紹介をした緝の横で、翠は緝をパートナーだと紹介されてギクッとした。
「そうなんだ。息子の梧がいつもお世話になっております」
気にした様子もなくそう笑顔で挨拶をされて、翠はようやくほっとして「孤崎翠です……。こちらこそ大変お世話になっております……」と挨拶を返した。
緝の家族から反対されていることもあって、良くない反応が返ってきたらどうしようと言う心配があったのだが、杞憂だった。
「君たちも、梧の前世からの知り合いなの?」
さりげなく言った傳の言葉に、三人は一瞬固まり、緝と翠は時雨の顔色を窺った。
「……どうして、傳先生がそれを……」
驚いた顔で時雨が言うと、
「やっぱりそうなんだね」
と、軽い調子で言って、不敵な笑みを浮かべている。
だが、妙な緊張感が走るその場の空気に、傳は「ああ、いや」とすぐに首を横に振った。
「それを知ったからってどうってことはないんだ。でも、時雨くんと梧の出会いは突然だったろう?ずっと疑問だったんだ。どういう繋がりなのかってさ。昔からの知り合いみたいに親しかったしね。だからと言って、前世がどういうものかを知りたいとも思っているわけじゃないよ。君たちにはこれまで通り梧と関わっていてほしい。僕はただ”どうしてなんだろう”の理由が知りたかっただけだから。……気にしないで」
今度は純粋に、息子の友人たちを見守るような優しい笑顔になった。
そして、傳は三人に向かって頭を下げる。
「これまで梧を支えてくれてありがとう」
突然のことに三人は驚き、翠と緝も立ち上がった。
「つ、傳先生!?やめてください、そんな……!」
「あ、頭を上げてください」
「支えるほどのことはできていませんし……!支えられているのはこっちの方で……」
傳は顔を上げて、焦る三人の顔を順々に見ながら、
「うん。……これからも、梧をよろしくね」
と、嬉しそうに微笑んだのだった。




