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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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 梧たちを乗せたタクシーは、中心地からどんどん離れて郊外へと向かっていった。

 向かっている途中に、若い同行者が、

「ホテルに置いてきた荷物は諦めですかね……」

 と、小さな声でつぶやいて、ため息をつく。

「何か、貴重品を置いてきたわけじゃないよな?」

 他の同行者が尋ねると、「いえ!着替えくらいのものですけど……」と言って、もう一度ため息をついた。

 取りに戻れないと思うと、急に惜しくなるものかもしれない。

 だが、命があるだけありがたい話だと思い直したらしく、「変なこと言ってすみません」と言って、彼は顔を上げて外を見つめた。


 タクシーは、郊外にある教会に辿り着いた。

 歴史を感じさせる石造りの教会で、数十人は収容できそうな大きさだった。

 梧が運転手に肩を借り、教会の中に入ると、二、三十人ほどの人が礼拝堂に集まっていた。

 服装からして、中心街から避難してきた人たちだろう。

 運転手は梧を礼拝堂の椅子に腰掛けさせると、司祭の元へ行って事情を説明をし始めた。

 同行者たちも梧の近くに来て、

「本当にすみませんでした。私たちの調査不足で、危険な目に遭わせてしまいまして……」

 と、再び頭を下げる。

 梧は首を横に振り、

「私も事前に調べましたから、私の判断ミスです。本来なら、様子を見ようとこちらからも提案すべきでした」

 と、答えた。頭を下げたかったが、胸部が痛むので難しく、わずかに頭を動かしただけになってしまった。


 —————…………なにか、自棄になっていないだろうね?


 そう、時雨に言われたときは、そんなことはないと思っていた。

 だが、今になってみればそんな節もあって、注意深く情報を精査しきれていなかったかもしれない。

 

 デモは治安部隊によって沈静化されていると言う情報だったし、現地職員の話でも、工場のある地域で普通に生活はできているという話だった。

 情報統制がされていたのか、急激に事態が悪化したのだ。予想できなかったのも仕方ないとも言える。

「……今は無事に帰ることだけを考えましょう」

 梧がそう言って微笑むと、同行者たちもぎこちなく微笑んで、頷いた。

 

 運転手が説明と話し合いを終え、戻ってくると、

「(小さな部屋を一部屋、使っていいと言われた。電話も貸してもらえると言うから、連絡できるか試してみるといい。うまくすれば繋がるだろう)」

 四人の顔をそれぞれ見ながら言うと、同行者の一人が頷いて、電話を借りに行った。

 運転手はまた梧に肩を貸し、奥の部屋へと案内した。

「(だいぶ体が熱いな。熱が出てきたんだろう。少し休め。飲み水はあるか?)」

 梧を部屋にあったベッドに寝かせ、そう聞くが、梧も同行者も首を横に振った。

 水は、もう底をつく程度しか持っていなかった。

 運転手はそれを聞いて、部屋を出ていった。

 しばらくして、運転手が伝えたようで、教会の職員らしき女性が水を持ってきてくれた。

 梧は体を起こして水を飲んだが、熱が上がってきたらしく、寒気に襲われ、体も重たく感じられて、すぐに横になった。

 もともと肋骨骨折のせいで、深く呼吸ができなかったところに、熱のだるさでも呼吸が浅くなっている。

「……海風社長……」

 若い同行者は眉根を寄せながら、梧を見つめる。

 しばらくそうして見つめて、何かを考えている様子だったが、若い彼は急に立ち上がった。

「……どうした?」

 他の同行者が声をかけるが、彼はきゅっと唇を噛み締めた後、部屋を出ていった。

「あ、おい!?」

 同行者も後を追おうとしたが、そこへ電話を借りに行った同行者が戻ってきた。

「わっ」

 二人はぶつかりそうになって顔を見合わせた。

「いや、彼が部屋を出てったんで……」

「えっ?」

 若い同行者が行ったであろう方向を振り返ったが、もうすでに姿は見えなかった。

「……それより、どうだった?」

「大使館につながって、ひとまず居場所と状況を伝えてきました。……あと、工場にも連絡して状況を確認して、銃撃はあったようですが、入り口を封鎖して耐えているうちに治安部隊が入って、ことなきを得たようです。怪我人は数人いるようですが、いずれも軽症だとか」

「それは……ひとまず、よかった……」

 同行者たちは顔を見合わせ、ほっと息を吐いた。

 しかし、熱でうなされている梧に視線を落とし、表情を曇らせる。

「……海風社長、大丈夫でしょうか」

 状況がすべて好転しているわけではない。大使館に連絡が取れたとは言え、今のところ、無事に日本に帰れる保証がされているわけではなかった。

 貴重品は持っているものの、食事や飲み水、できれば薬もあれば良いのだが……と考え、

「何か、冷やせるものがないか聞いてきます」

 と、一人が言った。

「お願いします。……そう言えば、彼はどこに行ったんでしょう。戻ってこないけど」

「……それもついでに確認してきますよ」

 冷やせるものがないかと言った同行者はそう言うと、部屋を出ていった。



「あいつ、運転手と出かけたそうです!」

 薄い毛布のような布と、水を湛えた水桶を持って戻ってきた同行者は、焦った声でそう言った。

「えぇっ!?」

 それを聞いてもう一人が声を上げた。

「……っ、」

 梧がみじろぎしたので、彼らは身を縮め、「うるさくしてすみません」と謝ると、梧は目を閉じたまま、軽く首を横に振った。

 水桶をベッドサイドに置くと、同行者はカバンに入れていたハンドタオルを取り出し、水に濡らして、梧の額に置いた。

 ひとまずできることはそれくらいしかなかった。

「……後で飲み水も持ってきてもらうよう、話をしてきました。食べられるかは分かりませんが、炊き出しもあるそうです」

 彼が静かな声でそう言うと、梧は頷き「……すみません」とだけ、掠れた声を出した。

 その様子を見た後、もう一人の同行者が彼の腕を引いた。

 少し梧から離れたところで、声をひそめ、

「運転手と出かけたって、どこへ?」

 と、若い同行者について訊いた。

「分かりませんが、近くにいた人によれば、物資を調達したいとかなんとか言っていたそうです」

 訊いた同行者は、目を見開いた後、頭を抱えてため息をついた。

「……相談してから行ってくれよ……」

「同感です。物資の集まるところは危険かもしれませんから……」

「…………今回、霜槻さんの強い意向で、高い金を払ってかなり優秀な運転手を手配してもらったから、彼なら現地の安全なルートはわかっているとは思うが……」

 言いながら、スマホを取り出すも未だ表示は圏外だった。

「ええ……。何も一緒についていくことはないでしょうに。まだ連れてくるのは早かったですかね」

「社内では落ち着いててしっかり者だと思ってたんだが」

 言って二人は、深いため息をついたのだった。


 ――――――――――――――


 傳は緊急医療チームと共に無事現地入りを果たし、中心地に設置された拠点にいた。

 運ばれてくる怪我人の手当てに奔走しながら、梧がいないか確認するものの、今のところ見つけられていない。

 ここに居ないということは、怪我もせず、どこか安全な場所に避難している可能性が高いのかもしれないが、確証はなかった。

「海風先生、私、物資の受け取りに行ってきます」

 一人の医師が傳に声をかけてきた。

 今回、彼を通して医療チームに入れてもらったのだ。

「それなら、僕が行きますよ。現役臨床医のあなたが残った方がいいでしょう」

 言って、彼の手からリストと緊急医療チームのロゴが大きく入ったベストをするりと取り上げた。

「え?何をおっしゃってるんですか。海風先生の手際は今も変わりないですよ」

「私は研究者としての方が長くなってきましたからね。実際、外科医をしていたのは20年近く前ですし、医療チームへの参加ももう3年は空いてしまったかな」

 傳は苦笑いを浮かべながらベストを羽織ると、リストをパラパラとめくって目を通す。

「もちろん、足手纏いになるつもりはないですがね。これは僕が行きます。あなたは、これからの人員配置の相談もあるでしょう」

「……ええ。行っていただけるなら助かりますが……」

「では、そういうことで」

 戸惑う医師にニコリと笑いかけて、リストを持ち上げて見せた後、傳は現地の案内人と共に車に乗り込んだ。


 車が出発し、傳は窓から外を眺めた。街のあちこちに治安部隊が物々しい装備でうろついている。

 車は現地の運転手が安全な道を選んで進んでいったが、緊張感が高まっている状況に、ピリピリと神経が逆立つような感覚がした。

 研究者になってからも医療チームへの登録はそのままにしていたから、要請があれば参加していた。その頃、よく感じていた感覚が蘇って、懐かしさを覚える。

 ……初めから研究医である桐子と比べて、傳としては臨床医の方が性に合っているのかもしれない、と思った。

 

 

 物資の引き渡し場所で、傳はリストと照合し、次々と車に積み込んでいた。

 そこへ、一台のタクシーが停まった。

 警戒した案内人が、傳とタクシーの間に庇うように立ち、様子を伺う。

 降りてきたのは現地の運転手と、日本人の青年のように見えた。

 青年の方は、思い詰めたような表情でこちらに向かって、

「(薬、水、物資、欲しい。熱、高い)」

 辿々しい現地の言葉で話した。

 見かねたタクシー運転手が、

「(肋骨が折れた患者がいる。ひとまず応急処置で胸部の固定はしたが、時間が経って発熱した。解熱剤か鎮痛剤をもらうことはできないか)」

 案内人は、傳の前から引かず、そのままタクシー運転手に応対した。

「(ここにある物資を引き渡すことはできない。もっとひどい症状の患者もいるし、一錠たりとも無駄にはできない。それくらい、わかってくれるだろう?)」

 現地の人同士の会話についていけていないらしい青年は、案内人と運転手の顔を交互に見た後、縋るような目で運転手を見つめた。

 運転手は首をすくめて横に振る。

「……そんなぁ!」

 青年は情けない声を出した後、

「(助けたい、困る、お願いします)」

 また単語のみの言葉で懇願しながら、案内人に頭を下げている。

 傳はどうにも胸騒ぎがして、

「……日本の方ですか?」

 と、案内人の後ろから顔を出し、青年に声をかけた。

 案内人が険しい顔で首を横に振って制止したのを

「(勝手な判断はしないよ)」

 と、言って微笑んだ後、日本語を聞いて目を丸くしていた青年の方に向き直った。

 悲壮感が漂っていた青年の顔は、みるみるうちに明るくなっていく。

「はい!日本人です!」

 そう、元気よく答えた後、

「銃で撃たれて、肋骨が折れてしまった人がいるんです。熱が出てしまって……、薬と飲み水だけでも欲しいんです。どうにかなりませんか?」

 と、懇願してきた。

「銃撃で、肋骨骨折だけで済んだんですか?」

「……あ、はい。スマホが銃弾を受け止めて」

「なるほど。幸運でしたね」

 傳はそう言って、微笑んだ。

 青年は顔を顰める。どこが幸運なのかと言いたいのだろう。

「……残念ですが、ここにある物資を勝手に渡すことはできません。その患者はどこに滞在していますか?そこには他にも怪我人や治療を必要な人はいますか?」

 傳が冷静に対応すると、青年の表情は再び暗くなった。

「……郊外の教会です。他に患者がいるかどうかは……」

 言いながら、青年は助けを求めるように運転手の顔を見る。傳はすぐに運転手の方へ向き直り、青年に言ったことを、そのまま現地の言葉で運転手に聞いた。

「(司祭の話によれば、彼の他に怪我人が数人、いると言っていた。それぞれの状態や程度は知らないが、医療物資は潤沢ではない。食事は……簡単なもので炊き出しはするとは言っていたが、それも十分な量ではないだろう)」

「(わかりました。私は一度本部に戻って、状況を報告します。物資に関しても、医師を向かわせることができるかも保証はできません)」

「(あぁ。わかった)」

 運転手は存外冷静だった。状況判断能力も優れている。

 傳は感心した。そもそも、危険を顧みず、顧客の意向に沿って物資の調達に走ってくれる時点で、彼はかなり有能であると同時に、相当なお人好しと言っても過言ではない。

 雇った人間はかなりの金を出したはずだ。

「……念のため、私の連絡先だけ渡しておきますが、物資も医師の派遣も期待はしないでください。それは今、彼にも伝えました」

 青年に向き直り、傳はリストの端に自分の連絡先を走り書きすると、ちぎって手渡した。

 傳の言葉に暗い顔になった青年は、連絡先を受け取った途端、驚いた表情に変わった。

「……カイフ……さん、と、おっしゃるんですか……?」

 カタカナで書いた名前に反応し、青年は目を見開いて傳を見た。

 その様子に、傳の背筋にゾクっとした悪寒が走る。

 平静を装いながら、傳は静かに口を開いた。

「……もしかして…………、その怪我人の名前というのは、……海風梧、ですか?」

 傳の質問に、青年は青ざめた顔で頷いたのだった。


 ――――――――――――――


 霧が立ち込めたような、白くぼんやりした部屋に梧は居た。


 —————梧さん?


 ふと、たまきの声が聞こえた気がして、梧はふと首を捻って姿を探した。

 だが、靄に包まれて見通せず、たまきの姿も見つけられない。


 “たまき?“


 呼ぼうとしたのに、声が出せなかった。

 もどかしさに喉を押さえたが、塞がったように息もうまくできない。


 “たまき!”


 胸の中で、必死に叫ぶが、声にはならない。

 だが、声をかけなければたまきが去ってしまう気がした。


 “行かないでくれ!”


 やはり声は出ず、息も苦しい。

 梧は手を伸ばして、辺りを探った。手には何も触れない。腕を振り回し、梧はもがいた。

 もがいて、もがいて、そうしているうちに、梧は倒れ込んでしまった。


 “行くな……、行かないでくれ……”


 胸中でも弱々しい呟きしかできなくなった梧は、急に脇腹に激痛が走って、服をかき寄せる。



「…………っく……ぁっ……、…………っまき…………!」

 ふさがった胸と喉を無理やり押し開けるように、梧はようやく声を発して目を覚ました。

 夢と現実の境が曖昧なまま、あおむけで天井を見つめていたが、ベッドの上からの景色と少し違う気がした。

 心配そうに蒼白になったいくつかの顔が目の前にあって、梧は驚く。

「だ、大丈夫ですか?」

 そう問われても、何が起きているのかすぐには理解ができなかった。

 だが、梧の下で、もぞりと何かが動いて、驚きのあまり体がビクッと反応した。

「っ……」

 体をこわばらせたせいで、肋骨が痛んだ。

「……まったく、どんな夢を見ていたんですか?……急に手を動かして暴れ出したと思ったら、ベッドから落ちるんですから……」

 —————その声に、聞き覚えがあった。

 ベッドから落ちた梧の下敷きになっていたその人が、そこから抜け出し、梧を抱えるようにして顔を覗き込んだ。

「……な……んで…………、あなたが………ここに…………」

 掠れた声で梧が尋ねると、その人—————傳は満足そうな微笑みを浮かべた。

 この人はいつもそうだ。梧が驚いたり、表情を崩すと嬉しそうに笑う。

「決まってるだろう?君を助けに来たんだよ、梧」

 その言葉に唖然とする梧をそのままにして、まだ覗き込んでいる人たちの顔を見上げ、助けを求めた。

 率先して助けに入ったのは、運転手だ。

 彼は梧を軽々と抱き上げ、ベッドに戻した。

 体を動かされて、また脇腹が痛み、梧は少しの間、奥歯を噛み締めて痛みをやり過ごす。

「少し診るよ」

 傳は先ほどの冗談のような会話から一転して、真剣な顔で梧の胸部を固定していた包帯の上から梧の肋骨の辺りを優しくなぞるようにして様子を見た。

「固定の強さも問題はなさそうだね」

 言うと、傳は梧の額に手を置いて熱を確かめた後、両手で顎の下辺りに触れ、「口を開けてごらん」と言った。

 父にそう言われるのはどことなく気恥ずかしくもあったが、言われるがまま梧は口を開ける。

 口の中を覗き込み、傳は「もういいよ」と言って、次は聴診器で梧の胸の音を聞いた。

 ほとんど会っていなかった父と、異国の地で再会し、診察を受けているという状況に戸惑いつつも、触れられてほっとしている自分がいることに、梧は内心驚いていた。

 熱で気が弱っているのかもしれない。

「……うん。肺炎ってわけでもなさそうだね。熱で苦しいだけだろう。解熱鎮痛剤を飲んで様子をみようか」

 言ってカバンの中から薬を探す。

 と、そこへ、一緒に来た看護師が部屋に顔を出した。

 他の部屋の患者を確認してきてくれたのだ。

「海風先生、他の患者もお願いできますか?」

「わかった。今行くよ」

 傳は近くにいた同行者の一人に、水と薬を手渡すと、

「これを梧に飲ませて、様子を見てください。しばらくすれば痛みが引いて楽になると思います。またあとで診に来るけど、様子がおかしかったら呼びにきて」

 言って、傳はカバンを持って部屋を出て行った。

 

 梧はそれを視線で見送り、傳の出ていった入り口をぼんやりと見つめた。

「……海風社長」

 声をかけられ、梧はハッとして声の方へ視線を移すと、薬を預かった同行者と目があった。

 梧が頷くと、他の同行者から体を起こしてもらい、差し出された薬を飲んだ。


 しばらくすると痛みと熱の不快感が和らいできて、梧はうとうとと、眠りに誘われていった。


 ――――――――――――――


 ろうそくの明かりだけがゆらめく部屋で、梧は目を覚ました。

 少し首を捻って辺りを確認すると、同行者たちは見当たらなかった。

 どこに行ったのだろうと頭を上げた時、

「……起きましたか」

 小声で話しかけられ、梧はビクッと身を震わせた。

 その動きで少しだけ脇腹は痛んだが、まだ薬は効いているらしく、のたうつほどではない。

 傳はベッドのすぐ隣、壁にもたれて座っていた。

 梧が起きたのを確認すると、静かに立ち上がると梧の額や首筋に触れて、顔を覗き込むと「熱は下がったみたいだね」と、言った。

「水、飲むかい?」

 と、聞かれたので頷くと、傳は梧の背中に腕を差し込んで起こし、傳の私物の鞄を梧の背中に当てた。

 ペットボトルの水をプラスチックのコップに注いで渡すと、梧は初め静かに飲もうとしたようだったが、止まらない様子で一気に飲み干してしまった。

 その様子を見て、傳は「もう少し飲んでおきなさい」と、さらにコップにもういっぱい、水を注いだ。

 それもまた一気に飲み干すと、梧は一息ついた。

 傳はそれを見て微笑むと、医療用のバッグの中から、ゼリータイプの栄養調整食品を取り出し、

「今はこれしかないけど、どうぞ。他の人たちは炊き出しをもらって、礼拝堂で休んでるよ。ここじゃ狭いからね」

 と言って、梧にパウチを手渡し、また壁にもたれて床に座り込む。

 梧は受け取ったものの、それを眺め、いつもと違う傳の様子に面食らった。

 いつもなら、梧に対して意地の悪い言い方をしたり、逆撫でするようなことを言うのに、医者らしいと言うか、父親らしい素振りをされて、調子が狂う。

「……なぜ、来たんですか……?」

 梧が傳を見下ろしながら言うと、梧の方を一瞥してからふふっと笑った。

「……言ったじゃないか。君を助けに来たんだよ」

 いつもの人を喰ったような笑みに、梧は、「真面目に聞いているんですが……」と、呆れた声を出した。

「……ええ。だから真面目に答えていますよ」

 傳は梧の方を見ずに、虚空を見つめたまま答えた。

 どこまで本気なのかわからない物言いに、梧は戸惑う。

「…………医療チームとしてきたのなら、俺を見つけたところで、すぐに帰れないかもしれないんですよ?」

「そのくらいわかってるよ。それでも日本で手をこまねいているよりはいいと思ったのさ」

 視線を合わせない傳の仕草が逆に、本気であると証明しているようだった。

「………………母さんは、怒っているんじゃありませんか?」

 そう聞くと、傳は一瞬目を丸くしたが、はははと乾いた笑いをあげて、

「……来る前にも、随分説得されたよ」

 と言って、ため息をついた。

「……まぁ……、帰ったら十分怒られますよ」

 傳がそう言ったっきり、二人の間には沈黙が流れた。

 いつもはそんなことしなくてもかまって来るから気にしたこともなかったが、梧は何か話題がないかと探してしまう。

「……さっき」

 そうしているうちに、傳が口を開いた。

 傳は梧を見上げ、その表情が少しいたずらっぽい笑みに変わった気がした。

 嫌な予感がして梧が身構える。

「……うなされていた時見ていた夢は、前世の夢?」

 傳の予想外の言葉に、梧は背筋に冷たいものが走る。

 何も答えられず、ただ硬直することしかできなかった。

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