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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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59

 たまきは翌日、いつもより早めに大学へ行って傳の研究室を訪ねた。

「えっ、お休み……ですか?」

 研究室自体は閉まっていたが、近くの研究室の水瀬教授が通りかかり、たまきに声をかけてくれて、傳がしばらく出勤しないことを教えてくれた。

「ええ、急なんですけど。……傳先生じゃないとわからないことですか?」

 勉強を聞きにきたかと思ったのか、水瀬は首を傾げる。

「……あの……。ええ……、はい」

 曖昧にたまきが答えると、

「……ん?あぁ、ちょっと待ってて」

 その曖昧さに、水瀬は何か思い出したように自分の研究室へ小走りで戻ると、すぐに戻ってきた。

「もしかして、……冴島、たまきさん?」

 1通の封筒を手に持って戻ってきた水瀬は、その宛名を読み上げて、たまきの方を見た。

「は、はい……。そうです」

 たまきが驚いた顔で返事をすると、水瀬は微笑んで、その手紙を差し出した。

「私の研究室のドアに挟んでありました。あなたがもし訪ねてきたら、それを渡すようにって」

 たまきがそれを受け取ると、水瀬はほっとしたような顔をした。

「……それで大丈夫そうかな?」

「……あ、はい。たぶん……。ありがとうございます」

「いえいえ」

 たまきは水瀬に頭を下げてその場を後にすると、読める場所を探して、小走りになった。

 中庭に出て、適当にベンチに座ると、緊張しながら手紙を開く。



 冴島さんへ

 

 せっかく訪ねてくれたのに、不在にしていてごめんね。

 梧の消息については、今のところまだわかっていない。

 僕はしばらく大学を休むことになるから、詳しいことは時雨くんに聞いた方が早いと思う。


 梧を探しに行ってくるよ。

 もちろん、大学の関係者には内緒にしてね?

 研究の一環だと言ってあるから、何かあれば口裏を合わせておいて。

 

 心配しなくても大丈夫。

 ちゃんと、梧は無事に連れて帰ってくるからね。


 念のため、桐子さんの連絡先を書いておきます。

 何かあったら連絡してください。

 一応、桐子さんには梧のところに行くことは話してあるから。


 それじゃあ、また。

 君は、勉強をしっかりと続けて、待っているんだよ。


 傳



「……えっ!?」

 たまきは手紙の内容に驚いて声を上げる。

 慌ててスマホを取り出し、外務省のサイトにアクセスした。サイトの地図上では、その国はオレンジ色を示していて、渡航中止勧告が出ていた。

 いくら、梧の消息がわからないとは言え、そんな危険な場所に行くことは可能なんだろうか。

 

 たまきは、カバンの中からパスケースを取り出すと、その中にしまってあった名刺を取り出した。

 出会った頃に梧と時雨からもらった名刺だ。

 梧の名前の書かれた名刺を見て、ぎゅっと胸が締め付けられたが、ひとまず今はそれどころではない。

 時雨の名刺に書かれた電話番号に、電話をかける。

『……はい、霜槻ですが……』

 知らない番号からの電話なのに、時雨はすぐに出た。

 おそらく、いつどこから連絡が来ても良いようにしていたのだろう。声が緊張している。

「あっ、時雨さんですか?たまきです!」

『……えっ?たまきさん?』

 たまきが名乗ると、時雨は緊張から一転、驚いた声を上げた。

「前にもらった名刺を見て、電話したんですけど……」

 タイミングが悪かったかな、と、心配したが、

『あぁ、ええ。それはいくらでも電話してもらって構いませんけど……、朝早くにどうかしましたか?』

 驚きを残したまま、時雨の声はいつもの柔らかい声色に戻った。

「あの……、梧さんのこと、傳先生から聞いたんです」

『…………………はい?えっ?たまきさんがなんで傳先生のこと……』

 次に言ったたまきの言葉が予想外だったのか、返答までにしばらく間を置いた後、時雨の声は一瞬裏返った。

 そう言えば、梧には目指している大学がどこかは話したけれど、無事に入学できたかも伝えていない。

 時雨が知っているわけもないのに、焦って説明を飛ばしてしまったと思ったたまきは、入学した大学で偶然、傳と会ったことを話した。

 

『そうだったんですか……』

 放心したような声で時雨は呟き、しばらく黙った。

 このところ、梧と向き合えていなかった上に、こんな状況下で頭の中がうまく整理できていない。

 しかし、時雨に電話をしてきたたまきの気持ちを思って、冷静さを取り戻すと、

『……梧のことを聞きたいんですよね?すみません。まだ居場所はわかっていなくて……』

 と、絞り出すような声で言った。

 きっと、たまきは事情を聞いてしまってひどく心配しているに違いないのに、状況は何もわからないままなのが歯がゆかったのだ。

 やはり梧を行かせるべきではなかったと後悔した。

 

「……それも……あるんですけど……」

 たまきは言いかけて少し躊躇った。

 時雨の声を聞けば、梧を心配して苦しそうなのに、傳のことも相談していいのだろうか。

 傳の手紙にも、内緒にしてねと書いてもある。

 だけど、たまきは考えた挙句に、話すことにした。

 「傳先生が、梧さんのところへ行くって……」

 少し罪悪感はあったけれど、手紙には“大学関係者には”と書いてあったから、時雨はそれには当たらないはずだ。

『えっ!?傳先生がですか!?どうやって!?』

 動揺したのか、スマホが何かに当たってカタンと音を立てる。

 小さな声で「いたっ」と時雨が声を上げたのも聞こえた。

「だ、大丈夫ですか?」

 たまきは、慌てて訊くが、『大丈夫です。ちょっと机に足をぶつけただけですから……』と、痛みを我慢するような、喉を絞った声が返ってきた。

 本当は、もう一度大丈夫かと訊こうとしたが、察したらしい時雨に『それで……、傳先生はなんて?』と促された。

「詳しいことはわからなくて……。……手紙をもらったんですが、ここには梧さんのところへ行くということと、無事に連れて帰ってくるとしか……。あとは……桐子さんの連絡先と、行くことは伝えてあるってことが書いてあります……」

 手紙を見ながらそう答える。

『そう……ですか』

 そう言って少し間を置いた後、

『わかりました。私の方から桐子先生に聞いてみましょう。傳先生のことですから、詳しいことは言ってないかもしれませんが』

 時雨は冷静さを取り戻したらしく、そう言ってくれた。

「はい……。お願いします」

 ほっとする反面、たまきは、結局、梧の現在の情報が何もないことに不安になった。

 こういう状況になった場合、どの程度のタイミングで居場所がわかるのか知らないから、わからなくても仕方がないのかもしれないが、そうではなかったとしたら、梧に危険が迫っているのかもしれない。

 

 そんなことを想像して、沈んだたまきの声を聞いて、時雨が電話の向こうで小さく息を吐く。

『……桐子さんに連絡した後、どうだったか連絡します。もちろん、何かわかってもすぐ連絡します。たまきさんはあんまり心配せずに待っていてください』


 電話に出た時の緊張した時雨の声を思い出せば、時雨だって梧のことを心配しているに違いないのに、たまきの様子を感じ取って、励ましてくれている。

 —————しっかりしなくちゃ。

 再び、呪文のように心の中で唱えた後、

「はい」

 たまきは、静かに返事をした。


 電話を切った後、たまきはしばらくぼんやりと、空を見上げていた。

 風が、たまきの頬を何度も打つ。

 励ましているのか、危機を知らせているのか、全くわからない。

 風のものだったハルの頃なら、全てわかったんだろうか。

 —————今は何もわからない。

 もしかしたら、前世で、風のものを待つ人たちはこんな気持ちだったのかもしれない。

 想う人が今どこに居て、何をして、無事でいるのかわからないってことが、こんなに苦しいということを知らなかった。

 たまきの周りを舞う風が、どうか梧や傳たちを守ってくれるよう、祈るばかりだった。


 ――――――――――――――――――


 時雨は電話を切ると、時間を確認した。

 桐子に電話するのは会社に行ってからにしようと考え、向かう準備をしていると「今の、たまき先輩?」と、紫露から声をかけられた。

 昨日、梧のことを話してから、よく眠れていないのか、紫露の顔色はあまりよくない。

「……あぁ。梧のことを聞いたみたいだ。心配してた」

 時雨も人のことは言えないくらい寝ていないのだが、少しため息をついてから、微笑みを浮かべる。

「そりゃ……心配するでしょ」

 顔色どころか、表情も硬い紫露に近づき、時雨はその頭を撫でながら顔を覗き込む。

「……顔色が良くない。学校休むか?俺は……会社に行かなきゃならないけど」

紫露は軽く俯いたまま、首を横に振った。

「大丈夫。……勉強してた方が気がまぎれるし」

「そう?でも、無理するなよ。体調が悪かったら連絡して。迎えに行くから」

「うん……」

 紫露の沈んだ声を聞いて、時雨は紫露を抱き寄せた。

 優しくその頭を何度か撫でた後、

「ごめんな、心配事ばかりで。梧もちゃんと無事に帰って来れるようにするから」

 そう言うと、腕の中で紫露が小さく頷いた。

「……じゃあ、俺は先に会社に行くけど、紫露も気をつけて学校に行くんだよ」

 そう言って体を離すと、少し潤んだ瞳を逸らしながら、紫露はもう一度頷いた。


 ――――――――――――――――


 桐子は、病院の共同研究室に来てはみたものの、傳から聞いた話のせいで、全く集中できなかった。

 傳から聞いた話というのは、梧が、渡航中止勧告が出ている国に滞在しており、連絡が取れなくなったということと、その国に傳が行くという話だった。

 前半の話は驚いたものの、後半の傳の行動力については衝撃だった。

 いつも突飛なことを提案する傳ではあるが、まさかそんなことを言い出すとは思ってもみなかった。

 昨日の夜遅くまで引き留め、諦めるように説得しようとしたが、こういう時の傳は全く引かない。

 桐子は自分のデスクにつくと、深くため息をついた。

 

 しばらくその姿勢で考え事をしていると、スマホの着信が鳴った。

 もしや、梧か傳かと思って、カバンの中を探ってスマホを取り出すと、相手は梧の友人である時雨だった。

 昨日、連絡をくれたのに、傳から事情を聞いたので、折り返していなかった。

「もしもし、海風です」

『桐子先生ですか?霜槻です。朝からすみません』

 時雨と顔を合わせたのは十年ほど前だった気がするが、梧の件で、数年に一度くらいは連絡をくれている。

 滅多に連絡をよこさない梧との間を取り持ってくれている人だ。

「いいえ。昨日お電話をいただいていたのに、ご連絡せずにすみません」

『いえ、昨日の件は傳先生にお願いしたので、特に折り返しは必要ありませんよ。……ただ今日は、その傳先生の件でお伺いしたいことがあってお電話したんです』

 桐子が詫びると、時雨は穏やかな声で答えたが、後半の声はピリッとした緊張感があった。

「主人のこと……というのは、梧のところへ行った、と言う話ですか?」

『はい。現在、渡航中止勧告が出ているはずですし、一般の航空機も止まっています。傳先生はもう行かれたということですか?』

 桐子は夜中に出かけて行った傳の背中を思い出しながら、またため息をついた。

「……ええ。緊急医療チームのボランティアの医師として、昨日出発のチャーター機に乗ったと思います……」

『なるほど。そういう手段で……』

 時雨は腑に落ちたようにそう言った後、小さく息を吐いたようだった。

「……そちらには、梧の消息の連絡はありましたか?」

『いえ。すみません。まだ連絡は来ていません』

 時雨の声色が沈んだ。

 桐子は、自分の言い方が悪かったと唇を軽く噛んだ後、

「……謝らないでください。あなたのせいではありませんから」

 と、言った。こんな時、申し訳なさそうな声が出れば良いのだが、桐子の声色は冷たく聞こえているだろう。

『……ありがとうございます。何かわかればすぐにご連絡しますので』

「……私も主人から連絡があればすぐにご連絡します。あまり心配しないで待っていましょう」

 相変わらず感情のない声で桐子は言う。

 自分自身に言い聞かせる意味もあった。

『お願いします。……桐子先生もお一人で不安でしょう。姉も今日本におりますので、気兼ねなく連絡してください。何もなくても駆けつけます』

 家族が危険地域にいて、一人でいると思考がマイナスの方向にいってしまうことを心配してくれたのだろう。

「霞さんが……。でもお仕事でいらしてるんでしょう?」

『そうですが……、遠慮せずに姉でも私でも連絡はしてください。話すだけでも気がまぎれるかもしれません』

「……ありがとう」

 本人が思うよりも、柔らかくホッとした声を出したことに桐子は気づいていなかったが、時雨はその声を聞いて、ふと梧を思い出しながら、挨拶を交わして電話を切った。

 

 桐子は電話を切った後、もう一度ため息をついた。

 気持ちを切り替えるために、いつもの白衣を手に取って袖を通すと立ち上がり、仕事へと向かった。


 ――――――――――――


 梧たちがタクシー運転手に連れてこられたのは、一軒の古びた家だった。

 痛みで意識を失った梧を抱え、運転手はその家のドアを叩いた。

 ドアが薄く開けられ、中から不機嫌そうな顔の初老の男性が顔を覗かせた。

 鋭い眼光の彼が元軍医なのだろう。運転手の顔と抱えられた梧を一瞥し、舌打ちした。

「(頼む)」

 運転手の短い一言に、男性はため息をついてからドアを大きく開けた。

 すぐに家の中に入り込んだ運転手に、同行者が戸惑っていると、

「(あんたらもさっさと入れ!)」

 と、男性に怒鳴られ、三人は慌てて家の中へ走った。


 家の中は普通の家と変わりがなかったが、奥へと進むと壁に同化させたドアがあり、その奥の部屋に案内された。ビクビクしながら同行者がその中に入ると、運転手は梧を床に寝かせ、元軍医の男と目配せを交わして、部屋を出ていった。

 同行者の1人が「えっ」と声を上げた。

 運転手がいなくなってしまったら、通信も遮断されているから、ここから動けなくなる。

 男は中から頑丈な鍵をかけ、同行者たちは青ざめて顔を見合わせる。

 それから男はカーペットと床をはぐり、地下室への階段が現れる。

「(こいつを運ぶのを手伝え)」

 ぶっきらぼうにそう言うと、梧の下に敷かれたカーペットをたぐり、担架のようにして梧を運ぶ指示を出した。


 

「……っ!」

 梧は痛みで目を覚ました。

「(目が覚めたか)」

 顔を覗き込んできた初老の男の顔を見て、梧は一瞬自分がどこにいて、何が起きているのかすぐには理解ができなかった。

「(ずいぶんと幸運なやつだな。スマホが盾になったばかりか、折れた肋骨が内臓を損傷している様子もなさそうだぞ)」

 言いながら、梧の胸部を弾性包帯で固定している。

「……っ、くっ……」

 腫れた胸部に包帯が巻かれていくため、梧は痛みに顔を顰めて、声を漏らした。

「(少し我慢しろ。固定すれば少しは痛みが和らぐ。応急処置だがな)」

 言いながら、男が手際よく包帯を縛って固定を済ませると、梧は軽く頷き、慎重に息を吸った。どうしても呼吸は浅くなるが、先ほどよりはずいぶん楽になった。

 男は呼吸による胸の膨らみ具合を確認し、

「(問題はなさそうだな)」

 と、男も頷いた。

「海風社長!」

 呼ばれて、梧は視線を声の方に向けると、青い顔をした同行者たちが、心配そうに梧の顔を覗き込んできた。


 ようやく、意識が現実に戻ってくると、

「…………すみません」

 梧は掠れた声で言った。

 三人は揃って首を横に振る。

「謝るのはこちらのほうです。社長に怪我をさせてしまって……」

 そう言った上司の横で、泣き出しそうな若い同行者を見つめながら、梧は浅く息を吸った。

「…………いえ。大した怪我でもないのに騒いで……、お恥ずかしい限りです……」

 同行者たちはまた首を横に振ったが、梧としては、彼らを気遣って言ったつもりはなく、本気でそう思っていた。

 前世で剣を振るっていた時から考えれば、肋骨が折れたくらいで気絶するとは情けない。

 梧はだるく重い腕を持ち上げ、額に手を当てた。

 

 …………気を失った理由は、なんとなくわかる。

 激しい胸部の痛みで、前世の死を思い出したのだろう。


 梧はため息をついた。


 意識が落ちる間際、たまきを思い出して、彼女への想いをはっきりと自覚してしまった。

 梧は額においた手を少しずらして、目を覆う。

 これは前世の名残じゃない。

 …………ハルへの想いの続きではない。全く別だった。

 うまく説明することはできないけれど、梧はそう思った。

 

「(悪いが、もう俺にできることはない。さっさと出ていく準備をしろ)」

 ぶっきらぼうな物言いに、梧が手を外して首を上げると、男は梧の背に腕を差し込んで、起き上がらせた。

 流石に痛みで顔を顰めつつ、梧は起き上がると、男が投げてきた上着を鈍い動きで着る。

「(ですが、タクシーの運転手が……)」

 同行者の1人が、青ざめて男に縋るような顔をした。

 男は階段の方へ向かいながら、

「(表に外国人を乗せるようなタクシーが止まっていたんじゃ狙われるからな。裏に隠れてるはずだ。裏口を案内する。……いい運転手に当たったな。あいつならうまくやるだろ)」

 と言うと、肩をすくめてため息をついた。


 梧は同行者に肩を借り、立ち上がると、元軍医の男に頭を下げた。

 彼は「(いいからさっさと来い)」と、相変わらずぶっきらぼうに言うと、裏口へと案内してくれた。

 梧に肩を貸した同行者は、

「本当に待っててくれますかねぇ……」

 と、不安そうにしていたが、裏口から少し離れた目立たない路地に、タクシーを止めて待っていてくれた。

 梧たちはその車に乗り込んだ。

「(どこへいくんですか?)」

 同行者が聞くと、運転手は、

「(教会だ)」

 と、一言だけ答えると、車のエンジンをかけ、走り出した。

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