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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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「えっ!?海風さん、行ったんですか?」

 連休明け、出社してきた翠が、姿の見えない梧の行方を聞いて、驚いた声を上げた。

 翠は去年の冬ごろから入社し、リモートで仕事を始めたあと、今年の春になって緝の引っ越しが済んで、落ち着いた頃から出社もするようになった。

 連休前に緝が熱を出した時にはリモートで対応していたので、実質の出社日数はまだ数えるほどだが、社員とも、梧や時雨ともだんだんと打ち解けてきた。

「はい。確認してくるって聞かなくて。週末には戻る予定です」

「……そうなんですか……。大丈夫でしょうかねぇ」

「先週より、状況は落ち着いているという話ですけどね」

 時雨はため息をつきながら、一通りニュースを確認した後、梧がいない分の仕事を進めている。

「あ……、それもそうなんですが……」

 翠も手は止めず、日課の社内システムのチェックを終わらせ、社員からの要望書に目を通しながら改善システムを構想しつつ、呟いた。

「……他にも気になることが?」

 時雨が手を止め、首をかしげる。翠は気まずそうに顔を顰めてから、ごまかそうと苦笑いを浮かべてみるが、時雨はじっと翠のことを見つめ続ける。

 諦めたように、翠はこめかみのあたりを指先で掻いた後、

「あ~……。いや……、状況も心配ではあるんですが、海風さん、様子おかしかったでしょう?お嬢さんとも会ってないみたいだし……。自覚しているかはわからないけど、海風さんは自分自身のことも含めて、お嬢さんのこと以外はどうでもいいと思っている節があるから……」

 と、時雨の顔色を窺いながら、答えた。

 その言葉に、時雨は驚いた顔をしたまま固まった。

 すぐに時雨からの返事がないことに居たたまれず、翠は慌てる。

「あ、いや!知ったような口きいて……」

「いやいや!その通りなんです!あいつは極端なんですよ」

 急に時雨の表情がパッと明るくなって、身を乗り出した。

 それを避ける形で、翠は少し後ずさると、微苦笑を浮かべる。

「だから心配なんです。たまきさんが居ないとほんっとにダメ男まっしぐらなんだから……。早く誤解を解いてあげないと」

「誤解?」

 翠の愛想笑いに気づいて、時雨は姿勢を戻したものの、早口でそうまくしたてた。

「ええ。たまきさんが梧と女性が居るところを見て、恋人だと勘違いしたらしく……。多分、それでたまきさんに避けられているんじゃないかと……」

 翠の聞き返した言葉に、時雨は頷き、言って顔を顰めた。

「えっ!女性?恋人!?」

 翠が信じられない!と言った顔で声を上げる。

 会社に出社するようになってから、普段の梧の対人スキルを目の当たりにしている翠は、どう考えてもたまき以外の女性と親しくしている姿が想像できなかったのだ。

「……私の予想だと、うちの姉さんが相手だと思うんですが……。あの人と一緒に居て、恋人のように見えるとは思えないんですけどねぇ」

「……あー、スウェーデンにいらっしゃるっていう……」

「はい。以前話をした……」

「……同性婚されている、お姉さん」

「そうです」

 以前、時雨は同性同士の翠と緝に、いろんな手段があることを話した。

 その時に姉である霞たちのことを話したのだった。

 翠にとってはまだ緝の家族にも認めてもらえないし、すぐに実行可能な手段だとは思えなかったが、提案は嬉しく、気が楽になったのは確かだ。

 会話が途切れ、少しの間沈黙が落ちた後、時雨は神妙な顔になった。

 それに気づいて翠が首をかしげる。

「……梧が帰ったら、()()()()を話そうと思っています。森庵にも話しておいてもらえますか」

 時雨がそう言うと、翠の眉が僅かに、反応した。

 視線を少し下に落として、

「……わかりました。緝くんも、もう、覚悟を決めているようですから」

 そう言ってから、視線を上げ、時雨を見つめる。

 時雨は翠と視線を合わせた後、頷いた。パソコンに向き直ったが、時雨のその表情は緊張で硬い。

 気まずそうに額のあたりを掻きながら、手元の資料とパソコンを何度も見比べている。

 手につかない様子の時雨を見ながら翠は眉を上げて、軽くため息をついた。

「……緝くんにも言ったことですけど……」

 時雨が顔を上げた。

「自分のせいでカザネを死なせたとか、そんな風に海風さんに説明したらいけないですよ。あなたも緝くんも、あの時にできる最善の手段を取ったんですから」

 それを聞いて、時雨は一瞬困ったように眉根を寄せた。

 それから微苦笑を浮かべ、

「……ありがとうございます」

 と、呟くように答えた。

 そうは言ってもなかなか意識は変わらないだろうな。と、翠は思ったが、時雨がさっきよりも集中して仕事を始めたので、ほっとして、自分もキーボードを軽快に弾き始めた。


 ――――――――――――――――――


「っか~~……。舐めてたわけじゃねぇけど、勉強きっつ……」

 合同授業の前に、琉輝が机に突っ伏して疲れた声で呟いた。

「……りゅーきくん、GWも勉強詰めだったの?」

「勉強と、バイトな」

「ほへ~、さっすがぁ」

 全く感情のこもっていない声でさっちょんが答えると、琉輝が睨みつけた。

「なんだよ、さっちょんは勉強しないで遊んでたってのかよ?」

「勉強もしたよ?だけど、遊びにも行った。息抜きも大事だよ☆」

 さっちょんはあおるようにピースをしながら言うと、琉輝は眉間を緩め、ため息をついて呆れた顔をした。

 さっちょんはいじりに慣れつつある琉輝の反応に、つまらなそうに首をすくめる。

「……なんだかんだ、さっちょんって頭いいよな。そんな感じなのに」

「どんな感じだよぅ」

 さっちょんは口を尖らせるが、琉輝は無視してさっちょんの隣の、たまきに視線を送る。

「たまきはGWどうだった?」

「…………え?」

 たまきが、声をかけられて顔を上げた。

「……たま?大丈夫?」

 その顔色を見た途端、さっちょんの顔つきが変わった。

 たまきの顔を覗き込み、心配そうに様子を見ている。

「……大丈夫かよ?」

 いつも大げさなほど心配するさっちょんの反応を気にしながら、琉輝も声をかけた。

 たまきは微笑んで、「大丈夫だよ」と答えた。背筋を伸ばして一息つくと、

「……えっと、なんだっけ?」

 と、その表情のまま、小首をかしげる。

 それでもさっちょんの表情は変わらない。

「たま、保健センター行こ。体調悪いなら、無理しちゃダメだよ」

「大丈夫だよ、バイトと勉強で少し寝不足だっただけ」

 相変わらず張り付けたような笑顔を浮かべているたまきに、さっちょんの表情は珍しく怒ったような表情になった。

「たま」

 その顔で、たまきの名前を呼ぶと、さすがのたまきも笑顔を崩して、気まずそうな表情になった。

 それを見てさっちょんは立ち上がり、たまきの腕を掴む。

「……ごめん、りゅーきくん。うちら保健センター行ってくるから、授業始まるまでに戻ってこなかったら、レジュメとっといてもらって、課題あったらあとで教えて」

 真面目な顔で琉輝にそう伝えると、

「立てる?」

 と、たまきに向かって聞いた。

「立てるよ。ほんとに寝不足なだけで、普通に歩けるから」

 たまきは頷いて言ったあと「……ごめんね、さっちょん。心配させちゃったね……」と、申し訳なさそうに続けた。

 うすうす感づいてはいたが、さっちょんとたまきの間には、琉輝にはわからない何か事情があるようだった。

 知らないことに焦りを感じながらも、二人の間に入って行けず、あとを追えない自分も情けなくて唇を噛んだ。


「あれ?佐々ちゃんたちどうしたの?」

 看護学部の女子二人組が、教室を出て行くたまきたちを見て、琉輝に話しかけてきた。

「あー……。たまきが体調悪いみたいで、保健センターに行った」

「え、そうなんだ……。冴島さん大丈夫?」

「……寝不足らしい」

 女子の心配の言葉に答えながら、琉輝の胸に不安がよぎる。

「そっか~。疲れが出る頃だよね~」

 もう一人が眉尻を下げながら言うと、

「……ねぇ、佐々ちゃんと冴島さんってさ、元陸上部だった?」

 女子がふと、そんなことを聞いてきた。

「え?……いや、俺はわかんねぇけど……。たしか、さっちょんは運動は苦手……」

 言いかけて琉輝は、出逢った時にさっちょんが言った言葉の違和感に気づいた。

 —————あたしが運動系じゃないほうがいいの。だけど、サークルは絶対たまと一緒がいいんだもん—————

 運動が苦手と言ったわけじゃない。

 運動系じゃないほうがいいと言ったんだ。サークルは()()()()()()()()()から……。

 琉輝が言いかけて止まったのを一瞥し、訊いてきた女子が遠慮がちに口を開く。

「たぶん二人、インターハイ優勝した、御堂さんと同じ高校の陸上部だったと思うんだよね」

「御堂って、御堂心悠?」

 もう一人が目を輝かせて聞くと、彼女は「そう!」と頷いた。

「私の友達も陸上部でさ、高校の時、一度だけ応援行ったことあるけど、御堂心悠ちゃんってすごくキリッとしててかっこいい感じだった~。言われてみれば佐々ちゃん居たかも。でも……冴島さんはわかんなかったなぁ」

「……冴島さんは、途中でやめたみたいなんだよね。うちの彼氏、佐々ちゃんたちと同じ高校だったんだけど。一年生の途中で病気になって、走れなくなっちゃった子がいたって言ってて……」

「……それが、冴島さんってこと?」

 言われて女子は静かに頷いた後、琉輝の顔色を窺うように視線を向けた。

 琉輝は青い顔でしばらく黙った後、顔を上げ、女子二人に、

 「悪ぃ。俺も抜けるわ。レジュメ三人分と課題、あとで教えてくれ」

 と言うと、すぐに席を立って走り出した。

 

 ――――――――――――――――


 息を切らせて保健センターに顔を出した琉輝を見て、さっちょんは目を見開いた後、すぐに落ち着いて保健センターの外へと促した。

 廊下に出て、壁に背を預けると、二人は並んで佇んだ。

「……どうかした?」

 わざとそう言ってみたものの、琉輝の表情を見て、大体の予想はついていた。

「いま、たまきは?」

「寝てる。ほんとに寝不足だったみたい」

 いつもとは違う、静かな声のさっちょんに調子が狂いつつ、「そっか……」と、琉輝は答えた。

 琉輝は、躊躇って視線を泳がせた後、

「たまき、何の病気なんだ?」

 と、意を決して訊いた。

 

 ……誰から聞いたのか。どこまで聞いたのか。

 さっちょんは視線を落として黙った。

 たまきが琉輝に話していないのに、勝手にそれを伝えるのは気が引けた。

 こうして黙っていたら、また、琉輝は教えろと食い下がるんだろうな。と思いつつ、切り出せないでいると、

「……さっちょん」

 てっきり、前みたいに、さっちょん!と大声を出されるのかと思ったら、琉輝は静かな声で懇願するように言った。

 さっちょんが顔を上げると、その顔は、今まで見たことないような切羽詰まった顔だった。

 本当は言いたくない。これはたまきの秘密だ。たまきが言いたくないなら、さっちょんだってそれを守りたい。

 けど、知りたいと思う琉輝の気持ちも、わからなくはなかった。

 病気のことがわかったとき、さっちょんだって心悠に詰め寄ったんだから。

「……他の奴には絶対言わない。たまきの助けになりたいだけなんだよ。さっちょんだけじゃ、どうにもならないときがあるかもしれないだろ。俺にもサポートさせてくれよ」

 そんな言い方で琉輝が食い下がってくるとは思わなかったから、さっちょんは驚いた。

 ……確かに、常にさっちょんが一緒にいれるかわからないし、今のところ一緒に行動していることの多い琉輝が知っていてくれたら、助かる場面があるかもしれない。

「頼むよ。教えてくれ、たまきの病気は何なんだ?」

 ダメ押しに、琉輝がそう言って、さっちょんは大きくため息をついた。

 琉輝から視線をそらして、さっちょんは口を開く。

「…………高1の夏ごろに膝の骨肉腫がわかったの。早期だったから切断は免れて、手術で腫瘍を除去して自家骨で再建して、リハビリをして、前とほとんど変わらずに歩けるようにはなった。今は軽いジョギングだったらできる。……でも……、痛みがあるみたいで長くは走れないし、前みたいにスプリントはもうできない」


 それを聞いて、琉輝は言葉を失った。

 もしかしてと思った中で、一番、最悪のことだ。

 たまきの両親は走るのが好きで、子供の頃、たまきも走ることが大好きでいつも走り回っていたことを、琉輝は知っている。その楽しそうな顔も、競争となると真剣になるその横顔も今でもありありと思い出せる。

 たまきがもう、思うように走れないなんて思いもしなかった。

 —————たまき、走るの好きだったじゃん。

 自分が何気なく言った一言は、たまきを傷つけたんじゃないだろうか?

 琉輝は歯噛みして、髪をかきあげた。

 たまきに会えて、浮かれて、自分はなんてバカだったんだ。

 琉輝はしばらく頭を抱えたまま立ちすくんでいたが、ため息とともに顔を上げる。

「今、病気自体はどうなんだ?治療とか……」

 さっちょんの暗い表情を確認しつつも、気になった。

「……詳しく聞いているわけじゃないけど、投薬とか治療はしていなくて、経過観察中だと思う」

「そっか」

 そう答えたきり、しばらく二人の間に沈黙が流れる。

「……一応、採血はしてもらったから、結果が出たらたまのところに連絡がくるみたい。常駐の先生は大丈夫だろうとは言ってたけど、寝不足やストレスが重なると、免疫が下がるから気を付けた方がいいって」


 心配そうな表情の琉輝を横目で見ながら、そう付け加える。

 さっちょんは、琉輝には申し訳ないが、王子のことを何とかしなくちゃ、と思っていた。

 紫露の話だと、恋人のことはたぶんたまきの勘違いだろうと言っていたから、その誤解を解いて、仲直りさせなくちゃと。

 王子と出会った後のたまきは、目に見えて変わっていった。

 愛想笑いみたいな笑い方もしなくなって、居なくなった家族のことも話すようになって、前向きになった。

 王子がたまきの支えになっているのが、さっちょんの目から見てもはっきりとわかった。

 ……なんて形容したらいいかわからないけど、まるで、居場所が見つかったみたいに、たまきは安心できたみたいだった。

 だけど、今のたまきは、前みたいに自分のことがどうでもよくなっている気がした。

 というより、必死に勉強に打ち込むことで、王子とのことを忘れようとしている感じがする。

 さっちょんはため息をついてから、

「……今できることはないから、うちらは戻ろっか。教室に入れなかったら、自習室行けばいいし」

 と、口元だけに笑みを浮かべ、琉輝に向き直ると、講義棟の方へ向かって歩き出す。

 いつも笑っているさっちょんの表情の裏に、たまきへの深い心配があったことに琉輝は気づかなかった。一度、保健センターの方を見てから、琉輝もさっちょんの後を追った。

 

 二人とも黙って廊下を歩きながら、ふと、琉輝が、

「悪かった」

 と、言ったので、さっちょんは不思議そうな顔で琉輝に視線を投げた。

 首をかしげていると、

「言いづらいこと言わせたよな」

 と、気まずそうに言う。

 さっちょんは足を止め、驚いた表情で琉輝を見上げた。

「……なんだよ?」

 さっちょんの視線に、言ったことの恥ずかしさもあって、琉輝は眉間にしわを寄せて睨むような目つきになった。

「……りゅーきくんて、そういう気遣いできるんだ……」

「なっ……、失礼な奴だな!いつも気遣いしてんだろ!」

 いつもの調子で怒りだした琉輝を笑い、さっちょんが「あっは、そうだっけ?ごめんごめ~ん」と、軽い調子で謝ると、「クッソ……」と、悪態をついたのだった。

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