52
「はー、ヒヤヒヤしたなー。優しそうな先生でよかったァ」
たまきとさっちょん、琉輝の三人は、近くのファミレスにやってきた。
注文を済ませたところで、琉輝が口を開く。
「ごめん……。私がよく前見てなかったから」
たまきがそう言って苦笑いした。
「いや!そういう意味で言ったわけじゃねーよ」
少ししょんぼりしたたまきに、琉輝は慌てて言った。
「まぁ、どっちにも怪我がなくて良かったってことで」
そこにさっちょんも助け舟を出す。
「うん、ありがと」
たまきが微笑むと、琉輝もほっとした顔をした。
「……どこの先生だったんだろうな。先輩たちも滅多に見かけないみたいで驚いてたし」
さっちょんが小首を傾げて、
「つたい?……つたえ?とか聞こえたけど、そんな名前の先生いたっけな?」
と、言いつつ、飲み物を飲んだ。
「入学式に緊張してて先生の名前とかまだ覚えてないや」
たまきが言うと、琉輝も「俺も」と答えた。
「まぁいっか。今度聞けばわかるし。選択科目とサークル見てみよっか」
さっちょんがスマホを開く。
琉輝も同じくスマホを開いて「うげ」と呻いた。
「ほぼ必修で埋まってんじゃん……」
「うわ……ホントだ。え、たまは?」
「私もこんな感じ……」
「え?一緒に受けれるとこ、少なくない?必修で被ってるとこくらいじゃん!」
「……今はカブる必修あるけど、学年上がっていくにつれて、一緒になるのってマジで昼飯とサークルしかないかもな……」
「えーー、寂しいよぅ、たまぁ」
言って、さっちょんがたまきに抱きつく。
「私もー」
たまきもそれに応じて抱き合う。
目の前で繰り広げられる光景に目を丸くした後、
「……仲良いな、お前ら……」
琉輝が呆れたように言うと、さっちょんはニヤリと笑みを浮かべて、
「羨ましいだろーぅ」
と、自慢げに言った。
「……あー、はいはい」
琉輝は手をひらひらと振って、適当に返事をすると、さっちょんは嬉しそうに微笑む。
「こはも居ないし、たまを独り占めし放題だもーん」
「あはは、さっちょんそんなこと気にしてたの?」
いいながら、たまきもさっちょんを抱きしめ返す。
「だって、こはとたまはラブラブすぎて、入る隙ないんだもん」
「そんなことないけどなぁ。でも、心悠どうしてるかな?言われたら気になってきた」
「だめ!今はさっちょんのことだけ考えるのだぁ」
言いながらさっちょんは抱きしめる腕に力を込め、たまきを左右に揺さぶった。
「あはは、ごめんごめん」
抱き合っている二人の様子に、琉輝は女子ってみんなこんな感じなのか……?と、居た堪れずに視線を逸らした。
だが、ふとラブラブという言葉にひっかかり、眉間に皺を寄せた。こはると言う名前は女子っぽいが、男でもありえない名前じゃない。
「こはるって?」
「知らない?去年のインターハイで優勝した、御堂心悠」
二人はひとしきり抱き合った後に、ようやく体を離して座り直すと、さっちょんが飲み物を飲みながら言った。
「みどうこはる……?女子だよな?」
「そだよ。女子100メートル、11秒47で優勝したの」
「……あぁ、そうなんだ」
あからさまにほっとした表情で琉輝は相槌を打った後、
「えっ!……11秒47!?」
と、驚いた。
「時間差だねぇ」
さっちょんはのんびりした口調でツッコむ。
「いや、高校女子の最速には届かないにしても、めっちゃ速いだろ」
「詳しいね?陸上やってた?」
さっちょんが首を傾げると、琉輝は首を横に振った。
「いや。こっち来るまでは野球。こっちきてからは帰宅部だけど……」
少し顔を逸らして、帰宅部という響きに後ろめたさを感じて、顔を顰めた。それに気づかれないよう、琉輝は顎のあたりを撫でる。
「へー。野球部なのに陸上に詳しいんだ?陸上部と付き合ってた?」
さっちょんがニヤニヤしながら言うと、琉輝は「ばっ……!」と、ばか!と言いそうになったのをこらえ、一度口をつぐんでから、たまきの表情を横目で確認した。
たまきは全く気にしたようすもなく飲み物を飲んでいる。
「そんなんじゃねぇ……」
がっくりきながら言うと、さっちょんはニヤニヤしたまま、
「……じゃあ、陸上部に好きな人いたとか?」
と、さらに揶揄う。
琉輝はみるみるうちに顔を真っ赤にしながら、
「お前なぁ……!」
と、文句を言いたいのを必死に堪えながら、さっちょんを睨みつける。
「へぇー。りゅうくん、そうだったんだ」
たまきは真っ赤な顔した琉輝を見つめて、その話に乗っかった。
「たまきまで!……違うわ!好きなやつなんかいねぇし!」
そう言うと、飲み物を一気飲みした。
琉輝はそのまま立ち上がると、ドリンクバーまで飲み物を取りに行く。
「私も行ってこよーっと」
さっちょんも空になったコップを持って、立ち上がった。
「いってらっしゃーい」
たまきはさっちょんにそう言うと、サークルのビラをいくつか眺めていた。
「りゅーきくん」
「あ゙?」
さっちょんが先にドリンクバーの前にいた琉輝に声をかけると、不機嫌そうな返事が返ってきた。
「こわ」
そういって肩をすくめて笑うと、さっちょんは琉輝の隣に並んで、ドリンクバーを注ぎながら、
「……りゅーきくんて、たまのこと好きだよね」
「はぁ!?」
思いのほか大きな声を出してしまって、琉輝はあたりを見渡しながら自分の口を手で押さえた。
周囲の人は、一瞬こちらに視線を向けたが、すぐにまた何事もなかったように戻っている。
「わかりやすっ!」
さっちょんがわざと驚いた顔で口元を押さえながら言うと、琉輝はまた顔を真っ赤にして、さっちょんを見つめ返す。
「なっ、そんっ……!えっ!?」
「ま、たまは気付いてないみたいだけどね〜」
琉輝の言わんとすることに気づいて、さっちょんが軽い口調で言った。
琉輝は一瞬動きを止め、大きくため息をつく。
「だよなぁ……」
もう隠すことは諦めたようで、琉輝は呟いたあと、さっちょんを横目で見てから、
「協力してくれたりは……?」
と、伺うような視線を向けた。
「あー、無理だねぇ〜。あたし、王子たま推しだもん」
そう、にこやかに即座に否定すると、踵を返して席の方へと歩き出す。
「…………おうじ……たま推し…………?」
あまりにあっさり拒否され、しかも訳のわからないことを言われて、琉輝は一回思考停止する。
「えっ?……なに?なんだよ、王子って?そういう奴いんの?えっ?たまき、いい感じの奴いんの!?彼氏じゃないよな!?」
しかし我に帰ると、さっちょんを追いかけ、琉輝は途端に喋り出した。
「さぁねぇ~。てか、りゅーきくん、うるさい」
声は絞っているが、矢継ぎ早に質問されたのをウザがり、さっちょんは虫を払うような仕草で片手を振って、琉輝に答える。
「いやいや、気になる話するからだろ」
琉輝が食い下がったところで、
「あ、おかえり」
席に戻ってきた二人を、たまきが笑顔で出迎える。
「ただいまー、たま」
さっちょんも笑顔で答えると、それ以上聞けなくなった琉輝は渋い顔で席についた。
「なに話してたの?すっかり仲良しになったんだね」
「そー見える?」
「ぜんっぜん、仲良しじゃない」
軽く流すさっちょんに、相変わらず不機嫌そうに琉輝が言う。
するとたまきが眉間に皺を寄せ、
「もー、りゅうくん?そんなこと言ってると、これから友達増えないよ?」
と、まるで子供を嗜める親のような口調で返した。
それを聞いたさっちょんは笑いだし、琉輝は唖然とした顔のまま固まった。
「……人の気も知らないで……」
そう言って顔を覆って俯くと、
「え?なんて言ったの?」
と、たまきは首を傾げた。
「かーちゃんみたいなこと言うなって言ったの!」
琉輝は顔をあげ、ヤケクソ気味にそう言い、不満そうに顔を顰めたまま、飲み物を飲んでそっぽをむいた。
「……かーちゃんって……。りゅうくん、お母さんにも心配されてるの?」
「違うわ!」
深刻そうな表情になったたまきがそう言うと、琉輝は即座にツッコんだのだった。
――――――――――――――――
数日経って、本格的に大学生活が始まった。
サークルは見学に行って、吹奏楽部にした。
たまきと琉輝は楽器未経験だったが、先輩たちも未経験者が多く、活動は主に週一回か二回の練習で、老人ホームなどの施設でのイベントがほとんどだと言う。
さっちょんは小学校のブラスバンドで、トランペットをやったことがあるらしく、マウスピースを吹いただけで喜ばれ、引き止められた。
とはいえ、先輩たちも優しい人たちで、運搬や演奏で、意外に体力も必要とされると聞いて、運動部志望だった琉輝も納得し、たまきたちもそこに決めたのだった。
初の合同授業を迎え、たまきたちは教室の隅の方で、三人並んで座り、授業開始を待っていた。
「たま、ガイダンスどうだった?学科で友達できそう?」
「……うーん、まだ無理かも。今まではみんながいてくれたからなぁ……」
たまきが少しだけ不安そうな顔になると、さっちょんも一瞬眉尻を下げて「そっかぁ……」と相槌を打ったが、すぐ笑顔になってたまきの背中を軽く叩いた。
「まぁ、授業以外はうちらもいるし!サークルも始まるしね」
「そうそう」
そこに琉輝も同意すると、たまきの表情がなぜか訝しげなものに変わり、琉輝が「……何だよ?」と呟く。
「……りゅうくんもちゃんと友達作りなね?」
「お前な……。何で俺にだけ言うんだよ……」
心配そうなたまきの顔に琉輝は呆れた顔になって返した。
「さっちょんは社交性高いもん」
たまきが言うと、さっちょんは琉輝にピースサインを向けた。
「仕方ないなぁ、あたしがりゅーきくんの交友関係増やしてあげるからね。大丈夫だよ」
そのままニヤついた顔で、あえて優しい口調でそう言うと、琉輝はまた不満そうに顔を顰めた。
「あんま、馬鹿にすんなよ?俺の社交性を」
「ほほーん?」
さっちょんが煽るように言った時、ちょうど教授が教室に入ってきた。
「あ……」
それを見てたまきが小さく声を上げる。
あの時ぶつかりそうになった白髪混じりの白衣の先生だった。
さっちょんと琉輝も同じことを思ったらしく、三人はそれぞれ顔を見合わせた。
彼はマイクを手に取ると、爽やかな笑顔を浮かべ、
「みなさん、どうも。本日この授業は水瀬教授という方がされる予定でしたが、急遽会議が入りまして、代わりに私が勤めることになりました」
と、教室を見渡す。
視線を巡らせている中で、たまきと目が合い、彼は一瞬、笑みを深くしたような気がした。
たまきは気まずさから少し首をすくめる。
しかし、教授はすぐに視線を正面に戻すと、
「一年生の授業は初めてですので、自己紹介をしますね。脳神経学が専門の、海風傳と言います」
たまきはその名字を聞いて、すっと背筋に冷たいものが走った。
「……海風……?」
思わず、その名前を呟くと、さっちょんが首を傾げた。
「……海風って、なんか聞いたことあるなぁ……何だっけ?」
と、少し上の方を見上げて顎に手を当てている。
言わずもがな、海風は梧の名字だ。たまきの知る限り、梧以外でその名字の人に出会ったことはない。
まさか、血縁者?と、たまきは不安になる。
そういえば、梧にこの大学を受けると言った時、妙な顔で、知っているような口ぶりだったことを思い出した。
「まぁ、普段は私の方が学会が多くて、ほとんど授業もしませんし、校内にも出没しない“レアキャラ”と呼ばれています。見かけたらラッキーという人もいるらしいので、今年の一年生でこの授業を受けれた皆さんはとても幸運なのかもしれませんねぇ」
のんびりした口調で彼が言った時、さっちょんが
「あ!」
と、教室内に響くような声を上げた。
「海風って、王子の……もが!」
声のトーンを下げないまま言って、たまきの方を見た瞬間、たまきは慌ててその口を手で塞いだ。
「……王子……?」
琉輝が静かに呟く。
たまきとさっちょんはその格好のまま、恐る恐る教室中を見渡すと、その視線のほとんどがたまきたちの方へと注がれていた。
「……おや、どうかしましたか?」
言われて、たまきは青い顔で教授の方へ視線を向ける。
彼は優しげな笑顔を向け、少しだけ首を傾けた。
たまきはひとまず首を横に振った。
さっちょんは顔の前で手を合わせて気まずそうな顔を浮かべている。
教授に対してその態度はどうなのかという話だが、彼の方は気にした様子もなく、手のひらをたまきたちの方へ向けてから軽く頷くと、
「さて、授業を始めましょうか」
と、何事もなかったように言って、授業の話をし始めた。
その後は何事もなく授業は進み、たまきたちも真剣に授業を受けた。
傳の教え方は、実践にどのように応用されるかなどという話も挟みながら進み、とてもわかりやすかった。
あっという間に授業が進み、終了時間になると、授業初めのことなど忘れかけていた。
しかし、授業の最後になって、
「あー、冴島……たまきさん?この後残ってください」
と、傳が言ったので、たまきは心臓が止まりそうになった。
呼ばれていないさっちょんと琉輝は後ろ髪引かれるような気持ちだったが、次の授業もあるので先に教室を後にした。
「……なぁ、王子って誰?この前も言ってたよな?」
少し歩いたところで、琉輝が眉間に皺を寄せた真面目な顔で言った。
さっちょんはちらっと琉輝を一瞥してから、
「……だれだろー?」
と、わざとらしくすっとぼける。
「さっちょん!」
琉輝の顔が必死なものに変わった。
さっちょんは一瞬驚いた顔をしたあと、指先でポリポリと頭を掻く。
「……王子は、めちゃめちゃイケメンで、物腰が……なんてゆーか、堂々としてて、品がある?感じだったから、王子って呼んでるんだけど……」
「は?2次元の話?その王子とたまきが何の関係があるんだよ」
「2次元感はあるけどね〜。たまは王子のこと好きだし、王子もたまのことまんざらじゃない感じ」
さっちょんの言葉に、琉輝はさらに眉間に皺を寄せる。
さっちょんの話では、要領を得ない。
王子様のようなイケメンをたまきが好きで、相手もまんざらじゃない?
「……どこの学校のやつ?別の大学?」
「社会人だよ。……たぶん、10個以上年上だった気がする」
「はぁ!?おっさんじゃん!」
「マジで綺麗なお兄さんだからね?姫たちと並んだら異次元で腰抜かすからね?」
大真面目な顔でさっちょんが言うと、琉輝はその勢いに押されつつ、唖然とした顔をした後、髪をわしゃわしゃとかき乱した。
「意味わかんねぇ……。姫?王子?姫って王子の相手じゃねーのかよ」
「姫の旦那さんは騎士だもん」
「お前何言ってんの?」
「だから説明したくなかったのにぃ」
言ってさっちょんは唇を尖らせてむくれる。
「……架空の話ってこと?」
「架空じゃないってば。姫と騎士は夫婦で、王子は騎士の勤めてる会社の社長さんなの」
「待て待て。急に2次元ワードと現実混ぜんな。余計わかんなくなる。……その王子と、今の教授とはどう言う関係?」
「……わかんないけど、王子の名字が海風だった気がする。だから、親子とか親戚なんじゃないかと思って」
「……それを知ってて、たまきを呼び出したってことか?」
「知らないよォ」
――――――――――――
「呼び止めてごめんね、冴島さん。君は確か理学療法学科だっただろう?」
白髪の教授—————傳は、眉尻を下げてすまなそうな顔をした。
「あ……え?……はい」
「理学療法学科の準備室に資料を届けてもらいたいんだけど、頼めるかな?」
「……えぇ……大丈夫です」
授業初めのことで怒られるのかと思ったが、そう言われてたまきは拍子抜けした。
いやそれともこれは、傳なりのそれの罰なのかもしれない。
「少し重いけど、大丈夫そう?」
そう言って、傳は分厚い資料をたまきの方へ差し出した。
たまきは抱え込むようにそれを受け取ると、
「……はい。問題ないです」
と、ぎこちなく微笑んだ。
「そう。悪いね、頼んでしまって。途中まで一緒に移動しようか」
そう言うと、傳は微笑んで、ひらりと手のひらで進行方向を指し示す。
ふと、梧のことを思い出した。
梧もスマートで、そんなふうな仕草をしたことがある。
傳は梧ほどの身長はないし、顔が似ているかと言われればそうでもないが、歩き方や仕草は似ているかもしれない。
海風と聞いたから、そう見えるだけかもしれない。
梧と知り合いなのか気になるところではあるが、聞いてもたまきとの関係を説明できない。
「さっき、君と一緒にいた子は、何を騒いでいたの?僕の名字を呼んでいた気がしたけど」
そんなことを考えていたら、傳が聞いてきた。
たまきは答えに窮して目を泳がせる。
「……あ……え、いや……、よく……わからないです。大きな声を出したから、止めただけで……」
たまきは傳の顔を見れずに俯きながら、弱々しい声を出した。
「すみません……、授業中に騒いでしまって……」
たまきが俯いたまま謝ると、
「あぁ、そう言う意味じゃないんだよ。ただ気になっただけ。気にしないで」
傳は優しい声でそう言った。
たまきが恐る恐る顔を上げて目が合うと、傳はにっこりと微笑んだ。
眉尻を下げたその顔が、どことなく梧に似ている気がした。
梧のことを思い出したくないのに、胸が締め付けられて、たまきは顔を顰めると、また俯いた。
傳はそれを不思議そうな顔で見つめた後、たまきの背中を軽くポンと優しく叩いて、
「……じゃあ、僕はここで。次の授業に遅れないように行ってね」
と、言うと、廊下の分かれ道でたまきとは違う方へと曲がって行く。
たまきが顔を上げて軽く会釈すると、傳はもう一度微笑み、すぐに踵を返していった。
たまきは、梧と傳との関係も、今回なぜたまきにこの用事を頼んだのかも聞けないまま、少しの間その背中を見送り、すぐに次の授業のことを思い出して、早足で準備室に向かったのだった。




