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風の行く先  作者: 遥ゆとり
3章 大学編

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 大学内の廊下を、白髪混じりの男性が鼻歌を歌いながら闊歩している。

 白衣を翻し、ゴキゲンな足取りで。

「え……、(つたえ)先生!?」

 すれ違った職員の一人が驚いて声を上げると、彼は立ち止まり、笑みを浮かべて手をひらひらと振った。

 思わず声をかけてしまい、しまった、と、職員はぎこちなく笑みを返す。

「……いつお帰りに?」

「つい先ほど帰国したばかりですよ」

「……入学式のために?」

 目を見開いて驚いた顔の職員に、ふふふと楽しげに笑って、

「ここ数年、式典には出ていませんでしたからねぇ。驚かせてしまいましたか」

 と、肩をすくめて見せた。

 傳は脳神経学の教授で、その研究分野ではかなりの有名人だ。

 ただ、大学内ではかなりのレアキャラで、姿を見かけることは滅多にない。

 学会で海外を飛び回っているか、研究室にこもっているかのどちらかなのだ。

 しかも彼は、式典のような堅苦しい場は嫌いと公言し、ほとんど出席してこなかった。

 職員は答えに窮して、とりあえず愛想笑いで返しておく。

 そこへ、傳のスマホが鳴った。

「おや……」

「あっ、入学式に出られるならスマホの電源を……」

 言いかけた職員の言葉を片手で制して、

「ええ、もちろん。大講堂に入る前には切りますよ。これに出た後でね」

 と、笑顔で言って廊下の隅に身を寄せると、傳は電話に出た。

「やぁ、桐子(とうこ)さん。これから入学式なんですけど、どうしました?」

『……やっぱり。悪い予感がしたんです。あなたが急に帰国されたから。入学式に出るなんてどういう風の吹き回しですか?』

 電話の相手は、傳の妻、桐子だった。

 相変わらず温度のない声色だが、傳にはわかる。

 傳の行動を先読みし、くぎを刺すための電話だ。

「悪い予感だなんて、ひどいですねぇ。僕だって式典に出ることもありますよ」

 呆れたような桐子の声にもかかわらず、傳の声は全く悪びれない。

『出ても構いませんが、前途ある学生たちの邪魔をするような真似は……』

「邪魔?嫌だなぁ。そんなことするつもりはありませんよ?」

 桐子の杓子定規な説教を遮り、傳は努めて明るい声を出す。

 ちなみに、自分がしようとしていることが悪いとは、微塵も思っていない。

『だといいんですが……』

「当然です。僕の本分は研究者ですが、教師でもありますからねぇ。……ですが、桐子さんも気になっているんじゃありませんか?」

 傳の声が一層弾む。

『……なにがです?』

 その傳の声とは反比例する形で、桐子の声は低く、冷たくなっていく。

「決まっているじゃないですか。親には滅多に頼らない僕らの愛息が、とある少女の時間外のお見舞いの許可のために、僕らの名前を使ったんですよ?話によれば、病状も細かく確認していたとか。気になりますよねぇ」

 愛息、とわざとらしく言ったところで、桐子が何か言おうと口を開いた呼吸が電話から伝わってきた。

 それでも相手の言い分を遮らないところが、桐子の誠実な性格を表している。

『……それは、たまたま居合わせた医師が私たちの息子だと知っていたからで……』

 そう。息子本人が親の名前を出したわけではない。事実は、桐子の大学時代の後輩が息子を見かけ、彼の名前と素性を明かしたのだ。身元は保証できるからお見舞いくらい入らせてあげてくれと。

 その病院には桐子も研究関係で出入りしていて、その病院の医師や看護師と面識があったから、スムーズに入れたというわけだった。

()自身が明かしたわけではないのですから……』

 桐子の口調が、僅かに苛立っている。

 まぁ、わかっていて逆撫でできそうな言い回しを選んでいるのだが。

 桐子と息子はよく似ている。表情があまり豊かではなく、生真面目で冷静なところが。

 そういう人を見ると、どうも調子を崩してやりたくなるのが傳の性格だった。

 夫婦である桐子はともかく、息子にはこの性格のせいで嫌われている。

「いやいや、それほど切迫して見えたということだよ。つい、口添えをしたくなってしまうほどね。あの、朴念仁の梧が乱されるなんて気になるじゃないか。相手がどんな少女なのか、桐子さんも知りたいでしょう?」

 いつの頃からか小学生なのに大人のように振る舞い、何にも興味を示さなくなった息子、梧が執着する少女がどんな子か知りたい。

 あわよくば彼女を使って、息子のすかした顔を崩してやりたいと胸が疼いていた。

 そんな彼女がまさか!自分の所属する大学に入学するなんて、こんな好機を逃すわけにはいかないだろう。

『あなた!……いい加減になさってください。その子に接触するような真似は……』

 もちろん、そんな傳の性格を桐子がわかっていないわけがない。桐子の声が慌てだしたので、傳は満足げな笑みを浮かべた。

「大丈夫ですよ。入学式に出ている学生は何人いると思ってるんです?さすがにあの中から探し出して直接接触しようなんて思っていません。今年の新入生の雰囲気だけでも知れれば良いのです」

 言いながら、傳は腕時計に視線を落とした。

「……あぁ、桐子さん。名残惜しいですが、このまま電話していたら、入学式が終わってしまいます。それじゃあ、また。今夜は家に帰りますからその時に……ゆっくり、ね?」

 最後のセリフは息を混ぜた甘い声色で、囁くように言う。

『はい?ちょっと!……傳さん!?』

 どうやらその声色の効果はなかったようで、まだ桐子は怒りを含んだ、焦った声を出している。

 少しくらい恥じらってくれてもよかったのに。と思いながら、まだ何やら話している桐子を無視して電話を切ると、傳はそのままスマホの電源を落とした。

 ポケットにスマホをしまうと、

「まぁ……、今日のところは様子を見るだけ、ですよ」

 と、呟いて微笑んだ。

「さぁて、どんな子でしょうね。—————()()()()()さん」

 そう言って楽しげにまた鼻歌を歌いながら、入学式の式典が始まっている大講堂へと向かったのだった。


 ――――――――――――


 たまきは学部のオリエンテーションを終え、サークル勧誘で騒々しい中を避け、中庭に出た。

 さっちょんと琉輝からそれぞれ連絡が来ていて、中庭にいるよとメッセージを送った後、たまきは空を見上げた。

 

 毎日毎日、何も考えなくて済むほど勉強漬けになって、季節の風景も何も、感じる暇もなかった。

 ……暇もないように、していただけなのだけれど。

 梧のことも、前世のことも、できれば考えたくなかったから。

 

 気が付いたらすっかり暖かくなって、春めいて、花の香りがした。

 桜が花びらが、ひとひら、ふたひら、風に舞っている。

 

「たまー!」

 そこへ聞き慣れた声がして、たまきは顔を上げた。

 看護部のオリエンテーションを終えたさっちょんが駆け寄ってきた。

 手には押し付けられたらしい、勧誘のビラが何枚か握られている。

「んもー、すっごい人!やばいね」

 そう言いつつも、さっちょんは楽しそうな笑顔を浮かべている。

「……どーかした?」

 あまり芳しくないたまきの表情に、さっちょんは首を傾げた。

「え?ううん、なんでもない。すごかったね。さっちょんサークル何入る?陸上?」

 たまきは首を横に振って笑顔を作ると、さっちょんの手元のビラを覗き込む。さっちょんはそれを一枚一枚めくりながら、

「う~ん……。どうせなら陸上じゃないやつで、たまと一緒がいいなぁ」

 と、にっと歯を見せて、たまきに笑顔を向けた。

 一瞬キョトンとしたたまきだったが、嬉しそうに微笑み、

「うん。……何にする?」

 と、またさっちょんの手元に目を落とす。


「おーい、たまき!」

 そこへ、琉輝が手を振りながら走ってきた。

「あ、りゅうくん」

 呼ばれてたまきが顔を上げると、さっちょんもそちらへ視線を向け、首を傾げた。

「だれ?知り合い?」

「……あ、うん。前に言ってた地元の友達。看護学部の」

「あー……」

 思い出したようにさっちょんは声を漏らしたが、てっきり女の子だと思っていたから、少し眉根を寄せた。

「……んお?だれ?もう友達できたのか?」

 到着するなり琉輝の方も驚き、さっちょんとたまきの顔を交互に見ながら言った。

「ううん。中学からの友達だよ。佐々(さっさ)知彩里(ちおり)ちゃん。りゅう君と同じで看護学部なんだ」

「へー。俺は佐伯琉輝。琉輝でもりゅうでも、どーとでも呼んで。たまきとは地元が一緒だったんだ。えーっと……、佐々さん?」

「さっちょんでいいよ。みんなそう呼んでるし」

 にこやかに握手を求めて手を差し出す琉輝に、さっちょんはそう言ってその手をとった。

「おっけ。よろしくな、さっちょん」

 琉輝はその手を握って軽く上下に振ると、満足そうな笑みを浮かべ、「よろしく!」と、もう一度言った。

 さっちょんも笑顔で「よろしく〜」とは言ったが、手を引いた後、たまきの腕に抱きついた。

「いやー、やることいっぱいあってやばいな。決めなきゃ聞けないことも多いし、テキストもいろいろあるし高いし」

 琉輝はその行動には気にも留めず、興奮した様子で感想を述べている。

「そうだ!たまき、サークルどうすんの?よかったら一緒のとこにしねぇ?……あ、もちろん、さっちょんも一緒でさ」

 良いことを思いついたと言わんばかりに、ぱあっと表情を明るくし、琉輝が言った。

「え?りゅうくん、運動部に入るんじゃないの?」

 たまきが思わずそう言うと、琉輝の表情が訝しげに変わった。 

「えっ?どういうことだよ?たまきたちは違うのか?たまき、走るの好きだったじゃん」

 たまきはハッとした。病気のことを琉輝には話していない。

 心配をかけたくないのと、なんとなく言いづらかったのだ。

「……あたしが運動系じゃないほうがいいの。だけど、サークルは絶対たまと一緒がいいんだもん」

 返答に困っていたら、さっちょんがそう答えた。

 たまきが驚いた顔でさっちょんを見ると、琉輝にわからないように頷く。

「えぇ……?たまきもそれでいいのか?」

 言われて琉輝の方に視線を戻すと、たまきは腕に抱きついているさっちょんを抱きしめ返しながら、

「うん。さっちょんと一緒がいい」

 と、真剣な顔で返した。

「……あー……、そう。……運動以外って、何にするか決めてんの?」

「決めてないけど……」

 琉輝は「う~ん」と呻いて首を傾げ、しばらく悩んだ表情のまま制止した後、手元にあったビラをいくつかめくった。

「まあ、看護学科も忙しくなってサークルどころじゃなくなるって聞くし、楽なとこのほうがいいか」

 と、渋々納得したようだった。

 琉輝が渡されたビラをゆっくりめくる。

「ここじゃなんだからさ、カフェかファミレスに移動しない?サークルもだけど、選択科目で一緒にできそうなとこ確認しよ」

 さっちょんはそう言って、たまきの腕を引いた。

「りゅーきくんも私たちと相談する感じでいいの?」

「えっ?あぁ、うん。俺こっちに知り合い少ねーし……」

 そう言って、琉輝は頷く。

 正直、たまきとの学校生活に心躍らせていた琉輝は、さっちょんの存在に肩透かしを食らったような気持ちで頭を掻いた。

 

 ――――――――――――


「いやー、海風先生が入学式にお出になるとは思っても見ませんでした」

 大講堂から研究室へと戻る途中に、教授の一人が大袈裟に驚きの声を上げた。

「ははは、皆さんに言われてしまいますねぇ」

 嫌味の雰囲気を感じ取りながら、傳は乾いた笑い声を上げてから答えると、話を切り上げようとそのまま廊下を歩き出す。

「そりゃあ、今まで式典にはご興味もなかったのに、一体、どういう風の吹き回しかと思われたのでは?」

 しかし、彼は歩調を合わせてついてきた。そう思ってるのはお前だろうと言いたいのを堪えつつ、

「ただの気まぐれですよ。ちょうど帰国と重なりましたのでねぇ。たまには出てみるか、と」

 笑顔を貼り付けたまま、傳は答え、少し歩く速度を上げる。

「そうでしたか。私はてっきり、学部長にご興味が出たものかと」

 彼はわざわざ小走りになってついてきながら、声を潜めて聞いてきた。

 めんどくさい。

 そんなものに興味は一切ない。研究が続けられるならそれ以上望むものはない。

 ここに居辛ければ、別の施設に移るだけだが、波風を立ててここを去れば、こーゆーやつはねちっこく邪魔してくるに違いない。あとが面倒くさいのも確かだ。

「あっははは!まさか!」

 傳は足を止め、大きく笑い声を上げた。

 近くにいた職員や生徒たちがギョッとした顔で傳を見る。

「私には荷が重すぎますよ、そういうのは先生にお任せします」

 そう言って口元にだけ笑みを乗せて呆れたようにいうと、相手は驚いた顔の後に、顔を引き攣らせてようやく笑顔を返してきた。

 付き合っていられない。

「では。楽しい時間でしたよ。私はこっちから行きますので」

 と、傳はヒラヒラと手を振ってから白衣を翻して、中庭の方へ抜ける渡り廊下の方へと方向転換した。

 研究室までこの調子で着いてこられたんじゃたまらない。新入生の勧誘でごった返している中庭なら、まず追ってはこないだろう。


 あぁ、腹が立つ。

 こういうことがあるから式典なんてものは出たくないのだ。

 純粋な学びの場なのに、権力の奪い合い、腹の探り合いなんて面倒臭いことを持ち込んでくるとは。

 早足で人波を横切りながら、傳は大きくため息をついた。

 新入生の中から例の()()を見つけることもできなかった。

 入学式に出るのは失敗だったかなと思った時、周囲がざわめいた。

 

「えっ、あれって……傳先生……!?」

「うわ、レアキャラじゃん……!」

「え?どれ?あの人!?」

 

 学生たちの中から次々と声が上がる。

 滅多に姿を見せないせいで、SSRだのツチノコだの言われている傳なので、学生たちがざわつきだしたのだ。

 傳を見るとラッキーとか言われてるらしい。

 まぁ、傳としては、不吉とは言われていなくて良かったと思ったくらいだ。

 気がつくと、モーゼの奇跡さながらに学生たちが道を開けていき、歩きやすくはなったものの、注目の的となってしまった。

 仕方がないので、苛立っていた気持ちを抑えて笑顔を浮かべ、アイドルにでもなった気持ちでヒラヒラ、と、手を振ると、ひゃあだのおおっ!だの、生徒たちから声が上がり、手をふり返す子もいた。

 まぁ、気分はいいが、これが続くのも面倒なので歩くスピードをさらに上げたところで、

「たまき、危ない!」

 誰か、男の子の声がした。

 —————()()()……?

 傳がその名前に反応して足を止めると、小さな影が目の前に飛び出してきた。

「おっと!」

「わっ!」

 傳にぶつかりそうになって、その子がバランスを崩したので、傳は咄嗟に彼女の腕を掴んだ。

 彼女がタタラを踏んで、尻餅をつくのを回避したのを確認して、傳は、

「大丈夫?」

 と、声をかける。

 ショートボブの髪がさらりと揺れて、彼女は顔を上げた。

「はい。えっと……先生……は、大丈夫ですか?すみません。前をよく見ていなくて……」

 どうやら教師らしいことがわかって、ぎこちなく先生と呼び、彼女は済まなそうに眉尻を下げると、そう言ってその瞳でじっと傳を見つめ返してきた。

「あぁ、僕は大丈夫。君は?本当に大丈夫?どこか捻ったりしていない?」

 傳は掴んでいた腕を離した。咄嗟だったから、強く掴んでしまわなかっただろうか。

「え?あ……大丈夫だと思います」

 彼女は全身を見下ろして、腕や膝を軽く動かしてからまた顔をあげ、微笑んで頷いた。

 思ったよりも小柄な少女だった。まっすぐ人の目を見るその誠実さと、礼儀の良さ。それに素直なのが伝わってきて、愛されて育ったことがよくわかる。

 うん。とても純粋で良い子そうだ。

 自然と傳の頬が緩む。

「たま!大丈夫!?」

「たまき!」

 少年と少女が、彼女を心配した顔で駆け寄ってきた。

 少年の方は傳に対して軽く会釈したが、少女の方は傳などには目もくれず、青ざめた顔で彼女の体を見渡したり触ったりして確かめている。

「大丈夫だよ。さっちょん」

「良かったぁ……」

 そう言って彼女に抱きついた。彼女は優しくその背中を撫でている。

「心配しすぎだよ、さっちょん。そそっかしいなぁ、たまきは」

 と、軽く笑う少年。

 なるほど。少女の方は、少々過剰なほど心配しているように見えるが、彼女の病気を知っているのだろう。

 ……おそらく、少年の方は知らないのだ。

「……すみませんでした。足止めしてしまって」

 立ち止まって彼女のことを傳がぼんやり眺めていたことに気づいて、彼女が言った。

 傳も我に返って笑顔になり、

「いや。僕の方こそ。……じゃあ、気をつけて帰るんだよ」

 と、言うと、にこやかな表情で、軽く手を振ってからその場を後にした。

 本当は研究室に呼んで詳しく話を聞きたいところだったが、初めからあまりしつこくして警戒されては困る。

 

 さっきまで気分が最悪だったが、今は最高の気分だ。

 もう今日は本人と会話ができるとは思っていなかったから、思わぬ収穫だった。

 思いのほか純粋でかわいい子で、うちの息子はああいうタイプに弱いと知れたのだから。

 足取りも軽く、傳は自分の研究室へ戻っていったのだった。

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