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「……りゅうくん、ごめんね」
文化祭からしばらく経った休みの日、たまきはカフェで向かいに座っている琉輝に向かって、両手を合わせていた。
琉輝は不機嫌そうな顔で頬杖をついてたまきを軽く睨みつけている。
「もーいーけどさぁ。……既読無視はないだろ?一切連絡来ないから、何かあったと思うじゃんか」
「ごめん~。……文化祭の準備で忙しかったから……」
たまきは顔の前で手を合わせて、もう一度謝った。
「ならそう言えよ!無視することねーじゃん……」
琉輝は体を起こし、今度は呆れた顔で頭を掻くと大きくため息をついた。
「今日はおごるから。ねっ」
申し訳なさそうにたまきが言うと、
「それじゃ意味ねーの。今日は俺がおごる日だろーが」
と、ムスッとした顔で、琉輝は言うと、たまきのおでこを軽く指ではじいた。
「いたっ!」
額を押さえて痛がるたまきに、琉輝は子供の頃を彷彿とさせる、いたずらっぽい笑顔を向けた。
二人は飲み物の注文だけ済ませ、テーブルに勉強道具を広げ始める。
「つーか、たまきの高校、文化祭10月だったんだな。知ってたら行ったのに」
「来なくていいよォ」
たまきはため息交じりに参考書をめくる。
「……なんかたまき、俺に対して、冷たくね?」
同じく勉強道具を広げようとしていた手を止めて、琉輝が拗ねたように口を尖らせた。
そんなつもりはなかったが、言い方が冷たくなってしまったかもしれない。
「…………だって……、恥ずかしいから……?」
いい言い訳が思いつかなくて、そう言ってごまかした。
できることなら、文化祭のことは早く忘れてしまいたかった。
梧のことを、思い出したくない。
「恥ずかしい?何やったん?写真ないの?」
「もー!勉強しに来たんでしょ?……しつこいよ?」
俄然、興味津々に前のめりで聞いてくる琉輝を黙らせようとそう言うと、まだ何か言いたげではあったが、「はいはい」とあきれ顔で返事をする。
「もう」
口を尖らせて参考書に視線を戻したたまきに、気づかれないように横目で表情を見つめて口元を緩ませ、琉輝もまた問題集を開いた。
――――――――――――
「い……らっしゃ~せ~」
入ってきたお客が緝だったので、夏海の挨拶が気の抜けたものになった。
「……お前、その挨拶なんだよ……」
と、緝が夏海を睨みつける。
その視線は気にせず、夏海は驚いた顔で出迎える。
「……タイミング良すぎません?森庵さん、監視カメラでも仕掛けてるんですか?」
意味の分からないことを言われ、夏海のことを片眉を上げて訝しげに見つめながら、
「は?なんの話?なんでもいいけど……コーヒーとホットサンド二つずつ、テイクアウトで」
と、緝が注文を伝えると、夏海は一度肩をすくめて、何も言わずにレジを打った。
支払いを済ませ、テイクアウトの受け取り口に移動しながら、
「一体何なんだよ……」
そう呟きながら緝はホールを見渡し、一組のお客に目を留めた。
一瞬動きを止め、視線はそこからそらさないまま、声のトーンを落として、
「……あれ、何?」
と、夏海に聞いた。
「何って……、冴島さんですよ。顔忘れたんですか?」
夏海はコーヒーを淹れ、何を問われているかわかっていて敢えてそっけない口調で言うと、コーヒーのコップにプラスチックの蓋を手際よくかぶせた。
「そんなわけないだろ。そっちじゃなくて相手だよ、誰だあいつ」
「知りませんよ。冴島さんは幼馴染だって言ってましたけど……」
夏海は口元を緩ませ、ニヤニヤと緝を見つめる。さらに声をひそめて、
「”りゅうくん”って呼んでましたよ」
と、付け足した。
「はあ?」
緝は途端に眉根を寄せ、まるで娘が男といるところを見ちゃった父親のような態度を取った。
その様子に夏海は笑いが込み上げ、バレないように、ホットサンドを待つふりをして顔を奥のキッチンの方へ向ける。
「りゅうくん?幼馴染?……こっちに来る前のか?」
「……知りませんてば。気になるなら直接聞いてきてくださいよ」
「……無茶言うな」
言いながらも、緝は気にした様子でたまきのほうを何度も確認した。
普段落ち着いている緝には珍しく、カウンターを指先で叩いている。
二人は真面目に勉強をしているようだが、相手の男が時折たまきを見つめて顔を緩ませているのが気になった。
「……仲良しですよねぇー?冴島さんはさておき、相手は冴島さんのこと好きかもな〜」
まるで緝の頭の中を見透かしたように夏海が言うと、緝は不機嫌な顔になる。
「なんでお前はそんなに楽しそうなんだ……?」
「青春じゃないですか。冴島さんモテモテ。……てか、逆に森庵さんはなんで不機嫌なんですか?」
夏海がわざとらしく首を傾げる。
「……不機嫌なわけじゃ……」
言われて緝は口籠った。
確かに、たまきが誰と一緒にいても悪いことはない。
だが、ただの幼なじみで、たまきにはそれ以上の気持ちがなかったとしても、無防備すぎやしないか。
相手は年頃の男だぞ?油断してんじゃないぞ?
緝は苛立ちつつ、面と向かって言えないくせに、胸中で文句を並べていた。
あんなところ、梧に見られたら……と、ふと入り口に視線を向けた時、人影が現れた。
それが梧だということに気づいて、緝はあまりにタイミングが悪すぎて、血の気が引く。
横目でたまきたちを確認するが、たまきは勉強に集中しているようで、気づいていない。
頼むから梧も気づかないでくれと視線を戻すと、彼は入り口の外から店内に視線を巡らせて、ぴたりと動きを止めた。
その顔が青ざめたのが、ガラス越しでもわかる。
緝はあちゃ~と額を打ちたい気分だった。
梧がドアから手を離し、すぐに踵を返していくのが見えた。
緝は胸の辺りがすっと冷えた感覚を覚え、もう一度たまきを確認する。
まだ気づいていない。……気づかないほうがいいのか、気づいて追いかけて、言い訳でもなんでもさせた方がいいのかと迷った。
……いや、二人は付き合っているわけじゃないし、お節介すぎるか?と、緝はどうすべきか悩んで頭をかく。
「お待たせしましたー」
ちょうど夏海がそう言って揃った商品を紙袋に入れて差し出すと、緝は居た堪れず、それを受け取り、カフェを出て梧の後を追った。
「……ありがとーございましたー……」
慌てた様子の緝に面食らったまま、夏海は呟くように言って、首を傾げたのだった。
「海風さん!」
早足で立ち去ろうとしていた梧に、緝は声をかけた。
梧は足を止め、青い顔でゆっくりと振り向く。
「……森庵か」
相手が緝だったことに、少しホッとしたような顔をした。
しかし、その時になってやっと、緝はなんの用意もなく思いつきで声をかけてしまったことを後悔した。
この後、なんて切り出せばいいか思いつかない。
「……あ、その……、久しぶりだな」
普段、呼び止めてまで挨拶をするほどの仲ではなかったので、梧は驚いた顔をした後、「……そうだな」と答えた。
しかし、その顔がどことなく生気がなく、愛想笑いすら浮かべない梧に違和感を覚える。
元々愛想が良い方とは言えないが、たまきと再会してからは随分、柔らかくなったと思っていたのに。
これじゃあ、たまきを見つける前と、さして変わらない。
今の一瞬で、そうなってしまったのか?
妙に胸騒ぎがして、緝は訝しげに眉根を寄せた。
「……何か、あったのか?」
「いや…………。なにもない」
梧は首を横に振る。
何もないとは思えないほどの妙な間に、緝は梧を放っておけなかった。
「……コーヒー、買わなくてよかったのか?」
静かな声でそう言うと、梧は一瞬、カフェの方へ視線を向け、すぐに顔を逸らした。
「…………彼女とは…………、顔を合わせないほうがいい」
視線を落とし、伏目がちに言う。
たまきのこととは言っていないのにそう言ったところをみると、やはりたまきがらみで何かがあったのだろう。
これは、今回、男と居るところを見たからだけではなさそうだ。と、察したが、何をどう聞けばいいか悩む。
時雨がいてくれたらとは思ったが、今から電話をかけるのも変な話だ。
「……あいつはただの幼馴染らしいぞ。勉強しているだけだし、大丈夫だよ」
余計なおせっかいかと思いつつ、そう言ったが、梧の足はこの場を去ろうとカフェとは逆の方に向けられる。
気分が悪そうに口元に手を当て、梧は深く息を吐いた。その吐く息が、緝には震えているように聞こえる。
緝は眉根を寄せ、心配して表情を伺おうと顔を覗き込んだが、梧は顔を逸らした。
「……彼女は、俺に会いたくないはずだ」
声が震えている。
緝は梧の言葉に愕然とする。たまきが、梧に会いたくないと思っているだって?
「……は?何言って……—————」
「……俺は、他人の気持ちを正しく理解できないから、知らないうちに相手を追い詰めて、苦しめてしまう」
緝の言葉など聞こえていないかのように遮って、梧はそう言った。
「……あの時のハルだって、きっと望まないまま……俺に……」
梧がそう呟いて両手で顔を覆う。
「……待ってくれ。何の話だよ?何があった?……なんで今更、ハルのことなんか……」
緝は疑問をそのまま口にした。
梧は答えない。
緝が翠やたまきと出会い、前世のことが解けていくような感覚があったように、梧だってそういう気持ちになっているものだと思い込んでいた。
なんで梧は、今更ハルのことで後悔しているようなことを言うんだ。
そもそも、前世のことだって別に梧が何かしたわけではなく、やらかしたのはカザネの弟で、カザネ自身が気に病むことなんて何一つなかったはずだ。
……あの時?あの時ってまさか—————。
「なぁ、海風さん。ハルはお前を…………」
緝は、梧の言葉の意味に思い当たり、口を開く。しかし、遮るように梧が息を吸って顔を上げた。
息を吐きだしてから、緝の方を向いて、
「……お前の方はどうなんだ?」
と、話題を変えた。
「……は?俺?」
唐突に問われて、緝は思わず聞き返して梧を見る。
梧はまっすぐに、緝の瞳を見つめ返してきた。
「……あ、いや。俺のことはいいから……」
なんとか話を戻そうとするが、心配の色を浮かべた瞳で、「家族とは、どうなってる?」と、聞かれると、無碍にはできなかった。
緝は諦めたように、ため息をつく。
「……家には帰ったけど、家族とは冷戦状態だよ。翠の話は聞いてもらえないし、その話には触れて来ない」
「……そうか」
「まぁ、大学卒業したら家を出るつもりだし、そう伝えてもある。今も大学帰りにはほぼ毎日、翠とは会ってるし、反対されてても関係ないんだけどな」
そう言って肩をすくめると、
「いいのか、会っていても」
と、梧はわずかに驚いた顔をした。
「会うなとは言われてないから。……会ってることを言ってもいないけど」
家族から聞かれれば勉強してきたと答えるだけだ。
どこで、とは言わないだけで、勉強していること自体は嘘じゃない。
緝も、翠のせいで恋愛にうつつを抜かし、単位や資格試験を落としたと思われるわけにはいかない。
ふと、緝は家族との空気感を思い出し、無意識に眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
梧はその様子を静かに見つめた後、
「……時雨からも話していると思うが、孤崎さんさえ良ければうちの会社のSEとして来てもらいたい」
仕事モードの真面目な顔を緝に向けた。
顔は難しそうな表情だが、表情が芳しくない様子を気遣ったのだと、緝にはわかった。
時雨からは「議論の本質ではないところで家族から反対されないよう、不安材料を潰しておかないか?」と提案されていた。つまりは、翠がいくら生活に困っていなくとも、緝の家族の理解を得るためには、”フリーター”のような暮らしを脱しておくべきでは。と言う話だ。
「……あぁ、話は聞いてるよ。でも……ほんとにいいのか?翠は仕事辞めてからだいぶ経ってるけど」
「時雨が軽く適性を見てあるんだろう?問題ないと聞いているし、人事もきちんと通す。早ければ来週にでも人事から連絡をいれて、正式なスキル診断を経て、今月中には入社の手続きを取れる」
随分とトントン拍子に入社の手続きを進めようとする梧に、緝は驚いた。
いくら前世での知り合いとはいえ、今世ではほとんど他人だ。梧と翠では面と向かってちゃんと話したこともなかったはずだが、自分の会社にそんな人を入社させてもいいんだろうか?
他の社員の反感を買ったりしないだろうか。
「……翠に……対人スキルはないぞ?」
社員の雰囲気も、何年も引きこもってきた翠と合うだろうか?
無理をさせることになりはしないかという心配もあって、どちらかと言えば緝のほうが二の足を踏んでいる。
「俺もないがな。初めはリモートで、出社は雰囲気を見てから、できると思えばでいい。リモートの身の社員もいるしな」
会社の社長であるのに対人スキルがないというのは半分嘘だ。雑談には向いてなくても、仕事の交渉スキルはあるだろうし、時雨のサポートはあるにせよ、それなりに付き合いもしているだろう。
「……孤崎さんはなんて?」
考え込むように黙った緝に、梧は気遣わしげに訊いた。
「え?……あぁ、まぁ、仕事の面で不安はありそうだったけど、霜槻さんの言うことには一理あるって納得はしてた」
緝は微苦笑を浮かべた。
翠は前向きに考えようとしていた。それなのに、緝は気乗りしていない。
「……今のままでも、無理なく生活はできてるんだろう?……強要するつもりはないし、そういう道もあるという提案だけだ。うちは彼を必要としているが、無理をしてまで俺たちの要望に応える必要はないと、孤崎さんに伝えておいてくれ」
「……わかった」
少しだけホッとした顔の緝に、梧は何かに気づいて眉を上げた。
「……お前も不安か?」
「……え?いや。そういうわけじゃないけど……」
梧の指摘に、頬を指先で掻いて緝は顔をそむけた。
梧は訝し気に緝の顔を覗き込む。緝の顔はまた気まずそうに顰められた。
視線をそらさない梧に、緝は仕方なく口を開く。
「……不安っていうか……、俺の家族のせいで、必要のないことを翠に強要しなきゃいけないみたいで嫌なんだ。俺と出会わなきゃ、のんびり過ごしていられたのに」
「森庵が強要したわけじゃないだろう。孤崎さんも、働きたくても働けなかっただけかもしれない。今回の話はどちらかと言えば強要したのは時雨の方で、決めるのは孤崎さんだ。……不安なら、孤崎さんとよく話し合えばいい」
緝は、梧の口から的確なアドバイスが聞けるなどとは思っていなくて、目を丸くした。
その表情を見て、梧が訝しげな顔になった。
「……なんだ」
低い声で不機嫌そうに訊く梧に、少しほぐれた笑顔になり、
「……いや、お前も大人になったなと思って」
と、緝が返した。
梧は驚いたように目を見開いた後、眉間にしわを寄せた。
顔を隠すように額に手を当て、
「今世では俺の方がお前より六つ年上だが……?」
と、ため息交じりに言った。
その仕草に、照れ隠しが混じっていることに気づいて、緝は笑うと「そうだったな」と呟いた。
納得のいっていない表情で梧はもう一つため息をつく。
二人は少しぎこちなさを含んだ表情で見つめあい、
「……足止めして、悪かったな」
緝がそう言うと、梧は静かに首を横に振った。
ようやくほぐれた梧の表情に、「海風さん」と、緝は正面から声をかける。
小首をかしげた梧に、緝は少しためらいながら、
「……冴島と何があったか知らないが、海風さんもちゃんと話せばいいんじゃないか?」
そう言った。
しかし、梧の表情は途端に暗くなる。
瞬間、梧が心を閉ざした気配を感じた。
「……彼女には、彼女に相応しい年頃の青年が居てくれる。俺が居たら邪魔になるだろう」
「邪魔って……。……なあ、ハルの最期ことを気にしているなら、あれはお前のせいじゃない。……お前が後悔する必要はないんだ。あれは……」
言いかけて、緝の眼前がぐにゃりと歪んだ。
赤い記憶が脳裏で爆ぜた。心臓が冷たい手で直接握り潰されるような衝撃に、緝はとっさに胸を押さえた。
「俺が……、ハ……ル、を……」
—————たの、むよ……、ゼン。
ハルの最期の言葉が耳元に蘇る。
喉の奥が焼け付くように熱い。言わなければならない言葉が、喉がふさがってうまく紡げない。
梧は一瞬振り返って訝しんだが、すぐにまた背を向ける。
「気を遣わなくていい」
緝がうまく言葉が出てこないことが、梧にとってはごまかす言葉が思いつかないように聞こえたようだった。
「違う、」
緝はその背中に言ったが、梧は歩き出した。
梧の背中が、雑踏に消えていく。
緝は胸を押さえて俯いた。
「お前……じゃない……」
その時、緝のスマホが鳴った。
相手は翠だった。
「……はい……」
『……緝くん?どうかした!?』
電話に出た緝の声に、違和感を感じた翠が声を上げた。
「……俺が……」
心配して何か言っている電話越しの翠の声が遠ざかっていく感じがした。
顔を上げて梧の去った方向を見つめる。
もう姿は見えなくなっていた。
梧に伝えなければならなかったのに……。
緝は震える唇を動かし、ようやくそのことを口にする。
「……俺が、ハルを…………殺したんだから……」
ハルの最期の、真相を—————。
衝撃的なラストの独白をさておいて、たぶん次回から大学編です。




