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風の行く先  作者: 遥ゆとり
2章 高校編

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「梧!」

 時雨が慌てて、部屋に入ると、梧を呼びながら寝室に向かった。梧がベッドの中で身を縮めているのを見つけ、駆け寄り、

「梧!?」

 頬を軽く叩きながら梧を呼ぶ。

 朦朧とした顔の梧の頬は、燃えるように熱い。

「……しぐれ」

 梧はうわごとのような声で時雨のことを呼んだ。

 時雨はスマホを取り出して電話をかけながら、

「今、医者を呼ぶから」

 そう言って梧のうつろな瞳を覗き込んだ。

 電話がつながると少し梧から離れ、

「……あぁ、もしもし?霜槻です。先生、梧が風邪を……熱が高くて……、ええ、意識はあります。ですが、すぐに来てください!」

 と、珍しく取り乱した時雨はそれだけ伝えて電話を切り、スマホを放って再び梧の顔を覗き込む。

「梧?梧!わかるか?」

 梧は何も言わずに頷く。ひとまず意識があることにほっとすると、時雨は買ってきたものの中から氷枕を取り出して頭に当てたり、ホットタオルを作って汗を拭った。


 

 梧に電話を切られた後、どうしても心配で、時雨は何度か電話をかけた。だが、電話に出ない梧に、時雨は嫌な予感がして、会社を抜けて様子を見にきたのだった。

 落ち着かない様子で医師を待ちながら、十分もしないうちにかかりつけの医師が駆けつけ、診察と点滴をしてもらう。

 ようやく様子が落ち着いてくると、梧は静かな寝息を立てて眠り始めた。

 

 

「……何事かと思ったよ。君が慌てているから」

「……すみません」

 玄関まで医師を見送りつつ、時雨は気まずそうな顔をした。

「まあ、心配することはないよ。ただの風邪だね。喉はだいぶ腫れているから、しばらくは無理して喋らせないほうがいいかな。薬は飲み切るようにね」

「……わかりました。ありがとうございます」

 頭を下げて医師の帰りを見届けた後、時雨は静かに寝室に戻った。

 寝息は静かだが、梧は眉間に皺を寄せて、苦悶の表情をし始める。

 ベッドサイドに座ると、時雨は小声で、

「何かあったのか……?」

 と、独り言を言った。眠っている梧を起こすつもりもないし、目が覚めたところで聞けないだろう。

 今の時雨には、面と向かって問う資格がない。

 

 部屋の中には、脱ぎ捨てられたコートや服が、そのままにされていて、雨に濡れた後にすぐに着替えなかったのではないかと思えた。

 梧は自分で行くと言ったが、時雨が来なかったら、病院に行かなかったかもしれない。

 

 たまきと出会う前の梧は、自分の体調を顧みないことが何度かあった。

 そのたびに時雨が諭して、時には無理やり病院に連れていって休ませた。

 その頃を思い出すような部屋の雰囲気に、嫌な予感がよぎる。

 いや、さすがに今はたまきが居るのだから大丈夫だろうと、かぶりを振って、時雨は寝室を出ると部屋を片付け始めた。

 

 時雨は窓を叩く雨の音に外に目をやり、昨日から降り続く雨を見つめた。

 

 —————そういえば、あの時も、雨がひどかった。


 時雨は、ふと、久しぶりに前世のことを思い出した。


 

 戦の最中、一度だけカザネとはぐれた、あの時のことだ。

 戦争自体は終盤に近い頃ではあったが、まだまだ予断を許さない時期ではあった。

 サギリは、他の騎士と共に敵を退けた後、必死にカザネを探した。

 見つけられないうちに、サギリは大雨にあって動けなくなり、ひとまず雨を凌げる場所で身を潜めるしかできなかった。

 もしもその間にも、カザネの身に何かあったらと思うと、生きた心地がしなかったのを覚えている。


 自分が見ていない間に、梧の身に何かあったらと思うと、今も肝が冷える。

 寝室の方を見つめてから、また、窓に視線を戻す。

 

 あの頃のサギリは、カザネを失ったら自刃する覚悟だった。守れなかった責任を取るというだけの理由ではない。カザネのいないこの世に、留まる意味はないと思ったからだ。

 それほどまでカザネの存在はサギリの中で大きい存在だったのに、……今では梧を追い詰めている。


 時雨は、まだ窓の外を眺めたまま、ソファに腰を下ろした。


 

 世が明けて、雨が弱まった頃、ハルが目の前に現れた。

 まるで幻でも見ているかのように驚いたサギリに、ハルは苦笑いを浮かべた。

 

 —————幽霊でも見たような顔だね。サギリ殿。

 

 随分と、大人びた表情だった。

 最後に会った時から随分と経っていたから、当たり前か。

 だけど、雰囲気が変わった。……血のつながりはないはずなのに、スイによく似ていた。


 —————尋ね人ならこっちだよ。


 そう言うと、ハルはサギリに背を向けた。

 カザネたちと出会った、サギリにとっては全ての始まりの日。あの日、カザネを探して街へ出て、森の入り口でスイに導かれた、あの日を彷彿とさせた。

 ハルは、一人で旅をするようになって、本当に”風のもの”になったのか……と思いながら、サギリはその背中を追った。


 ……なぜ、俺の居場所がわかったんだ?


 サギリが小声でそう問うと、


 —————さぁ……。何となく行ってみたら居たから。時折そういう時がないかい?こっちじゃないかなと、わかるときがさ。


 そう答えた。

 わかるようで、わからない答えだった。


 ……そうやって、カザネ殿下も見つけたのか?


 —————……そうなんだろうね。まさか、本当に、会えるとは思ってもみなかったけど。

 

 ……会いに、来たのか?


 ハルは、その質問には答えなかった。

 ハルとカザネが会うことを、快く思っていないことを知っているから、ハルは答えなかったのかもしれない。

 ただ、その時のサギリに、ハルを責める気持ちはなかった。

 なら……、サギリは何を期待して、その質問をしたのだろう。

 危険を冒してまで、ハルがカザネに会いに来たのだと言ったら、サギリは何と返すつもりだった?


 宿に行けなくなってからのカザネは、抜け殻のようだった。

 毎日、布をかぶって顔を隠し、生きているか死んでいるかわからない日々に戻ったカザネを、サギリは胸を痛めて眺めていた。

 たとえ、王族でなくとも、風のものと生きていくのは難しい。

 鳥を捕まえておくことが難しいように、風は自由を好む。どれだけ愛しても、一緒にいたいと願っても、ふと居なくなってしまうのだから。

 それは、ゼンもサギリもよく知っていた。

 いつか二人を、引き離さなければならない。

 だがそれが正しいのかどうか、サギリもゼンも、常に迷っていた。

 

 サギリたちの迷いが、あの悲劇を招いたのかもしれないと、何度も思った。


 敵軍が撤退し、ゼンの無事を確認した後、それぞれの場所へと戻るカザネとハルは、互いに名残惜しそうに見つめあっていた。まさか、結ばれた後だったとは思いもしなかったけれど。

 ……いや、思い返してみれば、二人の間には、そんな雰囲気もあったかもしれない。

 サギリも心の奥では気づいていたのに、わからないふりをしていただけかもしれなかった。

 

 時雨になっても、あの頃の後悔は尽きない。

 

 あの時、カザネを自由にしてあげれば良かったと思う。

 適当に死体をでっち上げ、死んだことにして王宮から逃がせば良かった。

 ハルとともに行かせてあげれば。

 たとえその先で、風によってハルと旅を続けることができなくなっても、カザネとハルなら、二人で互いに考え、ともに歩む方法を導き出すこともできたのではないか。

 ……もちろん、簡単ではないだろうけれど。

 

 少なくともあんな死に方をせずに済んだのではないか。


 

 時雨は、深くため息をついた。

 意味のない後悔だ。

 自分たちは、今世(いま)を生きているのに。まだ前世(かこ)のことを考えているなんて。

 ここからは、梧とたまきがこの先を考えて行けばいい。もう二人を阻む身分差はないのだから。

 二人がともに歩めるなら、それほど嬉しいことはない。

 だが、それには前世での秘密を、そのままにしておくことはできない。

 梧がたまきを想うとき、脳裏には愛しさと同時に、彼女の傍に居てもいいのかという罪の意識が残り続けている。それを取り除いてやらなければならない。

 いい加減、覚悟を決めなくては。

 そう考えるたびに震える手を、時雨は強く握りしめた。



 ――――――――――――

 

 

 心悠は、文化祭が終わった後、紫露に電話をかけてみた。

 だが、出やしないし、折り返しも来やしない。

 最近の紫露の様子から期待もしていなかったが、もどかしく感じた。

 

 文化祭の翌日、天気も悪いし練習をする気分にもならなくて、心悠は家の中で、もやもやとたまきのことで悩んでいた。

 かといって、梧のことを探るのが良いことなのかわからない。

 もし本当に恋人がいるのだとはっきりしてしまったら、どうしたらいいかわからない。

 たまきに、諦めて次に行けばいいよ、とは簡単には言えない。

 梧は、挫けそうになるたまきのことを、何度も助けてくれた。

 一日、さんざん悩んで一人でぐるぐると考え続けていたが、心悠は自分らしくない!と、立ち上がり、夕方になって雨が上がったのを見て、霜槻家に向かうことにした。

 

 

 霜槻家の前で、心悠は妙な違和感に顔を顰めた。

 もうあたりは陽が落ちてきていて薄暗くなっているのに、家に電気が灯っていない。

 訝しく思いながら、玄関の呼び鈴を押してみた。

 

 だが、当然ながら応答はない。


 確か、杠葉は専業主婦でいつも家にいたはずなのに、と、庭の方を覗き込むが、人の気配は一切なかった。

 何が起きているんだろうと、きょろきょろとしていると、

「……え、なんで?」

 と、後ろから声がして、心悠は振り返った。

 そこには紫露が驚いた顔で立っていて、買い物帰りのようで、エコバックを持っている。

 心悠の視線に気づいて、紫露はそのエコバックを後ろに隠した。

「……どういうこと?」

 訝し気な視線を紫露に向け、心悠は訊いた。

 しかし、紫露は「何のこと?」と言うと、心悠の脇をすり抜け、玄関の前に立った。心悠の方を振り向きもしないで鍵を開けようとしている。

「杠葉さんは?いないの?」

 紫露は答えない。

「……具合悪いとか?入院してるとかじゃないよね?」

「んなわけないじゃん」

 心悠の質問に答えながらも、動揺しているのか、なかなか鍵穴に鍵を差し込めない。

「え?じゃあ何で誰もいないの?……その買い物、なんなの?」

 袋に入っているのは、パンや総菜、すぐ食べられそうなものばかりのように見えた。

「……何でもないって。ただの買い出し」

 ようやく鍵を開け、紫露はドアに手をかけた。

「嘘つけって。連絡取れなかったのも、なんかあったからじゃ……」

 心悠は紫露に一歩近づく。

「何もないって……」

 呆れたように息を吐き、紫露は振り向こうとはしない。

 なにが起きてる?心悠の頭に疑問が浮かぶ。

 何かよくわからないが、歯車がかみ合わなくなっていくような、足元がおぼつかないようなところに立たされているような、奇妙な違和感が胸に広がる。

「じゃあ、杠葉さんどこに居るの!」

 言いようもない不安に駆られ、心悠が声を上げると、

「心悠先輩に関係ないだろ!」

 思わず紫露も声を荒げた。

 しかし、すぐに我に返って、紫露は慌てて心悠の方へ振り返った。

 心悠はわずかに俯いていて、表情が見えない。

「あ……」

「…………ああ、そうだね」

 何か言わなきゃと焦って言葉にならなかった紫露より先に、心悠の方が答えた。冷え切ったその声に、紫露の背筋に冷たいものが走る。

 顔を上げた心悠の表情は一見するとただの無表情なのに、静かな怒りに満ちているようだった。

 心悠のそんな顔を、紫露は初めて見た。本能的に、非情にマズいことだけがわかる。

 心悠自身、自分でもよくわからないまま、腹の底からふつふつと湧き上がる怒りに、頭がおかしくなりそうだった。

 心悠は、前世のこともわからない。

 たまきの苦しみも、全てをわかっているわけではない。

 紫露が陸上を辞めた理由も、隠している何かを話さない理由も、心悠には知ることもできない。

 知る必要なんてないと、心悠には何もできることなんかないと、蚊帳の外に出された気持ちだった。

「……確かに、お前とは何の関係もないよな。ただ、同じ校区で、小中と同じ学校だっただけで」

「あ、いや……ちが……」

 言い訳を口にしようとしたが、

「お前の気持ちは、よく分かったよ、()()()()。……誰がお前なんか頼るか」

 心悠はそう言い捨てて、踵を返し走り出した。

「えっ、ちょ……」

 見る見るうちに心悠は遠ざかり、紫露は呼び止めることもできなかった。

「……あぁ、もう……、何で」

 紫露は頭をガシガシと掻いて、自分の不甲斐なさに項垂れた。

 —————……誰がお前なんか頼るか。

 ふと、心悠の言葉を思い出して、紫露は顔を上げる。

「……なんか、あった……?」

 紫露は顔を顰めて、心悠の走り去った方向を見つめた。

 ただ、見たこともないほど怒っている心悠に、気軽に、何かあった?と聞く方法が、思いつかなかった。


 ――――――――――――――


「ただいま」

 時雨が家に帰ってくると、いつもなら勉強道具を広げているはずの紫露が、買ってきた荷物を置いてダイニングでぼーっと座っている。

「……何かあった?」

 声をかけると、

「え?あぁ、お帰り」

 と、紫露は息を吹き返すように我に返った。

 時雨がコートを脱いでいると、「俺も着替えてくるわ」と部屋に向かった。

 小首を傾げて、時雨も着替えに部屋に引っ込む。


 紫露は部屋着に着替えながら戻ってくると、ダイニングテーブルの上の買い物袋から、買ってきたものを出して整理を始めた。

 時雨も戻ってくると、

「そっちこそなんかあった?……顔色良くないけど」

 と、紫露は声をかけた。

 時雨はダイニングに腰掛けると、ため息をつく。

 紫露はテーブルに総菜を置き、残りの食材をしまってから、お湯を沸かす準備を始めている。

「……梧が風邪をひいてね。様子を見に行ってた」

「え!アオ君、大丈夫なの?」

 食器棚からマグカップを取り出していた紫露が、心配そうな顔で振り向く。

「まだ熱は少しあるけど、症状は落ち着いたから帰ってきたんだ」

 梧には何かあったら必ず連絡をくれるように話をして帰ってきた。

 梧は渋々頷いていたが、困っても連絡はしてこないかもしれない。

 明日の朝また様子を見に行こうと考えながら、時雨はもう一度ため息をついた。

「……そっか」

 紫露は二人分のマグカップにそれぞれティーパックを入れ、沸いたばかりのお湯を注ぐ。

 その一つを時雨の前において、紫露は向かい側に座った。

「……で?」

 ティーパックの紐を揺すりながら、紫露はちらっと時雨の方を見た。

「何悩んでんの?」

 同じようにティーパックを揺すっていた時雨はそれを聞いて驚いた顔をした後、さっと手を引いた。

 震え出す手を紫露から隠したかった。

 苦笑いを浮かべ、テーブルの下でぎゅっと手を握りしめる。

「…………前世のことを、梧に話さなきゃならないと思って……」

 紫露は一瞬、不安そうな顔つきになったが、ため息をついて、

「まぁ、……そうだろうなと思ってた」

 諦めたように微苦笑を浮かべた。

「…………今すぐじゃないけどな。梧も、今は体調が悪いし、話すとなれば森庵とも相談しないと」

 言い訳を並べる時雨の顔には、まだ迷いが見えた。

「……俺の前世と……、ハルさんの最期のことも、伝えるってこと?」

 マグカップを眺めながら、紫露が聞く。

 時雨は黙ったまま、少し間をおいて頷いた。

 紫露が、ハルの最期のことを緝に聞こうとした時、緝は時間が欲しいと言った。

 話すのに覚悟がいるような内容なのだと思う。

 紫露は初めは聞きたいと思ったが、しばらく経って、聞くことが怖くなった。

「…………ハルさんは、…………俺のせいで…………」

「違うよ。お前のせいでも、誰のせいでもない」

 時雨は紫露の言わんとすることを察して、すぐに言葉を遮ってきた。

 気持ちを落ち着けるように、紫露はため息をついた。

「…………じゃあ、()()のせいでもないよな?」

 紫露が顔をあげ、時雨の瞳をまっすぐ見つめた。

 それが、前世の紫露の視線と重なる。

「カザネさんとハルさんが死んだのは、親父のせいじゃないってことだ」

「……それは……」

「そうだよ。親父は()()()()()()()()じゃないか。今世で俺が、親父の子供に生まれたのも、親父のせいじゃない。だから、…………後ろめたく思わないでよ」

 時雨は目を見開いて紫露の顔を見たが、すぐに視線を下げて黙り込んだ。

 すぐには、そうだな、なんて言えないだろう。

 だけど、このことを解決しないと、杠葉とのことも解決しない気がする。

 前世とちゃんと向き合って、ちゃんと今世を生きなきゃ。

「……みんなの覚悟が決まったら、俺のこと、アオくんに話していいよ。逃げてばかりも居られないし。…………風呂、沸かしてくるね」

 言うと、紫露は立ち上がってバスルームに向かう。

 紫露も、震える体を、時雨に勘づかれたくないと思った。

 話していいと言っておきながら、怖かった。

 給湯のスイッチを押した後、紫露はそのままバスタブのふちに額をつけて、目を閉じる。

 紫露の正体を聞いて、……梧は、どう思うだろう。

 それを、たまきも知ったら……?

 

 ……どうか、嫌わないで。……変わらないで。


 紫露は、二人の笑顔と……その輪の中にいる自分の、満たされた胸の温かさを思い出して、たまきに前世のことを話した時と同じように、切実に願っていた。

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