3ー68 皇帝の悲願
謁見の間には、今日もチェスに興じる音が響いている。
打ち手はグラン皇帝であるグロウただ独り。
彼は、国民の目ぼしい人物の全てを打ち破ってより、対人戦から遠ざかっている。
だが特別に上手な訳ではない。
彼自身の肩書きが、戦歴を守っているだけである。
居並ぶ重臣以外には、2人の男がひざまずいていた。
一方は顔を上気させ、もう一方は青ざめて震えている。
傍目から見ても、それぞれの仕事ぶりが窺えるようだ。
グロウはそんな差異を視認することすらなく、盤面に目を向けたままで言った。
「報告を聞きましょう。悪い方から」
その言葉を聞き、片方の男が体を大きく跳ねさせた。
彼は大柄な武人であるにも関わらず、捕縛されたコソ泥よりも卑屈な素振りを見せている。
それほどに皇帝を恐れているようである。
「かっ、畏こくも皇帝陛下におかれましては、お耳汚し……」
「多弁は無用。端的かつ、正確に報告をするように」
「は、ハハッ! 失礼致しました! 私はご下命がありましてより豊穣の森に身を潜め、破壊神の解放をすべく、その機会を窺っておりました!」
「そうでした。覚えています」
「先日、憎き魔王を自称する愚か者どもが、拠点を留守にしました。念には念を入れ、闇夜に紛れての決行を試みたのですが……」
「失敗したのですね?」
「申し訳ございませぬ! まさか、もぬけの殻になっていようとは!」
クエスは部下の報告を聞いても、顔色ひとつ変えなかった。
視線はいまだに盤面へと向けられたままだ。
主が無言であったため、配下の重臣たちは、思い思いに考えを披露し始めた。
「将軍、もぬけの殻と言うが、何か手がかりくらいは残されていなかったのか?」
「わからぬ。奇っ怪な男が1人おり、そやつに邪魔をされたのだ」
「何者だ? 魔王ではないのだな?」
「初めて見る男だ。まるで触手の如く体をくねらせていた。捕まえるどころか、話を聞くことすら叶わず、逃げられてしまった」
「いい加減な事を……。怖じ気づいて逃げ帰ったのを、そのように言い繕っているだけではないのか?」
「全くだ。そうならそうと正直に申せば良いものを。嘘を重ねれば、御身の立場も苦しくなるばかりだぞ?」
「いや、本当なのだ! あの身のこなし、魔王軍の新たな尖兵かもしれぬ!」
議論が白熱しだした頃、グロウは初めて男の方を見た。
視線の先に居た将軍は元より、口が滑らかであった配下も一斉に押し黙った。
場を圧倒する威圧感がにわかに漂い出す。
誰もが喉の渇きを覚えたが、唾を飲み込む事すら恐れて固まってしまう。
「たて続きの失態は無能の証。身をもって償いなさい」
グロウの指先が光ったかと思うと、将軍は即座に倒れた。
駆け寄る者の姿はない。
この場の全員が、絶命している事を確信しているからだ。
「さて。もうひとつの方を聞きましょうか」
「は……ハハッ。お喜びください。予てより研究を続けていた件の兵器が、とうとう完成いたしました!」
この言葉に、周りの張りつめた空気が和らいだ。
皇帝が珍しく柔らかく微笑んだからである。
「そうですか。ついに実現に漕ぎ着ける事が出来ましたね」
「いかがなさいますか。すぐにでも起動が可能でございますが」
「……待ちましょう。どうせやるのなら、耳目が多い方が、より面白いと言うもの」
「耳目……にございますか?」
「遠くない未来に、敵はグランに攻め込んで来るでしょう」
「な、なるほど! 承知致しました!」
「フフフ……。連中がどのような顔をして驚くか。見ものですね」
グロウは口許を僅かに歪ませた。
達成感を、あるいは悪戯心を噛み殺すように。
それからの謁見の間は、大きな出来事はなく、些細な議題を残すのみである。
その間グロウは耳を貸すことなく、ただ独り微笑んでいた。




