3ー63 冥界の苦労人
月明と別れを告げた後、オレたちは宿へと戻った。
手荷物を部屋に置いて、さぁひとっ風呂と思っていたところに来客が現れた。
やって来たのは、顔をパンパンに腫らした若い男。
さっき兄妹ゲンカをやらかした陽明その人だった。
「いやぁ、さっきは悪かったよ。妹の事となるとどうにも自制がきかなくってなぁ」
「まぁ……別にかまわねぇよ。あのやられっぷを見たら、追求する気も失せちまうよ」
頭を冷やしたのか、それとも酔いが覚めたからか分からんが、敵意は完全に消えていた。
そうであればオレらに拒む理由は無い。
リタも暖かいお茶を出して、歓迎の意を現す。
陽明はそれを啜ろうとするが、口をつける事にすら苦戦していた。
唇の怪我にしみているようだ。
「んでよぉ。わざわざ何しに来たんだよ。喧嘩の仲裁でもして欲しいのか?」
「違う違う。別件だ。冥界のトラブルについてアドバイスが欲しいんだ」
「冥界……。それについては少し気になってたんだ。ともかく話してみろよ」
「快諾すまねぇな。イバちゃん、良いってよー!」
陽明が声をあげると、廊下側のふすまが静かに開いた。
現れたのはオレと同世代くらいの男だ。
体つきは筋肉質で、粗末な衣装に身を包んでいるが、首元にかけられたドクロの首飾りが妙に禍々しい。
そんな荒くれ者な見た目に反し、彼はとても滑らかな動きで頭を下げた。
「お、お休みのところすんません。私はぁイババラキって言いますぅ」
イントネーションに不思議な癖のあるしゃべり方だった。
語尾がフラットというか、尻上がり気味と言うべきか。
聞き取るのに問題はないから良いのだが。
「イバちゃん。例の悩みを相談してみなよ」
「んじゃあ早速だけどもぉ、話さぁ聞いてもらえますけ?」
「お、おうよ。任せなさい」
通訳の用意を一瞬考えたが、それは杞憂だった。
慣れてしまえば、案外耳に馴染むもんだと思う。
彼の話はこうだ。
ひょんな事から冥界門の管理を任されるようになった。
彼の仕事は死者をおくり、次の生命へと生まれ変わる作業を見守る事だ。
ほとんどの魂は従順に従うので、取り立ててやるべき事は少ない。
……はずだったが、問題が起こる。
とある人物が転生の流れに反発し、門の前に居座って抵抗しているというのだ。
「はい、状況はわかりましたと。んで相談って何だ?」
「その子をぉ、どうすたら説得出来るかという相談でしてぇ」
「管理者なのに情けねぇ。鉄拳制裁で良いだろうよ」
「いやぁ、華奢な娘ッ子でしてぇ。んな事したら可哀想だっぺぇ」
「相手は女の子かよ。いつからだ?」
「もうだぃーぶ前からですぅ。かれこれ300年、いや500年くらいだっけかなぁ?」
ここでふと、頭に何かがよぎった。
数百年もの間転生を拒み続ける少女。
生まれ変わる事なく、世界から消えてしまった少女。
その言葉には不思議と胸騒ぎを覚えてしまう。
「なぁモコ。これってもしかして?」
「ニョワァーン」
寝ぼけたような声を返されたが、その目は真剣味を帯びていた。
オレの予測は的を射ているのかもしれない。
「リタ、すまんが用事ができた。後を頼むぞ」
「あらぁ。折角のお休みなのに勿体無い」
「なるべく早く帰ってくるさ。んで、お前らは冥界とやらに案内しろ」
「おおっ。さすがは月明の惚れ込んだ男だ。身軽で助かるな」
「茶化すな、早くしろ」
「でんはぁ、私の方へ来てもらえっけ?」
イババラキが手招きをするので、モコを肩に乗せてから側へと寄った。
すると視界がグニャリのねじ曲がり、意識が遠退きかけた。
大時化での船旅のよう……いや、より酷いか。
強烈な不快感の余りに目を瞑る。
しばらくそうして堪えていると、目蓋の向こうが暗くなった。
恐る恐る目を開く。
すると、そこは旅館ではなかった。
一面が暗闇という不思議な世界で、かがり火が整然と並んでいる事以外は本当に何も無い。
それは比喩じゃなくて、空も山も地面すらも存在しない場所だった。
「んなら案内しますんでぇ、付いてきてくれっけ?」
「おう……頼むわ」
「かがり火からは離れねぇようにお願いしますだぁ。遠くに行かれっちまうと、私でも探せなくなんべよぉ」
「何だそれ、おっかねぇとこだな」
「道草食わなきゃ良いんだって。行くぞ、魔王のアンちゃんよ」
イババラキと陽明が、2列に並ぶかがり火の間を歩いていった。
どうやら灯りの間が道になっているらしい。
そこから外れた場所はどうなのかと思ったが、彼らが待ってくれる気配はない。
トラブルが怖いので、大人しく付いていく事にした。
「ここです。ここがぁ冥界門だっぺぇ」
イババラキはそう言うが、見たところイマイチな印象だった。
何せ暗すぎてロクに全容が見えないのだ。
門の回りであっても灯りが増やされたりせず、柱が立派な事と、頑丈そうな門扉が開いている事が分かった程度だった。
それを多少新鮮な気持ちで眺めていると、柱の根元に誰かが居るのが分かった。
それは、全体的にあどけなさを残す少女であり、見覚えのある人物だった。
たしかレイチェルという名前で、揺るがす者クエスの恋人。
非業な死に様が脳裏をよぎり、哀れみの情が胸を打つが……。
「オウオウオウ! てめぇイババラキこら。おっせぇんだよクソが!」
「すまねぇべ。ちょっくら話が通じそうな人さ呼んできたかん、それで勘弁すんべよ」
「まさかロクデナシじゃねぇよな? ポンコツ連れてきてたらタダじゃおかねぇからな!」
少女は妙に饒舌で口が悪かった。
初めて耳にしたその声は、なんとも香ばしい味わいを含ませていた。




