3ー60 水面下の反撃
グロウという青年はチェスを愛している。
腕前はまずまず。
であるにも関わらず常勝無敗だ。
それはもちろん、彼に勝つことにメリットが無いどころか、機嫌を損ねれば一族誅滅の憂き目に遭うからであった。
新生グラン帝国、初代皇帝グロウ。
その絶大なる権力を恐れぬものは、彼の支配下に一人として存在しない。
「プリニシアの様子はどうですか」
グロウが静かに下問した。
芳しく無い報告を上げる事を誰もが嫌がったが、宰相が僅かに背を押され、矢面に立つこととなった。
「恐れながら申し上げます。かの国の者共は陛下の大恩に報いるどころか、天に向かって唾を吐き、ひたすらに自滅の道を辿っております」
その言葉を聞きながら、グロウは盤面の手を進めた。
今回は対局ではない。
挑むべき相手が見当たらないので、一人二役で打つというのが常となっている。
宰相は返事のない事を不思議に思い、下げた頭をわずかにあげた。
主が微笑みを浮かべたままで居ることを目で捉え、小さく安堵する。
もちろん誰にも悟られぬように。
「例の物は、いまだに完成しないのですか」
話題を変え、再び下問があった。
その瞬間に宰相の腹の中で冷たいものが走る。
最高責任者である彼は、より危うい綱渡りを迫られたからだ。
「完成は目前にございます。今しばらく猶予をいただけましたならば、必ずや……!」
「急ぎなさい。これ以上、人外どもの無法を許してはなりません」
「ハハッ! 不眠不休にて敢行させます」
どうにか宰相は赦された。
冷や汗が頬を伝う。
だが、それを拭いはしなかった。
何を切っ掛けに怒りを買うかが分からないからだ。
ーー人外とは、どの口が言うのだろう。
その場に居た大勢の家臣が思ったことだろう。
何せこの若き皇帝、何十年も容貌が変わっていない。
宰相の男も齢を50重ねているが、彼が見習いの頃より初代皇帝に仕えているのだ。
老人に差し掛かった彼と、玉座に座る男の違いはどうか。
シワの無い肌。
豊かで艶やかな髪。
鮮明で透き通るような声。
それらに一切の老いが感じられない。
それどころか、正史通りであるならば、皇帝は優に100歳を超えているのだ。
この事には誰もが不審に思っている。
ある者は『亜人の類いである』と陰で言い、またある者は『何かよからぬ改造を御身に施した』と噂した。
数々の憶測が飛び交ったが、真相は分からず終いである。
何せ詮索はおろか、出生の秘密について語り合っただけで、忽然とこの世から姿を消してしまうからだ。
その事実が広まると、一斉に口をつぐんだのである。
「宰相殿、お頼み申したぞ! 貴殿の兵器さえあれば大陸の解放は速やかに成るのだからな」
「将軍……。場を弁えなされ」
「陛下! 晴れて空中要塞が完成した暁には、どうか私めに先陣を……」
その瞬間、鋭く甲高い音が響いた。
家臣たちは一斉に玉座を見る。
すると、チェス版は台座もろとも粉砕されていたのである。
そして皇帝グロウの顔つき。
微笑んでいるようにも見えるが、その目は恐ろしく冷たいものだ。
巻き添えを拒むように、全員が将軍の男より距離を取った。
事態を遅れて把握した彼は、慌ててその場に膝をつき、赦しを請うた。
「も、申し訳ございませぬ! 軽率にございましたッ!」
「……どこに他国の耳目があるかは分かりません。以後、言動には注意なさい」
「ハハァッ! 骨身に刻み申す!」
「失態は戦果によって報いるべきである。あなたにはその為の準備が?」
「……ハッ! 何なりとお申し付けくだされ!」
「西部を占拠する愚か者どもが、面白いものを隠しています。なんでも『太古の破壊神』と言うそうですね。その封印を解き放ち、連中の気をそちらに向けなさい」
「承知しました! されど、敵は大兵をもってしても侮りがたい相手。国軍をいか程お貸しいただけましょうや」
「大勢を引き連れる必要はありません。心利きたる者の少数で臨みなさい。敵は既に驕り、総出で領地を離れる事も珍しくはありません」
「委細承知しました! 吉報をお待ちくだされ!」
意気揚々と将軍が去っていく。
窮地から一転、手柄を立て、立身出世の機会だと思っているのであろう。
だが、そう思っているのは当人だけだ。
居並ぶ家臣の誰もが『死にに行く兵だ』と見送った。
あれほどの力を持つ魔王軍が、何の対策も講じていないハズが無いからだ。
皇帝はというと、特に気にしたようではない。
微笑みを絶やさぬまま、そのあとに命じた事と言えば、替えのチェス盤と台座を用意させただけであった。




