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怪異認定  作者: asnt2026


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第7話 呼ばれた人間

『……戸倉さん』


女の声が消えたあとも、誰も動かなかった。


零号室に残ったのは、電話の回線が切れたあとの低い電子音だけだった。


ツー。


ツー。


ツー。


戸倉雅人は、壁際まで後ずさっていた。


「俺じゃない」


誰に向けて言っているのか分からない。


美琴が口を開く。


「戸倉先生」


「違うんだ」


「何がですか?」


「俺は何もしてない」


三枝が苛立ったように言った。


「おい戸倉。何の話だよ」


戸倉は三枝を見た。


いや、正確には三枝の向こう側を見た。


その視線は定まっていない。


「知らない」


「何を」


「俺は知らない」


「さっきからそればっかりじゃねえか」


片桐が低い声で遮った。


「もういい」


その一言で、三枝が黙る。


片桐は久世を見た。


「説明してもらおうか」


久世は電話機の前にしゃがんでいた。


受話器を外し、裏側を確認している。


「今調べています」


「電話線は死んでるんだろ」


三枝が言う。


「ええ」


「なら、どうやって鳴った」


「それを確認しているところです」


久世の声はいつもと変わらなかった。


冷静。


淡々としている。


だから美琴は少し安心した。


きっと何か見つける。


最初の足音も。


白い影も。


子供の声も。


全部そうだった。


今回だけ違うはずがない。


「森岡」


美琴は小声で呼んだ。


「撮れてる?」


「はい」


森岡はカメラを構えたまま答えた。


「全部」


「音声も?」


「録れてます」


久世が振り返る。


「そのデータ、コピーをもらえますか」


「もちろんです」


「加工せず、そのままで」


森岡が頷く。


戸倉が突然、零号室から出ていこうとした。


久世が声をかける。


「戸倉先生」


足が止まる。


「少しお話を伺ってもいいですか」


「何を」


「今の声を聞いて、なぜ『俺じゃない』と言ったんです?」


戸倉の肩がわずかに揺れた。


「……驚いただけです」


「名前を呼ばれて?」


「そうです」


「普通、名前を呼ばれただけで『俺じゃない』とは言いません」


片桐が割って入る。


「久世君」


「はい」


「今は尋問をする時間じゃない」


「尋問ではありません」


「本人が動揺している」


「だからこそ、記憶が新しいうちに聞いておきたいんです」


片桐の表情が険しくなる。


二人の間に、目に見えない線が引かれたようだった。


佐伯が戸倉へ近づいた。


「今日はもう休みましょう」


「佐伯さん」


「何?」


「あなたは……」


戸倉が何か言いかけた。


佐伯は静かに見つめる。


戸倉は口を閉じた。


「何でもない」


佐伯が微笑む。


「明日、落ち着いてから話せばいいわ」


戸倉は頷き、部屋を出ていった。


そのあとを片桐が追う。


三枝も、


「馬鹿馬鹿しい」


と吐き捨てて出ていった。


残ったのは、美琴たちと久世、佐伯。


久世はまだ電話を調べている。


佐伯がそれを見つめていた。


「先生」


美琴が呼ぶ。


「分かりそうですか?」


「まだ何とも」


「電気は?」


「電話回線としての電力は来ていません」


「でも鳴った」


「はい」


「声も聞こえた」


「聞こえました」


森岡が小さく言う。


「先生でも分からないこと、あるんですね」


久世は顔を上げた。


「ありますよ」


意外なほどあっさり言った。


「世の中、分からないことだらけです」


「じゃあ、さっきのは……」


森岡の声が少し震える。


「幽霊なんですか?」


久世は数秒黙った。


「分からない、ということと、幽霊であるということは同じではありません」


いつもの言葉だった。


けれど今回は、


その言葉が少し遠く感じた。


佐伯が部屋を出る前に、電話を振り返った。


ほんの一瞬。


美琴は見ていた。


佐伯の視線には、


恐怖とは違うものがあった。


何かを思い出そうとしているような。


それとも、


思い出したくないものを見てしまったような。



翌朝。


戸倉は食堂に来なかった。


「具合悪いんじゃない?」


佐伯が言った。


「昨日あれだけ怖がってたし」


片桐は黙ってコーヒーを飲んでいる。


三枝は新聞を広げていた。


久世が席を立った。


「様子を見てきます」


美琴も立つ。


「私も」


二階。


戸倉の部屋。


久世がノックする。


「戸倉先生」


返事なし。


もう一度。


「久世です」


沈黙。


ドアノブを回す。


鍵はかかっていなかった。


中へ入る。


ベッド。


机。


鞄。


戸倉は窓際の椅子に座っていた。


美琴は一瞬安心した。


「戸倉先生」


しかし戸倉は答えない。


目の前の机に、


一枚の紙を置いていた。


そこには、


同じ言葉が何度も書かれている。


俺じゃない。


俺じゃない。


俺じゃない。


俺じゃない。


俺じゃない。


紙の端まで。


久世が近づく。


「戸倉先生」


戸倉がようやく顔を上げた。


目の下に濃い隈ができている。


「眠れましたか?」


「……あの電話」


「はい」


「誰がやった」


「調べています」


「誰がやったんだ」


「現時点では分かりません」


戸倉が笑った。


乾いた笑いだった。


「分からない」


「はい」


「あなたが?」


「ええ」


戸倉の笑いが止まる。


「なら、本当に来たのか」


「何がです?」


戸倉は答えなかった。


ただ窓の外を見た。


曇った空。


森。


何もない。


「先生」


美琴が聞く。


「誰が来たんですか?」


戸倉はゆっくりこちらを向いた。


「知らない方がいい」


そのとき。


廊下から、


ペタ。


音がした。


美琴は反射的に振り返る。


ペタ。


まただ。


裸足の足音。


でも、もう知っている。


配管だ。


怖がる必要はない。


ペタ。


久世も廊下を見る。


戸倉の顔だけが、


さらに青ざめていった。

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