第5話 地下の子供
三日目。
午後九時十四分。
「聞こえます」
森岡が囁いた。
美琴も耳を澄ませる。
地下へ続く階段。
暗闇の下から、
かすかに声がする。
女の子。
そう聞こえた。
『……かえ……』
美琴は眉を寄せた。
「何て言ってる?」
『……おうち……』
森岡が青ざめる。
「帰りたい、って言ってません?」
『……かえりたい……』
確かにそう聞こえる。
二人は顔を見合わせた。
「カメラ回して」
「回ってます」
階段を降りる。
一段。
また一段。
声は下から聞こえる。
『……かえりたい……』
地下には使われていない実験室が並んでいた。
照明は一部しか点かない。
美琴が懐中電灯を向ける。
誰もいない。
『……おうち……』
森岡が美琴の服を掴んだ。
「絶対いますよ」
「子供がここにいる方が事件だから」
「そういう意味じゃなくて」
声が途切れた。
しばらくして、
今度は別の方向から聞こえる。
『……かえりたい……』
二人は走って階段を上がった。
久世は二十分ほど地下を歩き回った。
今回は音を録音している。
再生。
『……かえりたい……』
森岡。
「完全に言ってますよね」
久世は何度か音を聞いた。
そして、
「外へ出ましょう」
と言った。
研究所の裏側。
草をかき分ける。
建物から五十メートルほど離れたところに、大きな換気口があった。
久世が耳を近づける。
遠くからテレビの音が聞こえた。
山の斜面の向こう。
宿泊施設の明かりが小さく見える。
「音がダクトを通ってます」
久世が言った。
「地下の換気設備が、偶然向こう側の音を拾っている」
「でも、帰りたいって」
「本当にそう言っていたでしょうか」
「え?」
久世が録音を再生する。
今度は、
字幕も先入観もない状態で聞く。
ザザ。
声。
美琴には今度、
「代わりたい」
にも聞こえた。
森岡が首を傾げる。
「……何て言ってるか分かんなくなりました」
「人間は曖昧な音を、意味のある言葉として補完します」
久世が言った。
「最初に『帰りたい』と聞こえると言われると、そのあともそう聞こえる」
美琴は感心した。
「先生がいれば、ホラー番組成立しませんね」
「それなら私を呼んだ人に言ってください」
久世が笑う。
三つ。
ここまで三つの怪異。
全部、説明がついた。
誰もいない廊下の足音。
監視カメラの白い女。
地下から聞こえる子供の声。
怪異などない。
それが徐々に、
この研究所の空気になり始めていた。
森岡など、
「どうせ何か理由ありますよ」
と言うようになった。
美琴自身も同じだった。
何かが起きても、
久世が調べれば答えが出る。
そう思っていた。
だから、その夜のことも、
最初は大して怖くなかった。




