第34話 幽霊を借りた女
証拠が見つかったのは、
その日の午後だった。
零号区画の隠し操作盤。
警察が配線を一本ずつ確認していた。
三枝が、
「ここは最近触られてる」
と指摘した。
古い端子。
その横。
本来存在しない、
小さな接続器。
久世のものではない。
「何ですか、これ」
美琴が聞く。
警察官が、
「下がってください」
と制する。
接続器の先。
細いコード。
壁の隙間。
追う。
奥に、
小さな録音機が残されていた。
美琴の心臓が鳴る。
久世を見る。
久世は首を振った。
「私のものではありません」
録音機は、
その場で再生されなかった。
証拠品。
警察が持ち帰る。
数時間後。
確認結果だけが知らされた。
複数の短い音声。
女の声。
「神崎……美琴さん」
「開けないで」
そして。
無音。
呼吸。
言い直し。
録音前の、
加工されていない声。
松永は、
「声の同一性については正式な鑑定が必要です」
と言った。
だが。
その場にいた人間には、
分かってしまった。
佐伯の声だった。
◇
佐伯は、
まだ逮捕されていなかった。
会議室。
警察官二人。
久世。
美琴。
今度は、
三枝もいた。
録音を流す。
『神崎……美琴さん』
佐伯は目を閉じた。
『開けないで』
停止。
松永。
「あなたの声ですか」
「……」
「佐伯さん」
「似てるわね」
三枝が机を叩く。
「まだ言うか!」
「三枝さん」
警察官が制する。
「お前がやったんだろ!」
佐伯は三枝を見る。
「何を?」
「全部だ!」
「全部?」
佐伯が、
奇妙に笑った。
「それは違う」
美琴は、
その言い方に背筋が冷えた。
全部ではない。
なら。
どこまで。
「久世先生の設備に気づいたのはいつですか」
松永が聞く。
佐伯は黙っている。
「最初の零号室の電話?」
美琴が聞いた。
佐伯の目が、
美琴へ向く。
「あのとき」
美琴は思い出す。
電話が鳴る。
佐伯が止める。
そして。
壁を見る。
「あなた、電話じゃなくて壁を見てました」
佐伯は何も言わない。
「旧設備だって気づいたんでしょう」
沈黙。
「佐伯さん」
久世が初めて聞く。
「なぜ分かったんです」
佐伯の顔に、
わずかな怒りが浮かんだ。
「あなたより知ってるからよ」
部屋が静かになる。
久世の目が細くなる。
「この研究所を?」
「ええ」
「零号区画を?」
「ええ」
ついに認めた。
「冬馬君」
佐伯は、
どこか哀れむような目をした。
「あなたは資料でしかここを知らない」
久世は黙る。
「私はここにいたの」
その言葉は、
妙に重かった。
「あなたが古い設備を起こしたって、すぐ分かった」
「だから使った?」
松永。
佐伯はしばらく答えなかった。
そして。
「便利だったのよ」
美琴の皮膚が粟立つ。
「何が?」
「幽霊」
佐伯は、
静かに言った。
「誰も人間を見なくなる」
◇
戸倉。
佐伯は、
戸倉がすべて話そうとしていることを知った。
「朝まで待てなかった?」
美琴が聞く。
佐伯は机を見る。
「あの人、私に一緒に話そうって」
「だから殺したんですか」
「殺すつもりはなかった」
また。
二十四年前と同じ言葉。
佐伯自身も、
気づいたらしい。
口を閉じる。
「何があったんです」
松永。
「話をした」
「どこで」
「保守通路」
戸倉は、
佐伯なら信じた。
二十四年前からの仲間。
一緒に話そうと言った相手。
佐伯は、
「人に聞かれない場所で話そう」
と誘った。
防音室。
そこで言い争った。
「戸倉さんは?」
「警察へ行くって」
「あなたは止めた」
「そう」
「それで?」
佐伯は目を閉じる。
「私を押した」
「戸倉さんが?」
「私は押し返した」
美琴の胃が縮む。
頭部の傷。
「倒れた」
佐伯の声。
「起きなかった」
また。
偶然。
また。
誰かを止めようとして。
「救急を呼ばなかった?」
「呼べなかった」
「なぜ!」
美琴の声が強くなる。
佐伯が顔を上げる。
「二十四年前のことが全部出るからよ!」
その一言。
静寂。
「だから隠した」
久世が言った。
「防音室に」
佐伯は答えない。
「靴を零号室へ置いた」
沈黙。
「左足の怪異に合わせて」
佐伯の口元が歪む。
「あなたが教えてくれたのよ」
久世の顔が強張る。
「冬馬君が、幽霊はこういうものだって」
「私の怪異を使った」
「そう」
佐伯の声は、
驚くほど静かだった。
「明日香が連れていったことにすればいいと思った」
◇
「片桐さんは?」
松永が聞く。
今度は、
佐伯が長く黙った。
「片桐さんも殺したんですか」
「……」
「佐伯さん」
「片桐先生は」
言葉が遅い。
「あの人も話すって言った」
美琴は目を閉じたくなった。
また。
同じ。
「戸倉さんがいなくなってから?」
「そう」
片桐は、
佐伯が何かしたと疑っていた。
さらに、
久世の怪異に追い詰められていた。
「『もう終わりにする』って」
佐伯の声。
「『明日香のことも、戸倉のことも話す』って」
「それで零号室へ?」
「私が呼んだ」
「どうやって」
「明日香を使って」
それ以上の方法は、
佐伯は話さなかった。
ただ。
旧設備を作動させた。
片桐が恐れる音。
声。
三回のノック。
零号室。
「殺すつもりだった?」
松永が聞く。
佐伯は、
すぐには答えなかった。
「止めたかった」
「何を」
「話すのを」
「結果、片桐さんは死亡した」
「……そう」
「217を書いたのも?」
頷く。
「なぜ?」
佐伯は、
少し笑った。
「その方が」
「?」
「幽霊らしいでしょう」
美琴は、
その瞬間。
今までで一番、
佐伯を怖いと思った。
◇
松永が立ち上がる。
佐伯の表情が変わる。
「佐伯真由さん」
警察官が近づく。
「戸倉雅人さんの死亡および片桐征一さんの死亡について、さらに詳しく事情を聞きます」
佐伯は抵抗しなかった。
立つ。
そのとき。
久世へ向いた。
「冬馬君」
久世が見る。
佐伯は、
何か言おうとした。
でも。
「……やっぱりいい」
それだけ。
警察官に連れられ、
会議室を出ていく。
扉。
閉じる直前。
佐伯が一度だけ、
廊下の奥を見た。
そこには、
誰もいなかった。
それなのに。
佐伯は、
一歩止まった。
「どうしました?」
警察官が聞く。
佐伯は答えない。
ただ。
誰もいない場所へ、
ほんの少し頭を下げた。




