第33話 午前二時十六分三十秒
翌朝。
佐伯は、
自分から話したいと言った。
場所は一階の旧会議室。
松永。
もう一人の警察官。
久世。
美琴。
森岡は外。
三枝も別室。
佐伯は机の向こうに座った。
手には何もない。
表情も穏やかだった。
「二十四年前のことだけよ」
最初にそう言った。
松永が確認する。
「現在の事件についてではない?」
「知らないことは話せないもの」
「分かりました」
録音が始まる。
佐伯は、
しばらく机を見ていた。
「明日香はね」
美琴は息を止めた。
「真面目な子だった」
久世は何も言わない。
「真面目すぎたのよ」
「どういう意味ですか」
松永。
「研究所のやっていたことを、全部正しくしようとした」
「不正実験ですか」
「……そう」
佐伯は小さく頷く。
「同意書と違う刺激」
「記録の書き換え」
「安全基準を超えた実験」
「明日香は気づいた」
「告発しようとしていた?」
「たぶん」
「たぶん?」
佐伯が自嘲する。
「本人から聞いたわ」
美琴の背中に緊張が走る。
「亡くなった夜?」
「そう」
◇
午前一時五十八分。
明日香は、
零号室の記録を持ち出そうとしていた。
佐伯が見つけた。
「私は止めた」
「なぜ?」
松永。
「研究所がなくなると思ったから」
「それだけ?」
佐伯は久世を見る。
一瞬。
「……それだけじゃない」
それ以上は言わなかった。
「証拠を渡してって言った」
「明日香は?」
「嫌だって」
二人は言い争った。
佐伯が資料へ手を伸ばす。
明日香が引く。
肩を掴む。
振り払われる。
「それで」
佐伯の声が、
初めて震えた。
「転んだ」
久世の目が動く。
「姉が?」
「壁に」
佐伯は自分の後頭部を触る。
「頭を打った」
美琴は息を呑む。
「その時に死んだんですか」
「違う!」
佐伯が顔を上げた。
強い声。
「生きてた」
沈黙。
「明日香は立った。話もしてた」
「ではなぜ零号室へ?」
佐伯は目を伏せる。
「片桐先生が」
その名前。
亡くなった人間。
「落ち着かせろって」
「零号室に入れた?」
「少しだけのつもりだった」
「赤い固定ピンは?」
「三枝さん」
「あなたは知っていた?」
「……知ってた」
美琴の指先が冷たくなる。
明日香は、
自分では開けられない部屋へ入れられた。
怪我をした状態で。
◇
午前二時十四分。
明日香が電話をかける。
『ここから出して』
記録されている。
二時十六分。
三枝が録音を止める。
「そのあと」
松永が聞く。
「誰が残りました?」
佐伯は答えなかった。
「佐伯さん」
「……私」
久世の表情は動かない。
でも。
美琴には、
机の下で久世の手が握られたのが見えた。
「明日香は何と言ったんです」
佐伯の呼吸が、
少しずつ浅くなる。
「最初は」
口が動く。
声が出ない。
「佐伯さん」
美琴は思わず呼んだ。
佐伯が美琴を見る。
その顔は、
二十四年前を見ているようだった。
「真由さん」
久世が目を閉じた。
姉の声を、
佐伯が再現する。
「『真由さん、開けて』」
誰も動かない。
ついに。
あの言葉が出た。
「それから?」
松永。
佐伯は答えない。
「佐伯さん」
「『冬馬には何も言わないから』」
久世が顔を上げた。
美琴も見る。
「何を……」
久世が初めて口を挟んだ。
「何を私に言わないと?」
佐伯の目が揺れた。
「それは」
「何です」
「今は関係ない」
「姉は何を知っていたんです?」
「関係ない!」
大声。
久世が黙る。
佐伯は、
自分の声に怯えたように肩を震わせた。
「ごめんなさい」
誰に謝ったのか分からない。
松永が続きを促す。
「明日香さんは、そのあと?」
佐伯は唇を噛んだ。
「『お願い』って」
涙が落ちた。
「『私、帰りたい』って」
美琴は、
零号室を思い出した。
机。
電話。
白い壁。
逃げられない扉。
そして。
三回。
「それから?」
佐伯が両手で耳を塞いだ。
「三回」
美琴の身体が硬くなる。
「扉?」
久世が聞く。
「叩いた」
佐伯は泣いている。
「ドン」
「ドン」
「ドン」
声だけで、
あの音が蘇った。
「私は」
佐伯が言う。
「開けなかった」
誰も話さない。
「開けられたのに」
涙。
「開けなかった」
「どうして?」
美琴が聞いた。
佐伯はしばらく答えなかった。
「怖かったから」
「何が?」
「明日香が出たら」
佐伯の顔が歪む。
「全部終わると思った」
◇
午前二時二十八分。
扉を開けたとき、
明日香は倒れていた。
呼吸はなかった。
「それから片桐先生が」
佐伯は続ける。
「事故にするって」
遺体を移した。
戸倉が記録を書き換えた。
三枝が監視記録を消した。
佐伯が、
医療記録を修正した。
全員が。
「事故にした」
久世は、
ずっと黙って聞いていた。
美琴は、
横顔を見ることができなかった。
「だから『開けて』を知っていたんですね」
美琴が言った。
佐伯は、
ゆっくり頷いた。
「あなたしか知らなかった」
「……そうね」
「じゃあ今の『開けて』も」
松永が聞く。
佐伯の表情が変わる。
「違う」
「佐伯さん」
「私は話したのは二十四年前のことだけ」
「現在の設備を使いましたか」
「知らない」
「美琴さんの名前を流した?」
「知らない」
「片桐さんを零号室へ?」
「知らない!」
また。
知らない。
そして佐伯は、
久世を見た。
「冬馬君が作ったんでしょう」
久世は答えない。
佐伯が笑った。
泣きながら。
「幽霊を作れるんでしょう?」
その笑顔を見た瞬間。
美琴は、
なぜか確信に近いものを覚えた。
佐伯は、
まだ全部を話していない。




