第32話 最後に残った人
「佐伯さんが?」
美琴は聞き返した。
三枝は頷いた。
「間違いないんですか」
「……たぶん」
「たぶん?」
「二十四年前だぞ」
「でも、今思い出した」
三枝が苛立つ。
「思い出したくなかったんだよ」
「何があったんです」
「俺は録音を止めた」
それは聞いた。
午前二時十六分。
片桐の指示で。
「それから制御室へ戻った」
「片桐先生は?」
「少し後で来た」
「戸倉先生は?」
「片桐と一緒だったと思う」
「佐伯さんは?」
沈黙。
「残った」
「何のために」
「明日香を落ち着かせるって」
美琴の背中が冷える。
「じゃあ」
録音が切れる。
二時十六分。
明日香死亡。
二時十七分。
最後の一分。
その場所に、
佐伯がいた。
「どうして今まで言わなかったんですか」
三枝が美琴を睨む。
「言ったら終わるからだよ」
「何が」
「全部だ」
低い声。
「明日香が零号室で死んだことも」
「扉を開かなくしたことも」
「片桐が事故に見せかけたことも」
「俺たち全員が黙ったことも」
三枝は窓の外を見る。
「二十四年前に終わったと思った」
「終わってないですよ」
「分かってる」
「戸倉先生も死んだ」
「分かってる!」
大声。
近くの警察官がこちらを見る。
三枝は声を落とした。
「だから話してる」
美琴は何も言えなかった。
◇
三枝の証言はすぐに警察へ伝えられた。
佐伯も再び事情を聞かれる。
その間。
久世と美琴は、
古い資料を調べていた。
探していたのは、
佐伯が本当に刺激設備を操作できたのか。
三枝の言葉だけでは弱い。
被験者管理。
看護担当。
それだけなら、
装置を扱わなくても不思議ではない。
森岡がファイルをめくる。
「これ違います?」
黄色く変色した用紙。
零号区画 被験者状態監視手順
担当者欄。
三枝修司。
そして。
佐伯真由。
美琴は読み進める。
心拍。
呼吸。
血圧。
異常時の刺激停止。
刺激レベル調整。
音響。
照明。
室温。
「……操作してた」
久世が資料を受け取る。
しばらく黙って見る。
「少なくとも、操作方法を知っていた」
「佐伯さん、ずっと『看護担当だっただけ』って」
森岡が言う。
久世。
「嘘ではありません」
美琴が見る。
「またそれですか」
「被験者管理担当の看護職として、設備操作も業務に含まれていた」
「言わなかっただけ」
「はい」
美琴はため息をついた。
この研究所では、
嘘をつかない人間の方が、
嘘つきに見える。
◇
警察から、
戸倉のスマートフォンについて情報が出た。
端末自体は部屋に残されていた。
その中に、
送信されていない文章があった。
宛先。
佐伯真由。
本文。
短い。
朝になったら、全部話します。
もう終わりにしましょう。
あなたも一緒に話してください。
美琴は、
何度も読み返した。
「戸倉先生」
森岡が言う。
「佐伯さんに相談しようとしてた?」
「たぶん」
美琴の頭の中で、
第8話の夕食が蘇る。
戸倉。
明日の朝、山を下ります。
佐伯。
道、崩れてるのよ。
あの二人は、
ただ昔の同僚として話していたように見えた。
でも。
もし。
あのあと戸倉が佐伯に、
「全部話す」
と伝えたのなら。
◇
夕方。
佐伯は会議室から出てきた。
警察官が付き添っている。
美琴と目が合った。
佐伯は、
少し笑った。
いつもの、
柔らかい笑い方。
それが今は怖かった。
「佐伯さん」
警察官が止めようとする。
佐伯が、
「少しくらい大丈夫でしょう」
と言った。
美琴は聞く。
「二十四年前」
佐伯の笑顔が消える。
「明日香さんが死んだとき、零号室の前に残ってたんですよね」
「三枝さんが言ったの?」
「はい」
「三枝さんの記憶なんて、信用できる?」
「あなたはどうですか」
「何が?」
「覚えてないんですか」
佐伯は答えない。
美琴は続ける。
「『開けて』」
佐伯の目が動いた。
「二十四年前の録音には入ってなかった」
「そうね」
「でも、あの言葉を聞いたとき、あなたは鍵を落とした」
「怖かったからよ」
「何が?」
「幽霊が」
美琴は佐伯を見る。
「佐伯さん、幽霊を信じてたんですか」
少し前。
佐伯は、
どちらとも言わなかった。
今は。
「信じるようになったわ」
「いつから?」
「戸倉さんが消えた頃から」
「本当に?」
佐伯の笑みが消える。
「神崎さん」
声が冷たくなった。
「あなた、何が聞きたいの」
美琴は答えた。
「明日香さんは最後に、何て言ったんですか」
佐伯の顔が、
完全に止まった。
その瞬間だけで、
美琴には分かった。
知っている。
佐伯は。
録音の先を。
◇
夜。
久世が美琴を呼んだ。
資料室。
机の上に、
明日香の音声記録。
「神崎さん」
「はい」
「一つだけ、お願いがあります」
「何です?」
「今後、佐伯さんと二人きりにならないでください」
美琴の身体が少し硬くなる。
「先生、佐伯さんが犯人だと思ってる?」
「断定していません」
「でも」
「戸倉さんは彼女に連絡しようとしていた」
「佐伯さんは旧設備を使える」
「はい」
「最後の一分も知ってる可能性がある」
「はい」
「十分じゃないですか」
久世は首を振った。
「疑う材料と、事実は分ける」
美琴はその言葉を覚えていた。
「先生らしいですね」
「一度、かなり信用を失いましたから」
美琴は苦笑した。
「自覚あるんですね」
「あります」
ほんの少し。
空気が緩む。
だが、
すぐ戻った。
久世が言う。
「それともう一つ」
「?」
「姉が亡くなった夜」
久世は録音機を見る。
「佐伯さんにだけ言ったことがあるなら」
美琴は、
続きを待つ。
「今起きている怪異の中に、それが混ざっている可能性があります」
「本人しか知らない言葉」
「はい」
美琴は、
『開けて』
を思い出した。
もしあれが、
幽霊の言葉ではなく。
佐伯自身が、
二十四年前の記憶から作ったのだとしたら。
それは怪異ではない。
告白に近い。




