第19話 二一七
朝まで誰も眠らなかった。
片桐は部屋へ戻った。
三枝は食堂。
佐伯は三枝のそばにいた。
久世は零号室の調査を続けた。
美琴も残った。
壁。
電話。
観察窓。
気温。
電源。
すべてを確認している。
「先生」
「はい」
「三枝さんの話」
久世は手を止めない。
「聞きました」
「明日香さんは、階段では死んでない」
「その可能性が高くなりました」
「驚かないんですね」
久世はようやく美琴を見た。
「ずっと疑っていましたから」
「お姉さんがここで亡くなったって?」
「少なくとも、事故記録には説明できない矛盾がありました」
「どうして警察に」
「証拠がない」
短い答え。
「二十四年間?」
「ええ」
久世は観察窓を見る。
「疑うことと、証明することは別です」
その声には、
美琴がこれまで聞いたことのない硬さがあった。
◇
午前六時十四分。
佐伯が片桐の部屋へ朝食を持っていった。
数分後。
「片桐先生がいない」
全員が集まる。
部屋は空。
窓は閉じている。
今度は鍵が開いている。
「またかよ」
三枝が呟く。
戸倉と同じ。
美琴の胸がざわつく。
「零号室」
誰かが言った。
誰だったか分からない。
全員が地下へ向かった。
扉。
閉じている。
久世がノブを回す。
開く。
中は暗い。
懐中電灯。
机。
椅子。
その奥。
片桐が床に倒れていた。
「片桐先生!」
美琴が走ろうとする。
久世が腕を掴む。
「待って」
先に近づく。
首元。
脈。
呼吸。
数秒。
久世がゆっくり顔を上げる。
「……亡くなっています」
佐伯が口を押さえた。
三枝が壁にもたれる。
森岡はカメラを持っていたが、
構えなかった。
誰も、
撮れとは言えなかった。
片桐の身体に大きな傷はない。
血もない。
表情だけが、
ひどく歪んでいる。
何かを見て、
恐怖したまま固まったように。
その右手。
爪が割れている。
美琴は懐中電灯を壁へ向けた。
傷。
縦。
横。
何本も。
引っ掻いたような跡。
そして中央。
濡れている。
数字。
217
「二時十七分……」
森岡が呟いた。
久世が壁へ近づく。
触らない。
「誰も近づかないでください」
三枝が後退する。
「呪いだ」
誰も笑わなかった。
「戸倉が消えて」
三枝の声が震える。
「片桐が死んだ」
佐伯。
「やめて」
「次は俺か?」
「三枝さん」
「それとも佐伯、お前か?」
佐伯の顔が強張る。
「やめてって言ってるでしょう!」
珍しく大声だった。
三枝も黙る。
美琴は佐伯を見る。
佐伯は片桐ではなく、
壁の数字を見ていた。
217。
その目は、
悲しんでいるというより、
計算しているように見えた。
◇
山道の復旧は午後になるという。
外部へ連絡がつき次第、
警察と救急が来る。
それまで、
片桐の遺体には触れない。
零号室を封鎖。
全員を一階へ集める。
三枝が頭を抱えている。
「俺は帰る」
「道が開いたらね」
佐伯が言う。
「今すぐだ」
「無理よ」
「歩く」
「戸倉さんと同じこと言ってる」
その一言で、
三枝が黙った。
美琴は久世を探した。
いない。
地下へ戻る。
零号室前。
久世が一人で壁を見ていた。
「先生」
「入らないでください」
「分かってます」
美琴は扉の外から聞く。
「片桐先生、どうやって死んだんでしょう」
「警察と司法解剖を待つしかありません」
「幽霊に殺された?」
久世が美琴を見る。
「そう思いますか」
「分かりません」
「私もです」
「先生でも?」
「人が死亡した以上、推測で超自然現象と結論づけるべきではありません」
「でも」
美琴は壁を見る。
217。
「ここまで重なると」
「ええ」
久世も数字を見る。
「出来すぎています」
言葉の意味が妙に引っかかった。
「出来すぎ?」
「怪異というものは、人間が意味を見つけた瞬間に強くなる」
「どういうことです?」
「足跡だけなら水です。電話だけなら故障です。二時十七分だけなら時刻です」
久世は一つずつ見る。
「でも、それらを明日香の死につなげた瞬間、すべてが一つの物語になる」
「物語?」
「人は、物語を信じます」
その声は、
どこか冷たかった。
美琴が何か言おうとしたとき。
零号室の電話が鳴った。
ジリリリリ。
二人とも見る。
ジリリリリ。
「出ないんですか?」
久世は数秒、
電話を見つめた。
そして、
「今は出ません」
初めてだった。
鳴っている電話を、
久世が取らなかった。




