第15話 片桐先生
『……片桐先生』
声は一度きりだった。
それでも十分だった。
戸倉のときと同じ。
名前を呼ばれた。
片桐は受話器を睨んでいる。
「くだらん」
最初に出た言葉がそれだった。
三枝が見る。
「片桐」
「誰かが遊んでるだけだ」
「戸倉は消えたぞ」
「だから何だ」
「次はあんたってことじゃないのか」
片桐が三枝を睨んだ。
「馬鹿なことを言うな」
「じゃあ電話に出てみろよ」
「もう切れている」
「また鳴るだろ」
「三枝」
「何だよ」
「黙れ」
低い声。
それだけで、
三枝は口を閉じた。
二十四年前。
片桐は研究所所長。
その立場が今も二人の間に残っている。
美琴にはそう見えた。
◇
久世は電話を調べる。
先ほどの零号室と同じ。
回線は死んでいる。
なのに鳴った。
音声も流れた。
「先生」
美琴が聞く。
「戸倉先生のときと同じですか?」
「似ています」
「同じじゃない?」
「電話機の型も配線も違います」
「なのに、同じことが起きた」
「はい」
「順番に名前を呼んでるんでしょうか」
久世は片桐を見る。
「その可能性はあります」
片桐が鼻で笑う。
「馬鹿馬鹿しい」
「片桐先生」
美琴が聞く。
「戸倉先生は名前を呼ばれたあと、消えました」
「だから?」
「怖くないんですか」
片桐は美琴を見る。
「怪談を撮影して飯を食っている人間に、怖いですと言えば満足か?」
言葉に詰まる。
「私は科学者だ」
片桐が続ける。
「幽霊などという言葉で思考停止する気はない」
久世が静かに言った。
「私も同意します」
片桐は久世を見る。
「なら、さっさと正体を突き止めろ」
「そのつもりです」
二人の目が合う。
美琴には、
怪異とは別の緊張があるように思えた。
◇
その夜。
午前一時過ぎ。
美琴は物音で目を覚ました。
廊下。
扉を少し開ける。
誰かが歩いている。
片桐だった。
手に紙の束を持っている。
「片桐先生?」
片桐が振り返る。
驚いた顔。
「何をしている」
「今起きたところです」
「寝ていろ」
片桐は階段へ向かう。
美琴は迷った末、
後を追った。
一階。
資料室。
片桐が中へ入る。
隙間から見る。
紙を箱から取り出している。
事故資料。
古い研究記録。
そして、
シュレッダー。
電源を入れようとした。
「何してるんですか」
片桐が振り返った。
「勝手についてくるな」
「それ、何の資料です?」
「関係ない」
「明日香さんの事故ですか」
片桐の目が鋭くなる。
「久世から聞いたのか」
「久世先生からも。資料でも調べました」
「余計なことを」
「戸倉先生が消えてるんですよ」
美琴の声が強くなる。
「関係あるんじゃないですか」
「ない」
「じゃあ、なんで資料を捨てるんです?」
片桐は紙を握りしめた。
「研究所は解体される」
「だから?」
「古い個人情報だ。残しておく必要はない」
「今、このタイミングで?」
片桐は答えない。
美琴は紙の一番上に見えた文字を読む。
久世明日香 事故調査記録
「やっぱり明日香さんの」
片桐が資料を伏せる。
「事故だ」
「え?」
「あれは事故だった」
誰も聞いていないのに、
片桐は言った。
「あれは事故だったんだ」
二度。
「誰も殺していない」
美琴の呼吸が止まる。
「……殺したなんて、言ってません」
片桐も気づいた。
沈黙。
そのとき。
天井から、
ドン。
二人とも見上げる。
ドン。
二回。
片桐の顔色が変わる。
美琴も動けない。
そして、
三回目。
ドン。
片桐の手から資料が落ちた。
「三回……」
美琴が見る。
「何ですか?」
片桐は答えない。
天井を見上げたまま、
唇だけが動いた。
「やめろ」




