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第四十一話 少しだけ前へ

 蕾さんの体温が体に染み渡る感覚は、母に子供のころ抱き締められる感覚に似ていた。

 懐かしさと、”死”を実感したことで父と母が死んでしまったことを十年かけて受け入れることができた気がした。

 

 もしかしたら、これまでに見た凄惨な光景が俺の心に蓋をしていたのかもしれない。

 その蓋が空けられたからこそ、胃を締めつけられて、腹の奥がゾクゾクするような不快感が体の感覚神経を震わせていた。

 

 「俺は……みんなを……」

 

 ――殺処分にした。

 彼らだって人間だった。

 

 隔離区の中で決められたルールを守るためと言えど、これまでたくさんの人を処分場に送り届けていた。

 全ては、この奇病が悪い。

 隔離区がそう言うんだから、仕方ない。

 

 そう誤魔化していたことが、通じなくなった。

 

 俺が殺した。俺がみんなを殺した。

 ――コロした。

 

 俺は褒められて助長して、この耳を使ってたくさん人を――殺めた。

 

 すぐに仕事を辞めていく人達が正常で、俺が”異常者”だったと理解することができた。

 陽性を突きつけられた時の患者の叫び声が、今になって頭の中でガン、ガン響く。

 

 「斗賀くんは――なにも悪くないよ」

 

 そんな俺を蕾さんは否定するわけでもなく、柔らかい声で受け入れてくれる。

 彼女がいなければ、俺はこの場で壊れていたかもしれない。

 

 だからと言って、このままずっと彼女に甘えてる訳にはいかないのだ。

 

 俺の父のように、自分の命を懸けて俺と蕾さんを助けてくれた。

 きっと、怖かっただろう。

 父だって人間なんだ。

 

 ――優しい人になれ、か。

 

 「……分かってるよ、父さん」

 

 無意識に口が動く。

 人を殺めた自分は道を踏み外してしまった。

 かと言って、ここで逃げ出してしまえば、汐音さんも海斗さんも死ぬ。

 

 そんなの、嫌だ。

 

 もう、人が死ぬのは――嫌だ。

 

 なら――もう少しだけ頑張ろう。

 

 それまでは、死ねない。

 全員で隔離区を脱出して、父さんの神社に戻らなくちゃ。

 

 床についた手を強く握り締めると、体の震えを無理やり押さえ込む。

 自分の神経から切り離されたように動かない両足が、再び再接続されると床に打ち付けた部分がズキッと痛んだ。

 

 そのおかげで一気に現実が戻ってきて、色の消え世界が再びカラフルに染まる。

 

 瞬間、猛烈な吐き気が襲ってきて唇の隙間から唾液が溢れて床を濡らしたが、盛大に喉を鳴らして飲み込んだ。

 

 手で口を拭い、足に力を込める。

 

 「斗……賀くん。もう、平気なの?」

 

 立ち上がった俺を心配そうに見上げてくる蕾さんの顔が、視界に映る。

 泣き腫らして瞼が赤く染まって少しだけ腫れていた。

 

 俺が泣かせてしまったと思うと、また心が軋むような感覚に襲われる。

 

 ――だからこそ。だからこそ、だ。

 

 これまでで、一番の笑顔を俺は見たい。

 彼女の辛い顔を見るのは――嫌だ。

 

 「蕾さんが傍にいてくれたから、俺は壊れなかった……いっぱい泣かせてごめんね」

 

 そう言うと、蕾さんはフルフルと首を繰り返し素早く横に振る。

 

 「もう、泣いてる顔、見たくないかな……だからさ、今度は蕾さんの笑顔が見たいんだ」

 

 ゆっくりと自分の気持ちを、蕾さんへ伝える。

 

 「こんな時に言うのもあれなんだけど……その――ずっと傍にいて欲しい。世界が救われても、ずっと、ずっと」

 

 「へぇっ!? それって……あわ、わっ!」

 

 俺の言葉の意味を察したのか、蕾さんが変な声をあげた。

 自身の胸の前で手をもじもじとしている。

 

 「突然、ごめんね。返事は、全部終わってからでいいからね」

 

 そう伝えて再び彼女の顔を見ると、耳まで真っ赤で目を合わせることができないようだった。

 

 「はぅ……」

 

 と、そんな声を上げて盛大に頭を縦に振って頷く。

 

 「だいぶ、汐音さんも海斗さんも待たせちゃったから、そろそろ行こうか」

 

 蕾さんの背後、部屋の入口のところに二人が立っていた。

 こちらには近づいてこようとせず、俺達を見守ってくれていたみたいだ。

 

 「やっぱり、蕾に負けちゃった……」

 

 二人に傍に歩み寄ると、汐音さんの第一声はそれだった。

 

 「……ごめんなさい」

 

 「もう! そう謝られると余計に辛いよ。でもね、私には蕾みたいに斗賀見くんを助けてあげられなかったから、仕方ないかな……」

 

 彼女の瞳は力なく垂れている。

 

 「でも! 斗賀見くんが蕾にフラレたら、私が次は狙っちゃうからね」

 

 そう強気に笑うが、俺の胸の中が少しだけ重たくなる。

 蕾さんも困ったように下を向いてしまう。

 

 「なーに、汐音には僕がいるさ! 僕ほど君を思ってる人間はいないぞっ! さあ、辛いなら、胸に飛び込んでくるがいい!」

 

 海斗さんが両手をガバっと広げる。

 

 「あんたの良いところは――顔だけだろ! キモいっ!」

 

 そう言って、汐音さんが海斗さんの腹を全力で殴るが、鍛え上げられた腹筋はまったく微動だにしなかった。

 

 「ああ! 汐音から触れてくるなんてっ! 今日死んでいいくらいだっ!」

 

 海斗さんのおかげで、重たくなった空気が軽くなった気がした。

 今もポコポコと、海斗さんの腹を殴り続けている汐音さんを見て、俺の口元が緩む。

 

 全てが終わったら、もう一度ちゃんと汐音さんと話さないとだな。

 だから、全員無事に――第五隔離区セクターβから、脱出しなくてはならない。

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