第四十話 認めること
「あ、水道……壊れてなくて良かった」
爆発したすぐ横にあった部屋の中は、爆風で吹き飛ばされたガラス片や机。
どこの部分か分からない、二人の一部で汚されている。
奥の方にあった水道は爆発を逃れたおかげで、蛇口を捻れば透明な水がサーッと流れ出だした。
「しかし、頑丈な建物だな」
壊れたのはガラスや備品だけで、壁には大きな傷はない。
辺りを見回しても、物を片付ければまたすぐに部屋の機能を回復してもおかしくなかった。
「……手の汚れ、落ちないな」
顔を元の位置に戻し、水に付けた手に視線を落とす。
水に溶けた血液は、錆色から鮮明な赤になる。
近くにあった石鹸を手に塗りたぐって、何度も手と手を擦り合わせるが落ちない。
「…………」
何度も、なんども、なンども。
擦っても擦っても――落ちない。
早く皆のところに戻らないと、そう焦燥感のようなものに襲われるが、手は赤いままで自分の肌の色が見えてこなかった。
「なんで、なんで、落ちないんだ……よ」
人の死は何度も経験した。
『先生から何か音が聞こえるよー』
『あら、斗賀見くん。そんな音、しないわよ。うふふっ、大丈夫だからね』
初めてあった施設の先生。
そこから一週間後に、その施設は――コワレタ。
『ねぇ、君の胸から時計の音が……』
『何言ってんだお前。普段一人でぼーっとしてんのに、話しかけてきたと思ったら――気持ち悪いな』
俺に悪態をついた施設の友達は、次の日たくさんの友人を巻き込んで死んだ。
――チッチッチッチッチッ
と、その音が聞こえるたびに人が死んでいく。
音がするたび慌ててみんなのところに駆け寄ると、そこに見知った人間はいなく。
綺麗な花となった先生や友人の姿しかなかった。
最後に入った外の施設の友人も、結局はバスの中で砕け散った。
こう、考えれば俺は運が良かったのか。
神様が本当にいるなら、助けてくれたような作為的なものすら感じてしまう。
「まだ、落ちないのかよっ!」
苛立ちが口から出る。
「――斗賀くん」
背後から怯えたような、蕾さんの声がした。
戻ってくるのが遅くて心配になったらしい。
振り向くと、眉を潜める彼女の顔が映る。
その向こうには俺と彼女、二人の赤い足跡が続いていた。
「ごめん……もう少しで落ちると思うから、待っててね」
そう言って、体を戻そうとすると、蕾さんが俺の左手を強く握った。
「え? 汚れちゃうよ? 蕾さん……手、離して」
俺の言葉を聞くと更に強く手を握り締める。
蕾さんの手の平は汗ばんでいて、なぜか小刻みに震えていた。
あんな光景を目にしたら、当たり前だと思う。
だから、俺は彼女を落ち着かせよう反対の手で彼女の手を包み込もうとした。
「蕾さん、怖くないよ。大丈夫だから――」
最後まで言い切ろうとすると、彼女は俺の言葉を遮るように口を開く。
「――もう、手は綺麗になってます。血は、とっくに落ちてますよ。だから、斗賀くん、もう大丈夫なんですよ――」
「え……? 何を言ってるの?」
蕾さんの手を離し、視線を手の平に向けるとまだ、赤い。
「だって、こんなに汚れて……るよ?」
「それは――幻覚です。汚れてるなら、私の手、今どうなってますか?」
そう言って見せてきた彼女手は、白くて綺麗なまま。
水道で洗った水が俺の手に付着しているだけで、そこに血はなかった。
「――なんで! だって! こんなに拭いても、拭いても、落ちないんだよ!? 何回も、何回も、取れないんだ!」
「――落ち着いてくださいっ!」
「――――――――」
蕾さんの目には大粒の涙が溜まっていた。
それが、ぽつり、ぽつりと頬を伝って床に落ちる。
「大丈夫なんです。斗賀くんはもう汚れてないんですよ……」
喉が焼けた声。
わんわんと泣きそうなのを堪えた彼女の声は震えていた。
「俺……あ、ぁああっ!」
初めて人の死を認識したのかもしれない。
心のどこかで全てを否定していたのかもしれない。
それが今――壊れた。
膝から力が抜けて床に強く打ち付ける。
ジーンっと傷んだが、それよりも胸が苦しかった。
「斗賀くんは……一人で頑張って偉いですね。でも、私がこれからは傍にいます」
涙が止まらない。
俺を包み込む蕾さんの体温が、凍った心を溶かしていく。
そのたびに、余計に涙が溢れるが、自分の中で欠けていたパズルのピースのようなものがはめ込まれていく感じがした。




