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第三十九話 第一検疫所

 第二検疫所と第一検疫所は機密性が高くて一部の人しか中に入れない場所がある。

 そして、俺達が今いるこの場所は感染者を中に入れないための最後の砦――第一検疫所だ。

 

 「全部、真っ白だぁ〜」

 

 蕾さんがキョロキョロと顔を動かして、そう言った。

 

 「僕は、隊長だから何回か入ったことはあるが、初めて見た時は驚いたよ」

 

 感染者を検査する病院と言うよりも、研究所と言う名前の方がピッタリだと思った。

 壁にガラスが張られた向こう側には、何かを研究するための道具や机が並べられていた。

 

 蕾さんが覗こうとすると、海斗さんが彼女の手を引いて止める。

 

 「蕾、だめだ――」

 

 海斗さんが全員に伏せるように手で合図を送ってくる。

 

 「所長……どうしちまったんだっ!?」

 

 誰かが部屋の中で叫んでいる。

 癇癪を起こしたような、少し声色の高い男の声。

 その後にガシャっと、何かを叩きつけるような音が廊下中に響く。

 

 「くそ……クソッ――アイツのせいで、みんな感染しちまったじゃねえかよ! 俺だけ残っても……」

 

 ガチャッと扉を開ける音。

 

 「行った、な。感染者かと思ったら生きた人間だったみたいだ」

 

 「そ、うですね。でも、所長がどうって……」

 

 第一検疫所、所長『紙切神矢(かみきりしんや)』。

 そして、茜さんと結婚している。

 

 中で何か騒いでいた男は、神矢さんのことを言っていたでいいのだろうか。

 みんな――感染した。

 どう言うこと、だ。

 

 ――愛……して

 

 「――感染者!?」

 

 俺が思わず声を上げて、しまう。

 

 その瞬間、廊下中に時計の針の音が響く。

 チッチッチッっと連続した音が、反響するように耳に届く。

 三人にもその音が聞こえたらしく、空気が凍ったかのように誰も声を上げなかった。

 

 海斗さんが後手で俺達に下がるように指示を出す。

 屈んだ状態で、少しずつ俺達が入ってきた入口の方へと戻る。

 

 この場で見つかったらまずいのは、俺だけだ。

 ただ、さっき部屋から出て行った男性も感染者に見つかれば――

 

 「――く、来るなっ!」

 

 さっきの男性の叫び声が聞こえる。

 

 「まずい!? 全員急いで戻れ!」

 

 海斗さんが女性二人の腕を持って立ち上がらせると、急いで走り出す。

 俺も遅れて走り出したが、二つの足音が背後から聞こえた。

 

 「ねぇ、私を――愛して」

 

 外の世界で何回も耳にした、聞き慣れた言葉。

 内側の世界では似つかわしくなくて、耳にした瞬間に背筋を冷たい何かが這い回る。

 

 二人の走る足音と、男の荒い息遣い。

 そして、活性化した感染者の、壊れた音楽のようなセリフ。

 次第にその声が鮮明なると、俺の心臓の鼓動が大きく跳ねた。

 

 

 「あ、ア、ァァアアッ! 辞めろっ、死にたくないぃぃぃ!」

 

 ダンッと地面に叩きつけられる音がして、男の悲痛な叫び声が建物内に響き渡る。

 

 ――チチチチチチッ

 

 ああ――死んだわ。

 

 子供の頃に先生が、友達が死ぬ前によく聞いた音だった。

 

 「――伏せろっ!」

 

 海斗さんの声に合わせて地面に這いつくばるように、倒れ込んだ。

 瞬間、叩かれるような衝撃、その後に耳が張り裂けそうな重低音が体を突き抜けた。

 

 「……じかっ!?」

 

 真っ先に動いたのは、海斗さんだった。

 彼は急いで立ち上がると状況を確認するように俺達一人一人に目を向けた。

 何か声をかけているようだったが、上手く聞き取れない。

 

 汐音さんと蕾さんがヨロヨロと立ち上がり、俺もよく聞こえない耳を押さえながら足に力を込めた。

 

 視界が、霞む。

 ふらつきそうになるのを押さえるのに、壁に手をついた。

 

 ――ぬちゃっ……

 

 そんな音がしたと思う。

 手が滑って、そのまま肩から壁に激突する。

 

 甘くて、臭い。

 

 鼻の奥に届いたのはそんな匂い。

 前に目を走らせれば、怯えたような表情で汐音さんと蕾さんが両手で口元を覆いながら、俺を見つめていた。

 

 「――おいっ! 大丈夫かっ!?」

 

 ようやく聞こえるようになった耳に、海斗さんの焦るような声が聞こえた。

 そこでようやく自分の状況に気づいた。

 

 目をゆっくりと壁に向ける。

 

 ――赤黒い錆。

 

 それが第一印象だった。

 

 つい最近もこの赤色を見たことが、ある。

 雨のように降り注いだ、宗教家の破片。

 

 それの、集合体が壁に叩きつけられていた。

 

 「……大、丈夫」

 

 自分の手には、白衣の男なのか爆発した人物のものなのか、分からない肉片と血液がびっしりとこびりついている。

 薄く染められた部分は、乾燥し始めているのか突っ張るような感じで不快だった。

 

 「斗賀くん……」

 

 俺の様子を見て不安になったのか、蕾さんが近づこうと一歩前に足を踏み出した。

 

 だから、大丈夫って笑ったんだ。

 そしたら蕾さん、泣いちゃった。

 

 少し、気持悪いな。そう思う程度。

 

 肉親の破片とか、父親の生首とか、友人の血液とか、それに比べたらまだマシだ。

 とりあえず手を洗いたいと思って、背後に顔を向ければ飛び散ったガラスの破片に花が咲いたような光景が広がっていた。

 

 「ちょっと、手、洗いたいんでさっきの部屋の中を見てきますね」

 

 くるっと体を翻して前を向く。

 俺は足元に転がった人間だった物を気にせず、踏み潰しながら、さっき男がいた部屋へと足を伸ばした。

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