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第二十九話 神様

 「やだー! めんどくさいから歯を磨きたくないー!」

 「だめ! 子供じゃないんだから、ちゃんと磨きなさいっ!」


 玄関を開けてただいまと言おうとしたら部屋の奥から騒がしい声が聞こえてくる。

 出しかけた言葉が喉の奥に引っ込んでしまう。


 恐る恐る、家の中に入って奥の扉を開ける。


 「ぷんっ! 汐音っち嫌いっ!」

 「嫌いでいいから早く磨きなさい!」


 中に入って真っ先に目に飛び込んできたのは、汐音さんに背中を見せて正座する蕾さん。

 その後では鬼の形相で仁王立ちする汐音さんがいた。


 「あの……ただいま?」


 控え目に二人にそう声をかけると、むつくれた蕾さんの顔がパアッと明るくなる。


 「——斗賀くん!」


 勢いよく蕾さんが立ち上がり、俺の背中へと隠れる。

 肩ごしに、汐音さんを覗き込むように頭を出した彼女の姿が薄っすらと見える。


 「おかえりなさい、斗賀見くん。早かったんだね……蕾は早く歯を磨くの!」


 般若のような汐音さんの鋭い目つきは俺の存在を捉えると一瞬、綻んだ。

 だけど、再び俺の背中に隠れる蕾さんに目を向けた瞬間、鋭く吊り上がった。


 「べーっ!」


 蕾さんも蕾さんで、汐音さんを挑発するような態度を取る。


 「二人とも、落ち着いて……欲しいかな」


 間に挟まれて俺が弱々しく声をかけた。


 「斗賀見くんからも、蕾に言ってあげてよ。歯を磨きなさいって」

 「いいの! 私は寝るギリギリに磨きたいの! 磨かない訳じゃないからいいんだもんっ!」


 と、ずっと平行線を辿っていたみたい。


 「あー、とりあえず座ろう?」


 そこから俺は語りかけるように、丁寧に二人言葉を紡いだ。

 汐音さんには、あまり押し付けないように。

 蕾さんには、あまり困らせないように、と——


 「……ごめん」

 「……ごめんなさい」


 そう俺が諭すと、ようやくその場が丸く収まった。


 「はぁ〜、斗賀見くんにお説教されるなんて、どっちが年上なんだか」

 「本当だよぉ! 汐音っちは頑固で子供みたいだもんね」


 蕾さんって、汐音さんのことになると、結構辛辣だよね?

 俺は二人のやり取りを観察していた。


 「いやいや、蕾は——私より年上なんだから、もっとしっかりしてもらえない?」


 え? 今なんて? 蕾さんが年上?

 帰ってきて早々に驚かされる。

 年齢に関しては聞いたことなかったけど、まさか汐音さんよりも、年上……。


 同い年か少し下かと思ってた。


 「一つしか違わないから、同い年なんだよ? それか、お姉ちゃんと呼びなさい」


 蕾さんは胸を突きだして威張るように、そんなことを言っていた。

 つまり、俺より二つ上なのか。

 言動もそうだけど、見た目も、まだ学生と言われても納得してしまう。


 「あ、斗賀見くんお風呂に入るでしょ? お湯入れてくるね」


 汐音さんがそう言うと、浴室へと向かっていった。

 ふにゃっと、机に突っ伏して平たくなった蕾さんの頭が視界に入る。


 「そう言えば、斗賀くんはどうして私のことを思い出したの?」


 突っ伏した頭をくるっと半回転させてこっちを向く。

 柔らかそうなほっぺたが机に吸い付いる。


 「夢……夢で見たんだよね。よく、あの時の夢を見るだけどさ、そこでその……蕾さんの胸の音がして」


 と、あの時のことを彼女に話す。


 「んにゃっ! それなら、私と一緒だねぇ」


 むくっと起き上がって、そう蕾さんは口走る。


 「私も夢で見たんだぁ。神様が、ここに行けって、そして、人を探せって言ってきたの」

 「……なるほどね」


 でも、そうだとしたら六年もどうして探し続けていたんだろうか。

 率直にそのことを伝えると、蕾さんは人差し指と親指を真っ直ぐに伸ばして顎に当てる。


 「なんか、正確な場所までは分からないんだってさぁ。理由は聞いても答えてくれない、と言うより話かけても私の声、聞こえてないみたいなんだよね」


 「でも、夢くらいで六年も?」


 夢なんていい加減なものだ。

 自分の思考の一部が反映されて、簡単に書き換えられてもしまう。

 そんな曖昧なものを頼りに、ずっと人を探し続けるのは辛くないのだろうか。


 「う〜ん、あの神社でね……私を助けてくれたのも同じ神様なの。ただ、中途半端にしか助けられなかったから凄い謝ってきたんだよね」


 だから、その恩を返したいんだ、と蕾さんは話を続ける。


 「つまり、その胸の音は……」

 「——神様が治してくれたんだよぉ」


 そんなこと、ありえるはずはない。

 恐らくは、蕾さんの頭の中で記憶の改ざんが起きてるのだと思う。

 あんなに酷いことが起きて、その傷を埋めるための依代が『神様』。


 そう思うと、この笑顔の向こう側には自分が思う以上の深い傷が。

 今も神様について、いろいろと俺に教えてくれようとしているのだが、その顔を直視することができなかった。


 だからこそ、少しでも——優しくしてあげたい思う。

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