第十六話 汚れた部屋と俺の耳
「最後に、もう一度聞きますね。神祈さんは、本当に光を見ていませんね?」
それにたいして俺はもう一度「はい」、と返事をする。
「分かりました。ありがとうございます」
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「壁があるのに、どうしてそんなに光を気にしてるんです?」
医者が少し考えるそぶりを見せる。
「まだ、正式には公表されてないのですが、入口を警備していた二人が——感染しました」
その二人って、いつも帰りに挨拶していた人のことだろうか。
いつもヘルメットを被っていて、中の顔を見たことがない。
ただ、仕草から「いつもの人」って言うのは、なんとなく分かっていた。
つまり、恐らくは。
「その人は……どう、なるんでしょう?」
分かりきっていたこと。でも、聞かずにはいられなかった。
「——殺、処分です」
明日、執行されます。医者は表情を変えないで、そう言う。
俺はそうなんですね、と興味が無いふりをしていたけど心臓がいやに早くなっていた。
「ありがとうございました」と、軽くお辞儀をして帰路につくことにした。
◇
「……ただいま」
玄関の鍵を開けて、ゆっくり扉を開くと中に向けて声をかける。
蕾さん、いなくなったかもしれない。
返事が返ってこないかもしれない。
そう思うと何故か、ドアノブを持った手の平から汗が滲み出てきた。
「——おかえり〜。やっと帰ってきたぁ」
そんな俺の考えは杞憂に終わる。
ふんわりした声が返ってきた。
パタパタと駆け足で姿を見せた彼女を見て、わずかに締め付けられた心臓が解放される。
「テレビで見たよ! 大変だったね……お疲れ様ぁ」
蕾さんはそう言いながら、目一杯、顔を萎ませてから、パッと明るい表情に変わる。
「帰ってくるの遅くなって……ごめんね」
感情を隠すこともしない彼女の素直さは、こっちまでそんな気にさせてくる。
着替えの入った鞄を肩にかけて、玄関を上がる前にそうやり取りしていると、突然、蕾さんが近づいてきた。
「そんなところで突っ立ってないで、早く中に入ろうよっ!」
彼女がすっと両手を前に伸ばしてくると、俺の手を包むように握った。
ぐいっと引っ張ってくる彼女の力はそこまで強くないけど、体の重心が少し前に傾く。
「わっ! 靴、脱ぐからちょっと待って」
俺が慌ててそう伝える。蕾さんは「むふふっ」と笑いながら、靴を脱ぐのを待っていた。
足から靴が離れて、フローリングの床をトンッと踏む。
「えへへっ! 早く、早くっ!」
嬉しそうな蕾さんが俺を部屋まで引っ張って行く。
こんなに急かすなんて、俺が帰ってきてくれたことがそんなに嬉しい——
「——なんじゃこりゃ!?」
荒れ果てた俺の部屋を見て、そんな言葉が真っ先に飛び出た。
ゴミだけはちゃんとゴミ箱の中にあったが、彼女が着たであろう服がその辺に散らかっている。
ベッドもぐちゃぐちゃで、少しだけ女性らしからぬ匂いが鼻をついた。
「汚れちゃった——てへっ」
よく見ればキッチンにも洗い物が溜まっていて、生ゴミもそのまま。
俺の膝から力が抜けた。ストンッと肩にかけたカバンが床に落ちる。
無駄な物がなくて、少し寂しい感じの俺の部屋は、たった数日で変わり果てた姿になってしまっていた。
「うにゃ〜……斗賀くん、元気出して」
同じ目線の高さに蕾さんがしゃがむと、肩に手をポンと乗せて首を軽く横に振る。
作り込まれて整った顔立ちの彼女が、どうにも悪魔に見えてしまう。
◇
「おお〜! お部屋ピカピカだ、ね!」
元の形に戻すのに、だいぶ時間が過ぎた。
部屋をぐるっと見回す蕾さんが、感嘆の言葉と拍手を送ってくる。
「斗賀くん、ありがとねぇ」
屈託のない笑顔を見せる蕾さんを見て、忘れていた彼女の魅力を思い出してしまう。
「……後は、洗濯機が止まるのを待って、干したら終わり。そしたら、お昼ご飯でも買いに行ってくるよ」
彼女の純粋な瞳から逃げるように、うーっと音のする洗濯機の方へと顔を向ける。
そして、時間を確認するためにスマホの画面を見た。
——時刻は十一時三十分を過ぎたところ。
少しお昼ご飯は遅くなるけど、蕾さんには我慢してもらおう。
ご飯の話をすると、蕾さんは頬を赤らめながら腹をぐりぐりとする。
ちク、タく——
彼女が擦る手に意識が持っていかれると、小さい時計の音がした。
感染者だった、一緒に買い物とか行けたのかな。
ご飯も外に食べに行けただろうし。
なんとなく、紗花蕾には笑っていて欲しい。
そう思いたくなるように、不思議な力がある気がした。
「てかさ、俺がいない間、ご飯とか買い物に行ってたんだよな?」
テーブルの横に俺は腰を下ろすと、蕾は俺の愛用のクッションの上に座る。
「そうだよ〜」と、言うと、俺は考えるように腕を組んだ。
「……音で、バレなかったのか?」
あんなに時計の音がしていたら、すぐにバレてしまいそうなものなのだが。
「私の音はね。朝は普通の心臓の——音なんだ」
だから、"午後十二時から午前二時"だけ感染者になるの。
そう彼女が教えてくれた。
それなら、俺の耳に聞こえる時計の音はなんだ。
この耳はいったい——なんだ。




