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君の隣が、僕の帰る場所  作者: 玲瓏さん
中学1年生編
51/52

第46話 林間学校2日目 夜 その2

    * * 勝也視点 * *


 真弓と綾香が風呂に行ってからも、翔太は時々、最後に見た着物の人の話をした。


「やっぱ、あの辺に立ってたんだって」


 畳の縁を道に見立て、指でなぞっていた春樹が、その横を指した。


「もうちょっと、こっち。道の真横じゃなかった」

「そうそう。そのくらい」


 俺と優子も、その指先を見た。

 どう説明されても、俺たちには思い当たらなかった。


「俺らが通ったあとに来たのかな」

「じゃない? 途中から交代とか」


 春樹が答えた。

 翔太は、それなら分かる、と頷き、ようやく畳から手を離した。


 俺は膝に掛けていた上着を、優子の方へ少し広げた。

 部屋の中は外よりずっとましだったけれど、座っていると足元が冷えてきた。


「寒くない?」

「……ちょっと」

「こっちも使っていいよ」


 優子が膝を寄せた。

 上着の端を二人の膝へかけ直すと、優子はその上へ手を置いた。


「俺、今日、風呂で寝るかもしれん」


 翔太が言った。


「ちゃんと出てきてね。次、俺たちだから」

「起こして、春樹」

「自分で起きて」


 優子が小さく笑った。

 翔太はあくびをしたあと、鞄の口を開けて、また閉めた。


「券、入ってた?」


 春樹に聞かれ、翔太が頷いた。


「三回目だよ、それ」

「なくしたら困るだろ」

「ずっと、そこに置いてるのに」


 俺も、自分の券をしまった場所を思い出した。

 さっきは寒くて早く部屋へ戻りたかったけれど、温かいところへ来たら、ちゃんとプリンが楽しみになっていた。


     * * *


 真弓と綾香が戻ると、入れ替わりに翔太と春樹が出ていった。

 真弓は持ってきた袋を壁際へ置き、濡れた髪をタオルで押さえた。


「生き返った」

「外、寒かったもんね」

「もう出たくない。今日、あと外に行く用事ないよね?」


 綾香がしおりを開いた。


「ないよ。あとはプリン食べて、部屋に戻るだけ」

「よし」


 真弓が頷き、ドライヤーを取り出した。

 俺と優子は少し場所を空けた。


 風の音がし始めると、真弓と綾香の会話は途切れがちになった。真弓が何か言い、綾香が聞き返す。そのたびにドライヤーが止まった。


「消した方が早くない?」


 俺が言うと、真弓が振り返った。


「消したら乾かないじゃん」

「話す方を、ちょっと待つとか」

「今、言いたくなったの」


 綾香が笑った。

 優子も肩を揺らし、上着の下で足を動かした。


 しばらくして、廊下から足音が戻ってきた。


「空いたぞー」


 翔太が戸を開けた。

 春樹はその後ろで、袋の中を確かめていた。


「忘れ物ない?」

「あるわけないだろ」

「昨日、タオル置いてきそうになってたから」

「今日は持ってる」


 翔太が、首へ掛けたタオルを持ち上げた。

 俺は膝の上の上着を畳み、隣を見た。


「優子、お風呂行こう」

「うん」


 優子は袋を持ち、俺と一緒に立ち上がった。

 俺が戸を押さえていると、優子は先に廊下へ出て、少し振り返った。


「勝也、タオル」

「あ。ありがとう」


 袋とは別に置いていたタオルを取り、俺も出ようとした。

 その時、真弓と目が合った。

 真弓は俺を見て、それから廊下にいる優子を見た。


「……何?」


 俺が聞くと、真弓は首を振った。


「いや。普通に行くんだなって」

「お風呂?」

「うん」


 春樹も、戸のそばで口元を押さえていた。


「何か、あれだね。兄妹が風呂に呼ばれた時みたい」

「分かる。今、私もそれ思った」


 真弓がすぐに言った。


「兄妹じゃないよ」

「知ってるよ」


 春樹に返され、俺は少し笑った。

 優子は袋の持ち手を握り直していた。


「じゃあ、行ってくるね」

「行ってらっしゃい」


 綾香が手を上げた。

 戸を閉めると、部屋の話し声が少し遠くなった。


 優子と並び、目の前の浴室へ向かった。

 昨日より、支度も足取りも早かった。

 ただ、戸の前まで来てから、少しだけ互いの顔を見るのを避けた。


 何もかも平気になったわけではなかった。

 それでも、優子が先に手を伸ばした戸を、俺も一緒に開けた。


    * * 優子視点 * *


 髪を洗い終えたあと、湯船に入った。

 冷えていた足が温まり、息がゆっくり出た。


「あったかい」


 私が言うと、先に入っていた勝也が頷いた。


「今日、昨日より寒くない?」

「うん。建物に戻る時、手が冷たかった」

「俺も。プリンの券、ちゃんと持ってるか、何回も確かめちゃった」

「翔太くんと同じだね」

「俺、三回も見てないよ」


 勝也が少し笑った。

 声が浴室に響いた。


 同じお風呂なのに、昨日より周りの音がよく聞こえた。

 シャワーから最後の水滴が落ちる音も、遠くで戸が閉まる音も、勝也が湯船の縁へ手を置く小さな音も。


 昨日は、何を言えばいいか、そればかり考えていた。

 今日は先に、話したいことが浮かんだ。


「さっき、出口にカメラの人いたでしょ」

「いたね」

「勝也、写真でも、平気な顔してるのかな」


 勝也がこちらを見た。


「してると思うよ」

「でも、声は」

「声は写らないから」


 我慢できず、笑ってしまった。

 勝也は湯船の縁に置いた指を曲げた。


「そこは助かったなって思ってる」

「皆、聞いてたよ」

「そうなんだよね」


 困ったように笑う顔を見ていると、またあの声を思い出した。

 怖い道を歩いていた時にはびっくりしたのに、今は思い出すだけで口元が緩んだ。


「道、聞いた人も笑ってた」

「だって、分かんなかったから」

「お化けなのに、教えてくれたね」

「優しい人だったね」


 勝也が真面目に言うので、私はまた笑った。


 笑っても、勝也は嫌そうな顔をしなかった。

 少しだけ恥ずかしそうにして、自分も笑っていた。


「優子、今日、いっぱい笑ってたね」


 急に言われ、顔を上げた。


「そうかな」

「うん。朝から」


 朝、と言われて、春樹くんの顔が浮かんだ。

 まだ何も知らず、いつものように話していた顔。

 食堂で自分の顔に気づいた時の、止まってしまった動き。


「……また思い出した」

「俺も、言ってから思い出した」


 勝也が口元を押さえた。

 私も、しばらく何も言えなかった。


「春樹くん、ちゃんと落ちてよかったね」

「うん。明日まであのままだったら、先生も困ると思う」

「朝、笑っちゃいけないと思ったのに」

「あれは無理だよ」


 勝也が首を振った。


「俺、優子が笑ってるの見て、余計に笑っちゃったし」

「勝也も、全然止まらなかった」

「そうなんだよね。今日、春樹に何回言われたかな」


 私たちは、少しずつ今日の話をした。

 お昼のカレーのこと。

 カヌーから戻ってきた翔太くんと春樹くんのこと。

 フォークダンスで、翔太くんが勝也を連れてきてくれたこと。


「翔太くん、急だったね」

「うん。綾香と踊るのかと思ったら、急に呼ばれて」


 勝也が頷いた。


「でも、もう一回、優子と踊れたね」

「……うん」


 私は湯船の中へ目を落とした。

 あの時、自分がどんな顔をしていたのか、少し気になった。

 勝也を見ていたことも、翔太くんには全部分かっていた。


「楽しかった?」


 勝也が聞いた。

 私はすぐに頷いた。


「楽しかった」


 声にすると、思っていたよりはっきり響いた。

 勝也が笑った。


「そっか。よかった」


 その言い方を聞いて、私はもう一度、勝也を見た。


 学校へ戻る前には、林間学校のことまで考えられなかった。

 皆のいる教室へ入ることも、自分の席へ座ることも、怖かった。

 勝也が帰る時間が近づくだけで、まだいてほしいと思っていた。


 今も、一人で平気になったわけではなかった。

 勝也の姿が見えなくなると、探してしまう。

 今日も何度も手をつないでもらったし、そばにいてもらった。


 それなのに、今日のことを思い返すと、笑っていたところが次々に浮かんだ。

 井上さんに教わりながら野菜の皮を剥いた時も、加藤さんが隣で笑っていた時も。

 皆がカヌーから戻ってきて、私の渡したタオルを使ってくれた時も。


「勝也」

「うん?」


 いつものように、すぐ返事があった。


「一緒に来てくれて、ありがとう」


 勝也が、少し目を丸くした。

 私は指を軽く握り、続きを言った。


「今日だけじゃなくて。学校でも、家にいた時も、ずっと」


 あの頃、言いたいことがあっても、最後には謝っていた。

 何度も呼んでしまったこと。

 帰ろうとする勝也を引き止めたこと。

 私のせいで、したいことができなくなっているのではないかと、そればかり考えていた。


 勝也の返事は、何度聞いても優しかった。

 今日も、手を握り返してくれた。

 足元を照らして、私が歩けるのを待ってくれた。


「そばにいてくれて、嬉しかった」


 言い終えると、少し恥ずかしくなった。

 でも、言えたことは嬉しかった。


 勝也は、私の顔を見たまま頷いた。


「俺も、一緒に来られてよかったよ」


 胸の奥が、ゆっくり温かくなった。


「本当に?」

「うん。バスでも、今日も、いっぱい話せたし」


 勝也は少し考えてから、付け足した。


「昨日のお弁当も、美味しかった」

「……それも?」

「それも。大事だよ」


 笑ってしまった。

 勝也も笑った。


「また、一緒にどこか行けたらいいね」


 勝也は、何でもないことのように言った。

 私は、その先の景色を少しだけ考えた。

 今度はいつだろう。

 どこへ行くのだろう。

 まだ何も決まっていなくても、そこに自分がいると思ってもらえたことが嬉しかった。


「うん。行きたい」


 勝也が頷いた。

 私は、もう謝らなかった。


 少し黙っていても、気まずくならなかった。

 お湯の音を聞きながら、今日の続きを考えた。


「プリン、皆もう食べてないかな」


 私が言うと、勝也が顔を上げた。


「待っててくれてると思うけど。翔太、ずっと気にしてたね」

「三回、見てたから」

「そろそろ上がろうか」

「うん」


 勝也が笑った。

 その顔を見て、私も笑った。


 お風呂を出る時には、まだ少し照れた。

 それでも、部屋へ戻ってからも勝也のそばへ座りたいと思っていた。


     * * *


 部屋の戸を開けると、翔太くんが顔を上げた。


「おかえり。温まった?」

「うん」


 勝也が答えた。

 私は袋を鞄のそばへ置き、タオルで髪を押さえた。


 加藤さんが、畳の上に置いていたドライヤーを持ち上げた。


「ここ置いといたよ」

「ありがとう。借りるね」


 勝也が受け取った。

 私が昨日と同じところへ座ると、後ろでコンセントを差す音がした。

 タオルを膝へ下ろしたところで、髪に風が当たった。


「熱くない?」

「大丈夫」


 勝也の手が、髪の向きをそっと変えた。

 私は少し顎を引いた。

 そうした方が乾かしやすいことを、昨日覚えていた。


 翔太くんと春樹くんは、まだしおりを広げていた。

 加藤さんは自分の袋を片づけながら、こちらを見ていた。


「もう、場所決まってるんだね」


 言われて、私は少し顔を上げた。


「……場所?」

「座るところ」


 加藤さんの目が、私から勝也へ動いた。


「昨日も、そこだったじゃん」

「ここ、コード届くから」


 勝也が答えた。

 加藤さんは一瞬黙り、それから笑った。


「うん。そうだね」


 風の音が続いた。

 話さなくても、勝也は私が少し首を傾けたのに合わせ、ドライヤーの位置を変えてくれた。


 後ろを気にしなくていいのが、嬉しかった。

 勝也がいると分かっているから、目を閉じていても平気だった。


「眠い?」


 声が近くで聞こえた。


「……少し」

「もうちょっとだからね」


 私は頷いた。

 勝也が髪を撫でるように整え、そのあと風が弱くなった。


 もうすぐ終わると思うと、少しだけ残念だった。

 乾かしてもらえたことも、後ろにいてもらえた時間も、どちらも嬉しかった。


 風が止まった。

 ドライヤーを置く音がした。


「はい。乾いたよ」


 その声を聞いて、私は後ろへ身体を倒した。

 すぐに、勝也の手が肩を支えてくれた。


「おっと」


 軽く笑う声が、頭の上でした。

 私は勝也へ背中を預けたまま、少し見上げた。


「……ありがとう」

「うん」


 勝也は、私がずり落ちないように座り直してくれた。

 そのまま、動きたくなくなった。


「やっぱりさ」


 春樹くんの声がした。

 目を向けると、しおりを持ったまま、こちらを見ていた。


「兄妹みたいだよね」

「分かる。お風呂行く時も思ったけど」


 加藤さんが答えた。


「何で、今?」


 勝也が聞いた。


「何も言わなくても、全部進むから」


 春樹くんが答え、私たちを交互に見た。


「座って、乾かして、はい終わりってなったら、そのまま」

「受け止める方も普通だしね」


 加藤さんが言った。

 私は少し頬が熱くなった。


 兄妹、というところだけ、違うと思った。

 でも、勝也のそばにいることを自然に思ってもらえるのは、嫌ではなかった。


「倒れてきたら、支えるでしょ」


 勝也が言った。


「うん。それは、そう」


 春樹くんが頷いた。

 加藤さんと一度目を合わせ、二人とも何か言いたそうに笑った。


 私は勝也の服の端を軽くつまんだ。

 立たなければと思うのに、手だけが先に動いた。


「……ひらめいた!」


 翔太くんが、急に顔を上げた。

 私たちを見ていた目が、井上さんの方へ動いた。

 春樹くんが、その顔を見ただけで少し笑った。


「やめといた方がいいと思う」

「まだ何も言ってねえだろ」


 翔太くんは井上さんの前へ移動した。

 くるりと背を向け、畳へ座る。


「綾香、俺も」


 そのまま、私の真似をするように後ろへ身体を倒した。


 スパーン、と音がした。


 倒れきる前に、井上さんの手が翔太くんの頭をはたいていた。

 翔太くんはすぐに起き直り、頭を押さえて振り返った。


「痛っ。何で!?」

「当たり前でしょ」


 井上さんは、それだけ言ってタオルを畳んだ。

 春樹くんがしおりで口元を隠した。

 私の後ろでも、勝也が笑っていた。


「同じことしただけじゃん!」

「うん。それで?」


 翔太くんは何か言おうとして、口を閉じた。

 今度は加藤さんの方を見た。


「……じゃあ、真弓」

「何?」


 加藤さんは鞄の中へ顔を向けていた。

 翔太くんは返事を待たず、その前へ座って後ろに倒れた。


「え、ちょっと」


 加藤さんが気づいた時には、翔太くんの頭が膝の上に載っていた。

 背中は畳についていて、さっきの私とは少し違う格好になっている。


「成功!」


 翔太くんが、下から加藤さんを見上げた。

 加藤さんは一度、自分の膝を見て、それから井上さんを見た。


 にっこり笑った。


 あまりに綺麗な笑顔だったので、私はかえって、少し気になった。

 翔太くんも、あれ、と言った。


「真弓?」


 加藤さんの両手が、翔太くんの頭の左右へ添えられた。

 起き上がろうとした頭が、そのまま膝の上へ留められた。


「綾香、いい?」

「うん」


 井上さんは畳んだタオルを置いた。

 翔太くんの足元へ回り、足先の方を向いて、両膝をまたぐように腰を下ろした。


「ちょ、何。何するつもり?」


 翔太くんが脚を動かそうとした。

 でも、頭も膝も押さえられていて、うまく起き上がれなかった。


 井上さんの指が、足の裏をくすぐった。


「ひゃっ! ちょ、待っ、あははははっ!」


 さっきまでの得意そうな声が、急にひっくり返った。

 翔太くんが畳を叩いた。


「やめっ、綾香、やめて! ははっ、無理、無理!」

「膝枕、してほしかったんでしょ?」


 井上さんは少し振り返って言った。

 指は止まらなかった。


「そっちは、頼んでねえ! あはははっ!」


 加藤さんは笑顔のまま、翔太くんを見下ろしていた。

 春樹くんが、とうとうしおりを置いた。


「もっとやれ!」

「春樹ぃ! 助けっ、はははっ!」

「朝、俺の顔に何したか思い出して!」


 春樹くんは大喜びだった。

 翔太くんが何か言い返そうとしても、先に笑い声が出てしまう。

 加藤さんまで笑い始めた。


 私は勝也へ背中を預けたまま、口元を押さえた。

 受け止めてもらおうとしただけなのに、どうしてこんなことになっているのだろう。


「……あれ、俺がやられたら死ぬ」


 すぐ後ろで、勝也が小さく言った。

 振り向くと、笑ってはいるけれど、足を少し自分の方へ引き寄せていた。


「勝也も……弱いの?」

「うん。くすぐられるの、本当に無理」


 勝也は、井上さんの手元を見てから、私の方へ目を戻した。


「見てるだけで、何か怖い」


 私はまた笑ってしまった。

 勝也は困ったように笑い、私がずり落ちないよう、背中を支え直してくれた。


「ごめん! もう、しない! ははっ、ほんと!」


 翔太くんが言うと、井上さんは、ほんとに、と聞いた。

 翔太くんは何度も、ほんと、と繰り返した。


「じゃあ、今日はここまで」


 ようやく手が止まった。

 井上さんが立ち、加藤さんも頭から手を離した。

 翔太くんは畳の上へ転がり、仰向けのまま息をついた。


「……成功したと、思ったのに」

「膝枕は成功したじゃん」


 加藤さんが言った。

 春樹くんが、また笑った。


「大成功だったね」

「お前、めっちゃ嬉しそうだったな」

「うん。すごく」


 春樹くんは隠そうともしなかった。

 翔太くんはしばらく天井を見てから、ゆっくり起き上がった。


「優子、そのまま寝ちゃう?」


 井上さんが、何事もなかったみたいにこちらへ顔を向けた。


「……まだ、寝ない」

「プリンあるもんね」


 私が頷くと、翔太くんも顔を上げた。


「……そうだ。行こうぜ、プリン!」

「プリンが場所になってる」


 春樹くんが言った。

 勝也が笑い、その振動が背中へ少し伝わった。


「優子、行こうか」

「うん」


 私はゆっくり身体を起こした。

 もう少しここにいたいとは言わなかったけれど、勝也は立つ時も手を貸してくれた。


    * * 勝也視点 * *


 食堂へ入ると、部屋よりずっと明るく感じた。

 長い机の間に生徒が座り、あちこちから話し声がしていた。

 湯上がりの顔もあれば、まだ髪の先をタオルで拭いている人もいた。


 入り口の近くで、先生が引換券を集めていた。

 横の台に、プリンが並んでいた。


「券、ここで渡すんだって」


 春樹が言った。

 翔太は、もうポケットから出していた。


「お願いします」


 紙を渡し、プリンとスプーンを受け取った。

 そのまま少し先へ進んだあと、俺たちを振り返った。


「もらえた」

「よかったね」


 真弓が答えた。

 俺と優子も順番に受け取り、六人で空いている机へ向かった。


 優子が隣へ座った。

 椅子を引き寄せる小さな音がした。


「開く?」


 俺が聞くと、優子は蓋の端を持ち上げて見せた。


「……大丈夫」

「うん」


 翔太が、もうひと口食べていた。

 春樹も蓋を剥がし、机の端へ折って置いた。


「うまい」

「早いよ」

「だって、ずっと楽しみにしてたんだぞ」


 翔太が言い、今度は底の方までスプーンを入れた。

 俺も食べた。

 口の中が冷たくなって、さっきまで温まっていたのを思い出した。


「お風呂のあとに食べるの、いいね」


 優子へ言うと、小さく頷いた。


「……美味しい」


 綾香が、真弓の方へ少し顔を向けた。


「ちゃんと肝試し行ってよかったね」

「プリンはよかった」

「肝試しは?」

「もう一回は、いい」


 真弓はすぐに答えた。

 翔太が、俺も、と言った。


「最後のやつ、まだ思い出すもん」

「だから、その話はもう」


 春樹が言いかけたところで、隣の机から声がした。


「最後って、着物のやつ?」


 俺たちは顔を上げた。

 隣に座っていた男子が、こちらを見ていた。

 翔太がすぐ身体を向けた。


「そう! いたよな?」

「いたいた。券もらったあとでしょ」


 翔太の手が、机へ置かれた。


「ほら!」


 俺と優子を振り返った。


「いたって!」

「うん。俺たち、見てないって言ってるだけだよ」

「だから、あそこにいたの!」


 翔太はもう一度、隣の男子へ向いた。


「道の横の、木のとこ?」

「そう。何も言わずに立ってた」


 真弓が、スプーンを止めた。

 綾香も隣の机を見た。


「顔、髪で隠れてたよね」


 綾香が言うと、男子が頷いた。


「見えなかった。何か、下向いてたし」

「やっぱり、同じのだ」


 翔太が言った。

 春樹は、プリンの容器を机へ置いた。


「赤いの、袖の方にいっぱい付いてた?」

「付いてた。血みたいなやつ」


 真弓が、やめて、と小さく言った。

 でも、自分も頷いていた。


 俺は優子を見た。

 優子も、困ったような顔でこちらを見た。


「やっぱり、俺たちのあとに来たんだね」

「……うん」


 その時は、そう思っていた。

 お化け役だって、途中から持ち場につくことはあるのだろう。


 隣の机の女子も、話へ入ってきた。


「私たちも見た。もう終わりだと思ってたから、びっくりした」

「分かる!」


 真弓が顔を上げた。


「券もらって、あとは帰るだけだって思ってたのに」

「あれ、誰がやってたんだろうね」


「待って。俺ら、そんなの見てないよ」


 同じ机の向こう側で、別の男子が顔を上げた。

 さっき話しかけてきた男子を指した。


「お前らの、すぐあとだったけど」

「あの木のところだぞ?」

「そこら辺、何もなかったと思うけどな」


 その隣にいた子も、見てない、と言った。

 ところが、話に加わっていた女子が首を傾げた。


「その次、私たちだよね。私たちは見たよ」


 向かいの子も頷いた。

 翔太が、男子と女子を順に見た。


「……じゃあ、交代でもしてたんかな」


 俺も、誰がどの順番で見たのか、少し分からなくなった。


 その女子は、食堂の中を見回した。

 知っている誰かを探すような動きだった。


 俺もつられて、入り口の方を見た。

 ちょうど、宣仁が入ってきたところだった。


「あ、宣仁」


 声をかけると、こちらへ顔を向けた。

 先生からプリンを受け取り、机の間を通って来た。


「もう食べとるやん」

「今、来たところだよ。係、お疲れさま」

「おう。なかなか帰ってこん組もおってさ」


 翔太と春樹が、少し目をそらした。

 宣仁は二人を見て笑い、空いていた椅子を少し引いた。


「何の話?」

「お前、最後の着物のやつ、誰がやってたか知らん?」


 翔太が聞いた。


「着物?」

「血、いっぱい付いてるやつ」


 宣仁は蓋にかけていた指を止めた。

 少し考え、首を傾げた。


「どこ?」

「券もらったあとの、出口までの道」


 宣仁は、今度はすぐに首を振った。


「そこ、お化け役おらんよ」


 翔太が、は、と短く声を出した。


「おったって」

「チェックポイントのあとやろ? あそこにはおらん」

「いや、俺ら見たし。こいつらも」


 翔太が隣の机を指した。

 宣仁はそちらを見て、また俺たちへ目を戻した。


「俺が聞いた時は、あの先には誰も行かんことになっとったけど」


 真弓のスプーンが、容器の中へ戻った。

 春樹は何も言わなかった。


「誰か、場所変えたとか?」


 俺が聞いた。

 宣仁は、どうやろ、と言ったあと、入り口の方を振り返った。


「先生、まだおるで。聞いてみる?」


 翔太は頷いた。

 それまでの、ほら、と言い張る顔とは少し違っていた。


 宣仁が手を上げると、近くにいた先生がこちらへ来た。

 肝試しの説明をしていた先生だった。


「どうした?」

「先生。チェックポイントのあとって、お化け役、誰かおった?」


 先生は一度、宣仁を見た。


「券をもらってから、出口までの間?」

「そう。着物の人がいたって」


 先生の目が、俺たちの顔を順に見た。

 真弓が、途中の木のそばです、と答えた。

 春樹も、道の外側へ少し入ったところ、と付け足した。


「そこから出口までの間には、係は配置していないよ」


「ええっ!」


 すぐ近くで、悲鳴が上がった。

 隣の机の女子が、椅子から少し身体を浮かせていた。

 向こうの机でも短い声がし、誰かが友達の腕をつかんだ。


「やだ、待って! いたよ!」

「じゃあ、誰なの!」


 真弓が両手を口元へ持っていった。

 翔太は口を開けたまま、先生を見ていた。


 俺の隣で、椅子が小さく鳴った。

 優子が近づき、服の袖をつかんだ。


「ちょっと待って。落ち着いて話して」


 先生が手を上げた。

 でも、それを聞いてすぐ静かになる人はいなかった。


「先生たちの、最後のやつじゃないんですか」


 春樹が聞いた。

 先生は首を振った。


「券を貰ったあとの区間は、肝試しの余韻を楽しむ区間にしてるから、生徒も先生も配置してないんだけどな」


 宣仁の手元で、まだ開いていないプリンの蓋が、照明を反射した。

 さっきまで聞こえていたスプーンの音が、俺たちの机から消えていた。


「着物って、どんな着物だった?」


 先生の問いに、綾香が答えた。


「白っぽい色です。袖とかが、赤くなってました」

「血みたいなやつ!」


 翔太が続けた。

 その声で、また隣の机がざわついた。


「顔は見えた?」

「髪で隠れてて、よく見えなかったです」


 春樹の返事を聞き、先生は入り口の方へ顔を向けた。

 ちょうど戻ってきた別の先生を呼び、少し離れたところで話し始めた。


「配置した子ではないそうです」

「外から入った人かな。それとも、怪我をした生徒……」


 そこまでは聞こえた。

 もう一人の先生がすぐに首を巡らせ、食堂を見渡した。

 廊下へ出て、誰かを呼ぶ声がした。


 優子の指が、俺の袖を握り直した。


「勝也……」

「うん」


 そちらへ身体を向けた。

 優子は何か言いかけたあと、入り口を見た。


「先生が、確認してくれるって」


 俺も、まだそれ以上のことは言えなかった。

 見ていないから分からない。

 だけど、さっきまでみたいに、あとから係の人が来たんじゃない、と言うこともできなくなっていた。


「俺、見たって言ったじゃん」


 翔太が俺へ向き直った。

 さっきの、ほら、と違って、嬉しそうではなかった。


「うん。疑ってるわけじゃないよ」

「マジでいたんだって」

「だから、そこはもう分かったって」


 春樹が言った。

 翔太は口を閉じたが、すぐに食堂の窓へ目をやった。

 ガラスには、明るい食堂と俺たちが映っていた。


「……あっち見ないでよ」


 真弓が言うと、翔太は慌ててこちらへ戻った。


「見たくて見たんじゃねえよ」

「じゃあ見なくていいでしょ」


 いつもなら、春樹がもう一言くらい挟むところだった。

 今は自分のプリンを見ているだけで、スプーンも動かしていなかった。


 食堂の前の方で、先生が手を叩いた。


「一度、全員、自分の班のところへ戻ってください。先生が人数を確認します。今は廊下や外へ見に行かないこと」


 椅子の引かれる音があちこちでした。

 宣仁も、まだ蓋のついたプリンを持って立ち上がった。


「俺、戻るわ」

「うん」


 隣の机の子も、自分の班の人を呼んでいた。

 話はもう俺たちの周りだけではなく、向こう側の机まで伝わっていた。

 誰かが、幽霊じゃん、と言った。

 先生がすぐに、まだ分からないことを決めつけない、と返した。


 花沢先生が、俺たちの机へ来た。


「鳥居くん、班のみんなは揃ってる?」

「はい」


 翔太は返事をしてから、俺たちの顔を見た。


「勝也、春樹、真弓、綾香、優子。……と、俺。六人、います」


 呼ばれるたびに、それぞれ返事をした。

 優子も、小さく、はい、と答えた。

 先生は一人ずつ顔を確かめ、手元の紙へ印をつけた。


「ありがとう。怪我をした人はいないね?」

「大丈夫です」


 翔太が答えた。

 花沢先生は俺たちをもう一度見てから、次の机へ向かった。


「班長してる」


 春樹がぼそっと言った。


「今それ言う?」

「ごめん」


 春樹は少しだけ笑った。

 俺も、そこでようやく息を吐いた。


 廊下を、懐中電灯を持った先生が二人、足早に通った。

 一人は上着の前を閉めながら、宿舎の人と話していた。

 玄関の方へ曲がる手前で、後ろにいた先生がもう一度、明かりのつくことを確かめた。


「……行くんだ」


 綾香が小さく言った。


「確認しに、ってことだよね」


 俺が返すと、綾香は頷いた。

 真弓は、その二人が見えなくなるまで目で追っていた。


 全員いるかの確認が済むまで、少し時間がかかった。

 班長の返事を聞く声と、机を回る足音が続いた。

 やがて前の方で、先生同士が、揃っています、と話しているのが聞こえた。


「生徒は全員、宿舎へ戻っています。係をしていた生徒も確認できました」


 先生がこちらへ向き直った。


「見かけた人については、今、確認しています。見た人は、あとで先生が話を聞きに行くので、覚えていることを教えてください」


 何人かが、はい、と返事をした。

 すぐには席を離れず、しばらくここで待つことになった。


 俺は容器に残っていたプリンをすくった。

 さっきと同じものなのに、ずいぶん長いこと食べかけにしていた気がした。


「優子。残り、食べる?」

「……うん」


 優子は俺の袖から指を離し、スプーンを持った。

 その代わりみたいに、椅子の位置が少し近くなった。


「プリン、うまかったのにな」


 翔太が言った。


「まだ、おいしいよ」

「そういうことじゃねえんだよ」


 俺が答えると、翔太は自分も一口食べた。

 それから、うまいけどさ、と付け足した。

 優子が小さく笑い、すぐ口元を押さえた。


     * * *


 食べ終わった容器を重ねている頃、先生が紙とペンを持って戻ってきた。

 真弓たちのそばへ椅子を寄せ、座って話を聞いてくれた。


「怖かったと思うけど、覚えている範囲でいいからね。見たのは、券を受け取ったあとで間違いない?」


 綾香が、はい、と答えた。


「券をしまってから少し歩いて、曲がった先です。出口の明かりは、まだ見えてなかったと思います」

「道の右と左なら?」


 綾香が片手で道の向きを示した。

 先生は紙へ線を引き、綾香へ向けて、こっちから歩いてきたんだね、と確かめた。


「真弓、木のこっち側だったよね」

「うん。幹のすぐ横。……立ってた」


 真弓は自分の肘を押さえていた。

 先生が、無理に思い出そうとしなくてもいい、と言うと、少し頷いた。


「声はかけられた?」

「何も言わなかったです」

「近づいてきたりは?」

「それも、なかったです」


 春樹と翔太にも、同じように聞いた。

 翔太は最初、すげえ怖くて、と言ったあと、言葉を探した。

 春樹が横から、袖のここが赤かった、と自分の腕を示した。


「髪、黒くて長かったよな」

「うん。顔の前まであった」

「血みたいなの、着物にもついてて」


 先生は、そのまま紙に書いた。

 赤いものを血だと決めつけることも、作り物だと言うこともしなかった。


「人の大きさは、みんなと同じくらい?」


 翔太が春樹を見た。

 春樹も、すぐには答えなかった。


「……そこは、よく分かんないです」

「分かった。そこは分からないで大丈夫」


 先生はそう言ってから、俺たちの方を見た。


「鵜飼くんと富田さんは、先に通ったんだね」

「はい。俺たちの時には、その人は見てないです」

「道を外れたり、違うところを通ったりはしていない?」

「案内されてた道を、そのまま歩いてきました」


 優子も、俺の隣で頷いた。


「……私も、見てないです」

「うん。教えてくれてありがとう」


 先生は紙を持って立ち、今度は隣の班へ行った。

 あちらの子が話す場所も、着物の色も、俺たちの机で聞いていたものと似ていた。


「その次に出発したのは?」

「俺たちです。でも、見てないです」


 さっき、見ていないと言っていた男子が答えた。


「その木の方を見た時には、誰もいなかったということかな」


 先生が尋ねると、男子は少し考えた。


「……いや、木の方までは見てなかったかも。券をもらって、もう終わりだって話してたんで」

「そうか。じゃあ、そこに誰かいたかどうかまでは分からないんだね」

「はい。俺が気づかなかっただけかもしれないです」


 先生は頷き、別の子にも同じように聞いた。

 道の外へは目を向けなかったという子も、怖くて前しか見ていなかったという子もいた。

 その一方で、そちらを見たけれど人影には気づかなかった、と答える子もいた。


「俺らの前の組も、見たって言ってました」


 少し離れた机から声がした。

 先生がそちらへ向かうと、二組が続けて同じ着物姿を見た話になった。

 その後に通った組からは、また、見ていないという返事があった。

 別の机では、何組か続けて見ていなかったあとに、また見たという話も聞こえた。


 近くに戻ってきた先生同士が、出発順を書いた紙を見比べた。


「見ていない組の方が多いですね」

「ただ、前半と後半で分かれているわけではないですね。見たという組の間にも、見ていない組が入っています」


 俺は、部屋で話していたことを思い出した。

 俺たちのあとから来たのだろう。それなら分かると思っていた。

 でも、あとから通った人たちも、皆が見たわけではなかった。


「……ずっと、そこにいたのかな」


 春樹が言った。


「分かんない。見てなかったって人もいるし」


 俺が答えると、春樹は黙った。

 見なかったという話だけでは、そこにいなかったのか、気づかなかったのかまでは分からなかった。

 見た人たちの言う姿は似ているのに、それがいつからいつまで立っていたのかも、はっきりしなかった。


 真弓がそれを聞きたくないみたいに、顔を伏せた。


「冗談だったら、今、言ってほしいんだけど」


 誰にともなく、綾香が言った。

 翔太は首を振った。


「俺、そういう冗談、今日はやんねえ」

「うん。分かってる」


 綾香は自分の腕をさすった。

 あのゲームの話をしていた時には、ずっと面白そうにしていたのに。

 今は真弓の肩が触れるくらい、近くへ座っていた。


 窓の方を見ないようにしていても、廊下で足音がすれば顔を上げてしまった。

 戻ってきたのは、さっき玄関へ向かった先生たちだった。

 手に持った懐中電灯は消えていた。


 先生同士が集まって話したあと、花沢先生が俺たちのところへ来た。


「教えてくれた場所は確認してきたけど、今は誰もいなかったそうよ」


 真弓が顔を上げた。


「誰だったかは……?」

「まだ、分かっていないの」


 花沢先生は、俺たちを順に見た。


「先生たちと宿舎の方で確認を続けるから、みんなは部屋へ戻って、寝る準備をしてね。気になることがあったら、先生に教えて」


 分かりました、と答えた。

 翔太も頷いたが、納得した顔ではなかった。

 俺も、何か分かったと言ってもらえるのを待っていた。


 片付けをして、六人で食堂を出た。

 廊下の向こうで、先生がもう一人、別の班の子へ話を聞いていた。

 窓のそばに立っている先生もいた。


 誰だったのかは、部屋へ戻るまでに分からなかった。


 俺の左手を、優子が握っていた。

 右側には、なぜか翔太が、ほとんど同じ歩幅でついてきた。


「近くない?」

「別に、近くねえし」


 そう言って、半歩離れた。

 すぐ先で、廊下の窓が一枚見えた。

 翔太は、半歩分、戻ってきた。


 春樹が後ろから、近いね、と言った。

 その春樹も、俺たちの足音が途切れないくらいのところを歩いていた。


     * * *


 部屋の明かりをつけると、翔太が真っ先に窓のところへ行った。

 カーテンを閉め、真ん中を少し重ねて、戻ってきた。


「まだ、そこ開いてる」


 真弓に言われ、翔太が振り返った。

 裾の方がわずかに開いていた。


「そこから何か見えねえだろ」

「じゃあ、そのままで寝られる?」


 翔太は何も言わず、もう一度閉めに行った。


 俺と春樹は、押し入れから布団を出した。

 真弓と綾香が敷布団を広げ、優子が枕を運んだ。

 翔太の分を窓際のスペースへ持っていくと、本人が止まった。


「今日も、そこ?」

「うん」


 真弓が即答した。


「いや、今日は、ちょっとさ」

「昨日、どれだけうるさかったと思ってるの」

「俺、聞いてねえから分かんないんだって」

「知ってる。だから、そこ」


 翔太が春樹を見た。

 春樹は自分の枕を置きながら、頷いた。


「寝たら分かんないよ」

「寝るまでが問題なんだよ」


 真弓は聞こえなかったように、掛け布団の向きを整えた。


 俺の布団を敷くと、優子が枕を持って隣へ来た。

 少しだけ俺の顔を見たので、掛け布団をめくって場所を空けた。


「こっちでいいよ」

「……うん」


 優子が枕を置いた。

 そこへ、真弓が自分の敷布団を引っ張ってきた。

 優子側の端へぴったりつけ、隙間がないことを確かめてから座った。


「近いね」

「今日は、ここがいい」


 それ以上は聞かなかった。

 綾香も真弓の外側へ自分の布団を寄せた。

 三枚の敷布団が、横にくっついた。


「綾香も?」


 翔太が聞くと、綾香は枕を置く手を止めた。


「あれは、ちょっと嫌」

「怖くねえんじゃなかったの」

「ゲームなら、驚かされるって分かってるけど。さっきのは、誰だったか分かんないじゃん」


 翔太が黙った。


「それ、言わないで」


 真弓が綾香の袖を引いた。

 綾香は、ごめん、と短く言い、真弓との間へできた小さな隙間も詰めた。


 優子が俺の隣で、掛け布団の端を撫でていた。

 その指先を見ながら、俺も布団へ腰を下ろした。

 足を入れると、まだ誰も使っていない中は冷たかった。


「冷た」

「な。もう冬じゃん、ここ」


 翔太が窓際から返した。

 春樹は、朝も寒かった、と自分の肩へ毛布をかけた。


「勝也、朝、全然起きなかったよね」

「うん。優子と寝てたら、温かくて。全然、寒いと思わなかった」


 隣の優子が、枕へ目を落とした。

 俺も、今朝、なかなか起きられなかった時のことを思い出した。


「俺、顔に落書きされて、寒くて起きたんだけど」


 春樹が言った。

 翔太は毛布を見ていた。


「翔太」

「何」

「聞こえてるよね」

「今日は、しねえよ」

「今日も、でしょ」


 真弓が、鞄へタオルをしまいながら笑った。

 朝の顔を思い出してしまったのか、口元を押さえた。

 春樹はそれを見て、まだ笑うの、と言った。


 昼からずいぶん色々あったのに、朝の落書きも、まだ今日のことだった。

 優子の肩も小さく揺れた。

 春樹がこちらを見たので、優子は慌てて首を振った。


「……ごめん」

「いいよ。俺も、鏡見た時ちょっと笑ったから」


 春樹が言うと、優子も笑っていいと思えたみたいに顔を上げた。


     * * *


 真弓たちが明日の着替えを鞄の上へ出している間に、俺も使ったものを片付けた。

 鞄の中から、下の方へ落ちていた袋を引き出す。

 袖が手首から上がったところで、春樹が俺の腕を指した。


「それ、ずっと付けてるね」


 白いミサンガが見えていた。


「うん」

「こっちに来た時から、してなかった?」

「してたと思う。引っ越す前に作ったやつだから」


 春樹の横で、鞄を閉めていた翔太ものぞき込んだ。


「それ、勝也が作ったの?」

「うん。小さい頃、公民館で。優子と一緒に」


 手首を少し回した。

 編み目の端は、作った時より柔らかくなっていた。

 ずっと身につけているので、自分では触ってもあまり意識しなくなっていた。


「よく切れないね」

「ね。思ったより丈夫だった」

「切れたら願いが叶うやつだろ」


 翔太が言った。


「何お願いした?」

「それは秘密」

「何でだよ」

「こういうの、言わない方がいいんじゃない?」


 俺が言うと、翔太は少し考え、それもそうか、と納得した。

 春樹は、翔太なら作ってる途中で言いそう、と言った。


「言わねえよ」

「まだ願い決める前に、何お願いしようかなって全部言いそう」

「それ、お願いする前だからいいじゃん」


 二人が言い合っている間に、袖を元へ戻した。


 優子はすぐ隣で、明日使うハンカチを畳んでいた。

 手が止まり、少しだけこちらを見た。

 俺も見返すと、口元が緩んだ。


 何をお願いしたのかは、言わなかった。

 優子も聞かなかった。


 あの時、白い糸を選んだことを、よく覚えていた。

 目の前の優子の髪へ一度だけ目をやってから、鞄の口を閉じた。


「勝也、これ、上に置いといてもいい?」


 優子が畳んだハンカチを示した。


「うん。明日、忘れないところにしよう」


 枕元の鞄へしまうと、優子は小さく頷いた。

 俺たちの反対側では、真弓が綾香へ、タオルってあと何枚あったっけ、と聞いていた。


     * * *


「俺、寝る前にトイレ行ってくるね」


 立つと、優子もすぐに立ち上がった。

 袖へ伸びてきた手を取って、戸の方へ向かった。


「待って。私も行く」


 真弓が来た。

 それを聞いた春樹が毛布を置き、翔太まで窓際から出てきた。


「俺も」

「じゃあ、俺も」


 戸の前で、五人になった。


「トイレ、すぐそこだけど」


 俺が言うと、真弓が頷いた。


「知ってる」

「……うん」


 俺も、知っていると思った。

 だけど、一人ずつ行こうと言う気にはならなかった。


「綾香は?」

「私はさっき行ったから。ここで待ってる」


 綾香が布団の上へ座った。

 真弓が、すぐ戻る、と言うと、綾香は少し笑った。


「うん。五人でそんなに遠くまで行かないでね」


 廊下へ出た。

 明かりはついていたけれど、部屋を出ただけで足元が冷えた。

 トイレは本当に目の前だった。

 それでも翔太は、左右を見てからこちらへついてきた。


 優子と一緒に中へ入り、ドアを閉めた。

 手を離すと、優子が先にすりガラスの方へ向いた。

 背筋を伸ばし、足を揃えている。


「……こっち、見てるね」

「うん」


 耳栓も目隠しも出さなかった。

 優子はガラスの方を向いたまま、動かなかった。


 外から、春樹の声がした。


「翔太、廊下の真ん中に立たないで」

「じゃあ、どこに立てばいいんだよ」

「壁の方」

「そこ、後ろが気になる」

「壁だよ」


 優子の肩が、ほんの少し動いた。

 笑ったのだと分かった。


 次は俺がすりガラスの前へ立った。

 優子と場所を交代して、背筋を伸ばした。


「俺も、こっち向いてるね」

「うん」


 ガラスの向こうに、廊下の明かりがぼんやり見えた。

 春樹と翔太の声は、まだ近くで続いていた。

 真弓が小声で、もう静かにして、と言った。


 優子に呼ばれるまで、そのまま立っていた。

 手を洗って外へ出ると、真弓が俺たちを一度見てから、何も言わず中へ入った。


「二人とも、動かないんだね」


 春樹が言った。


「何が?」

「ガラスのところ。さっき、ちっちゃい方から大きい方になった」


 優子が俺の腕の陰へ少し寄った。

 俺は、ああ、と頷いた。


「待ってる間、向こう向いてるから」

「うん。何か、すごい真っすぐだった」


 翔太がガラスを見た。

 春樹が、その肩をこちらへ戻した。


「見なくていい」

「いや、今どうなってんのかと」

「真弓、怒るよ」


 翔太はすぐに向き直った。


 順番に済ませる間、誰も先には帰らなかった。

 春樹が最後に出てくると、五人で部屋の戸を開けた。

 綾香は俺たちを見るなり、少し首を傾げた。


「連れて来てないよね?」


「誰を」


 翔太が聞いた。

 綾香は答えず、指で一人ずつ数えた。


「うん。ちゃんと五人」

「今、そういうのやめて!」


 真弓の声に、綾香は口元を押さえた。

 翔太は後ろを振り返りかけ、そのまま戸を閉めた。


 俺と優子も、顔を見合わせた。

 さっきより怖くなったのか、可笑しかったのか、自分でも少し分からなかった。


     * * *


 布団へ戻ると、優子も隣へ入ってきた。

 二人でうつ伏せになり、肩まで掛け布団を引き上げた。

 優子は枕へ頬を載せ、こちらを見た。


「……明日、帰るんだね」

「うん。もう最後の夜だね」


 そう答えてから、少し不思議な気がした。

 来たのは昨日だった。

 学校の前でバスを待っていた時が、ずっと前みたいに思えた。


「長かったような、短かったような」

「……うん」

「明日、忘れ物しないようにしないとね」


 優子が枕の先にある鞄を見た。

 さっき、ハンカチをしまったところだった。


「勝也、タオル」

「うん。お風呂の時でしょ。ありがとう」

「……また、忘れそう」

「明日は優子に見てもらおうかな」


 優子が笑った。

 俺も笑い返して、二人の間にあった掛け布団のくぼみを少し持ち上げた。

 隙間から入ってきていた空気が止まった。


 真弓が隣の布団へ入った。

 その向こうで綾香も、首元まで毛布を引っ張った。


「明日の朝、起きられるかな」


 真弓が言った。


「寒くて起きるんじゃない?」

「それも嫌なんだけど」


 綾香の返事に、真弓は顔の半分まで布団を上げた。

 窓際で翔太が、俺もこっちに敷けばよかった、とこぼした。

 誰も布団を動かそうとはしなかった。


 戸が控えめに叩かれた。

 返事をすると、花沢先生が顔を出した。


「そろそろ電気を消す時間よ。寝る準備はできた?」


 それぞれ、はい、と答えた。

 先生は部屋の中を見渡したあと、窓際で布団をかぶっている翔太へも目を向けた。


「今夜は、来てから一番冷え込むみたい。明日の朝にかけて、最低気温は一度の予報だから、毛布もしっかりかけてね」


「一度?」


 翔太が、布団から顔だけ出した。


「まだ十月だよね」

「うん。ここは高原だからね。足りなかったら、予備の毛布も使っていいよ」


 先生が押し入れを示した。

 春樹が、冬じゃん、と呟いた。

 俺もそう思った。さっき廊下へ出た時の冷たさを思い出して、優子の肩まで布団がかかっているか見た。


「先生」


 真弓が少し起き上がった。


「さっきの人、まだ……」


 花沢先生は頷いた。


「誰だったのかは、まだ分かっていないの。先生たちは近くにいるから、何かあったら呼んでね」


 真弓は小さく、はい、と答えた。

 先生は、明日の朝も早いから、今日はもうおしゃべりはおしまい、と言った。


「おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 明かりが落ちた。

 戸の閉まる音がして、廊下を歩く足音が遠ざかった。


 優子が布団の中で、俺の手を探した。

 指が触れたので、そのまま握った。


「ここにいるよ」


 すぐ近くで、うん、と返ってきた。

 俺はうつ伏せから横向きになり、優子の方へ向いた。

 優子もこちらを向く。二人の間へ冷たい空気が入ったので、背中へ腕を回してそっと引き寄せた。


「こっち、おいで」

「……うん」


 優子が俺の胸元へ収まった。

 背中まで掛け布団をかけ直すと、間にあった隙間がなくなった。優子の手が俺の服を軽くつかみ、足先も近くへ寄ってきた。


「これなら、寒くないね」


 優子が小さく頷いた。

 そのまま腕の中へ収め、俺も肩まで布団に潜った。


 しばらく、布団の動く音だけがした。

 目が暗さに慣れると、真弓と綾香の布団も、春樹の枕も、薄く形が分かるようになった。


 その時、窓際で何かが動いた。


「……春樹」


 翔太の声だった。

 布団を抜け出し、畳の上をそろそろと歩いてきた。

 春樹のそばへしゃがみ、掛け布団の端へ手をかけた。


「俺達も、一緒に寝るか‼︎」


 小声なのに、妙に勢いがあった。

 春樹の返事を待たず、翔太が布団へ入った。


「ばか! 男同士でキモい!」


 春樹が身体をよじった。

 翔太は、まあまあ、と言いながら腕を回したらしかった。

 布団が不自然に盛り上がった。


「まあまあじゃない。離して」

「寒いだろ」

「だからって、勝手に入ってこないでよ」


 真弓が枕から顔を上げた。

 綾香も、その向こうでこちらを見た。


「男同士で何やってるの」


 真弓の声に、もう少しで笑いが混じりそうになっていた。

 春樹が、俺は何もしてない、とすぐに言った。


「昨日、勝也が優子と寝てたから、めっちゃ暖かかったって自慢するから‼︎」


 翔太が俺を指した。


「自慢してないよ」


 思わず笑ってしまった。


「朝、寒かったって言うから、俺は温かかったって言っただけでしょ」

「それが自慢だろ」

「そうなるの?」


 腕の中の優子が、俺の胸元へ顔を伏せた。

 服をつかむ指が少し動いた。

 俺と同じで、笑うのをこらえているみたいだった。


「翔太、とりあえず腕、離して」


 春樹にもう一度言われ、翔太はようやく布団から出た。

 出た途端に、寒っ、と肩をすぼめた。


 そのまま俺たちの方へ膝で近づいてきた。


「勝也。布団に入れてくれ!」

「嫌ッ」


 俺が返事をするより先に、優子が言った。

 小さいけれど、はっきりした声だった。


 翔太が止まった。

 俺も優子を見た。

 優子は自分で驚いたみたいに目を丸くしてから、俺の服をつかんだまま布団へ頬を隠した。


「……そっか」


 翔太が言った。

 さっきより、ずいぶん静かな声だった。


「ここ、もう狭いからね」


 俺が言うと、優子が小さく頷いた。

 それでも、服をつかむ手は離さなかった。


 翔太は真弓の方を向いた。


「じゃあ、真弓」


 返事はなかった。

 真弓は目を閉じていた。

 ついさっきまで、起きて話していたのに。


「綾香」


 綾香も返事をしなかった。

 掛け布団を、少しだけ肩へ引き寄せた。


「寝るの早くない?」


 誰も答えなかった。


 翔太は、しばらく二人を見ていた。

 膝を抱え、肩を丸めた。

 自分の布団へ戻ろうとして窓の方を見たが、すぐには立たなかった。


 春樹が小さく息を吐いた。


「……翔太」


 翔太が振り返った。

 春樹は少し身体をずらし、掛け布団の端を持ち上げた。


「ほら……」

「一緒に寝るなら、あのスペースで2人で寝て!」


 真弓が即座に言った。

 声は低かったが、言い方には迷いがなかった。


 翔太も、春樹も止まった。


「……起きてんじゃん」


 翔太が言った。

 真弓はそちらへ顔を向けた。


「窓のところ。昨日の音、ここでもう一回聞きたくない」

「俺も?」


 春樹が聞いた。


「一緒に寝るんでしょ?」

「そうだけど。俺、ここで……」

「じゃあ、翔太だけ戻って」


 翔太が春樹を見た。

 春樹は、持ち上げていた掛け布団をゆっくり下ろした。


「……分かったよ」


 優子が、また俺の胸元へ顔を伏せた。

 俺も枕へ頬を押しつけた。

 春樹がこちらを見ているのが分かったので、なるべく声を出さないようにした。


「勝也、笑ってるよね」

「ごめん」

「俺、何も悪いことしてないんだけど」


 それは本当にそうだった。

 さっきまで、自分の布団で普通に寝ようとしていただけだった。


 春樹は枕と毛布を抱え、翔太と窓際へ移った。

 翔太の敷布団へ二人で入ると、今度は翔太が先に壁の方へ寄った。


「そっち、ずるくない?」


 春樹が言った。


「狭いから、詰めたんだよ」

「窓から遠い方へでしょ」


 翔太は答えなかった。


 春樹が掛け布団をめくった途端、肩をすくめた。


「……待って。何これ、冷た」

「だから、寒いって言ったじゃん」

「いや、さっきまでのと違う。窓の方から、ずっと来るんだけど」


 春樹が窓の下へ手を出し、すぐに引っ込めた。

 カーテンの裾は閉じている。それでも、その下から足元へ冷たい空気が下りてくるらしかった。


「窓、開いてないよね?」

「閉まってる。俺、確認した」

「……一度って、こういうことか」


 春樹は持ってきた毛布を広げ、二人分の足元へ巻き込んだ。


「こっちの窓ってさ」


 春樹の声が少し小さくなった。


「肝試しの方、向いてるよね」

「言うなって」


 翔太が即答した。

 春樹は毛布を広げかけたまま、カーテンを見た。


「俺、今、気づいたんだけど」

「俺は、さっきから知ってる」

「だから戻りたくなかったの?」

「そうだよ」


 二人の声が途切れた。

 誰もカーテンには触れなかった。


「……もうちょっと詰めて」


 春樹が言った。


「これ以上、無理」

「じゃあ、こっち向いて。そっちばっか見てないで」

「俺だって、見たくて見てねえよ」


 布団がごそごそと動いた。

 少しして、二人とも掛け布団の中へ収まった。

 春樹が持っていった毛布も、二人の肩までかかった。


「……ほら。勝也と優子みたいにさ」


 翔太が言った。

 すぐに布団が動き、春樹の声がした。


「それするなら、自分の布団に戻るよ」


 冗談を言っている時の声ではなかった。

 伸びかけていた翔太の腕が、布団の中へ引っ込んだ。


「……分かった」


 さっきまでの勢いが、すっかりなくなっていた。

 翔太は大人しく枕へ頭を戻した。


「ここ、仕切り閉める?」


 俺が聞くと、二人分の声がほとんど同時に返ってきた。


「開けといて」


 真弓が枕を押さえた。

 綾香も、そちらへ顔を向けないまま肩を揺らした。


「……寝てから閉めて」


 春樹が付け足した。

 俺は、分かった、と答えた。


    * * 優子視点 * *


 勝也が窓の方から、こちらへ顔を戻した。

 背中へ回っている腕は、そのままだった。


「寒くない?」


 小さな声で聞かれ、首を振った。


「……温かい」


 足先まで、もう冷たくなかった。

 勝也と私の間には、隙間がなかった。服をつかんでいた指を緩めても、そのままここにいられた。


「……さっき、急に言っちゃった」

「翔太に?」


 頷いた。

 嫌だと言うつもりで、準備していたわけではなかった。

 勝也と二人でいるところへ入ってくると思った瞬間に、声が出ていた。


「今日は、ここにいたかったから」


 最後の方は、ほとんど息みたいな声になった。

 勝也は、うん、と言った。


「ちゃんと、優子の場所、空けてあるよ」


 そう言いながら、背中の布団をかけ直してくれた。

 顔を上げると、近くで目が合った。


「……ありがとう」


 勝也が笑った。

 暗くても、分かった。


 お風呂で言えた言葉を、今度はもっと小さな声で伝えた。

 言い終えてから、もう一度言わなければよかったとは思わなかった。


 隣で、掛け布団を引っ張る音がした。


「……ねえ。今日、昨日よりも寒くない?」


 加藤さんの声だった。

 振り向くと、顔の下半分まで布団に隠れていた。


「綾香も、優子も。大丈夫?」

「今日、結構寒い」


 少し向こうから、井上さんが答えた。


「布団に入れば平気かと思ったんだけど」

「だよね。私も、何か、まだ寒い。さっきの話のせいもあるかもしれないけど」


 加藤さんが肩を丸めた。

 食堂で先生が言ったことを思い出すと、私も戸の方が気になった。

 けれど、勝也の腕が背中にあった。顔を戻せば、すぐそこに勝也がいた。


「私は……お布団の中なら、大丈夫」

「そんなに温かいの?」


 加藤さんが、こちらの布団を見た。


「ちょっと、手、入れていい?」

「……うん」


 加藤さんの手が、掛け布団の端から入ってきた。

 私の背中に触れる手前で止まり、少しして、その指が開いた。


「……何これ。めっちゃ温かいじゃん」


 声に、笑いが混じった。

 勝也も、小さく笑った。


「二人だと、全然違うよ」

「ほんとだ。こっち、全然違う」


 加藤さんは手を引っ込めたあと、少しだけ顔を上げた。


「優子。私、もうちょっとそっち寄ってもいい?」

「……うん。いいよ」


 答えると、加藤さんが枕を引き寄せた。

 自分の掛け布団も一緒にずらして、私たちの敷布団の端まで来た。私の背中へ触れそうなところで止まり、二枚の掛け布団を少し重ねた。


「邪魔だったら言ってね」

「……大丈夫」

「ありがとう。今日、ちょっと一人だと落ち着かなくて」


 さっきまで私を気にかけてくれていた加藤さんが、今は、私のすぐ後ろにいた。

 私も小さく頷いた。


「……私も、近い方がいい」


 加藤さんが、よかった、と言った。

 背中の方で布団が動いても、もう冷たい空気は入ってこなかった。


「真弓、そっち行っちゃうの」


 井上さんの声がした。

 加藤さんが、ごめん、ちょっとこっちが温かすぎて、と小さく笑った。


 井上さんは肘をつき、こちらを見た。

 それから戸の方へ一度目をやり、枕を抱えた。


「……私、そっちの空いてるところに移っていい?」


 指したのは、勝也の反対側だった。

 春樹くんの敷布団が、そのまま残っていた。


「うん。春樹のとこ、空いてるよ」


 勝也が答えた。

 井上さんは自分の掛け布団を持ち、私たちの足元を回ってきた。


「一人だと、やっぱり気になる?」


 加藤さんが聞いた。


「お化けならいいけど。知らない人がいたかもしれないって方が、何か嫌」

「……分かる」


 加藤さんの声が、また小さくなった。

 井上さんは春樹くんの敷布団へ枕を置き、肩から掛け布団をかぶった。


「勝也。私も、いい?」


 少し遠慮がちな声だった。

 勝也の方へ寄ってもいいか、敷布団の境目を手で示している。


「綾香が嫌じゃなかったら、いいよ」


 勝也は私を抱いたまま少しずれ、自分の背中側の掛け布団を持ち上げた。

 井上さんが、その空いたところを見た。


「……そこまで、いいの?」

「うん。入るんでしょ?」


 小さく笑う声がした。


「じゃあ、ちょっとお邪魔するね」


 井上さんが勝也に背中を向けて横になった。

 勝也の背中に触れるところまで寄り、私たちの掛け布団の端へ入る。三人では幅が足りなくて、井上さんの持ってきた掛け布団を、その上から重ねた。

 外側は春樹くんの敷布団に収まっていたので、誰かが畳へはみ出すこともなかった。


「背中、くっついてても大丈夫?」

「うん。平気」


 勝也が答えた。

 布団の端をもう一度整えると、井上さんも動かなくなった。


 窓の方から、翔太くんの声がした。


「春樹。起きてる?」

「起きてる」

「……そっか」


 少し間が空いた。


「翔太は?」

「今、話したじゃん」


 勝也の肩が揺れた。

 私も笑いそうになって、口元を布団へ寄せた。

 すぐ後ろから、もう寝なよ、と加藤さんの小さな声がした。


 その声も、今日は少し優しかった。


「……すごく温かい」


 井上さんが囁いた。

 私と勝也にしか聞こえないくらいの声に、まだ少し笑いが残っていた。


「でしょ?」


 勝也は、少し得意そうだった。

 私の背中へ回していた腕を落ち着け、枕へ頬を戻した。


「おやすみ」

「……おやすみ」


 返事をすると、勝也は目を閉じた。

 しばらくして、ゆっくりした寝息が聞こえ始めた。


 私も、勝也の服をつかんでいた手を緩めた。

 加藤さんがすぐ後ろにいて、井上さんも、勝也の向こうにいる。

 明日の朝、起きた時にも、みんなここにいる。


 そう思いながら、勝也の胸元へ頬を寄せた。

 外が一度になると聞いたことも、今は少し遠かった。

 布団の中には、冷たい空気が入ってこなかった。


 そのまま目を閉じると、私もいつの間にか眠っていた。


     * * *


 窓際から聞こえていた小声も、やがて途切れた。

 時々、布団を引き上げる音がするほかは、寝息だけになった。


 夜が更けるうちに、勝也は横向きから仰向けになっていた。

 空いている腕と脚を伸ばし、大の字に近い格好になっても、優子を支える腕は離れなかった。

 優子は寝返りにつられるように、勝也の胸元へ半ば乗り上げていた。片脚を勝也の脚に絡め、頬を服へ預けたまま、よく眠っていた。


 反対側では、綾香が勝也に背を向けたまま眠っていた。

 重ねた掛け布団は肩までかかり、隣の敷布団との間にも隙間はなかった。


 誰も起き出すことなく、部屋には六人分の寝息が続いていた。


今回の登場人物


・鵜飼 勝也

優子の幼馴染。入浴後も自然に優子の髪を乾かし、二日目の夜を一緒に過ごす。幼い頃に作った白いミサンガを、今も身につけている。


・富田 優子

勝也や友達と過ごした楽しい一日を振り返り、勝也へ自分から感謝を伝える。眠る前には、勝也の隣にいたい気持ちが言葉に出る。


・鶴見 春樹

着物姿の人物を目撃した一人。風呂上がりには、翔太へのくすぐりに大喜びする。寝る時には翔太を放っておけず、窓際で一緒に寝ることになる。


・鳥居 翔太

班長。優子の真似をして綾香に頭をはたかれる。真弓の膝へ頭を載せることには成功するが、二人にくすぐられて降参する。プリンの時間の説明で怖さが増し、消灯後には春樹のもとへ逃げ出す。


・加藤 真弓

優子と勝也の気負いのないやり取りに驚く。正体不明の人物の話を聞き、二人の布団へ自分の布団を寄せる。翔太のいびきへの対策は譲らない。


・井上 綾香

怖い作品には強いが、誰か分からない人物の目撃には不安を覚える。冷え込む夜、空いた春樹の敷布団へ移り、勝也と背中を合わせて暖を取る。


・宣仁

肝試しでお化け役を担当。プリンの時間に合流し、チェックポイントの先には係がいないことを伝える。


・花沢先生と引率の先生たち

全員の所在を確認し、目撃者への聞き取りと現場の確認を行う。着物姿の人物の正体は、分からないままとなる。

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