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君の隣が、僕の帰る場所  作者: 玲瓏さん
中学1年生編
50/52

第45話 林間学校2日目 夜 その1

    * * 勝也視点 * *


 先生のそばまで来ると、林へ続く道がよく見えた。

 見えたのは、入り口の少し先までだった。


 建物から離れたところで道が曲がり、その向こうは木の影に隠れていた。昼間なら何でもない場所なのだろうけれど、今は、そこへ入っていく人の背中まで暗がりに吸い込まれそうだった。


 優子が俺の手を握り直した。

 隣を見ると、優子も同じ方を見ていた。


「……あそこ、歩くのかな」

「たぶん、そうだね」


 答えてから、もう1度、道を見た。

 風が吹き、木の上の方がざわざわと鳴った。


「昼間、こんなだったっけ」


 翔太が言った。


「木は、昼間からあったよ」

「そういう話じゃなくて」


 春樹へ言い返し、翔太は上着の前を首元まで閉めた。

 その隣で、真弓も両腕をさすっていた。


「寒い。さっきまで火のそばにいたから、余計に」

「踊ってた時は、平気だったのにね」


 綾香が言った。

 俺も、優子をつないでいない方の手をポケットへ入れた。指先が冷えていた。


 先生が懐中電灯を持ち上げた。

 あちこちの話し声が少しずつ静かになったところで、説明が始まった。


「このあとは、2人1組で順番に出発します。道の途中に目印がありますから、それに沿って進んでください。道から外れたり、前の組を追い越したりしないこと」


 先生は入り口の横に付けられた目印を照らした。

 白い矢印が、林の方を指していた。


「途中にチェックポイントがあります。そこにいる先生から、これを受け取ってください」


 小さな紙を持った手が上がった。

 前の方にいた生徒が、何それ、と声を出した。


「今夜のデザート、プリンの引換券です」


 翔太の顔が上がった。


「プリン?」

「1人1枚ずつもらって、出口まで持ってきてください。順路を回った確認にもなります。お風呂から上がったあと、食堂で引き換えて食べますから、なくさないように」


 周りから、プリンあるんだ、という声が聞こえた。

 翔太が俺たちを振り返った。


「聞いた? プリンだって」

「聞いてるよ」


 真弓が言った。


「ちゃんと行かなきゃ」

「さっきまで、あそこ歩くのかって顔してたのに」

「プリンあるなら、話は別じゃん」


 翔太は暗い道を見直した。

 少し間が空いた。


「……まあ、暗いけど」

「そこは、変わらないからね」


 春樹が言った。

 優子が、俺の隣で小さく笑った。


 懐中電灯は各組に1本ずつだった。使い終えたら出口で返すように言われた。

 お化け役の生徒や先生もいるけれど、びっくりして押したり、走り出したりしないこと。困った時は、その場で先生を呼ぶこと。


 説明を聞きながら、俺は懐中電灯を持つ手と、優子をつなぐ手を頭の中で確かめた。

 右手にライトを持てばいい。

 左手は、そのままでいられる。


「戻ってくるところ、こっちなんだ」


 春樹が広場の反対側を見た。

 木の間から出てくる別の道があって、その先に先生が立っていた。出発する場所とは少し離れているけれど、同じ広場へ戻ってくるらしかった。


 入り口では、カメラマンの人が先生と話していた。

 もう1人は、出口の方でカメラを構え直している。


「帰ってきた顔、撮られるんだ」


 真弓が言った。


「泣いてても?」

「泣く予定なの?」


 綾香が聞いた。


「予定じゃないけど、分かんないじゃん」

「じゃあ、笑って帰ってこよう」

「それができたら、聞いてないって」


 真弓はそう言って、綾香の上着の袖をつまんだ。

 その指を見て、綾香が少し笑った。


「一緒に行く?」

「うん。行く」


 返事が早かった。


 翔太が春樹を見た。

 春樹も翔太を見た。


「俺たち?」

「そうなるね」

「お前、先歩いてよ」

「2人で歩けばいいでしょ」


 春樹は言ってから、俺の方を向いた。


「勝也たちは、一緒でいいよね」

「うん」


 優子を見て答えた。

 優子も頷いた。


「……よろしく、お願いします」

「そんな、改まらなくても」


 笑うと、優子も少し笑った。

 その顔を見たら、さっきまで気になっていた暗がりから、少しだけ目を離せた。


「俺たち、最初に行こうか」


 そう言うと、翔太がすぐに頷いた。


「じゃあ、次、真弓たちな」

「私たちが2番目?」

「うん。最後、俺と春樹」

「最後なら怖くないと思ってる?」


 綾香に聞かれて、翔太は首を振った。


「そんなこと、思ってないけど」

「じゃあ、最初でもいいんじゃない?」

「勝也が行くって言ったじゃん」


 春樹が横で笑った。


「俺たちが最後でいいよ。後ろ、気にしなくて済むし」

「……後ろ?」


 真弓が振り返った。

 まだ出発する前なのに、6人とも一度、背後を見た。

 いたのは、順番を待つほかの班だった。


「変なこと言わないで」

「ごめん」


 春樹が笑いながら謝った。

 俺も笑ったけれど、道へ入ってから同じことを言われたら、たぶん笑えなかった。


     * * *


 少しずつ、前の組が林へ入っていった。

 懐中電灯の丸い光が木の幹を通り過ぎ、道が曲がったところで見えなくなる。


 しばらくすると、向こうから悲鳴が聞こえた。


 優子の肩が動いた。

 俺も、つい同じ方を見た。


「……結構、聞こえるね」

「うん」


 何がいるのかは見えない。

 声だけが聞こえるせいで、余計に気になった。


 優子が俺を見上げた。


「勝也、大丈夫……?」

「大丈夫だよ」


 すぐに答えた。

 春樹が隣で、こっちを見た気がしたけれど、そちらへは顔を向けなかった。


「全然平気」

「……そっか」


 優子は頷いてから、少しだけ首を傾げた。


「バスで、井上さんが……」

「あれは、ゲームだから」


 最後まで聞く前に答えてしまった。


「ここは、皆がやってるやつだし」

「……うん」

「誰かいるって、分かってるから」


 優子の指を軽く握り直した。

 それは間違っていない。

 分かっているのだから、驚かなければいい。


 そう思っていたところで、また、遠くから悲鳴が上がった。

 翔太が笑った。


「今の、めっちゃびびってたな」


 春樹も笑いかけたけれど、真弓は笑わなかった。


「何がいるんだろ」

「それ、先に分かったら面白くないでしょ」


 綾香が言った。

 真弓が、その袖をもう少し強くつまんだ。


 先生に呼ばれた。

 俺は懐中電灯を受け取り、足元へ向けてスイッチを入れた。


「2人とも、券をもらってきてね」

「はい」


 優子も、小さく返事をした。

 カメラマンの人に声をかけられ、2人で顔を上げた。


 シャッターの音がした。

 横で、翔太が手を振っていた。


「行ってらっしゃい」

「うん。あとでね」


 答えて、優子を見た。


「行こっか」

「……うん」


 明るいところから、最初の一歩を踏み出した。

 2、3歩進むだけで、自分たちの足音がはっきり聞こえるようになった。


    * * 優子視点 * *


 勝也の持つ懐中電灯が、道を照らしていた。

 白い光の中に、土と小さな石、それから落ち葉が見えた。


 さっきまで聞こえていた翔太くんたちの声が、後ろで小さくなっていく。

 木の間を抜けてくる風は冷たかった。上着の袖から出ている手だけが、勝也とつながって暖かかった。


「ここ、ちょっと石あるね」


 勝也が足元を照らしてくれた。

 私は頷き、光の中へ足を出した。


「見えた。大丈夫」

「うん」


 曲がり角の先には、また道があった。

 その向こうにも木が並んでいた。


 勝也の腕へ、少し近づいた。

 道の脇に何かある気がして目を向けると、木の根元に重なった葉っぱだった。

 でも、分かったあとも、すぐには目を離せなかった。


「勝也」

「ん?」

「もう、いるのかな」

「どうだろう。まだ、入り口の近くだけど」


 勝也の持つ光が、少し先へ伸びた。

 そこには誰もいなかった。


「まだ、いないね」

「うん」


 答えたあとで、上の方ががさっと鳴った。

 2人とも足が止まった。


 勝也が光を上へ向けた。

 細い枝が揺れていた。


「……風だ」


 勝也が言った。

 私も、息を吐いた。


「びっくりした」

「ね。急に鳴るから」


 勝也は枝から光を下ろした。

 その時には、さっきより近くに立っていた。


「ごめん。手、強く握っちゃった?」

「ううん。平気」


 私も握っていた。

 どちらの方が先に力を入れたのか、分からなかった。


 少し歩くと、道の横に白いものが見えた。

 私は勝也の腕へ、もう片方の手も添えた。


「あそこ」

「うん。見えた」


 勝也も、そちらを見ていた。

 白いものは、木の脇で動かなかった。

 人が立っているように見えた。


「あれ、たぶん、そうだよね」

「うん」


 勝也の声が少し小さくなった。

 私たちは、白いものから目を離さないまま、ゆっくり近づいた。


 足が見えた。

 白い布の下から、運動靴が出ていた。


 やっぱり、人だった。

 そう思った時、反対側から声がした。


「わっ!」

「ファーーー‼︎」


 すぐ耳元で、ものすごい声が鳴った。


 私は肩を跳ねさせ、勝也の腕へしがみついた。

 懐中電灯の光が木を横切り、一瞬だけ、空を照らした。


 勝也の足が止まっていた。

 膝が少し曲がり、上がった肩がなかなか下りなかった。


 道の反対側に、仮面を着けた人が立っていた。

 その人も、すぐには動かなかった。


「……びっくりした」


 仮面の向こうから、声が聞こえた。


「それ、こっちの台詞だよ……」


 勝也が答えた。

 ようやく懐中電灯が足元へ戻った。


 私は勝也を見た。

 まだ、口が少し開いていた。


 怖かった。

 お化け役の人がいるのは分かっていたのに、反対側から声をかけられて、本当にびっくりした。


 でも、それよりも。


「……ふっ」


 声が漏れた。

 勝也が、こちらを見た。


「優子?」

「ごめん」


 口元を押さえた。

 押さえても、さっきの声が頭の中でもう1度鳴った。


「今の、声……」


 続きが言えなかった。

 肩が揺れた。


 仮面の人も、白い布の人も笑っていた。

 勝也は2人を見てから、また私を見た。


「そんなに変だった?」


 私は頷きかけ、途中で首を振った。

 どちらにしても、笑っている時点で同じだった。


「車みたいだった」

「車?」

「あの、クラクション……」


 言った途端、また笑ってしまった。

 勝也が自分の喉へ手を当てた。


「そんな声、出てた?」


 仮面の人が、強く頷いた。

 勝也は、そこは頷かなくてもいいのに、と少し困った顔をした。


「だって、あっちにいるって分かってたから」


 白い布の方を指した。


「こっちばっかり見てたんだよ」

「そういうやつだから」


 白い布の人に言われ、勝也が黙った。

 それを見て、また笑いそうになった。


 勝也の手が、私の手を握り直した。


「行こう。ここにいたら、また驚かされる」

「うん」


 2人の横を通り過ぎた。

 後ろから、気をつけて、と普通の声が聞こえた。


 少し離れてから、勝也が私を見た。


「大丈夫だった?」

「うん」


 答えて、もう1度、勝也の顔を見た。

 暗くてよく見えなかったけれど、心配してくれているのは分かった。


「勝也は?」

「大丈夫。ちょっと、びっくりしただけ」


 その、ちょっと、が可笑しかった。

 私は下を向いて笑った。


「すごい声だったよ」

「自分では、分かんないんだって」


 勝也も、とうとう笑った。


「優子まで、こんなに笑うと思わなかった」

「だって……」


 何と言ったらいいのか分からず、また笑った。

 勝也は困ったようにしていたけれど、私の手は離さなかった。


     * * *


 次の曲がり角まで来ると、さっきの人たちの声も聞こえなくなった。

 また、足元の光と、私たちの足音だけになった。


 勝也は、今度は道の両側を見ていた。

 右を照らし、左へ戻し、それから少し先を照らす。


「そこ、段差あるよ」

「うん」


 私がまたいでから、勝也も続いた。

 つないだ手が少し持ち上がり、また元の高さへ戻った。


「後ろからは、来ないよね」


 勝也が小さく言った。

 私は、思わず後ろを見た。


「来るの?」

「いや、分かんない。来ないといいなって」


 2人で、今来た道を振り返った。

 誰もいなかった。


「前、見よう」


 勝也が言った。


「前から来ても、困るし」


 まじめな声だった。

 私は唇を結んだ。

 さっきの声を思い出したら、また笑ってしまいそうだった。


 木の間に、次の矢印が見えた。

 勝也がそこを照らすと、その少し奥にも白いものがあった。


 今度は、人の顔だった。

 道の脇から、じっとこちらを向いていた。


 私は勝也の腕をつかんだ。

 勝也も足を止めた。


「……見えてるね」

「うん」


 白い顔は動かなかった。

 近づけば、何かするのかもしれない。

 でも、近づかなければ先へ行けなかった。


 勝也が、ゆっくり一歩進んだ。

 私も同じだけ進んだ。


「大丈夫。分かってれば、大丈夫だから」


 私へ言ってくれたのか、自分へ言っていたのか、少し分からなかった。


 白い顔の前まで来た。

 その人は、まだ動かなかった。


 横を通り過ぎようとした時、低い声がした。


「どこへ行く……」


 勝也が止まった。

 私も止まった。


「……チェックポイントです」


 勝也が答えた。


 少し間が空いた。

 白い顔の人が、小さく肩を揺らした。


「そうか……」


 返事が来た。

 私は勝也の腕に額を寄せかけた。

 ちゃんと答えるところまで、可笑しくなってしまった。


「あっちで、合ってますか」


 勝也が聞いた。

 白い顔が、ゆっくり道の先を向いた。


「合ってる」

「ありがとうございます」


 急に、普通の会話になった。

 勝也は小さく頭を下げて、歩き出した。


 少し進んでから、私を見た。


「今の人、先生だったよね」

「たぶん」

「声、聞いたことある気がする」


 そう言っている勝也の後ろで、急に音がした。

 乾いた大きな音だった。


「ファーッ‼︎」


 勝也が振り返った。

 私は驚いて目を閉じ、それから、もう我慢できなくなった。


「勝也……っ」


 声が笑いに変わった。

 歩こうとしたのに、うまく足が出なかった。


 勝也は後ろの人を見ていた。


「もう、終わったと思ったのに!」


 声だけは少し大きかったけれど、怒ってはいなかった。

 向こうの人が笑い、勝也も息を吐いて、こちらへ向き直った。


「優子、大丈夫?」


 私は頷いた。

 頷きながら、口元を押さえた。


「待って。ちょっと、待って」

「うん。待つけど」


 勝也が光を道の端へ寄せた。

 私はその腕をつかんだまま、笑いが収まるのを待った。


 自分がこんなところで、笑って歩けなくなるとは思わなかった。

 ほんの少し前まで、木の向こうに何があるのか気になって、勝也から離れられなかったのに。


 今は、次に勝也がどんな声を出すのかまで気になっていた。


「もう、声、出さない」


 勝也が言った。


「出ちゃうんじゃない?」

「出さないようにする」


 言い直した顔を見て、また笑ってしまった。

 勝也は、そんなに笑わなくても、と言ったけれど、その口元も少し緩んでいた。


「優子が怖くなくなったなら、いいけどさ」


 その言葉を聞いて、私は顔を上げた。


 勝也の肩に、私の肩が触れていた。

 笑っている間も、勝也はそのまま待っていてくれた。


「まだ、少し怖いよ」

「うん」

「だから、手は離さないでね」


 勝也が、つないだ手へ目を落とした。

 それから、私を見て頷いた。


「離さないよ」


 普通の、いつもの声だった。

 私は、ようやく笑いを収めて頷いた。


 少しずつ、また歩き始めた。

 勝也の懐中電灯が、私たちの足元を照らしていた。


     * * *


 次に見えた明かりは、木の向こうで動かなかった。

 近づくと、小さな机があった。

 その上に明かりが置かれ、先生が椅子に座っていた。


「お、来たね」


 先生が顔を上げた。

 勝也の肩から、少し力が抜けたのが分かった。


「チェックポイントですか」

「そう。2人とも、券を持っていってね」


 机の上に、紙が重ねてあった。

 先生が2枚取り、それぞれに渡してくれた。


「……ありがとうございます」


 受け取って、手元を見た。

 小さな四角い紙に、プリンの引換券だと分かる文字が印刷されていた。


 勝也も、自分の券を見ていた。


「これ、お風呂のあとですよね」

「うん。食堂へ持ってきてね。今、食べようとしないでよ」

「さすがに、紙は食べないです」


 勝也が答えると、先生が笑った。

 私も笑った。


 勝也は券を上着のポケットへ入れた。

 私も同じようにしまい、落ちないように奥まで押し込んだ。


「寒くなってきたね」


 先生が言った。


「はい。結構、冷えますね」

「戻ったら、暖かくしてね。出口は、そっちの道を進んだ先だから」


 先生が指した方に、また矢印があった。

 勝也が懐中電灯で照らし、頷いた。


「ありがとうございます」


 私も頭を下げた。

 先生は、気をつけて、と手を振ってくれた。


 机の明かりから離れると、また暗くなった。

 勝也は懐中電灯を少し先へ向けた。


「券、もらえたね」

「うん」

「翔太、これだけのために頑張りそう」


 勝也が自分のポケットを軽く押さえた。

 私は笑いながら、同じところへ手を添えた。


「食べるの、楽しみ」

「俺も」


 木の間で風が鳴った。

 2人ともそちらを見たけれど、今度は立ち止まらなかった。


 道の横には、落ち葉が重なっていた。

 木の根元や、少し奥の茂みにも光が当たった。

 誰もいなかった。


 勝也は時々、私の歩く方へ光を寄せてくれた。

 歩きにくいところでは少し速度を落とし、私が通ってから、同じ速さに戻った。


 驚いている時の声は、まだ頭に残っていた。

 思い出すたびに笑ってしまいそうだったけれど、こうして隣を歩く勝也は、やっぱり優しかった。


「優子?」


 見ていたことに気づかれた。


「何でもない」

「また、声、思い出した?」


 私は少し考え、頷いた。

 それだけではなかったけれど、間違いでもなかった。


「そんなに?」

「うん。たぶん、明日も思い出しちゃう」

「明日まで?」


 勝也が困った声を出した。

 その顔を見て、また笑った。


「翔太くんたちにも、聞こえてたかな」

「……聞こえてないといいなあ」


 勝也が、道の先を見た。

 向こうに、明かりが見え始めていた。


 それを見たら、ほっとした。

 まだつないでいた手を少し持ち上げると、勝也もそちらを見た。


「出口、あそこかな」

「そうだね。先生、いる」


 人の声も聞こえてきた。

 木の間を抜けると、急に周りが明るくなった。


 先生が、こちらへ手を上げた。


「お帰り。券、2人とももらえた?」


 頷いて、ポケットから出した。

 勝也も隣で見せた。


「はい、確認できました。しまっておいてね」


 勝也が懐中電灯を返した。

 カメラマンの人がこちらを向いたので、私は慌てて顔を上げた。


「楽しかった?」


 聞かれて、勝也を見た。

 勝也もこちらを見た。


「……はい」


 答えると、勝也が少し笑った。

 そのまま、写真を撮られた。


    * * 勝也視点 * *


 明るいところへ戻ってきたら、道を照らさなくても足元が見えた。

 それだけで、こんなに楽なのかと思った。


 優子が隣で、まだ少し笑っていた。


「全然平気だったな」


 言うと、優子が俺を見上げた。

 口を開きかけて、それから下を向いた。


「……そう、だね」


 明らかに笑っていた。


「何で、そこで笑うの」

「勝也、声が……」

「びっくりしただけだって」


 言ってから、自分でも少し笑ってしまった。

 優子がこんなに楽しそうにしているなら、まあ、よかったのかもしれない。

 喉は、少しだけ変な感じがしたけれど。


 広場を見回すと、翔太と春樹が入り口の近くにいた。

 真弓と綾香の姿はなかった。


 翔太が俺たちに気づき、手を振った。


「お帰り。どうだった?」

「うん。大丈夫だったよ」


 近づきながら答えた。

 春樹が、俺の顔を見た。


「さっき、すごい声しなかった?」

「いろんな声、してたね」

「うん。その中に、勝也みたいなのあったけど」


 優子の肩が揺れた。

 春樹が、そちらを見た。


「……やっぱり?」

「何が、やっぱりなの」


 俺が言うと、春樹が笑った。

 翔太も、そうだよな、と頷いていた。


「あれ、クラクションみたいじゃなかった?」


 優子が口元へ手を当てた。

 そちらを見てから、翔太を見た。


「優子にも、同じこと言われた」


 2人が笑った。


「やっぱ、お前じゃん!」

「だから、びっくりしたんだって」

「そんな声出すほど、何がいたの?」


 翔太が道の方を見た。

 俺は、少し考えた。


「行ったら、分かるよ」

「教えてよ」

「先に知ってたら、面白くないでしょ」


 さっき綾香が言っていたのと同じことを言った。

 翔太が嫌そうな顔をしたので、春樹がまた笑った。


「まあ、分かってても驚くけど」


 俺が付け足すと、2人とも黙った。


「それ、言わなくてよくない?」


 春樹が言った。


「ごめん。今のは、忘れて」

「忘れられないでしょ」


 優子が、つないだ手を少し揺らした。

 笑いをこらえているのが伝わってきた。


 林の方から、真弓の声がした。


「やだ! ちょっと、待って!」


 かなりよく聞こえた。

 翔太がそちらを向き、口を閉じた。


「……今の、真弓だよな」

「たぶん」


 春樹も道の方を見た。

 俺は、入り口から少し奥を眺めた。


 誰も見えなかった。

 声だけが聞こえてきた。


「綾香の声、聞こえないね」


 俺が言うと、春樹が頷いた。


「あいつ、そういうの平気だから」

「さっきも、普通に入ってった」


 翔太が言った。

 そのあと、自分たちの前に置かれた懐中電灯を見た。


「俺たちも、あれ持ってけば大丈夫か」

「暗いのは、見えるようになるけどね」


 春樹が言った。


「今日、お前、そういうことばっか言うじゃん」

「ごめん。俺も、あんまり余裕ない」


 春樹は笑った。

 翔太も笑いかけ、途中で林の方へ目を戻した。


 先生が、手元の無線を聞いていた。

 短く返事をしたあと、翔太たちへ声をかけた。


「前の組がチェックポイントを通ったから、次の2人、どうぞ」


 翔太が春樹を見た。

 春樹が、懐中電灯を取った。


「行こうか」

「おう」


 翔太は、すぐには動かなかった。

 春樹に、行くよ、ともう1度言われ、ようやく足を出した。


 カメラマンの人に顔を向けた時だけ、2人とも笑った。

 写真を撮り終え、道へ向き直ると、また静かになった。


「帰ってきたら、プリンだから」


 翔太が言った。


「お風呂のあとね」


 春樹が返した。


「……そうだった」


 2人の声が、少しずつ遠ざかっていった。


     * * *


 出口の近くへ戻り、優子と並んで待った。

 ここなら、戻ってくる2人がよく見えた。


「……加藤さん、大丈夫かな」


 優子が言った。


「綾香が一緒だから、大丈夫だと思うよ」


 そう答えたところで、出口の道に光が見えた。

 懐中電灯を持っていたのは綾香だった。

 そのすぐ横に、真弓がいた。


 袖をつまむどころではなく、綾香の腕を両手でつかんでいた。

 綾香が歩けば、同じだけ歩く。少し止まれば、真弓もぴったり止まった。


「もう、出たよ」


 綾香が言った。

 真弓は頷いたけれど、まだ後ろを見ていた。


 出口の先生が券を確認し、綾香から懐中電灯を受け取った。

 真弓はポケットへ手を入れる時だけ片手を離し、券をしまうと、また綾香の腕をつかんだ。


「真弓」


 声をかけると、こちらを見た。

 目の下が、少し濡れていた。


「……終わった」

「うん。お帰り」

「もう、行かない」


 真弓が言った。

 綾香は、1回で終わりだから、と頷いた。


 カメラマンの人がこちらへ顔を向けた。

 真弓はそれに気づき、袖を目元へ持っていきかけ、慌てて自分のポケットを探した。


「ちょっと待って。今、無理」


 カメラマンの人が笑って、カメラを下ろした。

 真弓はハンカチを出し、目の下へ押し当てた。


 優子が、俺の隣から少し身を乗り出した。


「……大丈夫?」

「うん。ありがとう。びっくりしただけ」


 真弓は答え、息を吐いた。

 綾香の腕から手を離し、自分の上着の前を押さえた。


「心臓、まだ変」

「そんなに怖かった?」


 俺が聞くと、真弓が顔を上げた。


「怖かったよ。勝也、平気だったの?」


 優子が下を向いた。


「……まあ、俺も、びっくりはしたけど」

「あの声、勝也でしょ」


 綾香が言った。

 俺はそちらを見た。


「何で、皆分かるの」

「聞こえたから」


 綾香の答えに、優子が小さく笑った。

 真弓も、それは聞こえた、と頷いた。


「あれ聞いて、行くの嫌になったんだからね」

「それは、ごめん」


 謝ると、真弓がハンカチで口元を押さえた。

 少しだけ、笑っていた。


「ほんとに、何の声かと思った」

「自分でも、あんなの出ると思わなかったよ」


 優子が俺の手を握り直した。

 隣を見ると、まだ笑っていた。


 真弓もようやく顔を上げた。

 それから、出口の道を振り返った。


「でも、最後のは、ないって」


 声が少し低くなった。


「最後?」


 聞き返した。

 真弓は俺を見た。


「着物のやつ」

「着物?」

「ほら。血が付いてるやつ。道の横に立ってたでしょ」


 すぐには、何の話か分からなかった。

 白い布をかぶっていた人のことかと思い、そこを聞いた。


「最初の、あの白いの?」

「違う。券もらったあと」


 真弓がポケットを押さえた。


「もうすぐ出口だと思って、ちょっと安心してたところにいたの」


 俺は優子を見た。

 優子も、俺を見ていた。


「……いた?」


 小さく聞くと、優子は首を振った。


「……誰も、いなかったよね」

「うん。俺も、見てない」


 真弓がハンカチを下ろした。


「いたって」

「いや、俺たちの時は、本当にいなかったよ」

「着物に、赤いのが付いてて。髪で、顔がよく見えなくて」


 真弓は自分の頬の横へ手を添えた。

 その手を下ろす前に、また出口の方を見た。


「何も言わないの。こっちが通っても、ずっと立ってて」


 綾香が頷いた。


「私も見たよ。券をもらって、少し歩いたところ」


 綾香まで言うので、俺はもう1度、通ってきた道を思い返した。

 先生の机を離れて、矢印を見て、道を歩いた。

 木も、茂みも照らした。


 着物の人なんて、いなかった。


「綾香も、びっくりした?」

「うん。急に人が見えたから、一瞬ね」


 綾香は言ってから、真弓を見た。


「でも、真弓の方がすごかった。急に止まって、腕引っ張るから」

「だって、あんなところにいると思わないじゃん」

「私も、思わなかったけど」


 綾香が、さっきつかまれていた袖を軽く直した。

 真弓は、ごめん、と小さく言った。


「勝也たちが通った時は、出てなかったんじゃない?」


 綾香が俺を見た。


「そうなのかな」

「たまたま、出てくるタイミングが違ったとか」


 そう言われれば、その方が自然だった。

 俺たちと2人が通った時間は違う。

 同じ道でも、全く同じように驚かされるとは限らないのかもしれない。


 真弓が、まだ納得しきれない顔で俺たちを見た。


「本当に、いなかった?」

「うん。券をもらったあとには、絶対いなかった」


 俺は答えた。

 優子も、隣で頷いた。


「……勝也が、横も照らしてくれてたから」


 真弓が口を閉じた。

 それから、少しだけ肩を落とした。


「いいな。私も、その時に行きたかった」


 綾香が、真弓の肩に手を添えた。


「もう戻ってきたから。あと、翔太たち待とう」


 その名前が出た時だった。

 林の方から、叫び声が聞こえた。


「うわあああっ!」


 少し重なるように、もう1人の声が続いた。


「うわっ、ちょっと!」


 4人とも、そちらを見た。


 俺は、つい笑ってしまった。

 隣で優子も肩を揺らした。


「……今の、翔太くん?」

「たぶん、最初のが翔太。あとが春樹」


 答えると、綾香が頷いた。


「2人とも、分かりやすいね」


 真弓が、ハンカチを握ったまま笑った。


「さっき、人のこと笑ってたくせに」


 また声がした。

 今度は、何と言っているのかまでは分からなかった。

 でも、2人いることだけはよく分かった。


「あれ、驚かしてる方も、楽しいだろうな」


 俺が言うと、綾香がこちらを見た。


「勝也の時も、そうだったんじゃない?」


 優子が、とうとう声を出して笑った。


「……うん。お化けの人も、笑ってた」

「優子まで、言わなくても」


 思わずそちらを見た。

 優子は口元を押さえたまま、少しだけ俺へ寄った。


「……ごめん」


 謝っているのに、まだ笑っていた。

 真弓も、その様子を見て笑った。


 風が吹いた。

 俺はポケットの中で、券が入っているのを確かめた。

 薄い紙の角が、指に触れた。


「プリン、もらえなかったらどうしようとか、言ってたよ」


 翔太たちが出発する前のことを話すと、真弓が目を上げた。


「そこまで言ってた?」

「顔に、出てた」

「それ、勝也が思っただけじゃん」


 真弓が笑った。

 ようやく、いつもの調子へ戻ってきたようだった。


 しばらくすると、叫び声が聞こえなくなった。

 たぶん、先生のいるところまで行ったのだろうと思った。


 優子が自分の上着の袖を引いた。

 俺は少しだけ身体の向きを変え、風が来る方へ立った。


「寒い?」

「……ちょっとだけ」

「もうすぐ、2人も戻ってくると思うよ」


 優子は頷いた。

 つないだ手を、俺の腕に近い方へ寄せた。


 出口の道を見た。

 まだ誰も見えなかった。


     * * *


 先に聞こえてきたのは、足音だった。

 そのあとで、木の間に懐中電灯の光が見えた。


 光が揺れていた。

 揺れながら、だんだん近づいてきた。


「来た」


 綾香が言った。


 翔太と春樹が、並んで歩いていた。

 肩がぶつかりそうなくらい近かった。

 懐中電灯を持っている春樹のもう片方の手を、翔太が握っていた。


 俺は2人を見て、それから、その手を見た。


「……何してんの」


 声が漏れた。


 翔太がこちらに気づいた。

 気づいても、手は離さなかった。


「終わり\!?」


 まず、そう聞いた。

 出口の先生が頷いた。


「お帰り。ここで終わりだよ」


 2人が、同時に立ち止まった。

 春樹が息を吐き、翔太が腰を曲げた。

 それでも、手はつながったままだった。


 真弓が口元を押さえた。

 俺も、もう笑っていた。


「お前ら、何で手つないでるの」


 聞くと、翔太が自分の手を見た。

 春樹も見た。


「……離して」


 春樹が言った。


「お前も、握ってたじゃん」

「そうだけど。もう、着いたから」


 ようやく手が離れた。

 そのタイミングで、カメラのシャッターが鳴った。


 翔太が顔を上げた。


「今の、撮った?」


 カメラマンの人が笑っていた。

 翔太は何か言いかけたけれど、先生から券を見せるように言われ、先にポケットを探した。


「ある。あります」


 紙を出した。

 春樹も、自分の券を見せた。


「はい。2人とも、忘れずにもらえたね」


 先生が頷いた。

 春樹が懐中電灯を返し、俺たちの方へ歩いてきた。


 明るいところで見ると、2人とも目元が赤かった。

 春樹は眼鏡を直し、何も言わずに深く息を吐いた。

 翔太は俺の顔を見るなり、指を向けた。


「全然、大丈夫じゃないじゃん!」

「戻ってこれたでしょ」

「そういう話じゃないって!」


 真弓が笑い出した。

 翔太がそちらを見た。


「何で笑ってんの」

「さっき、私たちのこと笑ってたじゃん」

「あんなの、知らなかったから!」


 翔太は言って、出口の方を振り返った。

 春樹も、同じように振り返った。


 それがまた揃っていたので、俺は顔を伏せた。


「声、すごかったよ」


 言うと、春樹がこちらを見た。


「勝也にだけは、言われたくない」

「俺より、回数、多かったと思うけど」

「途中から、数えてない」


 春樹の返事に、優子も笑った。


 翔太が、優子を見た。


「優子、平気だったの?」

「……びっくりは、したけど」


 優子は答えてから、俺を見た。


「……勝也の声が、面白くて」


 また、そこだった。

 翔太が俺を見た。


「ずるい。俺も、そっちがよかった」

「俺、驚かしに行ったんじゃないんだけど」

「笑ってたら、怖くないじゃん」


 春樹が翔太の肩を軽く叩いた。


「俺の声でも、笑えばよかったのに」

「お前の声で、余計にびびった」

「それは、俺も同じ」


 綾香が、2人の顔を順に見た。


「自分たちで怖くしてたんじゃない?」


 春樹が少し考えた。

 翔太も考えた。


「……それは、ちょっとあった」


 先に、春樹が認めた。

 俺たちはまた笑った。


 笑っているうちに、翔太も少しずつ普段の顔へ戻ってきた。

 でも、林の方で誰かの声がすると、まだ肩が動いた。


「最初、片方にいるの見えたじゃん」


 翔太が言った。

 俺は頷いた。


「見えた」

「だから、そっち見てたらさ」

「反対から、来たね」

「あれ、ひどいって!」


 翔太が力を込めて言った。

 俺も、そこだけは大きく頷いた。


「分かる。あれは、びっくりする」

「先に教えてくれればよかったのに」

「それ、知ってたら、ただの散歩になっちゃうでしょ」


 真弓が言った。

 翔太がすぐに返した。


「散歩でよかった!」


 春樹も隣で頷いた。

 綾香が、じゃあプリンだけ欲しかったんだ、と笑った。


「プリンは欲しいよ」


 翔太は真顔で答え、自分の券をもう1度見た。

 紙の端が、少し折れていた。


「でも、最後のは、本当に無理だった」


 春樹が言った。

 真弓が、笑うのをやめた。


「着物?」


 春樹が顔を上げた。


「うん」


 翔太も、すぐに頷いた。


「そう! あれ!」


 俺は優子を見た。

 優子の顔からも、少し笑いが消えていた。


「やっぱり、いたんだ」


 真弓が言った。

 翔太が、どういう意味だという顔をした。


「いたじゃん。めっちゃ血付いてるやつ」

「勝也たちは、いなかったって」


 真弓がこちらを向いた。

 翔太と春樹も俺たちを見た。


「え?」


 翔太の口が開いた。


「あれ、見てないの?」

「うん。俺たちが通った時は、誰もいなかったよ」

「嘘だろ」

「本当だって」


 翔太が、今出てきた道を指した。


「券もらって、こっちに戻ってくるところだぞ」

「うん。そこは、優子と2人で歩いてきた」

「いや、俺たちも2人で歩いてきたけど!」


 そこだけ聞けば、いつものやり取りだった。

 でも、翔太の顔は、さっきより真剣だった。


「木の横に、立ってたんだって。こっちに顔向けて」


 春樹が、翔太の言葉を引き取った。


「顔、髪で隠れてたから、どこ見てたのかまでは分かんないけど」

「でも、こっち向いてたじゃん」

「うん。向きは、こっちだった」


 真弓が頷いた。


「そう。それ。着物も、袖のところとか赤くなってて」

「それだよ!」


 翔太の声が大きくなった。

 すぐ近くを通った別の班の子がこちらを見たので、春樹が、声、と小さく言った。


 翔太は口を閉じた。

 でも、俺を見る目は、そのままだった。


「……絶対、いたからな」


 今度は小さな声だった。


「うん。2人が見たのは、分かったよ」


 俺は答えた。


「でも、俺たちの時には、本当にいなかったんだよ」


 優子も頷いた。


「……その辺り、明かり、当ててたから」


 翔太が、何か言いかけてやめた。

 春樹は腕を組み、道の方を見ていた。


「休憩してたのかな」


 綾香が言った。


「勝也たちの時だけ」

「じゃあ、俺たちの時も休憩しててほしかった」


 翔太がすぐに言った。

 真弓が、それはそう、と頷いた。


 春樹は、少し黙っていた。

 それから眼鏡を押し上げた。


「何も言わなかったから、余計に怖かった」


 真弓がまた頷いた。


「分かる。わっ、て言ってくれた方が、まだよかった」

「あのまま追いかけてきたら、どうしようって思った」


 翔太が言った。

 春樹が、その袖をつまんだ。


「それを、歩きながら言うから」

「だって、思ったんだもん」

「言われたら、俺も後ろ気になるでしょ」


 綾香が笑った。


「だから、2人で手つないでたんだ」


 翔太が口を閉じた。

 春樹は否定しなかった。


「もう、離れたくなかった」


 春樹がそう言ったので、俺はまた笑ってしまった。

 真弓も、うん、それは分かる、と笑いながら頷いた。


     * * *


 花沢先生が、広場を回ってきた。

 俺たちの前で足を止め、顔を順に見た。


「6人とも、戻ってきたね。券は持ってる?」


 それぞれ、ポケットを確かめた。

 翔太はさっきから握っていた券を、そのまま見せた。


「あります」

「よかった。なくさないように、しまってね」


 先生に言われ、翔太はようやく紙をポケットへ戻した。


「終わった班から、お部屋へ戻っていいですよ。冷えてきたから、入浴の準備をしてね」


 真弓が、よかった、と息を吐いた。

 春樹も頷き、建物の方へ身体を向けた。


 先生が優子を見た。


「優子さんは、どうだった? 楽しめた?」


 優子は俺を見てから、先生へ顔を戻した。


「……はい。怖かったけど、楽しかったです」


 声の最後が、少し笑っていた。

 先生も笑った。


「そう。よかったね」


 俺たちは頭を下げ、広場を離れた。

 明かりのある通路へ来ると、翔太の歩く速さが少し落ちた。


「もう、終わりだよな」

「終わりだって、先生が言ってたでしょ」


 春樹が答えた。

 でも、自分も通路の脇を見ていた。


「ここで誰か出てきたら、俺、無理」


 真弓が言った。


「出てこないって」


 綾香はそう答え、建物の入り口を指した。


「ほら。もう着くよ」


 中へ入ると、風が止まった。

 それだけで、肩の力が抜けた。


「あったか……」


 翔太が言った。

 真弓も、同じように息を吐いた。


「朝も寒かったけど、夜もすごいね」

「待ってる間に、手、冷たくなった」


 春樹が指を曲げたり伸ばしたりした。

 翔太も自分の手を見てから、春樹を見た。


「さっき、お前の手、めっちゃ冷たかったもん」

「お前もね」


 真弓がまた笑った。

 翔太が、不満そうにそちらを見た。


「何だよ」

「いや。ちゃんと覚えてるんだと思って」

「そりゃ、覚えてるだろ」


 翔太は答えてから、俺と優子の手を見た。


「お前らも、ずっとつないでたんだろ」

「うん」


 俺が頷くと、翔太は、ほら、と言った。

 何に対する、ほら、なのかは分からなかったけれど、春樹はもう突っ込まなかった。


 部屋へ戻り、上着を脱いだ。

 プリンの券を入れたままだったことを思い出し、先に取り出した。


 優子も、自分の券を出していた。

 濡らさないように鞄へしまい、入浴の支度を始めた。


 翔太は畳へ座り、しばらく足を伸ばしていた。

 春樹がその横へ腰を下ろすと、また、最後の着物の話が始まった。


「あれ、誰だったんだろうな」

「顔、分かんなかったからね」

「声、出してくれれば分かったかもしれないのに」


 真弓がタオルを出しながら言った。

 綾香は、そうだね、と答えた。


 俺には、会話へ付け足せるものがなかった。

 優子も、支度をしながら4人の話を聞いていた。


    * * 優子視点 * *


 着物の人の話になると、4人とも同じところで頷いた。

 券をもらったあと。

 出口へ戻る途中。

 道の横の、木のそば。


 私も、そこを歩いてきた。

 勝也と話しながら、懐中電灯で照らされた道を見ていた。

 木の横に人が立っていたら、気づいたと思う。


 鞄の中で、引換券の端を指で押さえた。

 これを受け取ったところまでは、皆も同じだった。

 でも、その先の話だけが違っていた。


「優子」


 勝也に呼ばれ、顔を上げた。

 勝也は、自分のタオルを手に持っていた。


「準備、できた?」

「……うん」


 袋を持ち上げて見せた。

 勝也が頷いた。


「じゃあ、あとは順番、待ってようか」


 私も頷き、勝也のそばへ座った。

 肩が触れるくらいのところへ座ると、勝也は少しこちらを見て、笑った。


 その顔を見ていたら、さっきの声を思い出した。


 白い顔の人に、まじめに道を聞いていたところも。

 もう声は出さないと言っていたところも。


 口元が緩んだ。

 勝也が、不思議そうにこちらを見た。


「どうしたの?」

「……何でもない」


 首を振った。

 勝也は少し考えて、それから、小さく息を吐いた。


「また、思い出したでしょ」


 私は頷いた。

 勝也も、諦めたように笑った。


「明日も言われそうだなあ」

「……たぶん」


 勝也がこちらを見た。

 その顔が可笑しくて、また笑った。


 怖いところを歩いてきたはずなのに、私の頭にいちばん残っているのは、勝也の声だった。

 笑いが収まるまで、手をつないだまま待っていてくれたことも、覚えていた。


「何笑ってんの?」


 翔太くんが聞いた。

 私が答えるより先に、勝也が自分の喉を指した。


「俺の、さっきの声」

「ああ」


 翔太くんが笑った。

 春樹くんも笑い、加藤さんが、それ聞いたらこっちまで思い出す、と口元を押さえた。


 いつもの勝也たちの声だった。

 私は袋を膝へ載せ、その中で一緒に笑った。


 少しして、翔太くんがまた口を開いた。


「でも、最後のやつは、本当にいたからな」


 加藤さんと春樹くんが頷いた。

 井上さんも、見たよ、と言った。


 勝也が、私を見た。

 私も、勝也を見た。


 私たちが通った時には、絶対にいなかった。

 そのことだけは、2人とも、ちゃんと覚えていた。


今回の登場人物


・鵜飼 勝也

優子と最初に肝試しへ出発する。平気だと強がるものの、大きな悲鳴を上げ、優子や待機中の友人たちに笑われる。驚きながらも優子の手を離さず、足元を照らして一緒に歩く。チェックポイントの先で着物姿を見たという4人の話には、自分たちが通った時には誰もいなかったと答える。


・富田 優子

勝也と手をつないで肝試しに参加する。初めは怖がるが、勝也のクラクションのような悲鳴に笑い、次第に楽しめるようになる。帰還後も友人たちの掛け合いに笑う一方、チェックポイント以降の目撃談には、勝也とともに首を傾げる。


・加藤 真弓

綾香と2番目に出発する。道中で何度も驚き、チェックポイントを過ぎた場所でも血濡れの着物姿を目撃して、半泣きで戻る。勝也・優子には見えていなかったと聞いても、確かにいたと譲らない。


・井上 綾香

真弓と組み、懐中電灯を持って歩く。怖いものには強いが、予想外の場所に立つ着物姿には一瞬驚く。帰還後は落ち着いて、自分も見たと証言する。


・鳥居 翔太

プリンの引換券に喜び、春樹と最後に出発する。道中では何度も絶叫し、終盤は春樹と手をつないだまま歩く。帰還後、勝也・優子だけが着物姿を見ていないと知り、目撃したことを強く主張する。


・鶴見 春樹

翔太と肝試しへ参加する。互いの声や言葉で余計に怖くなり、翔太と手をつないで帰還する。チェックポイントの先で見た着物姿について、髪で顔がよく見えず、声も出さなかったと話す。


・花沢先生と肝試しを担当する先生たち

順路と引換券の説明、出発の間隔調整、チェックポイントでの券の配布、出口での確認を行う。花沢先生は帰還した6人を確かめ、優子に楽しめたか尋ねてから、宿泊棟へ戻って入浴の準備をするよう案内する。


・お化け役の生徒たち

道中で待機し、生徒たちを驚かせる。勝也の大きな悲鳴には、お化け役の方まで驚いて笑ってしまう。


・学校契約のカメラマン2人

入り口と出口に分かれ、出発前と帰還した生徒たちの姿を撮影する。

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