第45話 林間学校2日目 夜 その1
* * 勝也視点 * *
先生のそばまで来ると、林へ続く道がよく見えた。
見えたのは、入り口の少し先までだった。
建物から離れたところで道が曲がり、その向こうは木の影に隠れていた。昼間なら何でもない場所なのだろうけれど、今は、そこへ入っていく人の背中まで暗がりに吸い込まれそうだった。
優子が俺の手を握り直した。
隣を見ると、優子も同じ方を見ていた。
「……あそこ、歩くのかな」
「たぶん、そうだね」
答えてから、もう1度、道を見た。
風が吹き、木の上の方がざわざわと鳴った。
「昼間、こんなだったっけ」
翔太が言った。
「木は、昼間からあったよ」
「そういう話じゃなくて」
春樹へ言い返し、翔太は上着の前を首元まで閉めた。
その隣で、真弓も両腕をさすっていた。
「寒い。さっきまで火のそばにいたから、余計に」
「踊ってた時は、平気だったのにね」
綾香が言った。
俺も、優子をつないでいない方の手をポケットへ入れた。指先が冷えていた。
先生が懐中電灯を持ち上げた。
あちこちの話し声が少しずつ静かになったところで、説明が始まった。
「このあとは、2人1組で順番に出発します。道の途中に目印がありますから、それに沿って進んでください。道から外れたり、前の組を追い越したりしないこと」
先生は入り口の横に付けられた目印を照らした。
白い矢印が、林の方を指していた。
「途中にチェックポイントがあります。そこにいる先生から、これを受け取ってください」
小さな紙を持った手が上がった。
前の方にいた生徒が、何それ、と声を出した。
「今夜のデザート、プリンの引換券です」
翔太の顔が上がった。
「プリン?」
「1人1枚ずつもらって、出口まで持ってきてください。順路を回った確認にもなります。お風呂から上がったあと、食堂で引き換えて食べますから、なくさないように」
周りから、プリンあるんだ、という声が聞こえた。
翔太が俺たちを振り返った。
「聞いた? プリンだって」
「聞いてるよ」
真弓が言った。
「ちゃんと行かなきゃ」
「さっきまで、あそこ歩くのかって顔してたのに」
「プリンあるなら、話は別じゃん」
翔太は暗い道を見直した。
少し間が空いた。
「……まあ、暗いけど」
「そこは、変わらないからね」
春樹が言った。
優子が、俺の隣で小さく笑った。
懐中電灯は各組に1本ずつだった。使い終えたら出口で返すように言われた。
お化け役の生徒や先生もいるけれど、びっくりして押したり、走り出したりしないこと。困った時は、その場で先生を呼ぶこと。
説明を聞きながら、俺は懐中電灯を持つ手と、優子をつなぐ手を頭の中で確かめた。
右手にライトを持てばいい。
左手は、そのままでいられる。
「戻ってくるところ、こっちなんだ」
春樹が広場の反対側を見た。
木の間から出てくる別の道があって、その先に先生が立っていた。出発する場所とは少し離れているけれど、同じ広場へ戻ってくるらしかった。
入り口では、カメラマンの人が先生と話していた。
もう1人は、出口の方でカメラを構え直している。
「帰ってきた顔、撮られるんだ」
真弓が言った。
「泣いてても?」
「泣く予定なの?」
綾香が聞いた。
「予定じゃないけど、分かんないじゃん」
「じゃあ、笑って帰ってこよう」
「それができたら、聞いてないって」
真弓はそう言って、綾香の上着の袖をつまんだ。
その指を見て、綾香が少し笑った。
「一緒に行く?」
「うん。行く」
返事が早かった。
翔太が春樹を見た。
春樹も翔太を見た。
「俺たち?」
「そうなるね」
「お前、先歩いてよ」
「2人で歩けばいいでしょ」
春樹は言ってから、俺の方を向いた。
「勝也たちは、一緒でいいよね」
「うん」
優子を見て答えた。
優子も頷いた。
「……よろしく、お願いします」
「そんな、改まらなくても」
笑うと、優子も少し笑った。
その顔を見たら、さっきまで気になっていた暗がりから、少しだけ目を離せた。
「俺たち、最初に行こうか」
そう言うと、翔太がすぐに頷いた。
「じゃあ、次、真弓たちな」
「私たちが2番目?」
「うん。最後、俺と春樹」
「最後なら怖くないと思ってる?」
綾香に聞かれて、翔太は首を振った。
「そんなこと、思ってないけど」
「じゃあ、最初でもいいんじゃない?」
「勝也が行くって言ったじゃん」
春樹が横で笑った。
「俺たちが最後でいいよ。後ろ、気にしなくて済むし」
「……後ろ?」
真弓が振り返った。
まだ出発する前なのに、6人とも一度、背後を見た。
いたのは、順番を待つほかの班だった。
「変なこと言わないで」
「ごめん」
春樹が笑いながら謝った。
俺も笑ったけれど、道へ入ってから同じことを言われたら、たぶん笑えなかった。
* * *
少しずつ、前の組が林へ入っていった。
懐中電灯の丸い光が木の幹を通り過ぎ、道が曲がったところで見えなくなる。
しばらくすると、向こうから悲鳴が聞こえた。
優子の肩が動いた。
俺も、つい同じ方を見た。
「……結構、聞こえるね」
「うん」
何がいるのかは見えない。
声だけが聞こえるせいで、余計に気になった。
優子が俺を見上げた。
「勝也、大丈夫……?」
「大丈夫だよ」
すぐに答えた。
春樹が隣で、こっちを見た気がしたけれど、そちらへは顔を向けなかった。
「全然平気」
「……そっか」
優子は頷いてから、少しだけ首を傾げた。
「バスで、井上さんが……」
「あれは、ゲームだから」
最後まで聞く前に答えてしまった。
「ここは、皆がやってるやつだし」
「……うん」
「誰かいるって、分かってるから」
優子の指を軽く握り直した。
それは間違っていない。
分かっているのだから、驚かなければいい。
そう思っていたところで、また、遠くから悲鳴が上がった。
翔太が笑った。
「今の、めっちゃびびってたな」
春樹も笑いかけたけれど、真弓は笑わなかった。
「何がいるんだろ」
「それ、先に分かったら面白くないでしょ」
綾香が言った。
真弓が、その袖をもう少し強くつまんだ。
先生に呼ばれた。
俺は懐中電灯を受け取り、足元へ向けてスイッチを入れた。
「2人とも、券をもらってきてね」
「はい」
優子も、小さく返事をした。
カメラマンの人に声をかけられ、2人で顔を上げた。
シャッターの音がした。
横で、翔太が手を振っていた。
「行ってらっしゃい」
「うん。あとでね」
答えて、優子を見た。
「行こっか」
「……うん」
明るいところから、最初の一歩を踏み出した。
2、3歩進むだけで、自分たちの足音がはっきり聞こえるようになった。
* * 優子視点 * *
勝也の持つ懐中電灯が、道を照らしていた。
白い光の中に、土と小さな石、それから落ち葉が見えた。
さっきまで聞こえていた翔太くんたちの声が、後ろで小さくなっていく。
木の間を抜けてくる風は冷たかった。上着の袖から出ている手だけが、勝也とつながって暖かかった。
「ここ、ちょっと石あるね」
勝也が足元を照らしてくれた。
私は頷き、光の中へ足を出した。
「見えた。大丈夫」
「うん」
曲がり角の先には、また道があった。
その向こうにも木が並んでいた。
勝也の腕へ、少し近づいた。
道の脇に何かある気がして目を向けると、木の根元に重なった葉っぱだった。
でも、分かったあとも、すぐには目を離せなかった。
「勝也」
「ん?」
「もう、いるのかな」
「どうだろう。まだ、入り口の近くだけど」
勝也の持つ光が、少し先へ伸びた。
そこには誰もいなかった。
「まだ、いないね」
「うん」
答えたあとで、上の方ががさっと鳴った。
2人とも足が止まった。
勝也が光を上へ向けた。
細い枝が揺れていた。
「……風だ」
勝也が言った。
私も、息を吐いた。
「びっくりした」
「ね。急に鳴るから」
勝也は枝から光を下ろした。
その時には、さっきより近くに立っていた。
「ごめん。手、強く握っちゃった?」
「ううん。平気」
私も握っていた。
どちらの方が先に力を入れたのか、分からなかった。
少し歩くと、道の横に白いものが見えた。
私は勝也の腕へ、もう片方の手も添えた。
「あそこ」
「うん。見えた」
勝也も、そちらを見ていた。
白いものは、木の脇で動かなかった。
人が立っているように見えた。
「あれ、たぶん、そうだよね」
「うん」
勝也の声が少し小さくなった。
私たちは、白いものから目を離さないまま、ゆっくり近づいた。
足が見えた。
白い布の下から、運動靴が出ていた。
やっぱり、人だった。
そう思った時、反対側から声がした。
「わっ!」
「ファーーー‼︎」
すぐ耳元で、ものすごい声が鳴った。
私は肩を跳ねさせ、勝也の腕へしがみついた。
懐中電灯の光が木を横切り、一瞬だけ、空を照らした。
勝也の足が止まっていた。
膝が少し曲がり、上がった肩がなかなか下りなかった。
道の反対側に、仮面を着けた人が立っていた。
その人も、すぐには動かなかった。
「……びっくりした」
仮面の向こうから、声が聞こえた。
「それ、こっちの台詞だよ……」
勝也が答えた。
ようやく懐中電灯が足元へ戻った。
私は勝也を見た。
まだ、口が少し開いていた。
怖かった。
お化け役の人がいるのは分かっていたのに、反対側から声をかけられて、本当にびっくりした。
でも、それよりも。
「……ふっ」
声が漏れた。
勝也が、こちらを見た。
「優子?」
「ごめん」
口元を押さえた。
押さえても、さっきの声が頭の中でもう1度鳴った。
「今の、声……」
続きが言えなかった。
肩が揺れた。
仮面の人も、白い布の人も笑っていた。
勝也は2人を見てから、また私を見た。
「そんなに変だった?」
私は頷きかけ、途中で首を振った。
どちらにしても、笑っている時点で同じだった。
「車みたいだった」
「車?」
「あの、クラクション……」
言った途端、また笑ってしまった。
勝也が自分の喉へ手を当てた。
「そんな声、出てた?」
仮面の人が、強く頷いた。
勝也は、そこは頷かなくてもいいのに、と少し困った顔をした。
「だって、あっちにいるって分かってたから」
白い布の方を指した。
「こっちばっかり見てたんだよ」
「そういうやつだから」
白い布の人に言われ、勝也が黙った。
それを見て、また笑いそうになった。
勝也の手が、私の手を握り直した。
「行こう。ここにいたら、また驚かされる」
「うん」
2人の横を通り過ぎた。
後ろから、気をつけて、と普通の声が聞こえた。
少し離れてから、勝也が私を見た。
「大丈夫だった?」
「うん」
答えて、もう1度、勝也の顔を見た。
暗くてよく見えなかったけれど、心配してくれているのは分かった。
「勝也は?」
「大丈夫。ちょっと、びっくりしただけ」
その、ちょっと、が可笑しかった。
私は下を向いて笑った。
「すごい声だったよ」
「自分では、分かんないんだって」
勝也も、とうとう笑った。
「優子まで、こんなに笑うと思わなかった」
「だって……」
何と言ったらいいのか分からず、また笑った。
勝也は困ったようにしていたけれど、私の手は離さなかった。
* * *
次の曲がり角まで来ると、さっきの人たちの声も聞こえなくなった。
また、足元の光と、私たちの足音だけになった。
勝也は、今度は道の両側を見ていた。
右を照らし、左へ戻し、それから少し先を照らす。
「そこ、段差あるよ」
「うん」
私がまたいでから、勝也も続いた。
つないだ手が少し持ち上がり、また元の高さへ戻った。
「後ろからは、来ないよね」
勝也が小さく言った。
私は、思わず後ろを見た。
「来るの?」
「いや、分かんない。来ないといいなって」
2人で、今来た道を振り返った。
誰もいなかった。
「前、見よう」
勝也が言った。
「前から来ても、困るし」
まじめな声だった。
私は唇を結んだ。
さっきの声を思い出したら、また笑ってしまいそうだった。
木の間に、次の矢印が見えた。
勝也がそこを照らすと、その少し奥にも白いものがあった。
今度は、人の顔だった。
道の脇から、じっとこちらを向いていた。
私は勝也の腕をつかんだ。
勝也も足を止めた。
「……見えてるね」
「うん」
白い顔は動かなかった。
近づけば、何かするのかもしれない。
でも、近づかなければ先へ行けなかった。
勝也が、ゆっくり一歩進んだ。
私も同じだけ進んだ。
「大丈夫。分かってれば、大丈夫だから」
私へ言ってくれたのか、自分へ言っていたのか、少し分からなかった。
白い顔の前まで来た。
その人は、まだ動かなかった。
横を通り過ぎようとした時、低い声がした。
「どこへ行く……」
勝也が止まった。
私も止まった。
「……チェックポイントです」
勝也が答えた。
少し間が空いた。
白い顔の人が、小さく肩を揺らした。
「そうか……」
返事が来た。
私は勝也の腕に額を寄せかけた。
ちゃんと答えるところまで、可笑しくなってしまった。
「あっちで、合ってますか」
勝也が聞いた。
白い顔が、ゆっくり道の先を向いた。
「合ってる」
「ありがとうございます」
急に、普通の会話になった。
勝也は小さく頭を下げて、歩き出した。
少し進んでから、私を見た。
「今の人、先生だったよね」
「たぶん」
「声、聞いたことある気がする」
そう言っている勝也の後ろで、急に音がした。
乾いた大きな音だった。
「ファーッ‼︎」
勝也が振り返った。
私は驚いて目を閉じ、それから、もう我慢できなくなった。
「勝也……っ」
声が笑いに変わった。
歩こうとしたのに、うまく足が出なかった。
勝也は後ろの人を見ていた。
「もう、終わったと思ったのに!」
声だけは少し大きかったけれど、怒ってはいなかった。
向こうの人が笑い、勝也も息を吐いて、こちらへ向き直った。
「優子、大丈夫?」
私は頷いた。
頷きながら、口元を押さえた。
「待って。ちょっと、待って」
「うん。待つけど」
勝也が光を道の端へ寄せた。
私はその腕をつかんだまま、笑いが収まるのを待った。
自分がこんなところで、笑って歩けなくなるとは思わなかった。
ほんの少し前まで、木の向こうに何があるのか気になって、勝也から離れられなかったのに。
今は、次に勝也がどんな声を出すのかまで気になっていた。
「もう、声、出さない」
勝也が言った。
「出ちゃうんじゃない?」
「出さないようにする」
言い直した顔を見て、また笑ってしまった。
勝也は、そんなに笑わなくても、と言ったけれど、その口元も少し緩んでいた。
「優子が怖くなくなったなら、いいけどさ」
その言葉を聞いて、私は顔を上げた。
勝也の肩に、私の肩が触れていた。
笑っている間も、勝也はそのまま待っていてくれた。
「まだ、少し怖いよ」
「うん」
「だから、手は離さないでね」
勝也が、つないだ手へ目を落とした。
それから、私を見て頷いた。
「離さないよ」
普通の、いつもの声だった。
私は、ようやく笑いを収めて頷いた。
少しずつ、また歩き始めた。
勝也の懐中電灯が、私たちの足元を照らしていた。
* * *
次に見えた明かりは、木の向こうで動かなかった。
近づくと、小さな机があった。
その上に明かりが置かれ、先生が椅子に座っていた。
「お、来たね」
先生が顔を上げた。
勝也の肩から、少し力が抜けたのが分かった。
「チェックポイントですか」
「そう。2人とも、券を持っていってね」
机の上に、紙が重ねてあった。
先生が2枚取り、それぞれに渡してくれた。
「……ありがとうございます」
受け取って、手元を見た。
小さな四角い紙に、プリンの引換券だと分かる文字が印刷されていた。
勝也も、自分の券を見ていた。
「これ、お風呂のあとですよね」
「うん。食堂へ持ってきてね。今、食べようとしないでよ」
「さすがに、紙は食べないです」
勝也が答えると、先生が笑った。
私も笑った。
勝也は券を上着のポケットへ入れた。
私も同じようにしまい、落ちないように奥まで押し込んだ。
「寒くなってきたね」
先生が言った。
「はい。結構、冷えますね」
「戻ったら、暖かくしてね。出口は、そっちの道を進んだ先だから」
先生が指した方に、また矢印があった。
勝也が懐中電灯で照らし、頷いた。
「ありがとうございます」
私も頭を下げた。
先生は、気をつけて、と手を振ってくれた。
机の明かりから離れると、また暗くなった。
勝也は懐中電灯を少し先へ向けた。
「券、もらえたね」
「うん」
「翔太、これだけのために頑張りそう」
勝也が自分のポケットを軽く押さえた。
私は笑いながら、同じところへ手を添えた。
「食べるの、楽しみ」
「俺も」
木の間で風が鳴った。
2人ともそちらを見たけれど、今度は立ち止まらなかった。
道の横には、落ち葉が重なっていた。
木の根元や、少し奥の茂みにも光が当たった。
誰もいなかった。
勝也は時々、私の歩く方へ光を寄せてくれた。
歩きにくいところでは少し速度を落とし、私が通ってから、同じ速さに戻った。
驚いている時の声は、まだ頭に残っていた。
思い出すたびに笑ってしまいそうだったけれど、こうして隣を歩く勝也は、やっぱり優しかった。
「優子?」
見ていたことに気づかれた。
「何でもない」
「また、声、思い出した?」
私は少し考え、頷いた。
それだけではなかったけれど、間違いでもなかった。
「そんなに?」
「うん。たぶん、明日も思い出しちゃう」
「明日まで?」
勝也が困った声を出した。
その顔を見て、また笑った。
「翔太くんたちにも、聞こえてたかな」
「……聞こえてないといいなあ」
勝也が、道の先を見た。
向こうに、明かりが見え始めていた。
それを見たら、ほっとした。
まだつないでいた手を少し持ち上げると、勝也もそちらを見た。
「出口、あそこかな」
「そうだね。先生、いる」
人の声も聞こえてきた。
木の間を抜けると、急に周りが明るくなった。
先生が、こちらへ手を上げた。
「お帰り。券、2人とももらえた?」
頷いて、ポケットから出した。
勝也も隣で見せた。
「はい、確認できました。しまっておいてね」
勝也が懐中電灯を返した。
カメラマンの人がこちらを向いたので、私は慌てて顔を上げた。
「楽しかった?」
聞かれて、勝也を見た。
勝也もこちらを見た。
「……はい」
答えると、勝也が少し笑った。
そのまま、写真を撮られた。
* * 勝也視点 * *
明るいところへ戻ってきたら、道を照らさなくても足元が見えた。
それだけで、こんなに楽なのかと思った。
優子が隣で、まだ少し笑っていた。
「全然平気だったな」
言うと、優子が俺を見上げた。
口を開きかけて、それから下を向いた。
「……そう、だね」
明らかに笑っていた。
「何で、そこで笑うの」
「勝也、声が……」
「びっくりしただけだって」
言ってから、自分でも少し笑ってしまった。
優子がこんなに楽しそうにしているなら、まあ、よかったのかもしれない。
喉は、少しだけ変な感じがしたけれど。
広場を見回すと、翔太と春樹が入り口の近くにいた。
真弓と綾香の姿はなかった。
翔太が俺たちに気づき、手を振った。
「お帰り。どうだった?」
「うん。大丈夫だったよ」
近づきながら答えた。
春樹が、俺の顔を見た。
「さっき、すごい声しなかった?」
「いろんな声、してたね」
「うん。その中に、勝也みたいなのあったけど」
優子の肩が揺れた。
春樹が、そちらを見た。
「……やっぱり?」
「何が、やっぱりなの」
俺が言うと、春樹が笑った。
翔太も、そうだよな、と頷いていた。
「あれ、クラクションみたいじゃなかった?」
優子が口元へ手を当てた。
そちらを見てから、翔太を見た。
「優子にも、同じこと言われた」
2人が笑った。
「やっぱ、お前じゃん!」
「だから、びっくりしたんだって」
「そんな声出すほど、何がいたの?」
翔太が道の方を見た。
俺は、少し考えた。
「行ったら、分かるよ」
「教えてよ」
「先に知ってたら、面白くないでしょ」
さっき綾香が言っていたのと同じことを言った。
翔太が嫌そうな顔をしたので、春樹がまた笑った。
「まあ、分かってても驚くけど」
俺が付け足すと、2人とも黙った。
「それ、言わなくてよくない?」
春樹が言った。
「ごめん。今のは、忘れて」
「忘れられないでしょ」
優子が、つないだ手を少し揺らした。
笑いをこらえているのが伝わってきた。
林の方から、真弓の声がした。
「やだ! ちょっと、待って!」
かなりよく聞こえた。
翔太がそちらを向き、口を閉じた。
「……今の、真弓だよな」
「たぶん」
春樹も道の方を見た。
俺は、入り口から少し奥を眺めた。
誰も見えなかった。
声だけが聞こえてきた。
「綾香の声、聞こえないね」
俺が言うと、春樹が頷いた。
「あいつ、そういうの平気だから」
「さっきも、普通に入ってった」
翔太が言った。
そのあと、自分たちの前に置かれた懐中電灯を見た。
「俺たちも、あれ持ってけば大丈夫か」
「暗いのは、見えるようになるけどね」
春樹が言った。
「今日、お前、そういうことばっか言うじゃん」
「ごめん。俺も、あんまり余裕ない」
春樹は笑った。
翔太も笑いかけ、途中で林の方へ目を戻した。
先生が、手元の無線を聞いていた。
短く返事をしたあと、翔太たちへ声をかけた。
「前の組がチェックポイントを通ったから、次の2人、どうぞ」
翔太が春樹を見た。
春樹が、懐中電灯を取った。
「行こうか」
「おう」
翔太は、すぐには動かなかった。
春樹に、行くよ、ともう1度言われ、ようやく足を出した。
カメラマンの人に顔を向けた時だけ、2人とも笑った。
写真を撮り終え、道へ向き直ると、また静かになった。
「帰ってきたら、プリンだから」
翔太が言った。
「お風呂のあとね」
春樹が返した。
「……そうだった」
2人の声が、少しずつ遠ざかっていった。
* * *
出口の近くへ戻り、優子と並んで待った。
ここなら、戻ってくる2人がよく見えた。
「……加藤さん、大丈夫かな」
優子が言った。
「綾香が一緒だから、大丈夫だと思うよ」
そう答えたところで、出口の道に光が見えた。
懐中電灯を持っていたのは綾香だった。
そのすぐ横に、真弓がいた。
袖をつまむどころではなく、綾香の腕を両手でつかんでいた。
綾香が歩けば、同じだけ歩く。少し止まれば、真弓もぴったり止まった。
「もう、出たよ」
綾香が言った。
真弓は頷いたけれど、まだ後ろを見ていた。
出口の先生が券を確認し、綾香から懐中電灯を受け取った。
真弓はポケットへ手を入れる時だけ片手を離し、券をしまうと、また綾香の腕をつかんだ。
「真弓」
声をかけると、こちらを見た。
目の下が、少し濡れていた。
「……終わった」
「うん。お帰り」
「もう、行かない」
真弓が言った。
綾香は、1回で終わりだから、と頷いた。
カメラマンの人がこちらへ顔を向けた。
真弓はそれに気づき、袖を目元へ持っていきかけ、慌てて自分のポケットを探した。
「ちょっと待って。今、無理」
カメラマンの人が笑って、カメラを下ろした。
真弓はハンカチを出し、目の下へ押し当てた。
優子が、俺の隣から少し身を乗り出した。
「……大丈夫?」
「うん。ありがとう。びっくりしただけ」
真弓は答え、息を吐いた。
綾香の腕から手を離し、自分の上着の前を押さえた。
「心臓、まだ変」
「そんなに怖かった?」
俺が聞くと、真弓が顔を上げた。
「怖かったよ。勝也、平気だったの?」
優子が下を向いた。
「……まあ、俺も、びっくりはしたけど」
「あの声、勝也でしょ」
綾香が言った。
俺はそちらを見た。
「何で、皆分かるの」
「聞こえたから」
綾香の答えに、優子が小さく笑った。
真弓も、それは聞こえた、と頷いた。
「あれ聞いて、行くの嫌になったんだからね」
「それは、ごめん」
謝ると、真弓がハンカチで口元を押さえた。
少しだけ、笑っていた。
「ほんとに、何の声かと思った」
「自分でも、あんなの出ると思わなかったよ」
優子が俺の手を握り直した。
隣を見ると、まだ笑っていた。
真弓もようやく顔を上げた。
それから、出口の道を振り返った。
「でも、最後のは、ないって」
声が少し低くなった。
「最後?」
聞き返した。
真弓は俺を見た。
「着物のやつ」
「着物?」
「ほら。血が付いてるやつ。道の横に立ってたでしょ」
すぐには、何の話か分からなかった。
白い布をかぶっていた人のことかと思い、そこを聞いた。
「最初の、あの白いの?」
「違う。券もらったあと」
真弓がポケットを押さえた。
「もうすぐ出口だと思って、ちょっと安心してたところにいたの」
俺は優子を見た。
優子も、俺を見ていた。
「……いた?」
小さく聞くと、優子は首を振った。
「……誰も、いなかったよね」
「うん。俺も、見てない」
真弓がハンカチを下ろした。
「いたって」
「いや、俺たちの時は、本当にいなかったよ」
「着物に、赤いのが付いてて。髪で、顔がよく見えなくて」
真弓は自分の頬の横へ手を添えた。
その手を下ろす前に、また出口の方を見た。
「何も言わないの。こっちが通っても、ずっと立ってて」
綾香が頷いた。
「私も見たよ。券をもらって、少し歩いたところ」
綾香まで言うので、俺はもう1度、通ってきた道を思い返した。
先生の机を離れて、矢印を見て、道を歩いた。
木も、茂みも照らした。
着物の人なんて、いなかった。
「綾香も、びっくりした?」
「うん。急に人が見えたから、一瞬ね」
綾香は言ってから、真弓を見た。
「でも、真弓の方がすごかった。急に止まって、腕引っ張るから」
「だって、あんなところにいると思わないじゃん」
「私も、思わなかったけど」
綾香が、さっきつかまれていた袖を軽く直した。
真弓は、ごめん、と小さく言った。
「勝也たちが通った時は、出てなかったんじゃない?」
綾香が俺を見た。
「そうなのかな」
「たまたま、出てくるタイミングが違ったとか」
そう言われれば、その方が自然だった。
俺たちと2人が通った時間は違う。
同じ道でも、全く同じように驚かされるとは限らないのかもしれない。
真弓が、まだ納得しきれない顔で俺たちを見た。
「本当に、いなかった?」
「うん。券をもらったあとには、絶対いなかった」
俺は答えた。
優子も、隣で頷いた。
「……勝也が、横も照らしてくれてたから」
真弓が口を閉じた。
それから、少しだけ肩を落とした。
「いいな。私も、その時に行きたかった」
綾香が、真弓の肩に手を添えた。
「もう戻ってきたから。あと、翔太たち待とう」
その名前が出た時だった。
林の方から、叫び声が聞こえた。
「うわあああっ!」
少し重なるように、もう1人の声が続いた。
「うわっ、ちょっと!」
4人とも、そちらを見た。
俺は、つい笑ってしまった。
隣で優子も肩を揺らした。
「……今の、翔太くん?」
「たぶん、最初のが翔太。あとが春樹」
答えると、綾香が頷いた。
「2人とも、分かりやすいね」
真弓が、ハンカチを握ったまま笑った。
「さっき、人のこと笑ってたくせに」
また声がした。
今度は、何と言っているのかまでは分からなかった。
でも、2人いることだけはよく分かった。
「あれ、驚かしてる方も、楽しいだろうな」
俺が言うと、綾香がこちらを見た。
「勝也の時も、そうだったんじゃない?」
優子が、とうとう声を出して笑った。
「……うん。お化けの人も、笑ってた」
「優子まで、言わなくても」
思わずそちらを見た。
優子は口元を押さえたまま、少しだけ俺へ寄った。
「……ごめん」
謝っているのに、まだ笑っていた。
真弓も、その様子を見て笑った。
風が吹いた。
俺はポケットの中で、券が入っているのを確かめた。
薄い紙の角が、指に触れた。
「プリン、もらえなかったらどうしようとか、言ってたよ」
翔太たちが出発する前のことを話すと、真弓が目を上げた。
「そこまで言ってた?」
「顔に、出てた」
「それ、勝也が思っただけじゃん」
真弓が笑った。
ようやく、いつもの調子へ戻ってきたようだった。
しばらくすると、叫び声が聞こえなくなった。
たぶん、先生のいるところまで行ったのだろうと思った。
優子が自分の上着の袖を引いた。
俺は少しだけ身体の向きを変え、風が来る方へ立った。
「寒い?」
「……ちょっとだけ」
「もうすぐ、2人も戻ってくると思うよ」
優子は頷いた。
つないだ手を、俺の腕に近い方へ寄せた。
出口の道を見た。
まだ誰も見えなかった。
* * *
先に聞こえてきたのは、足音だった。
そのあとで、木の間に懐中電灯の光が見えた。
光が揺れていた。
揺れながら、だんだん近づいてきた。
「来た」
綾香が言った。
翔太と春樹が、並んで歩いていた。
肩がぶつかりそうなくらい近かった。
懐中電灯を持っている春樹のもう片方の手を、翔太が握っていた。
俺は2人を見て、それから、その手を見た。
「……何してんの」
声が漏れた。
翔太がこちらに気づいた。
気づいても、手は離さなかった。
「終わり\!?」
まず、そう聞いた。
出口の先生が頷いた。
「お帰り。ここで終わりだよ」
2人が、同時に立ち止まった。
春樹が息を吐き、翔太が腰を曲げた。
それでも、手はつながったままだった。
真弓が口元を押さえた。
俺も、もう笑っていた。
「お前ら、何で手つないでるの」
聞くと、翔太が自分の手を見た。
春樹も見た。
「……離して」
春樹が言った。
「お前も、握ってたじゃん」
「そうだけど。もう、着いたから」
ようやく手が離れた。
そのタイミングで、カメラのシャッターが鳴った。
翔太が顔を上げた。
「今の、撮った?」
カメラマンの人が笑っていた。
翔太は何か言いかけたけれど、先生から券を見せるように言われ、先にポケットを探した。
「ある。あります」
紙を出した。
春樹も、自分の券を見せた。
「はい。2人とも、忘れずにもらえたね」
先生が頷いた。
春樹が懐中電灯を返し、俺たちの方へ歩いてきた。
明るいところで見ると、2人とも目元が赤かった。
春樹は眼鏡を直し、何も言わずに深く息を吐いた。
翔太は俺の顔を見るなり、指を向けた。
「全然、大丈夫じゃないじゃん!」
「戻ってこれたでしょ」
「そういう話じゃないって!」
真弓が笑い出した。
翔太がそちらを見た。
「何で笑ってんの」
「さっき、私たちのこと笑ってたじゃん」
「あんなの、知らなかったから!」
翔太は言って、出口の方を振り返った。
春樹も、同じように振り返った。
それがまた揃っていたので、俺は顔を伏せた。
「声、すごかったよ」
言うと、春樹がこちらを見た。
「勝也にだけは、言われたくない」
「俺より、回数、多かったと思うけど」
「途中から、数えてない」
春樹の返事に、優子も笑った。
翔太が、優子を見た。
「優子、平気だったの?」
「……びっくりは、したけど」
優子は答えてから、俺を見た。
「……勝也の声が、面白くて」
また、そこだった。
翔太が俺を見た。
「ずるい。俺も、そっちがよかった」
「俺、驚かしに行ったんじゃないんだけど」
「笑ってたら、怖くないじゃん」
春樹が翔太の肩を軽く叩いた。
「俺の声でも、笑えばよかったのに」
「お前の声で、余計にびびった」
「それは、俺も同じ」
綾香が、2人の顔を順に見た。
「自分たちで怖くしてたんじゃない?」
春樹が少し考えた。
翔太も考えた。
「……それは、ちょっとあった」
先に、春樹が認めた。
俺たちはまた笑った。
笑っているうちに、翔太も少しずつ普段の顔へ戻ってきた。
でも、林の方で誰かの声がすると、まだ肩が動いた。
「最初、片方にいるの見えたじゃん」
翔太が言った。
俺は頷いた。
「見えた」
「だから、そっち見てたらさ」
「反対から、来たね」
「あれ、ひどいって!」
翔太が力を込めて言った。
俺も、そこだけは大きく頷いた。
「分かる。あれは、びっくりする」
「先に教えてくれればよかったのに」
「それ、知ってたら、ただの散歩になっちゃうでしょ」
真弓が言った。
翔太がすぐに返した。
「散歩でよかった!」
春樹も隣で頷いた。
綾香が、じゃあプリンだけ欲しかったんだ、と笑った。
「プリンは欲しいよ」
翔太は真顔で答え、自分の券をもう1度見た。
紙の端が、少し折れていた。
「でも、最後のは、本当に無理だった」
春樹が言った。
真弓が、笑うのをやめた。
「着物?」
春樹が顔を上げた。
「うん」
翔太も、すぐに頷いた。
「そう! あれ!」
俺は優子を見た。
優子の顔からも、少し笑いが消えていた。
「やっぱり、いたんだ」
真弓が言った。
翔太が、どういう意味だという顔をした。
「いたじゃん。めっちゃ血付いてるやつ」
「勝也たちは、いなかったって」
真弓がこちらを向いた。
翔太と春樹も俺たちを見た。
「え?」
翔太の口が開いた。
「あれ、見てないの?」
「うん。俺たちが通った時は、誰もいなかったよ」
「嘘だろ」
「本当だって」
翔太が、今出てきた道を指した。
「券もらって、こっちに戻ってくるところだぞ」
「うん。そこは、優子と2人で歩いてきた」
「いや、俺たちも2人で歩いてきたけど!」
そこだけ聞けば、いつものやり取りだった。
でも、翔太の顔は、さっきより真剣だった。
「木の横に、立ってたんだって。こっちに顔向けて」
春樹が、翔太の言葉を引き取った。
「顔、髪で隠れてたから、どこ見てたのかまでは分かんないけど」
「でも、こっち向いてたじゃん」
「うん。向きは、こっちだった」
真弓が頷いた。
「そう。それ。着物も、袖のところとか赤くなってて」
「それだよ!」
翔太の声が大きくなった。
すぐ近くを通った別の班の子がこちらを見たので、春樹が、声、と小さく言った。
翔太は口を閉じた。
でも、俺を見る目は、そのままだった。
「……絶対、いたからな」
今度は小さな声だった。
「うん。2人が見たのは、分かったよ」
俺は答えた。
「でも、俺たちの時には、本当にいなかったんだよ」
優子も頷いた。
「……その辺り、明かり、当ててたから」
翔太が、何か言いかけてやめた。
春樹は腕を組み、道の方を見ていた。
「休憩してたのかな」
綾香が言った。
「勝也たちの時だけ」
「じゃあ、俺たちの時も休憩しててほしかった」
翔太がすぐに言った。
真弓が、それはそう、と頷いた。
春樹は、少し黙っていた。
それから眼鏡を押し上げた。
「何も言わなかったから、余計に怖かった」
真弓がまた頷いた。
「分かる。わっ、て言ってくれた方が、まだよかった」
「あのまま追いかけてきたら、どうしようって思った」
翔太が言った。
春樹が、その袖をつまんだ。
「それを、歩きながら言うから」
「だって、思ったんだもん」
「言われたら、俺も後ろ気になるでしょ」
綾香が笑った。
「だから、2人で手つないでたんだ」
翔太が口を閉じた。
春樹は否定しなかった。
「もう、離れたくなかった」
春樹がそう言ったので、俺はまた笑ってしまった。
真弓も、うん、それは分かる、と笑いながら頷いた。
* * *
花沢先生が、広場を回ってきた。
俺たちの前で足を止め、顔を順に見た。
「6人とも、戻ってきたね。券は持ってる?」
それぞれ、ポケットを確かめた。
翔太はさっきから握っていた券を、そのまま見せた。
「あります」
「よかった。なくさないように、しまってね」
先生に言われ、翔太はようやく紙をポケットへ戻した。
「終わった班から、お部屋へ戻っていいですよ。冷えてきたから、入浴の準備をしてね」
真弓が、よかった、と息を吐いた。
春樹も頷き、建物の方へ身体を向けた。
先生が優子を見た。
「優子さんは、どうだった? 楽しめた?」
優子は俺を見てから、先生へ顔を戻した。
「……はい。怖かったけど、楽しかったです」
声の最後が、少し笑っていた。
先生も笑った。
「そう。よかったね」
俺たちは頭を下げ、広場を離れた。
明かりのある通路へ来ると、翔太の歩く速さが少し落ちた。
「もう、終わりだよな」
「終わりだって、先生が言ってたでしょ」
春樹が答えた。
でも、自分も通路の脇を見ていた。
「ここで誰か出てきたら、俺、無理」
真弓が言った。
「出てこないって」
綾香はそう答え、建物の入り口を指した。
「ほら。もう着くよ」
中へ入ると、風が止まった。
それだけで、肩の力が抜けた。
「あったか……」
翔太が言った。
真弓も、同じように息を吐いた。
「朝も寒かったけど、夜もすごいね」
「待ってる間に、手、冷たくなった」
春樹が指を曲げたり伸ばしたりした。
翔太も自分の手を見てから、春樹を見た。
「さっき、お前の手、めっちゃ冷たかったもん」
「お前もね」
真弓がまた笑った。
翔太が、不満そうにそちらを見た。
「何だよ」
「いや。ちゃんと覚えてるんだと思って」
「そりゃ、覚えてるだろ」
翔太は答えてから、俺と優子の手を見た。
「お前らも、ずっとつないでたんだろ」
「うん」
俺が頷くと、翔太は、ほら、と言った。
何に対する、ほら、なのかは分からなかったけれど、春樹はもう突っ込まなかった。
部屋へ戻り、上着を脱いだ。
プリンの券を入れたままだったことを思い出し、先に取り出した。
優子も、自分の券を出していた。
濡らさないように鞄へしまい、入浴の支度を始めた。
翔太は畳へ座り、しばらく足を伸ばしていた。
春樹がその横へ腰を下ろすと、また、最後の着物の話が始まった。
「あれ、誰だったんだろうな」
「顔、分かんなかったからね」
「声、出してくれれば分かったかもしれないのに」
真弓がタオルを出しながら言った。
綾香は、そうだね、と答えた。
俺には、会話へ付け足せるものがなかった。
優子も、支度をしながら4人の話を聞いていた。
* * 優子視点 * *
着物の人の話になると、4人とも同じところで頷いた。
券をもらったあと。
出口へ戻る途中。
道の横の、木のそば。
私も、そこを歩いてきた。
勝也と話しながら、懐中電灯で照らされた道を見ていた。
木の横に人が立っていたら、気づいたと思う。
鞄の中で、引換券の端を指で押さえた。
これを受け取ったところまでは、皆も同じだった。
でも、その先の話だけが違っていた。
「優子」
勝也に呼ばれ、顔を上げた。
勝也は、自分のタオルを手に持っていた。
「準備、できた?」
「……うん」
袋を持ち上げて見せた。
勝也が頷いた。
「じゃあ、あとは順番、待ってようか」
私も頷き、勝也のそばへ座った。
肩が触れるくらいのところへ座ると、勝也は少しこちらを見て、笑った。
その顔を見ていたら、さっきの声を思い出した。
白い顔の人に、まじめに道を聞いていたところも。
もう声は出さないと言っていたところも。
口元が緩んだ。
勝也が、不思議そうにこちらを見た。
「どうしたの?」
「……何でもない」
首を振った。
勝也は少し考えて、それから、小さく息を吐いた。
「また、思い出したでしょ」
私は頷いた。
勝也も、諦めたように笑った。
「明日も言われそうだなあ」
「……たぶん」
勝也がこちらを見た。
その顔が可笑しくて、また笑った。
怖いところを歩いてきたはずなのに、私の頭にいちばん残っているのは、勝也の声だった。
笑いが収まるまで、手をつないだまま待っていてくれたことも、覚えていた。
「何笑ってんの?」
翔太くんが聞いた。
私が答えるより先に、勝也が自分の喉を指した。
「俺の、さっきの声」
「ああ」
翔太くんが笑った。
春樹くんも笑い、加藤さんが、それ聞いたらこっちまで思い出す、と口元を押さえた。
いつもの勝也たちの声だった。
私は袋を膝へ載せ、その中で一緒に笑った。
少しして、翔太くんがまた口を開いた。
「でも、最後のやつは、本当にいたからな」
加藤さんと春樹くんが頷いた。
井上さんも、見たよ、と言った。
勝也が、私を見た。
私も、勝也を見た。
私たちが通った時には、絶対にいなかった。
そのことだけは、2人とも、ちゃんと覚えていた。
今回の登場人物
・鵜飼 勝也
優子と最初に肝試しへ出発する。平気だと強がるものの、大きな悲鳴を上げ、優子や待機中の友人たちに笑われる。驚きながらも優子の手を離さず、足元を照らして一緒に歩く。チェックポイントの先で着物姿を見たという4人の話には、自分たちが通った時には誰もいなかったと答える。
・富田 優子
勝也と手をつないで肝試しに参加する。初めは怖がるが、勝也のクラクションのような悲鳴に笑い、次第に楽しめるようになる。帰還後も友人たちの掛け合いに笑う一方、チェックポイント以降の目撃談には、勝也とともに首を傾げる。
・加藤 真弓
綾香と2番目に出発する。道中で何度も驚き、チェックポイントを過ぎた場所でも血濡れの着物姿を目撃して、半泣きで戻る。勝也・優子には見えていなかったと聞いても、確かにいたと譲らない。
・井上 綾香
真弓と組み、懐中電灯を持って歩く。怖いものには強いが、予想外の場所に立つ着物姿には一瞬驚く。帰還後は落ち着いて、自分も見たと証言する。
・鳥居 翔太
プリンの引換券に喜び、春樹と最後に出発する。道中では何度も絶叫し、終盤は春樹と手をつないだまま歩く。帰還後、勝也・優子だけが着物姿を見ていないと知り、目撃したことを強く主張する。
・鶴見 春樹
翔太と肝試しへ参加する。互いの声や言葉で余計に怖くなり、翔太と手をつないで帰還する。チェックポイントの先で見た着物姿について、髪で顔がよく見えず、声も出さなかったと話す。
・花沢先生と肝試しを担当する先生たち
順路と引換券の説明、出発の間隔調整、チェックポイントでの券の配布、出口での確認を行う。花沢先生は帰還した6人を確かめ、優子に楽しめたか尋ねてから、宿泊棟へ戻って入浴の準備をするよう案内する。
・お化け役の生徒たち
道中で待機し、生徒たちを驚かせる。勝也の大きな悲鳴には、お化け役の方まで驚いて笑ってしまう。
・学校契約のカメラマン2人
入り口と出口に分かれ、出発前と帰還した生徒たちの姿を撮影する。




