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君の隣が、僕の帰る場所  作者: 玲瓏さん
中学1年生編
49/52

第44話 林間学校2日目 夕

    * * 勝也視点 * *


 廊下で、夕方の集合を知らせる声がした。

 翔太がしおりを閉じ、畳の上へ置きかけてから、もう1度持ち上げた。


「これ、持ってくんだっけ」

「食堂には、いらないって」


 真弓が答えた。

 翔太は頷き、今度は自分の鞄の上へ置いた。


 春樹が首にかけていたタオルを外した。まだ湿っている場所を確かめ、濡れた服とは別のところへ掛け直す。

 隣にいた優子が、その様子を見ていた。


「これ、乾かしてから返すね」


 春樹が言った。

 優子は小さく頷いた。


「……うん。まだ、使っててもいいよ」

「ありがとう。もう、髪も乾いたから」


 春樹は自分の髪へ手を当てた。

 翔太も真似をして、頭の後ろを触った。


「俺も乾いた」

「そこ、跳ねてるよ」


 綾香に言われて、翔太は頭の反対側を押さえた。


「逆」

「こっち?」

「もうちょっと後ろ」


 手が頭の上を行ったり来たりした。

 春樹が、そこ、と指で押さえてやると、翔太はようやく場所が分かったらしかった。


「鏡ないと、分かんないって」

「あとで、洗面所で見たら?」


 俺が言うと、翔太は髪を押さえたまま頷いた。

 優子が俺の袖へ指を添えた。


「行こっか」

「うん」


 立ち上がり、優子と手をつないだ。

 出る前に、鞄の上へ置いた上着を確かめた。夜に出かける時は、忘れずに持っていこうと思った。


     * * *


 食堂には、もうほかの班も集まり始めていた。

 昼間、外で食べた時とは違って、戸を入ると暖かかった。ご飯の匂いに混じり、食器の触れる音があちこちから聞こえた。


 優子と並んで盆を持ち、空いているところへ進んだ。

 席へ着くと、向かいで翔太が箸を置き直していた。春樹はその隣に座り、綾香と真弓も続けて腰を下ろした。


「腹減った」


 翔太が言った。


「昼、あんなに食べてたじゃん」

「めっちゃ漕いだから」

「泳いだ分もあるでしょ」


 春樹に言われて、翔太が笑った。


「そっちもあった」

「忘れないでよ。俺まで泳いだんだから」


 春樹も箸へ手を伸ばしかけ、まだ挨拶をしていないことに気づいて戻した。

 その動きを見た翔太が、何も言わずに笑っていた。


 皆でいただきますをしてから、ご飯を食べ始めた。

 優子は汁椀を両手で持ち、少しずつ飲んでいた。俺の目に気づくと、椀を下ろして笑った。


「……あったかいね」

「うん。外、少し寒くなってきたね」


 廊下の窓から見えた空は、もう昼間の色ではなくなっていた。

 カヌーを見ていた時にも風はあったけれど、部屋へ戻って休んでいる間に、さらに冷えてきたようだった。


 花沢先生が、班の机の間を回ってきた。

 春樹のそばで足を止め、食べられているかと小声で確かめた。


「はい。今は大丈夫です」

「そう。無理はしないでね」


 先生は翔太にも声をかけ、2人の返事を聞いてから、隣の班へ移った。

 翔太はその背中を少し見送り、春樹の方を向いた。


「本当に、大丈夫?」

「うん。今は痛くないよ」


 春樹が答えた。

 翔太が頷くと、春樹も普段の調子でご飯を口へ運んだ。


「あとで、踊るんだよな」


 少しして、翔太が言った。

 真弓が顔を上げた。


「フォークダンス?」

「そう。あれ、どっちから足出すんだっけ」

「どの踊りの話してるの」


 綾香が聞いた。

 翔太は箸を止めた。


「……いろいろあるの?」

「それは、あるでしょ」


 綾香の返事に、真弓が笑った。


「先生が教えてくれるから、大丈夫じゃない?」

「見ればできるか」

「ちゃんと、最後まで見てね」


 春樹が言った。

 翔太は、見るって、と返してから、机の下で足を動かした。


「今やらないで。机、揺れてる」


 綾香に言われ、すぐに止まった。

 優子も、汁椀を下ろして笑っていた。


「優子、踊るの、覚えてる?」


 俺が聞くと、優子は少し考えた。


「……小学校で、やったことはあるけど」

「俺も。その時だけだから、もう忘れちゃった」

「私も、ちゃんとは……」


 顔を見合わせ、少し笑った。


「じゃあ、また教えてもらおう」

「うん」


 優子が頷いた。

 向かいで真弓が、私も忘れた、と言った。綾香も、音楽を聞いたら思い出すかも、と答えた。

 それを聞いた翔太が、皆そうじゃん、と嬉しそうにした。


「だから、説明を聞こうねって話」


 春樹が言った。

 翔太は口を閉じ、ご飯を食べた。


     * * *


 夕食を終えて部屋へ戻ると、窓の向こうはずいぶん暗くなっていた。

 畳の上に広げたままだった物を片づけ、上着へ袖を通した。


 優子も、鞄から出しておいた上着を着ていた。

 前を留めてから、袖口を指で少し引いた。


「寒くない?」

「うん。今は、大丈夫」

「外で寒かったら、言ってね」


 優子が頷いた。

 俺は自分の鞄を閉め、立ち上がった。


 翔太は、さっき跳ねていた髪を直して戻ってきたところだった。

 春樹の前へ立ち、横を向いた。


「どう?」

「直ってる」

「よし」


 満足そうに言って、上着を手に取った。

 真弓が、今からまた外でしょ、と笑ったけれど、翔太は気にしなかった。


「写真も撮られるし」

「そういうのは、気にするんだ」


 綾香が言った。

 翔太は当然だという顔をして、袖へ腕を通した。


 廊下から班長を呼ぶ声がした。

 翔太が先に出ていき、すぐに顔を戻した。


「行くぞー」

「今、出るよ」


 春樹が返した。

 俺は優子へ手を差し出した。

 優子はその手を取って、隣へ来た。


    * * 優子視点 * *


 建物の外へ出ると、頬に冷たい風が当たった。

 私は少しだけ肩をすくめた。


 空には、まだ薄く明るいところが残っていた。

 けれど、木の下はもう暗かった。道の脇にある灯りが、土や落ち葉を丸く照らしている。

 その明るいところをたどるように、皆で歩いた。


「足元、ここ、ちょっと出てる」


 勝也が言った。

 下を見ると、道の端に木の根があった。


「うん」


 少しよけて歩いた。

 手はつないだままだった。勝也は前を向き直してからも、私と同じくらいの速さで歩いてくれた。


 前では、翔太くんが加藤さんたちに何か話していた。

 声が少し大きくなるたび、隣の春樹くんが顔を向けた。

 言っていることが聞き取れなくても、返事の仕方で、また何か言ったのだと分かった。


 広い場所へ出ると、真ん中に木が組まれていた。

 周りには、まだ誰も座っていない場所がいくつもあった。先生が手を上げ、班ごとに並ぶところを教えていた。


 勝也と一緒に、皆のあとについていった。

 翔太くんが先頭で止まり、私たちを順番に見た。


「6人、いるな」

「さっきから、一緒に歩いてたでしょ」


 春樹くんが言った。


「一応、数えとかないと」


 翔太くんはそう答えて、先生へ返事をした。

 私は勝也の隣に立ち、組まれた木を見た。


「……あそこに、火をつけるんだね」

「うん。近くで見ると、大きいね」


 勝也も見上げていた。

 焚き火よりも、ずっとたくさんの木が重なっていた。まだ火はついていないのに、周りに皆が集まっているだけで、何かが始まる感じがした。


 少し離れたところに、カメラマンさんがいた。

 カメラを構えたあと、また下ろし、別の班の方へ歩いていった。

 もう1人は、向こう側で先生と話していた。


「翔太。髪、直したところ撮ってもらえば」


 井上さんが言った。

 翔太くんが、すぐにカメラマンさんを探した。


「どこ?」

「今、あっち向いた」


 その間に、春樹くんが笑った。


「そうやって探してる時に、撮られてそう」

「だったら先に言ってよ」


 翔太くんが姿勢を直した。

 でも、カメラマンさんは別の方を向いたままだった。

 加藤さんが笑い、私も勝也の手を握ったまま笑ってしまった。


 花沢先生が、皆の前を通った。


「暗くなってきたから、移動する時は足元も見てね」


 私たちへも声をかけてから、会場の端へ向かった。

 勝也が返事をし、私も少し遅れて頷いた。


     * * *


 説明が終わって、木に火がついた。

 最初は低いところに見えていた炎が、少しずつ上へ伸びていった。

 ぱち、と音がした。


 隣で加藤さんが、小さく声を上げた。

 私も目を丸くしたまま、炎の動きを追った。


 明るかった。

 さっきまで暗く見えていた皆の顔が、赤くなったり、元に戻ったりした。

 薪の間から火がのぞき、風が来ると同じ方へ傾いた。


「あったかい」


 思わず言うと、勝也がこちらを向いた。


「さっきより、暖かくなったね」

「うん」


 頬の前だけ、外へ出た時とは違う暖かさがあった。

 背中の方へ風が当たると冷たかったけれど、勝也のそばに座っていると、あまり気にならなかった。


 皆で手を叩くところでは、私も勝也から手を離した。

 周りの音に合わせて叩いた。少し遅れてしまっても、隣から同じ速さの音が聞こえるので、また合わせられた。


 翔太くんの手拍子が大きくなった。

 向こうの班からも声が返ってきて、加藤さんが笑った。

 私もつられて笑いながら、手を叩いた。


 誰かが面白いことを言うと、周りで笑い声が起きた。

 聞き逃してしまったところは、勝也が少し顔を寄せて教えてくれた。


「今、何て言ったの?」

「翔太の声が、1人だけよく聞こえるって」


 勝也が小声で言った。

 前を見ると、翔太くんが、俺そんなに大きい? と春樹くんに聞いていた。


「今のも、聞こえてるから」


 春樹くんの返事で、近くの人まで笑った。

 翔太くんも笑っていた。


 私の声も、その中に混じっていた。

 笑い終わってから勝也を見ると、勝也もこちらを見た。


「……聞こえてたね」

「うん。ここまで、ちゃんと」


 目が合ったまま、また笑ってしまった。


 昼間は、屋根のあるところから、皆がカヌーに乗るのを見ていた。

 あの時間も楽しかった。勝也と話せて、翔太くんたちが戻ってきてからは、私にもできることがあった。


 今は、皆と同じところで座っていた。

 同じ声を聞いて、同じところで手を叩いていた。

 次は一緒に踊るのだと思うと、少しそわそわした。


「勝也」

「ん?」

「足、間違えたら、ごめんね」


 勝也は少しだけ不思議そうにしてから、笑った。


「俺も、間違えるかもしれないよ」

「……うん」

「まだ、教えてもらってないしね」


 そうだった。

 私は少し恥ずかしくなって、膝の上へ置いていた手を重ねた。

 勝也と踊るところを、もう先に考えていた。


「分かんなくなったら、止まって確かめよっか」

「うん」


 頷いた。

 勝也はまた火の方を向いた。

 私はその横顔を少しだけ見てから、同じ方へ顔を戻した。


 炎の明るさが、勝也の眼鏡にも映っていた。


    * * 勝也視点 * *


 先生の声で、皆が立ち上がった。

 座っていた場所から少し下がり、踊れるように間隔を空けていく。


「まずは、近くの人と2人組になってください」


 優子が俺の方を見た。

 俺もそちらを向き、手を差し出した。


「一緒にやろっか」

「……うん」


 優子が手を重ねた。

 さっきまで手拍子をしていたからか、外を歩いてきた時よりも暖かかった。


 真弓は綾香と向かい合った。

 残った翔太と春樹も、お互いの顔を見た。


「じゃ、よろしく」


 翔太が手を出した。

 春樹はその手を見てから、顔を上げた。


「踏まないでよ」

「そっちこそ」

「今、踏まないようにって話をしてるんだからね」


 そう言いながら、春樹も手を出した。

 翔太が大げさに腕を振りかけ、すぐに止められた。


「まだ、始まってない」

「練習」

「何の」


 真弓が向こうを見て笑った。

 綾香は、説明始まるよ、と2人へ声をかけた。


 先生たちが、前で踊り方を見せてくれた。

 最初は音楽をかけず、ゆっくりと数を数えながら動いた。

 俺も足元を見て、同じように足を出した。


 優子もこちらを見ながら、少しずつ動いていた。

 手をつないだまま進むところで、俺だけ先へ出かけた。


「あ、ごめん。早かったね」

「ううん」


 戻ると、優子も元の場所へ足をそろえた。

 先生がもう1度同じ動きをしてくれたので、今度は最後まで見た。


「ここで、1回止まるんだね」

「……うん。そのあと、こっち」


 優子が、小さく足を動かして教えてくれた。

 俺も合わせると、今度は2人とも同じところで止まれた。


「できた」


 優子が言った。


「うん。今のなら、大丈夫そう」


 答えると、嬉しそうに笑った。

 さっき、間違えたらごめんねと言っていたけれど、俺の方が先に間違えていた。


 隣で、翔太と春樹の声がした。


「そっちじゃないって」

「春樹と逆になってんじゃん」

「向かい合ってるんだから、そうなるでしょ」

「じゃあ、どっち」


 春樹が足を指した。

 翔太がそちらを見たせいで、今度は先生の説明を見逃した。


「あ、待って。今、何した?」


 真弓が、もう1回やってくれるよ、と教えた。

 翔太と春樹は、そろって前を向いた。


「カヌーより、分かんない」


 翔太が小さく言った。

 春樹が頷きかけ、それから首を横に振った。


「カヌーも、最後は分かってなかったでしょ」


 優子が、つないだ手を少し引いた。

 顔を向けると、下を向いて笑っていた。


「……また、言ってる」

「うん。今日、しばらく言われると思う」


 俺も小声で返した。

 優子の肩が、もう1度揺れた。


     * * *


 何組かずつ輪になるように並び直した。

 俺たちも班の3組で位置を確かめた。片側に真弓と綾香、反対側に翔太と春樹がいた。


 優子は輪の内側に立った。

 俺はその向かいへ移り、少しだけ距離を空けた。


 先生が音楽に合わせて動くところを見せ、途中で相手を交代する時の移り方も教えた。

 外側にいる人が1つずつ隣へ移ると、別の人と向かい合う。

 翔太が、じゃあ俺が動くのね、と春樹へ確かめていた。


 説明を聞きながら、優子が俺の手を握り直した。

 俺はそちらを見た。


「分かった?」

「……うん」

「俺、途中で間違えたら、教えてね」


 言うと、優子は少し笑って頷いた。


 音楽が流れ始めた。

 先生の合図を待って、最初の1歩を出した。


 さっきより、速かった。

 頭の中では覚えたつもりだったのに、次の動きを考えている間に、音が先へ進んだ。

 優子も足元を見ていた。


「次、こっちだっけ」

「うん。たぶん……」


 2人で同じ方へ動き、手が少し引っ張られた。

 顔を見合わせて止まると、後ろから先生の数える声が聞こえた。


「あ、こっち」


 優子が先に動いた。

 俺もそちらへ足を出し、次のところから合わせ直した。


「ありがとう」

「……私も、今、分かった」


 優子は笑いながら答えた。

 そのあと、2人とも同じところで止まれた。


 隣では、翔太たちも何とか動いていた。

 翔太が一歩進むと、春樹が引かれるようについていった。


「速いって!」

「音楽、これくらいじゃん」

「手だけ先に引っ張らないで!」


 春樹が言った。

 翔太は一度腕の力を抜き、今度は春樹の足元を見た。


 少しすると、2人の動きも合い始めた。

 翔太が顔を上げ、嬉しそうにした。


「お、できた」

「そのまま。そのままでいいから」


 春樹が念を押した。

 俺は笑いかけて、自分の次の動きを忘れそうになった。


「勝也、こっち」

「あ、ごめん」


 優子に教えてもらい、慌てて戻った。

 今度は優子まで声を出して笑った。


「……見てるから」

「うん。人のこと、見てる場合じゃなかった」


 俺も笑った。

 優子は手を離さず、次の合図を待っていた。


 最初のところへ戻ると、少しだけ余裕ができた。

 さっき迷ったところも、今度は覚えていた。優子の方を見ると、同じように顔を上げた。


「今度は、合ったね」

「うん」


 優子が頷いた。

 踊りながら返事をして、それでも足は止まらなかった。


 真弓と綾香も、2人で何か話していた。

 笑いながら動いているのに、俺たちほど迷っていないように見えた。

 それでも最後のところで真弓が少し行き過ぎ、綾香に手を引かれて戻ってきた。


「そっちまで行かない」

「分かった。今、分かったから」


 真弓の返事で、綾香も笑った。


 俺たちの輪の外で、カメラマンさんがしゃがんでいた。

 踊りを止めずに見ていると、こちらへレンズを向けた。

 優子は気づかず、足元を確かめていた。


 少し離れたところでは、もう1人が別の輪を撮っていた。

 今なら翔太の直した髪も写るだろうと思ったけれど、本人は春樹と足を合わせるので忙しそうだった。


 音楽が止まった。

 つないでいた手を下ろすと、優子がほっと息を吐いた。


「……できた」

「うん。最初より、できるようになったね」


 答えると、優子が俺を見て笑った。

 少し頬が赤かった。


「もう1回なら、間違えないかも」

「俺も。たぶんね」


 そう言ったところで、先生の声がした。


「では、今度は相手を交代してみましょう」


    * * 優子視点 * *


 勝也の手が、ゆっくり離れた。

 先生の説明を聞いていたから、交代することは分かっていた。

 分かっていたけれど、指先が離れると、少し寂しかった。


「俺、こっちに動くんだよね」


 勝也が言った。

 私は頷いた。


「うん」


 勝也が隣へ移った。

 その先には井上さんがいた。2人が向かい合い、何か短く話した。


 反対側から、翔太くんが来た。


「よろしくー」

「……うん。よろしく」


 顔を上げて答えた。

 翔太くんは、さっきまで春樹くんと立っていたところを見た。


「俺、今ので、だいぶ覚えた」


 それから、自分の足元を指した。


「最初、こっちだよな」

「うん。こっちから」


 私も同じところを見た。

 さっき勝也と確かめた動きだった。

 次は翔太くんと、それをするのだと思った。


 勝也の声が、近くで聞こえた。

 井上さんへ、さっきのところ合ってたよね、と聞いていた。


 そちらを見た。

 勝也が手を上げかけていた。井上さんもこちらを向いていたけれど、目が合う前に顔を戻してしまった。


「まだ音楽、かかんないのかな」


 翔太くんが言った。


「……うん」


 返事をしてから、上着の裾へ指を添えた。

 ついさっきまでは、勝也の手を握っていた。

 まだ、その暖かさが残っている気がした。


 もう1度だけ、勝也を見た。

 勝也はこちらに背を向けきっているわけではなかった。少し顔を動かせば、すぐに目が合いそうだった。

 呼ぼうかと思って、やめた。


 何と言えばいいのか分からなかった。

 交代する時間なのに、一緒に踊りたいと言ってしまったら、翔太くんにも悪い気がした。


 足元を見て、靴の向きをそろえた。

 それから、また横を見てしまった。


 勝也が、井上さんへ何か言って笑った。

 私も、さっきまであんなふうに話していた。

 あともう1回、一緒に踊れたらいいのに。


「……あー」


 翔太くんの声に、顔を上げた。

 翔太くんは私を見て、それから勝也の方を見た。


「勝也、ちょっと」

「え?」


 勝也が顔を向けた。

 返事を待たず、翔太くんが手を伸ばした。


 勝也の腕をつかみ、ぐいっとこちらへ引いた。

 勝也が驚いて一歩動いた。そのまま、翔太くんの隣へ来た。


「はいっ、勝也あげる」


 つかんでいた勝也の腕を、私の方へ差し出した。


「え……」


 声が出た。

 目の前に、勝也がいた。

 勝也も少し驚いた顔をして、翔太くんを見ていた。


「俺、こっち?」

「うん。じゃ、綾香、よろしく」


 翔太くんはもう、井上さんの前へ移っていた。

 空いたところへ入るように、何でもない顔で手を出した。


 私は、差し出された勝也の手に触れた。

 勝也がこちらへ顔を戻した。


「……また、一緒だね」


 そう言って、笑った。

 私は頷いた。

 さっきより強く握りそうになり、少しだけ指の力を緩めた。


「うん」


 返事が小さくなった。

 でも、顔はもう、隠せなかったと思う。


 勝也は私の手を握り直し、さっき立っていたところへ戻った。

 靴の先がこちらを向いた。

 もう、横を見なくてもよかった。


「……ありがとう」


 翔太くんの方へ言った。

 翔太くんは顔だけこちらへ向け、少し笑った。


「おう」


 それだけ返して、井上さんへ向き直った。


 先生が、始めますよ、と声をかけた。

 私も前を向いた。

 勝也と手をつないでいることを確かめ、音楽を待った。


 近くで、井上さんの声がした。


「今の、ちょっと見直した」

「ん?」

「ちゃんと気づくんだね。そういうところ」


 翔太くんが、少し顎を上げた。

 つないだ井上さんの手を持ったまま、妙に落ち着いた顔をした。


「俺、デキる男だから」


 声が、急に低くなった。

 さっきまでの、よく通る明るい声とは全然違った。

 ゆっくり言ってから、口元だけで笑っていた。


 勝也の肩が揺れた。

 私も笑いそうになった、その時だった。


 井上さんの指に、ぎりっと力が入ったのが見えた。

 翔太くんの顔が変わった。


「痛い痛い!」


 いつもの声に戻った。


「せっかく、褒めたのに」

「褒めたあとに、握るのやめて!」


 井上さんはもう手の力を緩めていた。

 翔太くんはつないだ手を見下ろし、それから井上さんを見た。


「普通に、ありがとうって言えばいいの」

「ありがとう!」

「はい」


 井上さんが短く返した。

 ちょうど音楽の始まりのところが聞こえた。


「ほら、始まるよ」

「分かってるって」


 翔太くんは慌てて足元を見た。

 井上さんが最初の足を出すと、同じタイミングで動いた。

 手も、ちゃんとつないだままだった。


 私はとうとう、声を出して笑ってしまった。

 勝也も笑いながら、こちらを見た。


「……すぐ、戻ったね」

「うん」


 返事をすると、また笑ってしまった。

 翔太くんが横を見て、何か言いかけた。


「こっち見て。足、違う」


 井上さんに言われて、すぐに前を向いた。

 もう、格好つけた声は出さなかった。


     * * *


 勝也と一緒に、最初の1歩を出した。

 さっき覚えたところは、そのままできた。

 手を引かれるタイミングも、次に止まるところも、もう少し分かっていた。


 勝也を見上げた。

 こちらを見ていたので、目が合った。


「……今度は、間違えてないね」

「うん。まだ、大丈夫」


 勝也が答えた。

 まだ、と付けたところが可笑しくて、少し笑った。


 同じ手だった。

 ここへ来る時につないでいた手も、さっき一緒に踊っていた手も。

 それなのに、一度離れてから戻ってきただけで、こんなに嬉しかった。


 勝也の方へ進んで、また離れる。

 手が伸びても、指はつながっていた。

 次の動きで近づくと、勝也が少しだけ歩幅を小さくしてくれた。


「これくらい?」

「うん。大丈夫」


 私も足を出した。

 ちゃんと合うと、勝也が笑った。


 勝也は、私が踊れるかどうかを見てくれているのだと思った。

 最初に間違えてしまったところでも、少しだけ足元を見て、私と同じところで止まってくれた。


 私は、勝也の顔ばかり見たくなった。

 見ていると、次の動きが遅れそうになる。

 さっき勝也に、よそを見ているから、と笑ったばかりなのに、今度は私がそうなりそうだった。


「優子、次、ここだよね」


 勝也が確かめた。


「……うん」


 慌てて足元へ目を戻した。

 勝也は気づいたのか、気づかなかったのか、いつもの顔で笑っていた。


 少し向こうで、加藤さんの笑い声が聞こえた。

 隣からは、井上さんに何か言われた翔太くんの返事もした。

 皆が近くにいた。


 私は勝也の手を握り、音楽に合わせて動いた。

 火の方から暖かい空気が来た。

 冷たい風も時々頬へ当たったけれど、踊っている間は、もう寒さを忘れていた。


 さっき、翔太くんに何も言えなかった。

 勝也と踊りたいとは、1度も言っていなかった。

 それでも、ああして戻してくれた。


 気づいてもらえたことが、少し恥ずかしかった。

 でも、理由を聞かれずに済んだことに、ほっとしていた。

 そのまま踊っていていいのだと思えた。


 曲の終わりが近づいた。

 先生が最後の動きを数え、皆が同じところで止まった。


 私も勝也も、今度は迷わず足をそろえられた。


「できたね」


 勝也が言った。


「うん……!」


 顔を上げて答えた。

 勝也が笑った。

 私も、笑った。


 周りで拍手が起きた。

 勝也が手を離そうとして、私は一瞬だけ、その指を握ったままにしてしまった。


「……優子?」


 名前を呼ばれ、気づいた。


「あ……ううん」


 慌てて手を離し、私も拍手をした。

 勝也は隣で同じように手を叩いていた。


 手のひらの暖かさが、すぐには消えなかった。


    * * 勝也視点 * *


 踊り終わって集まると、翔太が右手を開いたり閉じたりしていた。

 春樹がその手を見た。


「何してるの」

「綾香、握力すごい」

「何やったの」

「何で、俺が何かしたことになってんの」


 翔太が言った。

 綾香は隣で、上着の袖を直していた。


「褒めただけだよ」

「そのあと。そのあとの話」

「調子に乗るから」


 綾香が言うと、春樹が、ああ、と頷いた。


「見てないのに、納得すんなよ」


 翔太が言った。

 真弓が笑った。


「声は聞こえたよ。痛いって」

「そこじゃなくて、その前が大事だったのに」


 翔太は一度姿勢を直しかけた。

 綾香がそちらを見ると、すぐに肩の力を抜いた。


「……もう、言わないけど」

「うん。その方がいい」


 綾香が答えた。

 優子も俺の隣で笑っていた。


 俺は少しだけ翔太の近くへ寄った。


「さっき、ありがとう」


 小さく言うと、翔太がこちらを見た。

 優子の方へも目を向けてから、頷いた。


「おう。踊れた?」

「うん。最後は間違えなかったよ」

「俺も。綾香が、ずっと教えてくれた」


 後ろから綾香が、ずっとじゃないでしょ、と言った。


「よそを見ないでって言ったの」

「それも含めて」


 翔太が笑った。

 綾香は少し呆れた顔をしていたけれど、それ以上は言わなかった。


 真弓が優子の方へ顔を向けた。


「優子、どうだった?」

「……楽しかった」


 優子が答えた。

 真弓は、よかった、と笑った。


「私、最後まで、右と左が怪しかった」

「私も、最初は……」

「考えると分かんなくなるんだよね」


 真弓が足元を見た。

 つられて優子も下を向き、さっきの動きを少しだけ確かめた。


「ここで止まって、それから……」


 小さく足を動かしていた。

 真弓が同じようにして、頷いた。


「あ、そうだ。それ」


 優子が顔を上げた。

 真弓と目が合い、少し笑った。


「俺も、そこ、優子に教えてもらった」


 俺が言うと、優子がこちらを向いた。


「……勝也が、翔太くんたちを見てたから」

「あれは、気になるでしょ」


 答えると、真弓も、分かる、と頷いた。

 翔太が俺たちを見た。


「俺らも、ちゃんと踊ってたじゃん」

「うん。途中からは」


 春樹が言った。


「ほら」

「途中からは、ね」


 春樹が言い直した。

 翔太はそこだけ聞こえなかったような顔をした。


     * * *


 近くで、シャッターの音がした。

 振り向くと、カメラマンさんがカメラを下ろしたところだった。


「皆、楽しそうだったね」


 そう言って、こちらへ少し近づいてきた。

 翔太が自分の頭へ手を当てた。


「今、撮りました?」

「撮ったよ。踊っているところも」

「ちゃんと踊れてるところ、ありました?」


 翔太が聞いた。

 カメラマンさんは笑った。


「何枚か撮っているからね。あとで見てみて」

「お願いします」


 翔太が頭を下げた。

 春樹が、何をお願いしてるの、と小声で言った。


 カメラマンさんは、俺たち6人を見渡した。


「せっかくだから、皆そろったところも撮ろうか」


 真弓が返事をした。

 綾香も隣へ寄り、翔太は春樹の肩を軽く引いた。

 俺も優子の近くへ戻った。


「ここで、いいかな」


 聞くと、カメラマンさんが少しだけ横へ動いた。


「そう。もうちょっと、皆、寄ってくれる?」


 翔太と春樹が間を詰めた。

 真弓たちも近づき、優子が俺のそばへ小さく一歩動いた。

 その手が、袖口へ触れた。


「優子、見える?」

「うん」


 優子が答えた。

 俺は少しだけ肩の向きを変え、カメラの方を見た。


 撮りますよ、と声がした。

 皆が前を向いた。


 翔太が急に口を閉じて、真面目な顔になった。

 隣の春樹がそれに気づいた。


「何で、そんな顔なの」

「普通だろ」


 翔太はカメラの方を向いたまま答えた。

 真弓が先に笑ってしまった。

 俺もつられて笑い、優子の指が袖を少しつまんだ。


 その時に、もう1度シャッターの音がした。


「うん、ありがとう」


 カメラマンさんが言った。

 翔太が顔を上げた。


「今の?」

「今のも、いい顔だったよ」


 そう答えて、カメラマンさんは別の班の方へ向かった。

 向こう側にいたもう1人も、集まった生徒たちへカメラを向けていた。


「俺、笑ってた?」


 翔太が俺に聞いた。


「うん。最後は」

「じゃ、いいか」


 翔太は満足したようだった。

 真弓が、さっきの顔より絶対そっちがいい、と言った。


 優子は、カメラマンさんが歩いていった方を見ていた。


「写真、あとで見られるんだね」

「うん。今日のも、ほかの日のも」


 俺が答えると、優子は少し考えてから頷いた。


「……今の、見たい」

「皆で写れたね」

「うん」


 優子が俺を見た。

 まだ少し頬が赤かったけれど、楽しそうだった。


    * * 優子視点 * *


 元の場所へ戻ると、火はさっきより低くなっていた。

 木の間に赤いところが見えて、時々そこから小さく炎が上がった。


 皆で座った。

 勝也も、隣へ腰を下ろした。


 動いていた時は平気だったのに、座って少しすると、首の辺りへ冷たい風を感じた。

 上着の前を確かめ、膝の上へ手を置いた。


「寒くなってきた?」


 勝也が聞いた。


「……ちょっとだけ」

「俺も。踊ってる時は、大丈夫だったんだけど」


 そう言って、袖口を直していた。

 私は、勝也のそばへ少し寄った。

 肩が触れると、勝也がこちらを見た。


「ここで、大丈夫?」

「うん」


 答えた。

 勝也はそのまま前を向いた。


 近くにいる皆が、まださっきの踊りの話をしていた。

 翔太くんが足の動かし方を手で説明し、春樹くんが、それじゃ分からない、と言った。

 井上さんは、もう終わったのに、と笑っていた。


 私は、膝の上で自分の指を軽く曲げた。

 勝也と手をつないで踊った時の感じを、まだ覚えていた。


 手を取ってもらうことは、珍しくなかった。

 学校へ行く時も、家へ帰る時も、勝也は隣にいてくれた。

 それでも、今日のことは、帰ってからも思い出すと思った。


 同じところで間違えたこと。

 顔を見合わせて笑ったこと。

 離れたと思った手が、また戻ってきたこと。


 私は少し顔を横へ向けた。

 勝也は春樹くんの話を聞いて笑っていた。

 その隣にいられることが、嬉しかった。


「勝也」

「ん?」


 こちらを向いてくれた。


「……一緒に踊れて、嬉しかった」


 小さく言った。

 勝也はすぐに笑った。


「うん。楽しかったね」


 頷いた。

 もう少し何か言いたかったけれど、言葉が出なかった。


「教えてくれて、ありがとう」


 勝也が続けた。


「……私も、教えてもらったよ」

「じゃあ、2人ともだね」


 そう言われると、嬉しくて笑ってしまった。

 勝也も笑った。


 向こうで、加藤さんが私たちを呼んだ。

 先生の話が始まるから、もう少し寄ろうと言っていた。


 勝也と一緒に場所を詰めた。

 井上さんが座れるところを少し空けてくれて、私は小声で礼を言った。

 さっきより皆の顔がよく見えるところで、最後の話を待った。


     * * *


 先生の話が始まり、皆が前を向いた。

 キャンプファイヤーの終わりの挨拶を聞き、私たちも一緒に拍手をした。


 立ち上がると、座っていたところの冷たさが少し残っていた。

 上着の裾を直してから、勝也を見た。

 勝也はもう立っていて、私の方へ手を出した。


 私はその手を取った。

 踊る時と同じように、指が触れた。


 花沢先生が、私たちのそばへ来た。


「このあとは、肝試しの説明を聞きます。班の皆と一緒に、向こうへ集まってね」


 先生の指した方を見た。

 建物の灯りに近いところに、ほかの先生が立っていた。

 その奥には道が続いていて、木のあるところから先は暗かった。


「……肝試し」


 翔太くんが、確かめるように言った。

 春樹くんがそちらを見た。


「しおり、さっき読んでたでしょ」

「読んでたけど」


 翔太くんは暗い方を見たままだった。


「昼間と、全然違うな」


 加藤さんも同じ方を見て、少し黙った。

 井上さんが、まだ説明も聞いてないよ、と言った。


 勝也の手が少し動いた。

 見上げると、勝也も道の先を見ていた。


「勝也……?」

「うん?」


 こちらへ顔を戻した。


「……暗いね」

「うん。思ったより、暗いね」


 勝也が答えた。

 少しだけ、声が小さくなったような気がした。


 私はつないだ手を握り直した。

 さっきまで、あんなに明るいところで笑っていたのに、急に木の向こうが気になり始めた。


 でも、勝也は隣にいた。

 手を離さずに、私の顔を見てくれた。


「まず、説明、聞きに行こっか」

「……うん」


 頷いた。

 翔太くんが皆を振り返り、春樹くんたちと歩き出した。


 私も勝也の隣で、同じ方へ足を向けた。

 握った手は、まだ暖かかった。



今回の登場人物


・鵜飼 勝也

夕食やキャンプファイヤーを友人たちと楽しみ、優子とフォークダンスを踊る。動きを間違えた時には2人で確かめ直し、優子に教わる場面もある。ペア交代で綾香の相手になるが、翔太に腕を引かれて優子のもとへ戻る。優子が楽しそうに踊り、皆と笑っていることを喜ぶ。


・富田 優子

皆と同じ場所で火を囲み、手拍子やフォークダンスへ参加する。勝也と踊れることが嬉しく、ペア交代後は近くの勝也を何度も見てしまう。翔太の気遣いで再び勝也と踊り、小声で礼を言う。踊りのあとも友人たちとの会話や写真撮影を楽しみ、勝也へ一緒に踊れて嬉しかったと伝える。


・鳥居 翔太

春樹と踊り方を確かめながらフォークダンスへ参加する。交代後、優子が勝也を気にしていることに気づき、近くの勝也の腕をつかんで「はいっ、勝也あげる」と優子へ渡す。自分は綾香と自然に踊り始めるが、褒められると低い声で格好をつけ、つないだ手を強く握られていつもの調子へ戻る。


・鶴見 春樹

体調が落ち着いたことを先生へ伝え、夕食と夜の行事へ参加する。最初のフォークダンスでは翔太と組み、足の運びや力の入れ方を確かめ合う。活動後も翔太への突っ込みや写真撮影で、皆と笑い合う。


・加藤 真弓

綾香とフォークダンスを踊り、間違えながらも楽しむ。踊り終えてから優子へ感想を尋ね、覚えた動きを一緒に確かめる。翔太たちの掛け合いにも笑い、6人で写真に収まる。


・井上 綾香

最初は真弓と踊り、ペア交代では勝也の相手になる。翔太が優子へ勝也を戻したあとは、自然に翔太と踊る。気遣いを見直して褒めるが、すぐに格好をつけた翔太の手を強く握り、軽くたしなめる。


・花沢先生

夕食時に春樹たちの様子を確かめ、夜の移動では足元へ注意するよう声をかける。キャンプファイヤーの終了後、班の皆で肝試しの説明を聞く場所へ移動するよう案内する。


・学校契約のカメラマン2人

会場の別々の場所を回り、火を囲む生徒やフォークダンスの様子を撮影する。踊り終わった6人の自然な会話を撮り、続けて全員がそろった写真も残す。

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