第5話 雨の日
* * 勝也視点 * *
木曜日の午後、茶道部の窓から見える校庭には、大きな水たまりができていた。
雨は、朝から降っていた。
昼休みには少し弱くなったので、そのままやんでくれるかと思った。でも、部活が終わる時刻が近づくと、また窓を叩く音が強くなった。
「鵜飼君、そっちの戸、閉まってる?」
「はい。閉まってます」
窓の留め具を確かめてから、部長へ返事をした。
先輩たちは道具をしまっていた。俺も棚へ戻す物を受け取り、空いている場所へ運ぶ。
入ったばかりの頃は、どこへ置くにも聞いていた。今は、自分で戻せる物が少しずつ増えている。
「それ、もう場所分かったんだ」
「この前も片づけたので」
「じゃあ、お願いね」
頼まれると、少し嬉しかった。
お茶を飲んで、お菓子を食べて、分からない宿題まで教えてもらっている。運べる物くらいは、自分で運びたかった。
机へ戻ると、問題集の開いていたページに、小さな紙が挟まれていた。
さっき先輩に聞いた英語のところだった。
「ここ、家でもう1回やってみて。答えを見ないでね」
「はい。ありがとうございます」
「お菓子の方は、もう見なくても場所覚えたもんね」
別の先輩が言った。
顔を上げると、部長も笑っていた。
「そっちも毎回同じ場所なので」
「じゃあ、英語も毎回やれば覚えられるよ」
「……そういうことになりますね」
言い返せなかった。
俺は問題集を閉じ、小さな紙ごとファイルへ入れた。
片づけが終わってから、リュックサックを背負った。
先輩たちへ挨拶をして廊下へ出ると、開いた美術室の戸から春樹が見えた。
「春樹、帰る?」
「まだ。ここだけ終わらせてから」
手元を示され、戸口から覗いた。
机の上には、まだ使っている道具が並んでいる。奥では真弓も、同じ部の女子と話していた。
「分かった。先に帰るね」
「うん。外、すごい雨だけど」
「部屋の中でも分かるくらい降ってるもんね」
「勝也、朝みたいに水たまり踏まないでね」
「あれ、そんなに見てた?」
「隣にいたから」
朝は、いつもの公園から学校へ向かう途中で、靴の先を水たまりへ入れてしまった。
翔太の話を聞いていて、下を見ていなかった。
何でそこを踏むんだよ、と笑った翔太も、そのあと同じところを踏んだので、あまり強くは言えなくなっていた。
「今日は、下も見て帰る」
「そうして」
春樹へ手を上げ、階段へ向かった。
体育館の方からは、まだボールの音がしている。翔太も終わっていないらしかった。
今日は、1人で帰るつもりだった。
* * *
昇降口の出口に、優子がいた。
傘を持って、屋根の外を見ている。
朝持っていた物と同じ傘だった。晴れた日に差している白い日傘とは違う。
外へ出かけて、雨の強さを見て戻ったところのようだった。
昇降口には、ほかにも帰り支度をしている生徒がいた。
「富田」
呼ぶと、優子が振り返った。
「勝也くん……部活、終わったの?」
「うん。今、終わったところ。富田も?」
「さっき。出ようとしたら、強くなっちゃって」
話している間にも、雨の音が大きくなった。
出口の前へ流れてきた水が、低い方へ細く筋を作っている。
「もう少し待つ?」
「うん。急いでないから」
「じゃあ、俺も待とうかな。ちょっと靴、履き替えてくるね」
自分の靴箱へ向かい、上履きをしまった。
朝濡れた靴は、触るとまだ少し冷たかった。足を入れてみると、履けないほどではない。
それでも、また水たまりへ入れるのは嫌だった。
戻ると、優子が通り道を空けるように、壁際へ寄っていた。
俺もそちらへ並ぶ。
「今日は、ずっとこれかな」
「天気予報では、夜には弱くなるって言ってたよ」
「夜までここにいたら、学校閉まっちゃうね」
「そこまで待つつもりだったの?」
「今、ちょっと考えた」
優子が笑った。
俺も、そんなに待っていたら夕飯の方が気になってくるだろうと思って、少し笑った。
「勝也くん、今日もお菓子食べた?」
「食べたよ。何で分かったの?」
「部活の日は、大体その話してるから」
「ちゃんと片づけもしてるよ。今日は道具、聞かなくても戻せたし」
「うん。分かってるよ」
優子は、こちらを見たまま頷いた。
からかっているのだと思っていたので、普通にそう返されると、少し照れくさくなった。
「富田は? クラリネット、どうだった?」
「今日は、昨日より少し長く音が出たの」
「へえ。息を長くする練習?」
「うん。同じ音を伸ばすんだけど、途中で揺れちゃって。でも、今日は――」
入口で、傘を開こうとした生徒が声を上げた。
隣の人の傘と引っかかったらしい。ごめん、と言い合い、笑いながら少し離れる。
優子はそちらへ目を向け、そのまま続きを言わなくなった。
俺たちの前を、何人かが通った。
話すのを待っているうちに、優子は傘の持ち手を両手で握り直した。
「……今日は、少しできたから」
「うん。そうなんだ」
もっと話が続きそうだった気がした。
でも、人が通るたびに声を止めることになる。ここで聞き直したら、同じ説明を何度もさせてしまいそうだった。
教室でも、こんなふうに話が終わる時があった。
俺と話したくないのかと思ったこともある。でも、今日は優子の方から、部活の話を聞いてくれた。
少なくとも、最初から話したくなかったわけではないと思った。
「富田の家の方に、屋根のあるベンチがある公園、あったよね」
「うん。学校から少し行ったところ?」
「そう。あそこまで行って、少し待たない? 今なら、歩けそうだし」
雨は降っていたけれど、出口の向こうはさっきより見やすくなっていた。
傘を差して出ていく人も増えた。
「勝也くんは、反対じゃない?」
「少し戻ればいいから。それに、さっきの話、もう少し聞きたいんだ」
優子が顔を上げた。
「楽器の話?」
「うん。今日はうまくできたって言ってたでしょ」
優子は、すぐに外を見なかった。
俺の顔を見てから、小さく頷いた。
「私も、もう少し話したい」
「じゃあ、行こうか」
入口の前で、傘を開いた。
優子が隣へ来るのを待ち、2人で雨の中へ出た。
部活でうまくできたことを聞くだけだった。
それなのに、一緒に行くと言ってもらえると、帰るだけだったはずの時間が、少し楽しみになった。
* * *
公園へ向かう道では、傘の端が何度か触れた。
少し離れたつもりでも、話を聞こうとすると、また近くなっていた。
俺が半歩後ろへ下がると、優子も歩く速さを緩める。
「俺、少し後ろ歩くね。傘、ぶつかっちゃうから」
「あ、ごめん」
「大丈夫。俺も、すぐ近づいちゃうし」
並び直すと、傘の端が離れた。
優子は時々こちらを振り返りながら、続きを話してくれた。
「先輩に、今のところよかったねって言われたの」
「そうなんだ。嬉しいね」
「うん。でも、次にやったら、また途中で音が変になっちゃって」
「1回できたら、ずっとできるってわけじゃないんだ」
「そうなの。さっきはできたのにって思うと、余計に力が入っちゃう」
優子が傘の持ち手から片手を離し、胸の前で少し指を動かした。
楽器を持つ時のことを思い出しているのかもしれない。
「でも、今日は1回できたから。明日も、やってみようと思ってる」
「うん。またできたら、聞きたいな」
優子が、俺を見て笑った。
「できなかった時は?」
「その時も聞くよ。俺だって、できなかった話ばっかりしてるし」
「柱があった話?」
「あれは、俺のせいだけじゃないと思うんだけど」
火曜日の掃除のことだった。
翔太は、そのあとも俺を最下位だと言っていた。柱のある端を拭いていたのだから、少しくらい考えてほしかった。
「鳥居君、帰りも速かったね」
「元気余ってたんじゃないかな。次は、翔太に端をやってもらう」
「また勝負するの?」
「……今、春樹と同じこと言ったね」
優子が笑った。
横を向いた拍子に、足元の水たまりが目に入り、俺は靴を置く場所を変えた。
今度は踏まずに済んだ。
公園へ着く頃、また雨が強くなった。
いつもの朝に5人で集まる公園とは違う、小さな公園だった。
入口から少し奥に、屋根とベンチがある。優子が指したので、俺もそちらへ向かった。
「ここなら、大丈夫そう」
屋根の下へ入ってから、座るところへ手を当てた。
端は少し濡れていたけれど、真ん中の方は乾いている。
優子がリュックサックを膝へ載せて座ったので、俺も間を空けて隣へ座った。
立ったまま話すより、顔を見て話しやすかった。
優子は携帯を取り出し、家へ電話をかけた。
部活は終わったこと、友達と屋根のあるところで雨宿りしていることを、短く伝えている。
俺は雨の方を見て、通話が終わるのを待った。
優子は何度か頷いてから、携帯を閉じた。
「お母さん、大丈夫だって。遅くならないようにって言われたけど」
「じゃあ、少しだけにしようか。雨が弱くなったら帰ろう」
「うん」
優子は携帯をしまった。
リュックサックも、足元の濡れていないところへ下ろす。
さっきまで膝の上で荷物を押さえていた手が、空いた。
「この前の掃除、あとから何か言われなかった?」
階段の話をしたので、気になっていたことを聞いた。
教室で説明したあと、俺は自分の席へ戻った。そのあとのことまでは知らなかった。
「うん。あのあとは、大丈夫だったよ」
「そっか。よかった」
「勝也くんが言ってくれたから」
「俺がお願いしたんだから。気にしないでね」
優子は、ありがとう、と言った。
返事を聞いて、俺も少し安心した。
勝手に手伝ってもらって、優子だけが怒られるのは嫌だった。
掃除をしていなかったわけではない。壁際の埃を集めてくれて、俺も助かった。
そこが伝わったなら、それでよかったと思っていた。
優子が、足元のリュックサックへ目を落とした。
ファスナーのつまみに指をかけてから、何も出さずに手を戻した。
「何か忘れた?」
「ううん。ちゃんと閉じたかなって」
俺も自分のリュックサックを見た。
問題集と、先輩にもらった紙は入れた。帰りに慌てて入れたけれど、ファスナーも閉じている。
「俺、たまに開けたまま背負って、翔太に言われるよ」
「この前も言われてたね」
「あれ、見てた?」
「うん。開いてるぞって、教室の反対側から聞こえたから」
「あいつ、もう少し近くで教えてくれてもいいのに」
優子が、口元へ手を当てた。
笑うと、さっきまで少し固かった肩が下がったように見えた。
* * *
雨の中では、隣で話す優子の声がよく聞こえた。
教室より静かなわけではなかった。屋根にはずっと雨が当たり、近くの道を車が通ると、水を跳ねる音がした。
それでも、次の授業や、誰かに呼ばれることを気にせずに話せた。
「こうして、ゆっくり話すの、久しぶりだね」
俺が言うと、優子は頷いた。
「うん。学校だと、途中で時間になっちゃうから」
「聞きたいこと、あったのにね。会ってなかった時のこととか」
「私も……聞きたかった」
再会してから、話していなかったわけではない。
ゲームや宿題の話もした。でも、続きを話そうと思ったところで、授業が始まったり、別々の場所へ行く時刻になったりしていた。
目の前にいることに慣れてきたのに、離れていた間のことは、まだほとんど知らなかった。
「転校した学校……最初はどうだった?」
優子が聞いた。
「最初は、ちょっと困ったかな。知ってる人、いなかったから」
「勝也くんでも?」
「俺でも。誰に話しかけたらいいか、分かんなかったよ」
優子は少し意外そうだった。
今、翔太たちと騒いでいるところばかり見ていたら、そう思うのかもしれない。
「でも、慣れてからは、よく翔太や春樹と遊んでた。学校のあとも、休みの日も」
「ゲーム?」
「うん。それで、そろそろ帰ろうって言ってから、もう1回ってなるんだよね」
「昔も、言ってたね」
「富田も、もう1回やってくれたでしょ」
「勝也くんが、やりたそうだったから」
そう言われると、何も言い返せなかった。
優子は少し笑って、膝の上で手を重ねた。
「向こうでも、楽しかったんだね」
「うん。でも、引っ越したばっかりの時は、変な感じだったよ。何しようかなって考えて、富田の家に行こうとしてから、もう隣じゃないんだったって」
優子がこちらを見た。
「そんなこと、あったの?」
「あったよ。ずっと近くにいたから」
あの頃は、遊びたいと思えば会いに行けた。
それができなくなったことを、引っ越したあとも、何度か忘れかけた。
「富田は、どうしてた?」
「私は……本を読む時間が、増えたかな。ゲームも、してたよ」
「そうなんだ。面白い本、増えた?」
「うん。好きな話、たくさんできた」
「じゃあ、また教えてほしいな。俺が読んだことあるのも、あるかもしれないし」
優子は、うん、と答えた。
すぐに本の名前を挙げるのかと思ったけれど、少し黙ってから、俺の顔を見た。
「あとね……眼鏡のことも、聞いてみたかったの」
「眼鏡?」
フレームに指をかけると、優子が頷いた。
「いつから掛けてるのかなって。目、悪くなったの?」
「ううん。これ、伊達眼鏡だよ」
「え、そうなの?」
優子の目が、少し大きくなった。
こんなに驚かれると思っていなかったので、俺も眼鏡へ触れたまま止まった。
「外しても、見えるの?」
「見えるよ。度、入ってないから」
「じゃあ、どうして?」
聞かれると、少し言いにくかった。
今、改めて話すと、そんなことで、と思われそうだった。
「小学校の時、翔太と春樹が眼鏡を掛けててさ」
「うん」
「3人でいると、俺だけ掛けてなくて。何か、仲間外れみたいだなって思って、母さんにお願いして買ってもらったんだ」
優子が、俺の眼鏡を見た。
それから、ゆっくり顔へ目を戻した。
「眼鏡、掛けてないだけで?」
「……うん。今だと、俺もそう思うんだけど。その時は、俺も欲しかったんだよね」
優子が口元を押さえた。
肩が小さく揺れたので、俺も笑ってしまった。
「笑うと思った」
「ごめん。もっと、違う理由かと思ってたから」
「目が悪くなったとか?」
「うん。本やゲームの話、よくするから」
「そっちじゃなくて、仲間に入りたい方だった」
「もう、仲間だったでしょ?」
そのとおりだった。
眼鏡がなくても、一緒に遊んでいた。そんなことは、買ってもらう前から分かっていたはずだった。
「そうなんだけど。何か、同じがよかったんだと思う」
優子は笑いを収めてから、自分の眼鏡の端へ触れた。
「私のも……伊達眼鏡なの」
「富田も?」
「うん。度は、入ってないよ」
今度は、俺が驚く番だった。
再会した時から掛けていたので、視力のためなのだと、勝手に思っていた。
「最初はね、前髪が邪魔で。眼鏡を掛けてると、少し押さえられるから」
優子は、フレームの上にかかった髪をそっと直した。
「今は、この眼鏡も気に入ってるの。掛けてる方が、落ち着くから」
「そっか。似合ってるもんね」
優子の手が止まった。
俺の方を見てから、膝へ戻る。
「……ありがとう」
声が少し小さくなった。
言った俺まで照れくさくなり、屋根から落ちる雨を見た。
「勝也くんも……似合ってるよ」
隣から言われて、顔を戻した。
「そう?」
「うん。その眼鏡、好き」
優子はフレームの方を見ていた。
眼鏡の話なのだと分かっていても、嬉しかった。
「じゃあ、これからも掛けとこうかな」
「私が言ったから?」
「それもあるよ。似合ってるって言ってもらえると、嬉しいし」
優子が、少し顔を伏せた。
俺も、触ってばかりいた眼鏡から手を離した。
2人とも、昔は掛けていなかった。
会わないうちに変わっていたところにも、聞いてみれば、こんな理由があった。
ほかにも、知らないことがあるのだろう。
昔の優子を覚えているだけでなく、今の優子のことも、もっと聞いてみたくなった。
「さっき言ってた本、今読んでるのも好きな話?」
「うん。図書室で借りたの。まだ途中だけど、面白いよ」
優子は、どんな話なのか、少し教えてくれた。
途中で言い直しても、今は続きを待てた。気になるところを尋ねると、そこを言ったら先が分かっちゃう、と笑われた。
「じゃあ、読んでみたいな。読み終わったら教えて」
「うん。返す時に言うね。勝也くんの感想も、聞きたい」
「食べ物の話ばっかりしてたら、ごめんね」
「どうして?」
「登場人物がおいしそうなの食べてると、そっちを覚えちゃうんだよ」
「お菓子食べてから読めば?」
「それでも、違う物が出てきたら、そっちが食べたくなる」
優子が、また口元へ手を当てた。
「じゃあ、読む前に何食べたらいいの?」
「分からない。先に中を見たら、秘密のところまで読んじゃいそうだし」
「そんなところで困らなくてもいいのに」
優子が声を出して笑った。
俺も笑いながら、もう少し話していたいと思った。
雨が弱くなったか確かめるのを、しばらく忘れていた。
* * 優子視点 * *
口元に当てていた手を、膝へ戻した。
笑いすぎて、少し息が苦しかった。
眼鏡を掛けるようになった理由まで、勝也くんらしかった。
仲のいい人と同じにしたくて、買ってもらった眼鏡。その話を聞いたあとでは、黒いフレームを見るだけで、また笑いそうになった。
それから、隣の家へ行こうとしてしまったという話も、嬉しかった。
新しい友達ができても、私のことを思い出す時があった。
会いたかったのが私だけではなかったと分かって、胸が温かくなった。
離れていた間のことを、全部話せたわけではない。
本を読んでいた日のことなら話せても、誰とも話せずに帰った日のことまでは、まだ言えなかった。
でも、今は、もっと勝也くんの話を聞きたかった。私の好きになった本やゲームのことも、知ってもらいたかった。
勝也くんは、私が読み終わったら、同じ本を借りたいと言ってくれた。
何が面白かったかを、話してもいい。違うところを覚えていたら、そこを聞いてみたい。
教室で途中までしか読めなかった本が、また楽しみになっていた。
同じ本の話なのに、勝也くんには言葉が出てくる。
聞かれる前に、これも話したいと思う。
うまく説明できなくても、言い直す間、待っていてくれると分かっていた。
雨が降っていなければ、そのまま別々に帰っていたかもしれない。
そう考えると、やまない雨が少しだけ嬉しかった。
「あれ、鵜飼君?」
公園の入口の方から、声がした。
顔を上げると、傘を差した戸田さんと富永さんがいた。
さっきまで笑っていた口を、閉じた。
「今、帰り?」
勝也くんが聞いた。
戸田さんは頷き、屋根の近くまで歩いてきた。
「うん。何してるの?」
「ちょっと雨宿り。ここまで来たら、また強くなっちゃって」
勝也くんは普通に答えた。
私も、頷けばよかった。
でも、戸田さんの視線がこちらへ向くと、膝の上の手を動かせなくなった。
「富田さんもいたんだ」
「……うん」
「何の話してたの? すごく笑ってたけど」
富永さんが聞いた。
私は、勝也くんの方を見かけて、止めた。
私に聞かれたのだから、自分で答えなければと思った。
「本の……話を、してて……」
「本?」
「と、お菓子の話」
勝也くんが言った。
富永さんは、ああ、と笑った。
「鵜飼君って、すぐ食べ物の話になるね」
「俺も、最初は本の話を聞いてたんだけどね」
「途中から、何食べようって話になったの」
つい、言い足した。
勝也くんがこちらを見て、うん、と笑った。
「富田に聞いても、決まらなかったけど」
「だって、読む前に何が出てくるか分からないから」
「そうなんだよね。だから、結局家にある物食べるんだと思う」
少し笑いかけたところで、戸田さんと目が合った。
「富田さん、今みたいに話せるんだね」
私の声が止まった。
戸田さんは、笑ったままだった。
「私たちが話しかける時、そんな感じじゃないから」
「あ……その……」
何と言えばいいのか分からなくなった。
今、何を話していたのかは覚えている。
でも、同じように話してと言われても、さっきの声には戻れなかった。
「俺が変なこと聞いたから、説明してくれたんだよ」
勝也くんが言った。
自分の言い方の方がおかしかったと思っているのだろうか。
その声を聞いて、少しだけ息ができた。
「へえ。じゃあ、明日、私たちにも教えてよ。本の話」
富永さんが言った。
「……うん」
「難しいのじゃなくて、分かりやすくね」
頷いた。
何をどう話すか、今から考えなければと思った。
戸田さんは、濡れていないベンチの方へ目を向けたけれど、座らなかった。
富永さんへ、行こう、と声をかける。
「じゃあね。あんまり遅くならないようにね」
「うん。気をつけてね」
勝也くんが答えた。
私も、小さく頭を下げた。
2人の傘が、公園の入口へ戻っていく。
富永さんが戸田さんへ顔を寄せ、何か言った。
雨の音で、言葉までは聞こえなかった。
それでも、私のことを言っているのではないかと思った。
勝也くんにだけ普通に話す、と、また言われているのかもしれない。
私は膝の上で指を重ねた。
さっきまで笑っていたことが、悪いことだったように思えてきた。
「富田、時間大丈夫?」
勝也くんに聞かれ、顔を上げた。
「うん。まだ、そんなにたってないから」
「そっか。急に静かになったから、気にしてるのかと思って」
違うよと、言いかけた。
でも、何が気になっているのかを説明しようとすると、戸田さんたちの話をしなければいけなかった。
今度、本の話を聞かせてと言われただけだった。
怒られたわけではない。
掃除の時のように、間違ったことを言われたわけでもなかった。
それなのに怖かった、と言っても、勝也くんを困らせるだけかもしれない。
「明日……うまく話せるかなって思って」
「本の話?」
「うん。さっきも、聞かれたのに、止まっちゃったから」
勝也くんは、足元のリュックサックを見た。
「本、見せながらだったら、話しやすいかもしれないね。裏に説明、あるでしょ」
「……うん。あらすじがある」
「それ見てもらってからなら、最初から全部説明しなくてもいいと思うよ」
私は、リュックサックを見下ろした。
確かに、裏表紙には短い紹介が書いてあった。
それを見せれば、どんな話なのか、少しは伝わるかもしれない。
「そうしてみる」
「うん。さっき、俺には分かったから。そんなに心配しなくてもいいと思うよ」
私がうまく話せる方法を、考えてくれていた。
どうしてそんなこともできないの、と言われなかった。
それが嬉しくて、頷いた。
でも、勝也くんに話す時と同じようにできるかは、分からなかった。
聞いてくれる顔を見ながら話すのと、次に何を言われるか考えながら話すのは、違った。
足元のリュックサックを、少しだけ自分の方へ寄せた。
さっきまで気にならなかったファスナーが、また目に入った。
本が入っていることは、分かっている。
それでも、手を伸ばして、きちんと閉まっているか確かめた。
* * 勝也視点 * *
優子が携帯で時刻を確かめた頃、雨は細くなっていた。
屋根からはまだ大きな滴が落ちていたけれど、公園の向こうの道が、さっきよりはっきり見えた。
俺は膝へ手をつき、立ち上がった。
「そろそろ、帰ろうか」
「うん」
優子もリュックサックを背負った。
傘を取る前にベンチを振り返り、忘れ物がないか確かめている。
俺も座っていたところを見た。
戸田たちが来てから、優子は少し静かになった。
初めから知らない相手ではない。同じ教室で、毎日顔を合わせている。
それでも、大勢で話す時には緊張するのだろうか。
さっきまであんなに笑っていたので、その違いが気になった。
俺には話してくれる。それが嬉しくて、ほかの人と話している時のことを、あまり考えていなかった。
「明日、本の説明、途中で分からなくなったら、俺にも聞いてね」
言ってから、俺はまだ読んでいないのだと気づいた。
「……って言っても、さっき聞いたところまでしか分からないけど」
優子がこちらを見た。
少し間を置いて、笑った。
「先のことを聞かれたら?」
「そこは富田に聞く」
「私が困ってたら、どうするの?」
「じゃあ、今から2人で読むしかないね」
「帰るんじゃなかったの?」
そのとおりだった。
俺が頷くと、優子は笑ったまま傘を取った。
「ありがとう。明日、見せてみる」
「うん」
それ以上、何か言う必要はないと思った。
優子も少し安心してくれたように見えたし、今ここで考えても、明日の会話を全部決めることはできなかった。
傘を開き、公園の入口へ歩いた。
俺は学校の方へ戻り、優子は家の方へ進む。
別れるところで足を止めると、優子もこちらを向いた。
「今日、誘ってくれてありがとう」
「ううん。俺も、話したかったから」
「楽しかった」
雨の音がしていても、はっきり聞こえた。
優子は傘の持ち手を握ったまま、俺を見ていた。
「俺も楽しかったよ。また話そうね」
「うん。また明日」
「また明日。気をつけてね」
優子が歩き出した。
俺も学校の方へ向き直る。
来る時より、靴の先が少し濡れていた。
遠回りをした分、家へ着くのも遅くなる。
でも、寄らなければよかったとは思わなかった。
楽しかった、と言ってくれた声を思い出していた。
教室でも、もう少しあんなふうに話せたらいい。
今度は、俺も本を読み終わってから、続きを聞きたかった。
会っていなかった間のことも、まだまだ聞きたいことがあった。
道の端の水たまりをよけて、家へ向かった。
* * 宣仁視点 * *
翌日の金曜日、雨はやんでいた。
教室の窓から見える校庭には、まだ水が残っている。
昼には外へ出られるやろか、と近くの男子に聞かれ、自分は窓へ寄った。
「あそこ、池みたいになっとるやん」
「あっちの端なら平気じゃない?」
「ボールがあそこ入ったら、誰が取りに行くん」
「荒川」
「何で今、決まったん?」
男子が笑った。
自分も笑いながら、リュックサックを机の横へかけた。
少し離れたところでは、勝也が翔太に赤ペンを貸していた。
春樹が、帰る前に返してあげなよ、と言っている。
「忘れないって」
「翔太、その赤ペンは何でないの?」
「家に忘れたから」
「今、忘れないって言ったよね」
勝也に言われ、翔太は少し黙った。
春樹が笑うので、自分も笑ってしまった。
あの3人とは、教室で時々話す。
同じ小学校から来た仲間のようには、まだ互いのことを知らない。それでも、隣で笑っていたら、何で笑ってるんだよ、と自分にも話を振ってくれる。
机から問題集を出していると、後ろの方で優子の声がした。
「あの……富永さん。英語、ここまで、だった……?」
開いた問題集を、莉奈の方へ少し向けている。
莉奈は美咲と話していた。
「それで、昨日の続きなんだけどさ」
「うん。どうなったの?」
優子は、その横で待っていた。
話が終わるところを待っているのだと思った。自分も、誰かが喋っている途中には入りにくい。
やがて優子が、もう少し近くへ問題集を寄せた。
「あ、あの……宿題の、範囲……」
「莉奈、英語ってここまでだよね?」
別の女子が、反対側から同じ問題集を見せた。
「そう。そこまで」
「よかった。次もやるのかと思った」
「そこは今日じゃない?」
莉奈は、すぐに答えた。
優子も返事を聞いていたはずだった。持っている問題集へ目を落とし、小さく頷いた。
けれど、莉奈は優子を見なかった。
「富田。そこまでで合っとるで」
自分が言うと、優子は顔を上げた。
「……うん」
「自分も今、出したとこやねん。昨日、黒板に書いてあったやつやろ?」
同じところを開いて見せた。
優子は自分の問題集と見比べ、それから、もう1度頷いた。
「……ありがとう」
「うん」
優子は席へ戻った。
莉奈に、自分も聞いたんだけど、と言うことはなかった。
最初は、聞こえへんかっただけかもしれない。
でも、優子は2回聞いていた。
あとから来た女子にはすぐ答えたのに、優子には、もう分かったかと確かめることもなかった。
問題集を机に置いた。
たまたま返事をし損ねたのだろうか。
それだけではない気がして、優子が座った方を、もう1度見た。
* * *
昼休みになっても、校庭へ出るのはやめておこうという話になった。
窓から見えない方にも、水が残っていたらしい。
剣道部の男子と、放課後の練習について話していた。昨日より腕が重いと言ったら、そいつも肩を回している。
「寝たら治ると思ってたのに」
「自分も。朝、リュック持つだけで分かったわ」
「今日もあるんだよな」
「あるなあ」
2人で同じように息を吐いた。
そいつの向こうに、教室へ戻ってきた優子が見えた。
自分の席の前で、立ち止まっている。
机の下へ目を向け、それから隣を見た。
椅子がなかった。
少し離れたところに、美咲たちが集まっていた。
空いている椅子へ雑誌を載せ、顔を寄せ合っている。優子はそちらへ近づいた。
「あの……それ、私の……椅子……」
「借りた。ちょっと待って」
莉奈が言った。
優子は足を止めたまま、雑誌を見た。
「……座りたい、んだけど……」
「だから、ちょっとだって」
美咲が答え、雑誌のページをめくった。
優子はそれ以上言わず、自分の机へ戻った。本を出したけれど、開かないまま持っている。
自分は、話していた男子へ断ってから、美咲たちの方へ行った。
「その椅子、富田に戻したって。もう帰ってきとるやん」
「今、見てるから」
「雑誌やったら、机に置けるやろ」
すぐ横に机があった。
教科書が載っていたけれど、端へ寄せれば、雑誌くらい置ける。
莉奈がこちらを見た。
「別に、取ったわけじゃないんだけど」
「うん。せやから、返したって言うてるだけやで」
「……そんなに言わなくても」
美咲が雑誌を持ち上げた。
ようやく空いた椅子を、自分は持ち上げた。
優子が近づこうとしたので、そのまま机へ運んだ。
「ここでええな」
「……うん。ごめ……」
「謝らんでええよ。ちょっと運んだだけやし」
優子の手が、本の端を握った。
何か言いかけたあとで、目を落とす。
「……ありがとう」
「うん」
少し離れると、優子は椅子に座った。
莉奈たちは、横の机に雑誌を広げ直している。
それで普通に読めるのなら、最初からそうすればよかった。
戻ってきたことに気づかなかったのではない。
優子は、座りたいと言った。
聞こえる距離まで来て、自分の椅子を返してほしいと頼んでいた。
朝、返事をもらえずに立っていた姿を思い出した。
自分が声をかけなかったら、今度はいつまで立っていたのだろう。
* * *
席へ戻る途中で、莉奈が優子を呼んだ。
「富田さん。それ、昨日の本?」
優子が顔を上げた。
自分も足を緩めた。
「……うん」
「どんな話? 昨日、聞けなかったじゃん」
優子は本を閉じた。
裏へ返し、莉奈の方へ向ける。
「こ、ここに……少し、書いて……あるから……」
「読まないと分かんないの?」
莉奈は受け取らなかった。
「富田さんが説明してよ」
「……あの……最初に、出てくる子が……」
優子は表紙へ目を落とした。
続きを探すように、指が本の角へ触れた。
「知らない……人に、会って……それで……」
「誰が?」
「……主人公、の……」
「何か、よく分かんない」
美咲が笑った。
莉奈も、口元を押さえた。
「昨日は鵜飼君と、楽しそうに喋ってたのにね」
優子が、急に本を引いた。
胸の前へ戻すように抱え、口を閉じる。
昨日、何があったのかは知らない。
でも、今の言い方が、本の続きを知りたい人の声には聞こえなかった。
「聞いたんやったら、最後まで聞いたらええやん」
自分が言うと、莉奈が振り返った。
「聞いてるよ。分かんないって言っただけ」
「途中で笑われたら、説明しにくいやろ」
「笑っちゃ駄目なの?」
「そういう話やないって」
美咲が、もういいよ、と言った。
優子へ向き直り、軽く首を傾げる。
「難しい本なんでしょ。じゃあ、いい」
「……ごめんなさい」
優子が言った。
何で、優子が謝るのだろう。
聞かれたから本を見せて、説明しようとしただけだった。
うまく言えないなら待てばいい。自分にでもできることだった。
美咲たちは、雑誌の方へ戻っていった。
優子は本を膝へ下ろした。
「富田。謝らんでもええと思うで」
声をかけると、優子は少しだけ顔を上げた。
「……うん」
「説明の途中やったやん。ちゃんと聞いてへんかったし」
優子の視線が、美咲たちへ動いた。
自分もそちらを見た。向こうはもう、こちらへ顔を向けていなかった。
「……大丈夫、だから……」
優子はそう言って、本を机の中へ入れた。
読んでいたところへ戻るのだと思っていたので、手が止まるのを見てしまった。
何かを続けて聞くのも、困らせる気がした。
自分は、そっか、とだけ返して離れた。
春樹が席から顔を上げた。
「荒川、何かあった?」
「……ちょっと、話してただけ」
答えてから、違うと思った。
ただ話していたのなら、優子だけが謝る必要はなかった。
でも、ここで美咲たちのことを大きな声で話すのも違う。
聞こえた優子が、また自分のせいだと思うかもしれなかった。
「あとで、先生に聞いてみるわ」
そう言うと、春樹は少し不思議そうな顔をしたけれど、頷いた。
そのあと、勝也と翔太が教室へ戻ってきた。
2人とも、今のことは見ていなかった。
勝也が優子へ何か話しかけ、優子が顔を上げた。自分のところからは、返事までは聞こえなかった。
次の授業の用意をした。
相談するなら、先生だと思った。
自分が見たのは今日のことだけだ。それまでに何があったのかは、分からない。
だから、普段の様子も見ている先生に聞いてほしかった。
* * *
帰りの会が終わってから、担任の先生を追いかけた。
先生は出席簿を持って、職員室の方へ歩いていた。
声をかけると、廊下の端へ寄ってくれた。
「荒川、どうした?」
「少し、話してもええですか」
「うん。何かあった?」
普通に聞いてもらえそうだった。
自分は、教室の方を確かめてから話し始めた。
「富田のことなんですけど。今日、話しかけても返事してもらえへんかったり、椅子、返してもらえへんかったりしてて」
先生が足を止めた。
「椅子?」
「戸田さんらが、雑誌を置くのに使ってたんです。富田が戻ってきて、座りたいって言うても、そのままで」
「今もないの?」
「いえ。自分が言って、戻しました」
「そうか。それは、ありがとう」
先生が頷いた。
自分は、朝の問題集のことも話した。
優子には返事がなく、あとから来た女子には答えていたこと。本を説明するように言われ、途中で笑われていたこと。
話しているうちに、廊下を通る人が増えた。
自分は少し声を落とした。
「富田、謝ってたんです。でも、悪いことしてへんと思うんです」
「うん。ただ、聞こえなかっただけということもあるからね」
「それは、あるかもしれんけど。椅子は、座りたいって言うてました」
「少し借りるつもりだったんじゃないかな。戻っているなら、まずはよかったよ」
先生の声は柔らかかった。
自分を叱っているわけではない。
でも、話したかったところが、少しずつ外れていく気がした。
「戻ったんは、自分が言うたからです。富田が言うた時は、返してへんかったんです」
「それで、富田は何と言っていた?」
聞かれ、少し考えた。
「……あとで声かけたら、大丈夫って。でも、本を読まんと、しまってしまって」
「そうか。本人が大丈夫と言っているなら、周りがあまり大きくしない方がいいこともあるよ」
自分は先生を見た。
「大丈夫やから、ああなってたようには見えへんかったんです」
「心配してくれるのは分かる。けれど、それだけでいじめだと決めつけることはできないからね」
まだ、いじめという言葉は使っていなかった。
何があったのか、自分にも全部分かっていない。
分からないから、先生に話していた。
「今すぐ、誰かを叱ってほしいってことやないです。富田に、何があったんか聞いてもらえませんか」
先生は、出席簿を持ち直した。
「女子同士のことは、こちらから急に入っていくと、かえって難しくなる場合もあるんだよ」
「でも、誰も聞かへんかったら……」
「先生も、もう少し様子を見ておくから」
優子の話を聞くとは、言ってくれなかった。
「戸田さんらにも、椅子のことだけでも……」
「今日は戻っているんだろう? また同じようなことがあったら、その時に注意しよう」
また。
もう1度、同じことが起きるまでなのかと思った。
自分は廊下の床へ目を落とした。
うまく説明できていないのだろうか。
順番に話せば、優子が困っていたことくらいは伝わると思っていた。
「先生に話したことで、富田が責められるようには、せんといてほしいです」
「うん。そこは気をつけるよ。荒川も、あまり考えすぎないようにね」
先生はそう言って、職員室の方へ向き直った。
呼び止める言葉を探しているうちに、少し離れてしまった。
話を聞いてはくれた。
けれど、優子に何を聞いてくれるのかも、いつ確かめてくれるのかも、何も決まらなかった。
教室へ戻ると、もうほとんどの人が部活へ行っていた。
優子もいなかった。
机の下には、自分が戻した椅子が入っている。
先生からすれば、元に戻っていた。
でも、優子が返してほしいと言っても聞いてもらえず、立って待っていた時間まで、なくなったわけではなかった。
自分の荷物を取った。
今日は、勝也にも翔太にも、この話をしていない。春樹にも、詳しいことは言っていなかった。
先生に頼めば、と思っていたからだった。
誰かに話したら、優子が嫌がるかもしれない。
けれど、誰にも話さず、また大丈夫と言うのを聞いているだけでいいのだろうか。
椅子を戻したあと、優子は謝りかけた。
本を聞かれたあとも、謝っていた。
次にそんなところを見たら、また声をかけようと思った。
先生が様子を見ると言ったからといって、自分まで離れて見ているだけにはなりたくなかった。
リュックサックを持ち、教室の戸を閉めた。
雨はやんだのに、朝ここへ来た時よりも、気持ちが重かった。
今回の登場人物
・鵜飼勝也
優子を雨宿りに誘い、転校後の暮らしや伊達眼鏡を掛け始めた理由を話す。本の説明を不安がる優子には、あらすじを見せながら話す方法を提案する。
・富田優子
雨宿りをしながら勝也と笑い合い、離れていた間も自分を思い出してくれていたことを喜ぶ。翌日は椅子を返してもらえず、本の説明も笑われてしまう。
・鶴見春樹
美術室で作業を続けながら、先に帰る勝也へ水たまりに気をつけるよう声をかける。翌日は荒川の様子に気づき、何かあったのかと尋ねる。
・鳥居翔太
赤ペンを家に忘れ、勝也から借りる。返し忘れを心配されて「忘れない」と答えるが、忘れ物をしたばかりだと勝也に突っ込まれる。
・加藤真弓
放課後の美術室に残り、同じ部の女子と話している。
・荒川宣仁
優子の椅子を戻し、本の説明を遮って笑う美咲たちをたしなめる。見た出来事を担任へ相談するが、具体的な対応の約束は得られない。
・戸田美咲
雨宿り中の勝也と優子を見かけ、優子の話し方が普段と違うことを指摘する。翌日は優子の椅子を使い続け、本を説明しようとする姿を笑う。
・富永莉奈
優子には宿題の質問に答えず、あとから来た女子には返事をする。本の説明でも言葉を遮り、勝也とは楽しそうに話していたことを持ち出す。
・優子の母(富田美和)
優子から雨宿りの電話を受け、遅くならないようにと伝える。
・茶道部の部長と先輩たち
勝也と道具を片づけ、覚えた置き場所やお菓子の話で冗談を交わす。教えた英語の問題は、家でもう1度解いてみるよう勧める。
・1年3組の担任
荒川の相談を聞くが、椅子が戻ったことや優子の「大丈夫」という返事を重く見る。様子を見ると答え、本人たちへの確認は約束しない。




