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永遠の残滓  作者: Mateo
83/85

第83章:本部は領域を失っていく

本部の地図は、もう地図には見えなかった。

線が多すぎる。

色が多すぎる。

それまでの表示の上に、新しい印がいくつも重なっている。

タツは中央指令卓に身を乗り出していた。

片手を画面の横につき、次々と届く報告に合わせて、もう片方の手で各区画を切り替えていく。

緑。

黄。

赤。

また一つ、経路が消える。

二階層下に新しい警告が現れる。

五分前まで確保済みだった地点が、再び点滅を始める。

香奈は向かい側に立ったまま動かなかった。

やることがないからではない。

一つの判断を下すたび、別の何かを失うようになっていたからだ。

「西側をもう一度」

タツが画面を二本の指で滑らせる。

地図が切り替わった。

「主要通路はまだ開いています。霧野が中央区画を維持。有本と和田も同行中です。負傷者の避難は進んでいます。今のところ、あの方面で新たな強敵の報告はありません」

香奈はその区画を見る。

緑。

完全ではない。

枝分かれした二つの通路は黄色だった。

「東は?」

タツが別の区域を開く。

「加藤が一部経路を奪還しました。生存者も発見。ザンショウの存在と、補助制御設備に対する組織的な活動を確認しています」

それは香奈も知っている。

気になるのは、それが他のすべてとどう繋がっているのかだった。

「地下は?」

タツはシステムと接続された通信機を確認した。

「バクから少し前に応答がありました。強力な残滓は撃破」

香奈が顔を上げる。

「状態は?」

「負傷。ただし行動可能とのことです」

バクの場合、その言葉はあまり当てにならない。

肋骨が折れていても「動ける」と答えかねない男だった。

タツが続ける。

「下層への遺体回収班と医療班を要請しています」

香奈はうなずいた。

「安定した経路が確保でき次第、送って」

タツはすぐに返事をしなかった。

香奈が見る。

「何?」

「それが問題です」

地図を拡大する。

指令区域と下層を繋ぐ経路に三つの印。

緑。

黄。

赤。

タツが黄色を指した。

「ここは八分前まで安全でした」

指を移す。

「今は警備所との通信が不安定」

次。

「ここの自動扉は電源を失っています」

さらに次。

「ここには下位残滓が二体出現。負傷者を運んでいた部隊は迂回を余儀なくされました」

香奈は線を見つめた。

理屈の上では、バクは勝った。

だが現実には、彼のところまで行くことは戦闘前より難しくなっている。

「鏡は?」

タツがまた画面を切り替える。

「中央第四区画から生存者九名を救出。死亡者四名を確認。村と原田も同行しています」

「経路は?」

「後方で封鎖されました」

香奈が目を細める。

「残滓に?」

「こちら側でです」

タツが報告書を開いた。

「追撃を防ぐため、鏡が通路を部分的に崩落させました」

一つの勝利。

一つの経路を喪失。

香奈は両手を卓上についた。

「香澄」

タツの表情がわずかに変わった。

確認する必要はなかった。

「保管区画は現在も部分的にこちらの管理下です。一つ目の物品は奪われました。二つ目に触れようとした試みは阻止」

香奈はその区画の表示を見る。

結界用の遺物を示していた印は灰色になっていた。

壊されたからではない。

もうそこに存在しないから。

手のひらほどの小さな器具。

二重の金属輪。

暗い核。

十分な魔力を蓄積すれば、広い区域を丸ごと隔離できる。

「偶然だと思いますか?」

タツが尋ねた。

香奈は答えなかった。

タツも返事を期待してはいなかった。

偶然と呼ぶには多すぎる。

残滓たちは抵抗の弱い場所を選んで進んでいるわけではない。

より多くの人間を殺そうとしているわけでもない。

領域を占拠しようとしているわけでもない。

特定の場所に手を出している。

特定の道を開ける。

別の道を閉ざす。

いくつかの部隊を後方へ残す。

目的に不要な戦いなら、狩人を無視する。

香奈は本部全体の地図へ戻した。

各地の狩人たちは、それぞれ勝利を報告できる。

問題は、その勝利のあとに何が残るかだった。

破壊された通路。

使えなくなった扉。

接続を失ったシステム。

負傷者の避難に使えなくなった経路。

交差点を守るため、その場から動けなくなった部隊。

一人の負傷者を運ぶために必要になる二人。

戦闘に勝つたび、時間を失う。

一分失うたび、場所を失う。

「本部そのものを奪うつもりじゃない」

タツが言った。

香奈は地図を見たまま答える。

「ええ」

「なら、どうしてこっちが領域を失ってるんです?」

数秒後、香奈は答えた。

「持ち続ける必要がないからよ」

________________________________________

西側通路では、優奈が片手を上げたまま、青白い魔力の構造体が二つの壁の間へ定着するのを見届けていた。

非常灯の下で、半透明の表面はガラスのように見える。

もちろん、本物のガラスではない。

即席の障壁が、かつて扉だった開口部を塞いでいた。

その後ろでは、健太が両膝に手をついて呼吸している。

千穂は魔力の弓を構えたままだった。

「できた」

優奈が手を下ろす。

構造体は残った。

永遠には保たない。

彼女が作るものに永遠などない。

だが、しばらくは持つ。

健太が身体を起こした。

「進みます?」

優奈は彼を見る。

汗。

荒い呼吸。

前腕近くで焦げた袖。

襲撃開始時より、火の制御は明らかに良くなっている。

だからこそ、まだ立っていられる。

「いいえ」

健太が眉を寄せる。

「もう一区画なら行けます」

「行けるわ」

優奈は後ろを指した。

二人の狩人が負傷者を運んでいる。

「でも、この道が十分後にも残ってるようにすることもできる」

健太は通路を見る。

反論しなかった。

千穂が弓をわずかに下ろす。

前方で何かがぶつかる音がした。

一度。

もう一度。

三人が顔を上げる。

何も出てこない。

優奈の指先に、小さな魔力の構造物が生まれる。

単純な形。

細い。

それを交差点へ飛ばした。

構造物は一度回転し、壁へ刺さる。

反応はない。

「来ないですね」

千穂が呟いた。

優奈もそれを良い知らせとは受け取らなかった。

この区域を襲った残滓たちは戻ってくることもできた。

戻っていない。

問題は、どこへ行ったのか。

優奈の通信機が鳴った。

『霧野』

タツの声。

「聞こえてる」

『西側の状況確認を』

優奈は二人の生徒を見る。

次に開口部を塞ぐ構造体。

「まだ維持できてる」

『グループを移動させられますか?』

優奈は半秒だけ考えた。

「できる」

健太が顔を上げる。

タツが続けた。

『まだ動かないでください。現在位置を維持』

優奈はわずかに眉をひそめる。

「何か変わった?」

雑音。

『はい』

「何が?」

『全部です』

それ以上聞く前に通信が切れた。

優奈は本部の奥を見る。

何も言わない。

健太には、それだけで十分だった。

________________________________________

中央第四区画では、鏡が自ら崩した通路の前に立っていた。

天井の一部が落ち、道を塞いでいる。

完全ではない。

だが十分だった。

向こう側から動く音。

残滓。

突破しようとしている様子はない。

それがおかしかった。

海斗は壁にもたれて座り、女性狩人に脇腹の浅い傷を確認されている。

「大丈夫だって言っただろ」

「私も動くなって言ったでしょ」

「迅にも言われた」

「なら二人が正しいわね」

海斗が迅を見る。

「裏切り者」

迅は返事をするほどの余力もなかった。

壁に背をつけ、目を閉じている。

救出中、転移を使いすぎた。

倒れるところまでは行っていない。

だが、近い。

鏡は崩落箇所を見る。

重さの分布を感じ取る。

質量。

圧力。

必要なら変えられる。

開ける。

さらに閉ざす。

維持する。

だが、どこにでも同時にいることはできない。

通信機が鳴る。

『鏡』

「ここだ」

『九人とも一緒ですか?』

「ああ」

『北側通路の臨時医療地点まで移動を』

鏡は迅を見る。

次に生存者。

「その経路は閉じてたはずだ」

『今は開いています』

「こっちは?」

タツの返事が遅れた。

『もうすぐ使えなくなります』

鏡は天井を見る。

「あとどれくらいだ」

『分かりません』

鏡が息を吐く。

「素晴らしいな」

『移動できますか?』

「ああ」

『なら今すぐ』

通信が切れた。

鏡はバリケードから離れる。

「移動する」

海斗が立つ。

「これは?」

崩落を指す。

「置いていく」

「戻るときに必要にならない?」

鏡は彼を見る。

「それがまさに問題なんだ」

海斗は意味が分からない。

鏡は歩き始める。

「戻れる場所が、どんどん減ってる」

________________________________________

指令所には、ほぼ同時に三件の報告が届いた。

タツが一つ目を取る。

「第十四警備扉、応答なし」

二つ目。

「第三補助倉庫、通信途絶」

三つ目。

手が止まった。

香奈はそれを見る。

「言って」

「南側医療経路が封鎖されました」

「残滓?」

「不明です」

「中に負傷者は?」

「移動中の部隊が二つ」

香奈は中央通信機を取った。

「迂回させて」

タツはすでに探している。

「北側医療経路は過負荷です」

「なら設備通路を開けて」

「閉鎖装置が応答しません」

「手動」

「開けられる部隊は第六区画です」

「別の部隊を」

タツが香奈を見る。

「いません」

香奈は黙った。

答えがないからではない。

選ばなければならないから。

中央圏内で活動している部隊は十四。

三つは負傷者のため動けない。

二つは施設防衛中。

一つは通信途絶。

もう一つは北へ移動中。

香澄は保管区画。

加藤は東。

バクは地下。

優奈は西。

鏡は生存者を移動中。

神崎は――。

香奈は地図の右端を見る。

何もない。

タツもその視線を追った。

名前は出さなかった。

第七通路の表示は消えたまま。

通信なし。

確認なし。

情報なし。

香奈は以前、彼が先に到着していることを信じるしかないと言った。

今も、それが事実かどうか分からない。

タツは地図に戻る。

「資料庫から二人抜けます」

「駄目」

「なら北警備所から一人」

「それも駄目」

「南医療経路は――」

「分かってる」

香奈は別の区画へ指を置く。

「中央アクセスの予備班を回して」

タツが顔を向けた。

「訓練区画へ繋がるラインを守ってる部隊です」

香奈は指を動かさない。

「分かってる」

「動かせば、中央部とあの区域の間にある警備所が一つ減ります」

「今この瞬間、負傷者が閉じ込められてる」

タツは香奈を見る。

香奈も視線を逸らさない。

「動かして」

タツが命令を出した。

地図上の小さな緑の印が持ち場を離れる。

南へ移動していく。

そのあとに残された場所の色は変わらなかった。

まだ。

________________________________________

第二階層で警報が鳴り始めた。

六秒。

それだけで止まった。

廊下を走っていた二人の狩人が足を止める。

一人が天井を見る。

「何だ?」

もう一人が通信機を上げる。

「中央、状況を」

返事なし。

もう一度。

「中央」

雑音。

正面の扉が勝手に閉じた。

二人が止まる。

一人が操作盤を叩く。

反応なし。

「迂回する」

振り返る。

脇道は開いていた。

走る。

五十メートルほど進んだところで血を見つけた。

死体はない。

血だけ。

そして開いた設備扉。

一人が近づく。

「ここ、開いてなかった」

「確かか?」

「確実だ」

通路の奥で何かが動いた。

二人が武器を構える。

影が角の向こうへ消えた。

「残滓だ」

追おうとする。

一人が二歩進んだところで止まった。

報告を思い出した。

「いや」

もう一人が見る。

「何だ?」

「中央から、経路を外れて逃げる個体は追うなって言われてる」

廊下は空のまま。

二人は角を見つめる。

残滓は戻ってこなかった。

一人が歯を食いしばる。

「これ嫌いだ」

もう一人は開いた設備扉を見た。

「たぶん、それが狙いなんだろ」

________________________________________

三分後、タツはその報告を受け取った。

他の情報へ追加する。

開いた設備扉。

戦闘を避けた残滓。

使えなくなった自動閉鎖。

途中で消えた警報。

また一つの点。

また一つの線。

香奈はそれが表示されるのを見る。

「ネットワークに手を入れてる」

「はい」

「停止させるためじゃない」

タツは首を振る。

「違います」

その方がまだ単純だった。

電源を完全に落とされれば、本部は非常システムに切り替わる。

通信を完全に潰されれば、狩人たちは予備手順へ移行する。

すべての扉を閉ざされれば、手動経路を開く。

だが今は違う。

断続的。

何がまだ動いているのか、誰にも確信できなくなる程度。

すべての判断を賭けに変える程度。

「建物そのものを信用できなくさせられてる」

タツが言った。

香奈は彼を見る。

どの報告よりも的確な言葉だった。

本部が要塞でいられるのは、中にいる者たちがその構造を知っているから。

経路。

出入口。

安全地点。

手順。

今は扉が開くかもしれない。

開かないかもしれない。

通路が安全かもしれない。

三十秒前に安全ではなくなったかもしれない。

通信機はこの部屋では動く。

曲がり角を一つ越えれば死ぬ。

土地そのものはまだ彼らのもの。

だが、敵に感じ始めていた。

タツが画面を切り替える。

「もう一つあります」

「言って」

「移動経路です」

複数の軌跡を表示する。

小さな赤い線。

「一点に集まっていません」

香奈は見る。

「まだね」

「そうです」

残滓たちは本部内部の別々の地点へ向かっている。

下るもの。

上るもの。

横断するもの。

全員が同じ目的地を目指しているようには見えない。

考えられるのは二つ。

統制されていない。

あるいは、目的が複数ある。

香奈は前者をすでに捨てていた。

灰色になった遺物の印を見る。

「結界だけが目的じゃない」

タツは理由を聞かなかった。

「どれだけ狙われるものがあります?」

「多すぎるわ」

「遺物ですか?」

香奈は直接答えない。

「制限区画はすべて最優先に変更」

タツが地図を見る。

「それでは対象が多すぎます」

「なら、向こうが優先してる場所から守る」

「どこか分かってません」

香奈が顔を上げる。

「今はね」

________________________________________

電話を受けたとき、香澄は床に座っていた。

疲れていたからではない。

ベテラン狩人の脚を確認していた。

太腿に深い傷。

動脈には届いていない。

ぎりぎりで。

保管庫の主要扉は再び閉められている。

誰も信用していなかった。

二人の狩人が入口を守る。

『香澄』

片手で通信機を取る。

「ここよ」

『新しい侵入は?』

「ない」

『何も?』

香澄は扉を見る。

「何も」

『それが逆に不安です』

「私も」

香奈が通信へ入る。

『保管庫の記録を確認して』

香澄が眉を上げる。

「今?」

『今』

「何を探す?」

『最近の照会。アクセス履歴。在庫情報。手順変更。情報請求。何でも』

香澄は包帯を締める手を止めた。

「知りすぎてたと思ってる?」

『無差別に破壊するために入っただけなら、興味を持つはずのない遺物の場所を知ってた。それだけは分かる』

香澄は黙った。

「了解」

『その区域から離れないで』

「そのつもりはないわ」

通信が切れる。

負傷したベテランが香澄を見る。

「問題か?」

包帯の結び目を締める。

「たくさん」

立ち上がる。

「これは新しいやつ」

________________________________________

指令所では、タツがまた一つ経路を閉じた。

赤。

次。

黄。

中央画面は、安定区画より危険区画の方が多くなっていた。

香奈は卓の周囲を歩く。

誰も叫んでいない。

それが余計に悪かった。

命令はまだ出ている。

部隊もまだ応えている。

狩人たちはまだ戦っている。

完全に統制を失った者はいない。

まだ。

タツが北側を拡大する。

「第五警備所から援軍要請」

「理由は?」

「残滓三体」

「格は?」

「下位」

香奈は位置を見る。

「耐えてもらって」

「避難路を守っています」

「耐えてもらって」

タツが伝える。

次の報告。

「東第二設備アクセス、内側から開放」

香奈が振り向く。

「こちらの部隊?」

「違います」

「閉じて」

「遠隔操作不能」

「手動」

「近くに誰もいません」

香奈の顎に力が入る。

次。

「第一階層のゲート制御と通信途絶」

次。

「残滓四体が第九区画を横断。狩人二名との戦闘を回避」

次。

「資料庫部隊、北側に活動を確認」

次。

「香澄のルートは安定」

次。

「鏡、移動中」

次。

「霧野、西側維持」

次。

「加藤、新しい接触なし」

多すぎる。

タツの手はどんどん速く動く。

香奈は個々の報告を見るのをやめた。

全体を見る。

そこにあった。

銀次郎が先に見つけたもの。

力で押し負けているわけではない。

注意を消費させられている。

一体の残滓が通路に現れる。

狩人二人を送る。

扉が故障する。

別の部隊が進路変更。

負傷者が出る。

さらに二人が迂回。

施設に防衛が必要になる。

五人が、重要ですらないかもしれない場所に縛り付けられる。

狩人を殺す必要はない。

本当に必要な場所に、十分な人数がいない状態を作ればいい。

香奈はゆっくり息を吸う。

「タツ」

「はい」

「二十分前より、こっちの人数が減ってる区域を出して」

タツが彼女を見る。

それから条件を設定する。

いくつもの区域が消える。

残ったものが強調表示された。

香奈は見る。

その一つ。

訓練区画。

動きが止まる。

タツも気づいた。

「中央アクセスから二人抜きました」

「ええ」

「南警備所からも一人、医療避難へ」

「ええ」

「西側通路を守っていた警備班も第二階層へ移動しています」

香奈は何も言わない。

タツが拡大する。

訓練区画そのものはまだ緑。

だが、その色だけではもう状況を表せない。

周囲にいる狩人が減っている。

確認済みの経路が減っている。

通信が減っている。

選択肢が減っている。

「何重残ってる?」

香奈が聞く。

タツが確認。

「機能中のアクセスは三つ」

「確認済みは?」

タツが少し止まる。

「二つ」

香奈が見る。

「三つ目は?」

「七分前から報告なし」

香奈は胸の奥に嫌な圧迫感を覚えた。

恐怖ではない。

まだ。

計算。

生徒たちを動かすのは危険。

残すことも危険になり始めている。

あそこへ送ったのは、守られた区域だったから。

主要目標から離れている。

隔離できるだけの制御設備もある。

だが避難所とは、一つの部屋だけを指すものではない。

その周囲すべてだ。

警備員。

経路。

通信。

出口。

それらの層が崩れれば、部屋自体は同じでも。

避難所ではなくなる。

「第三アクセスの警備所へ連絡」

タツが通信する。

「第七警備所、応答してください」

何もない。

「第七警備所、こちら指令室」

雑音。

周波数を変える。

「第七警備所」

沈黙。

香奈は地図を見る。

「誰か送って」

タツが探す。

「一番近い班は避難対応中です」

「次」

「九分」

香奈が首を振る。

「遅い」

タツが別区域を拡大する。

「設備担当の狩人が二人います」

「送って」

「戦闘要員ではありません」

「戦わせない。見てこさせるだけ」

タツが命令を伝える。

訓練区画の表示はまだ緑だった。

香奈には、もうそうは見えなかった。

________________________________________

訓練区画の中では、時間が奇妙な流れ方をしていた。

時計を見ている者はいない。

加藤が出ていってからどれほど経ったのか、誰も尋ねなかった。

悠太は何度か聞こうと思った。

結局、聞かなかった。

床に座り、壁へ背中を預けている。

大会の疲労がまだ脚に残っていた。

肩を動かすたび、忘れていた別の打撲が見つかる。

千穂はいない。

健太も。

花も。

結衣も。

迅も。

海斗も。

二年生は大人たちと一緒に出ていった。

一年生は残された。

命令通り。

陽菜は折り畳んだマットの上に座っていた。

小さな斧は近く。

手には持っていない。

だが遠くもない。

芽衣は壁から壁へ歩いている。

急いでいるわけではない。

ただ、じっとしていられないようだった。

石田は扉の近く。

颯太は少し離れ、膝を抱えて座っている。

全員の中で、肉体的には一番消耗していない。

同時に、外で何か音がするたび一番よく見ていた。

しばらくの間は人の気配があった。

足音。

命令。

担架。

遠くの警報。

それが減った。

そして、ほとんど何も聞こえなくなった。

芽衣が止まる。

「これ嫌い」

陽菜が見る。

「何が?」

「待つの」

「私も」

「全部まずいなら、そう言ってくれた方がまだマシ」

石田が少し振り向く。

「いや」

芽衣が見る。

「何が?」

「全部大丈夫って言われる方がいいだろ」

「まあ、そうだけど。言いたいことは分かるでしょ」

石田はまた扉を見る。

悠太が顔を上げる。

枠の上に小さなランプ。

緑。

入ってからずっと緑だった。

今まで気にしたこともない。

颯太は違った。

「あれって、閉まってるって意味?」

悠太もそちらを見る。

「たぶん、安全って意味じゃないかな」

「たぶん?」

石田が答えた。

「そうだ」

颯太はランプを見つめる。

「そっか」

芽衣がまた歩き始める。

「すごく安心した」

誰も返さない。

数秒後、遠くから何かがぶつかる音がした。

全員が扉を見る。

何もない。

陽菜が斧の柄を掴む。

持ち上げはしない。

悠太が少し身体を起こす。

「外だろ」

「そりゃそうでしょ」

芽衣が返す。

もう一つ音。

今度は小さい。

そのあと、何もない。

数秒。

扉上のランプが点滅した。

一度。

悠太が眉をひそめる。

緑へ戻る。

「前にもああなった?」

陽菜が聞く。

石田は首を振る。

「いや」

颯太が立ち上がる。

一人だけだった。

「何の意味?」

誰も答えられなかった。

________________________________________

「南アクセスとの通信が切れました」

タツは声を上げなかった。

必要なかった。

香奈が彼を見る。

「確認済み?」

「設備担当の二人が一つ手前の交差点まで到着しました」

タツはイヤホン越しに報告を聞く。

表情が硬くなる。

「血痕があります。警備所は無人」

「遺体は?」

「なし」

「残滓は?」

タツが待つ。

「視認できず」

香奈が近づく。

「扉は?」

「開いています」

沈黙。

タツが地図を見る。

南アクセスの色が変わる。

緑。

黄。

赤。

線が一つ減った。

「訓練区画まで確認できてる経路は何本?」

香奈が聞く。

タツが確認。

答えは先ほどより低い声だった。

「一本」

香奈は地図から視線を外さない。

「一本だけ?」

「今この瞬間、安全を保証できるのは一本だけです」

訓練区画はまだ緑。

島のように。

周囲は黄と赤。

タツが顔を上げる。

「孤立し始めています」

香奈は数秒見つめた。

避難命令を出すことはできる。

確認できている一本の道から、生徒たちを移動させる。

だがその経路は、この三十分で二つの交差点の状態が三度変わっている。

残すこともできる。

訓練区画自体はまだ襲われていない。

独自の閉鎖機構もある。

出口も一つ残っている。

まだ。

その言葉が増えすぎていた。

「動かさない」

香奈が言う。

タツが見る。

「確信ありますか?」

「ない」

香奈は一本だけ残った緑の線を指した。

「でも今出せば、襲撃の真ん中に連れていく可能性がある」

「なら増援を」

香奈は利用可能な部隊を見る。

近くにいない。

空いている部隊もない。

「何を使って?」

タツは答えない。

香奈は両手を卓についた。

「訓練区画へ連絡」

タツが周波数を切り替える。

「訓練区画、こちら指令室」

何もない。

もう一度。

「訓練区画、応答してください」

雑音。

香奈が顔を上げる。

「もう一度」

タツが別のチャンネルへ。

「訓練区画」

ノイズ。

声のようなもの。

すぐに消える。

タツが画面を見る。

「干渉です」

香奈は何も言わない。

タツがまた地図を見る。

「送れる部隊を――」

「待って」

香奈は一本の緑の経路を見た。

待ちたいからではない。

誰かを動かす前に、その道が本当にまだ存在するのか確認する必要があった。

新しい警告が表示される。

自動閉鎖。

訓練区画。

タツがシステムを開いた。

「外部扉の一つが中央制御との接続を失いました」

香奈の内側で何かが硬くなる。

「閉じた?」

「はい」

「手動は?」

「動くはずです」

「はず?」

タツは答えなかった。

________________________________________

扉の上のランプが変わった。

最初に気づいたのは悠太。

緑。

一度点滅。

黄色。

誰も喋らない。

芽衣が歩くのをやめる。

陽菜が斧を持ち上げる。

石田が壁から離れる。

颯太がみんなを見る。

「これ、まずい?」

悠太はランプから目を離さない。

正確な意味は知らない。

知る必要もなかった。

加藤が出ていってから、この場所で唯一ずっと変わらなかったもの。

安全だということ。

扉。

外の警備。

ランプ。

通信。

他の場所で何が起きていても、ここで待っていられるという感覚。

今、その何かが変わった。

悠太は立ち上がった。

大会の疲労はまだ残っている。

打撲。

消費した魔力。

全部。

それでも、誰も座り直さなかった。

扉の向こうからは何も聞こえない。

それが一番嫌だった。

黄色いランプだけが、点灯したままだった。

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