第81章:最後の残響
配管が震えた。
バクはヒビキから視線を外さなかった。
金属音が天井を伝って走る。すでにその音を聞き分けられるようになった者にとっては、あまりにも遅い警告だった。
ヒビキも同時に前へ出る。
衝撃が放たれるより先に、バクはその狙いを理解した。
下がれば、また距離を与える。
横へ跳べば、ヒビキに廊下の中央を取り戻される。
完全に避けようとすれば、また前までと同じ戦いに戻る。
バクはそうしなかった。
ツルハシの先端を床へ突き立てる。
魔力が柄を通って下へ流れた。
金属の周囲でコンクリートがひび割れる。
頭上から残響が落ちた。
右肩と背中の一部を直撃する。
バクは身体を沈めた。
脚で受け止められるだけ受け止める。
痛みが脇腹を貫く。
呼吸が止まった。
それでも、下がらない。
ヒビキが間合いへ入った。
それこそバクの狙いだった。
先に動いたのはヒビキ。
顔面への直拳。
バクは頭を傾ける。
拳がマスクをかすめた。
二撃目は腹部。
前腕で受ける。
圧力を受けた肋骨が痛んだ。
バクはツルハシの柄で返す。
短く。
鋭く。
ヒビキの脇腹へ入った。
完全な魔力放出を乗せるだけの距離はない。
必要もなかった。
バクは腰を回し、肘を叩き込む。
ヒビキが腕を上げる。
防御。
その時には、バクはもう角度を変えていた。
腹部へ膝。
ヒビキが半歩下がる。
バクの踵の後ろにある金属板が震えた。
そこに残っていた衝撃は弱い。
バク自身が上書きしたものだ。
それでも十分だった。
小さな衝撃で足が数センチずれる。
ヒビキはその瞬間を逃さない。
拳がマスクの下へ入る。
バクの頭が横へ振れた。
口元から細い血が流れる。
残滓は続けて攻撃する。
負傷した肩へ一撃。
関節の反応が遅れた。
痛み。
そこでバクは、もう一つ理解した。
ヒビキにとって、すべての残響が致命的である必要はない。
弱いものにも使い道がある。
殺すためではない。
姿勢を崩す。
足を数センチずらす。
肩を動かす。
半秒だけ防御を開けさせる。
それで十分だった。
バクは弱い振動を無視するのをやめた。
ヒビキの身体の一部として読むようになった。
ヒビキが拳を出す。
バクの左足の下で振動。
バクは衝撃が来る前に重心を変えた。
小さな残響が放たれる。
脚はほとんど動かない。
ヒビキは防御が開くことを前提に、顔へ次の一撃を用意していた。
そうはならなかった。
バクは腕の下へ潜り込む。
踏み込む。
柄尻が腹部へ。
ヒビキの身体が折れる。
バクは前足を軸に回り、そのまま肩を胸へ叩き込んだ。
ヒビキが下がる。
バクは追う。
距離を作らせない。
拳。
防御。
肘。
前腕で受ける。
膝。
ヒビキは身体を捻り、威力を逃がした。
右の壁が震える。
バクはその音を覚えていた。
弱い。
避けない。
残響が背中へ当たる。
吹き飛ばすには足りない。
だがヒビキは、そこから生まれるわずかなズレを待っていた。
首へ攻撃。
バクは顎を引く。
拳がマスク上部へ当たった。
すでに亀裂の入っていた表面が割れる。
黒い破片が飛んだ。
マスクの右側が頬骨から顎近くまで裂ける。
バクが一歩下がった。
ヒビキは止まらない。
次。
バクは防ぐ。
肩の関節が震える。
ヒビキはまた同じ側を狙った。
バクは守り方を変える。
拳をぎりぎりで外へ流す。
手首を掴む。
引く。
ヒビキの重心が崩れる。
バクは額を残滓の顔面へ叩き込んだ。
音が廊下へ響く。
ヒビキが離れる。
鼻から再び血。
バクは手を離した。
二人とも、わずかに下がる。
休憩ではない。
次に踏み込むための距離だけだった。
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ヒビキが右足を動かした。
それだけ。
バクは見た。
一瞬遅れて、同じ側の壁が震える。
残響。
バクはしゃがむ。
衝撃が頭上を通過する。
ヒビキが左脚へ重心を乗せる。
床板が応える。
バクは後ろではなく前へ跳んだ。
衝撃が踵の後ろで弾ける。
今度はヒビキが下がらざるを得ない。
その重心移動が、能力の発動に本当に必要なのか。
バクには分からなかった。
分かる必要もない。
パターンだった。
複数の場所を正確に使うとき、ヒビキが繰り返している癖。
残滓が柱へ寄る。
バクは目で追う。
ヒビキの肩がわずかに落ちる。
柱が震えた。
その時には、バクはもう動いている。
衝撃は、さっきまでいた場所を通り抜けた。
魔力が見えるわけではない。
新しい感覚が目覚めたわけでもない。
ただ。
十分な回数、殴られた。
いつ来るのかを覚えるには、それで足りた。
ヒビキも、自分の動きが読まれ始めたと理解した。
変えた。
準備動作を見せなくする。
動きを不規則にする。
一歩。
二歩。
方向転換。
バクは飛び込まない。
追う。
ヒビキが右へ行くふりをする。
左の配管が震える。
バクが振り向く。
衝撃は来ない。
フェイント。
ヒビキが中央から入る。
バクはツルハシを上げる。
拳が柄へ当たる。
二撃目は脇腹。
負傷した肋骨へ乾いた痛み。
息が詰まる。
ヒビキが押す。
床から残響。
今度は強い。
バクはその区画を把握していなかった。
下から力を受ける。
身体が浮く。
足場を取り戻す前に、ヒビキが胸へ打ち込む。
バクの身体が吹き飛ぶ。
金属製の設備へ激突した。
音が廊下全体を走る。
設備が背中に沿ってへこむ。
しばらく、バクは動かなかった。
ツルハシが横へ落ちる。
ヒビキが見ている。
壊れていたマスクがさらに割れた。
一部が床へ落ちる。
その下に血。
眉からこめかみにかけて切れている。
バクは息を吸った。
胸がほとんど動かない。
もう一度。
今度は深く。
肋骨が痛む。
完全には折れていない。
まだ動ける。
ヒビキが歩いてくる。
今度はゆっくり。
怖れているからではない。
何も考えず近づくことが危険だと、もう知っているから。
バクはへこんだ金属に手を置く。
押した。
金属が軋む。
身体から離れる。
片足を床へ。
次にもう片方。
ツルハシを拾う。
立ち上がる。
何も言わない。
ヒビキが止まった。
バクは武器を上げる。
再び、廊下が二人の間に戻った。
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バクの動きが変わっていた。
探しているのは、もう残響の残った場所だけではない。
道だった。
ヒビキは中央を進める。
右側も使える。
左は落ちた配管と、バクが切り離した金属板で狭くなっている。
後ろには脇道へ続く扉。
正面の通路はさらに下層へ伸びている。
バクは一度だけ全体を見る。
位置を決めた。
ヒビキには向かわない。
左へ寄る。
通路の一部を身体で塞ぐ。
ヒビキは反対側の空きを見る。
そちらへ進む。
バクも一歩。
ヒビキが角度を変える。
右壁にはまだ強い残響が残っていた。
起動。
衝撃でバクが守りに入る。
ヒビキが前へ出る。
だが、それでいい。
今、ヒビキはバクが望んだ場所にいる。
背後には、すでに二度残響を吐き出した区画。
左には、主構造とほとんどつながっていない板。
右には、バクが弱い衝撃で上書きした壁。
ヒビキが手を上げる。
右壁が震えた。
バクは動かない。
弱い衝撃。
ヒビキが左を見る。
金属板。
次。
外れかけた板だけが空気を震わせる。
十分な力は伝わらない。
バクが進む。
ヒビキが下がる。
一歩。
もう一歩。
背後の柱を使おうとする。
そこも、すでにバクが軽く叩いている。
発動。
残響はバクの服を揺らす程度。
ヒビキが周囲を見る。
ここに来たのは偶然ではない。
バクが連れてきた。
技でもない。
命令でもない。
ただ毎回、正しい位置に立っただけ。
ヒビキが方向を変える。
横へ抜けようとする。
バクが塞ぐ。
ヒビキが攻撃。
バクが受ける。
残滓は脇道の扉へ向かう。
バクがツルハシを動かす。
ヒビキは狙わない。
先端が扉の金属接合部へ入る。
正確な一撃。
枠が外れた。
扉が半分倒れ、道を塞ぐ。
ヒビキが止まる。
バクはもう後ろにいる。
柄が背中へ入る。
ヒビキが振り向く。
拳。
バクは左肩で受ける。
肘で返す。
ヒビキが離れる。
そこでようやく、はっきり理解した。
廊下そのものが狭くなったわけではない。
選択肢が減っていた。
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ヒビキが、さらに奥へ下る通路を見た。
戦いが始まってから初めて、その視線が一秒以上そこに残る。
バクは見逃さなかった。
ヒビキは回り込むのをやめる。
構えを変えた。
低く。
走るための姿勢。
バクはツルハシを握り締める。
ヒビキが踏み出す。
同時にバクも動く。
距離が縮む。
ヒビキが道を開けるために殴る。
バクが前腕で受けた。
痛い。
退かない。
ヒビキが回って蹴る。
柄で止める。
残滓が後退する。
バクが前へ。
もう一度。
ヒビキが横を抜けようとする。
バクが身体を入れる。
ヒビキが止まった。
「俺は、お前を狙って来たわけじゃない」
バクはツルハシを低く持ったまま。
「知ってる」
ヒビキが攻撃。
それ以上の会話はなかった。
最初の拳が顔の横を通る。
二撃目は防御へ。
バクが短く返す。
ヒビキが下がる。
壁から弱い残響。
バクの足首へ。
足がずれる。
ヒビキが踏み込む。
バクはそれを待っていた。
脚が崩れるのを止めない。
重心を落とす。
ヒビキが入った瞬間、下から回転する。
肩を腹部へ突き上げる。
残滓の身体が数センチ浮く。
バクが押す。
残響のある壁ではない。
すでに無力化した区画へ。
ヒビキが倒れる。
転がる。
立つ。
バクはもう近い。
ツルハシが落ちる。
ヒビキが避ける。
金属が床へ当たった。
魔力放出はしない。
ただ跡が残るだけ。
ヒビキが動く。
バクが追う。
今度はバクが、残滓の行く先を決めている。
右へ一歩。
後ろへ。
ヒビキが使える場所を探す。
見つける。
天井の配管。
バクも知っている。
まだ残っている。
ヒビキが腕を上げる。
配管が震えた。
バクは固定。
上から衝撃。
膝が曲がる。
痛めた肩が崩れそうになる。
それでもツルハシは動かない。
ヒビキはその一瞬で逃げようとする。
バクが床から武器を引き抜く。
交差点へ着く前に追いつく。
柄が膝裏へ。
ヒビキが片膝をつく。
バクが振り上げる。
残滓が転がった。
先端が数センチ横を通る。
ヒビキが距離を取る。
強い残響は、もうほとんど残っていない。
二人とも分かっていた。
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ヒビキは温存をやめた。
床が震える。
柱。
壁。
バクが周囲を見る。
三つ。
頭上の配管も。
四つ。
背後の金属板。
五つ。
廊下が再び唸った。
ヒビキが両手を広げる。
最初の残響は左。
バクが回り、ツルハシで受ける。
指が痺れる。
二つ目は床。
跳ぶ。
三つ目は上。
空中では避けられない。
身体を捻る。
肩へ直撃。
着地が崩れる。
右脚が折れそうに沈む。
膝をつく。
ヒビキが背後の板を起動。
バクはツルハシを突き立てる。
背中へ衝撃。
先端がコンクリートを削る。
抜けかける。
握りを強くする。
正面から次。
胸で受けた。
息が止まる。
身体が折れる。
ヒビキが近づく。
バクは顔を上げる。
まだある。
壁。
バクは立つ。
腕で一部を受ける。
そのまま進む。
配管。
太腿へ。
脚が止まりかける。
一歩。
床。
跳ぶのが遅い。
足へ入る。
横へ倒れそうになる。
手をつく。
起きる。
ヒビキが下がった。
壁はまだ応えている。
バクはその中を進んでいる。
無傷ではない。
一撃ごとに何かを奪われる。
呼吸は重い。
眉から血。
右肩はほとんど固まっている。
肋骨の辺りの服には暗い染み。
それでも止まらない。
ヒビキがまた一歩下がる。
柱を起動。
バクは場所を知っている。
折れた棒の跡。
衝撃。
ツルハシを回す。
柄へぶつかり、半歩だけ下がる。
それ以上ではない。
柱が静かになる。
空。
次の壁。
強化グローブの狩人が残した衝撃。
バクは死体を横目で見る。
潰れた手。
ヒビキが起動。
衝撃が来る。
バクは両足を床へ。
正面から受け止めない。
武器を斜めにする。
力の一部を柄に沿って流す。
胸を横切る。
身体がずれる。
片足が浮く。
もう片方は残る。
バクは立て直した。
柱はもう震えない。
一つ減った。
ヒビキがさらに下がる。
使うたびに、周囲の構造物が静かになる。
一撃。
沈黙。
次。
沈黙。
見えない武器が減っていく。
バクは、その増えていく静けさの中を進んだ。
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残りは一つ。
振動する前から分かっていた。
廊下の奥にある壁。
周囲に比べれば、ほとんど無傷。
傷は一つだけ。
深い。
丸い。
偶然の衝突でできたものとは思えないほど、整っている。
バクはこの章の最初から、あの壁へ近づかないようにしていた。
ヒビキも同じだった。
それで十分だった。
残滓がその場所まで下がる。
バクが初めて止まった。
二人の距離は六メートルほど。
ヒビキの呼吸は荒い。
顔から血が流れる。
胴体には何度も受けた打撃の跡。
バクのマスクは割れている。
顔の片側が露出していた。
誰も喋らない。
ヒビキが片足を置く。
壁が震えた。
今までと違う音。
低い。
バクは死体の一つを見る。
グローブの男ではない。
もっと後ろ。
壁にもたれて倒れている狩人。
手にはまだ重い武器。
この場所へ来たとき、バクはその跡を見ていた。
今、ようやく繋がった。
防衛線が崩れる直前の一撃。
もしかすると、最後の一撃。
壁が震える。
傷の周囲のコンクリートが割れた。
バクはツルハシを下ろす。
先端を床へ。
魔力。
しゃがまない。
下がらない。
逃げようとしない。
衝撃が放たれた。
力が廊下を走る。
バクへ直撃。
乾いた音。
身体が折れる。
ツルハシが数センチ引きずられた。
金属の周囲の亀裂が広がる。
左足が下がる。
次に右。
一歩。
二歩。
バクは歯を食いしばる。
肩が崩れそうになる。
脇腹が焼ける。
口に血。
それでも、ツルハシの先は床から抜けない。
衝撃が弱まる。
バクが顔を上げた。
壁の振動が止まった。
静寂。
ヒビキが壁を見る。
もう一度、起動しようとする。
何もない。
壁は動かない。
中にはもう何も残っていない。
最後の残響が終わった。
バクはツルハシを床から引き抜いた。
前へ出る。
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ヒビキも出た。
もう舞台はない。
二人だけ。
ヒビキが先に殴る。
バクが受ける。
二撃目。
脇腹へ。
バクは下がらない。
柄で返す。
ヒビキが逸らす。
膝。
防御。
ヒビキが顔へ。
バクが回る。
拳が割れたマスクの縁をかすめる。
バクは腕の下へ入る。
腹部へ短い一撃。
ヒビキが肘で返す。
バクのこめかみに入る。
視界が揺れた。
それでも離さない。
ヒビキの腕を掴む。
残滓が引く。
バクが止める。
ヒビキが反対の拳。
バクは肩で受けた。
傷んだ腕が消えそうになる。
だが、もう片方がある。
引く。
ヒビキの重心が崩れる。
額。
残滓が下がる。
バクが一歩。
腹部へ。
胸へ。
三撃目をヒビキが防ぐ。
バクは持ち替える。
柄が顎へ入る。
ヒビキが後ろへ飛ぶ。
背後には壁。
さっき使った場所。
もう空だ。
バクが入る。
ヒビキの胴へ腕を回す。
今度は止めない。
そのままコンクリートへ叩きつけた。
壁に亀裂。
ヒビキは一瞬、バクと壁の間に挟まれる。
離れようとする。
壁に弱い振動。
何も出ない。
もう一度。
反応しない。
バクは見た。
ヒビキも。
ほんの一瞬。
残滓の動きが止まる。
諦めではない。
理解。
バクが半歩下がる。
ツルハシを上げる。
ヒビキが動こうとする。
先端が胴体の中央へ入る。
深くはない。
まだ。
バクが柄を握る。
魔力が腕を下る。
壁へは流れない。
床にも散らない。
構造物には一切与えない。
すべてを、金属とヒビキの身体が触れている一点へ集める。
残滓の目が開いた。
バクが放つ。
大きな爆発はなかった。
廊下も揺れない。
天井も壊れない。
ヒビキの身体だけが大きく反る。
接触点の周囲に亀裂。
もう一本。
胴体へ広がる。
皮膚の円形模様が歪む。
亀裂から魔力が漏れた。
バクはツルハシを離さない。
放出が終わる。
ヒビキが手を上げようとする。
上がらない。
腕が落ちた。
身体から力が抜ける。
バクが武器を引く。
ヒビキは壁を滑ってゆっくり沈んだ。
数秒、座った姿勢。
頭が横へ落ちる。
そして身体が崩れ始めた。
最初は指。
次に腕。
小さな黒い欠片へ変わり、床に落ちる前に消える。
顔の波紋だけが最後まで残った。
バクは、何も残らなくなるまで動かなかった。
________________________________________
廊下は静かだった。
本当に。
どこかの配管から水滴。
非常灯が点滅。
それだけ。
バクは息を吸う。
一度。
肋骨の痛みで、次はゆっくり。
ツルハシの先を床へ置いた。
身体を固定するためではない。
ただ少し、体重を預ける必要があった。
壁を見る。
震えない。
次に柱。
何もない。
配管。
静か。
戻ってきてから初めて、この場所はただの建物になった。
バクは振り返る。
死体はそのまま。
間を歩く。
行きより遅い。
折れた棒の狩人。
その次に、強化グローブの男。
止まった。
手を見る。
武器は近くに落ちていた。
バクは痛みに耐えながらしゃがむ。
戦いの途中で半分外れていたグローブを拾う。
身体の横へ置き直す。
狩人の手をその上へ乗せた。
それだけ。
立ち上がる。
腰の通信機が雑音を吐いた。
バクが見る。
もう一度。
声。
「……バク……」
弱い。
だが分かる。
タツ。
バクは通信機を取った。
「聞こえてる」
数秒のノイズ。
『バク。応答してくれ。状況は?』
バクはヒビキが消えた場所を見る。
「生きてる」
間。
『それは分かってる』
バクの口元が、ほんの少し動く。
笑みにはならない。
タツが続けた。
『何がいた?』
バクは死体を見る。
壊れた廊下。
「強い残滓が一体」
沈黙。
『まだいるのか?』
バクはツルハシを無事な方の肩へ乗せる。
「一体減った」
数秒、静電音。
タツは方法を聞かなかった。
『負傷者は?』
「一人は逃がした。第三交差点から上へ向かってる奴らもいる」
バクはもう一度、死体を見る。
「それと、下に回収班が必要だ」
返事まで少し時間があった。
『了解』
「医療班も」
『お前にか?』
バクは肩を見る。
血。
壊れたマスク。
「あとでいい」
『バク』
「タツ」
また間。
『死ぬなよ』
バクは鼻から息を吐く。
「いい作戦だな」
通信が切れた。
バクは端末を戻した。
________________________________________
本部のもっと上。
別の区画。
一体の残滓が廊下の途中で止まった。
待つ。
何もない。
壁を見る。
次に天井。
小柄な残滓が閉じた扉の横にいた。
「どうした?」
最初の残滓はすぐには答えない。
もう一度待つ。
信号は来ない。
それまで、特定の経路、狩人たちの配置変化、巡回の動きは、一定の間隔で伝わってきていた。
今は何もない。
残滓は正面の通路を見る。
「進む」
「待たないのか?」
「ああ」
二体はそのまま進んだ。
作戦そのものは止まらない。
だが、その秩序を支えていた声の一つが消えた。
________________________________________
バクはもう少しだけ廊下に残った。
壁へ背中を預ける。
触れた瞬間、似た壁から飛び出してきた何度もの衝撃を思い出した。
肩越しに見る。
何もない。
片手を上げる。
拳を握った。
一瞬だけ。
コンクリートを殴ろうかと考えたように見えた。
やらなかった。
腕を下ろす。
ゆっくり呼吸する。
休んだのはわずかな時間だけ。
壁から身体を離す。
残ったマスクを顔へ直す。
ツルハシを握る。
そして、次の廊下へ歩き始めた。
背後には何の振動も残らなかった。
返事も。
残響も。




