第75章:不完全な報告
本部の地図を開いてからまだ二十分も経っていないというのに、すでに三度も情報が古くなっていた。
タツは画面の上で二本の指を滑らせ、西側区画を拡大した。医務室へ続く黄色い線が、数分間途切れていた状態から、ようやく再びつながっている。
その周囲では、指令室が沈黙する暇もないほど慌ただしく動き続けていた。
六人のオペレーターが各端末に配置されている。二人が内部通信を担当し、別の二人がまだ生きている監視カメラを確認し、残りは各部隊のおおよその位置を更新し続けていた。
少なくとも、更新しようとはしていた。
問題はそこだった。
区画によっては、情報が数分遅れて届く。
別の場所では監視カメラが完全に沈黙し、通信も携帯端末から送られてくる途切れ途切れの音声だけになっている。
デジタルマップ上の東京支部は、もはや一つの整然とした施設には見えなかった。
いくつもの色が入り乱れている。
緑。
黄。
赤。
そして、あまりにも多い灰色。
香奈は腕を組み、正面の大型画面を見つめていた。
北棟付近で赤い点が点滅した。
直後、消えた。
「今の反応は?」
香奈が尋ねる。
オペレーターの一人が端末を確認した。
「信号が途絶えました」
「いつ?」
「たった今です」
タツはその区画へ目を向けた。
「最後の報告は?」
「技術職員を避難させていた狩人が二人。何か……糸のようなもので通路が塞がれている、と」
香奈は最後まで聞く必要がなかった。
「ムクロね」
タツが頷く。
花と結衣は、神崎と救助した負傷者たちと共にあの区画から脱出できた。
だが、残滓は今も北側の多くの通路を支配している。
しかも、彼らを追わなかった。
香奈が最も気にしていたのはそこだった。
もしムクロの目的が単純にあの三人を殺すことなら、閉じた隔壁を突破して追撃しようとしたはずだ。
だが、そうしなかった。
あの場所に残った。
通路を塞ぐために。
「北側を危険区域に変更して」
香奈が命じた。
「代替経路が確認できていない限り、誰も入れないで」
オペレーターが操作する。
黄色だった区画が赤へ変わった。
そのわずか数秒後、部屋の反対側から別の声が上がった。
「西側区画から報告です」
タツが振り返る。
「どうぞ」
「霧野班が医務室への経路を維持しています。数分前に交代要員を要請し、すでに到着済みです」
香奈がわずかに顔を上げた。
「負傷者は?」
「複数名。ただし霧野班に死亡者は確認されていません」
「学生たちは?」
「有本と和田は消耗していますが、重傷はありません」
香奈はゆっくり息を吐いた。
「よかった」
タツが地図を更新する。
西側へ伸びる線の色が、強い黄色から少し安定したものへ変わった。
緑ではない。
今の東京支部で、完全に安全だと言い切れる場所などほとんどなかった。
それでも、道はまだ残っている。
「失わずに済んだ経路が一つ増えましたね」
タツが言った。
香奈は彼を見る。
「そういうこと言わないで」
「なぜです?」
「誰かがそういうことを言うと、五分後には新しい報告が来るから」
タツは画面を見た。
「残滓が私たちの会話を聞いているとは思えませんが」
「危険は冒したくないの」
タツは何も言わなかった。
二人はしばらく地図を眺めた。
そのとき、一つの端末から短い警告音が鳴る。
また一つ、通信が途絶えた。
香奈は一瞬だけ目を閉じた。
「ほらね」
タツが彼女を見る。
「何も言ってません」
「思ったでしょ」
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報告は、役に立つ順番では届かなかった。
一つの部隊が廊下を奪還した。
別の班が消えた。
作業員の集団が安全区画へ到着した。
二人の狩人が支援を要請した。
一つの入口が封鎖された。
別の入口が再び使用可能になった。
タツが状況の全体像を作ろうとするたび、新しい情報が入り、それを書き換えなければならなかった。
小型端末を手に取り、部隊一覧を開く。
「鏡、海斗、迅はまだ移動中です」
香奈が近づいた。
「どこへ?」
「最終確認位置は中央第四区画。サービス通路付近で孤立した班からの救援要請に向かっています」
「最後の通信は?」
「二分前です」
香奈は頷いた。
「なら、通信が続いている間は動かさないで」
タツは次へ進む。
「香澄はベテラン組と一緒に、資料保管区画と内部倉庫付近。今のところ、高位の敵との直接接触はありません」
「今のところ、ね」
タツは次の名前を見た。
「加藤は……」
香奈は何も言わなかった。
東側区画に表示された位置情報が、不規則に移動している。
銀次郎が一人で行動を始めてから、通信は三回しかなかった。
一回目は短かった。
二回目はさらに短い。
三回目に至っては、まだ進んでいる、とだけ伝えてきた。
「生きてます」
タツが言った。
香奈は横目で彼を見る。
「安心させる基準がずいぶん低いのね」
「もっと悪い可能性もありますから」
「いつだってそうよ」
タツは画面をさらにスクロールした。
「獅子堂も応答なしです」
香奈は両手を机についた。
「驚きね」
「負傷している可能性も」
「通信機を持ってると格好がつかないとか思ってる可能性もあるわ」
タツはバクの名前をしばらく見つめた。
最後に位置が記録されたのは、地下階へ続く降下区画付近。
それ以降は何もない。
「後を追わせるのは危険ですね」
「しかも、送った部隊が支部中を追いかけ回すことになるかもしれない」
香奈は机から離れた。
「放っておいて」
タツが片眉を上げる。
「信頼してるんですか?」
香奈は一秒ほど考えた。
「生きてるなら、自分がやりたいことを勝手にやるってことは信頼してるわ」
「質問の答えになってません」
「なら、もう答えは分かってるでしょ」
タツはそれ以上聞かなかった。
バクは、普段から居場所を把握するのが難しい男だった。
侵攻の真っただ中で規律を求めるなど、ほとんど挑発に近い。
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横の端末にいたオペレーターがタツを呼んだ。
「医務室から確認が取れました」
タツが近づく。
「花と結衣?」
「はい。二人とも到着済みです。魔力消耗と軽傷。診察も終わっています」
タツは部隊記録を確認した。
元々あの班に登録されていた名前は三つ。
仙台花。
高島結衣。
神崎正人。
到着したのは二人だけだった。
タツは香奈へ目を向けた。
「神崎は?」
香奈は大型画面から目を離さなかった。
「もう向かってる」
答えがあまりにも早かった。
タツは数秒、香奈を見つめた。
彼女はそれ以上何も言わない。
タツも聞かなかった。
部隊記録を閉じる。
周囲のオペレーターたちは、二人の短いやり取りに気づいた様子もなかった。
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指令室にわずかな安定が戻るまで、さらに数分かかった。
タツはその間に、侵攻開始から届いた報告を整理し始めた。
地図を動かし、残滓が確認された地点すべてに小さな印をつけていく。
最初は何の意味もないように見えた。
北側での攻撃。
東側での攻撃。
整備区画付近。
人の往来が多い場所。
そして本来なら外部の出入口と直接つながっていないはずの区画にも、敵が出現していた。
タツは地図を拡大した。
香奈はまだ別のオペレーターと話していたが、タツが呼ぶ。
「水島」
香奈が振り向いた。
「何?」
「これを見てください」
彼女が近づく。
タツは表示情報を減らし、確認済みの残滓との接触地点と、その移動経路だけを残した。
「何を見ればいいの?」
「まだ確信はありません」
香奈は机に片手を置いた。
タツはいくつかの地点を指差す。
「こいつらは、狩人がかなり多い区画を攻撃しています」
「そうね」
「でも、残って戦っていない」
香奈が彼を見る。
「続けて」
「第五区画には、敵が現れた時点で少なくとも八人の狩人がいました。二人を負傷させたあと、そのまま内部へ移動しています」
地図をずらす。
「ここでも似たことが起きています。作業員が逃げたのに、追わずに整備区画を通過した」
さらに別の印。
「そしてここ。負傷した狩人二人を、文字通り無視したという報告があります」
香奈は線を見つめた。
「戦うこと自体が目的じゃない」
「一部は戦っています」
「必要な分だけよ」
タツは黙った。
香奈も気づき始めていた。
侵攻は、支部全体で戦闘が起きているから無秩序に見えていただけなのかもしれない。
多くの戦闘は、目的地へ向かう途中で狩人と遭遇した結果にすぎない。
「東京支部を占領するつもりじゃない」
タツが言った。
香奈はゆっくり首を横に振った。
「違う」
「できるだけ多くの犠牲者を出すことが目的でもなさそうです」
香奈は赤い区画を見つめる。
「それなら、もっと簡単だったでしょうね」
タツは内部区域を拡大した。
「この経路の終点を見てください」
香奈は線を目で追った。
二つは資料保管区画の近くへ収束している。
別の一つは内部倉庫へ。
さらにもう一つは、この部屋にいる大半のオペレーターにすら詳細情報が表示されない区域へ向かっていた。
香奈の動きが止まった。
タツはそれに気づいた。
「何です?」
「何でもない」
「何でもない顔には見えませんでしたけど」
香奈は自分で地図を拡大した。
「調査を続けて」
タツは再び移動経路を見る。
偶然にしては一致しすぎている。
「支部の構造を知ってると思いますか?」
香奈はすぐには答えなかった。
しばらく、階段に取り残された班についての無線報告が室内に響く。
それが終わるのを待ってから、香奈が答えた。
「十分な程度には知ってると思う」
タツは地図を見た。
予想していたより嫌な答えだった。
「どうやって?」
「分からない」
「この区画に入るには、使う通路を知っていないと無理です」
「分かってる」
「しかも、通常の図面に載っていない場所まである」
香奈が彼を見る。
「それも分かってる」
タツは口を閉じた。
香奈は視線を外し、地図全体を見渡した。
避難経路は今も攻撃されている。
狩人と残滓の戦闘も続いている。
死者も出ている。
何一つ偽物ではない。
だが、その暴力の向こう側に、一つの方向が見え始めていた。
目的がある。
香奈にとっては、意味もなく暴れるだけの侵攻のほうがまだましだった。
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「名古屋から確認が取れました」
一人のオペレーターが手を上げた。
香奈はすぐに振り向く。
「言って」
「部隊を動員しました。ただし、到着予定時刻はまだ確定できないそうです」
タツが端末へ近づく。
「人数は?」
「未確定です。出発前に人員を再編成しています」
別の通信席から声が上がった。
「大阪も応答あり。東京へ向けて狩人を準備中です」
香奈は壁の時計を見た。
襲撃の規模を理解してすぐ、他支部への支援要請は出していた。
判断としては正しい。
だが、他の支部が隣の部屋にあるわけではない。
狩人を集める。
移動手段を確保する。
自分たちの担当地域まで無防備にしないよう調整する。
すべてに時間が必要だった。
「じゃあ、しばらくは私たちだけね」
香奈が言う。
「はい」
タツが答えた。
「正確な到着予定が分かったらすぐ教えて」
「分かりました」
香奈は再び地図を見る。
「それと、向こうの支部を空にしないように」
タツが彼女を見る。
「別の襲撃があると?」
「今日だけで、もう十分思い込みを外されたわ」
それ以上説明する必要はなかった。
もし東京だけが標的なら、戦力をここへ集めるのは正しい。
だが、そうでなければ。
狩人たちは、残滓が望んでいる通りに動いている可能性もある。
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タツは再び敵の移動経路へ目を戻した。
見れば見るほど、偶然とは思えなくなっていく。
敵がほとんど立ち止まらず通過している区画がある。
その一方で、継続的に圧力を受けている地点もある。
「第一次戦争でも、似たことがあった」
香奈が言った。
タツは顔を上げた。
彼女は地図を見たままだった。
「狩人を無視した?」
「攻撃する価値があるものを選んでたの」
香奈は地図の一部を動かした。
「最初は、どの襲撃も人を殺すか、場所を奪うことが目的だと思ってた。全部の地点が同じくらい重要だと思って対応して……かなり時間を無駄にした」
タツは第一次戦争の公式記録を知っている。
そして、その記録が完全ではないことも。
「龍一ですか?」
香奈は数秒黙った。
「理解するのが遅すぎた」
声に明確な非難はなかった。
懐かしさもない。
ただ疲労だけがあった。
「当時は何を狙ってたんです?」
タツが尋ねる。
香奈は画面から離れた。
「いろいろよ」
「ずいぶん正確な答えですね」
「昔からの癖なの」
タツは彼女を見る。
「最近、その癖が多いですね」
香奈が何か言い返そうとした瞬間、緊急通信が会話を遮った。
『中央、敵影を確認』
雑音混じりの声だった。
タツが主通信機を取る。
「所属を」
『資料保管班。白銀です』
香澄だった。
香奈もすぐに近づく。
「聞こえてる」
通信が一度乱れた。
『内部通路で敵を確認した』
「何体?」
『確認できたのは四体。ほかにもいる可能性があります』
タツは地図上の位置を確認した。
内部倉庫に近い区画だ。
「そちらへ向かっていますか?」
短い沈黙。
『正確には、違う』
香奈が眉を寄せる。
「説明して」
『こっちを見つけた。短い交戦になった。でも、そのあと下がった』
「逃げた?」
『違う』
再び雑音。
香澄が続ける。
『倉庫側の通路へ移動した。私たちを追わなかった』
タツが香奈を見る。
彼女はすでに、その区域の地図を見つめていた。
「何をしてる?」
数秒間、静電音だけが響く。
そして答えが返ってきた。
『入口を探してる』
指令室が、それまでより静かになったように感じられた。
香奈はコンソールに片手を置く。
「香澄、一人で追わないで」
『そのつもりはない』
「距離を保って。どの区画を目指しているのか確認して、介入する前に報告して」
『了解』
通信が切れた。
タツは指定された通路を拡大する。
そこには複数の施設があった。
倉庫。
技術資料室。
整備室。
そして、情報そのものが制限されているいくつかの出入口。
タツは香奈を見る。
「そこに何があるんです?」
香奈はすぐには答えなかった。
視線は、その地図上の一点から動かない。
「知っているはずのないもの」
タツは待った。
それ以上の説明はなかった。
「部隊を送りますか?」
「香澄にはベテランがついてる」
「それは聞いてません」
香奈がタツを見る。
「まだよ」
タツは再び地図へ視線を戻した。
敵の動きが、あまりにも意味を持ち始めていた。
ムクロは北側で避難経路を封鎖している。
別の部隊は内部施設へ移動している。
香澄は今、入口を探している敵を確認した。
そして、第七通路はいまだ完全に沈黙している。
タツは記録を開いた。
「第七通路から、まだ応答がありません」
香奈の動きが止まった。
「いつから?」
「最後の確認から……十七分です」
香奈は時計を見る。
それから地図へ。
「全周波数を試した?」
「三回」
「監視カメラは?」
「停止しています」
タツは画面を動かし、その区域を表示した。
灰色の印が残ったまま。
その向こうで何が起きているのか、誰にも分からない。
「誰か送りますか?」
タツが尋ねた。
香奈は答えなかった。
第七通路から目を離さない。
タツは部隊記録をもう一度確認した。
「神崎からも、その後の連絡はありません」
香奈はゆっくり視線を下げた。
襲撃が始まって以来、タツは初めて、彼女の表情に集中力以外のものを見た気がした。
心配。
ほんの一瞬だけだった。
香奈は姿勢を正す。
「なら、先に着いてるって信じましょう」
タツは彼女を見た。
その一言で、すでに疑っていたことがほぼ確信に変わった。
香奈は、神崎がどこへ向かったのか知っている。
おそらく、花と結衣のもとを離れる前から。
だが、それを問いただすのは今ではない。
地図上に新しい反応が現れた。
続いて、もう一つ。
別の区画から支援要請が届く。
タツは記録を閉じ、再び通信へ戻った。
香奈は大型画面の前に残った。
東京支部を走る赤い線。
徐々に同じ場所へ集まり始める複数の経路。
侵攻が始まって以来、初めて問題は、何体の敵が内部へ入り込んだのかだけではなくなった。
何を探しに来たのか。
そして。
それが隠されている場所について、どこまで知っているのか。




