↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
永遠の残滓  作者: Mateo
70/86

第70章:終わらなかった試合

香奈が杖を下ろした。

「第五試合。始め」

原田が消えた。

今度は、消える前に言った。

「左」

芽衣は、どこに現れるのか聞かなかった。

片方の扇を開き、右へ斬った。

陽菜はそれを見た。

待たなかった。

前へ出ると同時に斧が拡張し、魔力の光とともに刃が伸びる。そのまま芽衣が空けた空間へ振り下ろした。

海斗も一緒に入った。

前ではない。

隣に。

衝突はほぼ同時だった。

芽衣は斬撃を最後まで振り切る前に、扇を引かなければならなかった。

海斗は原田が現れた空間へ拳を振るった。

原田は当たる直前に身体を傾け、また消えた。

「後ろ」

芽衣が振り向く。

今度は、その言葉の意味をわかっていた。

原田が海斗の背後に現れた瞬間、芽衣の二本目の斬撃が走った。

海斗は身体を沈める。

魔力の刃が肩の上を通った。

陽菜が斧の柄を回した。

「下」

海斗が身を低くする。

陽菜の斧がその上を通り抜け、原田は再び消えるしかなかった。

芽衣が半歩下がる。

陽菜も同じだけ下がった。

数秒間、誰も攻めなかった。

悠太が瞬きをした。

「今の……」

千穂が代わりに言った。

「かなり良くなった」

「うん」

悠太は芽衣を見た。

次に原田を見る。

「喧嘩しなかったな」

場の中の芽衣に聞こえた。

「聞こえてるんだけど!」

「観察が正しかった証拠だな」

「天音」

「黙ります」

陽菜が小さく笑った。

芽衣がそれを見た。

「笑わないで」

「笑ってない」

「顔が笑ってる」

「変だね。今日は肩とか顔とか、よく喋る日みたい」

芽衣は一秒、陽菜を見た。

陽菜も視線を返した。

二人の間で何かが変わった。

ほんの少し。

だが、十分だった。

一瞬だけ、トーナメントが消えた。

久山。

澪。

森。

月野家。

二人ともそこにいたからこそ、言葉にする必要のないもの。

原田が芽衣の横に現れた。

「気が散ってる」

「わかってる」

「なら散らすな」

芽衣が彼へ向く。

「たまに、自分がどれだけ鬱陶しいか忘れるわ」

「忘れていない」

「もっと悪い」

陽菜が斧を上げた。

「終わった?」

芽衣は両方の扇を開いた。

「急いでる?」

「少し」

「ちょうどいい」

今度は芽衣が先に動いた。

二つの扇が別々の線を描く。

一つは高く。

一つは低く。

陽菜は両方を止めようとはしなかった。

一本目だけを斧の柄で逸らし、二本目は脚の横を通した。

原田が右側に現れる。

海斗はすでにそこにいた。

強化された拳が空間を横切る。

原田は身体を傾け、当たる直前に消えた。

芽衣の背後に再び現れる。

「入らなかった」

「見てた」

「全部じゃない」

芽衣は舌打ちした。

「花の真似しないで」

海斗が進んだ。

芽衣は、自分へ来ると思った。

来なかった。

途中で止まる。

その横から陽菜が入った。

斧が振り下ろされる。

芽衣は扇を交差させた。

魔力同士がぶつかり、短く乾いた音が響く。

芽衣が下がった。

陽菜も下がった。

だが海斗は動かなかった。

必要な場所に、そのまま立っていた。

原田が陽菜の背後に現れた。

海斗は振り向かなかった。

芽衣が気づく。

原田も。

「守りに行かない」と原田が言った。

芽衣は目を細めた。

「そうね」

陽菜にも聞こえた。

「行く必要がないから」

海斗が肩をわずかに動かした。

「そこまで言ってない」

陽菜が横目で見る。

「よし」

芽衣が笑った。

「仲良しね」

陽菜は斧を握り直す。

「黙って」

「今のは個人的だったわね」

「そうだよ」

芽衣が入る。

原田が消える。

陽菜が前へ出る。

海斗は前に立たない。

一秒間、四人全員が、この数日間ずっと学ぼうとしていたことを正確にやった。

芽衣は一人で斬らなかった。

原田は告げずに消えなかった。

陽菜は待ちすぎなかった。

海斗は壁にならなかった。

簡単に見えた。

簡単ではなかった。

外から見ていた加藤がコーヒーを飲むのをやめた。

優奈がそれに気づいた。

「今ね」

加藤はうなずいた。

「今、ようやく二人で戦ってる」

バクはポケットに手を入れていた。

「気持ち悪いな」

神崎が見る。

「何がだ」

「本物の成長。感傷的になる」

「そうは見えない」

「内心では大泣きしてる」

香澄は芽衣から目を離さなかった。

「斬る前にちゃんと伝えてる」

バクが彼女を見る。

「家族としての誇りか?」

香澄は笑った。

「大げさね」

「つまり、そうだ」

「これ以上喋ったら、姪の扇をあなたで試すわよ」

バクは仮面に手を当てた。

「指導員同士の暴力。若者に素晴らしい模範だ」

少し離れた場所で、鏡が腕を組んだまま場を見ていた。

「獅子堂」

「はい?」

「黙れ」

バクは神崎を見た。

「あいつ、お前より成長イベント少ないな」

「その方がよく機能している」

場の中で、芽衣が陽菜へ斬撃を放った。

陽菜は防がなかった。

内側へ入る。

同時に原田が現れた。

「右」

芽衣は左を斬った。

海斗は、一瞬遅れて二人の狙いに気づいた。

原田は彼を殴ろうとしているのではなかった。

振り向かせようとしていた。

芽衣も陽菜を狙っていなかった。

海斗が振り向いた時に、陽菜が進みたくなる空間を切っていた。

初めて、陽菜と海斗の間が丸々一歩分離れた。

芽衣が笑う。

「そこ」

原田が消えた。

陽菜は斧を上げた。

「海斗」

「わかってる」

海斗は彼女のもとへ走らなかった。

それは陽菜自身にも意外だった。

距離を戻すのではなく、芽衣へ向かった。

芽衣の笑みが消えた。

「あ」

海斗に押され、芽衣は後退する。

陽菜は理解した。

海斗に自分の隣へ戻ってもらう必要はない。

彼が作った空間を使えばいい。

陽菜が回る。

斧が伸びる。

原田が背後へ現れた。

「今」

芽衣が扇を上げる。

陽菜が斧を下ろす。

その時、誰かがタツの横へやって来た。

走ってはいなかった。

ほとんど走っていた。

若い狩人はタツの数センチ手前で止まり、話す前に息を整えなければならなかった。

タツが彼を見る。

男は耳元へ身を寄せた。

何かを言った。

場では何も変わらない。

原田が消える。

芽衣が進む。

海斗が斬撃を逸らす。

陽菜が片足を軸に回る。

だがタツは、場を見るのをやめた。

「間違いないのか?」

狩人がうなずく。

タツは支部の中央棟へ視線を向けた。

その後、香奈を見る。

表情が変わっていた。

恐怖ではない。

タツは、そんなものを表に出すには規律がありすぎた。

だが、焦りがあった。

トーナメントには存在しない種類の焦り。

タツは香奈へ歩いた。

「水島様」

香奈はまだ戦いを見ていた。

「あとにして、タツ」

芽衣が陽菜を下がらせた。

原田が背後に出る。

海斗が横から入る。

香奈は目を細めた。

「これを見たいの」

タツは去らなかった。

「水島様」

香奈がわずかに眉を上げる。

「タツ」

「お願いします」

そこで初めて、香奈は彼を見た。

タツが何かを繰り返すことは、ほとんどない。

まして、そんな言い方で頼むことは。

香奈は杖を少し下げた。

「何があったの?」

タツは一度、生徒たちを見る。

それから香奈へ戻した。

「これを聞いていただく必要があります」

香奈は彼の顔を観察した。

「どうしてそんなに取り乱しているの?」

タツは一秒遅れた。

「来ています」

香奈は眉をひそめた。

「誰が?」

タツは声を落とした。

「残滓です」

背後では戦闘音が続いていた。

香奈は答えなかった。

タツが続ける。

「支部の中に残滓が侵入しています」

そこで香奈は完全に場から視線を外した。

「中に?」

「はい」

「どこ?」

「中央区画です。東通路で確認。地下保管区画付近からも報告があります」

香奈は杖を強く握った。

「数は?」

「不明です」

「侵入経路は?」

「それもまだ」

香奈は彼を見つめた。

タツが加えた。

「狩人を襲っています」

一秒。

それだけ。

だが香奈の表情が変わるには十分だった。

「負傷者は?」

タツはすぐには答えなかった。

香奈は理解した。

「死者も?」

「はい」

香奈の杖が地面に触れた。

今度は合図ではなかった。

ただ、その重さを支えるためだった。

「……これはまずい」

________________________________________

東通路は、もう狩人の支部には見えなかった。

一枚の扉が消えていた。

開いているのではない。

消えていた。

枠の一部だけが壁に残り、残りは石の破片、血、黒い魔力の痕跡と一緒に床へ散っていた。

一人の狩人が後退しながら、即席の結界を張る。

残滓がそこへ飛びかかった。

名前はない。

言葉もない。

大きすぎる顎と、床に届きそうなほど長い腕だけがあった。

結界を殴る。

一度。

二度。

三度目で砕けた。

狩人が武器を上げる。

使う暇はなかった。

緑色の糸が手首に巻きついた。

もう一本。

さらに一本。

男の身体がその場から引き剥がされ、壁へ叩きつけられた。

ムクロが天井から降りてきた。

足が音もなく床に触れる。

指からは、まだ糸が伸びていた。

「ムクロ」

彼が顔を向ける。

シズクが二つの倒れた身体の間を歩いていた。

「遊んでる時間はない」

ムクロは、自分が倒した狩人を見る。

まだ息をしていた。

「立てるかもしれない」

「なら、立たせてみればいい」

ムクロは糸を解いた。

狩人は膝から崩れた。

立とうとはしなかった。

シズクはそのまま歩き続ける。

数メートル先。

扉など存在しない壁に、黒い円が現れた。

闇が開く。

アクリョウがそこから出てきた。

その後ろから、二体の下位残滓が門を越える。

一体は四肢で歩いていた。

もう一体は、身体の一部を床に引きずっていた。

どちらも喋らない。

アクリョウは通路を見る。

「東側の侵入口は確保した」

ザンショウが腕に巻きついた鎖を鳴らした。

「これだけか?」

ざらついた声が壁に反響する。

シズクが彼を見る。

「違う」

ザンショウは顎で倒れた狩人たちを示した。

「そうは見えたが」

「強い狩人はこの区画にはいなかった」

アクリョウが奥の階段を見る。

「集まっている」

ザンショウが短く笑った。

「なら楽勝だな」

シズクが彼の横を通る。

「楽なのと勝ったのを混同しないで」

「お前、何でも説教にする必要あるか?」

「誰かがしないと」

ムクロはアクリョウを見る。

「ボスは?」

アクリョウは一度だけ首を横に振った。

「まだ来ていない」

ザンショウは鎖を回した。

魔力の金属が床を叩く。

「なら、ちょうどいい」

シズクが彼を見る。

「何が?」

「来る前に、少しくらい仕事を終わらせておける」

アクリョウは答えなかった。

数本向こうの通路で爆発音が響いた。

下位残滓の一体が、すぐにそちらを向く。

もう一体も歩き始めた。

アクリョウが片手を上げた。

二体とも止まる。

「違う」

残滓たちが彼を見る。

言葉を理解しているようには見えない。

だが、命令は理解した。

アクリョウが下を指した。

「保管区画だ」

二体の残滓は向きを変えた。

シズクがその動きを見る。

「まだ見つからない?」

「まだだ」とアクリョウが答えた。

ザンショウが息を吐く。

「人間は物を隠すのが宗教みたいな建物を作るな」

ムクロが首を傾げた。

「聞けばいい」

ザンショウが彼を見る。

「俺もそう思ってた」

数メートル先で、誰かが咳をした。

四人が同時に振り向く。

一人の狩人が、扉へ向かって這っていた。

片脚があり得ない角度に曲がり、片手で腹を押さえている。

ザンショウが歩き出す。

狩人は鎖の音を聞いた。

必死に速く進もうとする。

遠くまでは行けなかった。

ザンショウは制服の背中を掴み、持ち上げる。

男が殴りかかった。

拳は残滓の胸で止まった。

ザンショウは彼を壁まで運ぶ。

そこへ押しつける。

乱暴にはしなかった。

まだ。

「一つ聞く」

狩人は苦しそうに息をしていた。

ザンショウは仮面の顔を近づけた。

「遺物だ」

男は答えない。

「どこにある?」

狩人は痛みに耐えながら彼を見る。

そして笑った。

「地獄にでも行け」

ザンショウは動かなかった。

ムクロが少しだけ首を傾ける。

シズクは後ろから見ていた。

アクリョウは姿勢すら変えなかった。

ザンショウはもう少し顔を近づける。

「俺がどこに行きたいかは聞いてない」

「何も教える気はない」

ザンショウは片手を上げる。

狩人の頭の横へ添えた。

指が長すぎた。

「よく考えろ」

狩人は床へ血を吐いた。

「何体入ってきたかなんて関係ない」

ザンショウは何も言わない。

「強い狩人たちがここにいる」

男は短く笑った。

「そいつらが来たら……」

息を吸う。

苦しい。

それでも言い切った。

「お前ら全員、殺される」

ザンショウは動かなかった。

その後、笑った。

大声ではない。

長くもない。

それが余計に悪かった。

「強い狩人たち?」

手が閉じ始める。

狩人は両手でザンショウの手首を掴んだ。

動かせなかった。

「ザンショウ」とシズクが言った。

彼は横目で見る。

「もう終わる」

指が閉じる。

乾いた音がした。

狩人の両手から力が抜ける。

ザンショウはさらに一秒、その身体を支えた。

それから離した。

身体が床へ落ちる。

ムクロが見下ろした。

「答えなかった」

ザンショウが彼を見る。

「よく気づいたな」

シズクは死体を見もせず、その横を通った。

「なら探す」

アクリョウが次の門を開く。

「地下保管区画へ」

ザンショウが鎖を鳴らす。

「次に見つけたやつは――」

シズクは歩き続けた。

「もっと上手く聞いて」

________________________________________

芽衣が斬った。

陽菜が防いだ。

扇と斧の柄がぶつかる。

原田が現れる。

海斗が振り向く。

「今!」と陽菜が言った。

海斗が踏み込む。

「終わりです」

誰も反応しなかった。

聞こえなかったからではない。

その言葉が戦いに属していなかったからだ。

最初に止まったのは芽衣だった。

扇は開いたまま。

陽菜も斧を上げたまま。

原田は数メートル先に再出現した。

海斗が場外を見る。

香奈が立っていた。

これまでの試合を見ていた表情は消えていた。

タツへ合図を送る。

タツが前へ出た。

「トーナメントを中止します」

沈黙。

最初に反応したのは健太だった。

「え?」

タツの声は変わらない。

「すべての試合を、ここで終了します」

芽衣がゆっくり扇を下げた。

「どうして?」

タツは答えなかった。

悠太は加藤を見る。

加藤はもう場を見ていなかった。

香奈を見ていた。

優奈も同じだった。

香澄が扇を閉じる。

鏡が姿勢を正した。

神崎は生徒たちではなく、出口を見始めた。

バクは何も言わなかった。

それが、颯太に寒気を感じさせた。

加藤が香奈へ歩いた。

「何があった?」

優奈も後ろから続く。

香澄、鏡、バク、神崎も集まった。

生徒たちが互いに話し始める。

香奈が片手を上げた。

ざわめきが小さくなる。

加藤がもう一度言った。

「香奈」

彼女は加藤を見る。

「残滓が侵入した」

加藤は動かなかった。

優奈は動いた。

ほんのわずかに。

だが加藤は気づいた。

「どこに?」

「支部の中」

今度は誰も喋らなかった。

香奈が続ける。

「中央区画が襲われている。東通路と地下保管区画付近から報告がある」

鏡が眉をひそめる。

「どうやって入った?」

「不明」

神崎が聞く。

「数は?」

「それもわからない」

「被害は?」

今度はタツが答えた。

「確認されています」

沈黙が変わった。

バクは動くのをやめていた。

加藤は生徒たちを見る。

「こいつらは?」

「生徒たちは残す」とバクが言った。

加藤が振り向く。

バクはその視線を受け止めた。

仮面の奥に、冗談はなかった。

それから指を一本上げた。

「まあ、文字通り忘れるなよ。それは教育方針として最悪だからな」

誰も笑わなかった。

バクは手を下ろした。

「だが、残す」

香奈がうなずいた。

「何が入ってきたのか、まだわからない。どれほどの力を持つかも」

加藤が中央棟を見る。

「なら、人手がいる」

「連れていく」

香奈は生徒たちを示した。

「二年生は来てもらう」

何人かが顔を上げる。

悠太も。

香奈は誰かが口を開く前に続けた。

「支援要員として。避難、封鎖、負傷者の保護。勝手に残滓を追わない。一人で行動しない。必ず大人と行動すること」

神崎がうなずく。

「正しい」

「一年生はこの区画に残す」と香奈が続けた。「タツ、出る前に訓練区画の封鎖と外周結界を起動して」

タツが頭を下げる。

「承知しました」

「颯太も残る」

颯太は拳を握った。

反論しなかった。

加藤はした。

「一年生も役に立てる」

優奈が彼を見る。

驚いてはいなかった。

その言葉が出るのを待っていたようだった。

香奈も同じだった。

「わかってる」

「なら――」

「駄目」

加藤の顎が強張る。

香奈が一歩近づいた。

「何体いるかわからない」

「だからこそ――」

「どれほど強いかもわからない」

加藤は黙った。

香奈が少しだけ声を落とす。

「銀次郎」

加藤が彼女を見る。

「今回は、私の言うことを聞いて」

香奈がそう言うと、訓練場が急に広くなったように感じられた。

「一年生は、相手が何なのかわかるまで残す」

加藤は悠太を見る。

それから石田。

陽菜。

芽衣。

颯太。

香奈へ戻す。

「自分たちを守れる」

「守れないとは言っていない」

「なら――」

「そして、あなたにも私にも測れないものの中へ、そのまま送り込まれる可能性もある」

それで加藤は止まった。

香奈は視線を外さない。

「残るように伝えて」

加藤は答えない。

「あなたは来て」

一秒。

もう一秒。

加藤は鼻から息を吐いた。

「……わかった」

優奈は何も言わなかった。

ただ彼を見る。

加藤は、その視線を長く返しすぎないようにした。

香奈は他の大人へ向く。

「香澄。鏡。バク。神崎」

四人がほぼ同時に応じた。

「ああ」

「タツも一緒に」

「もちろんです」

香奈は最後に、加藤と優奈を見る。

「生徒たちを整理してから、追ってきて」

加藤はうなずいた。

「行け」

香奈が歩き始める。

タツが隣につく。

鏡が続く。

香澄は一度だけ扇を開き、すぐに閉じた。

神崎は歩きながら出口を確認していく。

バクは生徒たちの横を通った。

「俺が戻るまで、英雄的なことはするなよ」

悠太が見る。

「あなたが言うと変ですね」

「わかってる。自分でも気持ち悪い」

そのまま歩く。

だが途中で止まった。

少しだけ顔を向ける。

「……本気で言ってる」

誰も答えなかった。

バクはまた歩き出した。

颯太は、彼が出口の向こうへ消えるまで見ていた。

仮面は同じだった。

服も同じ。

短いピックも腰から下がっていた。

だが、一つだけ何かが足りなかった。

颯太は一秒かかって気づいた。

バクは笑っていなかった。

大人たちの後ろで扉が閉じた。

訓練場は奇妙だった。

静かすぎた。

まるでトーナメントが一時間前の出来事だったかのように。

実際には、まだ一分も経っていないのに。

加藤が中央へ歩く。

優奈がその隣に立った。

「聞け」

声を張る必要はなかった。

生徒たちが集まった。

芽衣はまだ片方の扇を持っていた。

陽菜の斧も完全には元の大きさに戻っていない。

海斗はまだ場の中にいた。

原田は数メートル離れたところで動かなかった。

健太は両手を開いていた。

結衣は出口を見ていた。

花は加藤を見ていた。

千穂は弓を消していたが、指はまだ存在しない弦を引く形のままだった。

石田は本を身体に抱えていた。

最初に口を開いたのは悠太だった。

「何が起きてるんですか?」

加藤は彼を見る。

柔らかい言い方は探さなかった。

「支部の中に残滓がいる」

誰も喋らなかった。

悠太が眉をひそめる。

「ここに?」

「中央区画だ」

芽衣が一歩出る。

「どうやって?」

「わからない」

石田が聞いた。

「数は?」

「わからない」

陽菜は斧の柄を強く握った。

「襲ってるの?」

加藤は短く答えた。

「ああ」

それで十分だった。

悠太が前へ出る。

「なら行きます」

「駄目だ」

一歩を踏み終える前に、加藤の返事が来た。

悠太が止まる。

「加藤――」

「駄目だ」

「でも、狩人が襲われてるんですよ」

「わかってる」

「なら、俺たちも役に立てます」

「わかってる」

悠太は一瞬、言葉を失った。

ただ否定されるより、その答えの方が崩された。

「じゃあ、わかりません」

加藤が近づいた。

「中に何がいるのかわからないからだ」

「残滓です」

「それだけしかわかってない」

「残滓とは戦ったことがあります」

加藤は真っ直ぐ彼を見る。

「俺は、理解するのが遅すぎたものとも戦った」

声が変わった。

大きくはなかった。

その必要もなかった。

悠太は、詳しくは知らなくても、加藤が自分たちの誰も生きていなかった時代のことを言っているのだと理解した。

加藤が続ける。

「お前たちが役に立てないと思ってるからじゃない」

石田、陽菜、芽衣にも視線を向ける。

「役に立てる」

芽衣が唇を結ぶ。

「だったら――」

「だが、何に殺されるかすらわからない場所へ、お前たちを連れていく気はない」

芽衣は答えなかった。

優奈が引き継ぐ。

「二年生は現場経験が多いから同行する。でも、攻撃部隊として入れるわけじゃない」

健太が顔を上げた。

「じゃあ何を?」

「指示されたことをする」

優奈は全員を見る。

「避難。負傷者の保護。経路の確保。大人に下がれと言われたら、下がる」

原田が聞いた。

「追跡は?」

「しない」

「隙があっても?」

「隙があると思った時こそ、しない」

原田はうなずいた。

「了解」

海斗はようやく腕を下ろした。

千穂が悠太を見る。

それから優奈へ。

「もし、ここまで来たら?」

加藤は出入口を示した。

「この区画は封鎖される。外周結界も、もう起動してるはずだ」

その言葉に応えるように、建物の奥で低い音が響いた。

何か重いものが閉じた。

続けて、もう一つ。

訓練場脇の扉に、魔力の線が浮かび上がる。

悠太はそれを見た。

嫌な感覚だった。

守られている感じではなかった。

置いていかれる感じだった。

颯太も結界を見ていた。

だが表情は違った。

彼はその感覚を知っていた。

知りすぎていた。

悠太はもう一度、加藤を見る。

「みんなが行くのに、俺はここにいられません」

加藤はため息をついた。

「いられる」

「いたくない」

「お前がいたいかは聞いてない」

悠太の表情が硬くなる。

「それは不公平です」

「そうだ」

言い訳なしで返された。

悠太は瞬きをする。

加藤が続けた。

「不公平だ」

扉を見る。

「向こうで起きてることも、不公平だ」

そして悠太へ戻る。

「だが、命令は痛いからといって間違いになるわけじゃない」

悠太は拳を握った。

「もし助けが必要になったら?」

「呼ぶ」

「呼べなかったら?」

加藤はすぐには答えなかった。

優奈が見る。

加藤は声を落とした。

「その時は、せめてお前たちだけは俺の言った通りにしたと知っておきたい」

悠太は黙った。

納得したからではない。

理解したからだった。

その方が辛かった。

陽菜がゆっくり斧を下ろす。

芽衣が扇を閉じる。

石田が床を見る。

颯太はまだ扉を見ていた。

優奈が二年生へ向く。

「準備して」

健太が深く息を吸う。

片手に一瞬だけ炎が現れる。

すぐに消した。

原田は手首の包帯を調整する。

結衣は自分の両手を確認した。

花は一秒だけ目を閉じ、また開いた。

千穂は指の間に魔力の弦を作り、すぐに消した。

海斗が彼らへ歩いていく。

陽菜が呼び止めた。

「海斗」

彼が止まる。

陽菜は迷った。

何を言えばいいのかわからないようだった。

最後に、斧を少しだけ持ち上げる。

「前に立たないで」

海斗は彼女を見る。

それから笑った。

「隣に」

陽菜がうなずく。

「隣に」

芽衣は原田を見る。

「言わずに消えないで」

原田が返す。

「言わずに斬るな」

芽衣は眉をひそめた。

「せっかくの空気を壊さないで」

「空気があったとは知らなかった」

「もう行って」

原田が歩き始める。

「そのつもりだった」

芽衣は目を閉じた。

「嫌い」

陽菜がわずかに笑う。

「そこまでじゃないでしょ」

芽衣は扇で彼女を指した。

「そっちまで始めないで」

中止になってから初めて、少しだけいつもの空気が訓練場へ戻ろうとした。

長くは続かなかった。

加藤が優奈を見る。

「行くぞ」

優奈がうなずく。

二年生たちが出口へ向かい始める。

悠太はその場に残った。

彼らから目を離さない。

海斗が近くを通る。

そして止まった。

「そんな顔するな」

悠太が見る。

「どんな顔?」

「その顔」

「説明になってないですよ」

「言われたことを、そのまま破ろうとしてる時の顔」

悠太は答えなかった。

海斗は少し笑みを深くする。

肩を軽く叩いた。

「心配するな」

手を離す。

「残滓なんて、さっさとぶっ潰して戻ってくるから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。