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永遠の残滓  作者: Mateo
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第51章:開眼の会

澪は眠れなかった。

本当の意味では、一睡もできなかった。

夜のあいだに何度も目を閉じた。けれど、そのたびに、あの紙に書かれていた言葉が浮かんだ。

《不寝の会》は、目覚めを望む者を迎え入れる。

古い道。

家が眠る時。

一人で来ること。

目は、一度しか開かれない。

最初は、行くつもりなどないと自分に言い聞かせようとした。

それが当然だった。

それが普通だった。

普通の人間なら、村中から狂人と呼ばれている男に渡された古い本の中に隠されていた紙切れなど追わない。普通の人間なら階段を下りて、祖母を起こして、これは何なのかと尋ねる。

あるいは陽菜を待つ。

あるいは本を燃やす。

あるいは、見つけた場所に戻す。

澪は、そのどれもしなかった。

彼女はベッドに横たわったまま、目を開けて天井を見つめていた。枕の下では、あの本がまるで自分の重さを持っているかのように眠っていた。触れてはいない。けれど、そこにあることはわかっていた。感じていた。まるで皮膚を裂かなければ抜けない場所に刺さった棘のように。

外では、風が枯れ木の枝を揺らしていた。

家が軋んだ。

祖母が部屋の中で一度だけ咳をした。

そのあと、沈黙。

澪は壁のほうへ寝返りを打った。

眠りは来なかった。

代わりに、記憶が来た。

裏口のそばに座り、澪にはよくわからない小さな武器を手入れしていた父。

話の途中で急に止まり、誰もいない廊下を見つめていた母。

十二歳の陽菜。訓練から戻ってきて、手に擦り傷を作り、年齢に似合わないほど真剣な表情をしていた姉。

そして祖母の声。

—触れないほうがいいこともある。

澪は毛布を指で握りしめた。

いつだって、説明はあったのだ。

それが問題だった。

説明がなかったのではない。

自分以外のみんなが、その説明を知っているように見えたのだ。

朝になっても、澪はすぐには起きなかった。

台所で幸子が動く音を聞いていた。水の音。茶碗の音。戸棚の扉が軽く当たる音。すべてがいつも通りに聞こえた。それが、余計につらかった。

家が秘密だらけだと知ったあとに、世界がいつも通りの音をしているべきではなかった。

澪はいつもより遅く階段を下りた。

幸子は茶を淹れていた。

「よく眠れなかったね」

問いかけではなかった。

澪は最後の段で足を止めた。

「顔に出てる?」

「大丈夫って言う時の陽菜と同じ顔をしてる」

澪は笑おうとした。

「じゃあ、大丈夫ってことだね」

幸子が澪を見た。

厳しい目ではなかった。

嘘をつきにくくする、あの静けさだった。

「それも、陽菜はうまくできないよ」

澪は視線をそらした。

一瞬だけ、全部話してしまいたいと思った。

神社の男。

本。

表紙の印。

残滓。

狩人。

月野についての一文。

あの紙。

言葉をすべてテーブルの上に落として、祖母に答えざるを得なくさせたかった。

けれど、そのあとに来るものを想像した。

沈黙。

悲しみ。

「今はその時じゃない」

「陽菜が話せる時に説明する」

「あなたを守るためだった」

澪は袖の端を握りしめた。

「ただ、遅くまで起きてただけ」

幸子はもう少しだけ澪を見ていた。

それから茶を注いだ。

「何か食べなさい」

澪は頷いた。

座った。

少しだけ食べた。

その朝じゅう、何事もなかったように振る舞った。

掃除を手伝った。

皿を片づけた。

玄関を掃いた。

幸子が話しかければ答えた。

何を待っているのかもわからないまま、何度も携帯を見た。

陽菜からの連絡。

警告。

何かの合図。

何も来なかった。

本は部屋にあった。

あの紙も。

昼過ぎ、澪は服を片づけると言って二階へ上がった。

扉を閉めた。

本を取り出した。

もう一度、最後のほうのページを開く。

あの紙は、黄ばんだ二枚のページのあいだに、置いた時と同じように挟まっていた。まるで、その本が澪のために、生まれる前からずっとそれを守っていたかのように。

澪はもう一度読んだ。

一度。

二度。

三度。

家が眠る時。

時間は書かれていなかった。

真夜中とも書かれていなかった。

何が起こるのかも書かれていなかった。

それは、澪を苛立たせるべきだった。

不完全な指示が嫌いだった。半分だけ答えを隠しておけば深く見えると思っているような人間が嫌いだった。試しているように聞こえるものすべてが嫌いだった。

それなのに、澪は紙を見つめ続けた。

そこには「みんなが眠る時」とは書かれていなかったからだ。

書かれていたのは。

家が眠る時。

まるで、この家もずっと起きていたかのようだった。

まるで壁が聞いていたかのようだった。

まるで木材も、廊下も、部屋も、誰も澪に言おうとしなかったものを守ってきたかのようだった。

澪は紙を折りたたんだ。

ポケットに入れた。

それから本をリュックの中にしまった。

理由はわからなかった。

持っていく必要はなかった。

紙だけで十分だった。

けれど、それを部屋に置いていくことはできない気がした。

本を置いて出れば、家がそれを飲み込み、また隠し、問いが言葉になる前に消えていく、あの居心地のいい沈黙へすべてを戻してしまうように思えた。

夕暮れ、澪はリュックを肩にかけて階段を下りた。

幸子は居間で洗濯物を畳んでいた。

窓からの光が、その手に落ちている。

澪はしばらく、その光景を見つめていた。

祖母は、澪が認めたくないほど年を取って見えた。

疲れていた。

一人に見えた。

それが、澪をほとんど引き止めた。

ほとんど。

「おばあちゃん」

幸子が顔を上げた。

「なに?」

澪は唾を飲み込んだ。

嘘は何時間も前から用意していた。

けれど、用意していたからといって簡単になるわけではなかった。

「今日は愛理の家に泊まる」

幸子は畳んだタオルを重ねた。

「今日?」

「うん。さっき連絡が来て。勉強しなきゃいけないから手伝ってほしいって」

「明日じゃだめなの?」

澪は心臓が胸を叩くのを感じた。

「試験前で、緊張してるみたいで……」

幸子は澪を見つめた。

澪は無理やりその視線を受け止めた。

長すぎないように。

十分なだけ。

「明日は早く帰ってきなさい」

ようやく幸子が言った。

澪はすぐに頷いた。

「うん」

「着いたら連絡して」

「連絡する」

また一つ嘘をついた。

前の嘘より、ずっと嫌な嘘だった。

幸子はまた洗濯物を畳み始めた。

澪は動かなかった。

謝りたかった。

抱きしめたかった。

本当は何も知らないのか、それとも他のみんなと同じように黙ることを選んだのか、聞きたかった。

そのどれもしなかった。

ただ靴を履いた。

上着を取った。

そして外へ出た。

夜の空気は、思っていたより冷たかった。

澪は最初、ゆっくり歩いた。祖母が窓から見ているかもしれないと思ったからだ。走っているところを見られたくなかった。逃げているように見せたくなかった。

実際には、逃げていたとしても。

角を曲がり、家が見えなくなると、澪は歩く速度を上げた。

久山の通りは、少しずつ灯りを失っていった。まだ明かりのついた窓もあった。ある家からはテレビの音が聞こえた。別の家では、誰かが皿を洗っていた。遠くで犬が二度吠え、それから黙った。

そのどれもが、自分とは無関係に思えた。

不思議だった。

一日中、自分はとても大きなことをしようとしているのだと感じていた。

人生が二つに分かれるようなことを。

それなのに、村はいつも通り動いていた。

人々は夕食を食べていた。

車は通り過ぎていた。

明かりは灯っていた。

月野澪が古い本をリュックに入れ、森へ誘う紙をポケットに入れて歩いていることなど、誰も知らなかった。

誰も止めなかった。

それもまた、痛かった。

神社の前を通った。

男はいなかった。

澪は石段のそばで数秒立ち止まった。

男が包みを置いた場所を見た。

空だった。

当然、空だった。

自分が何を期待していたのかわからなかった。

男が現れて、これは冗談だったと言ってくれることだろうか。

行くなと言ってくれることだろうか。

まだ選べるのだと言ってくれることだろうか。

けれど、誰もいなかった。

風だけがあった。

鈴がわずかに揺れた。

今回も、音は鳴らなかった。

澪は古い道へ向かった。

家々は背後に遠ざかった。

村はまず音を失い、それから光を失っていった。声が消えた。足音も消えた。道は木々のあいだへゆっくりと上り始め、足元のアスファルトは土へと変わった。

澪は森の入口で立ち止まった。

深く息を吸った。

「私、馬鹿だ」

低い声で呟いた。

けれど戻ろうとはしなかった。

ポケットから紙を取り出した。

開いた。

読む必要はなかった。

もう暗記していた。

それでも、文字を見た。

目は、一度しか開かれない。

澪は唇を引き結んだ。

「なら、それだけの価値があってよね」

紙をしまった。

森へ入った。

夜の森は違っていた。

そんなことはわかっていた。

けれど、中に入るまで、どれほど違うのかを理解していなかった。

昼間なら、木は木だった。幹、枝、葉。古い道。湿った土。虫。鳥。

夜になると、すべてが待っているように見えた。

枝は風で揺れているのではなかった。

身を傾けているようだった。

影は地面に落ちているのではなかった。

積もっているようだった。

すべての音が、はっきりしすぎていた。

靴の下で砕ける枯葉。

樹皮の間にいる虫。

遠くで軋む枝。

自分の呼吸。

澪は片手でリュックの肩紐を握って歩いた。

もう片方の手はポケットの中にあり、折りたたまれた紙に触れていた。

どれくらい進めばいいのか、わからなかった。

道には印がなかった。

矢印もない。

光もない。

数分のあいだ、場所を間違えたのかもしれないと思った。あの紙はただの意地悪で、誰かが遠くから笑うためだけに自分を森へ向かわせたのかもしれない。

そう考えれば、安心できるはずだった。

できなかった。

もし冗談だったとしても、本は本物だったからだ。

そして本が本物なら、冗談かどうかなど一番どうでもいいことだった。

澪は進み続けた。

道は細くなった。

両側の草木が、少しずつ迫ってきた。

その時、光が見えた。

小さい。

黄色い。

澪は動きを止めた。

光は木々の間で揺れていた。

懐中電灯ではなかった。

温かすぎる。

不安定すぎる。

蝋燭だった。

次に、もう一つ見えた。

さらにもう一つ。

さらにまた一つ。

澪は唾を飲み込んだ。

太い幹のところまで進み、その後ろに身を隠した。

そこから、開けた場所が見えた。

大きな場所ではなかった。古い木々のあいだに、わずかに開いた空間があるだけだった。低い石が不規則な円のように並び、その上に蝋燭が置かれているものもあれば、直接土に立てられているものもあった。

光はすべてを照らすには足りなかった。

だからこそ、そこにいる影たちは、動いていないのに闇へ出入りしているように見えた。

白い装束を着た人間たちがいた。

澪は六人と数えた。

そのあと七人だと思った。

そしてまた六人だと思い直した。

よくわからなかった。

何人かは木々に半分隠れ、何人かは円の中に立っていた。簡素な装束で、裾は汚れていた。顔の一部は白い布で覆われていた。

立派な仮面ではなかった。

芝居の衣装でもなかった。

不器用なほど丁寧に結ばれた布切れだった。

それが、余計に悪かった。

怪物には見えなかった。

人間に見えた。

普通の人間。

店で会えば挨拶していたかもしれない人間。

森の中で、白い服を着て、蝋燭の周りに集まることを選んだ人間たち。

円の中心には、赤い装束の人物がいた。

その服は他の者たちより暗く、蝋燭の光の下では茶色にも見える鈍い赤だった。布は全身を覆っていた。顔は同じ赤の滑らかな仮面で隠されており、目の部分だけ細く開いていた。

澪は、自分の身体が後ろへ下がれと訴えているのを感じた。

ようやく。

遅すぎたけれど、ようやく。

そこに答えはなかった。

家族についての説明もなかった。

何かを返してくれる人もいなかった。

そこにあったのは、宗教じみた集まりだった。

その言葉が、残酷なほどはっきりと頭に浮かんだ。

異教団。

澪は一歩後ろへ下がった。

靴の下で枝が折れた。

すべての頭が、同時にこちらを向いた。

澪は息を止めた。

赤い装束の人物が顔を上げた。

何も言わなかった。

言う必要はなかった。

白い装束のうち二人が動いた。

澪は走ろうと振り向いた。

遠くまでは行けなかった。

左から誰かが現れて進路を塞いだ。別の影が木の陰から出てきた。澪は後ずさり、白い布に覆われた身体にぶつかって悲鳴を上げた。

手が口を塞いだ。

別の手が腕を掴んだ。

澪は噛みついた。

相手はくぐもった声を漏らしたが、離さなかった。

蹴った。身を捩った。リュックを外そうとした。掴む手は強かった。怪物の手ではなく、絶対に逃がさないと決めた大人の手だった。

そのほうが、ずっと怖かった。

「落ち着きなさい」

声は開けた場所から届いた。

赤い男がこちらへ歩いてきていた。

走らない。

急がない。

その落ち着きが、澪をさらに暴れさせた。

「離して!」

口を塞いでいた手が離されたのは、さらに二人が彼女の肩を押さえたあとだった。

澪は息を吸い込んだ。

「離して!」

誰も従わなかった。

彼女は円の中へ連れていかれた。

蝋燭が近くなった。

焼けた蝋の匂いが、湿った土と、澪が認めたくない金属のような匂いに混ざった。

「私は、そんなつもりじゃ……」

声が壊れていた。

「神社の男が紙を渡してきて。私はただ……」

言葉が止まった。

知りたかったから。

怒っていたから。

たとえ狂人でも、誰かが答えをくれるかもしれないと思ったから。

赤い男は彼女の前で止まった。

仮面には表情がなかった。

だからこそ、いくつもの表情を想像できてしまった。

「知っている」

男は言った。

澪は唾を飲み込んだ。

「だったら離すように言ってください」

「まだだ」

恐怖が身体になった。

足が重い。

手が冷たい。

喉が詰まる。

「帰りたい」

「端まで来た者は、みなそう言う」

「こんなの望んでない」

「自分が何を望んでいるのか、お前は知らない」

その言葉は、思った以上に深く刺さった。

何年も、自分自身が考えてきたことにあまりにも似ていたからだ。

赤い男が片手を上げた。

白い装束の者たちが、ほんの少しだけ力を緩めた。

逃げられるほどではない。

少し息がしやすくなる程度だった。

「お前は、視たいから来た」

「嘘をつかれたから来たんです」

男は首を傾けた。

「それもまた、視たいということだ」

澪は首を振った。

「違う」

「お前の家族は扉を閉じ、お前を間違った側に置いた」

「私の家族を知らないくせに」

「お前の家族のような者たちなら知っている」

赤い男が一歩近づいた。

澪は後ずさろうとしたが、肩を掴む手がそれを許さなかった。

「闇を保護と呼ぶ家族。開いた目を受け継ぎながら、誰がそれを使うに値するかを決める家族。一人の娘が半分だけ生きていればいいと考え、もう一人にすべてを背負わせる家族」

怒りの涙が澪の目に上がってきた。

「黙ってください」

「嘘だから黙ってほしいのか」

男は少し身を屈めた。

「それとも、嘘ではないからか」

澪は歯を食いしばった。

答えなかった。

相手を満足させたくなかった。

それでも、言葉の一つ一つがひび割れを見つけて入り込んでくることを、認めたくなかった。

白い装束の一人が、澪のリュックを持って近づいた。

澪はそれを見た。

「それに触らないで」

相手は答えなかった。

本を取り出した。

赤い男はそれを両手で受け取った。まるで神聖なものを扱うように。

「本は、読む準備のできた者のもとへ必ず戻る」

「その本は、あなたたちの仲間が私に渡したんでしょう」

「扉を開く気のない者に、扉を渡すことはできない」

「意味がわかりません」

「お前が思うより、ずっと意味がある」

赤い男は、本の終わりに近いページを開いた。あまり探したようには見えなかった。指が迷わず正しい場所を見つけた。その自然さに、澪の胃が締めつけられた。

「強制的閉鎖について読んだな」

澪は何も言わなかった。

「眠った状態で生まれる目について読んだ」

沈黙。

「どの子が視てよくて、どの子が闇に感謝すべきかを決める家族についても読んだ」

澪は怒りが戻ってくるのを感じた。

信じたくなかった。

けれど、否定もできなかった。

男は本を閉じた。

「《不寝の会》は、目覚めたいという願いを作るわけではない、月野澪」

名前を聞いた瞬間、白い装束の者たちの何人かが頭を垂れた。

まるで、彼女を待っていたかのように。

「ただ、それを聞き取るだけだ」

澪は周囲を見回した。

蝋燭。

白い布。

赤い仮面。

森。

すべてが間違っていた。

すべてが、家からあまりにも遠かった。

「あなたたちと一緒に目覚めたいわけじゃない」

赤い男はしばらく黙っていた。

それから頷いた。

「それも、多くの者が言う」

「嫌だって言ってるんです」

「まだ目覚めることを、心地よい選択だと思っているからだ」

澪は腕を引っ張った。

「嫌だって言った!」

白い装束の者たちが、さらに強く澪を押さえた。

赤い男は円の中央へ手を伸ばした。

二人の白い装束が、平たい石を蝋燭の前へ引きずってきた。机ではなかった。だが、彼らはそれを机のように使っていた。表面には暗く乾いた跡があり、澪はそれをあまり見たくなかった。

恐怖が口元までせり上がってきた。

「いや」

「殺しはしない」

男は言った。

「いや!」

「何も奪わない」

白い装束の者たちが澪を石へ押しつけた。

澪は全身で抵抗した。

蹴った。

叫んだ。

片手を振りほどき、誰かの腕を引っかいた。

一瞬、逃げられると思った。

その時、奇妙な圧力が背中を横切った。

打撃ではなかった。

正確には違う。

まるで空気そのものが重くなり、膝を折らせたかのようだった。

澪は石に倒れ込んだ。

再び手が彼女を押さえつけた。

肩。

腕。

手首。

縛られてはいなかった。

必要がなかった。

頭上には、黒い枝に切り取られた空があった。

両脇では蝋燭が揺れていた。

赤い男が、澪の視界の中に現れた。

「お前の家族が閉じたものを、返してやる」

澪の呼吸は速かった。

速すぎた。

「嫌……」

赤い仮面が少し傾いた。

「目覚める前に、自分が目覚めたいかどうかを知る者はいない」

澪は首を横に振った。

白い手が彼女の顎を押さえた。

「お願い」

その言葉は小さかった。

屈辱的だった。

人間らしかった。

一瞬、赤い男は黙った。

澪は思った。

もしかしたら、届くかもしれない。

仮面の下に、まだ誰かの願いを聞ける人間がいるのかもしれない。

だが、男は言った。

「その言葉は、お前の目を閉じた者たちに言うべきだった」

右手を上げた。

澪はその親指を見た。

そして、それを口元へ運ぶのを見た。

「いや」

男は噛んだ。

蝋燭の光の下で、血が暗く滲み出した。

澪は全力でもがいた。

白い装束の者たちが、さらに強く押さえつける。

「いや! いや、いや、いや!」

赤い男は空いた手を彼女の額に置いた。まるで落ち着かせようとするように。

その仕草は優しかった。

ほとんど丁寧だった。

それが耐えがたかった。

「大丈夫だ」

澪は顔をそむけようとしたが、顎を押さえる手が固定した。

「傷つけるわけじゃない」

血は親指を伝い、第一関節まで落ちていた。

男は仮面の下で笑った。

澪には見えなかった。

けれど、その声でわかった。

「ただ、本来閉じられるべきではなかったものを、開くだけだ」

血に濡れた親指が、彼女の額に触れた。

熱かった。

熱すぎた。

澪は息を止めた。

その接触はゆっくりと下りていく。

額の中央から。

両目のあいだへ。

世界が張り詰めた。

蝋燭の炎が伸びた。

木々が身を傾けたように見えた。

そして一秒だけ。

本当に、一秒だけ。

澪は、赤い男の背後に何かを見た。

人ではなかった。

影でもなかった。

視線。

たくさんの。

多すぎるほどの。

澪は叫ぼうとした。

けれど、その前に森が消えた。

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