第50章:名もなき書
買い物袋は、澪が思っていたより重かった。
買いすぎたわけではない。
家に帰りたくない時ほど、帰り道は長く感じるからだ。
その日の久山は静かだった。いつものように、静かすぎるほどに。店は閉まり始め、布の暖簾は半分ほど下ろされ、近所の人たちの声が遠くを走る自転車の音と混ざっていた。太陽は山の向こうへ沈みかけ、低い屋根を柔らかな橙色に染めている。そのせいで、すべてが少し古く見えた。
澪は両手に袋を一つずつ持って歩いていた。
片方には野菜と米と茶葉。
もう片方には、祖母がそれほど急ぎではない様子で頼んできたものが入っていた。けれど年寄りの頼み方というのは不思議なもので、どんな簡単な用事でも、静かな責任のように感じさせる。
手伝うのが嫌なわけではなかった。
そうではない。
嫌だったのは、最近、二人で暮らすには広すぎるように感じる家へ帰ることだった。
陽菜が東京へ行ってから、月野家の音は変わってしまった。前は、姉があまり喋らなくても、そこにいた。何も音を立てなくても、その存在だけで空間が埋まっていた。帰ってきて、鞄をどこかに置きっぱなしにして、些細なことで祖母と言い合い、部屋にこもって訓練したり、澪には読み取れない表情で窓の外を見つめたりしていた。
今の家には、廊下が多すぎた。
部屋が多すぎた。
沈黙が多すぎた。
そして、誰も説明してくれないことが多すぎた。
澪は袋へ視線を落とした。
ビニールが指に食い込んでいる。
片方の手からもう片方へ重さを移し、また歩き出した。
陽菜を嫌っているわけではなかった。
それは大事なことだった。
時々、腹が立つことはあった。叫びたくなることもあった。どうしていつも、自分には分けられない何かを背負っているような顔をするのかと聞きたくなることもあった。姉だからといって、他の人の前で扉を閉める権利があるわけではないのに。
それでも、嫌いではなかった。
寂しかった。
それが余計に悪かった。
誰かがいなくなって、その人を恋しく思う自分がいると、同時に怒っているのだと認めるのが難しくなる。
澪は小さな神社へ続く道を曲がった。
家に帰るだけなら、そこを通る必要はなかった。もっと短くて歩きやすい道があり、家々の横を抜ければ、入口の枯れ木の近くへほとんど直接出られる。
けれどその日、澪は神社のほうを選んだ。
理由はわからなかった。
あるいは、わかっていたのかもしれない。
そこは、幼い頃に両親が黙り込むのを見た数少ない場所の一つだった。
二人は他の人たちのように祈らなかった。
信心深く手を合わせることもなかった。
ただ、神社の裏にある森を、どこか違う注意深さで見つめていた。まるで木々の間に、二人には見えて、澪には見えない何かがあるかのように。
陽菜も、いつか同じ目で見ていたことがある。
澪は覚えていた。
七歳か八歳くらいだったと思う。陽菜はもう父と訓練することが増えていた。村の小さな行事が終わったある午後、澪は古い道の前に立っている姉を見つけた。
「何を見てるの?」
そう聞いた。
陽菜はすぐには答えなかった。
それから笑った。
完全な笑顔ではなかった。
答えを避けるために使う、あの種類の笑顔だった。
「何も」
澪は同じ場所を見た。
何も見えなかった。
それが一番嫌だった。
何も見えないこと。
怪物が見たかったわけではない。
危険を望んでいたわけでもない。
ただ、自分の家族全員が、自分には話しかけてこない世界と、静かに会話しているように見えたのだ。
両親。
陽菜。
時には祖母さえも。何も知らないふりをしていたけれど。
澪は歩き続けた。
神社の鈴が、風にわずかに揺れた。
音は鳴らなかった。
その時、声が聞こえた。
「閉じた目は、誰も救わない」
澪は足を止めた。
男は道の端、石段の近くに立っていた。来た時には気づかなかった。あるいは気づいていたのに、声を聞くまで頭がそれを認識しなかったのかもしれない。
男はしわだらけの服を着ていた。場所によっては大きすぎ、場所によっては使い古されすぎていた。髪は乱れて額にかかっている。村の多くの人が酔っぱらいだと言っていたが、酔っているようには見えなかった。迷子にも見えなかった。ただ、どこへ歩いても決して辿り着かない人間のような歩き方をしていた。
地面を見ていた。
ように見えた。
「彼らは見ている。お前たちが見ていなくても」
男は呟いた。
「そこにいる。ずっとそこにいた。なのにお前たちは歩き、食べ、眠り、祈る。目を閉じたまま」
澪は袋を握りしめた。
通りの向こう側を、一人の女性が男を見もせずに通り過ぎた。
自転車に乗った少年が速度を落とし、男を一秒だけ見てから、道端の変な石でも見たかのようにまた走っていった。
村にとって、その男は風景の一部だった。
厄介者。
狂人。
澪はそのまま歩き続けるべきだった。
それが普通だった。
だが男が顔を上げた。
その目が澪を捉えた。
そして笑った。
優しい笑みではなかった。
脅すような笑みでもなかった。
もっと悪かった。
知っている、という笑みだった。
「お前は、あの家の子だな」
澪は袋を握る指にさらに力が入るのを感じた。
「どの家ですか」
男は首を傾けた。
「足元に真実を埋めたまま、それでも目を逸らし続ける家だ」
澪は一歩下がった。
「何を言ってるのかわかりません」
「そうだろうな」
男は低く笑った。
嘲笑ではなかった。
哀れみだった。
そのほうが、澪を余計に苛立たせた。
「だからお前の目は、まだ閉じたままなんだ」
澪は背を向けて歩き出そうとした。
「時間がないので」
「お前の姉は見える」
澪は止まった。
周囲の音が、少しだけ遠のいたように感じた。
男は動かなかった。
「お前の両親も見えていた」
澪は一秒、息を忘れた。
それから無理やり呼吸した。
「家族のことを話さないでください」
「お前を家族の外に置いたのは、俺じゃない」
その言葉は、あまりにも簡単に入り込んできた。
まるで、刺さる場所をずっと待っていたみたいに。
澪はゆっくり振り返った。
「何が目的ですか」
男はまた笑った。
「何も」
「嘘です」
「本当だ。俺はお前から何も欲しくない」
男は古い上着の中に手を入れ、暗い布に包まれたものを取り出した。長方形で、ノートよりは大きく、箱ほど厚くはない。布は細い紐で結ばれていた。
澪は近づかなかった。
男はその包みを差し出した。
「だが、お前は欲しがっている」
澪はそれを見た。
受け取らなかった。
「いいえ」
「姉が部屋に入っただけで、誰かが話す前に危険を理解できる理由を知りたい」
澪は唇を引き結んだ。
「陽菜のことなんて何も知らないくせに」
「両親が、時々、誰もいないはずの空間を見つめていた理由を知りたい」
澪の喉が詰まった。
「黙ってください」
「お前の家で、みんなが質問の仕方を教える前に、沈黙の仕方だけ覚えた理由を知りたい」
澪は気づかないうちに一歩、男へ近づいていた。
「黙ってって言いました」
男は包みを少し下ろした。
次に口を開いた時、その声は柔らかかった。
「お前は生まれつき見えなかったわけじゃない、月野澪」
澪は冷たくなった。
名前を教えていない。
知っているはずがない。
男は澪の目を見つめた。
「お前の目は、閉じられたんだ」
数秒の間、澪には風の音しか聞こえなかった。
神社。
葉擦れ。
指の間で軋むビニール袋。
「それは何ですか」
澪は包みを見て尋ねた。
「扉だ」
「本に見えます」
「一番いい扉は、たいてい別のものに見える」
澪は動かなかった。
男は包みを神社の石の縁に置いた。二人の間に。
「読め」
「嫌です」
「それでも暗闇にいたいと思うなら、捨てればいい」
澪は包みを見た。
それから男を見た。
「どうして私に渡すんですか」
男は笑った。
「本当なら、もっと前に誰かが渡すべきだったからだ」
そう言って、男は去っていった。
澪が受け取るのを待たなかった。
強要もしなかった。
追ってもこなかった。
ただ脇道へ歩いていった。もう石を落とした人間が、波紋を見届ける必要はないと知っているような、そんな静けさで。
澪はその場に残った。
袋が手に痛かった。
包みは石の上にあった。
触る必要はなかった。
持って帰る必要もなかった。
村中が狂人と呼ぶ男を信じる必要もなかった。
澪は一秒だけ目を閉じた。
森の前に立つ陽菜が見えた。
誰もいない場所を見る両親が見えた。
家族の訓練について尋ねるたびに話題を変える祖母が見えた。
目を開けた。
包みはまだそこにあった。
澪は袋を一つ地面に置いた。
そして、それを手に取った。
家に戻った時、家の中は静かだった。
祖母は台所にいて、流しのそばで何かを確認していた。
「少し遅かったね」
幸子はあまり声を上げずに言った。
澪は袋をテーブルの上に置いた。
「店に人がいたの」
完全な嘘ではなかった。
人はいた。
多くはなかった。
でも、いた。
幸子は近づき、買ってきたものを取り出し始めた。
「何もなかった?」
澪は包みを脇に抱え、腕で半分隠した。
「うん」
祖母が澪を見た。
澪は笑った。
少しだけ。
十分なだけ。
「これ、部屋に置いてくる。すぐ戻るね」
幸子は頷いた。
「そのあと野菜を洗っておいて」
「うん」
澪は急いで階段を上がった。
走りはしなかった。
それでは怪しまれる。
けれど胸の中では、心臓が馬鹿みたいに強く打っていた。
部屋に入り、扉を閉め、包みを机の上に置いた。
しばらく何もしなかった。
ただ見ていた。
暗い布は擦り切れていた。紐の結び目は単純だった。記号もない。奇妙な染みもない。危険そうに見えるものは何もなかった。
それでも危険ではない、という意味にはならなかった。
澪は紐を解いた。
布が開いた。
中には本があった。
あるいは、かつて本だったもの。
表紙は硬く、ほとんど黒に近い茶色をしていた。端は擦り切れ、角は傷んでいる。表紙に題名はない。ただ中央に、一つの印が刻まれていた。未完成の円を、縦の線が貫いている。
澪は指先でその上をなぞった。
その印は何も教えてくれなかった。
けれど、何かを感じるべきだと思った。
本を開いた。
最初のページはほとんど空白だった。
ただ一文だけが、黒いインクで書かれていた。
閉じた目は、向こう側から見つめるものを否定できない。
澪は息を止めた。
馬鹿げた文章だった。
そのはずだった。
けれどその一文のせいで、部屋が少し狭くなったように感じた。
ページをめくった。
絵があった。
上手い絵ではなかった。
芸術家の絵ではない。
忘れる前に、あるいは死ぬ前に、何かを記録しようとした人間の絵だった。
歪んだ人影。
目。
長すぎる腕。
身体の周りに黒い染みをまとった人間のシルエット。
欄外には別々の筆跡で注釈が書き込まれていた。はっきり読めるものもあれば、ほとんど判別できないものもあった。
澪はいくつかの単語を読んだ。
残滓。
次のページをめくった。
狩人。
さらに次。
感応する家系。
次。
知覚。
次。
覚醒。
澪は、気づかないうちに椅子へ座っていた。
読んだ。
最初はほとんど理解できなかった。
本は死者と生者の境界について語っていた。死後も残るエネルギーについて。身体ではない身体について。魂、残留物、あるいは時代によってさまざまな名で呼ばれていた何かについて。
けれど、一つの言葉だけが何度も繰り返されていた。
残滓。
澪はその言葉を何度も読みすぎて、言葉に見えなくなっていった。
残滓。
残滓。
残滓。
それを視ることができる人間についての段落があった。
その感応性を受け継ぐ家系についての記述があった。
生まれた時から目が「開いている」子供と、閉じたままの子供について書かれていた。
澪は前のページへ戻った。
一文を読んだ。
さらにもう一文。
そして三つ目。
胸の奥で、何かの形が変わるのを感じた。
喜びではなかった。
安堵でもなかった。
怒りだった。
最初は小さかった。
だが、だんだんはっきりしていった。
秘密がなかったわけではない。
秘密はすべて、誰も澪に教えようとしなかった言語で書かれていたのだ。
陽菜は知っていた。
両親も知っていた。
おそらく祖母も。
そして澪は、閉ざされた扉だらけの家の中で育ち、問いすぎないことを覚えてきた。質問するたびに、誰かが悲しそうに笑ったり、話題を変えたりしたからだ。
澪は読み続けた。
本の中には、ばらばらの紙が挟まっていた。折りたたまれたものもあった。別の文書から破り取られたようなものもあった。日記の断片、記号の写し、場所についての覚え書き、家名の一覧。
あるページに、月野の名が出てきた。
直接ではない。
すべての詳細が書かれていたわけでもない。
それでも、そこにあった。
月の家。感応の血筋。部分的な遺伝性知覚。自発的閉鎖および強制的閉鎖の事例。
澪は最後の言葉に指を置いた。
強制的閉鎖。
すべてを理解したわけではなかった。
けれど、痛むには十分だった。
下から祖母の声が聞こえた。
「澪!」
澪は本を勢いよく閉じた。
「今行く!」
一秒だけ、表紙を見つめた。
それから枕の下へ隠した。
階段を下りた。
野菜を洗った。
夕食を手伝った。
祖母に話しかけられれば答えた。
正しいタイミングで頷いた。
食べた。
いつも通りに。
けれど、何かが変わっていた。
家の壁が違って見えた。
秘密を明かしたからではない。
今、澪はその壁に秘密があるのだと知ってしまったからだ。
その夜、澪は祖母が寝るのを待った。
家が静かになるまでには時間がかかった。
いつもそうだった。
木が軋む。
どこかの管の中で水が動く。
入口のそばにある枯れ木を、風が撫でる。
澪はベッドの中で目を開けたまま、天井を見つめていた。
眠れなかった。
眠りたくもなかった。
幸子がもう呼びに来ないと確信してから、澪は机の小さなランプをつけ、枕の下から本を取り出した。
さらに読んだ。
言葉が混ざり始めた。
退屈だったからではない。
一つの問いが閉じる前に、次のページが新しい問いを開くからだった。
狩人。
残滓。
魔力。
知覚。
目。
覚醒。
さらに先の章では、何世代にもわたり、生者と死後に残るものとの境界として存在してきた家系について書かれていた。すべての家系が同じではない。視ることができる家もある。戦える家もある。空気の変化や、部屋の隅の影、可視の世界に完全には属していない動きだけを感じ取る家もある。
澪は一行を何度も読んだ。
すべての目が開いた状態で生まれるわけではない。中には、目覚めさせなければならないものもある。
その言葉に嫌悪を覚えた。
それでも、目を離せなかった。
目覚めさせる。
その言葉は、あまりにも約束に似ていた。
さらにページをめくった。
ほかの部分よりずっと新しい筆跡で、注記が書かれていた。
閉鎖は子供を守る。だが大人になったその者を、自ら選んだわけでもない壁の向こうで生きるよう断罪する。
澪は両手で本を握りしめた。
陽菜のことを考えた。
東京から戻ってきた姉の、以前より硬くなった目を思い出した。
両親のことを考えた。自分が部屋に入るたび、急に黙り込んだ午後のことを。
祖母の言葉を思い出した。
「今はその時じゃない」
「いつか」
「触れないほうがいいこともある」
いつか。
澪はその言葉が嫌いだった。
たいてい、それは二度と来ないという意味だったから。
目が痛くなるまで読み続けた。
どれくらい時間が経ったのかわからなかった。部屋は静かだった。けれど、もう一人きりには感じなかった。本は本来よりも大きな場所を占めているようだった。まるで、ページをめくるたびに見えない何かが入り込み、部屋の隅に座っていったかのように。
そして最後のほうのページに辿り着いた時、本には属していないものを見つけた。
折りたたまれた紙。
古いものではなかった。
紙は新しかった。
文字もそうだった。
澪はそれを見つめた。
また心臓が強く打ち始めた。
開く必要はなかった。
本を閉じればいい。
しまえばいい。
台所へ降りて祖母を起こし、すべてを聞けばいい。陽菜を待てばいい。何もなかったふりをすればいい。
でも、そうしたら、また悲しそうに笑われるかもしれない。
また、今はその時ではないと言われるかもしれない。
また、扉を閉められるかもしれない。
澪はその紙を取った。
ゆっくりと開いた。
書かれていたのは、わずかな行だけだった。
《不寝の会》は、目覚めを望む者を迎え入れる。
古い道。
家が眠る時。
一人で来ること。
目は、一度しか開かれない。




