第39章:裏切り者と南の噂
ラジオが流れていた。
米津玄師の『Lemon』が、車内を満たしていた。最初のピアノの音だけでわかる、あの独特のもの悲しさ。声も、旋律も、その曲が何度聴いても、人があまり思い出したくない何かに触れてくる理由そのものだった。
加藤は小さく口ずさんでいた。
優奈に聞かせるためでも、わざと歌っているわけでもない。知っている曲に合わせて、考えるより先に声が出てしまう。そういう歌い方だった。片手をハンドルに置き、もう片方の手を窓のそばに預けている。その姿勢だけを見れば、この移動には何の特別さもないように見えた。
優奈は、そんな加藤を横目で見ていた。
もう何分もそうしていた。苛立っているわけではない。ただ、聞きたいことがあるのに、いつ切り出すべきかを測っている者特有の、静かな居心地の悪さがあった。
「ひとつ、聞いてもいい?」
ようやく優奈が言った。
加藤は前を向いたまま、ラジオの音量を少し下げた。
「聞いていいかどうかを聞く必要はないだろ。聞けよ」
優奈はゆっくり息を吸った。
「どうして全部隠したの? あの戦争のこと。絶縁のこと。狩人をほとんど壊滅させかけた、あの出来事全部。どうして秘密になったの?」
加藤はすぐには答えなかった。
曲はまだ、少しだけ低い音量で流れ続けていた。ピアノの音。歌声。その旋律は、少し前に加藤がこの道を逆方向へ走りながら聴いていたものと同じだった。
やがて、加藤は息を吐いた。
そして、冗談をやめた。
「昔の狩人の世界は、今みたいな形じゃなかった」
低い声で、加藤が言った。
「大きな支部がいくつもあったわけじゃない。東京がほとんど中心だった。他は、狩人が住んでいる土地だったり、集落だったり、小さな集まりだったりした。でも、今お前が知っているような組織としての形はなかった」
優奈は黙って聞いていた。
「戦争のあとだ。絶縁と、あの一連の出来事のあと、香奈は気づいた。このまま全部を東京に依存させたままだと、東京が一度落ちるだけで、狩人全体が終わるってな。だから、あの人は仕組みを作り直した。今ある支部――東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、京都――は、その判断の結果だ。時間が経って、死んだり、引退したり、いろいろあって長が変わった支部もある。けど、最初にそれぞれの支部長を選んだのは香奈だ」
優奈は前方の道を見つめた。
「その人たちを集めたときに?」
「答えのない問題に向き合うことになった」
加藤は言った。
「どうやって、多くの狩人が死んだ理由を説明するのか。知能を持ち、言葉を話し、組織として動く残滓との戦争があったと明かさずに、だ」
優奈は何も言わなかった。
「真実を話せば、新しい世代の士気は折れるかもしれなかった。言葉を話し、組織を作り、戦略を立て、狩人をほとんど滅ぼしかけた残滓がいた。そんなことを知ったら、訓練を受けたいと思う者は減る」
加藤は短く間を置いた。
「けど、狩人がいなくなっても、残滓は現れる。人は死ぬ。今度は、それに対処できる者がいないだけだ」
優奈の指が、膝の上でわずかに強く握られた。
「だから、嘘をついた」
加藤はすぐには否定しなかった。
「そうだ」
最後に、そう答えた。
「嘘をついた」
その答えは、あまりにも単純だったからこそ重かった。
「香奈は、それを望んでいたわけじゃない。少なくとも、あんな形ではな。でも、真実を話すこともできなかった。あの人が再建しようとしていたものを、全部危険にさらすことになる」
優奈は数秒、黙っていた。
「じゃあ、どんな説明にしたの?」
加藤は答えるまでに少し時間を置いた。
「龍一が、ひとつ案を出した」
その名前を口にするとき、加藤の声には慎重さがあった。今でも、その名には雑に触れるべきではない何かが残っているようだった。
「“俺のせいにしろ”」
加藤は、そう引用した。
優奈が加藤を見た。
「そう言ったの?」
加藤はうなずいた。
「公式には、井上龍一が狩人を裏切ったことになった。彼の裏切りが、あの崩壊を招いたと。別に、全員を自分の手で殺したという話じゃない。ただ、彼がしたこと、あるいはしなかったことが、多くの狩人の死を招いた。そういうことにした」
優奈は一瞬、目を伏せた。
「私は、あの人が裏切り者だって聞いて育った」
加藤は何も言わなかった。
「そのあとに生まれた狩人は、みんなそう聞かされてきた」
車は走り続けた。『Lemon』は終わり、ラジオは別の曲に変わっていたが、二人のどちらもそれを聞いていなかった。
「香奈たちは反対した」
加藤は言った。
「全部を龍一に背負わせたくなかった。誰も望んでいなかった。龍一は、指導者としての失敗で裁かれることは決まっていた。あいつは失敗した。死ななくてよかったはずの人間を、死なせる判断もした」
加藤はそこで一度、言葉を切った。
「でも、あいつは理解していた。自分の名前が、本当の危険の大きさを隠すために使えるなら、その憎しみを背負えると。狩人たちがすべての残滓を恐れるより、一人の男を憎むほうがいい。あいつはそう考えた」
優奈はもう一度、道路へ視線を戻した。
「だから“裏切り者”って呼ばれてるのね」
「ああ」
加藤は言った。
「そういうことだ」
それから数キロのあいだ、二人は何も話さなかった。
優奈は黙って、その話を飲み込んでいた。怒っている、というだけではなかった。ただ、その表情のどこかが硬くなっていた。自分が若い頃から教えられてきた歴史の一部が、理由のある嘘の上に築かれていたと知るのは、簡単なことではなかった。
「香奈は会いに行ってる」
ふいに加藤が言った。
優奈が顔を向けた。
「誰に?」
「龍一にだ。牢へ。ほとんど毎晩」
優奈がまばたきをした。
「今でも?」
「何年もな。あいつが牢に入り、香奈が指輪を受け取った日からずっとだ。あの人は下へ降りて、龍一に話す。支部がどうなっているか。どんな問題があるか。どんな新しい狩人が現れたか。どんな判断を下したか。そういうことを全部」
優奈は前を向いた。
「みんなにとって、龍一は裏切り者だ」
加藤は言った。
「でも香奈にとっては、狩人が存続するために嘘を背負った男でもある」
そこで、少しだけ間が空いた。
「それに何より……あの人の師匠だった」
「……」
「香奈は、あいつに伝えているんだ。あいつのあとに作られた世界が、今どうなっているのかを」
優奈はすぐには返事をしなかった。
「残酷ね」
やがて、そう言った。
「ああ」
「二人にとって」
「そうだな」
優奈は横目で加藤を見た。
「支部にほとんどいないわりに、詳しすぎるのね」
加藤はかすかに笑った。
「俺は、みんなのことを知ってる」
優奈には、それが冗談なのか本気なのかわからなかった。
たぶん、その両方だった。
「着いたぞ」
加藤が言った。
夜の町田には、東京とは違うリズムがあった。
静かというわけではない。けれど、歩くたびに人の流れを計算しなければならないほどの密度でもない。街は控えめに息づいていた。低い明かり、散らばった会話、ときおり通り過ぎる車。その表面の下で何が動いていようと、自分たちには関係がないと言わんばかりだった。
加藤は路地の近くに車を停めた。
優奈は車を降り、周囲を見回した。その表情には、懐かしさに似たものと、居心地の悪さに似たものが混ざっていた。どちらか一つには決めきれない顔だった。
「久しぶりに来た」
「だいぶ変わった」
加藤が言った。
「見ればわかるわ」
「変わってないものもある」
優奈は加藤を見た。
「それはいいこと? 悪いこと?」
加藤は笑った。
「誰に聞くかによるな」
二人は細い階段を下りていった。そこには、半ば隠れるように存在する店があった。大きな看板は必要ない。来るべき人間は、最初から場所を知っている。そういう店だった。
入口には大柄な男が立っていた。肩幅が広く、声を荒らげなくても相手に自分の判断を考え直させるような、静かな威圧感があった。
加藤はその肩を軽く叩いた。
「よう、でかいの。元気か?」
男は加藤を見て、一度だけうなずき、何も聞かずに扉を開けた。
優奈は加藤のあとに続いて中へ入った。視線は自然と店内を探っていた。
「真面目にしてよ」
完全に入る前に、優奈が言った。
「ここで真面目にするのは難しい」
加藤が答えた。
店内には、意図的な暗さがあった。
光が足りないのではない。そういう選択なのだ。木のテーブル、低い照明、壁に染みついた古い煙草の匂い。それぞれのテーブルから聞こえる会話は混ざりきらず、小さな世界をひとつずつ作っていた。
「加藤」
左から声がした。
低く、整った声。自分の声がどう響くかをよく知っていて、それを他の道具と同じように自然に使う者の声だった。
白銀香澄が、白い髪をほどいたまま歩いてきた。その動きは一見気まぐれに見えて、その実、完全に計算されている。誰が自分を見ているのか、わざわざ見返さなくてもわかっている。そういう歩き方だった。
「また来るなんて珍しいわね」
香澄は近づきながら言った。
「しかも、こんなに早く」
彼女は加藤の腕に触れた。その親しげな仕草は、優奈の目にもはっきり映った。
「今度は何を探してるの、銀次郎?」
「黒田源蔵だ」
加藤が言った。
香澄は笑った。
「源蔵は忙しいわ。でも、私なら手伝ってあげられるかもしれない」
その口調は、情報のことだけを言っているわけではないと、はっきり示していた。
優奈が咳払いをした。
香澄は顔を向けた。最初からそこにいると知っていたのに、今この瞬間に気づいたふりを選んだ者の速さだった。
「あら」
香澄が言った。
「優奈。いたのね」
「私も会えてうれしいわ、香澄」
優奈は、きちんと整いすぎて刃物のように見える笑みで返した。
二人のあいだに、一瞬だけ空気が張った。
あからさまな敵意ではない。脅しでもない。ただ、もっと細く、もっと厄介なものだった。二人とも笑っている。笑わないほうが露骨すぎると、互いにわかっているからだった。
「芽衣は元気だ」
加藤が、何も気づいていないように言った。
「知りたいかと思ってな」
香澄の表情が、わずかに緩んだ。
「それはよかった。あの子は昔から面倒ごとに首を突っ込むのが得意だったから。まだ生きて、それを続けているなら安心ね」
「これは、俺の目がおかしくなったか」
背後から声がした。
加藤が振り返る。
そこに立っていた老人は、七十を少し越えているように見えた。白い髪、わずかに丸まった背中、そしてあまりにも多くの秘密の近くで長く生きてきた者の疲れた姿。けれど、その目は疲れていなかった。鋭く、こちらを見透かしている。笑みには、いつでも他人より少し多くを知っている者の、腹立たしい落ち着きがあった。
黒田源蔵は、加藤を上から下まで眺めた。
「加藤銀次郎」
源蔵は言った。
「ようやく死んだと思っていたんだがな」
加藤は笑った。
「俺も会えてうれしいよ、源蔵」
源蔵は優奈を見た。それから、また加藤を見た。
「おめでとう。ついに恋人ができたか」
優奈は、加藤より先に反応した。
「違います!」
源蔵は優奈をじっと見た。
「返事が早すぎる」
「狩人仲間だ」
加藤が補足した。
源蔵はゆっくりとうなずいた。まるで、それがもっと悪い説明であるかのように。
「ああ」
源蔵は言った。
「そっちのほうがまずいな」
四人は奥のテーブルに座った。加藤と源蔵が向かい合い、優奈と香澄がそれぞれ横に座る。二人の距離は自然に見えて、決して自然ではなかった。
加藤は無駄話をしなかった。
「噂を聞いた」
「何の噂だ」
「残滓を狩る残滓についてだ」
源蔵が笑った。
「相変わらず、いきなり本題か。変わっていなくて安心したよ」
「遊んでる時間はない」
「俺にはある」
源蔵は言った。
「それに、お前はここの決まりを知っている。情報が欲しければ、代価を払え」
「金はない」
「なら情報もない」
加藤は香澄を見た。
香澄は両手を軽く上げて笑った。
「その情報を持っているのは彼だけよ。他のことなら手伝ってあげられるけど、こればかりは無理」
加藤はため息をついた。結局そうなると、最初からわかっていた。
「じゃあ」
加藤は言った。
「何が欲しい?」
源蔵はすぐには答えなかった。ただ笑った。
そして、香澄を見た。
「白銀」
香澄はすぐに理解した。立ち上がり、カウンターへ向かい、やがて一組のカードを持って戻ってきた。それを二人のあいだに置く。
「勝負だ」
源蔵が言った。
「お前が勝てば、情報をやる。負けたら、何かを払ってもらう」
「何が欲しい?」
「まだ決めていない」
源蔵は言った。
「面白いものを提示しろ」
加藤は考え込んだ。
そして、指を一本立てた。
「お前が勝ったら」
加藤は言った。
「優奈をやる」
優奈が勢いよく加藤を見た。
「はあ!?」
香澄は口元を押さえた。笑いは漏れた。
源蔵は、商談の内容を検討するような落ち着いた目で優奈を数秒見た。
「却下だ」
優奈の口が開いた。
「却下って何!?」
「俺はもっと胸のある女が好みだ」
源蔵は平然と言った。
「私の胸に何の問題があるのよ!」
優奈が言った。
「問題はない」
源蔵が答えた。
「お前のほうが気にしているように見える」
優奈の顔がさらに赤くなった。
「私の胸は普通よ!」
香澄が、隠す気もなく笑った。
優奈は彼女を見た。
「あなたは何を笑ってるの? 胸に全部取られて、頭の中身が足りないくせに」
香澄の笑みが消えた。
「今、何て言った?」
優奈が一歩前に出る。
香澄も一歩出た。
加藤はため息をついた。
「どっちかが店を壊す前に、勝負を終わらせてもいいか?」
優奈は、整理できないほど多くの感情を詰め込んだ顔で加藤を見た。
「絶対に勝ちなさい」
「集中の邪魔をするな」
加藤はそう言って、源蔵の前に座った。
カードが配られた。
その勝負は、ただのカード遊びとは思えない静けさで始まった。二人は、テーブルの上にあるものだけが勝負のすべてではないと知っている程度には、長く遊んできたのだ。
「まだ厄介ごとに首を突っ込んでいるのか」
源蔵が手札を見ながら言った。
「厄介ごとのほうから来るんだ」
加藤が答えた。
「それは誰でも言う」
源蔵は言った。
「探している奴も、見つけられた奴もな」
加藤が一枚出した。
源蔵はゆっくりと返す。
優奈は腕を組んで見ていた。賭けが本気でないことはわかっている。それでも、加藤に勝ってほしいと思わない理由にはならなかった。香澄は結果よりも過程を楽しんでいるようだったが、ときおり優奈へ向ける笑みには、先ほどの一言をまだ許していない気配があった。
最初、加藤は落ち着いて見えた。
落ち着きすぎていた。
源蔵が一戦目を取った。
続けて、二戦目も。
優奈が眉をひそめた。
「加藤」
「集中の邪魔をするな」
「負けてるわよ」
「それも集中の邪魔だ」
源蔵が乾いた笑いを漏らした。
「お前の連れは目がいいな」
「口も多い」
加藤が言った。
優奈が加藤を見た。
「今の、もう一回言ってみる?」
「勝ってからな」
源蔵はもう一枚カードを出し、わずかに椅子にもたれた。その瞬間だけ、勝負は完全に彼の手の中にあるように見えた。笑みは小さく、確信に満ち、ほとんど見えないほどだった。
それが、優奈を不安にさせた。
一方で加藤は、手札へ視線を落とし、笑うのをやめた。
変化はわずかだった。
けれど、優奈は気づいた。
源蔵も気づいた。
「出たな」
老人が言った。
加藤が目を上げる。
「何が?」
「今から本気で始めるふりをするところだ」
加藤はかすかに笑った。
「ばれたか」
「いつもそれだ」
「それでも、いつも引っかかる」
源蔵は目を細めた。
次に加藤が出した一枚が、場の意味を変えた。
派手な動きではなかった。大げさな反応も起きなかった。ただ、それまで役に立たないように見えていた一枚が、あるべき場所にはまった。それだけだった。
源蔵はそのカードを見た。
それから、加藤を見た。
「性格が悪い」
「褒め言葉として受け取る」
勝負は、さらに数分続いた。
加藤は手札だけで遊んでいるわけではなかった。源蔵の間。カードを捨てる前の視線。思ったよりいい札が来たときにわずかに動く眉。人が集中しているときに無意識に出してしまう情報。加藤はそれらを、道路を読むような自然さで読んでいた。
終わったとき、源蔵はテーブルの上のカードを見つめていた。
少しのあいだ、何も言わなかった。
やがて、カードを集めた。
「見事だ」
優奈は、知らないうちに止めていた息を吐いた。
加藤は椅子にもたれた。
「さて」
加藤は言った。
「話せ」
空気が変わった。
源蔵はカードを脇へ置き、笑みから茶化すような鋭さを少しだけ消した。
「情報は、南にいる俺の知り合いから来た」
源蔵が言った。
「そいつの話では、鹿児島で妙なものが残滓を殺している。狩人が到着する前にな」
優奈がわずかに身を乗り出した。
「どれくらい確かなの?」
「俺の連絡先はそう言っている」
源蔵は答えた。
「いくつか事例がある。残滓が現れる。戦闘の痕跡が残る。破壊された残滓の残骸が見つかる。だが、その時間にその場所に登録された狩人はいない」
「本当に残滓なの?」
優奈が尋ねた。
源蔵は加藤を見た。
「攻撃の痕跡を見る限り、そう見える。普通の人間にあんな破壊はできない。登録された狩人も近くにはいなかった」
加藤の表情は変わらなかった。
けれど、目の奥だけが変わった。怠そうな注意が消え、もっと澄んだ、もっと危険な集中が残った。
「そこにいる何かは」
源蔵は続けた。
「見つかりたがってはいない。痕跡ははっきりしている。だが、足跡は残らない。直接探しに行った者の中で、まともな手がかりを持ち帰った者はいない」
加藤は立ち上がった。
「なら、たぶん俺たちが探してるものだ」
優奈が加藤を見た。
「鹿児島」
加藤はうなずいた。
「鹿児島だ」
二人は席を立つ準備をした。
源蔵はカードを一枚ずつ、ゆっくりと集めていた。急ぐ必要などない、と言わんばかりの手つきだった。十分に長く生きてきた者にとって、たいていのものは遅かれ早かれ目の前に来る。
「銀次郎」
加藤が足を止めた。
源蔵は、その夜で一番真剣な顔をしていた。
「お前があそこで何を探しているのかは知らん。だが、その噂が本当なら、そいつは見つけられたくないはずだ」
加藤は源蔵を見た。
それから、笑った。
警告を無視した笑みではなかった。完全に受け取ったうえで、それでも進むと決めた者の笑みだった。
「俺もよくそう言われる」
優奈は加藤のあとに続いて出口へ向かった。
香澄はテーブルから二人を見ていた。最初に加藤を、それから優奈を。その表情には、からかいと心配と、もう少し名づけにくいものが混ざっていた。
「加藤、気をつけて」
香澄が言った。
「ありがとな、香澄」
「私もいるんだけど」
優奈が言った。
夜の町田の通りは、変わらないざわめきで二人を迎えた。
加藤は両手をポケットに入れたまま、車へ向かって歩いた。
「鹿児島ってことね」
優奈が言った。
「そうらしい」
加藤が返した。
南では、残滓が残滓を狩っている。
そして、なぜか加藤には、その噂のほうからこちらへ動き出したように感じられた。




