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龍脈の子  作者: キタノユ


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第十二話 始祖の湖

「妖か!?」

 武官の怒声はよく響き、湖面をはしる。

 千里は朗月にしがみついたまま、目を白黒させた。


「な、な??」

 回廊には、さらに多くの人影が集まりつつある。

 文官らしき衣冠の男たちが書簡を抱えて駆けつけ、高位の神官と思しき老人が、若い神官に支えられながら石段を降りてくる。


 武官たちは彼らの使命に従い狼藉者を捕らえようと動きかけた――が、そこまでだった。


「名を名乗、な、あれは」

「朗月、殿下……?」


 武官たちの槍先が、微かに揺れた。神官たちの間を、困惑の囁きが走る。


「騒がせて、すまない」

 朗月が口を開いた。

 声は掠れていたが、湖面を渡る風のように湖畔の奥まで通った。


 千里を片手に抱え、朗月はゆっくりと前へ進み出る。

 腰まで浸かった水が、朗月の動きに合わせて静かに、大きく長く、波紋を広げた。

 全身が濡れそぼっていても、朗月の背筋は、若竹のように真っ直ぐだった。


「朗月、ここ、どこだよ??」

 千里は朗月の胸元にしがみつきながら、恐る恐る声を絞り出した。

 物々しいいでたちの大人たちが待ち構える光景が、山の子を恐れさせる。


「ここは、瑞龍湖ずいりゅうこだ」

 朗月が、静かに答えた。

 大陸の中央、瑞華国の帝都にたたえられた龍血の水甕みずがめ


「それ、塾で習った! コダイシンワってやつに出てくる」


――太古、七柱の龍、身を横たえて大陸と為す

――七つの御心臓みしん重なりしところに龍の血集まりて、湖と為す

――湖中より龍血を浴びし者立ち上がる


「『これ、瑞華始祖の王なり』。どうだ!」

 自慢したがりの子どもへ、同じ目線にある朗月の瞳が、和らいだ。


「すごいではないか。完璧にそらんじられたな」

「へへっ」


 得意げな千里を抱いたまま、朗月はまた一歩、水を割る。

 濡れた白衣が肌に貼りついたまま、陽光を透かして淡く光った。

 梢の間から差し込む光の筋が、まるで導くように朗月の頭上へ集まる。


 石段の途中で足を止めた老神官が、唇を震わせた。

 杖にすがりつく節くれだった指が、白く変わるほどに力を込めている。


「湖中より……立ち上がる」

 枯れた声が、千里の唱和の続きを拾い上げる。


「七龍、身を裂きし苦しみに血潮荒れ、大地は火と毒に満つ……」

 老いた瞳が、穏やかに凪いだ湖面を見つめている。

「王、その嘆きを鎮めて清き水脈となし……緑芽吹き、人の世のいしずえとならん……おぉ……」


 最初に膝を折ったのは、神官たちだった。

 握りしめていた錫杖を取り落とし、水晶が石畳に当たって澄んだ音を立てる。

 その音に弾かれたように、隣の神官が、その隣が、次々と膝をつき、額を白石に押し当てた。


 文官たちも続く。

 次々と書簡を胸に抱いたまま、崩れるように跪いた。


 誰もが同じ光景を幻視していた。


 武官たちは最後まで槍を構えていたが、槍の穂先が揺れ、やがて石畳を打つ硬い音とともに、武器が手から離れた。

 膝が地に落ち、続いて、二人、三人と。

 甲冑が触れ合う金属音が連なり、湖畔に居合わせた全ての者が、白石の上に叩頭した。


 風鈴の音だけが、変わらず軒先で鳴っている。

 朗月は白石の浜へ上がり、静かに立ち止まった。


「朗月……?」

 千里は白衣を握りしめたまま、小さく声を漏らした。

 平伏する大人たちの頭が並ぶ光景から、湿地の村で見たそれとは比較にならないおそれが伝わってくる。


「……」

 ひれ伏す人々を見下ろす白い横顔には、感情のさざ波ひとつ、見当たらなかった。

 ただ深く息を吐き、濡れた前髪の奥で、長い睫毛が一度だけ伏せられた。が、


「ぇ――っくしゅぃ!」

 聖域に、豪快なくしゃみが響き渡った。


「はっ……!」

 平伏していた神官たちが、弾かれたように顔を上げた。

 改めて目に入るのは、ずぶ濡れになり、鼻を赤くして震える皇子と謎の子供。


「で、殿下!」

「御身が冷えてしまわれる!」

「湯を! 乾いた布を!」


 我に返った高官たちが、慌てふためいて動き出す。

 献上された極上の絹布を受け取ると、朗月は自分の体を拭くよりも先に、腕の中の千里を包み込んだ。


「この少年は、私の恩人である。丁重に扱ってくれ」

「いででで」

 濡れた犬を雑に拭くような手つきで頭を拭われながら、千里は布の隙間から朗月を見上げた。


 いつもの「朗月」ではない。民のかしずきを受ける時にだけ見せる、皇子の仮面が、そこにあった。



 二人が案内されたのは、湖に突き出すように建てられた「水龍宮」だ。

 朱塗りの回廊を渡り、重厚な扉を潜って、一室に通される。


 黒檀が敷き詰められた床は、磨き上げられた表面が湖面の揺らぎを映し込んでいる。天井を支える柱には、金泥と群青で精緻な龍と雲の意匠が描かれ、欄間にも透かし彫りの龍が雲間を翔んでいる。


 香炉、長椅子、花台、山水画――置かれている調度品の全てが、神域特有の冷ややかな美しさを漂わせていた。


「こちらをお召しください」

 神官たちが恭しく差し出したのは、目の覚めるような純白の装束と、藍色の上衣だった。肌触りはどちらも清水のように滑らかだが、構造は複雑怪奇だ。

 千里は袖を通そうとして指先が行き詰まり、紐を結ぼうとしてもう片方を見つけられず、悪戦苦闘する。


「貸してごらん」

 見かねた朗月が、自身の着替えを終えて手を伸ばし、流れるような所作で着付けていく。


「二度と着れないかもしれねぇ」

「はは」


 朗月の笑い声を、回廊の板敷きを忙しなく踏み鳴らす複数の足音がかき消した。

 それらを圧するように響く、重く、底冷えするような靴音が重なる。


「へ、陛下! なぜこちらに。ご体調は――」

「構わぬ」


 太く低い声が臣下たちを押しのけて、扉の向こうへ近づいた。


「?」

 千里が視線を上げると、向かいで帯を締めていた朗月の手が、止まっていた。

 唇が一瞬、戦慄わなないてから一直線に結ばれ、瞳が曇った。


「朗……」

 千里の声に重なって、重厚な両開きの扉が悲鳴のような音を立てて左右に開け放たれた。


 室内の空気が一瞬にして重さを増した。


 現れたのは、一人の男。

 よわいは五十ほどか。

 深く刻まれた皺の一つ一つが、年輪のように覇者の歴史を物語っている。


 通った鼻筋や、やや目尻の下がった切れ長の瞳は、確かに朗月と血を分けた父子のそれであった。

 しかしまとう空気は似ても似つかない。


 朗月が春の陽光ならば、父は真夏の烈日であり、同時に極寒の凍土でもあった。

 皇帝のみに許された黒地に金の龍を刺繍した祭服に恵体を包み、見る者をひれ伏させる引力を持っていた。


(これが……皇帝……)

 いくらの野生児でも、ようやく理解が追いついた。

 村塾でも習ったばかりだ。大陸の覇者たる瑞華国の頂点に座し、天命を受けて万民を統べる絶対者。


 ぐ、と瞳の奥に力をこめる。

 世界が裏返り、視界が「気」の色を捉えた瞬間。


「あ……あれ……」

 皇帝の体に、溶岩のような紅蓮が渦巻いていた。


 朗月の体に流れているのが、清冽な清水のような蒼い光だとするならば、その対極にある。


(……死んだ獣の、色)

 あるいは逃げ場を失って鬱血した龍脈の、おぞましい赤黒さ。


(やな色だ……)

 本能的な忌避感に、千里の肌が粟立った。体が、動かない。


 さっ、と視界が遮られた。

 朗月の手だ。

 父帝の覇気に当てられ、千里が恐怖で硬直していると勘違いしたであろう朗月が、背に庇うように前へ出た。


 まだ濡れた髪が頬に張り付くのも構わず、朗月は床に片膝をつき、恭しく頭を垂れる。


「陛下におかれましては――」

「朗月」

 他人行儀な口上は、鋼の声によって叩き切られた。


「勝手に僻地へ飛び出して行ったかと思えば」

 靴音が、ゆっくりと、床板を軋ませて近づいてくる。


「……その節は、多大なるご迷惑を」

「随分と派手な帰還であるな。どのようにして戻ってきたのだ」

「それは……」


 朗月が口ごもる。

 何が起きたのか、身に起きた現象の整理すら、できていないのだ。


「たぶん、龍脈に流されたんだ」

 朗月の逡巡を破ったのは、千里のあっけらかんとした声だった。


「!!?」

 控えていた高官や神官たちが息を呑み、顔面を蒼白に染める。

 不敬罪で即座に斬り捨てられかねない非礼である。


「――ほう?」

 皇帝は眉一つ動かさなかった。

 千里は朗月の背中から顔を出し、さらに一歩、前へ出る。


「川が詰まるみたいに、光の流れが詰まってたんだ。それが爆発して、飲み込まれて、川に流されるみてぇにぐるぐる回って、それで気がついたら、あそこに落ちたんだ」


 千里は身振り手振りを交えて、懸命に訴える。

 皇帝の双眸が、鋭く細められた。


「視える、のか。龍脈が」

「うん」


 千里が頷くと、皇帝は口の端を微かに歪めた。


「そうか。『龍気灯』やら『浄水龍石』なるものを見出したのは、お前か」

 朗月が、弾かれたように顔を上げた。

「な、なぜそれを……」


 愚問だった。

 はじめから、末の皇子の「道楽《治水》」の様子など、皇帝にはお見通しだったのだ。


「童。我の眼にならぬか」

 皇帝の口から、天命にも似た宣告が告げられた。

 周囲の臣下たちの困惑が、一斉にさざめく。


 それは民にとって至高の栄誉であり、同時に、一生を檻の中で過ごすも同義だ。


「父上! 彼は私の友です、そのような――」

 たまらず朗月が声を荒げた。


「この童に尋ねておるのだ」

 皇帝は視線すら動かさない。


「どうだ。後宮に入れば、凍える小屋で根をかじることもなくなる」

 絹の寝床と山海の珍味、望むままの暮らしが保証される。

 飢えを知る者にとって、甘美な毒だ。


「やだよ」

 千里は鼻を鳴らした。


「――ぃぃっ!」

 臣下たちの顔が、更に恐怖で引きる。

 皇帝の御慈悲を拒絶するなど、万死に値する愚行。


「千里……!」

 朗月の顔から血の気が失せる。

 今度こそ斬り捨てられると、小さな体を自身の背後に隠そうとした。

 千里はその腕を、ぐいと押し退けた。


「おれは」

 気圧けおされぬよう膝に力を込め、床を踏み締める。


「おれは、自分のことは、自分で決める」

 一歩も引かず、皇帝という巨大な山脈を見上げ、対峙する。


「勉強して、考えて、そんで役にたつものを創るんだ」

「……ほう」


 皇帝の瞳に、愉悦の色が混じる。


「ならば、やりたいことを全てやらせてやろうと言ったら、どうだ?」

 猛獣が喉の奥を、低く鳴らした。


「知恵を欲するというのなら、国一番の知恵ものたちを集めよう。道具を作りたいのなら、国一番の職人たちを集め、黄金でも秘石でも、望むままの素材を用意させよう」


 試すように、皇帝は逃げ場の無い好条件を並べ立てる。

 だが千里の龍眼は、黄金の山を前にしてもなお、いささかも眩んでなどいなかった。


「おれはもう決めてんだ」

 ニッと口角を上げ、「悪ガキ」は皇帝に向かって指を突き立てた。


「おれがすっげぇもんを発明したら、一番最初に自慢してやるのは――朗月だって」

「千里……」


 隣で、朗月が呆然と呟いた。

 千里は振り返らず、まっすぐに皇帝を見据え、魂の在りを叫んだ。


「朗月を見つけたのはおれだ。おれを見つけたのは朗月だ。だから、おれの眼も知恵も、朗月のために使うんだ!」

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