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龍脈の子  作者: キタノユ


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第十一話 門

 翌日、千里は朗月と共に黒田郷こくでんごうの治水現場を訪れた。


 泥濘でいねいの中で指示を飛ばしていた男、渓舟けいしゅうが千里と朗月の姿を認めると駆け寄ってくる。朗月の前まで来ると、泥に汚れた作業着のえりを正し、右手の拳を左手で包んで胸元へ掲げた。


 深く、静かに腰を折る――拱手きょうしゅの礼である。


「お待ちしておりました、殿下」

 その所作に一分の隙もなく、かつて中央の工部省で高官を務めていた頃の、洗練された礼節が蘇っていた。


「出迎え、ありがとう」

 朗月もまた鷹揚おうように頷き、その忠義に応える。


 もっとも、渓舟の殊勝な態度は「主君」に対してのみ適用されるものだ。

 顔を上げ、傍らの千里へ視線を移した途端、渓舟の目尻に揶揄からかう色が乗る。


「おう、自分の名前くらい書けるようになったか? 塾生殿」

「バカにすんなー! とっくに書けるし!」


 千里が噛み付くと、渓舟はガシガシと乱暴にその頭を撫で回し、朗月の方へ向き直った。


「あちらへ。資材の搬入状況と、今期の予算についてご報告が」

「ああ、聞こう」


 大人の顔をして歩き出した二人を見送り、千里は一人、湿地帯へ回れ右をする。

 意識を凝らし、水の下で青白く脈打つ光の奔流――龍脈を見渡した。


「……なんか、ねえかな」

 千里はあごに手を当て、山で独り生きていた頃の知恵を反芻する。

 熊の接近を音で知らせる仕掛け、魚が掛かると浮きが沈む網、鳥が餌をつつくと落ちる籠。


 妖魚が現れる直前、龍気は確かに渦を巻いて暴れていた。

 川と同じで、龍脈も流れているのならば、圧力――押す力があるはず。それを感知する方法はないか。


「ん?」

 千里の視界の中、湿地の果てに違和感が灯った。

 黒田郷の外縁にあたる一帯で、光が一箇所に溜まり、膨張している。


「……なんだ、あれ」

 確かめたいが、距離がある。

 丘を一つ越えた先、脚で一刻はかかる距離だ。


「朗月!」

 千里は村へ駆け戻った。

 ちょうど朗月が渓舟との話を終えて、帳幕ちょうばくを出たところだった。


「どうした、千里。そんなに慌てて」

「変なのが見える。遠くの方で、龍気が集まりすぎて膨らんでる。あっち、丘の向こう」


 息を整えながら、千里は空回る言葉で矢継ぎ早に伝えた。


「渓舟は――後で報告するとしよう。蒼嶽そうがく、馬を」

 朗月が振り返る先、飯場の奥では渓舟が、杭の打ち込み位置を巡って棟梁と丁々発止のやり取りをしている最中だ。

 千里が朗月の白馬に同乗し、白葉と蒼嶽がそれぞれの馬で後に続く。


 馬蹄ばていが凍った泥を蹴って辿り着いたのは、緩やかに落ち込む谷地形が開け、両側を低い崖に挟まれた窪地だ。足元を覆っていた泥と枯れ草が退き、代わりに苔むした岩肌が地表を占めていく。


 馬を低木に繋げ、岩を身軽に飛び越える千里を先頭に、一行は徒歩で谷を進んだ。

 風の抜けが変わり、湿地の腐臭が遠のく。

 空気が乾き、冷たくなっていった。


「……何もないようだが」

 蒼嶽が低い声で呟き、崖の上へ警戒の視線を巡らせた。

 川は穏やかに流れている。


 だが千里の見える世界は、異なっていた。


 谷の地下を走る太い龍脈が、一箇所で堰き止められ、膨大な龍気が鬱血うっけつしている。

 光は逃げ場を求め、岩盤のわずかな裂け目からか細い糸のように漏れ出していた。

 本来は青白い光が、傷口からあふれた体液のように痛々しい赤黒に濁り始めている。


「気が詰まってる。色も変だ。このへんだけ、血が混じってるような色になってる」

 千里は言葉を探しながら、見えるままを口にした。


「殿下。私の目には、何も見えません。しかし――」

 白葉は袖を捲り、己の腕を見下ろした。肌が粟立あわだっている。


「感じます。肌をあぶるような……龍気の熱が、地の底から滲み出している」

 術者としての感覚が、千里の言葉を裏付けていた。

 額には、薄く汗がにじんでいる。


 そんな時。

 千里の足元で、水が跳ねた。

 人間の来訪に驚いた蛙が数匹、石の窪みから飛び出す。


「でっかい……」

 山で見慣れた蛙の、優に三倍はある。

 人の頭ほどもある胴体はただれ、皮膚には本来あるはずのない灰紫の斑紋はんもんが無数に浮き出ていた。


 千里は視線を移し、川の浅い水底を覗いた。

 数尾の魚が水草の間を漂っている。

 鱗が油膜を張った水溜まり色の光沢を放っていた。


「昨日の化け物みたいな魚も、これのせいなのか」

 龍脈の流れが堰き止められ、一帯に長く溜まり続けた濃密な龍気を浴び続けた生き物たちが、異質に変異しているのだ。


「千ぼう」

 蒼嶽の低く太い声が、手招きしている。


山鼠やまねずみの死骸だ」

 体が倍近くに膨れ上がり、猫ほどの大きさになった鼠のむくろが腹を上にして、緩やかな流れに押されるまま川面を漂っている。


(なんだ……これ……)

 千里が強烈な違和感に身震いした、その時だった。


 視界の奥で、白金の光が震える。

 膨張した光の核が警告かの明滅を繰り返した。


「逃げ――」

 千里が叫ぶより一瞬早く、谷の一帯に無数の光条がほとばしった。


 地の底から噴き上がった光が稲妻の如く四方へ走り、岩肌という岩肌に亀裂を刻んでいく。連動するように、凄まじい光の間欠泉が天を衝くように吹き上がり、周囲の岩場を根こそぎえぐる。


 砕けた岩塊が礫となって四方八方へ射出され、続く二度目、三度目の爆発が連鎖して、谷が崩壊するかのような轟音が鳴り響いた。

 川の水が一瞬にして煮え立ち、熱湯の飛沫が白い蒸気と共に宙を舞う。


「お下がりください!」

 蒼嶽が朗月の前に立ち塞がった。


「護陣!」

 白葉が印を結んだ。

 放った光が空気を走り、幾何学的な文様を描きながら展開する。

 薄青い光の膜が一行を覆い、襲いかかった岩片の雨をことごとく弾いた。


「千里!」

 朗月は千里の頭を抱え込んで身を屈めた。


 噴き上がる龍気は吹き出すほどに、血の色の気が霧のように広がり、谷を、空を、視界の全てを覆い尽くしていく。


「何なんだこれっ!」

 朗月の腕の隙間から、千里は見た。

 膿んだ怒涛が、高波のように押し寄せる。


 瞬間――足元から、感覚が消えた。


「へっ!?」

 地面が、ない。


 両足が虚空を踏み、内臓が浮き上がるような浮遊感が全身を通り抜けた。

 かと思うと、見えない手に足首を掴まれたかのように、下へ、下へと引き摺り込まれる。


「わ、っぁ!!」

 天地が裏返った。光が、全てを飲み込んだ。


 人智を超えた力が渦を巻き、柔らかな身体を四方から圧し、揉み、押し流していく。

 臓腑が潰れ、鼓膜が破れそうだ。


 千里は、知っていた。

 この感覚を。


 遠い昔――記憶にもならぬほど幼い頃。

 あの時も、誰かの腕の中にいた。


「朗月……!」

 光の濁流の中で、千里は自分を抱きしめる腕の主を呼んだ。

 返事はない。

 声は轟音に掻き消され、自分の叫びさえも耳に届かない。


 千里の体を包む腕の力は、緩まなかった。

 小さい体を離すまいと、痛いほどに抱きしめている。

 混沌の渦中で、それだけが確かだった。


 やがて光も音も、輪郭を失っていく。

 白。

 ただ、白い。


 視界が灼け、思考がほどけ、己の存在すら曖昧になりかけた頃――――世界が、不吉な赤錆色に変色した。


 どぷん


 ――熱い。

 肌を爛れさせるような熱量が全身を包む。


「がぼっ……!」

 鼻腔に液体が流れ込む。

 鉄錆と硫黄を混ぜたような、鼻をつく腐臭。


 熱湯だ。

 地獄に落ちたのか。


 赤黒い世界。

 どろりと濁った水流の中で、滾る紅蓮の「気」が、無数の蛇のように渦巻き、のたうち回っている。なんと禍々しい奔流。


 がむしゃらに四肢を動かす。

 ふと、千里を抱きしめていたはずの腕の力が、ふわりと緩んだ。


(朗月?!)

 目の前に、白い衣が花弁のように広がっている。

 手を伸ばし、袖を掴んだ。

 しがみつくように引き寄せる。


 指先が触れた刹那。

 朗月の全身から清冽せいれつな蒼い光が、爆発するように解き放たれた。


「!?」

 光は潮のごとく広がり、視界を埋め尽くしていた毒々しい紅蓮を、瞬く間に呑み込んでいく。


 熱は去り、泥のような濁流は、透き通った瑠璃色へと塗り替えられた。   

 荒れ狂う渦が、一撫でで鎮められたかのように。


 頭上に、青白い光が見えた。

 千里は渾身の力で水を蹴って、朗月の体を引き摺り上げる。

 水面を透かして差し込む微かな、柔らかい光を目指し腕を掻いた。


 苦しい。

 視界が暗くなりかける。

 それでも、握った腕だけは離さなかった。


 ざばり――水面を破って、顔が空気に触れた。


「ぷはっ!!」

 千里はあえぎながら朗月の襟を掴み直し、水面に引き上げる。


「朗月! 朗月……!」

「っごほ……!」


 水を吐いて咳き込む朗月の顔を、千里は両手で抱き寄せた。

 肌に伝わる呼吸と体温に、安堵する。


「千里……?」

 掠れた声が、水面に落ちた。

 長い睫毛まつげが震え、焦点の定まらぬ瞳がゆっくりと千里を捉える。


「無事、か」

 血の気の引いた唇が、それでも千里を安心させようと、緩やかに弧を描いた。


「お前が言うな――あ、あれ……」

 ふと、足裏に柔らかな感触が触れた。


 底なしの深淵かと思っていたのに、足が水底についている。


 見渡せば、肌を焼いていた焦熱地獄が幻のように掻き消え、底の白い砂粒まで透けて見えるほど清廉な、鏡のように静まり返った水の中にいる。


「おや?」

 朗月も気づき、千里の体を抱き上げて立ち上がると、水は、胸ほどの深さしかなかった。


「……」

「……」


 顔を見合わせ、


「はは」

「ふはっ」


 互いにしがみつき、ただ生きていることを確かめるように。

 二人は力の抜けた笑いを向けあった。


 笑いが途切れ、千里は濡れた前髪の間から周囲を見回した。

 朗月もまた、千里を片腕に抱いたまま、ゆっくりと首を巡らせながら、陸に向かって少しずつ水を掻いて歩を進めた。


「白葉……蒼嶽……?」

 返事はない。


 鏡のように凪いだ湖面は翡翠色に澄み、水底の白い石が透けて見えるほどに清い。

 周囲を囲むのは、天を突く常緑樹の巨木で、梢の間から差し込む光の筋が、湖面に金の粒を散らしている。


 空気が、柔らかい。

 冬の谷にいたはずが、肌を刺す寒さを感じないのだ。


 千里は丹田に力を込めた。

 視界が、爆発的な白に覆われる。


「っ――」

 湖の底から、四方八方から、天からさえも。

 数えきれぬほどの龍脈が、水辺一帯へ向かって奔流している。

 一本一本が黒田郷の大龍脈を遥かに凌ぐ太さで、それが幾重にも絡み合い、束ねられ、水の中心へと吸い込まれていた。


「何だ、これ……」

 目を開けていられなかった。

 まともに視れば、瞳ごとかれそうだ。


「……どこなんだよ、ここ」


 白石の浜から一段高い場所に、朱塗りの欄干が巡る回廊が伸びている。

 その奥には、翡翠色の瓦を戴いた楼閣が、木々の緑に溶け込むように佇んでいた。

 壁面には金泥で龍紋が描かれ、軒先には青銅の風鈴が、絶え間なく澄んだ音を零している。


「まさか――」

 朗月の面持ちは、理性と驚愕とが交互に揺れていた。


 しゃらん、と。

 岸から、澄んだ鈴の音が響いた。


「何の音だ?」

 幾重にも重なる金属の清音が、木立の間を縫って近づいてくる。

 追いかけて、石を踏む重量感のある足音、金具がぶつかる音、槍の石突きが地を打つ硬い律動が重なった。


 回廊の上を、白い装束に身を包んだ人影が駆けてきた。

 頭から肩まで垂らした薄絹の帽額に、胸元で揺れる硬玉の首飾り。

 手にした錫杖しゃくじょうの先には、光を放つ水晶がめ込まれている。


 神官だ。

 一人、二人ではない。

 五人、六人と、回廊の奥から次々に姿を現す。


 続いて、甲冑の武官たちが湖畔こはん雪崩なだれ込んできた。

 手には長槍や弓を構え、兜の下の双眸そうぼうが鋭く湖面を射抜いている。


「な、何だ、湖がしずまっている……!?」

「何者だ!?」


 先頭の武官が、水中に立つ二人へ向けて槍の穂先を突きつけた。

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