大団円
その日、例によって兄貴たちのいる店でよくわからないコーヒーを飲んでいると、紺色で傷だらけの魔道具がメッセージの知らせを告げた。
パカッと開いて見る。
『ずっとレポートを手伝ってくれてありがとう。明日、午後一時に弘前公園の植物園で会いましょう。来なかった場合は、あの日の尻尾の件を、しかるべき方面に報告します』
「ひっ……!」
私は情けない悲鳴を上げた。
しかるべき方面とはどこだ、大学の教授か? それとも動物園か? 岩木山のふもとにふれあい動物園らしきものはあるが……親父殿や母上の住む近くだな……。そうじゃなくて。
「どうした、狸一」
「兄貴……、彼女から連絡が来て、何だかただならぬ雰囲気の文面で……」
「ほう、実に頼もしくもおもしろい女性のようだな。惚れがいがあるというものだ」
「感心してる場合か! どうしたらよいのだ!」
「決まっている。近づくのだ。『口止め工作』というもっともらしい大義名分のもと、その懐に飛び込むがいい」
「兄貴は、アドバイスが雑だし物騒なのだよ!」
行かねば、ばらされる。行かぬという選択肢は最初からないのである。
重い心で、弘南鉄道に乗り、下宿に戻った。
「ただいま、ばあちゃん……」
「おかえり、狸一。なんじした? 元気ねぇのが?」
(意:おかえり、狸一。どうした?元気ないのか?)
声が低く小さい私を気遣ってくれた祖母に、外が寒かったんだ、と答えておく。
つぐみ嬢のメッセージが怖くて、などと言えるわけがない。
ところで何を着て行けばいいのだ?
いつもの雑なトレーナーや、ワイシャツでも良いのか?
帽子でも被れば……と考えた時に、ふと、兄貴の店に置きっぱなしになっている、かのキャスケットを思い出した。
そもそも、あれが始まりだったのだ……。
大学体育館横の小路の角、あの大学生協で「ラスト1」と書かれたキャスケットを買ってしまったことから全てが……。
と、今までのことが怒涛の勢いで脳内を流れていく。
つぐみ嬢はいったい何用なのだろうか。
逃げなければ、誰にも何も言わずにいてくれるのだろうか。
化け狸という事実を黙っていて欲しければ、卒業までずっとつぐみ嬢の研究の手伝いをしろ、ということなのだろうか。
そんなもの、弱みを握られていなくとも、手伝うに決まっておろうに。
しかし、つぐみ嬢が他の男と親交を結び、あまつさえ、お付き合いすることとなった場合……私の立場は何になるのだろう。
体のよいアシスタントか?
……待て。そもそも、私が口止めをするはずだったのではなかったのか?
これでは、私のほうが良いように扱われてはいないだろうか。
つぐみ嬢にとって私はいったい何なのだろう。
私はらちがあかない思考を広げながら、まんじりともせず、夜明けを迎えた。
弘南鉄道大鰐線の千年駅の改札で、硬券の切符にハサミを入れてもらい、改札を通る。
平成の今の時代において、何とも時代がかった改札の仕方で、あのカチカチというハサミの音が私は何となく好きだが、今日に限っては、追い立てられるように感じた。
向かう先は、いつもの土手町の中央弘前駅だが、兄貴たちのいる店ではなく、公園へと向かわねばならない。
幾分、約束よりも早くに着いてしまうが、遅くなるよりはよっぽど良い。
さて、中央弘前駅の改札を抜けると、待合の椅子が並ぶところで、「変な帽子の噂に乗せられて、寒沢の坂で転ぶ羽目になってさ」と話してるのが聞こえた。
思わず足を止めて声の主を見ると、腕に包帯を巻いて首から吊っている男子学生がいるではないか。
まさか、あのキャスケット事件の時に……
「お、お前、まだ怪我が治ってないのか!? そんなに酷かったのか!?」
と叫んでしまっていた。
男子学生はいぶかしげに私を睨むようにしていたが、
「……あ! その声、お前あの時の!」
と包帯をしていない方の手で指をさしてきた。
無礼にもほどがあるが、まあ、酷い怪我をさせた可能性もあるので咎められない。
「う、うむ……、まさか、そのような治りの悪い怪我をさせてしまっていたとは……すまないことをした……」
すっかりとしょげ返り、悄然と頭を垂れた私に、相手は多少慌てた声を出した。
「違う、あの時は擦り傷だ! これは別口でな。ばかやろうカーブで、ブロック塀にこすった」
「……ばかやろうカーブ」
ああ、あの大学生協から西弘へ抜けるところのクランクか。四つ、いや五つ……数えるたびにカーブの数が違うのが、あの道の性質の悪いところだ。敵を迷わせるための枡形が、いまや大学生を迷わせて怒鳴らせている。
人を化かす道とは、狸の商売敵である。我らの十八番を、道に奪われておるではないか。そして人間は、あのような危険な場所ほど愛称をつけたがる。
「自転車に乗れんから、弘南で来て、今から本屋に行くところだ」
なるほどな。と頷き、時計を見上げる。うむ。私も行かねばなるまい。
「怪我、早く治れば良いな……、まあ、私が言うのも、おかしいのかもしれぬが」
「はは、まあ、ありがとよ」
まあ、大事無いならば良い……。広範囲の皮の擦り傷というのも大変だろうが。
さて、それよりも、つぐみ嬢のいる弘前公園へ向かわねばならない。
多少、早歩き気味で私は公園を目指す。
植物園は三の丸追手門から入って程ない場所にある。
黒く塗られた丸太の門、綺麗に刈り込まれた生垣。そこの入り口から見ると、植物園というよりは、旧家の大きな庭園の様相をしている。
……いや、もとは本当に庭園なのだろう。
ちょうど今時期だと、もみじと菊人形まつりなるものをやっているはずだ。
つぐみ嬢は、料金所前の黒塗り丸太門のところにいた。早歩きのせいで若干息の上がった私を見つけ、手を振っている。
しまった、私の方が遅く着いてしまった。
小走りでつぐみ嬢の元へ駆け寄る。
「すまない、待たせただろうか」
「ううん、早めについちゃってさ。田貫くんも約束した時間より早いじゃん」
と微笑んでくれる。
ああ、この微笑みで早歩きと小走りの疲れは吹き飛ぶ。
「今日はどうしたのだね」
「ん? 弘前城の桜は見たけど、この、菊まつり?は見てなかったなあって思って」
と笑いながら料金所へと歩き出す。
いかん、貧乏学生とはいえ、ここは私が払わねば!
と、急いでつぐみ嬢より一歩前に出て、二人分の料金を払う。
「自分で払うのに」
というつぐみ嬢に、「クッキーの礼だ」と憮然とした声を出す。
「それにしても、ここを見るためだけならば、何も脅すような文面にせずとも……」
あ、いかん、咎めるような口調になってしまった。
「んー? だって、ああでも書かなきゃ、田貫くん、来てくれないでしょ?」
と屈託なく笑っていうつぐみ嬢に、私は完敗の白旗を掲げることにした。
私よりも私をよく理解している。
そういえば、私もこの植物園……というよりも庭園だな……は、じっくりと見たことが無かった。
……城の公園自体は無料だが、ここは料金がかかるから、意識的に見ないようにしていたとも言える。
それにしても、……隠れる場所があるにはあるが、綺麗に整えられすぎていて落ち着かない。
石で作られた、水のない池など、見る分にはいいが、水がないため魚が捕れんではないか。
などと見ていたところ。
「うわー、風情のあるところだねえ、さすがお城の一角だ、秋だとなおさら情緒あふれるね」
と、つぐみ嬢が目を輝かせている。
「うむ……、そうだな、悪くない」
私も同意を示しておく。
「来年の桜まつりも、一緒に見に来ようよ」
輝かしい笑顔でつぐみ嬢は続けた。
何拍も遅れて、その意味が脳みそに到達する。
「来年も一緒でいいのか?」
「ん? もちろんだよ」
…………。
この胸のざわめきに名前をつけようとして、やめた。
名前などなくても、だいたいのことは怖くなかった。
歓喜のあまり、心の中の尻尾が盛大に膨らんで揺れていた。
岩木山を静かに仰ぎ見る秋の青空が、私たちの頭上に広がっていた。
―終わり―




